2008年9月20日更新(2008年9月28日ページ移動。2012年9月20日一部写真削除)
■9月20日(土) デカい。重い。そして、繋がらない!? ──カラー・レーザー・プリンタが届きました──
最初の印象は、デカい。そして重い。
もちろん自宅に届いたカラー・レーザー・プリンタのことです。
センセイは大学の研究室でほぼ同等の機種を使っている──ただし給紙に関しては絶不調──ので知ってはいたのですが......自宅で改めて見ると、とにかく大きい。センセイが選んだのはエプソンの“LP-S5000”という機種。
自宅でDTPをやらなくなっているので、本当はA4サイズでもいいかなと思ったのですが、需要がないので製品は極めて限定されています。当然、専用の消耗品も高くなると思います。
しかも中小企業やSOHOなどのプリンタをカラーに置き換えさせようという今回のキャンペーンの対象製品ではないので、小型機を買っても、結局は大型機と同じくらいの値段になってしまうため、このマシンにしました。届いた二つの箱──本体と、感熱体およびトナー類──が大きいのは仕方ないとして、二階の書斎へ持ち上げようとして.....無理。
事前に重量を確かめていたのですが、想定していた以上に重い。しかもセンセイは背の高いオーディオ・ラックの上にプリンタを設置しているので.....持ち上げることができない!!
家人に手伝ってもらい、やっとで設置しました。感熱体やトナーをセットしてからパソコンと接続し、いざセットアップ。
エプソン製品を選んだのには理由があります。
センセイは三つのOS(旧Mac OS/新Mac OS/Windows)を使い分けていますが、エプソンは伝統的に(旧)Mac OSにもずっと対応しているのです。まずWindowsノート機をUSBで直結し、ソフトをインストールしたのですが......繋がらない!!
新Mac OS(Mac OS 10.4.11)で直結すると、ちゃんと正常に動作します。どうなっているのでしょう。センセイが買ったプリンタはネットワークにも対応しているので、Windowsについてそちらで対応するとして、次にネットワーク上のMac OS 10.4ソフトをインストール。
こちらは問題なく対応しています。勢いに乗って、ネットを利用したWindowsに挑戦してみると、スンナリと成功。さて肝心の旧Mac OS。
付属のCD-ROMにはWindowsおよび新Mac OS用のドライバソフトしか入っていないので、旧Mac OS用ドライバはエプソンのサイトからダウンロードするように指示されているのですが......ダウンロードしてもまったく解凍できない。
明らかにおかしい。結局この日、正常に動くことを確認できたのはMac OS X(直結およびネット)およびWindows(ネット)だけで、Mac OS 9およびWindows(直結:ただし被害は軽微)では動作しません。
つまり3勝2敗。
打率なら“.600”という信じられない好数値ですが、仕事で「6割」と言われたら、そりゃぁ怒りますよ。特に、もし仮に旧Mac OSが使えないとなると致命傷。
買い換えの意味がほとんどなくなってしまいます。さてこの続き、一体どうなる!?
■9月19日(金) 自宅の大型レーザー・プリンタを、カラーに更新することにしました
この夏休み、娘が課題で天体観測をするというので、自宅で星座早見をプリントアウトしたら、「トナーがなくなります」との表示。さて、どうしよう......。
センセイは15年くらい前からMacintoshコンピュータを使っているのですが、ユーザーになってすぐにコンピューターでの印刷(DeskTop Publishing:DTP)の真似事のようなことを始めました。
作っていたのは入試関係の仕事や大学案内など。変わったところでは、PageMakerで入学手続きに使う横長の4連入金票なんかも作ってました。その関係で、13年前から自宅でもA3まで出力できる大型のレーザープリンタを使ってきました。
印刷の原版を制作する時は、一つ大きい紙に業界用語で「トンボ」という裁断の目印を入れ、そのまま印刷、製本してからその目印の通りにきれいに裁断するのです。
だからホントは「A3ノビ」(A3より一回り大きい)まで使えるOKIの業務用マシンが欲しかったのですが、べらぼうな値段。
そこで個人でも手が届くエプソン製のマシン(LP-8200)にしました。これまでまったく故障もせず、いろいろな仕事や私用に活躍してきたのですが、さすがにもうお年。
純正品のトナーを頼んでも、もう製造していないために再生品(?)が送られてきます。それにその後、Mac OSもバージョンアップしたし、Windowsマシンも使うようになったのですが、昔はプリンタが滅茶苦茶高かったので、古いMac用のインターフェースしか装備していません。
残念ながらWindows、Mac OS X、そしてPDFファイルを出力することができないのです。どうしようかと思っていた昨年夏、同じエプソンの「夏得(なっとく)! エプソン買い換えキャンペーン」(リンクは今年度版)を知りました。
同社製の大型モノクロプリンタに限って無料で引き取り、最新のカラープリンタを、定価のほぼ半額──センセイの場合は45%OFF──で販売するというもの。
主に、中小企業やSOHO向けに、モノクロ・レーザーをカラーで置き換えようというキャンペーンなんですね。ボーナスが入ったら、この機会にセンセイも......と思っていたのですが、残念ながら去年は、中越沖地震があったため、この話は吹っ飛んでしまいました。
エプソン、今年はどうするんだろうと思っていたら、何と引き取り対象機種を他社製(ただし制限あり)にまで拡大して、この夏も実施するとのこと。というわけで金沢に来る前に、背の高いオーディオラックの上に乗っていた重いプリンタをやっとで降ろし、玄関に運んでおきました(引き取りと納品は玄関先なのです)。
この週末、自宅に戻ると新しい大型カラーレーザープリンタが届いているはずなのですが......さて。
続きは明晩。(たぶん)
■9月18日(木) ここまで来れば、もう大丈夫なんだけどなぁ... ──金沢工大の「強さ」の秘密──
「大学生は全然勉強しない」、と世の中では言われますが、少なくとも金沢工大は違います。
もうちょっと正確に言うと、勉強しないと生きていけない......。
午前中の講義を終え、学食で急いで昼食をと思って研究室を出ると、階段下の狭いスペースで学生諸君が勉強していました。
たぶん1年生。議論しながらの共同作業というより、お互いに教えあって数学か物理の課題に取り組んで(あるいはテスト対策の勉強?)いるようです。
その場の緊張感のなさから、親密さの度合いがわかります。金沢工大は全国から学生が集まっているので、入学した当初、まわりは知らない人ばかり。
どうやって勉強に取り組んでいいのかもわかりません。それでも5月の連休明けには何とか、そして夏休み明けにはこのように、お互いに助け合って勉強できるようになります。
写真の彼らの成績がどうかはわかりませんが、経験上、ここまでくればもう大丈夫だと断言できます。フィンランドの教育の良さが話題になることがありますが、成功した理由の一つに、この共同学習による学びあい、教えあいだと言われています。
難しいことを抜きにしても、金沢工大の学生諸君は、自分たちでしっかりと成長し(/させ)あっているんですね。きっとこんな所にも、金沢工大の「強さ」の秘密の一つがあるんでしょうね。
■9月17日(水) あの洪水の中を、どうやって生き延びたのだろう... ──高橋川で大きな鯉を見かけました──
月曜がお休みだったので、今日、金沢工大は水曜日なのに月曜日の授業を行いました。週に何回か講義があると、特に月曜が不足気味になる曜日の数を揃える必要があるのです。
もちろん以前から周知されていたことなのですが、それでも忘れている人が多くて、今朝は教室の前で迷子になっている学生さんを何人か見かけました。
水曜日のつもりで教室へ来ると、知らない先生が講義をしているわけですからね。センセイは月曜日に4時間も講義があるので、午前中の分を終えると、とにかく急いでお昼を食べる必要があります。
今までこういう時は何も考えずにカフェテリア形式の学食(セレス)で日替わり定食を頼んでいたのですが、どうも新学期になってから日替わりは廃止されたらしい。
しかたないのでコンビニへ向かうべく、大学の脇を流れる高橋川を渡っていると......あ"。
体長50cmくらいの大きな魚がゆっくりと泳いでいるのです。鯉でしょう。7月末、金沢は局地的な豪雨に襲われました。
この高橋川の隣の隣、浅野川流域では、観光地が溢れた泥流に襲われるなど、大きな被害がでました。
高橋川流域では、一部の道路が冠水した程度だったのですが、それでも当日はものすごい濁流が流れていたそうです(センセイは新潟から金沢へ移動中だったので、現場は見ていない)。大雨を体験した方はご理解いただけると思いますが、豪雨の時の河川は、いつもとは全く違う顔を見せます。何十cmもある石がゴロゴロ転がっているのですから。
この川には結構魚が住んでいて、豪雨の後に小さな魚が復活したのは知っていたのですが、こんなに大きな鯉の無事を確かめたのは初めてです。
それにしてもこの鯉、あの洪水の中をどうやって生きていたのでしょう。
淡水魚だから海に逃げたなんてことはあり得ないし。
■9月16日(火) 1970年代は遠くなりにけり ──ピンク・フロイドのリック・ライト氏死去──
ロックグループ「ピンク・フロイド」(EMIによる公式サイト)の元キーボード担当、リチャード・ライト氏──リック・ライトと呼ばれていた──が15日、65歳の若さで亡くなったと報道されています。((c)朝日新聞社)
ピンク・フロイドは、EL&PやYES、キングクリムゾンなどとともに「プログレシブ・ロック」と呼ばれ、登場したばかりのシンセサイザーやメロトロン(テープレコーダーの塊)、ボコーダーなどを駆使して、それまでにない神秘的な音楽を実現していました。
グループは1970年代前半にピークを迎え、「原子心母(しんぼ)」、「おせっかい」、そして最も有名なアルバム「狂気」と、ヒット作を発表します。センセイは彼らより少し若いので、当時はまだ中学生〜高校生。
田舎だったこともあって、リアルタイムでアルバムを聴いたのはその次の「炎」になります。同じようにディープ・パープルはリッチー・ブラックモアが在籍した最後の「紫の炎」、レッド・ツェッペリンは「フィジカル・グラフィティ」や「プレゼンス」、EL&Pは「四部作」という具合。
同年齢の中にはパープルの大阪公演に駆けつけた人もいたのですが。でもひとたび聴き始めるようになると、彼らの世界にのめり込んでしまいます。
レコードはその頃、とても高価だったので、元カノと分担して購入(!!)し、カセットテープに落として、本当に擦り切れるまで聴いていました。
当時の「音楽は世界を変えることができる(かもしれない)」というあの熱い感覚、今の若い人たちにはうまく説明できそうにありません。
ピンク・フロイドは、日本の四人囃子と並んで、その後もずっと聴き続けることになります。
リック・ライトは目立つ存在ではなかったのですが、しかし彼なしにピンク・フロイドが成立しなかったことも事実です。すべての生き物──センセイもそして貴方/貴女を含めて──がそうであるように、ピークを越えたグループはその後ゴタゴタが続き、やがてその役割を終えて消滅していきます。
新潟の自宅に置いてあるので、ここではご紹介できませんが、アルバム「おせっかい」の内ジャケットには、メンバー4人の生意気な、そして自信に溢れた顔がアップで並んでいます。
正面を見すえたメンバー4人の顔が示しているのは、為すべきことを為した人は、音楽家でも教師でも母親でも、その次の世代の人たちの心の中でずっと生き続けるということなのです。なお、「1970年代は...」というのは「明治は遠くなりにけり」を踏まえています。若い学生さんの中にはホントに知らない人がいるかもしれないので、念のため。
■9月15日(月:休日) 高知で、もう一つ行くべき場所 ──次回はまず、アンパンマンミュージアム!!
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金曜日からのツアーを終えた西村センセイ、夕方に新潟の自宅へ戻りました。毎晩飲み続けだったので、さすがのセンセイもかなりお疲れ。
ビールを飲みながら──結局、今晩も飲んでいる!! ──今回のツアーを振り返ると、めったに行くことのない高知、返す返すも惜しいことをしたと思っています。
高知といえばもちろん坂本龍馬。
でもセンセイにとっては「アンパンマン」の原作者やなせたかしさんの出身地──正確には高知市からちょっと離れた香北町(現在、香美市)──でもあるのです。
センセイは娘の子育ての過程でアンパンマンを知りました。
最初は単なる子ども向けのテレビマンガだと思っていたのですが、どうも様子が違う。いろいろ調べてみると、氏の経歴を含めて、奥深い作品であることを知りました。
現在香美市には市立「やなせたかし記念館」(アンパンマンミュージアム・詩とメルヘン絵本館)があります。時間があったらこの機会に、と思ったのですが、お伝えしているように今回は事前準備ができず、高知に着いてから調べてみると、桂浜よりもっとずっと遠い......。(高知市から車で約45分とのこと)
どうもこれから時々高知に来ることになりそうなので、桂浜より先に、アンパンマンミュージアムかな。札幌のTさん、たぶん来年には続報をご紹介できると思いますので、もう少々(?)お待ちを。
あ"、写真は今春の新高知駅開業にあわせて四国キョスクが開店した、高知駅ビル内の売店「アンパンマンテラス高知」です。
アンパンマンって、JR四国が「アンパンマン列車」(岡山駅でも見ることができる)や「アンパンマンバス」を走らせるなど、四国ではとても身近な存在なんですよ。
■9月14日(日) 松山もやっぱり美味しい!! ──「じゃこ天」うどんを食べてみました──
昨晩のOB会はずいぶん盛り上がり、途中で場所を変えて、日付が変わるまで飲んでいました。
OBの皆さんはホントに良い方ばかり。もちろんセンセイが教えたのではなく、諸先輩が教育されたのですが、金沢工大の底力を感じさせられる、そんな会でした。
気がついたことがあって、最初に各種お刺身や鰹のタタキが出て、センセイはおいしく頂戴したのですが、OBの方の中には手をつけない方もいらっしゃいます。
事情を訊くと、ふだん、新鮮な魚を漁師から直接購入するので、魚を厳しく見極めるというのです。なるほど。センセイらが新潟でそれなりのお店に入って、もし白い「甘エビ」──小型の海老。「南蛮エビ」ともいう──を見たら自分から手をつけようとは思いません。
新鮮な甘エビは半透明なのです。それと似ているんでしょうね。とにかくやっとで起きてシャワーを浴び、愛媛県松山市への高速バスに乗り込みました。
接近している颱風の影響でしょうか、昨晩も急に雨が降ったのですが、今日も不安定な天気。
それでも松山に着くと晴れて暑くなってきました。センセイが松山駅に降り立つのは三度目。昨日の高知駅と違って、松山駅は昔のままです。
やっぱりこっちの方がいいなぁ。みどりの窓口もご覧のようにちょっとだけ昔風の造りになっています。
急いでお昼を食べる必要があります。
駅舎内のお店で、売れ行きNo.1の商品として「じゃこ天うどん」が紹介されていたので、それを頼みました。
「じゃこ天」というのは、シャコや小魚の内臓を取り除くなど処理して揚げたものだとのこと。
素材をそのまま使っているのでちょっとグレーっぽい色ですが、とてもおいしかったです。(うどんの方はイマイチだった。やっぱり讃岐にはかなわない。)
というわけで午後の保護者会を乗り切り、これからOB会に突入します。
果たして今晩は何時に開放してもらえるのだろうか......。