2006年10月21日更新(2006年10月29日ページ移動。2011年5月3日写真削除)
■10月21日(土) 新しい時刻表を買おうと思ったのだけど...。 ──JR北陸線・湖西線、直流電化──
新潟の自宅に戻る前に、大学の売店でJTBの時刻表を買おうとしたのですが、まだ最新号は届いていませんでした。来月何回かちょっと遠くへ出張するので列車ダイヤを確かめたかったと、そしてもう一つ、今月号にはある情報が載っているはずなのです。
発売日を過ぎているのですが、大学売店、少し安いんだけど、いつも届くのが遅い......。新潟(柏崎)の本屋にはもちろん並んでいたので、最初の方の黄色い「付録」のページの最後の部分を見てみました。
ところが、肝心の情報が載って......ない。どうしてなんだろう?
報道(たとえばこちら)でご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、今日、10月21日からJR西日本北陸本線と湖西線のそれぞれ一部が、これまでの交流から直流に切り替わりました。
右の記事は朝日新聞のサイトですが、図中の赤い部分が、その下の部分の大阪や京都と同じ方式に切り替わったのです。((C))朝日新聞社
「それがどうした」と乱暴に訊かれそうです。
このご質問へのお返事はさしあたり、「特急に乗らなくても敦賀から京都、大阪まで行けますよ...」「それがどうした!!」
電気には「直流」と「交流」の二種類あるのはご存じだと思います。
日本の鉄道の歴史は、そのまま日本産業史の重要な一部でもあるのですが、その発展の中で都市部を中心に蒸気機関車などから電車への「電化」が直流で行われました。
昭和30年代、高度経済成長を背景としてそれ以外の地域での電化が進んだのですが、種々の事情からこちらは交流で電化が進められました。
この二つ方式は、直接つなぐことができないので、境目に「デッド・セクション」(「死電区間」)が設けられます。直流・交流区間の両方を走ることができる列車は高価なので、限られています。特急列車や一部の普通列車だけです。
関西を走る普通・快速列車がそれなりに新しいのに、富山・石川・福井の北陸地方(直流電化の小浜線を除く)を走る普通列車がみんな古いなのはそのためです。
北陸地方を走っているのは、かつて長距離を走っていた急行車両や寝台車の改造車両〔食パン型車両〕なんですね。あまり意識する機会は少ないかと思いますが、こういうことって実は、私たちの生活を支えている基盤の一部を変更するってことなんですね。
JTBの時刻表に戻りましょう。
他社の時刻表は知りませんが、JTBの時刻表は、電化や複線化などの基本的な情報が改訂された場合、付録の最後に日本地図と電化/非電化、単線/複線その他の基本情報を載せているのです。
数年に一度ですけど。2003年の前回は、北海道・旭川付近の電化区間が一部変わっていました。
今回はその改訂のはずだったのですが、どうも列車ダイヤ改正は本日からだったものの、交直の変更は先月下旬に行われていたので、この基本情報は、一つ前の時刻表に掲載されいるのかもしれません。
どこかのお店に、売れ残っていないかな。
■10月20日(金) へぇー、こうやってビルを解体するんだぁー。 ――環境対策はどうなっているんだろう?――
先日ご紹介したマンション工事は、解体工事であることが判明しました。やっぱりね、ではありますが。
ある日、所用でいつもよりずっと遅い時間に出勤すると、その日の作業が始まっていました。
自転車を止めて、ちょっと様子を見ていると、あれ、まぁ、パワーショベルに大きな箱のようなものをつけてゴミ箱のように使い、一輪車──写真から、わかるかな?──を使って室内からごみ(?)をその箱の中に捨てています。
どうも木材など内装部分を先に解体して、コンクリートだけにしているようです。
昨日も工事が始まっていたのですが、これがびっくり!!
屋上にパワーショベルがあるのです!! 重い重機をどうやってあんな所まで上げたんだろう。(ビルの反対側に回って撮影)
で、そのパワーショベル、先端部分が蟹の鋏(はさみ)のような解体機具に交換されていて、屋上の出っ張った部分を挟みながら解体していました。
今日の夕方にはもう、この出っ張り部分はなくなっていて、さらに驚いたことにパワーショベルは屋上ではなく、その一階下に降りていました。
ほとんどが壁の陰に隠れていたのでよく分かりませんでしたが、おそらく屋上を完全に壊して瓦礫を階段状にし、自力で降りたのでしょう。ビル解体工事の様子を間近で見るのは初めてなのですが、こうやって上の方から解体してくるんですねぇ。
なぜ「間近で見るのは初めて」かというと、解体現場は普通、破片や粉塵が飛散しないように被(おお)いで囲ってしまうから「見えない」のです。
でもこの工事現場、民家のある側は囲ってあるものの、それ以外の場所では何の対策も講じられていません。風が少しあったせいか、田んぼを挟んだ場所から見ていても、かなり埃っぽい。
環境対策はどうなっているんだろう。疑問が、もう一つ。なぜ最初にビルの中央部に大きな空間を作ったのでしょう?
パワーショベルの活動空間かなと推測しているのですが、上から壊しながら降りてくるのならこの穴は不要なはず。また上から壊して2階にたどり着いたとしたら、床に大きな穴が開いているし、強度も下がっているわけですから、とても危険。
う〜ん、本当のところはどうなんだろう......と考えていたら、ふと、ある考えが。
最初に大きな穴を開けてパワーショベルが中に入り、一つ上の階の床を部分的に壊して階段状にし、そこを重機が自力で登る。以下同様に自力で屋上まで登り(!!)、今度は上の方から完全に壊しながら降りてくる。
......まさかねぇ。ただし、いずれにせよ重いパワーショベルが自分の乗っている床を壊しながらでの作業ですから、下手をすると一緒に崩れ落ちる可能性があるわけで、とても危険な作業であることだけは間違いありません。
■10月19日(木) まだしっかり残ってました。“IBM”ロゴ。
IBM社のパソコン部門が中国レノボ社に売却されたことは良くご存じだと思います。
売却時の契約で、数年間は“ThinkPad”のロゴを使って良いことになった......というのは覚えていたのですが、“IBM”ロゴについては......あれ? どうだったのか、良く覚えていない。
他社のロゴですからね。で、昨日届いたThinkPad。
ご覧のように上蓋(うわぶた)と右手パームレストにしっかりと“IBM(International Business Machines Corporation)”が残ってました。
“ThinkPad”と一体になっているんですね。案外、それが残った理由だったりして。ずっと昔のことですが、「IBMと東芝のWindowsノートは造り込みが違う」と良く聞かされました。
もちろん表面的な性能はCPUやOSで決まるので、その意味での性能はほとんど差が出ません。
違いが出るのは実用性、つまり実用機としての使い勝手、生産性そして信頼性です。
仕事をバリバリする時の「痒いところに手が届く」、あの感じです。(大学生の皆さんには難しいかな?)西村センセイ、当時はすでにMacユーザーだったので、この経験談を聞いても無縁だと思って軽く聞き流してしまっていました。
でもやがて、AppleのPowerBook 2400c(IBM製)──何だかややこしい──を使い、そして何台かのWindowsマシンも使うようになって、遅ればせながら、それを確認することになりました。
低価格の機種を含めて、やっぱりIBM(と東芝)は、違う。(他社製品が使えないというわけではないけれど。)だからレノボ社製になってどうなるのかと思ったのですが、残念ながら少し変わったかな、と感じます。
ほぼ同内容で、IBMロゴのないレノボなら、さらに安くなるのですけど......う〜ん、買うだろうか。
このマシン、以前よりちょっとレベルは落ちてるようだけど、憧れの、そしてセンセイにとっては最後のIBMマシンとして、丁寧に使いたいと思っています。
■10月18日(水) “IBM
ThinkPad”がやって来た!! (レノボ製だけど。)
お昼を挟んで、講義3時間と、会議が一つか二つ続くというヘビーな水曜日。
昨日に引き続きヘロヘロ──けれど別な疲れ方──になって事務室に立ち寄ると、センセイ宛に見慣れない箱が。おぉ、IBMの“ThinkPad”が届いたのです!!
実は授業のページのデータ入力や成績管理は、スチューデント・アシスタントの学生さんが入力してくださるのですが、これまで研究室内で使っていたのは古い官給品のWindows 98SEマシン。
さすがに古すぎて、このごろずいぶんおかしくなってきました。貴重なデータが消失しそうになったこともあります。そこで科学研究費補助金の中から、何とか新しいノート機を買うことにしたのです。
外へ持ち出すわけではないので、質実剛かつWindows XP Proを使えるマシン── XP Proでないとファイル共有に制限をかけられない──で、次いで安価なら何でも良かったのですが、案外適当なマシンがありません。
やっと見つけたのがこのマシンで、10万円ちょっとでした。
大学のネットに接続するためには申請する必要があり、このマシンの固有情報を知るために、仮に立ち上げました。(写真右側)
今日は仕事が重なった──授業のサイトも完全には更新できませんでした。ゴメンナサイ──ので、ちょっと触っただけだったのですが、キータッチが今までのIBMとかなり違います。
今までのThinkPadは、キータッチがはっきりしていて、ピアノの鍵盤のようにいつまで打っても疲れませんでした。けれど今回のマシンはタッチがはっきりせず、バネ仕掛けのような、ぶわぶわした感じがします。
同僚が割と最近買ったThinkPadは、タッチがはっきりしていたので、この間に変わったのでしょうか。この間に変わったことといえば......レノボになったから?(本当のところはわからないけど。)
■10月17日(火) 電気の「真電」、ノジマに吸収合併、解散へ!!
今日は早朝からよく働いた一日。
ヘロヘロになったので、いつもより早く帰ろうとしていたところに、新潟県民としてはちょっと気になるニュースが入ってきました。
電気の「真電」が、関東のノジマに吸収合併され、解散するというのです。(c)ロイターでも「真電」と言っても、ピンと来ない人がほとんどのはず。
真電は新潟県内ではよく知られたローカル資本のお店で、バブル期に当時の郊外に大きなお店を次々と出して、規模を拡大させていきました。
「車で真電に行けば、必ず見つかる。しかも安く」という感じでした。しかしバブル崩壊後はお店の経営方針が定まらず、しかもヤマダ電器やジョーシン、コジマ、ケーズデンキといった全国資本の、さらに大きなお店にどんどん押されてきていました。
打開策として秋葉原のラオックスと提携したのですが、状況はあまり変わらず......。
いつの間にかすっかり存在感がなくなっていました。新潟市万代の本店に行っても、お客はまばら。センセイの自宅のある柏崎市にも、郊外型の店舗としては最初くらいに出店して、お客をかなり抱えていた──センセイも転居の際にはかなり使った──のですが、店内に同居するラオックスはともかく、真電はお客がさっぱり。
ケーズデンキに続き、去年の秋にジョーシンが新築オープンして、お客がそちらにどっと流れたので、少なくとも柏崎店の場合、正直なところ「いつまで持つかなぁー」という感じだったのです。
真電のホームページを見ても、時代に取り残されている感じだし......。ちょっと厳しい言い方になりますが、実情を見ている人間として良くわからないのは、これだけの過当競争の中で、いわば負け組の真電を買収するだけの価値があるんだろうか、ということです。
新経営陣のお手並み拝見というところでしょうか。それにしても、真電がロイターで報道されるなんて、どう考えてもこりゃ、最初で最後だな。
■10月16日(月) 西村センセイ、柿の木で秋を思い出す ──空間の向こうの、時間の多層構造──
出勤途中の早朝、コンビニへの道を曲がろうとして、目の前の家の庭に、柿の木があることに気づきました。ほぼ毎日のように通っている道なのに、初めてです。
柿の実は、文字通りの柿色。食べ頃までにはもうちょっと、という感じ。
漫画「サザエさん」の中には柿の木がよく登場するのですが、かつてはそれくらい、庶民の生活にはなじみ深いものでした。
でもよく考えると西村センセイ、柿の木を見るのは久しぶりです。柿の木が日本人から縁遠くなっているんですね。
センセイの実家には自宅敷地内や所有地に柿の木が何本もありました。
秋になると兄弟でその木に登って、そのままかじったり、渋柿を収穫して干し柿にしたり。種類によっては完熟して落果する直前まで待って収穫するものもありました。
大きな完熟トマトのような感じ(!!)で、皮は半分破けて、中身が出かかっているのですが、微妙な味がわかる人には何物にも代え難かったようで、祖母の大好物でした。(カラスの大好物でもあった。ちなみに、センセイはちょっと......。)センセイの実家だけではなく、どこの家でもそうでした。今は甘いものがたくさん出回っているので柿の実なんか見向きもされませんが、ほんの少し前は貴重な甘味だったのです。
今はもう、庭に柿を植える家もずいぶん減ってしまいました。センセイの実家にも柿の木はもうありません。
これはそんな昔のことではなくって、ドラえもんに頼んでタイムマシンを出してもらい、この場所に留まりながら、ほんの一世代遡るだけでも、見える景色はほとんど別物なのではないかと思います。
いわば、目の前に広がった「柿の木」という空間構造は、その向こうに、あるいはそれと同じ場所に、時間的な多層構造──要するに歴史的構造──を、同時に持っているんですね。
それが見えるかどうかは、その人次第でしょうが。久しぶりに柿の木を見ながら、そんなまとまりのないことを考えていました。
あ、そうそう。写真の柿の実はまず間違いなく渋柿です。さんざん苦労させられたセンセイの言うことですから、信じなさい。
■10月15日(日) 田舎の食堂は地域の社交場 ――たまにはこういうお店もいいかもしれない――
自宅のある新潟県柏崎市民を対象としたインターネット上のページでたまたま、市内の食堂を紹介している記事を見つけました。東京などで飲食店を経営していた老夫婦が、田舎に戻って食堂を始めたというのです。
ちょっと興味があったので今週末、そのお店に行ってみました。318iは絶好調だし、ご覧のように雲一つない秋晴れなので、ハンドルを握っていても気が軽くなってきます。
市街地から10kmほどの、のどかな場所にそのお店はありました。
調理場にご夫妻がいらっしゃるのですが、「老夫婦」というにはまだお若い。(センセイの両親よりずっと若い。)奥さんに普通のラーメンを注文すると、「大盛りにしますか?」とのこと。大盛りにしても料金は変わらないようです。
学生さんだったら大喜びだろうな。それほどおなかは空いていなかったので丁寧に断ると、今度は「ご飯はどうですか?」
こちらも無料サービスだとか。センセイと前後してお店に入って来たのは、3歳くらいの孫を連れたおばあちゃん。軽自動車でやって来ました。
子守とお昼をかねての来店のようです。ほどなくおばあちゃんが次々とやってきて、店内にはそれなりの数のお客さんになりました。どう見てもご近所のおばあちゃんたちで、「今日は味噌ラーメン」などと言っています。
当然、先に来たおばあちゃんとはなじみ。孫の「シュンちゃんの顔を見に来た」などと言っています。
このお店、地域の社交場なんですね。
届いたラーメンは、今ではむしろ少数派となった伝統的な醤油味。とてもあっさりしていて美味しい。これだったら大盛りにすべきだったかな。
お金を払ってお店を出ようとすると、ラーメンの代金はなんと300円とのこと。本来は500円なのですが、土日、祝日はラーメンと味噌ラーメンは200円引きなんだそうです!!
もちろん大盛りとご飯はサービスのまま。採算は大丈夫なんだろうかと、こちらが気になるくらいなのですが、値段の問題ではなく、時々は来てみたいなと思うお店でした。
お二人ともいつまでもお達者で。