2014年8月16日更新(2014年8月24日ページ移動。2017年7月15日一部写真削除)
■8月16日(土) 3代目「南慶寺トンネル」脇に、田中角榮元総理大臣が揮毫した扁額が復活しました
今日も田舎のお盆ネタです。悪しからず。
センセイは西村家の次期ご当主様。一見すると偉そうに思えるかもしれませんが、実際の仕事は、とても地味なもの。一番多いのは、年寄りの話を聴くこと。
お察しの通り、子供の頃から何度も何度も聞かされて「この後は、こうなるのね」というような話ばかり。しかも大半は愚痴。でも中には、「え"、そうだったのぉ」という話もある(実話)し、この歳になってやっとわかる意味もあります。一方、隣でつき合わされている娘はもう辟易(へきえき)としています。
彼女はこの意味がわかるためには、もう何十年か必要なのでしょう。もう一つの仕事が、食料の買い出し。老人は一般に、有効な交通手段を持たないのです。84歳になる父親は少し前に、運転免許を返納しました。
以前は母親も若かったので、たいていの料理は自分で作り、お刺身などを買うだけだったのですが、今回は筍の煮物を作っただけ。
77歳なのですから、当然なのですが。というわけで実家へ行く前に近くのスーパーで、あるいは実家到着後に、地域唯一のお店へ車で出かけることになります。
その際に通過するのが、写真の南慶寺トンネル。以前ご紹介した写真の反対側を見ています。
トンネル本体は数年前に完成したのですが、手前の道路拡幅工事などはつい最近終了したばかり。
昔はとても細く、急な道だったのですが、ずいぶん運転が楽になりました。買い物を終えて再びトンネルに入ろうとした時、写真左手の碑に気がつきました。その内容と意味をすぐに理解します。
お伝えしたように、この南慶寺トンネルは3代目。以前の名称は「南慶寺隧道」でした。隧道はトンネルのことですから、意味は変わりません。
問題はトンネルの上に掲げられていた扁額(へんがく)。要するにネームプレートです。初代(右の写真下)は当時の町長が、そして2代目は田中角榮元総理大臣が揮毫(きごう)したのです。
センセイは中学生の時、毎日この自転車で扁額の下を通っていました。ところが3代目トンネルの工事に伴ってそれがどこかに。もちろん捨てるようなことはないだろうとは思っていましたが。
車を止めて正面から撮影。田中角榮氏は当時、大蔵大臣だったんですね。
(やや繰り返しになりますが)この歳になって初めて、田舎出の、しかも高等小学校卒にしか過ぎない脂ぎった顔の政治家が、霞ヶ関のど真ん中でエリート大学卒の官僚とやりあっていたことの意味が理解できます。
もちろん、氏の考え方や手法に賛成するかどうかは別ですが。今年のお盆は例年になく、いろいろ考えさせられます。
■8月15日(金) 「その後」を生き抜く智慧 ──ゼロサムゲーム、あるいはそれ以下──
昨日に引き続き、今日も見たままの話題。だって田舎はお盆休みなので。
実家その他から娘と帰る際、回り道をして、つい最近市内にオープンしたスーパー「ウオロク桜木町店」に立ち寄りました。必要な食材を確保するのが本来の目的。
そしてこのお店、娘が通っていた中高一貫校(写真右奥)のすぐ近くに開店したのです。駐車場の奥からお店を撮影したのが写真。
新発田市内の鮮魚店を発祥とするこのスーパー。柏崎市内では2店目の展開となります。
でも駐車場は閑散としていますし、何か、特別の理由があるのでしょう、手前の部分はまだ舗装されていません。お盆に入ったお昼前の時間帯に訪れたのですが、駐車台数に見合ったお客さんしかいません。
娘とも話したのですが、店員の数の方が多いんじゃないだろうか。正直なところ、この業界は基本的にゼロサムゲーム。生鮮食品を貯蓄できるわけはないので、誰かが勝てば、誰かが敗退します。
しかも実態はそれ以下。客層を見ていると、買い物車をボトボトと押す高齢女性が目立ちます。場合によっては、その状態で軽自動車を運転しています。
しかしよく考えるとこれはたぶん、まだ恵まれた方。東京などの都市部では、これ以上の水準で、しかも急速に高齢化が進行しているのです。比較的条件の良い田舎ですら、ゼロサムゲームどころか、それ以下。
このお店の開店とは無関係なのですが、自宅近くの、割と気に入っていた田舎っぽいスーパーがこの8月末で閉店することになりました。正直なところ、負け戦こそ難しい。
でも、それを分かってもらえるオトナが、急速に減っているのです。それが一番、つらい。
■8月14日(木) 何、これ?! ──お盆なので、318iで荷物を運ぼうとしたら...──
今日もまた見たままのお話。結果的に乗り物ネタが続いてしまいますが、悪しからず。
お盆なので、センセイは毎日のように自宅と十数km離れた実家や親戚宅を行ったり来たり。
その仕事はというと、パッとしないもの。ふだんより1桁多い人間が集まるため、あらかじめお店に頼んでおいたご馳走や、箱入りのビールを運んだり。
次期ご当主様はいろいろ大変なのです。ふう。昨日、荷物を318iのトランクではなく、クッションの効く後部座席に置こうとして後部右側のドアを開くと、あれっ!?
何、これ。後部右側座席の下から何か飛び出ているのです。よく見ると数本の電線を束ねたハーネス。
先端部を見ると、本来どこかに接続しているものらしい。お伝えしているようにセンセイは、318i購入後9年半を迎えた機会にサスペンション類を完全に交換しました。
ところがその直後、駐車中に側面をぶつけられてしまいました。約10日間の「入院」後、今月はじめに修理を終えて、5日(火)からの出張に使用しました。
要するにこの間のどこかで、作業ミスが起きたらしい。ブレーキランプなど重要な灯火類の配線なら大変なことです。ただし現在のところ、保安上深刻な問題は見つかっていません。だから近くを通る機会に、ディーラーへ寄ってみるつもり。
実は、318iに関して、このようなポカが何回か繰り返されています。修理後のハンドルの取り付けが不十分(!!)だったり、冬用スタッドレスタイヤの回転方向が逆──石川県のディーラーで指摘された──だったり。
BMWは掛け値なしで良い車だと思うけど、それを取り扱う新潟県のディーラーは......。残念ながら、ちょっと注意が必要らしい。
■8月13日(水) 来年、ここを再訪する時には... ──大きく変わる新潟地区のJR在来線車両──
今日は見たままの話題。
今回の集中講義、初日は大学まで直接車で行って、そのまま夕方まで講義しました。
講義終了後は、必要な着替類などを鞄に入れて、学生諸君と一緒に電車で新潟駅へ移動。翌朝、出勤するためにホームで白新線の電車を待っていると、隣のホームに酒田からの特急「いなほ2号」の到着を知らせるアナウンスが。
「いなほ」はつい先日まで485系で運行されていた羽越線の特急です。到着したのが常磐線から転属してきたE653系。正直なところ、まぁ、こんなものかな、という感じ。
新潟駅前に4泊したのですが、往復の車窓から「いなほ」目当ての鉄道ファン(「撮り鉄」)の姿を確認することはできませんでした。
どうやらあまり人気がないらしい。一方、夏休みということもあって、少年たちを中心として──中年のオジさんの姿も目立つ──撮り鉄が集まってきています。
彼らが目指すのは、引退間際の485系特急電車と、写真の115系普通電車。新潟色(写真の編成の後部)が主ですが、一部には長野からそのままの塗装で転属してきた「長野色」も。
さらには、理由は良くわかりませんが、数編成は写真の湘南色に塗装されており、鉄道ファンの人気を集めています。しばらく前の北陸地区がそうであったように、新潟地区のJR在来線には、他地区では見られなくなった旧型車両が集結しています。
つい最近、別な機会に115系に乗車したのですが、製造後約50年を経過したボロボロの車体でした。ただし新潟・長野地区にも、さらに古い電車を代替するために、1995年から導入された新造車両E127系が存在します。
上り白新線は新潟車両センターの北端、上沼垂信号場付近で信越線を高架で跨ぐのですが、写真はそこから撮影したもの。
E127系V3編成が留置されています。(その奥に業務用クモヤ143系牽引車が見える。)この写真、よぉーく見ると、変。
黄色の枠内は別な角度から撮影したものですが、運転士席脇ドアおよび隣接する乗客出入り口がベニヤ板で覆われています。
電柱の陰になっているためわかりにくいのですが、右側の車両中央部のドアも同様。気づいた時はびっくりしました。調べてみるとこの編成は、2008年に越後線内で発生した自動車との衝突事故(事故報告書)で焼損したもののようです。
事故のことは覚えています。現場はよく知っている場所なのです。北陸新幹線開業と、在来並行区間の第三セクター化、新製E129系車両の大量導入に伴い、E653系を除く新潟の在来線を走る車両は来春、一変します。
115系はおそらく全車廃車。485系特急電車もリニューアル改造されたR編成以外は廃車になると思われます。R編成そのものももう数年しか持たないと思います。
新造されたE127系ですが実は、改造された後に、信越本線の廃止区間を引き継ぐ第三セクター「えちごトキめき鉄道」に譲渡されることになっています。
要するに、ほとんどすべてが変わってしまうのです。
■8月12日(火) 連泊のポイントは、「しんじょう(揚げ)」と「新潟限定ビイル」!!
今回の出張のように、同じ場所に数日滞在する場合、特に問題になるのが食料と飲み物の安定した確保。
ホテル内のお店で済ませてもいいのです。でも通常は、数日で飽きてしまいます。特に朝食は深刻で、3日目くらいになると、「もう、いいや」という感じ。
わかっていただけますよね。ただし今回宿泊したチサンホテルの名誉のために言うと、このホテルは朝食に力を入れていて、実際、他のホテルより格段に優れていました。
飲み物の問題はセンセイの場合、要するにサッポロビールを手に入れることができるかどうか、ということです。後者は関西、特に大阪では入手を諦めざるを得ないことも。
今回滞在したのは新潟市だったので、この問題はありません。後述するように実は、新潟とサッポロビールのご縁は深く、かつて、新潟市の北隣の聖籠(せいろう)町(まち)にサッポロビールの工場建設が予定されていたほど。
ただしビール需要の低迷でその話は立ち消えになり、工場用地は現在、J1サッカーチーム「アルビレックス新潟」の施設として用いられていますが。今回の出張、日々の通勤は電車なので重いものを運ぶことができません。しかも最初は猛暑。買い物は新潟駅ビル「駅ビルCoCoLo新潟」で済ませることにしました。とても遠くまで歩く気にはなれないのです。
ただし正直なところ、駅ビル内のスーパー「けんこう市場」はあまり品揃えが良くありません。でも近くにスーパーがないこともわかっているので、とにかくお弁当その他を購入することにします。
レジに並んでいると、僅かな商品を手にした老女の姿が目立つことに気づきました。この地域に一人で、あるいは年老いた夫と、自動車などの交通手段を持たずに生活しているんだと思います。都市部で特に顕在化しつつある日本の現実です。
支払いを終えると、ふと、写真のお店に気づきました。「しんじょう」──「しんじょ」が実際の発音に近い──の文字が目に入ります。お店の名前は「竹徳かまぼこ」。
すみません、初めて知りました。でも「しんじょう」は「しんじょ揚げ」として良く知っています。新潟市中心部の料亭で何度か食べたことがあります。
これがホントに美味しい。基本的には白身魚と山芋の蒲鉾。普通はこれに海老が入ります。でも皆さんがイメージするであろう蒲鉾よりずっとやわらかく、フカフカしています。
新潟市内の料亭ではこれを揚げて「しんじょ揚げ」としてお客に提供していたのです。外側はそれなりにパリパリ──そこまで硬くない──のですが、一口食べると、中はクリーミィー。
そして口の中に、ほのかに海老の香り......。新潟へ行く機会があったら、ぜひ料亭なり(ちょっと高い)飲み屋なり、そしてこのお店で、「センセイに騙された」と思って試してみてください。
ちなみに最もポピュラーな「海老しんじょう」、このお店では280円(+税)でした。後はもうビールを買うだけ。ビールコーナーへ行ってみると、見知らぬ「風味爽快ニシテ」なるものが。
「新潟限定ビイル」とのこと。蘊蓄(うんちく)についてはサッポロビールのサイトをご覧いただきたいのですが、新潟そして新発田市とサッポロビールは深い繋がりがあります。
もちろんセンセイのことですから、ある程度のことは知っていました。でも2012年、つまり一昨年にこのビールが発売されていることはまったく知りませんでした。1本だけ購入して飲んでみます。基本的にはすっきり、そしてやや酸味を感じます。
でも個人的には、サッパリしすぎているので、1回限りでいいかな。でもまぁ、食料とビールを安定して確保できることがわかったのですから、ま、いいかな。
ちなみに、「風味爽快ニシテ」のサイトには、「新潟検定クイズ 風味爽快学」コーナーが開設されています。ぜひ一度挑戦してみてください。
■8月11日(月) 新潟駅は立体交差化の工事中。ひとまずの完成までに、もう数年かかる見込みです
お伝えしているようにセンセイは先週、前任校で駐中講義を行っていました。
今回の宿所は新潟駅前のホテル。ここで各種行事を開くなど、ホテルそのものにもいろいろな思い出があるのですが、新潟駅にはさらにいろいろな想いが。
センセイは大学生時代と前任校時代の計14年間、新潟市内に住んでいたのです。柏崎に自宅を新築してからも、仕事の打ち合わせは新潟駅近辺や新潟市中心部など。つまり20年以上新潟駅とお付き合いしていたのです。でもその新潟駅は現在、全面工事中。
新潟駅はこの地域を南北に分断していたのですが、在来線をすべて高架化しようというのです。この工事、本当はすでにかなりの部分を終えているはずだったのです。でも新潟市の不手際もあって、工事がひとまず完成するためにはもう7年くらいかかることが予想されています。
写真は自由通路から工事現場を撮影したもの。東から西方向を見ています。向かって左から新幹線の駅。右に見えている白い建物が現在の新潟駅です。中央にはかつて1〜7番線(+待避側線)が存在したのですが、現在は4番線までを使用。
なおこの他に、仮設8・9番線が運用されています。新潟駅は上越新幹線から庄内・秋田方面への羽越本線の特急「いなほ」へ乗り換えも行われます。
写真中央やや左手、跨線橋の向こうにすでに工事が進んだ現場を見ることができます。左手のグレーの支柱は新たに建設される新幹線10番線用のもの。その右隣は在来特急「いなほ」用の5番線のもの。
つまり同じホームで新幹線から在来線に乗り換えることができるようになるのです。カメラを構えていたら、信越本線から磐越西線に入るキハ47系ディーゼルカーがガーガーとエンジン音を立てながら出発していきました。
我に返ります。学生時代はともかく、センセイは30歳を過ぎた頃から40歳代半ばまで、この場所でいろんな人と出逢って仕事をしました。
今になってみると、得難い貴重な経験だったと思います。ただしセンセイが現在存在するのは別な場所。その頃の方ともご縁が遠くなりがちです。
この地はまだ、センセイのことを覚えていてくれるのだろうか。
■8月10日(日) 颱風11号の通過に伴い、日本海側ではフェーン現象が発生して気温が上昇しました
今日は予定を変更して、颱風11号に関する当地の状況を。
ご存じのように颱風11号は昨晩高知県に上陸して四国を縦断、今日の午前中に兵庫県赤穂市付近に再上陸し、敦賀市付近から日本海に抜けました。
午後8時現在、颱風の中心は輪島市の北約120kmの存在すると推定されています。日本海に抜けても暴風域を残したままですから、やはり相当強い颱風だと思います。颱風は太平洋側、特に東海から紀伊半島、四国、そして九州にかけての地域に大きな被害をもたらしています。
ただし、被災された方々には申し訳ないのですが、颱風の規模に比較すれば、被害はかなり抑えられていると思います。センセイは今回の颱風の進路に似た1961年の第二室戸台風を微かに覚えています。薄暗い中、自宅の周囲では木々がのたうち回り、神社やお寺の大木が何本も根元で折れました。
颱風の影響を比較的受けにくい新潟県内ですが、この時は強風で大きな被害を受けたのです。
日本海側に限定する限り、颱風の予想進路に応じた影響はかなり正確に予想され、また報道されていました。
それによると、颱風の接近、通過に伴って強風が吹くだけでなく、フェーン現象がによる気温上昇が予想されるとのこと。今回の颱風を例に取ると、颱風の周囲にある湿った空気は三国峠などの山間部に差し掛かると、強制的に上昇気流が発生し、その場所では激しい雨になります。
この時の気温低下は100mあたり約0.5℃。もし水分がすべて雨となるならば、山越えの乾燥した空気が吹き下ろします。その際は100mあたり約1℃で気温が上昇。
つまり日本海側では太平洋側以上に気温が上昇するのです。これがフェーン現象。実際にどうなるかは、太平洋側での雨の降り方などにもよります。気象庁のレーダー画面を見ていると、新潟ー群馬、あ群馬ー栃木、あるいは群馬ー長野県境などで山岳にぶつかった雨雲が発生しています。
フェーン現象は避けられません。実際、今日の当地はお昼頃まで風もなく、気温も25℃くらいで落ち着いていたのですが夕方、急に強い熱風が吹き始めて、気温がぐんぐん上昇しました。
アメダスの記録によると当地の最高気温30.6℃。夕方の5時33分に記録されています。((c)気象庁)この状態が長く続くと、出穂期にある水稲の生育などに大きな影響を与えるのですが、夜には熱風も収まってきました。颱風が遠ざかっているのです。
正直なところ、当地は「やれやれ」というところ。しかし太平洋側の痛ましい被害映像を見ると、胸が痛みます。