2005年4月9日更新(2005年4月18日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■4月9日(土) よくわからないもの ──道路脇に咲く「花」──
雨が降っていなければ、センセイは新潟の自宅と最寄り駅柏崎駅の間を歩きます。公園脇の、車の走らない、裏道があるのです。普通に歩いても15分くらい。ちょうど良い距離です。
川沿いのこの道、先日歩いていて手すりのところに、花が咲いていることに気づきました。
よく見ると、造花です。やや毒々しい色がお分かりになりますでしょうか。その「花」が、約5mおきに、いくつもいくつも延々と手すりに結びつけられているのです。
何とも表現しがたい、不思議な空間です。居心地がよいというより、一種、違和感。この週末、駅から同じ道を歩いたら、今度は反対側のフェンスにも同じように「花」が結びつけられていました。
ビニール紐の縛り方は、子供のそれではありません。かなり慣れた、おそらく年輩の人が縛っています。
どうやらご本人は良かれと思い、美しいと感じてなさっているようです。......よくわからない。
■4月8日(金) わーい、掘り出し物を見つけました!! ──センセイが車で金沢へ来る理由(2)──
新学期のショックで、すっかり昔の話(こちら)になってしまいましたが、センセイが自宅から金沢へ車で来る時は、たいてい何かを運んでいるのです。
今回(先週)は、写真の2台のビデオデッキを運びました。上下重なっていますが、全く同じ機種です。
新潟と金沢に置いていたビデオデッキを交換したのです。このビデオ、よぉーく見ると、ちょっと、変。(わかるかな?)
デッキの横幅は標準サイズ(430mm)なのですが、カセットの取り出し口がVHSよりちょっと狭い......。
そうなのです、このビデオデッキ、ソニーのβ(ベータ)ビデオなのです。
センセイが初めてビデオデッキを買ったのは23年前。
信じてもらえないかもしれませんが、実はその当時、センセイはテレビを持っていませんでした。
テレビを録画するために買ったのではなく、PCM(パルス・コード・モジュレーション)という、ビデオデッキと特殊なAD(アナログ−デジタル)変換器(コンバータ)を使った録音のために買ったのです。
PCMは現在のCDやMD技術の先祖だと思ってください(こちらもご参照)。そのビデオデッキは当時の価格で24万円、ADコンバータも10万円。学部学生の身にはホントに高かった。感覚的には軽自動車が1台買える値段でした。
で、その時買ったのがビデオがβだったのです。
その後10年間ほどβだけを使っていました。βは色のノリに難がある──VHSのような派手な絵造りではない──のですが、特性がフラットで、解像度も高かったのです。
けれど、その後のシェア争いについてはご存じの通り。βは市場から消え去ってしまいました。
そしてソニーも2002年夏にβの製造を打ち切ってしまいました。最後の数年間は、年間わずか200台(!!)ほどを岩手の工場で造っていただけなのだそうですさて西村センセイ、この機種──ソニー最後の機種──を1993年から使っています。
製造中止を知った2002年当時は、まだこのマシンにほとんど問題がなかったので最終ロットの製品を買わなかったのですが、製造後10年を過ぎたころから急に限界が近づいていました。
修理も考えたのですが、ゴム部品などやはり寿命があるので、買い換えた方が早く、安く、そして内容の良い物が手に入ります。で、良さそうな中古を探していたのですが、先日、柏崎市内で2000年に製造──最終ロットに近い──され、あまり使われていなかったものを見つけたので、即、購入。
定価は10万円だったのですが、中古の販売価格は4万円。
ちょっと高めで、足元を見られている感じですが、見つけられただけでもラッキーなので、全然不満はありません。購入後すぐにチェックしましたが、新品のような特性で、大当たりでした。
で、βのDVD化を進めるために、金沢のアパートに持ってきた、というわけです。「西村センセイ、先を読み損なってβを買ったもんだから......フン!!」とお思いの方、この話、決して他人事ではないんですよ。
確かにVHSは現在2〜3万円で手に入りますから、テープにカビが生えたり──実は多発している──しない限り、ひとまずは再生できます。
でも、現在のデッキは限界までコストダウンして、安い部品しか使っていないので、テープに記録された本来の情報を引き出すことはできないのです。
例えば標準モードで記録した情報を、3倍モード用の狭いヘッド──つまり1/3の情報量(!!)──で再生したりしているのです。センセイはVHSの高い機種も自宅とアパートに1台ずつ持っています。きれいな絵で記録・再生できますが、やはり20万円以上しました。しかしそれももう製造中止で、手に入りません。
βもVHSも8mmも、せっかくの記録、例えば子供の時の映像を結婚式のために再生しようとして、機械もなければ、まともな絵も出ず、「何でできないの?」という事態が確実に進行しているのです。
数年後には社会問題化するのではないか、と危惧(きぐ)しているくらいです。業界用語的には「企業の社会的責任」というヤツです。そう言えば、VHDというビデオディスクもあったなぁー......かつて。
......よく見えない。
このところ本を読んでいると、とても疲れてしまいます。注意力も持続しません。
老眼が進行しているのです。(老化しているのはオツムも、なのですが。)
(メガネをかけると)「楽になるよ」と言われていたので、日曜日に眼鏡屋さんを訪れて、よぉーく検査してもらって初めての老眼鏡を作ってもらいました。
で、大学で使ってみると、おぉ、よく見える!!
......でも、なんかちょっとちがう。眼鏡屋さんでは気づかなかったのだけれど。
本を読む時、少し視線が下がるのですが、色収差が見えるし、何よりこめかみが痛くなってしまう。
どうもちょっと合わないようです。
初老、と言われるにはまだ早い、と解釈することにしましょう。
センセイは朝早く大学に来ます。人もいないし、雑音が少ないので、まとまった仕事をするのにちょうどいいのです。(単に歳をとっただけだとも言われていますが...。)
季節にもよりますが、だいたいお日様と競争しながら出勤することになります。
この時間だと、大学の脇を流れる高橋川近辺を初老の人たちが早足で歩いています。
決して少なくはない人数で、たいていグループで歩いています。散歩ではなく、おそらく健康法なのでしょう。とても速く歩いていますから。
実際、顔色を拝見すると、色つやがとてもいいのです。
よく出くわす4人連れの婦人グループは、大きな声で話ながら、しかしかなりのスピードで進んでいます。
センセイも体調維持のためにやってみようかなぁーと思う時もあるのですが、ちょっと引っ込み思案なので、やっぱり自転車でスーッと通り過ぎてしまうだけです。
たぶん学生さんは知らない、朝の風景です。
4月に入って、学内は新入生一色です。
本当は上級生もいるはずなんだけど、「見るからに新入生」という学生が目立つので、彼らの影が薄い......。
もちろんまだ授業は始まっておらず、クラス別のオリエンテーションや、写真のように新入生全体に向けた説明などが続いています。
みんなどこか、ウキウキしています。
その新入生を、上級生が狙って(?)います。
今日はある建物の中でクラブ活動などの説明が行われたのですが、4階建てのその建物、エレベータの終点にはご覧のように上級生が待っていました。
チラシなどを渡して勧誘するためです。後ろ姿の学生はどうも、新入生ではなかったようですね。
さて、今日はセンセイもかなり働いたのですが、感じたことが一つ。
人を導くのは、とても難しいということ。
今日は約800人を一度に相手にしたのですが、新入生ですから勝手がわかっていません。
その人たちが、わかるような量と内容の情報を提供して、事故や無駄のないように誘導しなければならない。で、今日の西村センセイ、気力、体力的に激しく消耗してしまったのです。
う〜ん、でも後で考えてみたら、先が見えずに迷っている「ひとり」を導くよりは、ずっと簡単だ。
ある人を導くというのは、無理矢理引っ張ることではなく、彼/彼女の話を、できるだけ相手の立場になって聴き、自分自身で判断するようにさせること。
この時の関係は双方向的。聴き手である自分の立場を一度捨てなければなりません。一時的にせよ、自分を失ってしまう、考えようによってはとても怖いことなのです。
でも、今日のような誘導はマスを相手にした一方的な指示。一人一人の顔は見えない。
迷っている人たち、みんなどうしているかな?
お気づきの方も多いと思いますが、このホームページ、主要なページの下部にはカウンターが設置されています。
毎週月曜日の朝にチェックして、一覧表にするのですが、先週、大きな異変が起きました。
毎年のことなのですが、この時期は春休み。そのためアクセス数が大きく減ります。
今年も全体のアクセス数(右表の「トップ」)や、他の主要なページは例年と同じ動きを示しています。ところが、暦学的には土曜日から一週間が始まることをご紹介したページ(こちら)だけが、ふだんより1ケタ多くアクセスされているのです。
まぁ、もともとこのページはアクセスの変化が多いページなのですが。実は以前、サイトを検索していて、センセイのこの暦のページに言及しているブログに出くわしたことがあります(こちら)。
右の写真はその時のものです。たぶんこの時と同様、誰かが検索してたまたまヒットして、ブログのようなところで盛り上がっているんだと思います。
センセイとしてはサイト全体、つまりこの場合は講義全体の中の一部分という位置づけなのですが、授業のページにも、全体のページにもアクセスせず──だからトップのカウンターが増えない──、このページだけ、つまり一部分だけを見ているのだと思います。
考えてみるとこれって、情報化社会のとても危険な要素を示しているのかもしれませんね。
全体の文脈から切り離されて、特定の部分だけが一人歩きしてしまう......。
う〜ん、と考えてしまった西村センセイなのでした。
あ、そうそう、「授業聞いてみたいもんです」だそうですが、残念ながら金沢工大では現在、これを扱った講義は開講されておりません。悪しからず。
先週末、金沢から自宅まで車で戻ったのですが、片道230Kmもあると、どうしてもある程度高速道路を使わなくてはなりません。
今回は富山─新潟の県境付近から高速に乗ったのですが、道路、特にトンネル区間が単調なのですぐに眠くなってしまいます。
実際、ちょっと居眠り運転しそうになったので、2回ほどサービスエリアに立ち寄りました(写真は名立・谷浜SA)。
西村センセイ、いつもSAを利用するたびに何か違和感のようなものを感じていました。
旅をしていて人が集まる場所、たとえば駅とかとも違うし、売店もたとえばスーパーなんかと違う。100円のインスタントコーヒーを飲みながら、しばらく売店をボケーっと見ていて気づいたことがあります。
みんな「ジブン」の「ウチ」(家/内)の気分なのです。
駅で電車を待っていたりキヨスクで買い物をしている時、人はどこかしら緊張しています。
置き引きなんかが怖いというより、周りの人はよそ様(「ソト」)なのですから。スーパーだって同じこと。いくら近所の行きつけのお店だって、それなりに準備します。(他の人からも同じことを聞いた。)
でも車は別。
車は個室で、自分一人や家族だけが占有しています。「ウチ」(家/内)なのです。
で、サービスエリアはその延長上。いわばみんなパジャマのままで買い物をしているのです。
みんながパジャマ姿なのだから、恥ずかしいことはありません。家庭で出たゴミだってバンバン捨てられます。だってウチなのだから。などと、金沢への電車の中、柏崎駅裏のスーパーで買った富山産のホタルイカをツマミに、ビールを飲み、夜霧に霞んだ風景を愛でながら考えている西村センセイには、やっぱり電車が似合ってるんだろうなぁー......。
あ"っ、センセイの318iは、乗っているとどこまでも運転したくなる、そしていつまでも運転できるような気分になる、そんな車です。
従って、電車と318iのどちらを選択するかは、贅沢な、しかしホントに悩ましい問題ではあります。