2007年8月11日更新(2007年8月19日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)

──2007年8月第2週のニュース──

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8月11日(土) 突然ですが、フル・ハイビジョン液晶モニタを買いました!! ──KX-32HV50はブラウン管交換へ──

 ヤマト運送が今朝、液晶カラーモニタを自宅に届けて下さいました。

 個人的にはこのところ、アパートのモニタ故障代替用液晶モニタの発注、新潟県中越沖地震での自宅カラーモニタ故障修理というように、このところパソコンおよびAVモニタ関連の出来事が続きました。

 センセイとしてはそれぞれ、その時点で適切と考えられる判断をしてきたつもりですから、ずっとお読みの方は、突然の液晶モニタ購入と聞いて、何で? という感じなのではないでしょうか。

 実は一昨日、自宅のカラーモニタKX-32HV50の修理をこのページでご紹介したところ、金沢工大のある学生さん──これまでもお世話になっている──から、諦めていたKX-32HV50用のブラウン管が残っているという情報を頂いたのです。
 おぉ、持つべきものは学生さん。深謝、深謝。

 改めてソニーに確認したところ、KX-32HV50のブラウン管は性能が良い物を抜き出した「選別品」で、確かにその在庫はないものの、一般の管ならば在庫があることが判明したとのこと。
 一般といっても特に性能が劣るわけではなく、選抜されなかった普通品という意味ですから、これはもう迷うことなく再度修理をお願いして交換してもらうことにします。

 で、来週、自宅までカラーモニタを引き取りに来てもらい、自宅での再修理ではなく、いったんサービスセンターに引き取ってもらい修理、調整していただくことになりました。
 出張先(センセイの自宅)での調整だと時間がないので、どうしても調整が雑になってしまうのです。

 でもこの場合、修理期間中は自宅書斎にモニタがない......。

 ちょっとの間ならなくてもいいかな、と思ったのですが、この際、アパートとの関係もあってHD(ハイビジョン)用液晶モニタを購入することにしました。

 というのは、金沢のアパートにあるHDD・DVDレコーダはHD(ハイビジョン)映像も視聴(+HDDに記録)できるのですが、 モニタ(PVM-20N5J)は、現行のSD(NTSC)映像しか再生できません。

 こちらも地震がなければこのままだったのでしょうが、えーい、この際、アパート用にもパソコン用兼、HD(ハイビジョン)モニタを買ってしまおう、と決めたのです。
 自宅モニタの修理期間中だけ新潟に置いて、修理完了後は金沢に持ち帰って使う、という算段です。

 この場合、アパート用にすでに購入したMac mini用液晶モニタの扱いが問題になりますが、こちらはハードオフに引き取ってもらうことにします。

 購入したのはナナオHD2451Wという24.1型のもの。

 基本的にはパソコン用の液晶モニタなのですが、フルハイビジョン対応(1920×1200ピクセル)のパネルを使い、かつForisシリーズの技術を生かしたAV用モニタにもなるのです。
 ショールームで実機を見た上での購入です。

 今回購入したモデルは特に、メーカーWeb直販限定の各種AV端子を装備したモデル!!
 その分高いし、値引きもないのですが、今後どのような使い方をしても何とか対応できるようにと考え──勢いで、という噂もある──て、通常ルートでは流通していないこのモデルにしました。
 時間もなかったし。

 さっそくとにかく仮に設置して、ブルーレイ・ディスク・レコーダーから、地上デジタル信号をデジタル接続で出力したのが右の写真。
 これだけで詳しい人はいろんなことがわかると思います。

 第一印象は、う〜ん、けっこうデカイし、通常のモデルよりずっと厚い!!(写真では大きさがわかりにくいのですが......。)

 画質については、後日改めてご紹介したいと思いますが、液晶テレビの中では、間違いなくナナオの画質は抜きんでていると思います。



8月10日(金) やっと、ゆっくりお風呂に!! ──25日ぶりにガスが復旧しました──

 今週後半は車で金沢へ移動していたのですが、金沢工大は明日からお盆休みなので、今晩のうちに新潟の自宅へ戻りました。

 世の中も、今日あたりからお盆休みモード。高速道路(北陸自動車道)はとても混んでいます。すでに民族大移動が始まっていたのでした。
 少なくとも柏崎以西の北陸道は、ひとまず応急修理を終えて、二車線で運用されており、気を使う対面通行はもうありません。

 自宅に戻って一番ありがたかったのは、ゆっくり入浴できること。

 つまりセンセイの家でも都市ガスが使えるようになったのです。昨晩遅く、大阪ガスのセンセイ宅に職員がやってきて、点検の上でガスを開通させてくださったのだそうな。
 被災後25日目での復旧は、市内で最も遅い部類に属します(被害の深刻な地域は復旧のメドが立っていない)。

 この間、弟の家や出張先のホテルで入浴したりしましたが、やはり自宅でゆっくりお風呂に入るのとは違います。

 車の運転もあってか、何だかとても疲れが出てきたので、すみませんが今晩はこれくらいで。



8月9日(木) 見ているようで、実は見落としていたもの ──「複線五千粁」記念碑(越後広田駅)──

 新潟県中越沖地震で被害を受け不通となっていたJR信越線は現在、長岡−柏崎間で臨時列車による運行を再開しています。

 しかし今のところ、速度を半分に落としての徐行運転なので、両駅間を移動するのに1時間20分ほどかかります。

 徐行運転の列車から見る風景はやはり、ちょっと違う。

 前回の中越地震で大きな被害を受けた越後広田駅に停車すると、ホームに写真の記念碑があることに気づきました。
 「複線五千粁」とあります。

 新橋・品川間から始まった複線化が、この駅の近くで5,000kmに達した記念碑で、旧国鉄時代の1972(昭和47)年に建てられています。

 前の大学へは電車でも通勤していたのですが、この記念碑は完全に見落としていました。

 この記念碑に限らず、慣れ親しんだはずの風景が、徐行運転の列車からだとずいぶん違って見えます。

 こちらが勝手に「こうだ」と決めつけてしまって、もう一つの(あるいはもっと他の)顔を見ていなかったことを思い知らされ、愕然としたセンセイなのでした。



8月8日(水) 「白鳥の歌」 ──西村センセイ、カラーモニタを直してもらう──

 今回の地震直後からわかっていた被害の一つに、書斎のカラーモニタの破損があります。

 好むと好まざるとにかかわらず──センセイは後者──、現在、古いアナログ放送(NTSC規格SD放送)からデジタル放送(HD放送)へ移行しつつあります。

 ハイビジョン(HD)テレビは現在放送中、あるいは今後放送されるものを映すには良いかもしれませんが、古いSDのソースを「そのまま映す」ことはできず、内部で変換しています。
 だからボケーッとして見えるのです。

 SDのソースをそのまま何も加工せずきちんと映し出すことができる機種は現在、絶滅寸前。
 そこでセンセイは、自宅書斎ではソニーの民生用KX-32HV50を、金沢のアパートではPVM-20N5Jという業務用カラーモニタを使っています(後者はホントに正確で、美しい)。

 SDだけなら、書斎にあるKX-32HV50の一つ前のKX-29HV3という機種──放送大学の収録で同一内容の業務用機を使った──の方が優れています。
 でも、その当時すでに新品は手に入らなかったのと、後継機KX-32HV50なら、SDのみならずHDにも対応する上に、これがソニーの民生用カラーモニタの最後になると予想されていた(実際、その通りだった)ので、2000年9月に無理してKX-32HV50を購入しました。
 基本的に画質はすばらしく、一度これを使うと他を使う気にはなれません。(業務用・放送用を除く)

 そこで大画面プラズマが出ようが、世の中の流れが液晶に傾こうがまったく浮気することなしにずっと主力として使ってきました。

 でもさすがに購入後7年すると、経年劣化が目立つようになってきました。ブラウン管の寿命はざっと10年と言われているのです。
 特にブルーレイディスクを使うようになって、コンポーネント接続でHD画像も見るようになってからは問題が目立つようになりました。

 そこで、お伝えしたように特殊なモードで画質を再調整したのが、今回の地震の直前。
 調整でホントに美しくなりました。

 使っている方には申し訳ないのですが、液晶はもちろん、プラズマもまったく比較になりません。

 地震当日、自宅に戻って書斎に入るとモニタは前方の床に落ちていました。ブラウン管があるために重心が前に偏っているからです。
 管が破裂(爆縮)しているかと心配したのですが、何カ所か傷ついていたものの、破裂はしていませんでした。
 しかし落下の衝撃で筐体は前後に真っ二つ。

 自宅は非常に堅い床材を使っているのですが、モニタは70kgちかい重量があるため、さすがに落下した場所には深い傷が1箇所、凹みが3箇所ありました(他の箇所はいろいろ倒れても床に傷はついていなかった)。

 本当は危険なんだけと、二人がかりでとにかく元の場所に戻し、ざっと点検して大きな問題はなさそうだったので、電源を入れ、ソースを入力しました。
 ブラウン管式のテレビは落下に強い、と聞いていたからです。

 しかし残念ながら、大きなモニタ(32型)で繊細な造りになっているためか、落下の衝撃で画面に色ムラがついてしまいました。
 写真ではよくわかりませんが、左上隅がひろく青がかかってしまい、右上隅が狭く鋭い形で赤く色づいています。
 デガウス(消磁)をかけても全然変わりません。

 当初は回復の見込みがないと思い、お店で液晶やプラズマを見たり、ナナオのショールームに出かけてForisシリーズの実物を見て、しかも開発者から直接話を聞かせていただいたりしたのですが、やはりKX-32HV50にはかないません。(なお、ナナオのForisシリーズは「液晶の中では」最高の画質です。)

 先日の東京出張は秋葉原の近くだったので、ホテルへ戻る時にパイオニアや松下のプラズマを見たのですが、う〜ん、イマイチ。
 ソースのせいだろうと思いますが、センセイが見た限りでは、パイオニアは評判は良いものの実物はイマイチで、むしろ映画なんかは松下の新しい700シリーズの方が優れていました。
 でも、これを買うとSD画像は変換でボケボケになってしまう......。

 いろいろ考え、そして視聴した結果、地震で被災したKX-32HV50を修理してもらうことにしました。

 理由は二つ。

 一つはSD画像の正確さです。センセイが観たり聴いたりするのはほとんど過去に収録したソースなので、それを正確に再生することの方がセンセイにとっては重要なのです。
 若い方とは基準が違うのです。

 もう一つの理由は部品の保存期間。メーカーは、機能を維持するのに必要な重要部品を8年間保存しておくよう指導されているのですが、この製品は2000年の製造完了。
 かろうじて、まだ間に合う!!

 ブラウン管は最重要部品なので、保管している管と交換してもらえれば新品同様になるはず!!
 ソニーに電話すると、框体はもう残っていないので直せないが、管の価格は9万円弱とのこと。
 この際、値段は関係ありません。

 この製品は出張修理なのでその後何回か連絡を取って日程などを調整しました。
 最終的に先日の朝、実際の修理担当者から訪問時間を確認する電話がかかってきました。

 故障状況を説明し、いろいろ話していると、何とブラウン管の在庫はもうないとのこと。
 残念!!

 何が起きたかというと、センセイと同じことを考える人がたくさんにて、ここ数年のうちに管を交換してもらった人がたくさんいるということなのです。
 画質の違いをわかる人はたくさんいるのです。(知ってたけど)

 当初のもくろみは破綻してしまいましたが、それでも修理してもらうことにしました。

 約束の時間に担当の方が2名いらして、さっそく作業開始。信号発生器から赤色を出すと、ご覧のように左上の色がおかしい。

 どうやって修理するのかと思ったら、高圧のかかっている──素人は絶対に真似しないでください。危険です──ブラウン管背後の、電子線の走査をコントロールする部分を手で(!!)ずらして、できるだけ色むらがなくなるように調整しています!!

 面白いように色が変わります。

 これをRGBの3色繰り返して、できるだけいろムラがなくなるようにし、テストパターンを使って画面の位置や大きさ、傾き、色のズレなどを例の「サービスモード」で調整して、作業完了。
 この間、約40分。

 今回は地震による故障なので、出張費や技術料などを半額近くに負けてくださりました(約9,000円)。

 「元のようにはいきませんが、できるだけ調整したということで」と仰る担当者を見送って、改めてよぉーく見ると、確かに色むらはかなり改善されています。

 でも白などを入力すると特定の場所で薄くムラが出ているのですが、あれだけの修理の現場を見せられると、まぁ、我慢するしかないだろうなぁ。

 でも一つだけ大きな問題が発生していて、画面右側で修理前より色ズレ(コンバージェンス)が起きています。

 この件に関しては、サービスモードで対応するしかないので、これをお読みの金沢工大の学生さん、新学期が始まったらサービスモードの項目を教えてください。
 あ、それと、信号発生器も貸してもらえるとありがたいのですが......。

 今回、改めてプラズマや液晶テレビを見て、やはり発展途上の製品だという印象を強く受けました。
 ブラウン管式モニタ、特にソニーの業務用・放送用PVM・BVMシリーズの完成度とは比較になりません。

 だからもう数年はこのKX-32HV50を使って、もう少し画質が良くなったらプラズマ等を使おうかと思います。SDのソースに関しては、センセイの宝物PVM-20N5Jを持って帰って使い、2台を並べて使おうか、などと思っています。

 西洋では、白鳥は臨終の時にひときわ美しく鳴く、と伝えられています。(レッド・ツェッペリンの「スワン・ソング」レーベルの名前はここに由来する。)
 先日の調整でゾッとするほど美しくなったKX-32HV50、美しさは「白鳥の歌」だったからなのかもしれません。



8月7日(火) 配給された自衛隊の缶詰の中身は!?

 自宅の被災状況がはっきりしたので、今日は修繕に必要な書類の手配などあちこち行ったり来たり。

 センセイの家は遠い親戚に当たる工務店に建てていただいたのですが、その工務店は某大学建築学科卒業の専務の放漫経営で、数年前に倒産してしまいました。
 センセイの自宅を含めて、西村家一族はみんなこのお店に家を建ててもらっているので、修繕に必要な図面はみな、倒産した工務店に残したままなのです。

 あらかじめ電話しておき、今日の午後、先代の社長宅を訪問すると、奥様とともに暖かく迎えていただきました。事情を説明して必要な図面をいただいただけでなく、いろいろアドヴァイスも頂戴しました。
 やはりとても優れた棟梁です。

 仕事の種類は違いますが、センセイが棟梁の歳になっても、絶対、彼にはかなわない。

 帰路、伯母がいる避難所が途中にあるので立ち寄ってみると、伯母の姿が見当たらない......。

 代わりに(?)あったのは自衛隊の仮設風呂。現物を見るのは初めてです。
 センセイ一家は今回、ずっと行水なので、避難所のお風呂は利用していないのです。

 奥に饅頭(まんじゅう)状の水タンクがあり、お湯を沸かす設備もあります。
 この時間は女性の入浴時間だったので、入口で女性自衛官が番をしていました。
 この部隊は広島から派遣されているそうです。

 肝心の伯母は、被災した自宅に戻っていました。
 正確には自宅は全壊していて戻ることはできず、簡単な離れのような建物に避難していたのです。
 訊くと、先日避難所で心臓の発作が起き、救急車で病院に運ばれたので、同じ避難所にはちょっと戻れない、とのこと。

 この「離れ」、トイレはあるものの、お風呂も炊事場もないので、お風呂は避難所で、調理はポータブルガスコンロで何とかこなしているそうです。
 避難所への入居は申し込んであるのですが、外れたらこの離れを改造するしかないだろうなぁー。

 自衛隊といえば、復旧や給水、避難所での食事提供に従事しているだけでなく、食品も配給しています。

 写真は家人がもらってきた缶詰ですが、左はコーンドミート(いろんな肉を使ったコンビーフ)、右は鶏肉と筍、蒟蒻を煮たものです。
 外見はとてもシンプルで、塗装はモロに陸上自衛隊色。

 「そもそも普通に開けることができるのかな」と思ったら、普通の缶切りであっさり開けることができました。
 そうでなければ配給なんかしないけど。

 もちろん肝心なのは中身。一口食べた途端、モリモリと活力が......とか?!

 で、食べてみると、あれ、まぁ、ごく普通の缶詰。(当たり前だけど)
 正確には、民生用の缶詰と同じく、ちょっと濃い目の味付けで、ご飯のおかずとしての使用が基本のようです。

 ふだんはなかなか機会に恵まれないけど、こういう機会に接してみると意外にも等身大、なんですね。(再び、当たり前だけど。)



8月6日(月) 最近、被災地でよく見かける光景 ──センセイ宅の被災状況詳細が判明しました──

 今回の地震の被災地で最近よく見かけるのが写真の光景。

 水を入れたペットボトルが並んでいますが、何だと思います?

 猫よけに小型のペットボトルを並べることがありますけど、今回はそうではありません。
 何と、これでお湯を沸かしているのです!!

 水を入れて日向に置いておくだけなのですが、意外にも、朝から出しておくと水温は35℃近くまで上昇します。
 お風呂のお湯として使うにはぬるいのですが、行水には熱いくらい。誰が発明(?)したのかわかりませんが、口づてで広まっているようです。

 もっとも数日前からガスが復旧し始めているので、もうすぐこの光景は見られなくなるはず。
 ガス供給所に近いにもかかわらずセンセイの自宅はまだガスが来てきませんが、実家は今日、ガスの供給が再開されましたから。

 さて、これまで自宅の被害は軽微だとお伝えしてきました。

 もちろん室内はメチャクチャで、落下した重量物で床が傷んだりしましたが、地盤にひび割れはなく、建物そのものも目視した限りでは土台にヒビが入ったくらいだったからです。
 でもどうも様子がおかしいので、今日、業者にお願いして詳細に診断してもらったところ、地盤が沈下していることがわかりました。それも均一にではなく、建物の中心部が凹むような形で、です。

 ここはもともと川に近い低地で、長く田圃として使われてきた場所です。それを埋めて宅地にしたので、最初から地盤が悪いことは承知していました。

 それでも、いつか地震が来る──こんなに早くとは思わなかったけど──と考えて、土台の下にパイルを打ち、また重量配分を考えて設計しておいたので、被害を最低限度で収めることができたと考えています。
 また幸い、地震保険にも入っていたので、修繕費用はかなり補填されるはずです。

 企画・設計段階から保険まで対処しても、せいぜいこの程度です。
 「備えあれば...」を再確認すると同時に、何も対策を取っていなければ、と考えると本当に恐ろしくなります。(たぶん自分で経験しないとわからないんだろうけど。)

 改めて、これだけの被害をもたらした地震の力を思い知らされます。



8月5日(日) 徐行運転の列車から見た被災地

 今回の東京出張では往復ともに、復旧したばかりのJR信越線(柏崎−長岡間)を使いました。

 「復旧」といってもこの区間のすべてで徐行しており、ふだんの倍の時間がかかります。

 また特急や快速、そして貨物列車は運転されていません。青海川駅付近での土砂崩れの復旧には相当な時間がかかる見込みで、信越線全線の開通の見込みが立っていないのです。
 センセイは金沢までの回数券を払い戻してもらいました。

 今回はその車窓から見た被災地の様子を。

 こちらはJR越後線の電車脱線現場(左が線路、右がプラットフォーム)。
 すでに車両は引き起こされて新潟の基地へ運ばれており、ここには残っていません。

 で、プラットフォームをよぉーく見ると、角の所に緑色(黄緑っぽい色)の塗料がついています。
 地震の揺れで車両とプラットフォームが擦りあったことを示しています。

 通常、両者は最低でも5センチ以上離れているのですが......。

 電車が柏崎駅を出発するとすぐに、保存運動が起きていた日本石油の煉瓦造り倉庫の脇を通過します。

 中央部が倉庫で、右の残った部分と同じ高さで屋根が続いていたのですが、ご覧の通り、ぺっちゃんこ。
 かなり大きな構造物なので、民家の倒壊を見慣れてしまったセンセイも、改めて地震の破壊力の凄まじさを感じます。

 何回もお伝えしているように、今回の地震、被害は地域の中でまだら模様のように存在しています。

 全体的には震源地に近い出雲崎町、旧西山町、刈羽村、柏崎市がひどく、そして海岸沿いの砂丘と田圃が接している場所、およびテレビによく出てくる柏崎市中心部(砂丘の頂上と斜面)に集中しています。
 車であちこち走っていてそう感じたのですが、今回、JR信越線に乗っても同じ印象を持ちました。

 右の写真はセンセイの家の割と近くの、柏崎市上田尻地区。

 基本的には丘の頂上部と田圃が接している場所なのですが、敷地を広げるために盛り土をしています。
 ここではご覧のように、盛り土を守るためのコンクリート壁が外側に崩れそうになっていて、大きな土嚢で崩落を防いでいます。(このような光景は砂丘部の頂上にも見られます。)

 現在のところ写真の家は大丈夫なよう──でもたぶん避難勧告が出ている──ですが、はやり大規模な改修工事が必要だと思われます。

 実家も、全壊した伯母の家も単に建物が歪んだだけでなく、おそらく根本的な地盤改良が必要でしょう。
 刈羽村でも同じような場所がホントにたくさんあります。

 でも、地盤改良となると多額の費用が......ということになり、そもそも地域や集落の存続すら危うくなってきます。
 実際、小中学校の同級生の家がある旧西山町五日市
(いつかいち)地区でも同じような土砂崩れが大規模に発生する可能性があり、集落の存続そのものが難しくなっています。

 今回の地震は、それでなくても過疎が進んで老人しか住んでいないこの地区に、最後の止めを刺すような格好になっているのです。

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