2007年9月8日更新(2007年9月16日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■9月8日(土) 高原の駅は、とっくに秋 ──高崎での保護者会に参加しました──
群馬県高崎市での保護者会に参加しました。
西村センセイ、ちょっと所用があったので最初は本体と別行動を取り、上越新幹線の越後湯沢駅で合流しました。
在来線(上越線)に乗り込んだ時はまだ暑く、上着を脱いで小脇に抱えていたのですが、標高が高い越後湯沢駅に着いたら、上着なしには寒いくらい。
そういえば在来線の電車は、ススキの穂を擦りそうになりながら進んでいたんだっけ。もうすっかり秋なんですねぇ......日々の忙しさに追われて気がつかない方が、悪いのでしょうが。
本体が到着する前に、お昼を済ませることにします。
滅多に来ない魚沼地方なので、こちらもふだん食べないお蕎麦にしました。
お味は可もなく、不可もなくといった感じで、微妙......。保護者会は、約30組──最近は両親揃って参加されるケースが増えている──の保護者をお迎えして、大学の現状などを説明し、また個別に面談させていただきました。
受け持ちの学生のお父様もいらして、予定をはるかに越えて2時間以上も有益なお話をさせていただきました。今や保護者は、センセイより若い方が主なのですが、いろいろ教えられることが多かったです。
だから保護者会はやめられない......って、これじゃまるで、授業と同じですね。
■9月7日(金) 颱風が何とか通り過ぎてくれたので、明日は群馬へご出張!!
ご存じのように、今日未明、颱風が関東に上陸して、その後東日本を縦断しました(正確には、まだその途中)。
昨日の天気予報だと、昨晩から今日の金沢は雨。実際、昨日の夜、勤務に見切りをつけて大学を出た途端にザーッ!!
おかげでスーパーに立ち寄ることができず、昨日は1日3食がコンビニ弁当......。
トホホ。意外にも今朝は、路面は濡れていたものの、雨は降っていません。
でも、やはり台風の接近に伴って天気はとても不安定。
なま暖かい強い風が吹いたり、激しい雨になったかと思えば青空も見えたり。写真は今朝大学構内で目にしたもので、ゴミ箱が倒れています。
実は二つ組みあわされた上で、颱風の強風に備えて意図的に横にされているんですね。一昨日の夕方には、大学から颱風に備えて施錠をチェックするようメールが来たし、こういう対応は、さすが金沢工大。
で、肝心の颱風、やはりある程度の被害をもたらしながらも、何とか通り過ぎようとしています。関係者のこれまでの努力の賜物でしょう。
他国と比較するとホントにそう思います。おかげで、明日群馬県で開かれる保護者会も無事に開催できる見込みです。
学生諸君には「技術者がこの社会を支えている」と、機会あるごとにお話ししているのですが......こちらはうまく伝わっているのかなぁー。
こういう場面こそ、それを知るせっかくの機会なのに。
■9月6日(木) ビッグな木曜日が、(バリウムとともに)やっと終わる...。
今学期(秋学期)の西村センセイ、木曜日はホントに大変。
今学期開かなければならない科目とその数は事前にわかっている──当たり前だけど──ので、担当者の負担が、また毎日の負担(講義などの数)が概ね均等になるように、あらかじめ調整しています。
でもいざ学期が迫ると、どうしてもいろいろな点を変更せざるを得なくなります。(誰かやどこかの部署を責めているわけではないので、念のため。)
西村センセイの場合、結果的に木曜日に負担が集中してしまうことになりました。平均的な教職員より早くに出勤して仕事に取りかかったのですが......さすがに夕方になるとヘロヘロ。
でもSA(スチューデント・アシスタント)の努力もあって、何とか今日の授業のサイト──何と3科目!! ──を全て更新することができました。(深謝、深謝)やるべきことを終えてから、「そう言えば今朝、前回失敗したバリウムを飲んだんだっけ」と、やっと思い出しましました。
今週末は、また出張なので、ゴメンナサイ、今日はとにかくお休みなさーぃ!!
■9月5日(水) 大学正門前に、ボウリングの巨大ピンが出現!!
いや、もう、今日は見たまんま。
朝、お医者さんに寄ったので、いつもより3時間遅れてのご出勤。
裏の駐輪場に自転車を止め、本館に入ろうとして、え"!?
正門のところで大きな何かが動いています。
何だろうと思ってよく見ると、ご覧のようにボウリングのピンの形をした着ぐるみ。
足の自由があまりないようで、ボトボトと移動します。手の方は比較的動かしやすいらしく、あれ、まぁ、チラシを配っています。
たぶん「ラウンド1(ワン)」という、割と近くのボウリング場兼ゲームセンターの宣伝でしょう。でも、ピンの彼、どうやってここまで来たんだろう......。
来客があったので研究室へ急いだのですが、もうちょっと調べてみたかったなぁー。
先週、ちょっと無理して平日に自宅へ戻ったのには理由があります。保険会社へ赴く必要があったのです。
すでにお伝えしたように、センセイの自宅は今回の地震で写真のように基礎が割れてしまいました。
この場所はもともと地盤がとても軟弱な田圃だったので、自宅を新築する際に「パイル」というコンクリートの柱を6カ所、計12本を地盤に打ち込んでいます。
このパイルはとても有効なのですが、家はとても重いので、パイルを打っていない部分、具体的にはパイルの脇で基礎が割れてしまうのです。
この影響で家の中央部が沈み、また「ツカ」という支えが沈んだために、一階各室の床がブカブカ浮いている状態です。点検してもらった工務店によると、修繕費用はざっと数十万円。これでも被災住宅の中では、被害は最も軽微な部類なのですけれど。
で、先日、やっと保険会社が被害状況を確認に来たのですが、その被災評価は何と、0円!!
正確に言うと被害が軽微だった場合、無被害とみなす決まり──被害が軽いにもかかわらず請求されても困る──があり、今回の被害は認定の分かれ目となる基準の1/3とのこと......。
つまり、保険金は支払われない。その代わりに(?)、規定に基づき僅かばかりの見舞金をいただけるとのこと。
でも、工務店と保険会社のこの差は、一体、何なんだ!?
■9月3日(月) 大切なものはきっと、匂いが違う ──ずいぶん稲刈りが進んでしまっている!!
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今朝、出勤途中に自転車を止めて撮影したのが写真。
隣には公園があって、ついこの間までは子供達がラジオ体操をしていたのですが、新学期に入ってからは静かなもの。
誰も歩いていません。さて、ご覧のように、いつの間にか稲刈りが進んでしまっています。
刈り取られたのは早稲(わせ)品種で、残ってるのは晩稲(おくて)のコシヒカリでしょう。
切り口と乾き具合からすると、早稲は8月末に収穫されたのだと思います。一昨年までは我が家(実家)も稲作をしていたので、金沢のアパートの周囲に広がる田圃も何となく気になっていました。
実家より成長が1週間くらい遅いな、とかもうすぐ刈り取りだな、とか。でも実家が稲作をやめてからは、ホントに年ごとに皮膚感覚のようなものが失われていきます。この件に関してはあまり話をしませんが、農作業を一人で担っていた母親も、どうも同じような印象を持っているようです。
家人が妊娠するといきなり、街中を歩く妊婦さんの多さに気づかされるのですが、出産を終え、子供が大きくなるとその感覚が薄れていきます。
それと似ています。たぶん自分が興味関心のあることには自然と注意が向くものの、そうでないものには関心が向かないか、無意識のうちに注意しなくなる──というか、無視する──のでしょう。
つくづく人間は自己中心的な生き物なんですねぇ。改めて、反省。(でも、これを全然わからない人も確かに存在するので、逆にこちらの方が驚かされるのだけど。)
で、夜になって近くを通ると、プーンと稲刈りを終えたばかりの匂いがしました。刈り取ったばかりの稲の切り口には独特の匂いがあるのです。今日の昼間に刈り取ったんですね。
匂いとともに、たちまち子供の時から体で覚えた田圃の感覚が戻ってきました。よく考えてみると大切なことって、意外と、味だとか匂いだとか雰囲気とかで判断されるんですね。例えば「虫が好かない」とか。
「そんなの、情緒的、感覚的で、非科学的!!」って仰る人は、実は意外と近代欧米の、過度に理性を重視した考え方に洗脳されているのかもしれませんよ。
ヨーロッパだって、古代や中世は「理性」という概念は、ずっと広く、そしておそらく本来の意味で使われていたのですから。(興味のある方は調べてみてください。)
■9月2日(日) 地震後初めてJRの代行バスを利用しました ──JR信越本線は9月13日から運転再開!!
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JR東日本新潟支社は、7月16日に発生した新潟県中越地震で大きな被害を受けて不通となっていたJR信越線柏崎−柿崎間の復旧工事に目処がたっため、同区間の運転を、9月13日の始発から再開すると発表しました。
被災後約2ヶ月でようやく運行再開にこぎ着けたことなります。現在この区間は代行バスが運行されているのですが、こちらは前日までで打ちきり
というわけで(?)、今週は金沢へ代行バスと電車とで移動しました。
ホントは疲れているのに車の運転ばかりしていて、そろそろ事故を起こしそうだなと思ったのと、これまでに大きな荷物はほとんど車で運び終えたからです。地震後約1ヶ月半の間、センセイはずっと車で柏崎−金沢を移動しました。最初はそれ以外に交通手段がなかったからですが、代行バスが運行されるようになってからも、とても不便だったので使えなかったのです。
この状況は現在も変わっていません。
写真のバスで柏崎駅を出発すると、1時間以上かけて柿崎駅に到着し、ここで30分ほど待って直江津行きの電車に乗り換えます。わずか36kmの柏崎−直江津間の所要時間が約2時間。
これはその5倍もの長さがある直江津−金沢間(177km)の特急と同じくらいの所用時間なのです。要するに、いつもの倍くらいの時間がかかるのですね。
帰りはもっと悲惨で、乗換が不便なのでいつもの時間に金沢を出ると、自宅に着くのは深夜になってしまいます!!妙な時間だったためか、センセイが利用した大型代行バスの利用客はわずか21名。
面白いことに、走っているのはバスでも、あくまで列車の代行なので、どんなに早く到着しても駅の近くに設けられたバス停できちんと出発時刻を待ちます。
途中から乗車する人のための措置で、当然なのですが。(ただし実際に途中から乗車したのは老人が1名。)出発前に運転手がバス停で待つ旨のアナウンスをしたのですが、これはきっと、最初の頃に乗客からクレームがついたのでしょう。
信越線と平行する国道8号線を、バスはゆっくりと走ります。ここは頭を切り換えて、沿道の風景を味わうことにします。
バスだと正面以外もよく見えるのと、乗用車より視点が高いので、いつも自分で運転する道なのに新しく発見することがたくさんあります。あんな所にたんぼがあるんだ......とか。
信越線が復旧するのはもちろん嬉しいけど、代行バスもなかなか捨てたもんじゃないな、などと、ちょっと不謹慎なことを考えてしまった西村センセイなのでした。