2010年8月13日更新(2010年8月22日ページ移動。2014年5月25日一部写真削除)

──2010年8月第2週のニュース──

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8月13日(金) 燈籠の夏 ――西村センセイ、働く――

 今日はお盆。センセイも午後から実家へ移動。

 今日は一番下の弟家族が来ることになっているので、まずはスーパーへ買出し。田舎のスーパーはものすごい混雑です。
 盆と正月だけで一年の半分を売り上げるのではないかというほど。

 センセイらは、あらかじめオードブル類を注文してあるので焦る必要はないのですが。

 スーパーと車を3往復し、9人分の食料を買い込んで帰宅。少し落ちついたら近くの一族の墓地へ。

 以前はこの地から上京した人々と、その子供たちがたくさん帰省したのですが、10年くらい前から帰省客が減っています。
 子供たちだけの世代になり、新しい家族を持つようになると、必ず帰省しなければいけない、ということではなくなるんですね。

 墓参を済ませ、蝋燭の火に先祖の霊を乗せて帰宅。今年は燈籠にも灯りをともしました。

 明日はお寺さんがやってきたり、親戚の相手をしたりする必要があります。また夕方にはすぐ下の弟家族が来ることになっています。

 というわけで、10代目ご当主(予定)様は、年老いた両親の世話を含めて、今日、明日と働かなくてはならないのです。



8月12日(木) トップが替わると組織は変わる。(かもしれない)

 西村センセイ、前任校での講義を終えて、颱風の雨風の中をやっとで柏崎の自宅へ辿り着きました。

 風でニュートンのりんごが落ちるんじゃないか──実際、過去には颱風でほぼ全滅したこともある──と心配したのですが、センセイが大学を離れる前に確認した時は、皆、しっかりと風に耐えていました。

 毎日4コマの講義は、さすがに疲れます。もちろん受講生諸君もでしょうが。でも真剣な眼差しの前での仕事でしたから、とても心地良い疲れ方です。

 センセイは毎年前任校を訪問しているのですが、去年と今年でずいぶん違うなぁーと感じることがありました。

 写真は以前、戸外(ピロティ〔吹き抜け〕)だったところ。それが洒落たラウンジスペースにに変身していました。
 テーブルや椅子は有名なデザイナーのもの。雰囲気が一変しました。

 こういう目に見えるものだけでなく、職員の動きなんかにも変化を感じます。

 いろいろ考えていたのですが、昨年着任された鈴木学長と何度かお話しさせていただく中で、変化の理由の一つが学長の交代ではないかと思うようになりました。(歴代の学長を批判しているわけではありませんので、念のため。)

 会社などの組織ではよく、「トップが替わると組織が変わる」と言われます。

 さて、この組織の場合、どうなんだろう。



8月11日(水) 新しい「名札」を付けていただきました ――敬和といえば、ニュートンのりんごの木!! ――

 前任校での集中講義も3日目。授業は明日の4コマ(90分×4時間)を残すだけです。

 敬和学園大学の門を通り抜けた学生諸君やお客様を迎えるのは、ご存知ニュートンのりんごの木

 1年ぶりのご対面ですが、この間にずいぶん背が伸びて、逞しくなっていることに驚かされます。
 この土地があっているんだろうなぁー、きっと。途中で辞めたセンセイ以上に。

 今年は当たり年なのか、青い大粒の実がずいぶん生(な)っていました。

 もっとも油断大敵で、赤く色づき始めた途端に、鳥たちが実を食べに来るのですが、センセイとしては、ま、それもいいかなぁーという感じ。
 今日初めて気づいたのですが、手前の看板が新しくなっていました。

 愛らしいイラスト入りで、この木がニュートンの生家に植えられていて、万有引力の発見に寄与したりんごの木の孫であることが記されています。
 実は今回の講義の中でこの木について触れました。

 以前だったら「へぇ、そうなんだぁ。知らなかったぁ」という反応が普通だったのですが、今年は問いを投げかけると即座に、「あそこ」。受講生がその場所を指差します。
 それほどこの看板は有効だったわけです。

 数日間この大学に滞在して、この他にもずいぶん変わったなぁーと感じる場面がありました。それについてはまた明日。



8月10日(火) こちらが本家本元「コモタウン」 ――西村センセイは新発田市に滞在中――

 というわけで西村センセイは、一昨日の夜から新潟県北部の新発田(しばた)市に滞在しています。

 集中講義なので本当は、講義の様子からご紹介すべきなのでしょうが、へそ曲がりのセンセイのことですから、まずは夜の部(?)の様子から。

 ただし「夜」といってもセンセイ、今回のような出張の場合は、どこか賑やかなところへ飲みに繰り出すようなことは絶対にせず、ホテルでスーパーで買った惣菜をつまみにしてビールを飲みながら、静かに仕事をしたり、このページを作成したりしています。
 今もあちこちへのメールでの連絡を終えたところ。

 ここで重要なのが、スーパーマーケットの選択です。安くておいしい惣菜があって、かつビール――センセイの場合は、全国的にはマイナーなサッポロ黒ラベル――が確保して......となると、実は意外と難しい。
 幸いにも今回は大学が借りてくれたホテルの近くにスーパー「ウオロク」を核とした「コモタウン」があります。そう、「コモタウン柏崎」の原点です。
 10年ちょっと前だったでしょうか、センセイがまだ前任校に在籍している時にに、一面の田圃だったところを埋め立てて、造られました。

 写真の建物の右側半分がほぼ「ウオロク」。目を左側に転ずると、ケーズデンキの看板が見えます。中央の建物の左半分を使っています。
 写真では分りませんが、その奥には「ムサシ」があります。要するに柏崎とメンバーは同じなのです。

 ただしケーズデンキが入っている場所は当初、地元資本の小売店がテナントとしてお店を構えていました。
 旧市街地ではもうやっていけないと考えた若手経営者が、一縷
(いちる)の望みをかけてコモタウン内にお店を構えたわけです。

 しかし大手量販店の前にはまったく勝負にならず、採算が取れず負債を抱えたテナントを整理して、そこにケーズデンキが進出したようです。
 詳細を確認しているわけではありませんので、もしかすると間違っているかもしれません。でも、仮にそうだとしても、相違は細部だけだと思います。

 今日で三晩目ですが、コモタウンはそれなりに混雑しており、すぐには駐車スペースを見つけられないほど。でも、特に品揃えないしは鮮度がよい、というわけではありません。また低価格というわけでもありません。
 白状すると、センセイはここの惣菜コーナーを一瞥してから、サッポロ黒ラベルビール――ここでしか売っていないから――だけを買って、別なお店でお刺身類を購入しているほど。
 ウオロクはもともと鮮魚店として出発したはずなのに。

 それでもお客が集まるのは別な理由。つまり地域の人にしてみれば、車で来ればこの近辺で必要なものは揃ってしまうことの方が重要なんですね。
 実際、コモタウン周辺には例えばジョーシンだとか洋服のアオキ、あるいはユニクロという具合に、思いつく業種のお店がほぼすべて揃っています。

 でもその裏で起きていることを想像すると、コモタウンに夢をかけた地元資本がたどったように、旧市街地は老人だけの街になっているんだろうと思います(今回は時間がないので行っていません)。
 また新発田に残されていた「ここにしかない」というお店も、圧倒的な力の資本の前に消え去りつつあるんだろうと思います。

 少なくとも、目の前で起きていること、目の前に存在することの背後で、「じゃぁ、何が起きているんだろう」ということを考えることが重要なんだよ、という意味のことを、西村センセイは今回の集中講義でお話しています。

 ......いつの間にか、講義内容のご紹介になってしまっていましたね。



8月9日(月) 日本海東北自動車道で村上市まで行ってみました

 お伝えしているようにセンセイは大学の特別な許可をもらって、前任校の敬和学園大学で集中講義をしています。熱心な学生さんに恵まれて、無事に初日のスタートを切ることができました。

 大学のある新発田には昨日移動しました。教材を運ぶ必要があるので車を使ったのですが、北陸自動車道を運転中、ふと、「このまま行ける所まで行ってみようか」と思いつきました。

 新潟市の新潟中央JCTを終点とする北陸自動車道は、そのまま日本海東北自動車道へ乗り入れています。途中の新発田ICまでは乗ったことはあるのですが、そこから先は最近延伸されたばかりで、まだ乗り入れたことがないのです。
 それにこの区間、高速道路無料化社会実験中。要するに無料なのです。

 日本海東北自動車道は基本的に片側一車線。無料だというのに利用客は予想したほど多くはありません。ところが新発田ICを過ぎると、いろんな車が乗り入れてきて、ずっと数珠繋ぎ状態。
 渋滞はもちろん、「混雑」というほどでもないのですが、いかにも高速道路を走りそうな車といっしょに、軽の営農車が走っている様子には驚かされます。

 NEXCO東日本(東日本高速道路株式会社)の情報で、この道路が荒川胎内ICまで開通していることは知っていたのですが、どうもその先が続いているらしい。
 写真の中条料金所(安全のため、道路外から撮影)を過ぎても道は続いています。

 どこまで行くんだろうと車を走らせると、ついに県最北部の村上市内へ。現在は「神林岩船港IC」が終点でした。
 料金所も何もない、ただのT字路なので写真は撮影していませんが、ここからなら、村上市の市街地はすぐそこです。

 どうなっているんだろうと後で調べてみると、この区間は高速道路会社ではなく、国と地方自治体が建設した「新直轄方式」なんですね。
 要するに完全に、国道7号線のバイパスです。

 新潟市民にとって県北の村上市は、石川県でいうと金沢と輪島ないしは珠洲のように、「遠い場所」という印象。
 そもそも新潟県は富山県が三つ入るくらいの広さ――というか長さ――を持っているのです。

 この区間は幹線国道の7号線が走っているにもかかわらず、整備が遅れ気味。そこにこの高速道路が、しかも無料でオープンしたというのですから、地域の方にとってこれはもう、利用するしかない。
 昔なら1時間以上かかった新発田―村上間を、約20分で走り抜けることができたのですから、待望の道路だったんだろうなぁーと実感します。

 でもその分、並行するもう1つの交通手段、JR羽越本線は利用客をどんどん奪われているはず。

 というわけで、近日中に羽越本線に乗って、ご無沙汰していたこの地域の様子もう一度を確かめてみようと思った西村センセイなのでした。



8月8日(日) 柏崎を離れる前に ──市内にオープンした「大阪王将」へ入ってみました──

 センセイは現在、自宅を離れて新発田市内に滞在しています。でも今日は、自宅のある柏崎市のお話。

 2ヶ月ちょっと前に、柏崎市市内の交通の便の良いところに「大阪王将」がオープンしました。入ってみようかなぁー、と思うのですが、いつ前を通っても広い駐車場は満車。
 他の所用との関係で、昼遅くに行ってみたら駐車スペースがあったので、この機会に入ってみました。

 「王将」といっても、関西(京都)に拠点を置き、全国各地で見ることができる「餃子の王将」とは別会社です。餃子の王将は金沢の片町バス停前などに店舗を展開しているのですが、新潟県内には進出していません。
 他方、「大阪王将」は県内にすでに数店舗を展開。

 白状すると西村センセイ、「餃子の王将」「大阪王将」ともに、一度も入ったことがないのですが、ここは意を決して(?)、店内へ。

 お客が多いので忙しい...と言うべきか、誰もホールを管理していないと言うべき状況だったので、誰もセンセイに気づいてくれません。
 通りかかった若い男性にお客であることを伝えると、ちょっと妙な間があってカウンターへ案内されました。

 お勧めを教えてもらおうとしたのですが、何だかコミュニケーションがうまく取れない。名札を一瞥すると、東南アジアから市内の大学へ留学している学生さんのアルバイトなんでしょうね。
 好人物でしたし、誠意のある方でしたので、念のため。

 本当なら餃子定食なんかを注文すべきなんでしょうが、センセイは牛肉同様、餃子をほとんど食べないので、ここは醤油ラーメンをお願いしました。
 改めて店内を見渡すと、まず店内に油が漂っています。(実はこちらもほとんど食べないんだけど)焼肉屋さんに入ったような感じ。

 ホール要員は先ほどの留学生と日本人の男女アルバイト――こちらも大学生?――が二人。
 忙しさのせいか、後者はお互いに殺気立っていて、男の子は先輩の女性に指示されるたびに、小声で「ムカツク...」などと口にしています。
 お客さんの前では決して見せてはいけない態度なんだけどなぁ。

 厨房内も混乱していて、メインの餃子とチャーハンの品数のやりくりで精一杯。

 センセイが座らされたのは対面式のカウンターなのですが、ラーメンを待っている間に何人かのお客が入れ替わり、残っているのセンセイと向かいの若い女性だけ。
 なぜ彼女が(たぶん)長時間居座っているかというと、彼女は携帯電話を見ながら、とてもゆっくりと餃子定食を食べているのです。

 相当長い食事時間らしく、彼女が深く「プハー」と息をすると、センセイは窒息しそうになるほど!!(実話)

 「もぉ、勘弁してよぉ」と、お金だけ払ってお店を出ようとした瞬間、厨房の長靴を履いた男性がラーメンを届けてくれました。やれやれ、と思って食べてみると、スープはコシがなくて、麺は悪い意味でザラザラ。
 センセイは何をしに来たんだろう、という感じ。

 でも改めて店内を見渡すと、比較的廉価でボリュームのあり、(たぶん)それなりにおいしい食事で盛り上がっています。ホール要員にしても厨房にしても、見方をちょっと変えると活力に溢れています。
 何だかかんだと東日本の基準で判断しようとしてはいけないんですね。

 自ら閉塞に走りがちなこの時代。異文化を飲んで咀嚼するこの関西パワーこそが、次の局面を切り開くんじゃないかな、と思います。

 西村センセイ、今度こそ餃子に挑戦してみようかな。

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