2009年8月8日更新(2009年8月16日ページ移動。2013年9月17日一部写真削除)

──2009年8月第2週のニュース──

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8月8日(土) やっぱり「外圧」がないと変わらない?!

 学会は2日目。今日の名古屋はよく晴れて、とにかく暑い。湿度が低めなのが唯一の救いです。

 今日はセンセイらの仕事に直接関連する内容だったので、そちらにずっと参加していたのですが、どうしようかなと思っていた午前の国際セッションにも出席しました。
 結果的にはこれが大正解。

 今回はアメリカとヨーロッパの学会代表がお越しになり、それぞれの状況を紹介して下さりました。

 実は日本の大学、特に工学部は、その教育が大きく変化しようとしています。

 その原因ないしは理由としてよく耳にするのは、「最近の学生は...」という嘆き節。確かに、一つ一つはその通り。
 でも西村センセイ、「ちょっと違うよなぁー。国内外ともに、起きつつあるのはもっと大きな地殻変動だよなぁー」と感じていたので、最近、いろいろ本を読んだり調べたりしていたのです。

 今日の講演内容はセンセイが期待――「予知」というべきか――していた通りの内容。
 専門的な話になりますので、ここでご紹介するのは避けます――興味あるいは必要のある方は直接ご連絡下さい――が、世界、特にヨーロッパがEU統合を契機として大きく変わっていることを実感しました。

 日本も大きな影響を受けることになると予測されますが、でもこれって要するに、外圧がないと変わらないってことかぁ?!



8月7日(金) これでもう、思い残すことはない... ――初めてJR太多(たいた)線に乗りました――

 ...といっても、そんなに危ない話ではありませんので、ご安心を。

 センセイは工学教育に関する大きな学会に出席するため、名古屋に来ています。

 センセイのホームグラウンドである北陸や新潟と、中京圏とを結ぶルートは何通りかあります。(航空路線は除く)
 金沢なら迷うことなく北陸本線、東海道本線経由の特急「しらさぎ」を利用しますが、これが富山だと、高山本線の特急「ひだ」が加わります。こちらも乗り換えなしで移動できます。

 新潟はちょっと微妙で、一番早いのはたぶん、上越新幹線+東海道新幹線という組み合わせ。しかもこれに中央本線+篠ノ井線他を走る特急「しなの」という選択肢が入ります。
 実際、センセイは学会最終日の午後、長野まで「しなの」に乗って新潟の自宅へ戻る予定です。新潟県の西部だと、この方が便利なのです。

 で、西村センセイ、高山本線、中央本線ともに何度も利用しているのですが、いつも残念だったのは二つの路線を結ぶ太多(たいた)線に乗れなかったこと。
 高山本線、中央本線どちらに乗っても、いつも、枝分かれしていくこの路線が心残りだったのです。

 幸い、今回は日程に余裕があるため、移動日を利用してこの区間に乗ってみることにしました。

 高山本線の美濃太田駅に着くとすでに3両編成のディーゼルカーが入線済で、先頭車両では若い運転手と指導役とが大きな声を出して行先表示板などの点検をしていました。
 程なく列車は出発。

 高山本線に別れを告げながら右に曲がり、雨続きで増水した飛騨川を越えます。

 目的地は木曽川沿いですから、大きな水系を越えることになるはずなのに、意外になだらかな丘陵が続きます。
 分水嶺も他よりほんのちょっと小高い丘で、「いよいよ峠を越えるぞぉー」というセンセイの意気込みは完全に空回り。

 利用客は地元の通勤通学客ばかりで、夏休みに入ってからやたら目立つ鉄道ファン――最近は老若男女問わず、という感じです――は皆無。
 あれよあれよという間に、終点の多治見
(たじみ)駅へ到着しました。約30分の短い旅。

 ロングシートの通勤電車に乗り換えたのですが、最初のローカル線独特の雰囲気が途中からどんどん変化して、あっという間に大都会のおしゃれな路線へ。
 ちょうど、青梅線から中央線に乗り入れた時のようで、田舎者のセンセイはかなり戸惑ってしまいます。

 でもまぁ、これでもう思い残すことはないな。

 (西村センセイ、中京圏ではまだ、武豊(たけとよ)線にも乗っていないのですが、どうやらこちらにはあまり未練がないようです。)



8月6日(木) 北関東で共通して感じるもの ──本庄駅前の自転車預かり所──

 もう1日だけ本庄のお話を。

 初日の晩の懇親会を終えて、ホテルに戻るべく駅前を歩いていると、突然タイムスリップしたような感覚に襲われました。駅のすぐ目の前、とても懐かしい感じのする木造の建物に出くわしたのです。
 最初はただ懐かしく、大きな家だなぁーと思って通り過ぎようとしたのですが......え"?!

 ご覧のように、家の中にはたくさんの自転車。

 よく見ると、写真の中央から左側は土間になっていて、自転車やバイクが駐輪されています。
 右側はというと、手前は舗装された空きスペースになっていて、その奥は生活スペースになっているようです。
 改めて看板(左上)を確かめると、割と最近塗りつぶされたらしい。

 たぶんこのお店、もともとは自転車店。

 通勤通学客が自転車に頼っていた時代、自転車を販売するだけでなく、お客が電車に乗り換える時に自転車を預かっていたんでしょうね。

 駅前に公共の駐輪場が整備された現在ではあまり目にしなくなりましたが、昭和30年代から40年代はあちこちで目にした光景です。
 センセイも高校へ通学する時は、自転車店に預かってもらっていました。

 西村センセイ、本庄で降りたのは初めてです。

 もっと大きな街だと思っていたのですが、実際は必ずしもそうではないようです。駅を離れるとすぐに空き地があったりしますし、道路はまだかなり未整備。
 もちろん碁盤目状の立派な道路もあるのですが、昔の農道跡の、人がすれ違うのも困難なほどの通路があちこちに残っていたりします。

 北関東で共通して感じるのですが、江戸時代に多くが天領だったということもあってか、良くも悪くもその地域を貫く原理原則──例えば城下町だとか──が薄い場所が多いように感じます。

 唯一共通のものがあるとすれば、越後からの風が上越国境を越えて吹き下ろす「上州のからっ風」──ただし本庄は埼玉県。上州はほぼ現在の群馬県に相当──という感じ。
 群馬県に隣接するここ本庄も、周囲に遮るものが何もありませんから、きっと、からっ風はすごいんでしょうね。

 江戸時代の本庄は大きな宿場町。明治時代になると養蚕などで栄えたようですが、その後はやや停滞気味。だからこそ本庄国際リサーチパーク推進機構に期待が集まるのでしょう。

 駅前の自転車屋さんは、本庄の、そんな歴史を集約しているように思えるのです。 



8月5日(水) 門前町を持たない学舎(まなびや) ──学会発表を無事に終えました──

 西村センセイは学会発表を終えて移動中。ただし今日は、次の目的地までではなく、途中で宿泊します。

 発表はこのウェブサイトの利用に関するものだったのですが、「プレゼンは(内容と準備と)気合いだぁー」というわけで、時間配分を含めて何とか無事に終了することができました。
 発表をずっと聴いていて感じたのですが、プレゼンテーションは若い大学教員が一番上手──ただし個人差がある──で、年輩の大学教員や高校の先生はまだ不慣れ、という印象です。

 さて、会場(手前の大きな建物)の「早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター」について、 昨日お伝えした内容を訂正しなければなりません。
 これは早稲田大学本庄高等学院ではなくて、「本庄国際リサーチパーク推進機構」という、産学連携および地域活性化のための財団組織の建物でした。

 事前の案内からてっきり、早稲田大学の一部──ただし後述のように早稲田大学の大学院が入っている──だろうと思ったのです。

 もともとここには付属高等学院があったため、「早稲田の森」と呼ばれていたそうです。
 財団設立の過程(1995年)で、「早稲田大学本庄キャンパスを含む地区が『早稲田リサーチパーク』と位置づけられ」、まだ設立後には早稲田大学独立大学院の国際情報通信研究科と環境・エネルギー研究科が開設されています。
 ゴチャゴチャしましたが、要するにここは県や近隣自治体、早稲田大学、関係する企業の複合体なのです。

 ところで、昨日は学会を手伝ってくれている方を除くと、大学院生を含む学生の姿を全く見ませんでした。
 今日は数人の院生を見たのですが、金沢工大で大学院も教えているセンセイとしては、う〜ん、ちょっと微妙。
 正直なところ、あれっ? という感じ。

 その理由をいろいろ考えたのですが、一つにはこのキャンパスのせいがあるのではないでしょうか。新幹線の駅があって、直線距離にしてわずか200mのところに建物があるのですが、存在するのはそれだけ。
 本屋や飲み屋はもちろん、コンビニも存在しません。住宅もありません。どこからか学生がやってきて、乱暴に自転車を止め、建物に入ってきます。

 一つひとつを見ると、さほど問題はないのかもしれませんが、もし仮に、これが彼ら彼女らの心の中の様子に対応しているとしたら......。

 金沢工大の近辺でもお店がどんどん替わりますが、むき出しの土だらけ──ここは昔、グラウンドだったらしい──の埃っぽい場所に立っていると、金沢工大のキャンパスを懐かしく感じてしまうのです。



8月4日(火) 埼玉県の「早稲田」で、学会に参加しています

 お伝えしたように、センセイは今日、明日と埼玉県本庄市の早稲田大学本庄高等学院で開かれている物理教育の学会に参加しています。

 上越・長野新幹線を利用している方はご存知だと思いますが、2004年春、新幹線高崎駅と熊谷駅の間に「本庄早稲田」駅が開業しました。

 キャンパスはこの新幹線駅に隣接していて、新幹線ならとても便利――ただし停車する本数は少ない――のですが、実はこの場所、本庄市の市街地からはかなり離れています。
 周囲に宿泊施設がないので、センセイは本庄市内のホテルに宿泊。今朝は高等学院の生徒に交じって、スクールバスで通学(?)しました。

 初めて本庄早稲田駅付近を通ったのですが、ポツンと新幹線の駅があるだけで、コンビニを含めてお店は一切見当たりません。

 さて今日は、一般の講演に加えて、西尾成子(しげこ)日本大学名誉教授の特別講演がありました。
 先生とは長くお付き合いさせていただいているので、講演の前にご挨拶させていただきました。

 キャンパスや本庄の様子など、ご紹介したいことはたくさんあるのですが、明日の発表準備があるので、今日はこれくらいで。

 センセイの夏のツアーはまだまだ続きます。



8月3日(月) しばらくの間、富山、石川のおいしいお魚を食べられそうにない... ――西村センセイは旅の空――

 昨日の日曜日はいつものように電車で金沢へ移動しました。

 柏崎駅裏のスーパーで惣菜を買おうと思ったのですが、たまたま、あまり適当なものがない......。
 アパートに戻るとスーパーは閉まっている時刻だし、昨日は局地的に大雨が降っていた――結果的には、晴れ間に帰宅することができた――ので、そもそも外へ出たくない。

 どうしようかと思ったのですが、乗り換えの時間を利用して富山駅で途中下車することにしました。
 駅構内に写真の魚屋さんがあることを思い出したのです。

 いつもならセンセイは回数券を使っていて、これは一切途中下車ができないのですが、たまたま昨日は「北陸おでかけパス」で乗車していたのです。
 これなら、区間内のどこででも乗り降りできます。

 どうしてそこまでお魚にこだわったかというと、センセイは昨晩を最後に、今日からちょうど3週間にわたって北陸地方を離れ、地場物のお魚を食べることができないからです。

 出張が三つあって、その間にお盆休みが入入ります。もちろんこの間、大学には戻りません。
 アパートのガス栓を確認し、荷物をまとめて金沢駅へ。現在、明日からの学会に出席するため、本庄市に滞在しています。

 「はくたか」と新幹線を乗り継いだのですが、新幹線は本庄市街地から少し離れたところを走っているため、高崎駅で在来線に乗り換えました。

 でも(調べてないけど)たぶん今日も「快速 マリンブルー くじらなみ」号が運行されていると思うので、ちょっと早めに出発して特急「北越」に乗れば、柿崎駅ないしは柏崎駅で「くじらなみ号」に乗れるはず。
 そうすれば風景が美しい上越国境を在来線で走ることができたし、乗り換えなしで本庄まで来ることができたんですね。

 惜しいことをしました。



8月2日(日) 新潟市にある中国式庭園「天寿園」を、初めて訪れてみました

 昨日の日中、センセイが柏崎市にいなかったのは、所用で新潟市へ行っていたからです。

 理由の一つは「天寿園」という中国式庭園を初めて訪問すること。正確には、その中にあるホールへ出かけていたのです。

 細部まで記憶しているわけではありませんが、天寿園は、センセイの前任校への赴任(1991年)前後に、市街地南部──その後建設された「ビッグスワン」スタジアムなどの近く──に、日中友好の証として民間が開いたもののはず。

 右の写真はそのごく一部ですが、石材から何からすべて中国から輸入した本格的な庭園です。
 ただし、庭に興味を持つ人は必ずしも多くはなかったようで、オープン後は経営面の問題が続き、結局、現在は新潟市の施設となっています。

 天寿園の中国式庭園は一見するに値します。
 庭園の入場は無料ですから、新潟にお越しになる機会があったらぜひ一度ご覧になって下さい。

 で、その「天寿園」の中に、高い天井──これはホールの必須要素──の楕円形ホールがあります。
 ちょっと「中国式」というのは無理な感じの建物ですが、このホールで昨日、前の大学での教え子のコンサートがあったのです。

 彼女のお父様は、実は、ある大学の先生。

 そしてこれは本当に偶然なのですが、センセイはまったく別な仕事の関係で、そのお父様と何度か一緒に仕事をさせていただいたことがあります。

 お嬢さんとは、卒業後も、そしてセンセイが前任校を離れてからも時々彼女と顔を会わせて、その際に簡単に近況を知らせあう程度。

 でも、ある時に知ったのですが、彼女は重い病気をして、やっと完治したのだそうです。
 知らなかった。

 その彼女、精神面でもすっかり立ち直ったようで、現在はプロのサックス奏者と福祉施設を訪問して演奏するボランティア活動を続けているのだそうです。
 その集大成(?)というわけで今回のコンサートを企画したのだそうな。

 開始時刻が迫るにつれ、お客さんがどんどん入ってきて、最後は補助椅子を出すほどの大盛況となりました。

 肝心なのはもちろん演奏ですが、音楽大学の出身ではないのに、たいしたものです。演目はクラシックから、ポピュラー、日本の歌曲の後は歌謡曲。
 そして、アンコールは何と、演歌メドレー!!

 岡山や山形からもお客さんがお越しになっていて、とても良い雰囲気。
 成功を陰で支えていたのは、卒業生の両親+おばあちゃんだったことに間違いありません。裏方としての彼+彼女らのいろんな仕事に、関係者の愛情を感じる、そんなコンサートでした。

 あ、そうそう。参加することができなかった「仮設住宅お別れ会」の「大物芸能人のゲスト」は、報道によると大桃美代子さんだったそうです。

 彼女の出身地である魚沼市が新潟県中越地震で被災したこともあって、大桃さんはその後、二つの地震からの復興のために、ずいぶん尽力していらっしゃるのです。

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