2007年7月7日更新(2007年7月15日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■7月7日(土) 果たして、本当に消費者のことを考えているんだろうか...。 ──デジタル放送がコピー可能に──
本日付の報道によると、総務省は放送・著作権業界および家電メーカーに対してデジタル放送のコピー制限を緩和し、9回までコピーできるように要請するそうです。((c))読売新聞社
すでにお伝えしたようにDVDレコーダーは販売不振に陥っていますが、行政やメーカーはその主な理由を操作性の難しさとコピー制限システムにあると考えているようです。
操作性の問題は各メーカーに努力してもらうしかない──実際、かなり改善されていると思う──でしょう。
コピー制限については、著作権側の意向を最大限に尊重する形で、日本国内でのみ制限をかけてきました。
でも放送局も著作権者もようやく、機械が売れないと結局自分たちが困ることに気づき、行政が働きかける形で制限の緩和が急速にまとまりつつあるようです。
要するに残念ながら、まったく予想通りの展開。だけど、これで問題は本当に解決するんだろうか? どう考えても、そうは思えない。
何度もお伝えしているように、センセイはコピー制限緩和の動きを承知の上で、今年に入ってから私物のBD/DVDレコーダーを3台購入しました。
普通に考えるなら「早く買いすぎて損をした」ことになります。でも購入後約半年の間に貴重な録画をいくつもこなしたし、LDやビデオのDVD化も効率よく進められるようになりました。
従来のコピー制限はとても不便ですが、センセイのように多数のマシンを持っている人は何とか乗り切ることができます。じゃぁ、普通の人──例えば機械に詳しくないセンセイの家人だとか娘だとか──がコピー制限システムで困っているかというと、そんなことはないので、制限が緩和された「から」買う、ということはないと思います。
実家の年老いた両親は、たぶん最後まで安いVHSだろうし......。結局、何がどうなろうとマニアは勝手に何とかするし、フツーの人々はこれまでも、そしてこれからも制限の緩和にはあまり関係ないんじゃないかと思います。
買う時は買うし、買わない時は買わない。実はカセットテープからDATの切り替えの時にもまったく同じ失敗パターンを経験しているのです。(つくづく、進歩がないと思う。)
本質的な問題は、行政もメーカーも著作権者側もホントはお客のことを考えていないという点にあるのではないか、と考えています。
かつてCDがLPレコードを駆逐したことがあります。1980年代のことです。
そのCDシステム──ハードおよびソフト──での利益確保が難しくなってくると、メーカー主導の形でMDが提案され、実際、ある程度マーケットと利益を確保しました。
ここまではすでに存在する成功パターンを踏襲している──これを「ビジネスモデル」という──だけです。ところがまったく想定外のiPodがすべてを変えてしまいました。実は、お客が求めていたものは、メーカーが考えていたものと相当違ってきていたのです。
DVDに関してもたぶん同じじゃないかと思います。行政やメーカーが従来の延長でしか考えられないのに対して、お客はもっと違った音楽や映像の「あり方」を求めているんじゃないか......。
例えばその表現の一つが携帯電話だったり。もっともDATの場合と違って、システムとして先行するビデオテープ録画はその寿命を終えつつありますから、一定のマーケットは存在します。
だからコピー制限の緩和にかかわらず一定量の製品は売れるでしょうが、「爆発的に売れる」なんて、考えられます? でしょ?もう一つ。
その昔、テレビ放送をVHSなりβに記録すると画質が落ちました。
でもその当時はそれが常識だったので、大切な放送はできるだけリアルタイムで観て、かつ必要なものは多少の劣化は承知の上でテープに残していました。
普通のお客さんが求めているのは画質じゃなくて、番組や子供の成長の姿など、その中身だったし。現在のデジタル放送に関するコピーガードシステムは「ムーブ」しか許していません。
そこで例えばセンセイの場合、ブルーレイマシンでHDDに録画して、大切なものはDVD(スピンドルで50円〜100円くらい/枚)ではなく、1枚1,500円くらいするBDに残しています。でも、コピー制限が緩和されると、安いHDD・DVDレコーダーでとにかく番組をHDDに録画して、1回見れば良いものはその場で消去、そこそこの内容のものはかつてのビデオのようにDVD-Rにクォリティを落として録画し、重要なものはにHDDに残したままにしておく......などということも可能。
お分かりでしょうか? BDやHD-DVDの出番がないのです。
そしてもう一つ。
今回の規格変更のアナウンスは、どう考えても最悪のタイミング。
記事の中にもあるように、製品に反映されるまでには標準化等の手続きが必要なので、最も家電製品が売れる年末商戦には間に合わないと思います。
この情報が伝われば伝わるほど、DVDレコーダーの売れ行きは鈍り、しかも熱が冷めてから新製品が供給されても、それなりの台数が捌(さば)けるだけ......。
ほぼ最悪のシナリオに近い、と思います。長くなりすぎました。
要するに、少なくともこの分野に関する日本の工業製品を提供する人々(行政を含む)は、自己中心的なオコチャマの発想に縛られてしまっていて、新しい時代とマーケットを切り拓くことができなくなっているのではないか、ということです。
これを“MOT”と言うのですが、続きは金沢工大(+非常勤の大学+放送大学)の受講生の皆さんに......。
■7月6日(金) 西村センセイ、お刺身に、敗れる。 ──後は、野菜だけ?!
──
昨日は所用で、退勤してからしばらくアパートにとどまっていました。用が終わったのは7時半過ぎ。急いで西金沢駅──8時で窓口が閉まる──とスーパーへ行かなくてはなりません。
何てったって、お総菜がない。長崎屋に到着したのは8時前で、ちょうど店員が値引きのシールを商品に貼り付けているところです。長崎屋は9時に閉店するのです。値引きされてお得な反面、残っている商品の中からしか選ぶことができません。
昨日も実は、「あぁ、これがいいなぁ」というものはなかったのですが、この際贅沢は言っていられない。
石川産の鯵の刺身と、生カツオのタタキがあったので、それを買って帰りました。
先週末、自宅で食べたカツオのタタキは美味しかったし、それに半額だし。アパートに戻って片づけとお風呂を済ませて、さて、となったのですが......何か、変。
最初は何とも思わなかったのですが、二切れ目でカツオがやたらと「元気」なことに気づきました。(写真は別な日のもの)
タタキですから外側を焼いてあるのですが、内側はほとんどそのまま。
冷凍だと全体的にしんなりとしているし、生でも普通は問題ないのですが、昨日ものはまるで、生の牛肉を食べているような感じ(食べたことはないけど)で、別の魚じゃないかしらと思うくらい。申し訳ないのですが、これ以上食べ続けることができませんでした。カツオは、「オレを食べやがって」という感じでセンセイを睨みつけています。(ホントに)
日本人の場合、若い時には肉が好きでも加齢とともに魚を好むようになると言われています(最近は変化しつつあるそうです)。
センセイも魚を、特に最近は肝臓の働きが低下しているからでしょう、脂身の少ない魚を食べるようになっています。
今までは全然問題なかったのですが、魚にすら負けてしまった昨日、「後は、野菜だけかなぁー」などと考えて、いつもよりビールを1本余計に飲んでしまった西村センセイなのでした。(だからますます肝臓の機能が低下するんだけど。)
■7月5日(木) サイズは1/10だって、決して負けてないぞぉ!! ──西村センセイ、13年前の自分と出くわす──
撮り溜めたビデオをDVD化していると、え"...というようなものに出くわすことがあります。
センセイの前任校は1991(平成3)年に開学したのですが、開学当初は受験生がなかなか思ったようには集まりませんでした。
日本基督教団立(=「キリスト教系ミッション・スクール」)だといっても、新潟市からちょっと離れた田舎にあるシブイ文科系大学だし、受験生を集めるための本格的な働きかけはしていなかったし......。で、センセイはその頃その大学で最も若い教員だった──センセイにだって若い時はあった──のですが、これはマズいと考え、急遽、他の若手教員とともに情報を集めて必要な対策を取りました。
結果は大当たり。
志願者の減少が全国的にはっきりし始めた1994年度入試──いわゆる「18歳人口」は1992年がピーク──で、何と志願者増加率全国1位(!!)を記録しました。(実話。ただし実態は要するに、「それまで何もしていなかった」ということなのだけど。)
個人的には、センセイが実社会に積極的に働きかけるようになったのは、この時の経験がきっかけだと思います。
能力さえあれば、時代の流れを読むことができるし、ある程度それをコントロールすることもできる......。翌年、大学紹介の番組を放送しないか、という企画が持ち込まれました。提案してきたのは金沢の石川テレビ(フジテレビ系)。
もともとは「4校くらいで30分番組を北陸地方で放送」という企画で、実際、ある程度話は進んでいたのですが、途中で外れる大学が続き、残ったのは前任校と、金沢工業大学!!
おぉ、(金沢工大へ移籍した今となっては)これも運命か......。で、ビデオを整理していたら、最近、その時のオンエア版が出てきたのです!! ((c))石川テレビ
前任校で、放送前の出来上がったばかりのビデオを学生に見せた時は、金沢工大の施設の方が圧倒的に優れているので「あっちの方がいい」とかいう反応がほとんど。(ちょっと悲しいけど、今ではよくわかる)
でも、改めて良く見てみると、前任校だって決して負けていない。
在学生の数を基準にすると、前任校の規模は金沢工大の1/10くらいにしか過ぎませんが、その分、教員と学生の親密さや丁寧な指導などがきちんと前面に出された演出......というか、センセイがそうしたんだっけ。
番組にセンセイは全然映っていないのですが、それもそのはず、この企画を仕切っていたのです。
映像から、カメラの脇でいろいろ指示を出しているセンセイの姿がはっきりわかります(!?)計算してみたら13年前のセンセイです。30代後半のセンセイはこんなだったんですねぇ。
気づいたことがもう一つ。
どちらの大学も学生が、学生の顔を、そして良い顔をしています。
感覚的にはその違いをわかっているつもりでも、10年以上前の学生の顔を見せられると、残念ながら今の「学生」とずいぶん顔が違うことに驚かされます。
もちろん髪型や着ているものなんかは流行ですから、どうってことはないのですが、何よりフツーの学生の「顔」が違うのです。
今回使用した写真は、たまたま大学名が出ているところを使っただけで、女子にこだわっているわけではありません。
男子、女子ともに、身なりも顔も、そして頭の中身もどんどん子供っぽくなっているんだなーと思うと同時に、これは学生だけに当てはまるものではなく、残念ながらセンセイもきっと......と考えざるを得ない、そんな今日の西村センセイなのでした。
今朝の金沢は薄曇りだったのですが、天気予報通りにお昼前から雨になってきました。九州地方に大雨をもたらした雨雲の一端が、いよいよ北陸地方にかかってきたのです。
午後からはかなりの雨。自転車で帰るにはちょっときつい。夕方の会議が予想外に早く終わったので、気象庁のレーダーを確かめると、ちょうどセンセイのいる辺りの雨雲が薄くなっています。
実際、西の空は明るい。窓の外をよぉーく観察すると、主たる雨雲は南西から北東にかけてかなりの速さで移動しています。
ところが、興味深いことに地表近くでは、ほぼ逆方向、東から西へ風が吹いています(薄い雲が割と速く流れている)。
どうしてそうなるのかはわかりません。本当はちょっと残って仕事を片づけ、閉店が近づいて値引きが始まったスーパーに寄ってから帰るつもりだったのですが、これはもう、今帰るしかない!!
もちろんスーパーには立ち寄ります。
まだ早いのであまり値引きが入っていませんが、雨に濡れるよりはずっと良い。で、その頃の雨雲レーダーの様子が右の写真で、ご覧のように西から雨雲が迫っています。((c))気象庁
実際、アパートに戻ったところで再び雨になってしまいました。自転車は車にも雨にも弱い存在なので、こうやって生き延びるしかないのです。
残念ながら金沢工大でも時々自転車の盗難事件が発生します。残念ながら、どうも窃盗という意識がないようなのです。
盗んで「使用」した後は、構外のどこかに放置されるのだそうな。そこでこの春から大学学友会が大学に働きかけて、学生の自転車に登録番号が記されたシール(右の写真)を貼ることにしなりました。
マンションなんかでよく見かける許可制のヤツです。一般的な自転車登録と同じで、どこかで発見されれば持ち主がわかります。
でこのシール、もう一つ使い方があって、大学構内に駐輪する車両すべてにこのシールを貼ることにすれば、持ち主のわからない自転車を排除することができます。
実は、自転車を構内に残したまま卒業してしまう学生がかなりいるのです。でも、このままだと困ったことになるのが、センセイのように自転車やバイクを使って通勤する教職員。
学生用のシールを貼るわけにもいかないので、このままでは持ち主不明で排除されてしまいますからね。
本来ならば、自動車での通勤よりずっと褒められて然(しか)るべき自転車通勤なのですが。
というわけで、学生に遅れること3ヶ月。ようやく教職員用のシール(右の写真)ができました。
自転車を勝手に片づけられても困るので、今日受け取りに行ったのですが、あれ?
......なぜかこちらは、金色。
アルミの銀色でも、働く金属の鉄の色でも、センセイは全然かまわないんだけど。
■7月2日(月) 先週は車で移動したので、テープ類も入れ替えました。
先週は車で金沢へ来たのですが、主たる目的は教材の移動。
夏休み中に、大学の特別な許可をもらって前の大学で集中講義を行うのですが、ガリレオの望遠鏡だとか天動説の模型だとか、金沢にあって運送屋さんに託すわけにはいかないものを運ぶ必要があったのです。
2ヶ月ほど、金沢との移動には車を使わないつもり。で、ついでに、金沢のアパートでデータを移したテープ類も持ち帰ることにしました。
一見すると右手前はカセットテープに見えるかもしれませんが、奥から箱に入ったβのビデオテープ(PCMデジタルテープを含む)、VHSテープ、DAT(デジタル・オーディオ・テープ)、DV(デジタル・ビデオ)テープなどです。
オーディオ・テープは、複数の機材を使って44.1KHz16bitデータ(エンファシスなし)に変換して、先日購入した大容量HDDにそのままコピーします。
これまではCD-Rにそれぞれ編集していたのですが、CDの編集と作成はビデオ以上に時間がかかる──古いフォーマットなので、1トラックが完全に独立している──ので、編集は先送りしてデータの移行だけに専念することにしました。
オーディオ・データに関しては事実上、データを完全に移行できますので、かさばらないDATは別として、大きなPCMデジタル・テープは原則として廃棄する予定です。
ビデオテープはDVD化しましたが、こちらは変換の過程でどうしても情報の一部が失われるので、重要な素材は残しておくつもり。
すでにレーザーディスクは必要なコピーを終えて、機械もディスクも自宅へ持ち帰ったのですが、それでもアパートの棚には未整理の素材がたくさん残っています。
概ね上半分は作業を終えたDVDディスクで、下半分が作業前のテープなのですが、写っていない8mmテープ(300本くらい?)は手つかず。
他のフォーマットのビデオテープ、DATおよびPCMテープも似たようなもので、たぶんひとまず整理を終えたのは、全体の10分の1くらいだろうと思います。
......ホントに、生きているうちに作業を終えられるんだろうか。
でも、こういう作業をしていると、デビュー直後の“The Police”の演奏をPCMでダビング保存したものが見つかったり、25年以上も前の録音の良さにびっくりさせられたりします。
ふだんは忙しくてバタバタするだけですが、ビールをちょっと飲みながら──たくさん飲むとダメ──古くても極めて優秀な録音を聴いていると、ホントに大切なものはいったい何だろうと考えさせられるのです。
■7月1日(日) 「末は、博士か大臣か」 ──「理科の一番と文科の一番」その後──
夜に電車で金沢へ移動しました。
まだニュースを見ていないので確認はできませんが、今日は宮沢喜一元総理大臣の葬儀が行われたはずです。
もちろん直接お目にかかったこともない方なのですが、実は宮沢元総理、一昨年亡くなられた師匠、渡辺正雄先生(東京大学名誉教授)の同級生なのです。
正確には旧制武蔵高校の同級生で、宮沢氏が文科の一番、渡辺先生が理科の一番として有名だっただったのだそうな。(ご本人ではなく、別な同級生の方から直接うかがった)
「末は博士か大臣か」という言葉がありますが、役割を分担するような形で、総理大臣と博士(文博・理博)になられたわけです。直接経験した第二次世界大戦は、ともにその後の人生を大きく変えることになりました。宮沢氏は政治の世界に入り、師匠はアメリカに留学後東大へ戻ります(戦前から東大だった)。
共通点はその他にもいくつかありますが、最大のものはそのリベラルさでしょう。
戦前・戦後直後の鎖国に近い状態の中で、例外的に世界をよく見ることができたから(+もちろん、本人の才能)だと思います。英語が流暢(りゅうちょう)だった──宮沢元総理の会見は一切通訳抜き──ことも共通していますが、こちらは重要ではあっても、おそらく副次的なもの。月日は流れ、両氏ともに現役を離れるどころか、ついに鬼籍(きせき)に入られてしまいました。
宮沢氏は戦後日本を支えた保守本流──おそらく保守の最も良質な部分──を歩みましたが、その流れは現在いくつかに分かれてしまっています。
渡辺先生についても似たような状況だと思います。次世代にうまく引き継がれなかったのは、両氏がやはり時代的な制約を負っていたためでもあります──これは誰も逃れられない──が、実はそれ以上に、(センセイ個人を含めた)次の世代の側に理由があるように思われます。
要するに(繰り返し、センセイ自身を含めて)私たちの問題なのです。師匠は仕事を残しながら、ガンで亡くなられましたが、宮沢元総理は「自宅にて老衰で」亡くなられたとのこと。こちらは天寿を全うされたわけです。
残されたのは、生きている私たち。
改めて、両氏のご冥福を心よりお祈りします。