2012年5月5日更新(2012年5月13日ページ移動。2015年11月3日写真削除)

──2012年4月第5週〜5月第1週のニュース──

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5月5日(土:祝日) この冬の大雪で、今年の当地の田植えは分散して行われています

 連休後半の天気は当初の予想より悪化しているし、週末の電車は混みそうなので、電車の予定を変更して金沢へは明日、車で移動することにしました。
 もちろん高速道路も混雑しますが、センセイは経路の大半は一般道だし。

 お昼を食べに外出したついでに、ガソリンスタンドへ。ハイオクで152円/Lですから、価格は一時より下がっています。

 帰り道は国道ではなく、農道へ。ご覧のように田植えが本格化しているからです。
 写真中央奥にあるはずの米山山頂は、残念ながら雲の中。

 当地柏崎では先月26日に初めての田植えが行われました。これは例年とほぼ同じ。
 けれどその後はさっぱり。

 車を走らせながらよぉーく見ていると、ところどころでポツポツと苗が植えられているのです。
 でも例年のような、「地域一斉に、家族総出で...」という感じではありません。要するにバラバラ。

 原因はこの冬の大雪。柏崎は特に雪が多かったので農作業が遅れ気味です。
 しかも場所によって雪の降り方や融け方が違うので、例年以上に田植えのタイミングが分散してしまうのです。

 実はこの冬、金沢市近辺はあまり雪が降らなかったので、金沢でセンセイが借りているアパート近辺では、先月中旬に最初の田植えが行われました。
 信じられない!!

 それでもこのところの温かさで、やっと農作業も本格化という感じです。



5月4日(金:祝日) 「隙間」の存在理由 ──センセイが最寄り駅への新・最短コースで出くわしたもの──

 当地も今日は雨。特に朝晩はかなり荒れていました。だからこそ写真は晴れた日のものを(というわけではないのですが)。

 オープンを待つ新市民会館の周囲の公園が整備されたので、センセイの自宅から最寄りのJR柏崎駅までの最短コースは、この公園を突っ切るルートとなりました。
 西村センセイ、数年にわたる工事期間中はずいぶん遠回りしていたのです。

 先日、上京するために市民会館の脇を歩いていて......あれ?!

 新市民会館は基本的な工事を完了しており、建物内部には椅子やテーブルなどの備品が積み上げられています。外まわりは一部樹木の植樹や芝張りなどを残すだけ。

 ふーん、と通り過ぎようとした時、建物と地面との間に隙間があることに気づきました。
 写真の場所だけではありません。明らかに建物全集にわたって空隙があります。

 最初は工事がまだ終わっていないのかと思いましたが、すぐにそうではないことに気づきました。
 新市民会館は災害時の防災拠点も兼ねており、建物は免震構造になっています。

 地下に本当の基礎部分(?)があって、目に見えている建物は免震構造物を間に挟んで建っているんですね。
 万一地震に襲われたら写真の地面が揺れても、建物はあまり揺れないという仕組み。

 そのためにはこの「隙間」が必要なのです。

 もちろん月日が経てば隙間の入口には土砂が入り込んでしまい、何が何だかわからなくなることでしょう。でも、いざという時は、この隙間とその奥に存在する仕組みが本来の役目を果たすことになります。

 もちろん、何度も大きな地震を経験したセンセイとしては、そんな日が来ないことを願っていますが。



5月3日(木:祝日) 西村センセイ、東京駅であまりの人混みに圧倒される

 都内滞在3日目。

 今回の上京はそもそもが、この春都内の大学へ進学した娘がこの連休に帰省するだろうと思って新幹線のを手配したものの、「え、帰らなくちゃいけないのぉ」という一言であえなく吹っ飛んでしまい、それを有効利用(?)しようというもの。
 キャンセルしても良かったのですが、不足が判明した家具の手配などがあるので、センセイが代わりに上京することになったのです。

 センセイのことですから1ヶ月と7日前──つまり娘の入学式よりも前──にインターネットで予約したのですが、今日の分は取れたものの、東京へ戻る6日の分は満席!!
 だから自宅へ戻る今日は、ある程度覚悟して東京駅へ向かったのです。

 でも大雨の中たどりついた東京駅の東北・上越新幹線乗り換え口は、ご覧のような大混雑。

 センセイのことですからもちろん、ピークの時間帯は外して予約したのですが、改札口前は身動きが取れない......。
 お伝えしたようにセンセイ(+途中から家人)が都内に住んでいたのは25年くらい前のこと。

 二人とも新潟出身なので特別な事情がなければお盆や正月には帰省していました。
 でも当時はまだ若かったので混雑はそれほど気になりませんでした。

 その後は、師匠が亡くなった2005年のゴールデンウィーク2009年のお正月を除いて基本的に、繁忙期に上京することは避けています。
 もちろんその対応は適切だと思っていますが、その間にセンセイの体力も適応力も、確実に低下してしまいました。 

 う〜ん、これからは行動パターンの基本を老人モードに切り替える必要があるようです。

 娘も何とか、自分の足で歩み始めているようだし。



5月2日(水) 西村センセイ、25年ぶりにJR南武線に乗車する

 昨晩は渋谷の新潟料理店で関係者と旧交を温めてから国分寺のホテルへ宿泊。何だかんだといっても、やはり連休中なので終電近くの電車はそれほど混んではいません。
 良く考えてみると西村センセイ、連休中に都内に滞在するのは小金井市に夫婦で住んでいた時以来なのではないでしょうか。

 今日は先に荷物を送っておいた娘のアパートへ行って本棚その他を組み立て、パソコンをチェックするだけ。だからゆっくりと起床。

 たくさんの仕事のメールは見なかったことにして――というわけではないのだけど――ホテルを出発します。目的地は東京都西部の町田市。
 都心から、あるいはセンセイが存在する国分寺からだと、いくつかのルートがあります。

 東京の鉄道はそもそも、都心を中心とした放射状にJRや私鉄が走っていて、その間の交通の便はあまり良くありません。

 都心からだと町田まで、新宿から小田急で下る――これが普通――か、八王子まで下って横浜線に乗車、あるいは今回はその可能性はないものの、先日のように横浜ないしは新横浜から横浜線を逆に辿るというコース。
 でも今回は急ぐ旅ではないので、中央線で立川に出て、JR南武線に乗車し、登戸駅で小田急線に乗り換えることにしました。

 JR南武線、国際基督教大学(ICU)の大学院生だったセンセイが就職活動のため、沿線の保健所(?)に行くため乗車した時以来です。つまり25年ぶりの乗車。
 あの時は若かったセンセイもその間に、フツーの中年のオジサン(/老人)になってしまいました。

 乗換駅の立川駅は、地の利を生かしてずいぶん発展しています。

 かつては南側の端に黄色(?)の南武線が短い編成で止まっていたのですが、駅舎も、南武線のホームも、そして車両がすっかりきれいになっています。

 でも、いざ出発してみると中央線のお上品でちょっと緊張した感じとは違って、すぐにのんびりした風景に。
 中央線の武蔵境駅から、西武多摩川線に乗り換えた、そんな感じ。

 府中本町駅からは武蔵野線が合流し、しかも貨物列車が併走するので、センセイの20年以上前の記憶はやや混乱気味。
 途中は高架工事がかなり進んでいました。

 やっと登戸に着いたのですが、駅近辺の様子はずいぶん違っています。25年前は地上を歩いたように記憶しています。
 でも現在はJR―小田急間は濡れずに移動できるようになっていました。

 あと何年生きることができるかはわかりませんが、現在のセンセイはチャンスがあればできるだけあちことに行ってみたいと思っています。

 でもたぶん、若くて、まだほぼ無限に時間があると思っていたのでしょう。都内に住んでいた頃のセンセイは、残された時間の有限さをそれほど考えたことはありませんでした。
 だから九州中北部、中国地方西部、四国(牟岐線の一部区間を除く)、東北地方(の大部分)、そしてほぼ北海道(厚岸―根室間を除く)を完乗しているセンセイも、東京近辺は未乗区間がかなり残ったまま。

 でも、東京はでたらめに人が多いからなぁー。



5月1日(火) このところの陽気で、新潟では雪融けが急激に進んでいます

 センセイは現在、私用で東京都内に滞在しています。今日、明日と金沢工大は臨時休業なので、この機会を利用して上京したというわけです。

 ここ数日、全国的に好天と気温の上昇が伝えられていますが、新潟も昨日から急に暖かくなりました。特に今朝は、外へ出るとムッとするくらい。
 場所によっては最高気温が30℃に迫ったようです。

 この高温で、新潟県内では雪融けが急激に進んでいます。

 写真は今日のお昼、柏崎駅へ移動途中に撮影した地域のシンボル、米山(よねやま)
 この冬は積雪が多かったので、ちょっと前までは真っ白だったのですが、ずいぶん地面が見えるようになっています。

 山腹の中央よりちょっと左の谷間、手前の峰のすぐ上にやや黒い部分があります。
 化学の実験で使うフラスコを、細長くして立てたような形をしている場所です。

 ここが農作業用の傘をかぶり、種籾を蒔いている農夫のような形になる時が、農作業を本格的に開始するのにちょうど良い時期とされています。
 子供の頃はこの話を聴いてもピンときませんでしたが、今ではその通りだと思うようになりました。先人の智慧ですね。

 4月末の、連休に入る前がちょうどその状態だったのですが、数日しか経っていないのに、形がすっかり変わってしまいました。

 急ぐ旅ではないので、乗換駅の長岡までは各駅停車に乗ったのですが、信濃川はもちろん、中小の河川からあちこちの用水まで満々と水を湛えています。
 もちろん雪融け水です。正直なところ、注意していないと氾濫してしまいそうなくらいです。

 新潟はもともと雪が多く、水路がかなり整備されているのでたぶん問題はないと思いますが、北海道北部では実際に河川の水が溢れ出している箇所もあるとのこと。
 ところが新潟の陽気とは対照的に、東京は小雨で少し寒いくらい。

 気温の変化に気をつけなければ。



4月30日(月:振替休日) 西村センセイ、桃の花の花見に出かける

 と言っても、皆で美味しい食べ物やお酒を持って出かけた、というわけではありません。花畑(?)に寄ってみたのです。

 今日、所用で海岸沿いの砂丘の内側を車で走っていると、「桃のお花見 刈羽村」という旗が目に入りました。ここは柏崎市に接した刈羽(かりわ)村正明寺(しょうみょうじ)地区。
 JR越後線荒浜
(あらはま)駅西側に広がる砂丘地帯です。

 旗に招き入れられるように小路を進むと、急に一面が深いピンク色に。桃の花が満開です。

 この地域は海岸線に沿って小高い砂丘が続いています。水分の補給は難しく、農作物は育ちません。
 現在では廃れてしまいましたが、タバコの葉を育てるくらいがせいぜい。

 この地で桃を育て始めた先人の苦労は、「砂丘桃」として文字通り結実。今ではこの地域の特産品になっています。

 センセイは高校時代、この脇を走る越後線に乗って通っていたのですが、地形の関係で列車からは桃の木や実も、そして桃の花も見ることはできませんでした。
 砂丘桃のことは知っていても、今ひとつピンと来なかったのです。

 今日、ふいに寄り道したのは、その負い目があったのかもしれません。

 初めてちゃんと見る桃の木は手入れが行き届いています。カメラを構えていると農家の方が軽自動車でやってきて、水やりと除草を始めました。
 ちょっとしたことで品質が低下する桃は。細心の注意が必要なんでしょうねぇ。

 同乗していた若奥さん(?)はというと、携帯電話のカメラで桃の木の様子をパチパチ。生育状況を撮影し、お客さんに伝えるとか、お店のホームページにアップロードするんじゃないかと思います。
 お米を育てていた農家の倅(せがれ:長男のこと)であるセンセイの感覚からすると、ずいぶん新しい感覚。

 保守的なこの地でも、若い世代が新しい農業のあり方に挑戦しているんでしょうね。

 この砂丘の向こう側には世界最大の原子力発電所、東京電力柏崎刈羽原子力発電所が存在しています。ご存じのように現在は、全機停止中ですが。
 原発のような、力ずく──ただし、科学も技術も必要──で巨大な、何かに頼るような生活がいいのか、この桃の木を育てるような、智慧を生かした身の丈に近い生活──されどこちらもエネルギーその他を使用する──が良いのか。

 難しいところです。



4月29日(日:祝日) 西村センセイ、(ほぼ)創刊号以来の“Mac Fan”誌約20年分を廃棄する

 連休2日目。

 去年までのゴールデンウィークは、記憶がないほど忙しかった──何をしていたんだろう──し、今年に入ってからは娘の受験、進学でバタバタ。
 だからセンセイにとっては何だか、本当に久しぶりのお休み、という感じ。

 まとまった時間がないとできないことをしようと思っています。その一つが自宅書斎の整理。本が増えすぎていて、収拾がつかなくなっているのです。

 書籍はたいてい大学の研究室へ届けてもらうのですが、どんどん増えてしまい、本屋さんの店頭で見る平積み状態になってしまっています。
 急がないものは自宅書斎へ持ち帰る──センセイは全ての本を私費で購入している──必要があるのですが、書斎その他の、広い自宅の本棚もすでに一杯。

 もっとも書斎の一部、天井付近には雑誌や録音済のオープンリールテープがが置かれているので、それを処分することにしたのです。

 書斎には1993年に創刊されたMac Fan”誌のほぼ全巻があります。この他にも“MacWorld”誌、“MAC POWER”誌、そして“Mac Life”誌などもあったのですが、すでに“Mac Life”誌は全巻廃棄済。

 今回は“MacWorld”と“MAC POWER”を捨て、“Mac Fan”だけは残そうと思っていたのですが、作業し始めると考えが変わってしまいました。
 最近の“
Mac Fan”は、一通り読むとそのままになってしまっているのです。かつては繰り返し繰り返し読み込んだのに。

 これはセンセイだけの問題ではなく、MacとMacユーザー(およびコミュニティ)のあり方が変わってきているからだと思います。

 というわけで高さ2.4mの書斎の最上段から全ての“Mac Fan”を降ろして廃棄するため積み重ねます。
 その高さ、約5m!!

 “Mac Fan”誌は表紙に意外な人物を登用することで知られています。例えば創刊号のアジャ・コングさんだとか。

 あまりに重いので10冊くらいずつまとめて運ぶのですが、表紙でニコニコしている梨本勝氏など、鬼籍に入られた方が多いことに驚かされます。
 Macを抱えている当時の人気タレントの多くも、すでに名前すら忘れられています。

 振り返ってみると、(有名になんかなっていないけど)センセイだって同じようなもの。
 一時のスポットライトより、自分がやりたいこと、そしてやらねばらならいことの方が重要なんでしょうねぇ。

 若い人ならともかく、センセイにはもう、あまり時間も残されていないし。

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