2012年8月18日更新(2012年8月26日ページ移動。2015年11月3日一部写真削除)
■8月18日(土) 店舗裏には前のお店の表示が残ったまま... ──新規開店したスーパーを訪ねてみました──
暑い。とにかく暑い。
アメダスのデータによると、柏崎での今日の最高気温は32.1℃(車外気温計の表示は34.0℃)だったのですが、このところの暑さで体力が相当落ちている──体重も減少している──らしく、疲れは溜まる一方。
使える場所ではクーラーを弱く入れて体力温存を図っているのですが、体調はなかなか回復しません。明日午後には金沢へ移動する必要があるのですが、突発的な出来事もあって、仕事が全然片づかない。トホホ......。
これじゃぁいけない、と思って、元気をつけるべく午後、ちょっと外出しました。目的地の一つはスーパー。いつもは品揃えが容易に想像できる行きつけのお店へ行くのです。
でも今日は、1ヶ月ほど前に自宅近くに開店した店舗へ行ってみることにしました。入道雲がもくもくとわき上がる中、裏道から到着したのですが......あれ?!
この業界では珍しく、地元柏崎資本の株式会社スポットが新しいタイプのお店として開いたこの「ピアレMart」。
入っている建物はもともと、昨日ご紹介した株式会社コメリのライバル会社であるアークランドサカモト株式会社が主力の「ホームセンタームサシ」として建設したもの。
それがコメリの当地進出に対抗して移転、新築オープンしたため、数年間空き店舗となっていたものです。そのピアレに近づくと、建物の裏側に近い側面(写真左端)には、前のホームセンターの情報が十分消去されずに残っているのです。
たぶん経費節減のためなのでしょうが、普通、ちょっと汚くなっても上書きしてしまうと思うのですが......。写真中央、塀の向こう側はもともと、建設資材を取り扱っていた店舗兼倉庫でした。取り扱い商品の性質上、店舗内外ともにかなり広い敷地を必要とするのです。
でもスーパーマーケットには基本的には不要。実際、空きスペースとして使用されないままのようでした。肝心のお店はというと、この地域のお店としては大き過ぎもせず、小さ過ぎもせず、という感じ。目玉商品は格安でしたが、その他はこの会社が経営する主力店「良食生活館」と同程度。
やや品揃えが足りない印象を受けましたが、採算を考えるのこちらの方が適切な判断なのかもしれません。結果的にはほしい商品がなかったので、いつものお店へ行ったのですが、やはりすぐそばに進出してきたピアレMartの開店で客足は減っています。
すぐに閉店というようなことはないと思いますが......。個人的にはいつものお店の存続、発展を願いつつ、熾烈な競争の中、果敢にお店を展開している地元資本のお店も応援したく、センセイはちょっと複雑な心境なのです。
今日はいろいろあって終日バタバタ。
その理由(?)の一つに先週、集中講義をしていた大学からのメールがありました。そのおかげで大学の所在地である新発田市のことを思い出したので、忘れないうちにもう一回だけその時のお話を。
講義をした大学と滞在したホテルはすぐ近く。両者の途中に、ホームセンター「コメリパワー新発田店」があります。
新潟県を地盤とする株式会社コメリは、国内最多の店舗数を誇ります。以前から気づいていたのですが、店舗内にペットショップがあるらしい。コメリ直営ではなく「ワンズグリーン」という会社が経営しているようです。
店舗によって多少名称が異なるのですが、少なくともここでは「ペットアミ」という名称。
でもセンセイ、この看板を見ると、どうしてもすぐに“PostPet”のロゴを思い出してしまうのです。
写真は同ソフト2.0バージョンのもの。((c)SCNC)改めて比べてみると、違いは確かに、存在する。
例えば文字中の動物──たぶんぬいぐるみ──の顔があるのは“P”と“o”で異なるとか、“t”の横棒が片方だけなのは共通として、縦棒が曲がっている/いないかとか......。
でも気分はなかなかスッキリとは晴れません。以下はセンセイの勝手な想像なのですが、デザイナーは同じ方なんじゃないでしょうか。
すでに制作、採用された“PostPet”を、ぎりぎりのところで改変して、ワンズグリーン社に提案した......。もしそうでなく、誰かのものを断りなく真似たのなら剽窃(ひょうせつ)と言われても仕方がないと思います。
だからセンセイは「デザイナー同一説」を採るのですが、それにしても後味が悪い。センセイも凡人ですから、決して偉そうなことは言えないのですが、これって、やっぱり無理......だと思う。
■8月16日(木) これも確かに、人生なんだろうな... ──「おおかみこども・・・」に知人が参加していた!!
──
もう一晩だけ、「おおかみこどもの雨と雪」のお話を。予想外の「再会」があったのです。
やや得心のいかない終わり方──館内にいた大半がこれでホントに終わりなのか自信を持てず戸惑っていた──に続いて、主題歌とエンドロールが流れました。
観客がざわつき始め、一部が席を離れます。センセイらは列の中央部で、移動に適していないこともあり、そのまま席に留まりました。まず声優の紹介があり、続いてスタッフの紹介に入ると......え"?!
見覚えのある名前が......。写真は映画のサイトの「スタッフ」のページ。画面の最下部は北アルプスです。ここに彼の名前はありません。((c)「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会。一部改変〔トリミング〕)
しかし「原画」には確かに彼がクレジットされており、別なサイトでもそれを確認することができます。
かなり珍しい名字と名前なので、ほぼ間違いないはず。「彼」とセンセイを媒介したのは新潟大学時代の同級生。俳優志望の彼女──現在もプロの俳優──は、卒業に際して一人舞台を企画、実行。
その際に集められたメンバーの中に、舞台監督の彼と、音響担当のセンセイがいたのです。
いろいろ失敗もあったけど、とにかく興行を実施しました。意外なことに、学生には厳しいことで知られていた某教授も観客として参加していました。
その後、センセイは彼女に関連する劇団を手伝いながらも興行の世界からは手を引きます。もっとも、その時に体得したノウハウは最初の赴任先である国際基督教大学や前任校で発揮されることになりますが......。
彼はというと、時々、あちこちでその名前は目にしていたのです。でもお互いが50歳くらいになった──センセイの方が何歳か上──現在、ここでこのような形で再会するとは。
先日の小中学校の同級会でも思い知らされたのですが、人にはそれぞれの人生があります。しかもなかなかうまく行かない。同級会でのセンセイは、愚痴の聞き役ばかり。
確かにそれはそれで事実なのですが、それでも皆が何とか生き延びていることもまた、事実。彼は彼でこうやって彼の人生を歩んでるんだなぁーと確認できただけでも、センセイにはとても嬉しい。
この辺の感覚、エネルギーに溢れている若い人には、なかなか分かってもらえないかもしれない。
■8月15日(水) アニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」を観てきました
今日は帰省している娘にせがまれて、アニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」(監督:細田守)を観てきました。柏崎市内の映画館は現在、すべて閉館。
映画を観るためには車で、長岡や新潟へ出る必要があるのです。((c)「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会。一部改変〔トリミング〕)夏休みの子供たちはともかく、社会人にとってはお盆休み最後の日という方も多いはず。映画館は混雑していましたし、席もほぼ満席でした。
映画の内容は、狼男と結ばれた大学生が2人の子供を出産するものの、父親は死去。母親は残された子供を連れて東京から田舎へ引っ越して子育てに励み、成長した二人はやがて、独立していくというもの。
もともと無理な設定ですから、その種のあら探しは止めておきます。大人が観ても、子供が見ても、自分に合わせて問題設定し、解釈できるようになっています。
全体としては良くできている方で、宮崎駿監督の次はこの人なんだろうなぁーと思わされます。
ただしいくつか気づいた点も。重要な場面での背景はとても丁寧に描かれています。たとえば何回か登場する花畑はCGを駆使して制作されており、とてもリアル。
また大学(構内や校内)は一橋大学を実際に撮影してそれをアニメにしているようで、これでもかというくらい、細部まで描き込まれています。
それはそれで興味深いのですが、それらの背景が、いつもほぼ現代なのです。都会での子育ての途中、児童相談所が虐待や育児放棄を疑ってアパートに押し掛けるシーンがあります。
でもこれは、どう長く考えてもこれは数年前までが限度。つまり物語は両親の出会いから子供たちの独立までの13年間を描いているのに、その背景となる時代はほとんど変化していないのです。
僅かに借家は、主人公の一人である母親が一生懸命整備するため、どんどん変わっていくのですが、子供たちを除いた登場人物は誰も歳を取らない。母親も、見かけがあまり変わっていないだけでなく、精神的にもあまり成長していません。
普通なら年相応の考え方の変化があるはずなのに。ちなみに、農作業の下手さもそのまま。素人だって農作業を続けていればコツを覚えて、もっと要領良く力を抜いて仕事ができるようになるのです。
この辺はまだやはり頭でっかちのままで、宮崎監督が描くいい加減さを含めた「自然さ」にはかなわないと思います。最後にもう一つだけ。主人公達は都内西部から田舎へ引っ越すのですが、転居先は明らかに富山県東部。おそらく細田監督の出身地である上市町がモデルです。
映画の最後には、県東部の自治体その他の協力がクレジットされていました。センセイはこの地域をよく車で通過するのですが、「あぁ、ここだよなぁー」という場面にいくつも出くわしました。
移り住む場所はかなりの山間部──相当な過疎地──ですし、映画の中には北アルプスの山間部も出てきます。もちろんセンセイはそんな場所へ行ったことはありません。
でも画の描き方から、細田監督がこの地域を愛していることがひしひしと伝わってきます。だから少なくとも個人的には、まぁ、良かったかな、と思えるのです。
■8月14日(火) やや変則的ではありますが、初めてご当地どんぶり「鯛茶漬け」を食べてみました
田舎の感覚だと、お盆初日の昨日は先祖のお墓参り。そして今日は親戚への墓参。いずれにせよ、全国に散っている人が実家に戻ってきます。
そこでこの機会をとらえて今晩、中学校の同窓会が市内で開かれました。もちろんセンセイも参加しました。ところが会場に到着してみると、参加者は所在が判明している卒業生の1/3くらい。
残念ながら、例年よりもずっと少ない。どうやら、このお盆に開催するという日程がまずかったらしい。センセイの世代はお盆の来客を受ける側でもあり、その訪問は、昨日、今日がピーク。
特に家督を相続している(一般的には)長男家族、特にそのお嫁さんは来客の対応に追われます。そのため、せっかく帰省に合わせた企画にもかかわらず、来客への対応や、時期を外しての帰省などで、「参加できません」のお返事が続出。
センセイを含めて、自分自身の健康問題や、来客への対応で参加できない人が多かったようです。
渋いながら、世の中を支えている、そういう世代なんですね。会そのものはとても有益で、幹事の皆様に感謝するばかり。
旧交を温める語らいとお酒とですっかり忘れていたのですが、料理の締めは写真の「鯛茶漬け」。
想定外でした。
こちらはかなり酔っぱらっていましたが、基本的にはとても美味しくいただきました。ただしご覧のように、わさびが少々効きすぎてしまっていましたが。
変則的ではありますが、鯛茶漬け、初めて体験させてもらいました。
■8月13日(月) 静かな、そして「いかにも」というお盆を迎えています
お盆もいよいよ本番。次期ご当主様は家族や親戚の世話でてんてこ舞いです。
昨日はすぐ下の弟の甥と姪がやってきて墓参と昼食。3人とも首都圏に住んでいて、上の二人は社会人、一番下はまだ学生。
待ち合わせて、1台の自家用車に乗って新潟まで来たそうです。今日はまずホームセンターで2種類のねじ(合計22円)を購入し、レンジフードのカバー装着。予想通り、M4サイズだったので、近日中に1個120円の手で回せるタイプのものに交換する予定。
その後は伯母を見舞ってから、比較的最近亡くなった別な伯母の仏壇にお参りし、食料の買出しへ。
今晩は下の弟家族がやってくるのです。いつも行くスーパーは近くに大きなお店が開店したため、お客が激減しています。
知り合いがこのスーパーにテナントとしてずっと入っていたのですが、客数の減少を理由に閉店を求められたそうです。
お客だけでなく、品揃えも......だいじょうぶだろうか。実家にも戻ってからは、従姉妹の生まれたばかりの孫で遊び(?)、夕食の準備。
舞台から静かに去る人もいれば、みんなに希望を感じさせながら登場してくるニューフェースも。
というわけでセンセイ一家は、静かですが「いかにも」という感じのお盆を迎えています。
■8月12日(日) 朝日が昇る方向、幾重にも重なった深い山並の、そのさらに向こうで育ったもの
世の中はすっかり、お盆モード。
柏崎市内は他県ナンバーの車で溢れているし、自動車販売店の入口は鉄の鎖と大型トラックでロックされているし、スーパーのお刺身コーナーでは単品が姿を消して──個人的には結構辛い──大皿だけになっているし。
でも我が家だってご同様。両親や親戚の世話をする必要があるので、市内を行ったり来たり。「台所のレンジフードのカバーを洗浄するために外したら、ネジをなくしてしまった...」と言われても、そもそもネジの径がわからない。
両親も高齢なので、毎度こんな感じ。そんなこんなで、センセイは相変わらずバタバタしているのですが、今日はもう一晩だけ新発田での出来事を。
出張中のセンセイは、大学が手配した市内の、比較的最近建設されたばかりホテルに宿泊しました。
部屋は最上階の西側。つまり、そのままでは東側が見えないことになります。
講義は9時からなのですが、ここに在籍していた時と異なり、全てを準備する必要があるので早めに、できれば7時半にはホテルを出発したい。
でも朝食の提供開始は6時45分からなので、それに合わせて部屋を出ます。エレベータの前からは東側に広い空間が広がっています。太陽は昇っていますが、市街地は高い山に遮られてまだ闇の中。
その間に山並が幾重にも折り重なっています。中央奥は飯豊(いいで)山地。その向こうはもう、福島県および山形県です。
この山の向こうの福島県側、つまり会津地方で生まれて人物がいました。残念ながら彼は数年前に亡くなられたのですが、生前、ご本人から会津地方の男子は成人の際にこの山に登山する風習があることを教えていただきました。
彼はやがて、短期間ですがセンセイの上司とななります。それをきっかけとして、またその方が大きな、そして日本の高等教育にとって重要な学会の会長を務めていらっしゃったこともあって、センセイはその後、公私ともにこの師匠から適切な指導と助言をいただくことになります。
在任中を含めて、センセイがこの時間帯に新発田市に存在したことはほとんどありません。新発田のこの大学に勤めていた時も、もちろん飯豊山地があることは知っていたのです。
でも昼間は南ないしは西から光が当たるので、白状すると特別な山とは思っていませんでした。結果的に今回、飯豊山地と亡くなられた師匠の昔を、初めて強く再認識することになったわけです。
これもまた、お盆だったからなのかもしれません。