2007年9月22日更新(2007年9月30日ページ移動。2012年9月18日一部写真削除)
■9月22日(土) 旧信越本線跡は壊滅状態!! ──復旧した青海川駅へ行ってみました──
週末なので新潟の自宅へ戻りました。
地震の影響もあって、新学期が始まってからはずっと締切のある仕事に追われてまったく余裕がなかったのですが、今週はかなりがんばったので、ある程度の目安がつきました。
その分、気分も少しは楽。その新潟県中越沖地震から2ヶ月。
帰宅後、地震後車を運転しながら、あるいは復旧した電車の車窓から、ずっと気になって場所へ車で行ってみました。
まず最初は何度も報道されたJR信越本線青海川(おうみがわ)駅。
ここは険しい崖下に位置するのですが、その崖が大規模に崩れて駅ホームと線路を覆い、一部は海岸にまで達しました。
現在、ご覧のように崖一面がモルタルで覆われ、土砂崩れから線路を守る鋼鉄製の壁が設置されています。海岸へ達した土砂は、多少整地はされていたものの、ほぼそのままに残されています。
冬の日本海の荒波で、来春までにはほとんど消えてしまうんじゃないかな。工事の都合でしょう、コンクリート製の駅舎は撤去され、写真左端の仮設小屋が設置されていました。
今週初めに金沢へ電車で移動した際には、ゆっくりと徐行したため、到着が13分ほど遅れたのですが、新潟に戻る時、あるいは写真の特急なんかは3分くらいの遅れにとどまっています。
余震が少ないためか、徐行運転もかなり緩めているようです。駅のまわりを見渡すと、鮭の放流で有名なこの地区の家屋ほとんどが大きな被害を受けています。
さて全国的には全然報道されず、さらに被災した地域でもあまり知られていないのが青海川駅と隣の米山駅との間の被害。
集落で言うなら上輪(あげわ)地区、目標となる場所で言えば、ジパングクラブ(JR東日本の場合)のポスターにも使われた聖(ひじり)が鼻岬、鉄道ファン向けには米山第一トンネル付近。写真の聖が鼻岬の向こう側には、米山駅があります。現在は国道8号線、信越本線ともに、写真よりさらに山側(左側)に新しいトンネルが位置しています。
その後掘削された高速道路(北陸自動車道)のトンネルはさらに山側に位置しています。でもかつては、険しい崖に沿って、崖の途中を国道8号線が、そして海岸のすぐそばを信越本線が走っていました。
でもそのいずれも、今回の地震で大規模に崩壊してしまいました。地形そのものが変わっています。
もし道路や鉄道が主要幹線として使われていたらと考えると、ゾッとします。写真には写っていない米山駅側も同様で、崩れた土砂が不安定なために、照明で夜通し崖を照らし出しています。
実は写真の地域を含めた、この米山駅−青海川駅間、センセイにとっては高校時代に必修の地学の地質調査で何度か歩いた、体で覚えた場所なのです。
この聖が鼻岬の下には旧信越本線の旧米山トンネルがありました。
廃止された鉄道トンネルは通常、立ち入りできないのですが、この旧米山は岬の両側の地域を結ぶ通路──ただし歩行者に限る──として利用され続けました。
ずいぶん心細かったですが、トンネル内にはちゃんとそれなりに照明も点いていました。でもご覧のように、何もかもが崩れてしまい、米山トンネル出口付近は、完全に土砂に埋もれてしまっています。
今回は日が暮れそうで行かなかったのですが、もう少し歩くと東洋一の「牛が首層内褶曲(しゅうきょく)」があります。こちらも今回の地震で大きな被害を受けてしまいました。
今回ご紹介した被害は、ここで暮らす人々には直接には、そして短期間にはほぼ何の利害ももたらさない種類のものです。
でも、長い目で見た場合には、こういう一見無駄な考察も必要だと思うのですが......どうでしょう。
■9月21日(金) 首は回らず、喉は嗄(か)れて...。 ──不調の原因はここにある!? ──
どうも数日前から首の具合がおかしい。たぶん寝違えたのだろうけれど、右側ばかりがとにかく痛くて、首が回らない。
特に今日はひどくて、朝からくしゃみが止まらずに困っていたら、そのうちにそれが首の痛みと連動してきてしまい、いいかげんな格好でくしゃみをすると、即座にぎっくり腰になってしまう──なる時は咳一つでぎっくり腰になります──ような感じ。
おまけに夕方からは喉が嗄(か)れてきて、こちらが話す内容を他の人が聞き取れない!!(ホントに)明日はどうなっているかわからないけど、原因に関して思い当たることが一つ。
実はここ1〜2ヶ月くらい(特に最近)、夜、机に向かっていると、意識が途切れてそのまま椅子で数時間眠ってしまうというパターンが続いているのです。
新潟の自宅でも、金沢のアパートでも。センセイは毎晩、飲みながらパソコンでサイトを更新、アップしています。
今学期は授業が特定の曜日に集中していて、特に木曜日は3つのクラスを一晩で更新しなければならなりません。
そのため、どうしても夜遅くまで作業することになるのですが......量が増えたから、というわけじゃないだろうなぁー。何度かお伝えしているように今春、金沢のアパートのアナログ電話回線を撤去し、ネットへは128kbpsのPHSで接続しています。
2chを使ったPHSはアナログ回線やISDNより速く、特に不満があるわけではないのですが、やはりブラウジングなんかは高速回線の方が便利。
で、ネットを利用する仕事は夕方までに大学で終わらせ、アパートではサイトだけ更新するのが普通。右の写真はそのログの一部なのですが、たいてい3分以内、場合によっては30秒ほどで接続が終わっています。
でも下線を引いた日だけは1時間以上の接続。要するに、この日は接続したまま眠ってしまったのですね。
こういう生活パターン、どう考えても体にはあんまり良くないよなぁ。
......反省。
■9月20日(木) ヤマダ電機
テックランド柏崎店、明日オープン!!
今月15日付の新潟県柏崎市の地元紙によると、以前お伝えしたヤマダ電機 テックランド柏崎店が明日21日にオープンするそうです。((c))柏崎日報社
センセイは金沢にいるので見てないけど、最近の新聞には、ヤマダ電機と、対抗するジョーシンやケーズデンキの折り込みチラシがたくさん入っているんだろうなぁ。実は新潟県内にもヤマダ電機はたくさんあって、あまり珍しくはないのです。
センセイも、最寄りの長岡店へ行くことがあります。他のお店にないものが、ヤマダ電機にはあることがあるのです。う〜ん、でもよぉーく考えてみると、それ以外に何か魅力ってあるかなぁー。もちろん安いけど、それだって他店との程度問題だし......。
ヤマダ電機進出が伝えられた当初は、7月頃の開店ではないかと伝えられました。
けれど、工事は順調に進んでいた(ように思われる)にも関わらず、開店は9月。漠然と新潟県中越沖地震の影響かな、と思っていたのですが、気になって大規模小売店舗法に基づく申請を調べてみると、予定は9月末。
当初からこの時期を予定していたんですね。何だかんだ言いながら、きっと西村センセイ、今週末に帰宅したら、たぶん自転車に乗って自宅から目と鼻の先のヤマダ電機へ行っているんだろうな。
何しろ新しい物好きだから。
■9月19日(水) ヤヌスと三人の美女 ──今日も授業でいろいろ考える──
やはり昨日は、どうも心身ともに相当疲れていたらしい。好きではない背広姿だったからかもしれないけれど。
そこで今朝は、直接大学へ行くのではなく、朝イチにお医者さんへ行ってから「重役出勤」することにしました。センセイはいろいろ病気持ちなのです。
なお、いずれも軽いものなのでご安心を。いつもより3時間遅れて研究室到着。
水曜日は午前、午後とSA(スチューデント・アシスタント)との作業があり、その後はピンチヒッターで受け持っている教職課程の授業。
合間を縫って昼食を取る必要があるのですが、体調がイマイチなので、近くのコンビニで何か軽いものを買うことに。今日は、手を伸ばせば天まで届きそうなほど空が高かったのです(その分、残暑は大変だったけど)。
高橋川を渡ると川沿いに小さな公園があります。抜けるような青空と、工大キャンパスを背景に、女性像が建っています。
もちろん建っているのは知っていたのですが、ちゃんと見るのは初めてのような気がします。
よく見ると女性像は3人。
説明文によると像の名前は「時の門」で、「中央に伸び上がろうとする現代 左に歴史や文化をつかみ取ろうとする過去 右に勢いよく走りゆく未来 野々市〔町〕の過去 現在 未来を3人の女性像で表わしたものです」とのこと。
......なるほど。
西村センセイ、ローマ神話で二つの顔を持つ門の神、「ヤヌス」神──英語の「1月」の語源──を思い出しました。
準備を整えて授業に臨みます。
力(りき)んでいなかったせいか、学生さんの方もセンセイになれてきたのか、今日の講義はとても順調。受講生の方もしっかりと聴いてくれているし、何より、学生の顔がよく見えるし。
今日の科目は教職必修科目で、学内の事情で急にセンセイが担当することになったもの。
センセイも受講生も、最初はお互いに戸惑った部分があったのですが、お互いの様子もわかってきています。それに今日の講義は、センセイが前任校で認識し、それにもとづいて実際に行動していたこと。
だから話せる範囲でいろんな事情を話しするし、受講生も説得力を感じながら自分の問題として考え始めるし。センセイ自身はたいした人間じゃないけど、そんなセンセイから「ピピピッ!!」と刺激を受けて受講生が、「面白かった」と言いながら自分で自分の才能を見つけていきます。
センセイはただ、そのお手伝いをするだけ。でもこれが「教育」の本質(の一部)を示しているように思えるのですが、さて、どうでしょう。
いつもより早く大学を出たのに、所用を済ませたら結局、帰宅したのはいつもの時間。閉店が近づいたスーパーへ急ぎます。
適当なお刺身がなくて魚売り場をフラフラしていたら、おぉ、おいしそうな旬の秋刀魚(さんま)。安いし、しかもこの時間帯は半額!!
昨晩の報道によると昨シーズンと対照的に、今年の秋刀魚漁は北海道近海で行われているため、(燃料費がかからないから)安くて新鮮で、漁業関係者も消費者も万々歳とのこと。
というわけで、今晩は秋刀魚をいただいています。ところで、秋刀魚はとてもおいしいのだけれど、今日一日を振り返ると、う〜ん。
昨日の晩から金沢は雨。
天気予報はさらに悪い方に外れて、今朝も雨。
しかも晴れ間を縫って出勤したはずが、途中からかなり降られてしまいました。気を取り直して、準備万端整えたはずの授業に臨みましたがちょっとイマイチ。
アンケート(非公開)による反応はとても良かったのですが......。だから授業は難しい。
午後からは外部からのお客様を迎えての打合せがあったのですが、初対面だったせいなのか、あるいはお客様内部に元請け/下請け/孫請けの三者が存在していたせいか、どうもセンセイの立ち位置がわからない。
う〜ん、そもそも、研究室の机の上を何とかしなくちゃ。
だって、このままじゃ、未来が見えないような気がしません?
■9月17日(月) みんな、たいへんお世話になりました ──今日はペットボトルの回収日──
今朝、震災復興コンサートの練習と本番に向かう娘を送るために車を出そうとして、ギョッ。
続いて家から出てきた娘も一瞬、絶句。
センセイの自宅前はこの地区のゴミ出し場所なのですが、今日はご覧のように白いビニール袋の山ができています。
これはみんなペットボトルなのです。(写真奥はボランティア拠点となった市の社会福祉センター)震災直後にはコンビニやスーパーで買った小さなボトルにお世話になり、2、3日後からは救援物資として配給された1L入りのペットボトル。
その節はみんながお世話になりました。震災から昨日で2ヶ月。
仮設住宅暮らしの人を含めて、目に見える部分での生活はかなり元に戻っています。
ゴミの回収もその一つで、ようやく地域ごとにペットボトルを回収できるようになったのです。もっとも、本来はクリーンセンター(ゴミ焼却場)で破砕後にリサイクル業者に渡すのですが、センターの機能が停止しているので、しばらくは直接業者に処理を依頼します。
「こうやって少しずつ、心に区切りをつけていくんだろうなぁー」と思いながら、ペットボトルの山を見ていた今日の西村センセイなのでした。
■9月16日(日) 日常と非日常の不条理な同居 ──西村センセイは、今日も実家で地震の後片づけ──
新潟県中越沖地震で壊れた玄関は直してもらったものの、漆喰(しっくい)の壁が壊れ、土盛りを止めている石垣が崩れた関係で今日も、被害を受けた実家へ。
実際は要するに、ただの土方仕事なんですけどね。行きがけに、明日海浜公園で開かれる震災復興コンサートに吹奏楽部の一員として参加する娘を学校まで送りました。連休ですが、明日に備えて特別に部活動があるのだそうな。
その途中、送迎の途中で娘がいつも「2階が...」という場所を通りました。それが写真のお宅。
今日初めて車を止めて確認したのですが、ちょっと壊れたのではなくて、1階はほぼそのままに、2階がそのまま完全に崩れて落ちて、見かけ上平屋建てのように見えるのです。
ここは新花町(しんはなちょう)。
その名の通り、かつて石油がたくさん採れ、温泉街「柏崎温泉」に人気があった頃に花町として栄えた場所です。今回の震災で最初に死亡が報じられた夫婦の家は、この真裏。現在も瓦礫がそのままに残されています。
この家も主は仮設住宅に避難しているのか、軒先の雑草は伸び放題。今日で、地震からちょうど2ヶ月。
予定より早く実家に到着したのですが、作業に必要な面子(めんつ)が揃っていなかったので近くを歩いてみます。
写真の川沿いの家は、堤防が崩れ大きな穴が開いてます。心なしか家も傾いているように感じられます。
実家での用は比較的簡単に終わり、自宅に戻るために、被災地で見たことを思い起こしながら、いつもよりもさらに経済運転で車を走らせます。
老人が運転する新潟ナンバーの大きなオートマ車が、交差点でセンセイの318iを此見(これみ)よがしに抜き去ります。被災地ではある程度、日常の生活は滞りなくこなされています。まるで何事もなかったかのように。
でも、ふと気づくと、ぽっかりと非日常が口を開けて待ちかまえています。それも日常の、すぐその隣に。
ジャン・ポール・サルトルが戦前の名著『嘔吐』──ただし、原文の意味は「吐き気」──の中で告白し、そして戦後転向したそのサルトルに罵倒されることになるアルベール・カミュが精致に論理的、かつ皮膚感覚で論じた日常と非日常の同居。
人間の出生/逝去などの場面で、唐突にその存在に出くわすことがあるものの、「見なかったことにする」ことでかろうじて平安を保っている、あの不条理です。
で、どうするかというと、(一部老人を除き)みんな、もまるで何事もなかったかのように振る舞うのです......。
幾ばくかのためらいとともに、人間が本来持っている肯定的な生命力を確かに感じる、そんな瞬間です。