2013年8月10日更新(2013年8月18日ページ移動。2016年10月10日写真削除)
■8月9日(金) 水墨画のような地で生まれ育ち... ――訃報を受け取った日――
集中講義の間、センセイは大学が手配した、近くのホテルに滞在しています。
このホテル、東西方向に客室が面しています。西向きの部屋は夕日がとても美しい反面、夕方に講義を終えて部屋に入ると、ムッとした熱気がセンセイを歓迎してくれます。
だって西向きですから。今年はどうかなぁ、と思ってキーを持ちながら指定された最上階に昇ると、おぉ、東向きの最上階。個人的にはとても嬉しい。
ご覧のように飯豊連峰を望むことができるからです。写真は夜明け前に撮影したもの。多少明度を調整していますが、ほとんど加工していません。
山々が折り重なるようにその襞を重ねています。まるで水墨画。この地域は、いくつかの小さな水系が合流する場所にあります。しかも比較的険しい山から流れ出た水は、唐突に平野に接します。
独特の雰囲気があります。ここで育った人は...と、ぼんやりと考えていたら、不意に訃報が届きました。それもこの場所のすぐ近く。
もちろん講義を終えてから車で弔問しました。本当は明日のテストを済ませたら帰宅するつもりだったのですが、自宅には立ち寄るものの、喪服を持って当地に戻り、葬儀に出席することにしました。
ホテルの同じ部屋にもう一泊します。この地で生まれ育った人が、この地に還っていくのです。立ち会うことしかできませんが、それが務めなのです。
■8月8日(木) 「これじゃまるで、バズーカだな」 ――信頼関係の存在が、その基本だと思う――
1日4時間の集中講義は3日目。15回(+テスト1回)の講義ですから今日の1限が折り返し地点。講義が佳境に入ったということです。
今回は古代から近代までの天文学の歴史と、科学の歴史の概観を取り扱っています。ハイライトの一つが、ガリレオによる史上初の望遠鏡による天体観測の結果とその影響。
今日の午後に講義しました。物理学者として知られるガリレオガリレイは1609年の冬に、望遠鏡が発明されたという噂を耳にすると実物を見ないまま、知り得た情報だけで地上型(ガリレオ型)望遠鏡を製作します。
時々誤解されることがありますが、望遠鏡は彼の発明ではありません。ガリレオの偉業は、それを用いて天体観測を行い、木星の衛星、月の凹凸、そして惑星の満ち欠けなど、次々と重要な発見をしたことです。現代だったら間違いなくノーベル賞ものの発見。
細かい事情は省略しますが、これらの発見がやや強引に中世を終わらせ、世界を近代へ突き動かすことになります。でもいくら言葉や図で説明しても、初めて勉強する人にはなかなか分かってもらえません。当たり前ですよね。
そこで一通りの説明をした後で、センセイが製作したガリレオの望遠鏡のレプリカで実際に外の世界を観察してもらうことにします。
学生諸君の目の前で望遠鏡を組み立て始めると、教室内の雰囲気が一変。廊下に出て順番に覗いてもらいます。OB・OGの皆さん、懐かしいでしょ?
全員が観察し終え、自由に触ってもらった時に撮影したのが写真。「これじゃまるで、バズーカだな」とのこと。
仲の良さ、というか基本的な信頼関係の存在が感じられますよね。金沢工大にそれが存在しない、というわけではないのですが、前任校には確かにそういう良さがあります。
(再び)OB・OGの皆さん、そう思いません?1991年の開学から22年。人も環境も(そしてセンセイ自身も)変わったけど、この点だけは揺るがない、という感じがします。
初期の入学生はもう、40歳前後になっているのですね。センセイのことなんて、もちろん覚えていないだろうなぁー。意外に思われるかもしれませんが、センセイとしてはそれが本望なのですけど。
■8月7日(水) 前任校へ来るたびに利用していたスーパーが倒産、閉店していました
集中講義初日の講義を終えた西村センセイ、ひとまず大学近くのホテルへ移動しました。
荷物を片付けてから、夕食の調達に出かけます。ホテル内にもレストランがあるのですが、好みではないので近くのスーパーでお弁当や惣菜(+ビール)を買い求めるのです。
一人で旅行、出張する時はたいていこのパターン。まずホテル裏の「パワーズフジミ」というお店へ行ってみました。すぐ近くだし、時々面白く、手ごろなものがあったからです。お店の表に回ってみると、ご覧の通り。
やっぱり閉店しています。この春、会社が倒産したのです。ただし入口の掲出された張り紙の内容はちょっと予想外。
会社倒産の1ヶ月ほど前の日付で、この店舗は営業を中止するものの他店は継続すること、従ってポイントカードなど各種特典については営業中の店舗で対応すると書かれています。
どうやら最後の最後は、不採算店から切り捨てていったようです。断末魔、ですね。現場は相当悲惨な状況だったのでしょう。
確かに経営はうまくいっていなかった――だから新潟に住んでいる時はあまり利用しなかった――けど、少なくともセンセイが接したバックヤードやレジの人たちはとても良くやっていました。
倒産は、そんな彼ら彼女らの普通の生活を一気に奪ってしまったのです。本来の目的を思い出し、隣接するスーパーへ移動しました。近くの競合店が倒れたのだから大繁盛と思いきや、様子は意外なもの。
お客は多くなく、品揃えも良くない。実は昨日、他の用があったので、この近くをぐるっと一周する形で走ってから大学に入りました。近くに、さらに大きなスーパーがお店を構えていることは知っていたのです。
ところがその隣で、別なスーパーが新店舗を建設しているではありませんか。閉店したスーパー付近は、この商圏では(ほぼ)初めて郊外型大規模スーパーが展開された場所です。しかし今や、旧市街地を取り囲む形で、さらに大きなスーパーが次々と新規出店し、完全なオーバーストア状態に陥っています。
要するに、「食うか食われるか」。だから正直なところ、地元資本のパワーズフジミが、そのままの形で生き残ることはできなかっただろうと思います。
パワーズフジミ旧店舗のいくつかは、地元関係者が引き取るような形で営業を再開しています。老人など交通弱者を中心に、お店の存在を必要としている人がいるのです。
後知恵ですが、そうやって生き残る方法もあったんだろうと思うのです。誰だってたぶん、どこかで誰かが彼/彼女を必要としているし、逆に、そうなればその人は働きがいややりがいを感じる、つまり存在理由を実感できると思うのですが......。
■8月6日(火) ここにあって、当たり前 ――前任校で集中講義を実施しています――
センセイは金沢工大での前学期の講義を終えた今日から、大学から特別な許可を頂戴して前任校で集中講義を実施してます。今朝自宅から移動し、講義開始の1時間以上前に到着。
さっそく準備を進めたすが、開学から20年以上が経過し、一部の設備がちゃんと機能しなくなっています。事務所へ向かうと......あれ? JR白新線最寄り駅からの無料連絡バスが校舎前に到着し、学生諸君が次々と降りてきます。
朝日新聞の「青鉛筆」(全国版)や、なぜかスポーツ紙の全国版で大きく紹介されたニュートンのりんごの木の現状を撮影するために、たまたまデジカメを持っていたので、撮影させていただきました。
中央のしっかりした幹がそれです。学生諸君はというとまるで、「ここにそれが存在して当たり前」という表情。好意的に解釈すれば、それだけこの地に根ざしたということでしょう。
写っているのは女子学生が大半。金沢工大の学生諸君には信じられない光景だと思います。
でも例年通り、実際の受講生は男女半々という感じです。カメラを構えていたら、女子学生が「今日は新しい先生で...」とか「今日始まる○○を受けに...」などという声も。
センセイの科目です。一生懸命講義したつもりですが、果たして(彼ら)彼女らの期待に応えられたのでしょうか。
■8月5日(月) 金沢をしばらく離れる、その前に ──チャンカレ「創業当時の味が復刻」──
昨日、一昨日と在学生を預かる側として、保護者会で保護者と直接お話しさせていただきました。もちろん貴重な機会なのですが、言い換えればかなりヘビーな仕事。
かなり疲れてしまいました。夏休みに入る前の仕事が片づいていないのですが西村センセイ、今日から別な出張が入っています。少なくとも書類の上では、ずっと出張が続いているのです。
実際は早朝から出勤し、これまでの出張に関する報告を提出して、程なく金沢を離れます。でもその前に腹ごしらえ。チャンカレ前を歩いていると、見慣れない垂れ幕が掛かっていることに気づきました。
そこには「創業当時の味が復刻 数量限定 とんかつカレーライス \930」これが金沢カレーの最初期の形態なんですね。写真ではカレーおよびトンカツと、ルーが分離しています。
知りませんでした。よく見ると、垂れ幕の右上には「タナカ カレー ターバン」と看板に似せて描かれています。
どうしようかなと思ったのです。でも、少なくとも今日のところは、加齢で油っぽいものが苦手になっているので、食べずに大学を離れました。
いつかこの「とんかつカレーライス」にたどり着く日はあるのだろうか。老人となったセンセイにとって、もはやお金の問題ではなくなっているのです。
■8月4日(日) 羽越本線に投入されるE653系特急電車が、新潟車両センターに集結しています
昨日はページを更新できず申し訳ありませんでした。
センセイは朝早くに自宅を出発し、新潟市内で開催された保護者会に参加。その後、関係者とともに宿所である上越市(直江津地区)へバスで移動したのですが、到着したのは夜。
すぐに関係者とともに食事に出たのですが、皆の飲みっぷりに影響されてセンセイも痛飲。ホテルに戻ったらバタン、キューという感じでした。でも一夜明ければそこはサラリーマン。今日は再びバスに乗り組み、富山市内での保護者会に出席しました。
この間、いろいろ興味深いことがあったのですが、今日は鉄道ネタを。お伝えしたように一昨日は金沢から新潟へ移動したのですが、特急「北越」は新潟駅到着直前、右手(東側)に新潟車両センター(旧上沼垂運転区)を通過します。
目を凝らしていると......やっぱり。何本もの車両が留置されていますが、手前のちょっと丸みを帯びた3編成は、間もなく羽越本線に投入されるE635系特急電車電車です。
特に、手前から3本目のクリーム色の車両は先日発表された通りに塗装されています。
つまり発表された時点ですでに、実際の車両が存在していたのです。実は西村センセイ、トワイライトエクスプレスで北海道へ移動──つまり報道直後──中にたまたま、東三条駅の側線で待避していた実物を追い越しています。
予想外の出来事だったので、びっくりしました。この他にもE653系は、少なくとも1編成が長岡車両センターに留置されており、上越新幹線から確認することができます。(在来線からはほぼ不可)
手前の2編成を含めたこれら残りのE653系はいずれ、秋田の秋田総合車両センターで改造(グリーン車化)されるのでしょう。改めて留置されている車両を見ると、その奥にちょっと見えているのは、485系を改造したジョイフルトレイン「NO. DO. KA」。そして211系電車が2編成確認できます。
直江津だけじゃなく、こんなところにも疎開していたのね。その奥に緑色の485系R編成が見えますが、これは滅多に利用されない増結車両。高田城の観桜──夜桜で有名──列車などの際に使用されます。
一番奥には485系T編成。この場所ではちょっと前まで、大阪からの夜行寝台特急「きたぐに」がその長旅の疲れを癒していました。でも良く考えてみると、それからずいぶん時間が経っています。
1年半後に迫った北陸新幹線全通とそれに伴う在来線の第三セクター化、さらには──意外に思われるかもしれませんが──数年後の北海道新幹線の開通でいろんなことが劇的に変わると思います。E653系の存在は、その前触れなのです。