2015年1月24日更新(2015年2月1日ページ移動。2017年7月15日写真削除)

──2015年1月第4週のニュース──

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1月24日(土) トラックが越後線に突っ込んだ現場はやはり、「あの場所」だった

 今日は所用で新潟市まで往復したのですが、その帰り道、ちょっと気になる場所へ行ってみました。

 10日ほど前、新潟市西部の住宅地で、道路工事のために停車していた大型トラックが無人で走り出し、コンクリート製の塀を突き破って、脇を走る越後線の線路に突っ込みました。
 幸いにも列車との衝突は回避され、けが人も出ませんでしたが、越後線が2時間不通になりました。

 センセイは報道(全文を読むためには登録、ログインが必要)で知ったのですが、可能性があるとしたら「あの場所」しかない。

 だって西村センセイはその近くに6年間生活し、自動車での通勤のために、毎日そこを通っていたのですから。
 その場所へ来てみると......やっぱり。

 ご覧のように塀が壊れており、その向こうに単線の越後線が見えています。新潟市は基本的に高低差があまりありません。
 写真奥に広がる信濃川沿いの広大な低地をポンプで配水しながら土地として利用しているからです。
 海抜0m以下の場所も多く、大雨が降るとすぐに浸水騒ぎになります。

 でも海岸部(写真手前および左側)は別。古い砂丘地で、かなりの高さがあります。そのため、この場所はかなりの勾配で、しかも現場はT字路。
 トラックは左の坂の上から滑り落ちてきたはず。

 報道によると運転手は「サイドブレーキの引きが甘かったかも」と述べているそうですがここは、駐車時には必ずギヤを入れるべき勾配なのです。
 冬場はさらに悲惨なことになります。

 新潟というと深い雪のイメージがあるかもしれませんが、新潟市、特に旧市街地は別です。比較的高温の日本海の上を渡って湿潤になった北風が、佐渡で雪を落としてしまうため、その陰になる新潟市は雪が少ないのです。
 反面、特に海岸部は風が強く、しかも冷え込みます。

 だからこの場所、雪は少ないのにしばしばツルンツルンに凍結するのです。ある冬の日の夜、帰宅のためにセンセイは右から坂を登り、ここで至りました。
 左折しようとしたセンセイは、まさに写真の車の位置に1台の自動車を視認します。

 ただしセンセイが見たのは、上下がひっくり返った車。回転して前後が逆になったなどという生やさしいものではなく、屋根を下にし、車体の裏を上にしていたのです。ホントに。
 凍結した路面を坂の上から滑り落ちて塀と衝突して、(何のはずみか)完全に転覆したんですね。

 周囲の人間は「止まるな、止まるな」と、身振りを交えて必死で叫んでいました。安全確保、あるいは興味から車を停止させていたら、センセイのファミリアもほぼ同じ運命を辿ったはず。
 20年くらい前の出来事ですが、昨日のことのように良く覚えています。

 だから「あの場所」だと確信したのです。



1月23日(金) 鬼が舞い、鬼が伏せるから、2匹の鬼で「両鬼橋」!? ──旧能生町、地名の謎──

 看板シリーズ第2弾。今日は見たままのお話です。

 自動車を運転していると奇妙な地名や、地名の漢字表記そのものはありふれていても特別な読み方をする場面に出くわすことがあります。
 写真もその一つ。

 国道8号線を走っていて、糸魚川(いといがわ)市東部にある入り江の集落で撮影したものです。

 正確に言うと、現在は糸魚川市に編入されましたが、旧能生(のう)町の西端。「能生」という音がそもそも、かなり特殊だと思うのですが......。
 ちなみにこの近くには「ケータイ電話の使用はNO! ここは能生」という看板が道路に向けて設置されています。

 で、入り江を跨ぐように橋がかかっていて、その名前が「両鬼(りょうき)橋」。凄い名前だと思いませんか?
 最初は「鬼」という漢字から受ける印象が強かったのです。

 でもある時、この橋の前後が「鬼伏(おにぶし)」「鬼舞(きぶ)」という地名であることに気づきました。
 これはもう、偶然ではありません。

 一部繰り返しになりますが、ここは海に面した入り江で、山が海に迫っていて、その海岸部の狭い平地部分を国道8号線が走っています。
 北陸自動車道も並行しているのですが利用客は少なく、大半はこの国道を利用しています。

 集落沿いに細い旧道が存在するのですが、それでは増加する自動車を処理できないため、入り江をショートカットする形で橋を架けたようです。たぶん「鬼伏」と「鬼舞」を結んでいるため「両鬼橋」。
 深い意味はないようです。

 そうなると問題は「鬼伏」と「鬼舞」。ネット上で検索してみると、やはりそれなりの理由があるようです。
 この地に流れ着いた異形
(いぎょう)の異邦人を「鬼」と読んだとか、それは都からの落人(おちうど)だとか。

 その一つに、びっくりさせられるものがありました。この地の西隣、JR北陸本線浦本駅の近くに「間脇」という場所があります。
 これが「舞鬼
(まわき)」に由来するというのです。

 今回のセンセイがそうであったように、現代の私たちはついつい道路や鉄道──これは近代になって出現したもの──を基準に地理を考える傾向があるように思います。
 でも、例えば江戸時代より前は、海路こそが物流メインルート。

 「鬼伏」「鬼舞」前の日本海を航行していた北前船はさしずめ、現代の大型トラックの車列。歴史を考える時は地図の見方を変える必要があるんですね。
 実際、この場所は海運に関してそれなりの拠点だったようです。

 ちなみに、この地の北陸自動車道はトンネルが26本続く──標識右上の分母──のですが、その一つに、写真の「鬼伏トンネル」があります。
 今回ご紹介した「鬼伏」と「鬼舞」はその北側(海側)に位置するのですが、地形の関係で高速道路から見ることはできません。

 チャンスがあったらぜひ、海岸沿いの国道8号線に降りてみてください。


1月22日(木) 金沢工大は「看板に偽りあり」!?

 今日は見たままの話題。ただし金沢工大関係者が目にしたら、目が点になってしまうタイトルですねぇ。

 気絶しそうなほどの水曜日を何とか乗り切った西村センセイですが、忙しさは今日も続きます。仕事は溜まったまま。
 明日中には金沢を離れなければならないのに。

 割とよく働いたところでお昼。必要なものがあったので、昼食のついでに近くのスーパーへ行きました。ふと思いついて、帰路はいつもと違う道へ。
 気になる場所があるのです。

 道路を渡ったところで写真の看板に気づきました。「雨水調整池」。初めて目にしました。管理しているのは金沢工業大学。
 しかし看板の向こうに広がっているのは地面。池なんて、どこにも見えません。

 でもセンセイは、最近ここで起きていたこと、そして不思議に思っていたことをやっと理解することができました。
 だから写真左側に向かって歩きました。

 右の写真は、その場所をぐるっとまわって撮影したもの。先ほどの看板は右の木立の向こうにあります。
 上の写真で看板の右方に見えている建物が、写真中央奥に見えています。

 フェンスの左側は駐輪場。右側は工事中で立ち入りが制限されていますが、この奥に、確かに水が張られていない池が存在したのです。
 だから看板は決して、間違いではなかったのです。

 実は学内での不適切な自転車駐輪が問題になっています。消防車などの緊急車両が活動できない事態も懸念されるほど。

 でも学生諸君にルールを守って駐輪してもらうためには、校舎の近くに余裕を持った広い駐輪場が必要です。
 しかも、可能ならば屋根付きの。

 そこでこの場所を屋根付きの駐輪場に改良することになった、という話は担当者から直接聞いていたのです。
 でも工事は遅々として進みません。

 なぜか肝心の駐輪場には手をつけず、写真右側の場所を重機で掘り返していたのです。さらにやがて、地下に何か構造物を造り始めたのですが、何だか良くわからない。
 もしかしたら秘密の......。

 でも、そうじゃなかったんですね。お察しの通り、ここに存在した調整池を地下化して、拡張された地面の上に駐輪場を建設するんだと思います。

 それならそうと、早く言ってくれたら良かったのに。



1月21日(水) 大学の書籍コーナーにはまだ、新しい時刻表が並んでいなかったので...

 何度もお伝えしているように、水曜日はセンセイにとっていわば厄日。夜明け前に出勤して、まずメールを確かめて朝イチの講義の準備。この科目は共同担当。仕事の依頼はいつも未明に届くのです。
 大学院の講義なので、授業そのものは楽しいのですが。

 10時過ぎに講義を終えると大急ぎで後片づけをし、会議室へ急ぎます。立場上のかなりヘビーな会議。それでも今日は1時間くらいで終わったので、まぁ、良しとしましょう。
 その会議を受けて夕方には、別な意味で気を使う会議を開きます。

 だから当然、それまでに会議資料を作成、印刷、製本しなければならないのです。ところがその前に特別な講義が一つ。さらに今日は、それらすべてを終えた後に、もう一つ打合せ。
 ......さすがにヘロヘロです。

 この間、唯一の気分転換の機会はお昼。幸いにも午前中の会議が早めに終わったので、会議資料をそのままドカンと研究室に放り出して、建物の外へ出ました。
 この時点で目的地は未定。でもいつものセンセイなら、目の前にある「ほっともっと」。

 今の時間帯なら作り置きのお弁当があるので、待たずに持ち帰ることができます。大学食堂だって今なら......。
 ところがここで、お金を持っていないことに気づきました。

 無銭ではないのです。でも昨晩、スーパーで岡山産の牡蠣を2パック購入してから、小銭入れに紙幣を補充していない。だから持っているのは千円ちょっと。
 困ったことに、もう一つ思い出したことが。

 書籍コーナーで新しい時刻表を買うつもりだったのです。来月号、つまりダイヤ改正前の最後の時刻表が、そろそろ書店に並ぶころ。
 持っているのは、まさにその金額。

 お弁当か、大学食堂、あるいは時刻表か。絵に描いたようなトリレンマ状態です。

 センセイのことですから、その足は迷うことなくは書籍コーナーへ向かったのですが、書棚に平積みされていたのは古い1月号......。
 気分転換のはずが、意気消沈。

 厚生棟を後にしたセンセイの目の前に立ちはだかったのは、地元コミュニティ・FM局「えふえむ・エヌ・ワン」──「N1(エヌワン)」は、大学が位置する「野々市(ののいち)」──の建物。
 金沢工大とは深い関係にあります。その奥では「えふえむ・エヌ・ワン」の新しい建物が完成に近づいていました。

 お伝えしたように、手前の建物は元産婦人科医医院。産声が絶えなかったはずです。一方、それが何十年か前の出来事に変わってしまったこともまた、事実。
 センセイを含めて、舞台から少しずつ去りゆくものと、まだ何も見えないまま、新しく生まれ出てくるもの。

 世代交代を思い知らされた今日のセンセイだったのです。



1月20日(火) 高速道路の「平日朝夕割引」は、かつての「通勤割引」とかなり違っていました

 新潟の自宅に戻ったばかりの西村センセイ、今日は240km離れた大学へ、しかもお昼までに出勤する必要があります。午後に講義があるのです。

 都合により今週は、車で移動することにしています。車の運転そのものは嫌いではありません。というか、318i(E46)はホントにいつまでも運転していたくなる車。
 走る、曲がる、止まるという基本的な性能、筋の良さは図抜けています。

 当たり前ですが、318i高速道路も極めて安定して走ることができます。でも一般道のような楽しみ方はあまりありません。それにセンセイはたぶん、睡眠時無呼吸症候群。
 高速道路をずっと運転していると異常に眠くなってしまいます。いつかは事故を起こしそう。

 だからセンセイは通常、大半を一般道で走行するのです。でも今日は選択の余地はなく、経路のかなりの部分を高速道路で走るしかありません。しかも自宅との移動は完全に私費での行為。
 経費も考慮する必要があります。かつての料金計算はとても簡単でした。

 ポイント要するに、ETC装備車を対象とした朝夕の「通勤割引」をどう使うか。割引は朝晩100kmまでが半額で、それを越えると何と、割引はなかったことに!!
 近距離通勤客を高速道路に誘導することが目的だったんでしょうね。

 だから例えばセンセイが帰宅する場合、富山県西部のICから高速道路に入り、100km未満となる県東部の朝日ICでいったん高速から降りて割引を確定。
 急ぐ時はそこから高速に乗り直す......というように利用してきました。

 それが4月から写真の「ETC平日朝夕割引【地方部】」に変更されたのですが、このシステム、正直なところ良くわからない。
 割引率(多く利用すると50%引き、そうでなければ30%引き)の変更だけは理解できたのですが。

 そこで昨晩、念のためにNEXCO東日本のサイトで100kmを超える距離を入力してみると予想外の結果に。
 割引がちゃんと適用されているのです。

 驚いて条件をよく読んでみると、旧通勤割引の「100kmを越えたら割引はチャラ」ではなく、100kmを越えても割引が反映される仕組みに変更されているんですね。知りませんでした。
 もちろん不勉強と言われればそれまで。

 いろいろ考えたのですが、新しい「平日朝夕割引」はその対象を近距離通勤客のみに限定せず、より広い新規顧客の開拓を狙っているんじゃないかと思います。それはそれで、わかる。
 そしてたまたま、センセイもその条件にかなり合致しています。

 もしかすると4月からのセンセイは鉄道ファンではなく、カーマニアに変身してしまうかもしれません。



1月19日(月) 仕事のトンネルを抜けたら、本物のトンネルの中で止まってしまった

 時計を見たら日付はとうの昔に変わっていました。でも頑張った甲斐あって、朝までかかるかと思われた仕事にようやく一区切りをつけることができました。「ふだんからこの調子でやってくれれば...」との声が聞こえてきそう。
 でも、駄目な時はダメなんです。

 センセイが作業している間に一度見回りに来た若い守衛さんの仮眠を妨げないように研究室の鍵を返却して校舎の外へ出ます。当たり前ですが、誰もいません。
 たぶん夜明け前の自習室で課題に取り組む学生がいたのでしょうが、残念ながら前を通っていないので確認していません。

 窓越しのファミレス以外では人の姿を目にしないまま、アパート到着。仮眠の後、再び出勤して立場上の仕事を片付けます。事務の女性に挨拶して、今日、二度目の退勤。新潟の自宅にひとまず戻る必要があるのです。
 かろうじて間に合った特急「北越」に乗ると、気づいた時にはもう直江津近く。

 このまま順調に......と思ったら、柿崎駅で乗り換えた普通列車は青海川駅を過ぎ、最初のトンネルに入ったところで急停車してしまいました。若い車掌さんは落ち着いて「信号で停車」とのアナウンス。
 最初は確かに、そうだったのでしょう。

 ただしセンセイが乗ったのは、最後尾の車両。モーターを積んでいないため静かだからです。だから列車最後部にいる車掌さんの他者とのやりとりが筒抜け。
 本来は運転士が運転指令の指示に従って運行を判断するらしい。

 ところが列車はトンネルの中。運転士は列車の先頭、つまりトンネルの深い場所におり、無線電話が通じない。トンネル出口に近い車掌さんのものは幸いにも通話可能。
 と言うわけで、車掌さんと運転士、そして運転指令との伝言ゲームにつき合うことになりました。

 この地域は今日も強風。しかも工事中だったためきちんと徐行していた──運転士の名誉のために証言します──のに、途中で信号が変わってしまったらしい。
 何度か伝言ゲームを繰り返して、14分遅れで通常速度の運転再開。やれやれ。

 写真は何かって?

 停車したトンネル内に空いていた、「穴」です。センセイの座席から撮影したもので、「待避所」と呼ばれます。
 トンネルはとても狭く危険なので、点検のための作業員がここで列車をやり過ごすのです。

 列車に乗っていればいくらでも目にすることができますが、じっくりと見るのは初めてです。
 どうやら点検器具の仮置き場としても利用されているらしい。

 路盤に敷き詰められていたバラスト(採石や砂利)の散り具合が相当な重量物が、しかもかなりの高速で走行していることを物語っています。
 「待避」といっても、相当危険が伴うんだろうと思います。

 日本の「良さ」があるとしたら、それを支えてきたのはこのようなきちんとした、ある種の「仕事」だったのだろうと思います。これがその証左。
 もちろん、いわゆる仕事には限りません。

 家事であったり、生物学的・社会的弱者への思いやりであったり。すぐには報われることのない、しかしとても重要なこれらの「仕事」の意義を、次の世代へ伝えていくこと。
 それがセンセイらの努めだと思うのです。

 もちろん「仕事」──あるいは課題──を引き継ぐ側の覚醒を引き起こすことを含めて、です。どうでしょう。



1月18日(日) 今日は、ご褒美のお寿司がありがたい ──今晩は大学で完全徹夜かも──

 今日は見たままのお話。

 今朝は大学キャンパス脇で、近くの私鉄駅から歩いてくる女子高校生の集団と出くわしました。
 最終的な目的地はどうやら同じ場所らしい。

 朝から夜まで働いたのですが、終わり際に学長先生から「ずいぶん疲れた顔をしているぞ」とのこと。そりゃそうでしょう。
 その代わり、というわけではないのですが、帰り際に写真のお寿司を頂きました。

 その辺で売っているものではなく、「近江町市場寿し」──ただしセンセイは入ったことがない──というそれなりのお店のもの。
 しかも、どう見ても2人分くらいあります(食べきれなかった)。

 他の日はともかく今晩は、お寿司の差し入れが素直に嬉しい。というのは、今晩中に研究室で片付けなければならない仕事があるのです。
 明朝までに電子ファイルで提出せよとのこと。

 アイディアをずっと考えていて、なかなか実際の作業に取りかかれずにいたのです。今晩はアパートに戻ることができるかなぁ。

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