2008年8月16日更新(2008年8月24日ページ移動。2012年9月20日一部写真削除)
■8月16日(土) 田中角榮が揮毫した扁額はどうなったんだろう...。 ──待望の3代目「南慶寺トンネル」が貫通!! ──
お盆ですから、次期ご当主様の西村センセイは当然、忙しい。一族郎党が周囲に住んでいるので、いろんなことにタッチせざるをえないのです。
地震もあったし。そんな中、集落内を車で移動していて、あ"......。集落内のトンネル拡張工事がずいぶん進んでいたのです。
何回かお伝えしたことがありますが、センセイの実家は、現在の北陸自動車道や国道8号線、あるいは日本海縦貫鉄道に相当する、かつての「北国街道」の宿場町にあります。
しかし明治維新以降、交通機関の発達によって物資や人の動きが変わり、さらに少し離れた場所に越後鉄道(現在のJR越後線)が敷設されると、その駅へのアクセスが必要になりました。そこで、それまではちょっとした丘を越えて駅へ向かっていたのを、人や自転車がやっとくぐれるような木造の「隧道」(トンネルのこと)を掘削したのが昭和28年。
昭和32年生まれのセンセイも、2代目の開削式に立ち会ったのでしょうか、とてもよく覚えています。けれども湧出(ゆうしゅつ)する水が多く、その約10年後には、隧道を拡張する形で本格的なトンネル開削工事が始まり、昭和39年にコンクリート製の「南慶寺隧道」完成に漕ぎつけました。
「南慶寺」というのは、トンネルの上にかつて存在したお寺の名前です。センセイも中学校に通うため、毎日のようにこの隧道を通っていました。南慶寺隧道の入口上部には当時は何の大臣だったか、田中角榮氏が揮毫(きごう)した扁額(へんがく)がかかっていました。
その後約60年。交通機関のさらなる発展によってこの隧道は手狭となり、今年の春から再度の拡張工事が開始され、(センセイは現場を見ていないけど)地元紙『柏崎日報』紙によると8月8日に貫通式が行われたとのこと。
確かに地域住民にとっては待望の貫通。でも、よぉーく考えてみると、北国街道から外れて以降、集落は衰退する一方。
特に去年の新潟県中越沖地震はそのとどめを刺したような格好で、今年に入ってから家をたたみ、集落を離れる人が続出しています。残っている家はピーク時の半分以下ではないでしょうか。
こうなると、待望のトンネルができても、地域活動の維持はもう不可能なのではないかと思えてなりません。ところで、この日記を書くにあたって「北海道出身で新潟在住の大学院生」が運営する「新潟廃報」というサイトを見つけました。
2代目の南慶寺隧道を含めて、センセイの集落の様子も相当客観的に紹介されています。(新トンネルの幅員(ふくいん)2.5倍という大きさも実感いただけると思います。)もうそろそろ大学院を修了されるようですが、とても頭の良い方で、センセイの完敗、という感じ。やはり若い才能を信じて良かったな、と思う瞬間です。
センセイを含めて、老人はこういう方に追い越されるためにこそ存在しているのです。きっと。
■8月15日(金) 柏崎市中心部で「ふるさとまつり」が開かれました
曜日まわりの関係で、今年の夏は、今週1週間が夏休み、という感じ。
先週末から何となく帰省客が増えてきていたのですが、今日15日になると、いつの間にか少し減っているような気がします。Uターンが始まっているのでしょうか。「盆と正月」という言葉があるくらい、お盆は田舎の人間にとってビッグイベント。
でも13日をみんなで過ごせば「まぁ、あとは大目に見るから、各自、勝手にやって...」という雰囲気もあります。
実際、15日は高校の公式/非公式の同級会があったり、地域を離れた子供たちのために、帰省で集まりやすいこの日に成人式を行う(!!)場合もあります。(センセイの時もそうだった)センセイが住む柏崎市の中心部では地元商店街などが中心になって、27年前から8月15日に「ふるさとまつり」が開かれています。
「まつり」といっても、地域住民のDNAに刷り込まれた(?)「えんま市」や、地域の神社の祭礼と商工会の夏祭りが合体し、夏祭りとして定着した「ぎおん柏崎まつり」と違って、良くも悪くも人工的な行事です。
西村センセイ、初めてその様子を覗いてみました。昼間の柏崎はものすごい大雨だったのですが、午後には雨もあがりました。
湿度は高いのですが、気温はそれほどでもなく、割と過ごしやすい感じです。市の中心部を交通止めにして、写真のように地震からの復興を願ったメッセージや、思い思いの絵を描いた高さ90cmほどのあんどんがあちこちに飾られています。
お盆は結果的に、先祖の霊の供養と家族という繋がりの再確認という二つの機能を果たしています。
帰省客に地元を再確認してもらうだけでなく、あまり意識されていないかもしれないのですが、慰霊の意味も込められているのではないでしょうか。2箇所のミニコンサートなどもありましたが、全体としてはとても静かなもの。写真の場所は地震で大きな被害を受けた場所なのですが、近所の方がしみじみとあんどんに見入っていらっしゃいました。
こういう目立たない場面での復興(?)こそが、とても大切だと思うのですが、どうでしょう。
■8月14日(木) 甥や姪がほぼ全員集合して、西村家は久しぶりに賑やかなお盆を迎えています
昨日は旧暦のお盆。
午前中に急ぎの仕事に区切り──要するに、まだ終わっていない──をつけて午後から実家へ移動。
他の日はともかく、西村家10代目(予定)ご当主の西村センセイとしては、この日ばかりは実家で種々の行事を仕切らねばならないのです。お盆の主役は、センセイらではなく、孫たち。
しかし、彼ら彼女らも大学生から小学生までと、ずいぶん大きくなっています。
たまたま今年は全員が集合。(カナダ留学中の大学生1名を除く)墓参後に、一族揃って夕食に臨んだのですが、一人ひとりが大きくなっているので、その準備から後片づけまで、もう、ホントに大変です。
食事後は近くの河原に出かけて花火大会。
向かいの家の従姉妹から「行ってもいい?」という声がかかります。もちろん大オッケー。孫が小さいうちはともかく、高校生、あるいは大学生くらいになると生きる世界がずいぶん変わってくるので、盆や正月に祖父母の家に集合することも少なくなってきます。
来年は何人かの大学/高校受験が控えているので、正直なところ、こうやって集まるのは今年が最後じゃないかなぁー。
■8月12日(火) センセイの家の脇に、日よけ傘が出現!! ──世の中はすっかりお盆/夏休みモードですが...──
来月の出張のために柏崎駅のみどりの窓口で駅員さん相手に説明していると、ちょうど金沢行きの特急列車が到着。どっと乗客が降りてきました。
この特急、東京方面からの新幹線に接続しているのです。もちろん降りてきたのは、お盆の帰省客。どうりで、駅の駐車場が迎えの車で混雑しているわけだ。世の中はお盆本番なんですね。
自宅に戻り車を止めると、すぐ脇でドドド、ガガガ。ものすごい音がしています。
1ヶ月くらい前から自宅周辺で下水道の工事が続いているのです。自宅に接して工場の倉庫があるのですが、今日はその裏のスペースにご覧のようなパラソルが。
水を入れてベースを固定させるなどした、業務用のパラソルです。この酷暑の中、工事の方がせめてもの休息のために用意した物なのですね。
作業服で知られる“WORKMAN”のレジ袋と大きな水筒が、そても印象的。この工事、実は昨年夏の新潟県中越沖地震の本格復旧工事の一つです。
拙宅の周囲では全国からの応援を含めて関係者のご努力により、わずか被災後約1週間で上下水道が復旧したのですが、やはりこれは仮の復旧。
というわけで柏崎市内では今年に入り、雪がなくなってからあちこちで上下水道の本格復旧が続いているのです。でもせっかくの復旧工事も市民の日常生活と両立させる必要があります。
そこで、上下水道を概ね生かしつつ、かつ同時進行で復旧工事を行うという手法が取られています。写真右側のU字管にも、昨日まで仮設下水道管が敷設されていたのです。この場で工事の皆さんが休息されている姿を見たことはないのですが、もちろん彼らだって、自宅や家族があるはず。
世の中がお休みに入っても、こうやって社会を支えてくださっている方がいらっしゃることを絶対に忘れてはいけないと思います。
■8月11日(月) 西村センセイ、実は、YAHOO! ニュースで報道されていました
昨日はなかなか眠れなくて、しかも眠りが浅いのですぐに目が覚めてしまいました。
センセイの自宅はJR信越本線の近くにあるのですが、夜中に夜行列車や貨物列車──重量が違うので揺れ方が異なる──が、こんなにたくさん走っていたんだっけ......。
強行軍が続いたので、疲れが溜まってしまって取れていないんですね。というわけで、今日は意識して、一日中自宅でゴロゴロしていたためと、お盆の週に入って閲覧者も減っているので、誰も観ていないこの機会に、未公開の時効ネタを。
先日、ご縁があって現代アートに関する対談に呼んでいただいたことと、お礼を頂戴したことをご紹介しました。
対談の内容を含むフリーペーパーは後日、北陸地方で配布されるはずです。対談の数日後、ネットで新聞を読んでいて、え"......。
最下段ではありますが、YAHOO! JAPANニュースのトップページにその対談が出ているではありませんか!!
クリックして開いたページが右の写真。((c)Yahoo Japan Corp)参加者の中に金沢経済新聞社の記者の方がいらっしゃったのですが、その方が書かれたのですね。
本でも音楽でも、制作者の手を放れたら、その後は作品が一人歩きします。
掲載後1ヶ月くらいはそれなりにアクセスがあったのですが、もうさすがにニュース性は薄れてきたよう、最近、アクセスランキングの圏外に消えてしまいました。
まぁ、そんなものなんでしょうね。さて、関係者へメールも送らず──皆様、明日の午前中に送信します──しっかり休んですっかり元気になった西村センセイ、明日から本格的に仕事を再開したいと思っています。
■8月10日(日) そこまでやるの?! 生協のリサイクル弁当箱(ツアー最終日)
9日間のツアーもようやく最終日。新潟大学での学会を終えて、無事に自宅へ戻りました。
学会は土日の開催だったし、そもそも大学は夏休みなので、学会参加者は生協が運営する学食を利用することができません。そこで今回は、生協が作ったお弁当を利用することになりました。
初日午前中の発表が終わると、昼食の案内がありました。「リサイクルのために黒いフィルムを...」などと、少々奇妙なことをアナウンスしています。
何のことだろうと思いながら昼食会場に行くと、整理ボックスのようなプラスチック製の大型容器にお弁当が入っています。
ごく普通のお弁当です。お茶と一緒に受け取って、食べてみても、やっぱり普通の幕の内弁当。(当たり前だけど)
質問にお越しになった方がいらっしゃったので、センセイは他の方よりちょっと遅れてお弁当を食べ始めたのですが、突然、「バキバキッ!!」という音が。
何かを壊しているんだろうかと思ったら、今度は室内のあちこちで同じ音がし始めました。音を出している人の動作をよく見ると、あれ、まぁ。
発泡スチロール製の白いお弁当箱をきれいにリサイクルするため、食材の汚れが移らないように、表面に黒いフィルムが張ってあるのです!!
回収する時にそのフィルムを剥がすのですね。他にも例があるのかもしれませんが、センセイは初めて見ました。
でも、自分でやってみると、これがとてもたいへん。
どうしても残飯類が出るので、それをまず捨て、食材でベトベトしたフィルムを何とかして剥がします。
どうしてもあちこちに汁気が飛び散ったりして、回収コーナーはなんだか凄いことになっています。確かに最後は白いスチロールが残るのだけど、これだって洗浄しなければ使えないだろうし、手間暇、コストを考えると、本当に省エネ、省資源になっているんだろうか。
専門家の話によると、生ゴミは水分を多く含んでいるため燃えにくい──当たり前だ──ので、焼却場では、実は石油をかけて燃やしているそうな。
だから本当は、焼却時に熱を発生するプラスチック類を混ぜて燃焼させるのが良いのだとのこと。
かつて大騒ぎしたダイオキシン類の毒性も、実際には問題にならないくらい低いことがわかったんだそうです。資源や環境問題はもちろん大切なのですが、深く考えずに行動すると結果的に、資源やエネルギーを浪費し、不要なゴミを増やしているケースもあるようです。
あまりにも優等生的な弁当箱のリサイクルを見ていると、何となく胡散臭(うさんくさ)さを感じてしまうのですが......まぁ、センセイのヘソが曲がっているってことなんでしょうねぇ。