2005年6月25日更新(2005年7月4日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
新潟に戻りました。
今週は車で金沢へ往復したのですが、もう4年目ともなると、何となく走る経路が決まってきます。
最初の一年は、中間に位置する富山県を、北から南まで走ってみました。
高速道路が早いのだけど、とても高いのでふだんは全線に乗ることができず、走りやすい一般道──富山県内は幹線国道に加えて「スーパー農道」などの道路も整備されています──をいろいろ探したのです。で、現在は、金沢市内は旧8号線(国道159号線)を走り、森本から359号線で富山県の砺波市に抜け、高速道路を少し利用して小杉から富山市に至り、その後は一部スーパー農道を利用しながら国道8号線を走ります。
富山−新潟県境付近からは高速道路を利用することも多いのですが、時間とコストの兼ね合いで、こちらはその時々の状況によります。で、その金沢市内、百坂町(ももさかまち)付近に、麻雀クラブがあります(背後の高架は建設中の北陸新幹線)。
見かけはごく普通の民家なのですが、看板に「ゼウス」とあるので、いつも通るたび、ドキッとしてしまいます。
ゼウスはギリシア神話で中心的な神で、ローマ神話ならジュピター(ユピテル)に当たります。
日本の神話にぴったり当てはまる神はいないでしょうが、天照大神(あまてらすおおみかみ)くらいの存在感でしょうか。別にお店の名前に何をつけてもかまわないのですが、麻雀荘「キリスト」とか、インターネットカフェ「天照大神」とかあったら......う〜ん、という感じなのですが。
でも、センセイは麻雀しない(知らない)んだし、まっ、いっかぁー。
■6月24日(金) 忘れそうだなぁ、と思っていたらやっぱり...
今月の3週に渡る大ツアー(ここからここまで)、楽しくはあるけれど仕事だし、それにそろそろ体力的にもきつい。特に後半、京都から酒田、東京は、仕事の量も日程もかなりきついものとなりました。
こういう時は疲れていて忘れ物をしがちなので、十分注意します。
新潟のホテルは客室とデスクが狭く、あちこちに資料や機材を置くことになります。「なんか忘れそうだなぁー。」嫌な予感がします。
疲れが取れずによく眠れなかったのと、出発が早かったため、翌朝はかなり焦って身支度しました。
客室を出る時、ひとまずチェックしたのですが、酒田に着いて手を拭こうとして、ハンカチがない!! 昨日のホテルしか思い当たる場所がありません。
忘れたハンカチは、出先で急に買い求めた──キヨスクだったかな──もので、プレゼントのような特別なものではありません。
だから物理的な損害はたいしたことないのだけれど、あれだけ「忘れないように」と注意して忘れてしまったのですから、もう、ホントに情けない。ホテルに電話して探してもらい、今度新潟に行く時まで保管してもらうか、あるいは郵送してもらうかとか、いろいろ考えたのですが、1枚のハンカチのためにホテルの人を振り回すのもなぁー。
鞄の中には予備のハンカチが入れてあるのでそれを使って、結局ホテルには何も連絡せずに金沢へ戻ると
え"っ?!
ホテルに忘れたはずのハンカチが、ズボンのポケットから出てきました。金沢を出発する時に着替えたのですが、かなり急いでいたためにアパートに忘れてしまったようです。
結局、あの忘れ物騒ぎは何だったのでしょう。
そもそもホテルに忘れ物など存在しないのに、西村センセイ、初めから決めつけてしまっています。完全な思い込みです。
昨日の時刻表の思い込みに続き、自分がとても情けないのだけど、それにも増して、思い込みが時として恐ろしい存在になるかもしれないことを思い知らされました。
■6月23日(木) 記憶のいい加減さ ──復刻版の国鉄時刻表を買いました──
いつものようにやって来た本屋さん。でも今日は、荷物がちょっと重そう。何だろうと思ったら、頼んでおいた復刻版の時刻表を届けて下さったのです。
届いたのは、写真上段左から右へ1975(昭和50)年3月、76(51)年4月、78(53)年10月、下段左から80(55)年10月、中央はオマケの列車ダイヤ(通称「スジ」)。
それぞれ定価は400円〜600円です。(下段右端は現代の時刻表)。例えば北海道などを旅行していると、瀬棚線など、廃線跡をよく見かけます。
センセイの家の近くでも弥彦線(一部区間)、魚沼線、赤谷線や私鉄が廃止になっています。残っている路線でも、便数が減っていますし、かつてはたくさん走っていた急行もほとんど見かけなくなりました。
で、ちょっと高かったけど、昔の様子を正確に知りたくて、復刻版を買うことにしたのです。
このシリーズは戦前・戦中編から始まって7シリーズあるのですが、高いし、それに自分が国鉄を利用していない時代はあまり関係ないので、センセイが高校生の頃に当たる、最後のシリーズだけを買ったのです。
本文はもちろん、表紙や裏の広告、宣伝に至るまで忠実に再現してあります。左下の札幌駅は昔の駅です。これらの時代は、新幹線が博多まで延伸し、湖西線が開業し、システムの電算化が進んでいた頃です。
新幹線は「ひかり」と「こだま」しかなく、東京−大阪間の所要時間は3時間10分。在来線の特急や急行は一編成が12両もあり、各方面へ長距離を走っています。
この時期の途中まで、特急の番号は、現在のような上りを奇数(「あずさ1号」など)、下りを偶数にするというルールにしたがっていません。
なお、禁煙席はまだ登場していません。意外と最近なんですね。時刻表本文以外にも興味が引かれます。宿泊は日本旅館が主流で、ビジネスホテルがやっと全国に展開しつつあります。そうだったけなぁー。
センセイは越後線に乗って通学していたのですが、記憶にある通りのダイヤです。
隣の信越線は、例えば新潟からだと、東京(特急「とき」、急行「佐渡」)、大阪(特急「北越」)はもちろんのこと、名古屋や上田(ナシテ?)などへ特急や急行がたくさん走っています。
これらは現在、東京方面を除き、ほとんど廃止されたり区間が短くなったりしています。でも、センセイの記憶に反して、信越線は現在よりも普通列車の本数が少なくなっています。通勤、通学する地域住民にとってはずっと便利になっているんですね。
JRになってから不便になったと思っていたけど、センセイの思い込みの部分もあるようです。気をつけなくては。
■6月22日(水) その日は父の日だったので... ──蟹を食べない文化圏──
出張と、それに引き続く家族旅行からもどったには日曜日。食事の準備が十分にできないので、スーパーに総菜を買いに出かけました。
たまたま目についたのが、ゆであがった北海道産のズワイ蟹。しかもちょっと安い(その分、ちょっと身は少なかったけど)。
何だかちょっと違和感があったのだけど、その日が父の日だったということもあって、迷いを断ち切り、それを買って帰りました。
さて、食べようとして、やはりどこか変。殻を剥くと、食べる前から分かります。明らかに美味しくないのです。
原因は茹ですぎ。
一口食べると身がゴムのように固く、おいしさの成分がなくなっています。
茹でた蟹の味は、塩加減──海水の濃度。相当濃い(濃度が高い)──と茹で時間で決まります。身の詰まった高い蟹も、貧相な蟹も、この二つだけで味はどうにでもなるのです。
新潟では能生(のう)などの富山県に近い地域を除いて、あまり蟹を食べません。もちろんまったく食べないわけではないのですが、金沢に比べるとはるかに頻度は少ない。蟹をあまり食べない文化圏なのです。
だからスーパーの人も、蟹を茹でる時の塩と時間というツボが、まだ身に付いていなかったのでしょう。ところで、家人これを評して「安物買いの銭失い」。
う〜ん、安物に関してはその通りなのだけど、でもやっぱり、その発想は蟹を食べない文化圏のものだ。
今日のこの記事を読み終えた人の中には、もしかすると「そんなバカな」と思う人が出るかもしれません。
昨日(6月20日)の13:03分ころ、新潟県のセンセイの自宅近くでマグニチュード5.0、最大震度5弱の地震が発生しました。去年の新潟県中越地震の余震ではないようです。
震源地の近くでは、新潟産業大学を含めたいくつかの建物で被害が発生し、またけが人も出ました。センセイの自宅は幸い、被害はありませんでした。今日考えてみたいのは、なぜ昨日のお昼に地震が起きたか、ということです。結論から申しますと、月と太陽の位置関係が絶妙で、それらの重力が引き金になっているかもしれないのです。
「そんなバカな!!」 ...聞こえてくるようですね。
地震は地殻の歪みが極限に達し、抱えきれなくなったエネルギーを運動エネルギーとして放出するために発生します。月や太陽が直接地震を引き起こすわけではありません。
けれども最近の研究──ただし、この種の報告は今回が初めてではなく、15年ほど前から発表されています──によると、月や太陽の引力が、地震発生のきっかけの一つになっているかもしれないのです。
右図を見てください。(模式図なので、距離、ベクトルの向きと大きさは正確ではありません。)
地球に質量があるのと同様に、月にも質量があります。
質量がある二つ(以上)の物体の間には、質量の積に比例し、距離の二乗に反比例してお互いに引き合う力、つまり重力(万有引力、引力)が働きます。
ご存じ、ニュートンの「万有引力の法則」です。ここで肝心なのは、地球が月を引くだけでなく、まったく同じ大きさで逆方向に、月も地球を引っ張ることです
この月による重力は距離によって変化するので、図のように月に近い所では大きくなり、遠い所では小さくなります。
地球は大きな石のようなものですが、完全な剛体ではないので、この月の引力によってわずか──20cm程度と言われている──に変化します。
この時の変形は、月とその反対側に向かってラグビーボール状に伸びるように起きます(図中、紫色の「合力」の方向)。月方向だけに膨らんだ卵形の変形ではありません。地震発生のきっかけの一つは、重力によるこの変形だと考えられています。(あくまでも「きっかけ」です。念のため。)
しかも、地球のまわりには、比較的自由に変形できる水(海水など)や空気があります。そのため空気や海水などは、地表から見ると1日約2回──「約」がつくのは地球が自転しているから──の満潮と干潮を基本として、図のように大きく変形します。
これが潮汐(ちょうせき)現象です。潮汐現象は地表でのみ見られる現象ではありません。すでに述べたように地殻の変形はわずかですが、その中にある水、つまり地下水は相当移動します。
地下水の水位が大きく変化するのです。地殻のストレスが限界に達していて、そこに月(と太陽)の引力が働くと、重力そのものの影響を受けるだけでなく、地下水が上昇して地盤の変形を容易にする──つまり地震発生──のではないかと考えられています。
ところで引力だけですと、月と地球は衝突してしまうことになります。それが起こらないのは、共通重心を中心として回転することによって遠心力が働くからです。(私たちはよく、「地球の周りを月が回っている」と言いますが、これは正確な表現ではありません)。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、この遠心力は場所によって向きと大きさは変わりませんから、これによって潮汐現象が打ち消されることはありません。
さて重力は、物体間の距離が短ければ大きくなり、質量が大きければこちらも大きくなります。
地球の場合、影響を及ぼすのは事実上、月と太陽だけで、その大きさは月の方が大きく、太陽のおよそ倍になります。
太陽の方がはるかに質量が大きいのですが、ずっと遠いのでそうなるのです。この月と太陽の重力は、二つの位置関係によって相殺したり強めあったりします。
地球と月、そして太陽が一直線に並ぶ時、つまり満月や新月の時に重力は最も強くなり、90°の時、つまり弦(上弦および下弦。要するに半月)の時に最も弱くなります。
前者を大潮、後者を小潮と言うのですが、聞いたことのある方も多いでしょう。で、問題の、昨日の13:00ころの位置関係を示したものが右の図です(空の明るさを消しています)。
北を頭にして地面に寝そべった時、頭の上には太陽があります。ほぼ夏至(今日が夏至)なので、本当に真上に太陽が位置します。
月は見えません。満月に近い状態なのですが、地面の真下、地球を挟んで太陽の反対側ににあるのです。
見えないと困るので、180°回転させた位置がほぼ×の場所です。つまり、月と地球と太陽が、この順でほぼ一直線に並ぶ大潮の状態、つまり最も重力の影響を地球に及ぼしやすい位置関係だったのです。
もちろん正確には、月の通り道「白道」と太陽の通り道「黄道(こうどう。『おうどう』ではない)」は一致せず、月は太陽よりも低く位置しています。(冬の月は高い所に位置するのでとても寒く感じ、夏の月は低いので、余計暑苦しく感じる。)
そのため厳密には、月と地球と太陽は一直線上にあるわけではありませんが、それでも相当きれいに並んでいることがわかります。まさに絶妙な位置関係だったのです。
さて、今日のお話をウソくさいと思うかどうか、読者のご判断にお任せします。
けれども地震の発生日時と月の位置関係を調べてみると、きっとビックリしますよ。
318iのトランクに収まっているのは、決してゴミの類(たぐい)ではなく、鞘(さや)に入ったままの空豆です。
センセイの地域では空豆を育てていません。
しかし家人の実家近辺ではたくさん育てているので、先日、分けてもらいに行ったのです。実はこの空豆、この時期だけ、それも恐らくわずか1週間しか食べられないものなのです。
枝豆だといろいろな種類がある──新潟だと茶豆が有名──し、植える時期を調整することによって、初夏から秋にかけて、かなり長時間食べられるのですが。
雨後の筍(たけのこ)のようなもので、この空豆はあっと言う間に育って、あっと言う間に時期が終わってしまいます。鞘を剥き、塩ゆでします。
外側には殻があって、食べられないわけではないですけど、美味しくないので、それを剥いて食べます。知人に少し送ったのですが、大変喜ばれました。
ビールに似合う、1週間だけの宝物です。
■6月19日(日) やっぱり職人技は凄い ──やっと自宅に戻りました──
水曜日からは始まった出張ですが、出張完了後に、先月亡くなられた師匠のお宅を家族で訪問したりしたので、久しぶりに新潟の自宅に戻りました。(旅の途中の写真も、Windowsだと十分に加工できないので、Macできれいに補正し直しました。)
お昼からは娘と二人で行動したのですが、上野駅近く、何故かお昼に娘が「蕎麦を食べたい」というので、蕎麦屋さんへ向かいました。
お店はかなり混んでいて、諦めようかと思ったのですが、二階の奥なら席があるというので入ることにしました。
案内された場所に面して、蕎麦を打つガラス張りの部屋がありました。
うどんを打つところは見たことがあるのですが、蕎麦はないので、部屋の造りなどを見ていると、20代と思われる職人さんが入ってきました。
何か忘れ物を取りに来たのかな、と思っていると、バスケットボールを二まわり小さくしたくらいの蕎麦の団子(?)を持ち出しまた。
蕎麦を打つのです。娘と二人、興味津々で見ていました。
まず団子をUFO状に、真ん中を高くしたまま延ばし始めます。次いで棒を使ってどんどん薄く延ばし、最後は複数の棒を器用に使い分けます。
最後に、写真のように切るのですが、やはりたいしたものです。若い職人さんなのに。
考えてみると、戦後の社会は、工業、商業、農漁業それぞれの分野の、こういう職人さんに支えられて発展してきたのですね。
IT時代とか言って、何でも手軽にできてしまう(あるいは、できたつもりになる)社会ですけど、それはたぶん、表面的な理解なんでしょうね。