2005年10月29日更新(2005年11月7日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
■10月29日(土) 白状すると...。 ──復活した据え置き型DATの秘密──
先日故障が発覚し、修理に出されていたDAT(デジタル・オーディオ・テープデッキ)が無事に戻ってきました。
右が1991年に購入したそのソニーのDAT“DTC-77ES”です。本当は左右に木製パネルがついているのですが、外して使用しています。
DATはVTRとPCMプロセッサを組みあわせてオーディオ用のテープレコーダーにしたようなものです。
普通はVTRと同様、記録兼再生用の回転2ヘッド構成なのですが、この機種を含む一部高級機種は録音、再生ヘッドが独立した4ヘッド構成で、テープに記録した音をその場で確かめることができます。コストを重視する民生用VTRに4ヘッド機が存在しない(業務用には存在する)ように、DATでもごく一部の機種にしか4ヘッド機はありません。
コストに加えて、DATのヘッドを乗せたシリンダは直径30mmしかなく、搭載が難しいのです。このマシンは、購入してからずっと、自宅のオーディオの中核として働いてきました。テープの録再だけでなく、何台もある機器からのデジタル信号を交通整理する役目も果たしていたのです。
条件の厳しいテープ末尾などを含めて何本か視聴しましたが、今のところ問題はありません。
このマシンは低価格機種と違って、駆動箇所に専用ダイレクト・ドライブ・モーター(4D.D.)が配置されているので、15年目に入ろうとする現在でも動作は快適、正確です。梱包には修理で取り外した部品も同梱されていて、インダクタンス(コイル)1個、コンデンサー数個(写真左下)、マイクロスイッチ2個(右上)、ヘッド清掃用のメカ(右下)、ゴム類と日付記憶用の電池(消耗品)、そしてテープを正確に送るのに重要なピンチローラー(右)が交換されていました。
回路図がない状態でコンデンサーやコイルの不良を見つけるのは困難なので、今回の修理は仕方ないと思っています。
料金は16,000円でしたが、予想より安く、これで今までのテープを再生できるなら安いものです。ところでこのマシン、白状すると、実は致命的な問題があって、肝心要の音が悪い(!!)。
高級オーディオ機器──確か160,000円だった──なのに、本当に情けない。これはユーザーの間では有名な話で、特にアナログ出力はしょぼい音しかしません。アナログ/デジタル変換も、残念ながら今となっては高い評価を与えることはできません。
じゃぁ、何故センセイはずっと使っているのかというと、出力に関してはデジタルアウトをTEACのDAコンバータ(改造されていてとても良い音がする)で再生しているし、録音に関してはソニーの特殊なADコンバータ──幻の名機──を使っており、要するにこのマシンは、ただのデジタル・データ・レコーダーとして使っているからなのです。
この時期のソニー製品は、デジタルにまだあまり慣れていないためか、高級機種でも音の善し悪しにはっきりと差がついていました。
まぁ、音を確かめずに買った方が悪いのですが、言い訳が許されるなら、この上位の機種は30万円もしたので、とても手が届かなかったのです。
■10月28日(金) さすがはチューリップの本場!! ──富山県のチューリップ遺伝資源センター──
新潟−金沢の移動は電車が主ですが、時々車も使います。
高速道路はあまり好きでないので、日曜日に金沢へ移動する時など、時間に余裕があれば一般道路を主に使います。
それも、国道8号線などの幹線は、危ない運転の人でちょっと殺気立っているし、大型トラックも多いので、可能ならばそれに沿うように走っている国道や県道、あるいは富山県の「スーパー農道」を使います。
富山県は道路が網の目のように張り巡らされているのです。こういう一般道だと、高速道路や幹線国道からは絶対に見えないものに出くわすことがあります。
この日は、以前から気になっていた「チューリップ遺伝資源センター」の前で車を止めてみました。
以前走っていて、道路上の看板(写真右上)にそう書いてあったのです。改めてちゃんと見ると、「富山県農業技術センター 野菜花き試験場」というのが本当の名前のようです。
「花き」は「はなき」ではなく、「花卉」(かき:観賞のために栽培する植物)のことです。富山県はチューリップの栽培が盛んです。特に西部の砺波市は有名で、5月には大きなイベントが開かれます。
その時期に車を走らせながらローカルラジオを聴いていると、品種改良がどんなに大変であるかに驚かされます。一つの新品種を市場に送り出すのに、何と25年もかかるというのですから。
こういう、地域ならではのものは、やはり実際に行ってみないとわからないものですね。
う〜ん、それにしても、センセイの道路の選択はやはり、各駅停車を好む鉄道と共通していますね。まぁ、行動パターンが単純だということなんでしょう。
故障したWindowsノートは、今日、修理のために係の人に回収されていきました。
後から「ハードディスクを初期化しますが、いいですか」という電話がかかってきましたが、「困ります」とは言えないので、涙声で「はい」。
初期設定等がみんな失われてしまった......。どうもWindowsノートの故障で緊張の糸が切れてしまって、仕事になりません。メールを含めて仕事が溜まる一方です。
内容のある仕事はできそうにないので、昨日は早めに帰宅。
緊張をほぐし、気分を変えるために、まずぬるいお風呂にゆっくりと入りました(金沢では一人暮らしなので、いつもはシャワーなのです)。やはり疲れていたらしく、お風呂の中でちょっとウトウトしてしまいました。
で、風呂上がりに、自宅から車で持ってきた機器をゴソゴソと配置し始めました。
きっかけは昨日のこと。
昨日、受験生向けの雑誌の取材があったのですが、その中でオーディオ機器に話題がおよび、「自作機器や改造機器を本当に作ったのか」という質問を受けました。
センセイが今やっている仕事は文科系だから、自作、改造の話はホントかなと思ったようです。もちろんちゃんと説明したのですが、取材を終えてから、まだ動くかどうか心配になってきました。
このところ数年前に飼ったAV機器がどんどん不調になって修理に出されていますが、センセイが作った機器も製作後かなり時間が経っているのです。特に、できるだけ早くハードディスクへの保存しなければならないのが、DATテープともう一つ、βテープにPCM(パルス・コード・モジュレーション:要するにデジタル)録音したもの。
たぶん「ツートラ・サンパチ」こと2トラック38.1cm/sのオープンリールテープデッキ(ここに写っているラックの上部に見えます)に替えて、1981年頃から使っているはずです。その要となる機器こそ、センセイが改造したPCMプロセッサなのです。1992年に改造したので、もう13年経っています。
オーディオラックを移動していろいろ配線し直したものが下の写真。う〜ん、何だか良くわからないけど、たくさん機械がありますねぇ。
一度に説明するのは無理なので、順次ご説明しようと思います。今日はそのサワリだけ。
オーディオラック内、右下にある──黒いのでよくわからない──のが、この春、中古品を見つけた(1)βテープデッキです。
このデッキで、音声を画像の形に変えてPCM録音したデータ──写真のモニタ画面。見たことない人がほとんどのはず──を再生し、(2)モニタ上のPCMプロセッサで音声データに変えます。本来、このPCMプロセッサはデータをアナログ音声に変えることしかできないのですが、センセイはこのマシンを改造して、標準的なデジタル信号を外部へ取り出せるようにしています。
ただし、録音した時に「エンファシス」──録音時に高音を強調し、再生時に逆の操作をすることによってノイズを減らす。デンオンなどの一部CDや、BSの音声が採用している)──がかかっているので、一度(3)MDレコーダのデジタル・フィルタを通して、エンファシスを解除します。(MDに録音しているわけではありません。)
このマシンは将来、DATからのデータを受ける時に、BS放送のサンプリング周波数(Fs)48.0kHzや32.0kHzのデジタル音声をCDの規格44.1kHzに変換する役目も担います。MDレコーダからのデジタルデータは、(5)同軸・光変換された後、(6)Macが受け入れ可能な形に再度変換されます。
この間、MDのデジタル・フィルタでの演算部分を除いて、基本的にはデジタルデータのフォーマットを変換しているだけなので、音質の劣化は一切ありません。
ポイントは、βデッキがちゃんとデータを拾ってくれるかどうかということと、センセイが設計、製作したモジュールが、13年後の現在もちゃんと動くかどうかです。さて、結果はいかに?!
春に買ったβデッキはあまり使用されていなかったようで、綺麗にデータを拾っています。ヘッドがテープに当たる──正確には微妙に浮いている──部分の画像を見る限りでは、ヘッドはほとんど摩耗していないようです。
肝心要のPCMプロセッサは、お見事、何の問題もなく信号をMacへ送っています。見事なものです。
改造したのは13年前ですが、もともと自分で設計、製作する時はコストをほぼ度外視して良い部品を使うので、経年劣化が少ないのです。Macに記録された音を高音質のヘッドホンで聴くと、とても20年以上前のものとは思えません。タイムマシンに乗って、あの頃に戻ったような音です。
......てな具合で、我ながらすごいなぁーと思ったのですが、もし家人がこの様子を見ていたら、まず間違いなく「そんなこと始めるようじゃ、原稿(の執筆)がはかどっていないってことね」と言われるに違いありません。
はぁ、まぁ、その通り。
......センセイの今の得意技は、残念ながら回路の設計ではなく、現実逃避のようです。情けない。
言い訳が許されるなら、センセイの場合、アイディアを集中的に練る時には、どうしてもこういう場面が必要......認めてもらうの、無理だろうなぁ。
右の写真......これじゃ、何が何だかわかりませんよねぇ。
実はこれ、センセイのアパートの洗面台の、その端の部分をアップで撮影したものです。
右手は壁(実際はもっと白い)、左下は洗面台、中央部、左上から右下にかけてはシーリング材です。
その中央部に茶色っぽい染みがあります。黴(かび)です。そもそもこのアパート、洗面所やお風呂場がまったく外に面していません。
湿気がとてもこもりやすい構造で、実際、センセイが初めて入った時は、それまでかなりの間空室だったためか、このシーリング材一面に黴が生えていていました。センセイが借りてからは、毎日8時間ほど除湿器をかけている──梅雨場などは容器が溢れるほど除湿する──ので、黴はシーリング材の表面からはほとんど消えてしまいました。
けれどよぉーく見ると、シーリング材の奥に、芯のようになって黴が残っているのがわかります。ちょっとやそっとじゃ取れないようですが、センセイはただの借家人なので、これ以上どうこうするのは無理です。え〜い、忌々(いまいま)しい黴め......と思っていて、ふと気づきました。
黴の立場になったらどう見えているんだろう?
やっと住み着いたシーリング材。水は十分、食料もニンゲンがホコリやゴミで供給してくれるから天国だと思ってファミリーを増やしていたら、最近登場したニンゲンが水気を絞ってしまい、おかげで......てな感じかしら。
もしかすると、飼われているのはセンセイなのかもしれませんねぇ。
■10月25日(火) Windowsノート機、突然死する!!
昨晩、「Windowsノートの調子がおかしい」と書き、このホームページをアップした直後に、悲劇はやってきました。
Windowsノート機が突然死したのです。
不穏な兆候は一昨日からあって、新潟から持ってきたファイルの一つが完全に破壊されていました。
重要ではないファイルだったので、打ち直して済んだのですが、センセイの現在のコンピュータシステムでは、いつでも持ち運ぶために重要なデータがこのWindowsマシンに集中しており、とても不安になってきました。で、データのバックアップを取ろうとして、その前にディスクのチェックをかけた途端、「レジストリを修正して一つのファイルを救出しました」という意味の表示をして、(治ったと言っているのに)その後はちゃんと起動しなくなってしまいました!!
ひとまず立ち上がり、パスワードも入力できるのですが、その直後に再起動してしまうのです。
マシンが使えないのも困るのですが、さしあたり、ここ半年くらいのデータが、このマシンの中だけに存在しています。
忙しくてバックアップできなかったのです。何度手をつくしても、右の写真のようにブルーのスクリーンにしかなりません。
チェックをかけて、しかも修復したと報告しているのですが、状況はどんどん悪くなります。
......最悪だ。
Virtual PCやこれまで使ってきた95、98のマシンは、こんな時に自動的にセーフモード(Macならシフトキーを押して起動した状態に近い)に切り替わります。
けれど今回は全然そうならないし、セーフモードへの切り替え方法もわかりません。
仕方ないので昨日はやけ酒を飲んで──実は西村センセイ、最近は禁酒/節酒している──寝てしまいました。
一晩すれば治る──Macの場合、そういうこともある──かと思ったのですが、Windowsのトラブルはそんなに甘くなく、事態は悪化の一途。
職員が出てくる時間まで待って、技術の人に相談しました。(それまでの朝の長かったこと!!)
結局Windowsは救えなかった(!!)のですが、それでもネットワークを使用できるセーフモードに入れた(2枚目の写真。起動時にF8キーを押し続ける)ので、ネット経由でファイルはMacに待避させることができました。
最悪の事態は免れたわけですが、アプリケーションが抱える書類(メールなど)やアプリ本体、各種の初期設定はほとんど失われてしまいました。
突然死したWindowsノートは修理に出されるのを待っていますが、その間、アパートのPowerBook G4を持ち出してきました。
メールなど、大学のPowermac G4からのデータ移行はごくごく簡単で、何のことはない、ターゲットディスクモードでフォルダをコピーするだけ。WindowsやMac OS Xでは想像もできない簡単さです。この間、まる1日がかりの大仕事で、大至急の仕事が間に合わなくなってしまいました。非常にマズい......。
今月末締切の原稿を送るのに、顔写真が必要になりました。普通の雑誌は写真なんて載せないのだけれど、工学系では割とあることのようです。
西村センセイ、もともとは何も考えずに普通のカメラ屋さんで写真を撮ってもらっていたのですが、最初の大学生の時に新潟市の長谷川写真館──実はとても有名なお店だった──というお店を紹介されて、本当にショックを受けました。
テクニックが全然違うのです。もちろん出来上がりも違います。それ以降、2年に一度くらいの割合で撮影してもらっていたのですが、金沢に移ってからは学内で必要な写真を撮影するため、長谷川写真館にはちょっとご無沙汰してしまいました。
で、写真が必要になって、長谷川写真館で撮影したストックを調べたところ、大きさがあわない。いつもなら電話して取り寄せるのですが、最後に撮影したのが平成14年。
3年も前なので、焼き増ししてもらえそうにありません。仕方がないのでこの週末、柏崎市内の写真館を回ったのですが、あいにく七五三で混み合っているのと、どう見てもテクニックが違うのと、(それにもかかわらず)料金が無茶苦茶高いので、写真館での撮影を諦めてしまいました。
新潟まで行っている時間はないのです。情けないなぁーと思いながら、いつも行くカメラ屋で撮影してもらうことにしたのですが、事情を話すとややこしいことになるので、「証明書の写真で」と告げて撮影してもらいました。
5分で出来上がったのですが......これじゃまるで犯罪者の写真だぁ。(恥ずかしくてお見せできません。)
車を走らせながら考えた──今週は車で金沢へ来ている──のですが、要するに、物事の表面はもちろんのこと、内面を引き出すことができるか、表面の、見えるものしか理解できないかの違いなんでしょうね。(センセイに内面があるかどうかのご判断はお任せします。)
カメラ店で、その写真の入ったCD-ROMをオマケにもらったのですが、何だかとても悲しい。
あ、そうそう。
写真の手配をしているからといって、肝心要の原稿が完成したというわけではありません。今週は悪戦苦闘の日々が約束されています。
お返事をお待ちの皆様、せっかく書いたメールが吹っ飛ぶ──Windowsノートの調子がおかしい──など他のトラブルもあって、メールのお返事が遅れておりますが、もう少々お待ちください。
■10月23日(日) 老人パワーが日本を変える?! ──西村センセイ、回転寿司で考える──
週末の自宅では、お昼になると「どこかに食べに行こう」ということになります。子供の口に合わせるので、たいてい回転寿司──オトナの行くお店はカウント外──かラーメン。
ごくごく稀に、ステーキなどということもありますが、センセイは肉をあまり食べないし、家人にいたってはまったく食べないので、こちらは年に1、2度あるか、ないか。柏崎市内にもいくつかの地元資本の回転寿司があったのですが、写真の「すしおんど」(元気寿司)の出店で勢力地図が一変してしまいました。
仕入れ価格でとても対抗できない地元資本のお店は、2店が閉店し、他の2店は営業を続けているものの、宅配に軸足をシフトしてしまいました。この「すしおんど」、すべてのお皿が100円(税別)均一なのですが、必ずしも安かろう、悪かろうのお店ではありません。
もともと日本海側は、都内などからは想像もつかないくらい回転寿司のレベルが高く、特に金沢は、都内から出張した人が驚く程の品質です。
この「すしおんど」のように、低価格帯で勝負するお店でも、店舗間の競争が激しいので、このところ品質はかなり向上しています。で、ここからが本題。
最近気づいたのですが、この「すしおんど」に老人の姿が目立つのです。
ファミリーで回転寿司へ行きたいんだけど、おばあちゃんだけを家に残すと可哀想だからいっしょに...というのではなく、老夫婦だけや、場合によっては老人が一人でで来店したりするのです。
もちろんそれなりにご満足の様子。都市部で老人のコンビニ利用が増えている──今や主戦場──のは有名な話ですが、どうもここではその回転寿司版が起きているのではないかと思われるのです。
今までは無縁だと思っていたし、実際マズくて食べられなかったけれど、最近国道沿いにできたあのお店、帰省した息子夫婦に孫と一緒に連れていってもらったら意外とおいしくて、それ以来、献立を考えるのに疲れた日は爺さんの車で......という感じ。センセイの実家もそうですが、老夫婦あるいは老人の一人暮らしだと1回の食事の量はあまり多くありません。でもその人数や頻度(回数)が増えたら、これはもう無視できない現象です。
これは食事だけではなく、多くの経済活動に当てはまると思います。
目前に迫った、団塊世代の退職期には、こういった老人の、かつてはニッチとされてきたマーケットが、想像以上に大きな市場に成長するかもしれません。もう一つ。
一部にせよ、老人に回転寿司が拒絶されないということは、老人の味覚の基準も変わってきているのではないでしょうか。どうでしょう?