2006年5月6日更新(2006年5月15日ページ移動。2011年5月3日一部写真削除)

──2006年5月第1週のニュース──

バックナンバーはこちら


5月6日(土) こ、この4輪バギーは何なんだ?! ──公道上を走る超小型車!! ──

 昨日はサイトを更新できず、申し訳ありませんでした。実家から連絡があって、急に実家へ泊まることになったのです。

 そのおかげで昨日、今日と、実家を数度往復することになってしまいました。仕事が忙しいのに......トホホ。

 その途中、国道を走る車の速度が妙に遅くなる場面がありました。連休中でいつもより交通量は多いのですが、それが理由だとは思えない......。

 その理由が右の写真。

 センセイの318iの数台前に、小型4輪車が走っているのです。公道(国道8号線)上ですよぉ。

 大きさは中型バイクくらいですが、タイヤはどう見ても四つ。

 センセイが走った道はもともと二車線。

 小型でなかなか気づきにくく、ぶつけてしまいそうなので、後続車は右車線を追い抜いていたようなのですが、この道は、途中から一車線になってしまいます。
 すると他の車は追い抜くことができず、車の流れが変になってしまったのです。

 センセイは中型バイクの免許を持っていますが、バイクだと運動性も良く、走る面積(?)も取らないので、体を守る部分は少ないものの、割に普通の車と共存することができます。

 でもこのバギーの場合、体を曝していて、しかも運動性は車並み(たぶん)。

 こういうのって、あり、なんだろうか。



5月4日(木:休日) 新潟上空に、世界最大の飛行船“BMW号”出現!! (再更新)

 昨日のお昼近く、直江津と柿崎の中間くらいの場所で318iを走らせていたら、突然、前方から飛行船が姿を現しました!!

 まぁ当然、広告だろうなぁーと予想していたのですが、かなりの相対速度で近づいてみると、え"......。

 何と、BMW3シリーズの広告!! おぉ。

 せっかくのゴールデン・ウィーク、こんな田舎で宣伝活動しても......と思いながら、BMW Japanのホームページを調べてみると、今回の飛行について、ルート等を含めて紹介されていました。

 鹿児島を皮切りに、桜の開花にあわせて北上しているのだそうです。桜前線には、もうすっかり追い越されてしまいましたが。

 実は去年も別ルートで飛んでいたようです。

 そのサイトによると、この飛行船“BMW号”──安直な名前だ──は何と、世界最大(!!)で、ジャンボジェット機とほぼ同じ大きさとのこと。
 地上から見た時には、そんなに大きいとは思わなかったけど。
 (いずれも(c)BMW Japan)

 報道によると、今日(4日)新潟県内で開かれたチャリティー・イベントに参加するために、この辺を飛行しているそうです。3日はこの後、富山県内まで飛行したそうな。 ((c)KNB北日本放送)
 今週いっぱい新潟を中心に飛行するようなので、新潟空港にでも係留されているんだろうか。

 この飛行船、石川県(能登地方?)まで飛行するとのことなので、受講生の皆さんも来週(5月8日〜13日)、金沢市および松任市のBMW販売店の上空などで見ることができるかもしれませんよ。

P.S.
 本稿アップロード後の本日(4日)、新潟日報社が、「山古志児童が飛行船で空の旅」と報道しました。係留地──わーい!! 用語も正確だった──は、聖籠町だそうです。
 ((c)新潟日報社)



5月3日(水:祝日) 西村センセイ、318iを走らせながら、考える。

 というわけで、昨日は遅くなったし、大学でないとできない仕事もあったので、金沢に泊まりました。今日は318iで新潟の自宅へ移動。

 冷たく、雨の降った昨日とは一転して、今朝は良い天気になりました。もっとも、気温は低かったですし、富山県は曇っていて時々雨も降っていたのですが。

 何回かお伝えしているように、金沢は大きな断層と海に挟まれた、幅の狭い平野に位置しています。

 その平野部を、北陸自動車道と国道8号線およびその旧道が走っています。したがってこれらは市街地を通らざるを得ず、国道も立体交差化などの改良工事は行われているものの、とても不便でした。

 個人的にも、大学やアパートが金沢市南部にあるので、どうしても幅が狭くて混雑した市街中心部を通過する必要がありました。

 そこで、山側と海側の迂回道路がかなり前から計画されていたようで、4月中旬、山側の道路が完成したとのこと。
 今回、初めて使ってみました。センセイのアパートの割と近くまで行けるのです。

 新潟から金沢へは日曜の夜に移動したのですが、暗くて何も分からず、初めてということもあって、曲がる場所を間違えてしまいました。
 でも今朝は、逆のわかりやすい順路だったので、順調に318iを走らせることができました。

 トンネルが多いので、あまり風景は楽しめないのですが、谷を利用した立体交差で信号がなく、この区間だけを考えると今までの2/3ほどの時間で通過することができました。
 センセイ個人としても、とても便利になりました。

 さて、今日は憲法記念日で、祝日。

 半分ほど高速を利用したのですが、連休後半最初の日とあって、道路は県外ナンバーの車が多く、いつもの数倍混雑していました。飛ばす車が多いのですが、センセイはきちんと100km/h。

 一般道へ降りると、漁港などあちこちでイベントが開かれていて、とてもにぎわっていました。渋滞というほどではなかったのですが、夕方なんかは混雑したのかもしれません。

 センセイの318iはずっと乗っていたくなる車ですが、特に一般道を走っているとそれを感じます。きわめてフツーの車なんですけど、走る、曲がる、止まる、という基本動作をきちんと確実にこなしてくれます。
 ちなみに今日の燃費は、エアコン使用で17.0km/l。

 その318iを走らせながら考えていたのですが、3月の事故はある意味、より大きな危険の存在を、318iがセンセイに知らせてくれたものだったように思えてならないのです。

 当時は非常に体調が悪く、医者に行こうかどうか迷っていたのですが、事故を起こしてしまい、「これは明らかにおかしい」と判断し、受診、治療を受けることになりました。

 もしあそこで事故を起こさず、そのまま無理を続けていたら......と思うとゾッとします。

 318iが、我が身を挺してセンセイを守ってくれた、そんな風に思えるのです。

 当然、同意してもらえないでしょうけど。



5月2日(火) 人に話をするということ。 ──西村センセイの大きな1日──

 今朝は6時半にご出勤。もともと火曜日は授業が多い日で、しかも朝イチからなのです。

 ヘロヘロになって授業を終え、今日の講義3回分のサイトを更新したら、ある人が研究室を訪問してきました。ちょっと顔つきが暗いし、それに動きがぎこちない。

 そのカラダがすでに、センセイにメッセージを送ってきています。

 タスケテ...

 話を聴くと、ちょっと困っているとのこと。もちろん内容は書けませんが。

 センセイが話を聴いているうちに、相手の表情がみるみる変わってきました。もちろん良い方向へです。その大前提としてセンセイを(概ね)信頼してくれています。
 ......西村センセイ、実は、ずいぶんいい加減な人間なんだけど。

 話の成り行きで、少しの間だけ、3人目の人を交えて調整することになりました。3人での話が始まった途端、その人の表情が元に戻ってしまいました。
 殻を閉ざしていきます。

 二人きりに戻って、「どう思う?」。「......勘違いしてましたよね。あの人。」聞いているようで、全然聞いていなかったのです。3人目の人は。

 話をして変わったのは誰でしょう?

 もちろん話を聴いたセンセイも、ずいぶん見方を変えました。

 でも、一番変わったのは、話しかけてきた、その当人です。

 話し始めた時、彼──あ"、男性だとばれちゃった──は、何を話そうか、考えていなかったに違いありません。
 でも、とにかく話さなければならない、と彼のカラダが教えていて、彼はカラダを信じて話し始め、そしてその行為を通じて自分自身を確実に変えたのです。

 こういうことって、ありますよね。

 本当に話をしようと思ったら(?)、話す前には何も決めていません。話す内容が決まっているのなら、ただの事務連絡会議です。(こういう会議、多いけど。ね。)
 それに事務連絡会議なら、「後ろ向き猫の耳モード」で、聞いているふりをして、お互い全然聞いてない。

 自分から話すことによって、自分も相手も変わる。話すことはそれだけの「辛さ」を要求します。

 だから、たいていの場合「聞いているふり」「話しているふり」なのです。

 奇妙な二人でしたが、充実した2時間でした。再会を約束して、彼とはお別れ。

 で、帰ろうとしたらもう一人、お客さんが来室。

 今度は2時間半かけてセンセイがずいぶん変わりました。

 というわけで、アパートに戻ったのは夜の11時半。17時間大学にいたわけです。それで、サイトの更新がちょっと遅くなってしまいました。(受講生の皆さん、ゴメンなさい。)

 でも、ゴメンナサイをしてでも、センセイにとってはとても大きな1日だったのです。



5月1日(月) 世の中、それほど簡単じゃないらしい...。 ──西村センセイ、5月1日に考える──

 今回は昨晩から車で金沢へ来ています。

 明日の勤務を終えたら新潟の自宅へ戻るのですが、連休中は電車が無茶苦茶に混みそうなのと、研究室の本──もちろん、すべて私物──を自宅書斎へ運びたいからです。(家人も読むので。)

 白状すると、車で来た理由はもう一つ。ビールの買い出し。

 これだけは、自転車では無理です。

 西村センセイ、最近は美味しい魚屋さんのある長崎屋の、その敷地内の「やまや」という東日本中心のチェーン店で買うようにしています。
 何よりも安いし、業界価格をきちんと反映しているからです。

 無料で配達もしてくれるので、こちらも時々利用しているのですが、仕事も忙しく、なかなか早い時間にアパートに戻ることはできません。
 そこで車で金沢へ来ている時は、自分で「やまや」へ買い出しに行くのです。

 夜になって車を走らせながら、改めて今日が5月1日であることを思い出しました。

 それがどうしたって?

 ガソリンの仕入れ価格が上がったり、マックの値段が改定されたりします。
 あ、マックと言っても、コンピュータのMacintoshではなく、ハンバーガーです。ただし日本法人の社長はMacintoshからマックへ移籍しましたけど。(意味がわからない人は自分で調べてみてください。)

 で、今日から酒税の税率も変わった(はずな)のです。詳しくは知りませんけど。

 「第三のビール」と呼ばれる、大豆等から作られた発泡酒は税率が上げられた──これは報道されていたから確実──その一方で、(記憶に間違いがなければ)センセイが愛飲するビールは、税率が下がったはず。

 「やまや」に到着して空瓶をケースごと引き取ってもらい、支払を済ませると......どうなのか、よくわからない。

 いつも少しずつ価格が変動していて、税率変更の結果かどうかは、よくわからないのです。最近(4月19日)の価格より20円安くなっていますが、もしかすると誤差の範囲内かもしれません。

 僅かとはいえ安くなっているに、なぜ「誤差の範囲内かも」って?

 実は、自宅のある柏崎市にも「やまや」があるのです(おぉ!!)。要するに西村センセイ、金沢のアパートでも、新潟の自宅でも「やまや」のお世話になっているのです!!

 ところが、いつも新潟の方が200円〜300円くらい安いのですね。(新潟では空瓶をケースで返すと、5,000円でお釣りが来る。)

 ホントに何故だろう。10円単位の差ではなく、100円単位の差。(もちろんホントです。)

 新潟県内(聖籠町)にサッポロビールの工場があるので出荷価格は同じで、配送費が違うんだろうか......。

 正直なところ、よくわからない。だって、それが事実なんだもん。



4月30日(日) 西村家初めての、田植えのない春。 ──本当に大切なものは、何なんだろう...。──

 ちょっと体調を崩し気味の西村センセイですが、大学の若手同僚を中心に、あちこちに仕事上の迷惑をかけてしまっているので、この週末は少し頑張って自宅で仕事をしました。
 とはいっても、締切を1週間過ぎた原稿(!!)──先方は期限を切って遅延了解済──に取り組むという、ホントに情けない状況ではあるのですが......。(皆様、ホントにゴメンなさい。)

 お昼過ぎ、ちょっと実家へ行ってきました。高齢の両親に頼まれた用を済ます必要があったのです。

 昨日も老人のお話をしましたが、我が国の老人介護の現場は、「老老介護」すなわち老夫婦がお互いの面倒を見ているのが実情です。

 西村センセイの実家の場合、幸いにも両親にはまだ身体上の致命的な不具合があるわけでなく、お互いに助け合い(不思議なことに、だんだん似てくる)、近所の、さらに高齢の縁者の面倒を見ている状態です。
 先日、関係者の一人(血縁ではない)が亡くなったので、両親はかなり働いたようです。もうすぐ都内在住の関係者を招いての納骨をするのだとか。

 いつもは実家へ娘を連れて行くのですが、中学生になり宿題を抱えているので、今日は、センセイ一人だけ。

 それを良いことに実家に行く前、車をちょっと離れた実家の農地まで走らせました。何度かお伝えしているように、昨年で稲作を断念したからです。

 これまでの耕作地を見晴らす場所で、撮影したのが下の写真。(3枚の合成広角写真です)


 都会暮らしの人が、初めて見たら何が何だかお分かりにならないでしょう──当然です──が、それでも何となく平らな所はお分かり頂けるとおもいます。
 かつて田圃だった所で、写真では畑か、養鯉
(ようり)池になっています。希望者に無料で貸しているのです。

 写真中央奥の1枚の田圃──このサイトの最初の写真の場所:ほぼ反対側から撮影──は昨年まで耕作してのですが、今年はそれも耕起されておらず、養鯉池に貸し出すようです。

 実際の耕地は、この写真に写っていない部分もありますので、写真の倍くらいの広さです。西村家が所有する山林は、さらにその数倍あり......本当の所はセンセイも良く分からない。

 西村家に嫁いでから49年間、耕作をほぼ一人で担当してきた母親も、齢(よわい)70にいよいよ近づき、客観的には、耕作地がどんどん田圃→畑作(転作補助金が出る)→杉林(同様)と変化しています。
 以前よりも畑作の部分が減っているのは、母親の体力低下を示しているのでしょう。

 彼女も「先祖に申し訳ない」と、内心忸怩(じくじ)たるものがあるようですが、何しろ、頼りの「セガレ」(跡取りの長男=センセイのこと)が金沢住まいなので、もう、どうしようもない。
 客観的にはとても働き者の母でした。(まだ健在です。念のため。)

 こちらも何回かお伝えしていますが、西村センセイ、農作業って、昔は大嫌いだったけど、歳を取ったらその意味がわかるようになって、もし前任校にそのまま勤務し、柏崎の自宅から通勤していていたのなら、空いた時間を使って耕作はまだは続けられたと思います。
 それを諦め、金沢工大に移籍するということは、センセイにとっても苦渋の決断だったのです。

 さて、上の写真の撮影場所は、何度かお伝えした右の航空写真でいうと、写真中、右下の部分に当たります。

 30年前、つまり一世代前は、こんな山奥の大変な場所──実際は平野部沿いなのでたいしたことはない──まで耕作していたのです。

 その当時、新潟県では「100万トン出荷運動」(全県でお米を100万t出荷しようという活動)が行われていたくらいです。
 その後の、コメ余りを背景とした減反政策で、この活動は達成直前のところで消え去ることになります。

 若い方には理解は難しいかもしれませんが、これは第二次世界大戦以前からの運動で、農業こそが国を支える──これ自体は引き続き事実──という強固な信念があったからなのです。
 フツーの、残念ながらあまり教育を受けておらず、政府を無条件で信じていた農民は、盲目的にそれに従うことに悦びを感じていたのです。
 減反政策が打ち出される、ほんの数年前までの話です。

 さて、30年前の航空写真。

 薄茶色ないしは薄緑の部分は田圃か畑です。山の際までたくさんの人が出て、みんな生き物を育てる悦びを実感しながら耕作していました。

 そして現在。

 センセイの318i(上の写真中央奥)を停めると、去年までの同じようにウグイスが鳴いています。暖かくなってきたので、異性を誘う鳴き声も上手になってきました。
 かつてはウグイスの鳴き声に春の喜びを感じながら、たくさんのオトナがこの地で農作業に従事していました。

 しかしもう、今はセンセイ以外、誰もいません。

 何故か駐車場に土浦ナンバーの車が1台止まっていて、助手席で奥さんが口を半開きにして寝ており、車外で、意外にも優しそうな大型犬がこちらを見ているだけです。

 もし現在、この写真に相当するものを撮影できたら、うす茶色の部分のほとんどすべてで、緑色がずっと濃くなっているはずです。
 センセイの実家──とても頑張った方です──ですら、耕作を放棄するほど、中山間地のほとんどの農民は耕作を放棄するか、(年齢あるいは死去等で)放棄せざるをえず、農地は畑作どころか、杉林、そして今や単なる荒れ地に戻っているのです。
 何代にも渡って先人が苦労して維持してきた農地──いろいろな話を聴いています──が単なる原野に戻ってしまう。

 西村センセイ、大学で仕事をしていて、それはそれなりに意味がある事だと思うのですが、そんな仕事を可能にしてきた先人のシブイ苦労の積み重ねは、しかし、なかなか世の人の理解は得られないようです。

 農業だけでなく、シブイ仕事こそ、ホントは重要なんだと思うんだけど。(工学部の学生の皆さん、わかりました?)

「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る