2009年11月21日更新(2009年11月29日ページ移動。2013年9月17日写真削除)

──2009年11月第3週のニュース──

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11月21日(土) (自分が)変わろうと意識したその瞬間、世界の方が勝手に(!!)変わるような気がする 

 週末なので新潟の自宅へ戻りました。ただし、いったん京都へ出かけてそれから戻るという、かなりアブノーマルかつ非効率な経路でです。

 しかも日付が変わらないうちに最終列車で戻りたかったので、通常の京都発湖西線・北陸本線経由ではなく、少しだけ遅く出発できる米原乗り換え東海道新幹線・北陸本線経由。
 これも、ホントにぎりぎりで間に合ったのですが。

 京都での目的地は同志社大学。写真の研究室棟での、ある学会の運営会議です。
 もっとも、センセイはその学会の役員ではないので、事務方としての陪席なのですが。

 いろいろな議論があったのですが、その中で学会のある企画に新しい提案者を、という話になりました。
 この場面で、関西の某大学理事長兼学長のH氏から、「西村さんがいいよ。傘の上で何か回していたし...」とのご発言。

 ......え"!?

 西村センセイ、受講生以外の人前で傘を回した──傘を用いたのは事実ですが、その上で何かを回したことはありません。念のため──のは2000年の浜松での研修会の1回限り。
 おぉ、今やこの業界で有名人の理事長兼学長は、あの時、あの研修会に参加していらしゃったんですね。

 その頃の西村センセイはいろいろあって、それまでのしらがみに一区切りをつけて新しいことに挑戦しようと思っていました。「傘の上」とか私大連の研修会だとか。

 極めて興味深いことに、荒削りでやや暴走気味の行為であったにもかかわらず、何人もの方が興味関心を示してくださりました。本当にありがたいことです。
 多くの場合、現在までその関係は現在まで続いています。(とか言いながら、関係者の皆様、不義理を重ねております。申し訳ございません。)

 ところでこのケース。よく考えてみるとセンセイが○○した「から」、△△が...ではないんじゃないかな、と思えるのです。

 ちょっとわかりにくいので言い替えると、センセイが何か原因を単純に作って、その展開や結果としてドミノ倒しのように何かが起きたのではないんじゃないかな、ということです。
 う〜ん、これでもまだわかりにくい。

 この問題に関心のある方は、漠然とながらすでに何か意識していて、不明確ながらも自分なりの「解答」を先取していたんだと思います。
 センセイのややお間抜けなパフォーマンスは、それを意識化させるための「きっかけ」に過ぎなかったのではないでしょうか。(関係者の皆様、失礼な表現で申し訳ありません。)

 でもこれって、よぉーく考えるとユンクの「シンクロニシティ」の概念だし、西欧式の因果律に抵触するし。

 ......う〜ん。



11月20日(金) 初体験 ──JR東日本の窓口で、立派なタオルをもらってしまった... ──

 仕事は全然捗(はかど)っていないけど、体調はかなり良くなってきたので、西村センセイは割と元気。こうなるとあちこち余計なものに関心が向いたりします。

 その一つ。ちょっと「鉄分」不足かなぁーと思うようになったので、最近は休みを使ってできるだけ外へ出るようにしています。本当は仕事に精を出すべきなのに。(関係者の皆様、ごめんなさい。)

 先日、ちょっと込み入った乗車券――センセイにしてみればたいしたことはないんだけど――を求めるために地元柏崎駅へ向かいました。
 列の最後尾に並んで、かなり待ってからセンセイの番になったのですが、ひとまず後ろの初老の男性に順番を譲りました。彼はただの乗車変更で、センセイの分で時間がかかるのは明白だったからです。

 複雑な切符を求めようとした時の駅員の反応は明らかに2つに分かれます。
 「うぉっしゃー。作るぞぉー」というタイプと、見るからに頭が真っ白になって「困った。どうすればー...」というパターン。これまでの経験からすると、6:4くらいの割合で前者が多い。

 今回は初めての方。どうなるのかなぁーと恐る恐る路線図を出した段階で、すでにパニック状態......。

 柏崎駅の窓口は二つあって、その時間はお客さんが少ないので一つだけしか使用していないのですが、見るに見かねて顔見知りの別の駅員がもう一つの窓口を開いてくれました。
 センセイの窓口には、こちらも顔見知りの駅員が助っ人に。

 新人とベテランの二人がかりで何とか発券してもらったのですが、係員の方の腰の低いこと。
 必ずしも彼の責任ではないのに。

 十数枚の乗車券類を確認した後で、なぜかJR東日本の「粗品」つまりタオルをもらってしまいました。
 たぶん初めての経験です。

 シャワーを備えているJR寝台特急のA寝台に乗ると、バスタオルや石鹸、シャンプー類の入ったキットをもらえます。
 でもそのタオルは安物で、1晩使ったらもう最後、という感じ。

 今回のタオルはずいぶんしっかりしているので、金沢のお風呂用に使おうと思っています。最近のタオルは、市販品も安物ばかりで困っていたのです。

 う〜ん、それにしても駅員の適切なバックアップ対応を考えると、要するにセンセイは、柏崎駅の「ブラックリスト」に載っているんでしょうね。



11月19日(木) 金沢駅前での剪定作業は、やはり「雪吊り」のためのものでした

 昨日乗った金沢行きの特急列車は、最初は順調だったものの、富山県内に入ってからスピードを下げ、少しずつ遅れるようになりました。先行する各駅停車が遅れていたのです。
 もちろんその電車も、前の列車が......ということなのでしょうが。

 黒部駅でその各駅停車を追い越した「北越」は、それまでの遅れを取り戻すべく快走したのですが、残念ながら数分遅れて金沢に到着。駅前のバス停へ急ぎます。
 もうすぐ都合の良いバスが発車してしまうのと、「宿題」を片づけたかったのです。

 バスターミナルに着くと、まだバスは入っていません。その間に撮影したのが右の写真。
 先日お伝えした金沢駅(写真奥)前の剪定作業は、ご覧のように「雪吊り」のためだったのですね。

 日本海側特有の重い雪から木々を守るために、竹の心棒を立てて頂点から円錐状に縄を垂らします。
 兼六園──入ったことはないけれど──など、この地方で用いられている方法です。

 実用性優先の新潟県民からすると、「何でここまで美にこだわるの」という疑問すら感じてしまいます。

 それでも金沢って、とにかく表玄関の美しさにはこだわるんですよね。職人さんの心意気にもそれがよく表れています。

 雪が降って枝に積もると、絵になるんだろうなぁー。



11月18日(水) 自宅の前がバスの営業所だと、便利なこともある

 夜中の3時頃、激しい雨の音に起こされました。

 センセイの自宅は高気密、高断熱設計なので、結果的に遮音性能にも優れていて、外の騒音はかなり軽減されます。それでも気になるほどの雨だったのです。

 困ったな......。今朝は自宅から金沢の大学へ電車で遠距離出勤(?)することになっています。

 明るくなる頃には雨のピークを越えたのですが、それでも2km弱離れた柏崎駅まで歩くのは辛い。
 雨に弱い靴や鞄がずぶ濡れになってしまうのは確実です。

 そこで写真の、駅行きのバスを利用することにしました。自宅の前にバス会社の営業所(奥の建物)があって、便数こそ少ないものの、駅行きのバスが出ているのです。
 バス停で時刻を調べてみると、おぉ、どんぴしゃり。まるでセンセイのためような発車時刻のバスがありました。
 かなり強い雨の中、ちょっと待ってから写真のバスに乗り込んで、無事に駅に到着。

 センセイは男ばかりの3人兄弟なのですが、父親が、ちょっとご縁があった方からこの土地を購入したのです。誰か一人くらい使うだろうというわけです。
 結果的には実家に誰も残らず、この土地は長男のセンセイが使うことになったのです。

 実際に住んでからわかったことがいくつかあります。まず割と近くを信越本線が通っているのですが、重い貨物列車が通ると2階が揺れる!!(これは結構しんどい。)
 特急や各駅停車だと全然揺れないのです。重量がかなり違うんだと思います。

 もう一つ。何だかちょっとうるさい。

 だんだんわかってきたのですが、音の発信源はこのバス営業所でした。
 早朝から夜まで──ただし田舎なのであまり遅くまでではない──バスを運行するのですが、ディーゼル・エンジンは暖機が必要なので、たくさんのバスが集まるとかなりの音がするんですね。
 いくら遮音性能に優れているといっても、ディーゼル・エンジンのあの重低音は遮断できないのです。

 それでも雪が降ると路線バスの運行を確保するために未明から除雪してもらえるし、便数は多くないものの、駅と営業所の間にはバスが運行されています。
 100点満点なんてないわけですから、まぁこれもラッキーと考えるべきなのでしょう。都会住まいの人にしてみれば、夢のような生活なのですし。

 ところで、白状するとセンセイにはバス会社に関して心配事があります。昔と違って、高速バスを除くと、路線バスの利用客があまりに少ないのです。
 一人とか二人とか。多くても数人。

 この調子だとこれからの高齢化社会に向けて、交通弱者のためにどれだけ公共交通機関を確保できるのか、冗談抜きで心配になってしまいます。

 それを再確認できたのですから、センセイは今朝のバスに、そしてそれを強いた今朝の雨に、むしろ感謝すべきなのかもしれません。



11月17日(火) “In an autumn garden” ──久しぶりの昼間の我が家──

 先日、日曜日に大学の仕事で働いたその代休で、今日はホントに久しぶりに自宅に滞在しています。

 もっとも、ずっと原稿書きをしているので、その意味では金沢にいる時とあまり違わないのですが。(雑音に煩わされない分、気持ちはずいぶん楽ですけど。)

 318iの5年目の車検が月末に近づいているのと、新しく冬用タイヤを購入してその脱着もあったので、お昼頃、BMWのある長岡へ出かけました。

 車を出そうとしてふと、我が家の庭の木々の紅葉が進んでいることに気づきました。
 雨に濡れているものの、実物は写真よりももっと鮮やかです。

 柏崎は田舎ですから、センセイの自宅の敷地もかなり広く、大きめの庭が広がっています。

 センセイ個人は植物に弱く、あまり庭園の趣味もないのですが、13年前に自宅を新築した際、母親ががんばって庭園を造ったのです。
 枯山水だとか、灯籠だとか。(手入れはしてないけど。)

 センセイは基本的に、毎週末自宅に戻るのですが、家にたどり着くのはたいてい夜だし、翌日は疲れ果てて寝ていることが多いので、よく考えると自宅の庭を眺める機会は、意外と少ない。

 ちょっと頭を冷やして考えてみると、自宅と別宅──別な奥さんがいるわけではないけど──という二重生活って、やっぱりどこか無理があるんじゃないかな、と思えてしまいます。
 センセイの場合、実家の問題もあるし。

 そんな煩悩とは別に、木々の緑や、落葉樹本体を守るために紅葉して落葉していく葉は、もっとずっと長い目でこちらを見ています。まるでこちらの意図など見透かしているように。

 夜になってから、武満徹の「秋庭歌一具(“In an autumn garden”)」を聴きながら、庭をめぐっていろいろ考えていた今日の西村センセイなのでした。



11月16日(月) メルクマール ── 一面の田圃が新興住宅地に変わった、その瞬間──

 センセイは金沢で大学の近くにある耳鼻科に毎月通院しています。

 そこへの経路はいくつかあるのですが、車を利用する時などに一番大きな道を通ると、薬をもらって大学に戻る交差点で写真の建物に出くわします。
 この建物、小児科医院なのです。(写真では名前の部分を加工しています)

 でもご覧になってわかるように、そもそもかなり古い建物。しかもずっと手入れされていないようで、屋上のアンテナは朽ちています。
 実際の医院としても、そしてどうやら住居としても、もはや使われていないのではないでしょうか。

 道路に面した角の部分が入口なのですが、その前面をフェンスが覆っています。通常では考えにくい構造です。

 現在は近くにある銀行の駐車場として利用されている写真左手のスペースは、この医院の駐車場として使われていたのではないかと思います。
 建物の裏側(写真右奥)には、駐車場がないのです。

 おそらく30〜40年くらい前に、当時新興住宅地として発展しつつあったこの場所に、当時としては「モダン」な小児科医院が開業したんだと思います。

 団塊の世代の「ジュニア」が育ちつつあった時代、そして若い両親が金沢旧市街に見切りをつけて、この地を含むその外側の新興住宅地に夢の「マイホーム」を求めていた時代です。
 近隣から若いお母さんが我が子を車に乗せてこの医院に助けを求めている、その様子が目に浮かぶようです。

 そもそも、医院を開いたお医者さんも、広く考えればその中のお一人だったのでしょう。

 でも彼ら彼女らが60歳前後となり、このお医者さんも年齢か、あるいは他の事情で医院を急に閉めざるを得なくなった、というところでしょうか。

 この地は金沢に近く交通の便も良いので、畑や田圃をさらに住宅地に転用し、金沢のベッドタウンとして発展し続けています。新陳代謝によって若さを保ち続けている、というわけです。

 でもセンセイにはこの医院が、この地域の移り変わりのその基底にある節目を指し示しているように思えるのです。



11月15日(日) でも、昔風の「若者」は減ったような気がします ──大隈重信公の視線の先にあるもの──

 金沢に戻りました。

 夕方、東京駅から上越新幹線に乗ろうとして、電光掲示板に「強風のため酒田−秋田間で運転見合わせ」と表示されていることに気づきました。
 ちょっと意外だったのですが、そういえば東京も風が強かったなぁー。

 でもそれ以外の情報はなかったので、そのまま新幹線に乗り込むと車内でアナウンスがあって、日本海側は強風で電車が遅れているとのこと。
 新幹線から乗り継いだ特急「はくたか」は乗換駅の越後湯沢駅をほぼ定刻に出発したので「やれやれ」と思っていると、確かに海岸部は風が強くちょっと揺れます。
 やがて徐行、運転見合わせを繰り返すようになり、大幅に遅れながら、やっとのことで金沢に到着しました。

 さて写真は金曜日に大隈重信公の銅像前で撮影したもの。せっかく早稲田に来たんですからね。

 日本の学会はたいてい大学の施設を借用して開催されます。

 西村センセイ、学会に参加する時は、その大学の学生さん──学会を手伝ってくれる学生さんや一般の学生──の様子を見せてもらうようにしています。
 もっとも、基準となるセンセイ自身が歳を取っていくので、客観性をどこまで担保できるかは別ですが。

 センセイの印象としては、一般的には個性豊かな学生が減って、知的な奥行きを感じられない「幼い」学生が増えていると感じています。
 残念ながら母校の国際基督教大学(ICU)も例外ではありません。

 ただし例外もあって、数年前に国際会議で訪れた上智大学の学生さんは、かつてのICUの学生がそうであったように、表情豊かで知性が顔に溢れていました。

 数年前に何かの用で早稲田大学を訪問したことがあったのですが、その時はいかにも伝統校で、(良くも悪くも)かつての大学生の姿を残しているなぁーと思いました。
 学生さんの表情だけでなく、政治的な立て看板などに昔の時代の雰囲気を感じたのかもしれませんが。

 あれからたいした時間は経っていないはずなのに、今回は、え"?! という感じ。

 たまたまオバマ大統領の来日と重なったため、それに反対する学生さんのアジやビラ配りに遭遇したのですが、迫力はないし、着ているものはきちんとしているし......。
 すっかり「飼い慣らされた」という印象。

 センセイは別にオバマ大統領の来日や首脳会談に反対しろ、と言っているのではありません。
 いろいろな考え方があって、特に若い時は多少は無理してでも、何かに熱中する──それを「青い」という──くらいの方が、長い目で見たらむしろ望ましい、と言っているのです。

 でもビラ配りをしている学生諸君──もしかすると早稲田の学生じゃないかもしれないけど──を含めて、「自分の限界に挑戦する」という感じではない。
 とにかく皆、「同じ顔」をしたフツーの学生さん、という感じ。表情だけなら、金沢工大の学生諸君の方がもっと豊かです。

 センセイとしては、たとえ「早稲田」といえども、多くの学生諸君は知的な地盤沈下を起こしているんじゃないか、そして昨日お伝えした学生諸君は早稲田大学の中でも成績面でも意識の面でも上位に位置する例外的な存在なんじゃないか、と思えてしまうのです。

 よその大学の話ではあるのですが。

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