2008年6月28日更新(2008年7月6日ページ移動。2012年9月20日一部写真削除)
■6月28日(土) 66歳の誕生日 ──JR信越本線柿崎駅にて──
信越本線の、ほとんど誰もいない駅ホームで乗り換え列車を待っていたら、駅舎の柱に掲げられたプレートが目に入りました。
ふと気づくと「昭和17年6月」と記されています。ちょうど66年前のことになります。
駅舎が建設され、財産として登録された年月日なのでしょう。そもそも、時代は第二次世界大戦(太平洋戦争)のまっただ中。
戦争開始前に建設が始まって、日本が向かうところ敵なしと言われていた頃に完成したことになります。建物は太い鉄骨を多数立派なもの。
日本はこの直後から連戦連敗──ただし国民には正しく伝えられなかった──を続け、外国との交易を断たれた日本は鉄や石油などの資源が不足していくことになります。
不要品はもちろん、お寺の釣り鐘や煙草を包んでいた銀紙まで「供出」させられた時代。今でこそ利用客の少ないこの駅ですが、当時は地域の中心としての役割を果たしていたはず。当然、ここから出征した兵士もたくさんいたことでしょう。
プレートそのものはもちろん最近のものですが、何だか2/3世紀も前の時代にスリップしてしまったような、そんな感覚を覚えました。
■6月27日(金) 昔と比べて、鳥が人間を恐れなくなっているような気がする...
アパートにビールを配達してもらうため、頑張っていつもより早めに帰宅したのですが、そんな日に限って「配達がおそくなります」という電話が入ります。
配達をお願いしているお店もいよいよビールを値上げするそうで、駆け込み需要が増えているようなのです。ビールが届いた頃には、周囲はすっかり真っ暗。
急がないともう総菜がなくなってしまう時間です。田舎のスーパーは閉店が早いのです。
それに今なら、まだ値引きされたお刺身が残っているかもしれないし。自転車を走らせると、道路脇の田圃に、鴨が3羽いることに気づきました。センセイがすぐそばを通り過ぎても知らんぷり。
前から気になっていたのですが、子どもの頃と比べて、最近の鳥類は人間をあまり恐れなくなってきたんじゃないかと思うのです。
気のせいかもしれませんが。自転車をUターンさせ、デジカメを構えるとさすがにちょっと退きます。でもその後は、ご覧のように泰然自若(たいぜんじじゃく)としています。
その気になれば鴨ネギだな。
......と思ったのですが、向こうに「ストレス→ビール+お刺身+甘いもの=フォアグラだな」──実際、体重が1kg増えた──と見破られているような気がして、すごすごとその場を去った西村センセイなのでした。
この勝負、センセイの判定負け。
■6月26日(木) 「言葉(と金)は天下のまわりもの」 ──対談で言い残したことの意味──
お昼をちょっと過ぎてから、玄関受付のお嬢さんから内線電話が入りました。
佐川急便が紀伊国屋の本を届けるのは正午頃だし、何よりお嬢さんの声がちょっと戸惑っているので、普段とちょっと違うことが起きています。
届いたのは、ご覧の観葉植物。
ずいぶん背が高くて、窓際に置くようなものではありません。母親と違って花のことは詳しくないけど、これって相当高いんだろうなぁー。
奇妙な縁から先日、花屋さんで対談する機会に恵まれました。
事前に人を介して謝礼の打診があったのですが、こちらは勉強のつもりだったので、「ノーギャラで」とお答えしました。
でも先方としてはそうもいかなかったらしく、いわば花屋さんの「現物支給」。(Nさん、深謝、深謝)対談は2時間位で、その後も関係者と残ってしばらくいろいろお話させていただきました。
西村センセイ、今回の対談は直後からいろいろ反省点があります。
その一つが、相手や聴衆の話をちゃんと聴いていなかったのではないか、ということ。実はこの問題、対談とは無関係に、以前から気になっていたことなのです。
学者を含めて、年老いた人に良くありがちなことなのですが、西村センセイ、聞いているふりだけして、ホントは他人の話を全然聴いていないんじゃないだろうか。だから今回はわざとシナリオを書かず、可能な限りまっさらな気持ちで対談に臨みました。
でもやはり収録現場に入ると「あれも、これも」という欲張りな気持ちが先走ってしまいます。偉そうなことを言っていても、先日の学生さんとあまり違わないのでしょうね。もう一つ気づいたことがあります。
何か言い残しているのです。ある種の違和感、それも自分自身に対しての違和感です。対談を終えてからその思いが強くなります。
お客様を前にして何度も何度も考えたはずの事柄を語っていると、ふとその中に、「あれっ?」という異物が存在していることに気づくのです。
わかったつもりだったのに、実は案外わかっていなかったことが存在し、そしてそれが「違和感」として存在を主張しているのです。何だろう、どうしてなんだろう、と考え始めた途端、今まで見落としていた新しい領域に足を踏み入れていることに気づき、忘れかけていた知的な快感を思い出します。
対談の席でお話ししたことの一つに、先日ちょっとご紹介した「時間的存在」があります。
先祖や先輩からもらって、そして子供や次の世代に何かを伝えていくその結節点としての自分。どんどん変わっていくし、掴み所はあまりないけど、でもどことなく、そして割とはっきり存在している自分。
そんな「自分」のことを柔らかく、そして肯定的に考えることができるようになれば、ちゃんと他人の話も聴くことができるし、「自分探し」の果てに自分を失うこともないだろうし。考えてみると、そんな「柔らかい自分」と言葉って、対応しているんじゃないかと思うのです。
「金は天下のまわりもの」と言いますよね。
もちろん杜撰(ずさん)な経営は論外ですが、この社会、みんなが支え合っているが故に動いているので、その通貨あるいは血液であるお金がそれなりに動いている間は何とかなります。
つまりお金の本性は、「動いている」ということなのです。それならば、言葉も「(何かに影響されて)動いて(どこかに影響を与えて)いる」ってことが本性なのではないかと思えてきます。
前の世代からもらって自分で考え、必ずしもちゃんと消化できないかもしれないけど、それでも次の世代にキャッチボールのように投げ与えるという形で自分の責務を果たす。(「投げ返す」なら前の世代に対してですからね。)
う〜ん、(酔っぱらいながら)そう考えてみると、いろいろ反省点はあるけど、先日の対談はそれなりだったってことかなぁ、と思えてきました。
これぞ「酒飲みの自己弁護」(“In vino, est veritas.”)かもしれませんが。
■6月25日(水) 大学の近くに「チャーシュー亭」がオープンし(てい)たのだけれど...
二日続けて食べ物ネタです。悪しからず。試験の採点に追われているので、行動範囲が限られているのです。
いろいろ気を使う仕事を片づけて、ここはとにかく昼食を取ることにします。ずっと学食が続いているのですが、今日は天気も崩れなかったので、久しぶりに外へ。
目当てもなく、ひとまずコンビニへ向かう途中、橋の向こうに「チャーシュー亭」という看板があることに気づきました。
いつからあるのだろう......。中華料理屋かなと思って近づいてみたのが右の写真。左の、以前からある美容室の奥に図書館が見えています。
近づいて掲示を読もうとすると......店が暗くて良くわからないのですが、確かに店員が奥からこちらをじっと見ています。
お昼だというのに、人出が少なく、何だか微妙な雰囲気。掲示によるとどうもチャーシュー丼など、ご飯ものだけのお店のようです(結局入らなかったので、確かなことはわからない)。
大学の周囲にはこのような飲食店が数軒あります。
このお店、あまり経費をかけずにオープンした──それはそれでよくわかる──ようですが、実は大学生、あまりお金も時間も持っていないので、中途半端なお店だと、その後はかなり厳しいのではないかと.....。
もうすぐ夏休みだから、学生は一斉にいなくなっちゃうし。
■6月24日(火) これが、その「そばよし」の焼きそば ──新潟県では、焼きそばがちょっとしたブーム!!
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新潟では今、地域の情報誌で特集されるなど、焼きそばがちょっとしたブームになっています。
特に有名なのがセンセイが住む柏崎市の「そばよし」。
柏崎市民で知らない人はいませんし、全県的にもよく知られたお店です。西村センセイ、ここで前の大学の学生諸君に出くわした(!!)こともあります。後述する先代のお店から数えると、もう35年前くらい前から通い続けているセンセイ。
雑誌の記事に刺激されて思わずそばよしへ。右の写真は届いたばかりのものを撮影したので、まだ湯気が立っています。(写真中央部)
そばよしへは時々来ているけど、焼きそばを食べるのは本当に久しぶりでう。ゆっくりと味わって食べると、本当においしいなぁーと思います。忙しすぎて、しばらく忘れていた味です。
ちなみに、これでもずいぶんなボリュームで、100円増しの大盛りを頼むと、食べきれない量のものが出てきます。さてこのお店、以前もご紹介したことがあるのですが、新潟県中越沖地震で被災した焔魔堂の裏にあるラーメン屋さん(現在は別な名前)が出発点。
センセイと高校時代同級だった蓮池薫氏も来るお店です。普通のラーメン類はこの「そばよし」の方が美味しいのですが、こと焼きそばに関しては前のお店もいい勝負です。たぶん鍋を振る奥さんの腕がいいんだと思います。
実際、その雑誌でも匿名──関係者にはバレバレ──でこのお店が紹介されていました。美味しいものを、美味しく食べられるって、ホントに倖せ。
これって、(センセイも忘れかけていたけど)とても大切なことだと思うのです。
■6月23日(月) 柏崎市では、被災者向け市営住宅の建設が始まっています
この週末は短時間しか自宅にいなかったのですが、いろいろな所用が重なっていたので、久しぶりに柏崎市の市街地を車で行ったり来たりしました。
駅前にある郵便局を出ると、工事の音がすることに気づきました。もちろん地震以来市内は、いつもどこかで工事をしているのですが。
郵便局やその前の道路からは見えなかったので、ちょっと歩いてみると、おぉ!!
地震で全壊した材木屋の跡地で、ご覧のように工事が進んでいます。やっと思い出したのですが、地震で自宅が被災したものの、いろいろな事情で自宅再建を断念した方のために、市営住宅を建設することになったのです。
ここは駅前ですし、向かいにはスーパー(イトーヨーカドー)もあるので、車がなくても生活するには便利な場所なのです。
確か建設戸数の1.5倍くらいの申込があったはず。
例えば旧市街地に住んでいて、昔は大所帯だった家庭が、子供達の独立に伴って老夫婦だけとなり......などというケースが多いんだと思います。(我が家だって実家は同じようなものだ。)もうすぐ被災から1年。
地域最大のイベント「えんま市」も終わり、お盆が来て、年内には市営住宅への入居も始まるでしょうから、多くの人がそれぞれの立場で一つの区切りをつけることになるんだろうなぁーと思います。
■6月22日(日) 完成後の金沢駅地下広場に初めて入ってみました
いつもなら日曜の午後に金沢へ移動するのですが、今日は朝のうちに自宅を出発しました。午後から金沢市内で対談取材が入っているのです。
移動時は間抜けな格好をしているのでひとまず金沢のアパートに戻って着替え、1時間前に下車したばかりの金沢駅へ。
駅地下から出発している石川鉄道浅野川線に乗って取材先へ向かうのです。バスを降り、下りのエスカレーターに乗っていると、意外にもギターの音と歌声が聞こえてきました。
ナシテ?!地下に降りると、おぉ、何という広さだ!!
地上部は毎週利用しているのですが、最後に地下に降りたのは数年前。
考えてみると当時、地下広場はまだ工事中だったので、工事完了後に訪れたのは初めて。新宿駅を思わせる明るく広い地下の中央部に、写真の小さなステージがセットされています。
「金沢アコースティックギター倶楽部」のライブが開催されていました。センセイは毎週仕事に来ている──要するに出稼ぎ──ので、基本的に週末は金沢に存在しません。だから、白状すると兼六園に入ったことも、近江町市場を覗いたこともありません。
でも、これってやっぱり、ちょっと反省すべきだろうなぁー。せっかく金沢にいるんだし。