2009年7月25日更新(2009年8月2日ページ移動。2013年9月17日写真削除)
■7月25日(土) 約10年ぶりの文部科学省は、高層ビルになっていた!!
西村センセイ、今日は都内へご出張。
新幹線に乗る時も、降りてからも、周囲にはすっかりお休みモードの大人とリュックを背負った子供たちが目立ちます。世の中は夏休みなんですね(東京駅でなぜか修学旅行も1組見たけど)。
今日の出張先は文部科学省。といっても、よくテレビに映る手前の建物ではなく、後ろのビルです。
すぐ近くに金沢工大の東京虎ノ門キャンパスがあって、平均すると2ヶ月に1回くらいの割合で来ていると思います。
でも、ほんのちょっと離れているだけなのに、文部科学省(当時は文部省)には、たぶん10年以上来ていないはず。もともとここには文部省の、ちょっと古ぼけたホールがあって、各大学への説明会などに使われていました。
ホールの入口左側にはレストラン(?)があって、記憶に間違いがなければ20年くらい前、昨年末に亡くなられた師匠らの会合を終えてから、昼間なのに師匠のおごりでここでビールを飲んだ覚えがあります。のんびりした時代だったんですね。
しかし1995年3月のオウム真理教地下鉄サリン事件直後、このホールを使う頻度は激減しました。毒ガスによるテロを避けるためだったのでしょう。
会合の日時だけ決まっていて、後日、他の区にある会場を指示されたこともあります。というわけでセンセイにとっては本当に久しぶりの文部省だったのですが、そのホールがない......。
ご覧のように高層ビルに替わっていて、もちろんそれはそれでわかるのですが、個人的には「やっぱり時代は変わっているんだなぁー」と感じてしまうのです。
■7月24日(金) ビル建設の要領は、虫歯の治療と共通?! ──西村センセイ、認識が甘かった──
結果的に2日続けてビルの話題になってしまいましたが、悪しからず。
センセイと(現役)学生諸君にとって初めての2学期制最初の「前学期」も終盤に入っています。
センセイらの科目の場合、先週は合同特別講演があり、今週はまとめのテスト。しかもクラスによっては試験実施の都合上、臨時に教室を変更しているので、お互い何だかリズムを崩し気味。その臨時の試験会場へ向かう途中、ちょっと気になることを確かめるために、新厚生棟の建設現場を確かめてみました。
1ヶ月前のセンセイの予想だと、掘削工事をほぼ終えて基礎工事に入り、いよいよ地上に建物が少しずつ......というはずだったのですが、工事用フェンスの向こう側、さっぱりそんな気配が感じられなかったのです。写真は隣のビルの5階から撮影(前回は4階から撮影)したものですが、1ヶ月前の予想に反して、掘削工事がさらに深く進んでいます。
道路を挟んだ向かいにある、パン屋さんの入っているビル(正面奥の白いビル)と比較すると、もう、地下2階に相当する深さです。伝え聞くところによると建物は地下1階ですが、地下は機械室などが入るだけ。
センセイの無知を曝すことになりますが、きっと地下の部分って、いろいろな意味で地上とは違った役割があって、しかもそれにふさわしい構造になっているんでしょうね。センセイの自宅や実家の近くには、世界最大の柏崎刈羽原子力発電所があります。
もっとも、発電所は2年前の新潟県中越沖地震で大きな被害を受け、ほとんどの原子炉と発電機は停止したままですが。発電したからには、300kmも離れた(!!)消費地、首都圏に電力を送電しなければなりませんから、実家近くを含めてこの地域には50万V送電線とそれを支える高い鉄塔があります。
実家近くでその鉄塔の一つを建設していたのですが、これが本当に長い時間──年単位──をかけていました。工事の際、所有する敷地を横切る形になるため、ずっとそれにつきあっていたセンセイの母親によると、実は鉄塔の工事、鉄塔を組み始めるまでの基礎工事の方が大切で、地下では、地上の鉄塔に匹敵するくらいの深さ──「高さ」ですね──の構造物を造っているんだそうです。
背の低い建設物はともかく、橋梁だとかそれなりの高さのビルの建設だとか、きっと同じなんでしょうね。そう考えてみると、虫歯が進行して部分的な治療だけでは対処できなくなり、神経を抜いてそこを丹念に消毒し、詰め物をしてから......という虫歯の治療と同じなんだということに気づきました。
いずれも土台が肝心、というわけです。
■7月23日(木) 学校には、暗闇も必要なのです。 ──授業時間が1時間増えて考えたこと──
昨日、今日と、金沢は曇りの天気が続いているものの、ご覧のように雨はほとんど降っていません。激しい雨のために外出できず、しばらく通った学食は若者向けのメニューばかりなので、今日のお昼はコンビニへ。
天気予報はこの先もずっと同じような傾向で、梅雨明けはいったいいつになるんでしょう?キャンパスに戻ると、ふと、校舎の脇に暗闇があることに気づきました。現在は看板類の置き場として使っているようです。
15年くらい前のこと、ある受験生を多く集めていた新設校を訪問したことがあります。
明るくて立派な校舎だったのですが、案内してくださった偉い方──その後、長くお付き合いさせていただくことになる──がポツリと、「実は失敗したんですよね」。何のことだろうと思ったのですが、校舎は外光を積極的に取り入れる構造になっており、隅から隅まで明るい。
室内が明るすぎて、しかもどこにも暗がりがないので、学生の逃げ場がないんだそうです。人間を育てる時は──そして、そもそも人間って──彼ら彼女らの弱さを認めて受け入れてくれる、一種の暗闇も必要なんですね。
来月、金沢工大から特別に許可をもらって前任校で科学の歴史を教えることになっています。
事務的なやりとりの中で気づいたのですが、去年までは90分の講義が14回だったのに、今年は15回に増えていました。こちらは雇われの身ですから、先方の指示通りに授業をします──学生諸君にお伝えしたいネタはいくらでもある──が、でも、授業時間を増やしさえすれば勉強するってものでもないでしょう。
学校って、暗闇も必要なんですよね。
■7月22日(水) 「未来少年コナン」の原作本を入手しました
朝イチの会議を終えて、葉書を投函するために校舎の外へ出ると......何か変。理由ははっきりしないのですが、何かが起きています。
突然、近くの自動車整備工場の工員2人が、建物から「ぽーん」と──ホントに──飛び出してきました。話している内容はわからないのですが、空の、何もない所を見上げています。
ふと気づくと、あちこちで人々が固まって右手で目を覆いながら空を......。忘れていたのですが、日食(天文学的には「蝕」)が始まったのです。今日の金沢は曇っていたのですが、それでも時々、雲の向こうに欠けた太陽をしっかりと見ることができました。
午前11時頃に蝕は最大に。太陽の半分以上が欠けたために周囲はずいぶん暗くなってしまい、まるで夕方のよう。
ここでやっと気づいたのですが、日食の最中はとても静かなのです。もちろん人間の活動は変わりませんが、あれだけうるさかった鳥や蝉の鳴き声がパタッと聞こえなくなっているのです。
最初にセンセイが感じた違和感はこれだったのですね。「もっと感覚が鋭かったら...」という無理な繋がりでご紹介するのは、岩崎書店が出版しているアレグザンダー・ケイ(Alexander Hill Key:1904-1979)著『残された人びと』(The Incredible Tide)という本。
ご存じの方も多いと思いますが、宮崎駿の初監督のもと、日本アニメーションが制作し、NHKが放送した「未来少年コナン」の原作本です。センセイはたまたま、1978年4月の初放送(初回)をリアルタイムで観ていたのですが、あまり面白いと思わなかったようで、白状すると途中でテレビの前から離れてしまいました。
それから約10年後、センセイは東京都内に住んでいて、テレビ東京の再放送でコナンに再び出くわすことになります。
10年前にはわからなかった監督その他スタッフの技量に圧倒され、現在は唯一のアニメとして全巻をDVDで所有しています。原作にはとても興味があったのですが、ずっと絶版になっており、今回やっと手に入れた、という次第です。
多くの方はまだお読みではないでしょうから、種明かしの類はしませんが、宮崎版アニメ、基本的な骨格や登場人物については、予想以上に原作を忠実になぞっていました。ただし原作が1960年代の東西冷戦──若い人にはわかるかなぁ──を直接強く反映しているのに対して、アニメは一歩引いて特定の人や国を指し示さないようになっています。
ロシア人を想起させる人名も変更されています。意外だったのはブライアック・ラオ(原作では「ブライアック・ロー」)博士で、原作ではアニメ版よりずっと、残された人類全体のことを考えています。
ただし見方を変えれば、アニメ版ではその役目をそれぞれの登場人物が分担している、とも解釈できますが。またアニメ版ではラオ博士とヒロインのラナだけがテレパシーを使えることになっていますが、原作では、そもそも人間はみなテレパシーを使えるのだが、ほとんどの人はそれを忘れてしまっているのだ、ということになっています。
ピーターパンと同じ考え方ですね。敵方のモンスリー(原作では「マンスキー」)ですら、最後はテレパシーを使って人類の危機を乗り切ります。「種明かしはしない」と言ったはずが、ずいぶん長くなってしまいました。
宮崎監督がこの原作をどのように解釈し、どのように膨らませたのか。
その後の宮崎作品におけるほとんどすべての要素がアニメ版「コナン」で表現されていますから、少しでも興味を持たれた方はぜひ、まず原作をお読みいただいた上で、アニメ版をご覧いただければと思います。コナンのあの怪力の秘密も、原作の中で解き明かされていますよ。
■7月21日(火) ビックカメラ、新潟へ進出!! ──新潟駅南口の整備がほぼ完了していました──
もう1日だけ新潟出張のお話を。
前任校時代、新潟駅はセンセイのホームグラウンドでした。電車で通勤する時にここで乗り換えただけでなく、学外の人々との仕事も、多くはこの近辺で行われたのです。
まぁ、情報交換のための飲み会が一番の仕事(?)だったのですが。金沢に移ってからは、乗り換えのために新潟駅を利用することはあっても、その周囲へ出かける機会は減りました。
それでも新潟駅の正面玄関となる万代口(ばんだいぐち:北口)はまだ見る機会があったのですが、写真の南口はずっとご無沙汰。南口はもともとほとんど何もない場所だった──というか何もない場所に現在の新潟駅が移転し、万代口だけが利用された──のですが、最初は新潟市も出資して右端その他のビルを含めて開発。
それが経営に行き詰まったために何度か再開発されるという、いわば因縁つきの場所です。それもようやく決着がついたらしく、数年前から最後の整備工事が行われていることは知っていました。
南側の連絡橋から見てみると、写真中央部分がやっとタクシー乗り場や一般客の駐車場、そして自転車置き場などにきちんと整理されています。注目していただきたいのは写真中央のビックカメラ(店内にソフマップもある)。
昔はただの連絡橋だったのですが、そこを上下左右方向に拡大する格好で店舗が新規進出しています。オープンしたばかりなのでたくさんのお客で混雑していました。写真には写っていませんが、左側には10年くらい前、駅構内にヨドバシカメラが進出しています。両店を比べた西村センセイは、お客さんの入っていないヨドバシカメラで小型のマウスを購入しました。
ポイントカードの記録によると、数年間、利用していなかったそうな。でも実はこの人出、駅近辺だけの現象です。
19日は駅前のホテルに泊まったのですが、駅を少し離れると閑散としています。昔ならもっと広がりのある人出だったのですが、それが「点」やその集合体になってしまっています。
こうなると、地域の活力が落ちると思うんだけどなぁー。
■7月20日(月:休日) 今年の夏も走ります。「快速 マリンブルー くじらなみ」号!!
今日の午後、いつも通りに各駅停車に乗って金沢へ移動すべく柏崎駅へ歩いていると、信越本線の踏切から、遮断機の警告音が聞こえてきました。
......この時刻にここを通過する列車はないはず。貨物列車かな──実は乗客を乗せた電車より、北海道と関西を結ぶ「特急」貨物列車の方が多い──と思って踏切で待っていると、予想外に旧国鉄色の特急車両が、目の前を長岡方面から直江津方向に向かってかなりの速度で通り抜けていきました。
でも、センセイとしては次の瞬間、「あぁ、そういうことなのね」という感じ。行き先の表示幕は「回送」になっていましたがこの列車、実は、夏休みに関東圏と柏崎地方を結んでいる臨時海水浴列車「快速 マリンブルー くじらなみ」号なのです。
センセイも一度だけ利用したことがあります。実は昨日、研究会に出席するために柏崎駅で電車を待っていて、この「くじらなみ号」に出くわしました。
北陸地方はまだ梅雨明けしておらず、また昨日は大荒れの天気──昨日の研究会ではずぶ濡れになった──だったためか、柏崎駅に停車した時点での乗客は数%。
しかも下車した人は海水浴客ではなく、帰省する学生や鉄道マニア。「関東の人のための日本海側での海水浴列車」には、少し解説が必要かもしれません。
当たり前ですが、関東北部や長野県北部は海に面していません。
そこで埼玉以北、特に群馬県の方は最寄りの柏崎地域の、長野県北部の人々は直江津付近の海岸で海水浴をすることが多いのです。もちろん現在では車を利用する人の方が多いのですが、それでもこの海水浴列車の利用客も結構いらっしゃいます。
そのための電車なんですね。そうそう、冒頭部分の「そういうことなのね」も補足が必要でしょう。
この「くじらなみ号」、早朝に関東を出発して10時過ぎに柏崎駅から柿崎駅までの各駅に停車し、駅前の海水浴場にお客さんを運びます。
終点の柿崎駅──表示幕に明記されている──には、行き違いの設備はあるものの、6両編成の列車を留置する余裕はありません。
その先の直江津に留め置くのかなと思ったのですが、実は長岡の車両基地まで戻るのですね。
センセイが踏切で見たのは、関東圏への帰路、柿崎駅を出発するために再度回送している列車だったのです。列車の運用がわかれば、もうこちらのもの。
柏崎駅を出発して、隣の、映画「頭文字D」が撮影された鯨波海水浴場に面した鯨波駅のホームには、予想通り、くじらなみ号の到着を待っている家族連れがたくさんいらっしゃいます。
今日のくじらなみ号はきっと、本来の海水浴へ出かける家族連れも多く利用したんでしょうね昨日ほどではないものの、まだ風は強く、波も高くて海水は濁ったまま。
でも、そういう自然のダイナミックなリズムとは無関係に、要するに人間の都合で世の中は夏休みなのです。
新潟県内はまだですが、全国的には多くの小中学校が夏休みに入ったので、世の中すっかり夏休みモード。
しかも三連休ということもあって、街を歩く人の表情も、高速道路の車の走り具合もずいぶん違います。(なお、潟県内の小中学校はまだ夏休みに入っていません。)右の写真は富山県に入ったばかりの「越中宮崎」駅の東にあるキャンプ場。
もう連休終わりの、しかも夜が迫っていたのでテントを張っていたお客さんは少なかったのですが、この三連休はきっと、カラフルなテントでにぎわったんだろうなぁーと思います。でも、全国的にはまだ梅雨が明けておらず、来週、下手をすると再来週まで雨が続くかもしれないので、みんなどこかに、ちぐはぐな部分を残したまま。
センセイはというと、人より早くお休みをもらい、昨日からはお仕事なので、リズムはもうグチャグチャ。お返事をお待ちの皆様、もう少々お待ちを......。
■7月19日(日) 新潟市で物理教育の研究会に参加しています
世の中は3連休の中日ですが、センセイは今日、明日と仕事。新潟市内で開かれた物理教育の研究会に参加しています。参加者の多くは新潟県内の県立高校の物理担当の先生方。
今日のメインは、写真の、新潟大学の先生による星の誕生に関する講演。
この分野では1980年代以降、観測機器の進歩に伴って研究が劇的に進歩しているんだそうです。
部分的にならセンセイも聞いたことがある内容もありましたが、今日は最新の知見を惜し気もなく教えていただきました。
ご覧のように、お客さんは身を乗り出して聴いています。担当されたN先生に感謝、感謝。講演そのものも意義深かったのですが、続く質疑応答やその後の懇親会はお世辞抜きで真剣そのもの。
生々しく、そしてクリエイティブなやり取りだったのですが、残念ながらとてもここでは書けません。
敢えて雰囲気をご紹介するなら、「え"、現場って今、そんな状況なんですかぁー」という感じ。要するに異業種交流会なのですが、センセイはこれが大好きです。
(センセイを含めて)多くは自分の殻に閉じこもってしまいがちなのですが、それに「待った」をかける行為だからです。後で考えると懇親会を過ぎても今日のうちに自宅に戻ることができたのですが、満足感を味わうために(?)、今日は予定通り新潟のホテルに宿泊することにします。