2006年3月18日更新(2006年3月27日ページ移動。2011年5月3日一部写真削除)

──2006年3月第3週のニュース──

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3月18日(土) 金沢工大の卒業式が行われました

 昨日の午後、オトナの美女二人が研究室へいらっしゃいました。一人は袴(はかま)姿、もう一人は上品なお洋服。

 そう、卒業式なのです。

 正確に言うと、昨日は大学院の学位授与式──要するに卒業式──で、無事に修士課程を終えられたお二人がご挨拶に見えられたのです。
 世話になったのはセンセイの方なのですが......。

 続く今日は学部の卒業式で、大学院の修了生に比べて、学部卒業生は約10倍!!
 おかげで、朝からキャンパスは一種の緊張状態がみなぎっています。

 卒業式を終えたお昼休みに昼食を買いに外へ出たのですが、一連の式を終えた後、学部ごとに分かれて卒業証書などをもらうために移動している卒業生と出くわしました。

 袴姿もあちこちに見えます。......女子学生、こんなに多かったかな。

 沿道では学部生が花束を持って出迎え、記念撮影などをしています。とても華やかな雰囲気です。

 そのうち写真のように胴上げも始まりました。「結構軽い」だそうです。

 考えてみると、卒業式には何回も参加していますが、式後の学生の姿を見るのは初めてです。

 センセイらの場合、授業で教えるのは1年生が主。例外を除くと、3、4年生とつきあう機会はなかなかないので、卒業式が終わるといつもすぐに研究室へ戻ってしまっていたのです。

 こうやって見過ごしてしまっていたものって、結構多いんだろうな。



3月17日(金) ブルー・トレイン、もう一つのラスト・ラン

 明日18日の朝、JRのダイヤが改正されます。

 この機会に、旧国電型車両の運用停止、関西本線唯一の急行「かすが」の廃止、そして寝台特急「出雲」が廃止などが行われます。特に出雲については、今晩のニュースの中でずいぶん取り上げられているのではないかと思います。

 実はもう1本廃止になるものがあるのです。大阪と函館を結んでいた寝台特急「日本海1・4号」です。

 すぐに補足しなければなりません。

 廃止といっても日本海1・4号すべてではなく、青森−函館区間の運行を廃止して、1〜4号すべてが青森止まりになるのです。

 北海道へ向かう場合、「日本海1号」は夕方の6時前に大阪を出発し、金沢には9時半頃到着、西村センセイ宅の脇を0時15分頃に通過して、8時半に青森に着きます。
 右の写真は2004年3月10日に青森駅に到着した時に撮影したものです。

 客車は通常8両なのですが、個室A寝台を含む4両が午前中をずっと使って青森から北海道へ抜け、11時半頃に函館に到着するという、と〜っても優雅な列車なのです。

 特にA寝台は個室なので、だれにも邪魔されることなく、日が昇ってからの青森県や北海道南部を楽しむことができます。

 センセイにとっては、もう、これしかない!! という感じの列車で、実際にA寝台何度か乗りました。でも、世の中からすると、やはりのんびりし過ぎているらしい。
 センセイが利用した時も、函館まで乗る人は僅かでした。

 あさかぜ(東京−下関)、あかつき(京都−長崎)、そして出雲など、ブルートレインが次々と廃止されたり運転区間を短縮されたりしています。
 お気に入りだったし、センセイにとっては割と利用しやすかったので、日本海の上記区間廃止はとても残念です。



3月16日(木) 発掘された写真

 先日、自宅の机の中から10年前のポジ・フィルム(スライド)が出てきたことをお伝えしました。大学のパンフレット撮影のおこぼれです。

 実は自宅のスキャナ(この写真中央奥、G4 Cubeの手前)用に透過型のアダプターも買ってあって、スライドを直接読み込むこともできるのですが、今回はあまりうまく行きませんでした。

 で、ポジを写真屋さんに出して、いったんネガフィルムを作ってもらい、それをもとに紙に焼いてもらった2枚のうち1枚が右の写真。(もう1枚は前回お伝えしたもの。)

 う〜ん。

 このサイトでは珍しく、西村センセイご登場。と言っても10年前のお姿ですが。

 結婚後ずいぶん太っていたのが、この頃は何故か体重が短期間で激減──ピーク時より17.5kg落ちた──していた時期。
 現在はこの写真より10kgくらい増えているので、印象が違うと言えば違うし、でも、あまり変わっていないかもしれない。

 結局、自分のことはよくわからない。



3月15日(水) スパム・メールが激減したのはいいのだけれど...

 大学のメールアドレス宛にスパム・メール(迷惑メール)が大量に送られてくるようになりました。特にこの1年ほどはひどくて、本来のメールの倍以上にもなります。

 何回かお伝えしているように、センセイは数カ所でメールを受信しているので、それぞれの場所で必要なメールを受信後に、すべての場所で受信して不要になったメールやスパム・メールを、特定のマシン(大学と自宅のMac)でサーバー上から削除ししています。
 センセイが使っているメーラーの中では、MacのOutlook Expressだけがサーバー上のメールを個別に削除できるからです。

 平日は大学にいるので、出勤後はまずメールをチェックして、スパム・メールを削除します。

 でも週末や移動先では削除ができないので、スパム・メールが大半を占める山の中から本来の必要なメールを探さないといけません。
 また週明けに大学へ出勤すると、週末に溜まったスパム・メール──100通近い──削除しなければなりません。
 これが結構な手間なのです。

 週末ですらそうなのですから、年末年始や海外出張など、長期にMacを使えない場面では絶望的な状況になります。

 アメリカへ行っている時、さすがにこれはマズいと思っていろいろ試していると、大学が提供するWebメールシステムで、出先(新潟の自宅や出張先など)から不要なメールを削除できることがわかりました。

 これは便利だ!! どこにいてもスパム・メールを削除できますから。

 ......と思ったら、今度はお目当ての(?)スパム・メールが届かない。ナシテ?

 数日待ってみたのですが、明らかにスパム・メールが激減しています。

 アメリカへ同行した同僚にこのことを話したところ、やはり彼も気づいていて、大学がスパム・メール防止システムを導入したらしいことと、メールのヘッダでそれが分かるらしいことを教えてもらいました。

 さっそく調べてみたのが右上の写真。これは外部からセンセイ宛に届いたメールのヘッダの一部です。

 ちょっと分かりにくいと思いますが、スパム・メール防止システムが出所や経路を調べ、しかも本文の内容を読んで(!!)スコアをつけて、スパムであるかないかを判断しているようなのです。

 う〜ん、嬉しいような、ちょっと怖いような......。

 効果は覿面(てきめん)。防止システムをくぐり抜けるのは外国からの株や危ない薬の情報くらいで、日本語のスパム・メールはほとんど届かなくなりました。

 でも、よぉーく考えてみると、例えば受講生がインターネット・カフェのパソコンを使って変わった質問をしてきたりしたら、出所も、内容も十分にアヤシイ。

 こういう時はスパムに分類される可能性はないんだろうか......。



3月14日(火) 日本海側は冬に逆戻りしたかのようです

 一昨日の日曜日から日本海側は冷え込んで、雪が舞っています。

 今週は車で来たのですが、途中、雪が積もっている場所があって、かなり恐い思いをしました。体の方が春だと思って油断してしまっているのです。

 昨日の金沢もかなり冷え込んだのですが、今朝はもっと冷えて、車の外気温計は-1℃を示していました。
 夜の間に雪が降ったので、フロントガラスに凍り付いた氷雪をガリガリと落としてからの出勤です。

 大学に到着してやれやれと思ったら、今度は雪がドンドコ本格的に降ってきました。

 ご覧のように、朝は地面が見えていたのですが、皆が出勤する頃には一面真っ白になってしまいました。
 お昼のニュースによると金沢市内の積雪は12cm(!!)だそうです。

 冬靴も手袋も新潟の自宅に持ち帰ってしまったのに、まるで真冬に戻ったような冷え込み方です。

 天気予報によると、明日は南風が吹き込んで気温が一気に上昇するそうな。

 気温の差は激しいし、日の出や日没の時間もずいぶん変わってきているので、何だか調子を崩してしまいそうな、そんな季節の変わり目です。



3月13日(月) センセイの実家は第二の山古志村だった?!

 昔から西村センセイ、NHKテレビの天気予報を見ながら、ずーっと気になっていたことがあります。

 それは天気予報ではなく、その背景に用いられている新潟県の衛星写真。

 右の写真は以前ご紹介したGoogleマップで新潟県の一部を見たものです。(c)Google(以下、3枚とも)

 本題からはちょっと逸れますが、Googleマップは日々更新されているようで、新潟市西部など一部の地域では非常に高解像度の衛星写真を見ることができます。
 ぜひご自宅、あるいは関係者宅を探してみてください。

 で、本題に戻り、NHKテレビの天気予報の背景には、このような写真が使われているのですが、この写真をじーっと見ていると......見えてきませんか? 何かが。

 例えば新潟県中部(「中越」地方)から東を見ると、右の写真のように、北東から南東方向へのたくさんの繋がり(黄色い線)と、それらとほぼ直行する赤い線が見えてきません?
 上の写真と比べてみてください。

 センセイの主張に全面的に賛成するかどうかはともかく、黄色い線の部分が全く見えない、という人は少ないのではないでしょうか。

 西村センセイ、ずっと考えていたのです。例えば信濃川が浸食したからこうなったんだとか......。
 でもそれにしてはあまりに規則的すぎます。平行線が多すぎるのです。

 で、新潟県中越地震よりずっと前のある時、事実はたぶん逆なんだということに気づいたのです。

 信濃川が浸食したのではなくって、もともとの地形があって、その低い場所を流れているのが信濃川(+魚野側)なのです。

 つまり、写真右下に赤く太い矢印で描いたように、南東から北西方向にかけて太平洋プレートからの圧力がかかり、大陸プレートの上に載っている新潟県にこの圧力によって生じたのが黄色い「皺(しわ)」なのだと思います。

 黄色い線が即、断層だというわけではありません。「地向斜」と呼ばれる構造などが連なっているのですが、地向斜や断層などの地下構造が黄色い線に沿って存在し、その中で弱く、低い場所を川が流れたのでしょう。

 太平洋プレートの圧力は必ずしも均一ではないですから、時として黄色い構造線が途切れ、不連続な部分が発生してしまいます。
 それがきっと、赤い線の部分で、この赤い線は断層などの地下構造と対応しているものと思われます。

 写真を拡大してみても、基本的な事情は同じです。

 右の写真は2枚目の写真の中央部、「 」で示した部分を拡大したものですが、写真の右側に示した黄色い線に平行する構造と、それにほぼ直行する赤い線(ちょっと見にくい)に平行する構造をたくさん見ることができます。

 この図を作成していて気づいたのですが、写真の右側で信濃川の進路が変わっているのは、どうも偶然ではなく、付近の地下に不連続な構造が隠れているように思われます。
 堆積によってわからなくなっていますが、新潟平野の下にも、おそらく黄色と赤の線に対応した同じような構造があるのでしょう。

 これらの黄色い線の構造がきちんとしているところはまだいい方で、この写真では良くわかりませんが、黄色い線と赤い線が交わる付近では、地形がグチャグチャになっています。
 黄色い皺の上に赤い皺がよるので、複雑骨折のような状態になっているのです。

 例えばそれは、2枚目の写真に示した旧山古志村(現在は長岡市に吸収合併)であり、一昨年の新潟県中越地震の震源地付近です。

 通常ではあり得ない、本震より余震が大きいという新潟県中越地震の特徴は、複雑骨折を考えると、理解しやすくなります。一つの骨折をきっかけに古傷がガクッと傷む......。

 さて、右の写真は、以前ご紹介した実家付近の航空写真です。

 写真そのものは国土交通省が提供しているもので、現在はURLがhttp://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/に変更されています。(c)国土交通省(以下、2枚とも)

 で、右の写真は3枚目の写真の左下、「 」で示した部分──わかるかな?──を拡大したものです。

 センセイは右の写真の上部に見える集落に生まれたのですが、子供の頃から目の前に広がる南東−北西方向の谷(5枚目の写真の赤い線)は強く意識していました。
 だって、目の前に広がっているんだもん。

 けれど、母親の希望でこの写真をA4版くらいまで大きく引き伸ばし、自宅でビールを飲みながら出来上がった写真をボォーッと見ていて、あることに気づきました。

 4枚目の写真に、上の2、3枚目と同じ要領で黄色と赤の線を引いたのが右の写真。(この写真では谷の部分に線を引いています。)
 もちろん目立つのは大きな構造の赤い線。

 でも、よぉーく見ると、黄色い線がほぼ等間隔で走っていることに気づきます。
 それも、一つの赤い線(谷)の部分だけに関係するのではなく、いくつもの赤い線をまたいだ大きな構造であることがわかります。

 つまり、見た目で強い印象を受ける赤い線が先なのではなく、黄色い線、すなわちプレートの押し出しを受けて、長い長い時間をかけて規則的に造られた構造がまずあって、その次に赤い線、なのです。
 これらの黄色い線はプレートの押し出しが生み出した皺の、地表に表れた最後の部分なのです。(日本海側にさらに続いているんだろうけど。)

 新潟県中越地震における山古志村の地震の大きさは凄まじいものだったようですが、かつてはセンセイの実家付近でもそれに匹敵するような地震が繰り返し繰り返し起きていたのかもしれません。

 こういう構造は決して新潟県だけのものではなく、たとえば新潟県の黄色い線は、南西側には信濃川/千曲川沿いに長野県北部を経て、日本を地質的に東西に分ける大断層フォッサマグナまでまで繋がっています。
 40年近く前の長野県北部の松代群発地震はこの構造と無縁ではないでしょう。

 石川県だって能登半島中央部あるいは金沢市付近に、似たような構造を見ることができます。金沢市は断層の上に位置しているのです。

 北東側に目を転ずると、黄色い線の延長上には1960年代に起きたあの新潟地震、1990年代の新潟県北部地震、それまで津波は起きないと信じられていた日本海で大きな津波被害を起こした日本海中部地震、そしてこちらも大きな津波被害を起こした北海道西部沖での地震。
 これらの地下構造と地震は深く関連しているのです。

 佐渡島の地形だって、これらの地下構造と無縁ではないでしょう。

 以前、全然違う話題の中でもお伝えしたことなのですが、目の前だけ──この場合は自宅前の赤い線の谷──を見ていては何も見えません。
 プレート・テクトニクス→太平洋プレートの押し出し→大陸プレートの「皺」......というように、部分と全体を見なければ何も分からないんだということを思い知らされた衛星・航空写真でした。

 なお、新潟県中越地震を含めて、(地形に残っている)この地域で起きたはずの地震は、太平洋プレートが沈み込み、そして歪みを溜めきれなくなって発生する東南海地震などとは別のメカニズムです。
 その時に放出されるエネルギー量は、新潟県中越地震などとは比較にならない大きさのはず。

 新潟ですらこうなのですから、これらの地震については、やはり相当の覚悟と備えが必要だと思われます。



3月12日(日) 廃止された富山港線のホームは...

 この週末は、明るい時間帯に特急で富山駅を通過して新潟の自宅へ戻ったのですが、富山駅に近づいて、光景が一変していることに気づきました。

 富山駅構内の西側には、列車を一時的に待避させておく線路がたくさんあるのですが、それがきれいさっぱり撤去されていたのです。線路や枕木はもうなく、工事用の車両が整地作業をしていました。
 西村センセイ、うっかりしていたのですが、富山港線が2月28日で廃止されたことに伴う工事のようです。

 もっとも、ここで待避していた列車は、富山港線より北陸本線の方がはるかに多かったので、ずいぶん大胆な判断だということになります。

 で、心配になって車窓から富山駅の富山港線ホームを探しました。

 もともと富山港線は後から国鉄に組み入れられたという事情があって、駅舎から一番遠い場所を宛(あてが)われていました。他のホームと違って跨線橋はないし、地下通路も区別された造りになっていました。
 要するに格下の扱いです。

 隣のホームに停車している視界を遮(さえぎ)っていたので確証はないのですが、ホームも撤去されたか、少なくとも撤去工事が進んでいるようでした。

 特急が富山駅を出発すると、富山港線──というかその跡──が左手に分かれていきます。

 すでに駅構内も、分岐後も線路や枕木は撤去されていました。富山駅に隣接した「富山口」駅は残っていましたが、駅の名前は撤去されていました。

 富山港線は直流、北陸本線は交流なので、交直切替えのためのデッド・セクション(死電区間)が駅構内にあった──たいへん珍しい──のですが、電柱はかろうじてまだ残っており、交直切替えの標識がここに富山港線があったことを示していました。

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