2008年5月31日更新(2008年6月8日ページ移動。2012年9月20日一部写真削除)
■5月31日(土) 柏崎市の「ほっかほっか亭」は、全店が「ほっともっと」に転換へ
お昼時の柏崎市内。
幹線道路がの交差点にあるお弁当やさんは大繁盛です。駐車場にはご覧のようにたくさんの車が止まって......あれっ?
最初は何とも思わなかったのですが、書き入れ時だというのに、止まっているのはトラックや大型ワゴン車など、工事関係の車だけ。
一般の車は一台もありません。やっとここで気づいたのですが、店舗を改装工事中なのですね。よく見ると、看板も替わっている......。
そうなのです。「ほっかほっか亭」から「ほっともっと」に改装しているところに出くわしたのです。
数ヶ月前に「ほっかほっか亭」の商標権をめぐる、ほっかほっか亭とプレナスの裁判が話題になりました。
その関係で、後者は新ブランド「ほっともっと」を立ち上げることになったとか。柏崎市内にはほっかほっか亭が3軒あるのですが、上記サイトで調べてみると3店舗とも「ほっともっと」になったんですね。
そういえば先日ご紹介した、車に突っ込まれたお店も、先日通ったら修理を終えて、看板にカバーがかけてあったっけ。その下はきっと、すでに「ほっともっと」になっていたのでしょう。(最近通っていないので、未確認)
新聞で読んでいる記事が、自分の近くで現実になっていると、妙な違和感(?)を覚えたりします。
本当は、もっと想像力を働かせて事態を先読みしておくべきなのでしょうが、自分の番になると、これがなかなか......。
■5月30日(金) 「佐藤敏夫」さんだったのね...。 ──期間限定“KitKat”に、二つの新味!!
──
先日ご紹介した、期間限定の“きなこKitKat”。予想外にあちこちから反応を頂戴しました。(ちなみに皆、女性からです。女性は甘いものが...ということなのでしょうか)。
その中のお一人、前の大学での旧ゼミ生Sさん──ありがとう!! ──から、白地にスカイブルーの「赤穂の塩」味と、薄いクリーム色に黒に近い茶色が入った「黒糖」味が現在販売中であることを教えていただきました。
もちろん期間限定です。基本のチョコレートとの関係を考えると、どちらも「え"...」。
ところが意外にも、ひとたび口にするだけで、貴方/貴女の予想は見事に裏切られます。特に「赤穂の塩」はチョコの甘さと、舌に触る微かな塩味のバランスが絶妙。
お汁粉などを作る時に甘さを際立たせるため、ほんの少し塩を入れるのですが、それと似ているのかもしれません。「黒糖」も美味しいのですが、甘さ−甘さの綱引き関係で、かつ黒糖の力が強すぎるため、なかなか「もう一袋」ということにはなりません。
ところで、前回お伝えしたように、受験シーズンにはストロベリー、4月にきなこ、そして5月が塩と黒糖......。
なぜ今回、赤穂の塩と黒糖の二種類を同時に販売したんだろうと考えていて、ふと「佐藤敏夫」さんと共通する部分があるんじゃないかと考えるようになりました。
佐藤敏夫さんはかつて、歌手の山本コウタローさん(現在も活躍中)らと「ソルティ・シュガー」を結成し、「走れコウタロー」というヒット曲を飛ばした方です。
グループ名は佐藤さんの名前をもじって、「佐藤敏夫 → さとうとしお → ・・・ →ソルティ・シュガー」(わかりますよね?)違うかなぁ......。
■5月29日(木) 防波堤に置かれた謎のベンチ ──「あさひや」と「朝日町」の共通点──
センセイが生まれ育った100戸ほどの集落のはずれに、同級生の「あさひや」(朝日屋?)という屋号の家がありました。
人名をそのまま屋号にすることが多のに、なぜか「あさひや」。不思議に思っていたのですが、ある時それが「朝日が昇る方角」、つまり東にある家という意味であることを知りました。
「あさひや」の先祖は、後からこの地域にやってきて、東の端に家を建てたからなのです。地名でも似たようなことがあって、富山県下新川郡朝日町は富山県の東端、つまり新潟県との県境にあります。調べてはいませんが、「朝日町」という名前そのものは、昭和の合併でついたのではないかと思います。
ご存じのようにセンセイは毎週新潟の自宅と金沢を行き来していますから、必ずこの朝日町を通ります。
険しい北アルプスが日本海に接する場所で、海岸沿いの狭い平地をJR北陸本線、国道8号線、そして北陸自動車道が並んで走っています。車窓からいつも不思議に思っていて、やっと撮影に成功したのが右の写真。
海岸部に(農作業用の?)小屋が並んでいるのですが、写真中央、護岸の上にあるのは公園で見かけるようなベンチ。
なぜだろう......。新潟と金沢を行き来するようになってからずっと存在するのです。
正確には、ついこの間までは100mくらい離れた場所にあったのですが、この2月、この地域が高波──隣の町では大きな被害が出た──に襲われてから、少し移動しましたが。
この地域は冬場、猛烈な北風に襲われるのですが、(先代の)ベンチはまるで何事もなかったかのように何年も同じ場所にありました。日本海に沈む夕陽を観るため、という観測も成り立つのですが、実際に地域の方が座っている場面を見たことは一度もありません。
本当に、何のためなんだろう。
■5月28日(水) 「おびあき」の記憶 ──傷んだビデオテープの救出に成功しました!! ──
新潟では、子どもが生まれてから二ヶ月くらいすると、近い親戚を集めて「おびあき」というお祝い行事を行うことがあります。
昔は、現在のように衛生状態、栄養状態が良くなく、生まれて間もなく亡くなってしまう新生児がたくさんいました。過去帳を調べてみるとその後生まれた子供に同じ名前が使われたりしています。
そこでたぶん、2、3ヶ月育てば、その後は3歳くらいまでは何とかなる......という意味があるんじゃないかと思っています(外れているかもしれません)。現在でもその風習は残っていて、我が家の娘も生後二ヶ月半位の時に実家で「おびあき」を行いました。
先日、15年前のビデオテープが劣化して、ちゃんと映らなくなったことをご紹介しましたが、その中の一部にこの「おびあき」の場面があるのです。行事そのものや娘の様子はもちろん、その後故人となってしまった義父母や義兄の姿も映っていますから、関係者にとっては貴重な財産です。
そこで何とかして内容の救出を試みました。まずテープと機械の相性を疑って、テープを自宅に持って帰り、自宅の据え置き型デッキ――ヘッド類は交換、点検済――での再生を試みました。
でも配線を間違えたらしく何も映像が映らない......あれ?金沢の小型デッキではある程度再生できたのに、自宅のデッキは画像がまったく出ません。未録画のテープとみなされてしまっています!!
仕方ないのでテープをもう一度金沢で再生してみます。何度か再生を繰り返しているうちに、気づいたことがあります。不具合の頻度が下がってきているのです。
テープの走行を繰り返すうちに、傷んだ部分が剥げ落ちた(?)のでしょうか。この機会に、救える部分をどんどん救うことにします。
まず、ADコンバータを介して8mmビデオデッキとMac miniを接続し、iMovie HDを立ち上げます。
そしてテープの頭から再生してデータをMac miniにDVフォーマットで録画します。
短ければ十数秒、長くても数分で目詰まりを起こすので、その度ごとにテープを外してクリーニングテープでヘッドを掃除します。この単純作業を延々と繰り返し、少しずつデータをMac上で回復させます。
救出作業は覚悟していたよりは順調──ビールを飲みながらの作業なので、主観的にそう感じただけかもしれないけど──で、2日間かけて98%くらいの画像を回復することができました。
特に大切な部分は完璧に復旧させることができました。次の問題は、断片になった映像をつなぎ合わせる作業。実はこちらも難問なのです。
現在の家庭用ビデオの映像はMpegやその派生が主流になりつつあります。
これまでのSDフォーマットで基準となっていたDVフォーマットはデータサイズがやたらと大きく――9分半で2GB――扱いにくいからです。
でもDVには、どんなに切ったり貼ったりしても、完璧に編集できるという長所があります。Mpegと違ってデータがフレーム内で完結しているからなのです。(個人的にはこっちの方が好きだな。)業務用のマシンなら「SMPTE タイムコード」という信号を記録しているので、それを頼りにビシバシ編集するのですが、民生用にはそんなものはないので、場面の切り替わりを利用してつなぎ合わせます。
それでもこれで、ほぼ完璧に元のテープを再現することができました。今回8mmビデオテープをBDに落としてみて、編集するつもりなら当面はDVテープに保存しておく方が賢明だと悟りました。(そのまま保存するならBDで問題ありません)。
編集が圧倒的に楽なのです。もちろんテープにも寿命がありますが、テープの供給体制なんかを考えても、あと10年は持つんじゃないかと思います。関係者の皆様、どうでしょう?
ところで、娘の「おびあき」に集合した従兄弟たちも、今や大学生。紙おむつをしていた従姉妹も、お化粧とファッションに興味津々の「今どきの高校生」に成長しています。
センセイも歳を取るわけだ。
■5月27日(火) またしても「成人式」を祝い損ねてしまった。 ──「ねんきん特別便」がもう1通!!
──
金沢のアパートに戻ると、「重要」「親展」と朱書された封書が届いていました。赤枠の中に「私学共済 ねんきん特別便」とあります。
3月下旬に社会保険庁から「ねんきん特別便」が届いたばかりだったので最初は、あれ?!
でもそういえば、私学共済(日本私立学校振興・共済事業団)から「後日確認の手紙を送付します」という連絡が来ていたっけ。
私学共済のシステムは複雑なので、社会保険庁の「ねんきん特別便」には、全部載せることができないケースがあるのだそうです。センセイの記録は訂正済なので、安心して開封します。
ざっと見たらそのままメールボックスに入れるつもりで読んでいると、あることに気づきました。
4月下旬の調査時点で、これまでの勤務先での加入月数(黄色枠内)が、36ヶ月(国際基督教大学)、132ヶ月(敬和)、72ヶ月(金沢工大)......。そして下の合計欄には240ヶ月、つまり20年!!
すっかり忘れていたのですが常勤の、いわゆる「大学の先生」になってからこの3月末で満20年となり、そして4月からは21年目に入っていたのです。
知らなかった。センセイは20歳の時に成人式をすっぽかしてしまいました。今ではちょっと反省しているのですが、何と今度は、社会人としての成人式(?)を失念してしまっていたんですね。
過ぎてしまったことはしょうがないけど、20年は一つの節目。この機会に初心に戻って教育活動に専念したいと思います。
皆様のご支援、ご鞭撻の程を宜しくお願いいたします。
■5月26日(月) クラスのバーベキューパーティーが開かれました
「バーベキューガーデンもいいなぁ」と思ったのは先日のこと。今日はセンセイらがここを使う番です。
詳しい経緯を知らないのですが、金沢工大では新入生の親睦を深めるため、春学期(4月〜6月)にクラス単位のバーベキューパーティーが開かれます。
参加費は無料、育ち盛りの男子学生にも食べられないくらいのお肉が提供される──実際、センセイは1/3も食べられない──となれば、たとえ勉強嫌いの学生だったとしても、これだけは大歓迎。
所定の集合時間のかなり前だというのに、クラスのみんなが続々と集まってきます。バーベキューガーデンは学生や教職員など、関係者なら誰でも使用できます。
だから普通は世話を焼かなくてもいいのですが、新入生はすべてが初めてなので、今日だけはセッティングの仕方や材料の在処、片づけまでの手順を教えます。ちょっとフライングで食べ始めた一部学生の動きを止めさせて、にわか仕立ての「バーベキュー委員長」に挨拶してもらえば、後はもう、和気藹々(あいあい)と食事が進みます。
うぉお、焼き肉の煙が青いぜ。「新入生」といっても、入学してからもう2ヶ月近く過ぎ、いくつものグループ活動──授業の中にグループ活動が取り入れられている──を通じてすっかり仲良くなっているんですね。
このバーベキューパーティーが終わると、能登半島の中央部にある研修施設で2泊3日の合宿。文字通り寝食を共にするので、彼らはさらに一回り大きくなって(?)戻ってきます。
今までの勤務先の経験や、他大学の話を聞くと、やはり大学生活のスタートダッシュが大切なんだろうなぁ、と思い知らされます。
金沢工大の強さの秘密は、こんなところにもあるような気がします。
■5月25日(日) 目抜き通りの一本隣は、鬼太郎がいる天神通り商店街!!
調布駅近辺の様子が、約20年前の記憶とかなり違うのでちょっと戸惑ってしまった西村センセイ。いろいろ考えていたのですが、ふと、あることに気づきました。
大通りの建物が皆、とても新しいのです。地域の目抜き通りにある建物が新しくなることは良くあることです。
また、建て替えを機会に、周辺の用地を集めて大きなビルを建てることもあります。でも、まるで足並みを揃えたかのように新しくなっているってことは......駅前地区を再開発したのではないでしょうか(外れているかもしれないけど)。
大通りから一本横道に入ると、ご覧のような古くからの商店街。看板(写真右上)には「天神通り商店街」と書かれていま......え"!?
鬼太郎が腰掛けています!!
何で鬼太郎なんだ、と訝(いぶか)りながら通りに入ってみると、おぉ、トランスの上に寝ているのはねずみ男!!
改めて周囲を見渡すと猫娘がいます。そして反対側の入口には鬼太郎も。
金沢に戻ってから、ちょっと調べてみました。
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげる氏は、現在調布市に在住で、しかもこの天神通りの近くに事務所があるそうな。
そのご縁で、調布市は鬼太郎やその他のキャラクターを使った街おこしを進めているとのこと。けれども残念なことに、昨年4月には設置されていた鬼太郎の像が盗まれ、また子泣き爺(じじい)の像も一部が壊されてしまったそうです(盗難を伝えるニュースを、東京MXTVのホームページで視聴可能)。
鬼太郎は商店街の人の尽力で再建されたのですが、子泣き爺は撤去されてしまったとのこと。水木氏の出身地である鳥取県境港市でも鬼太郎に登場するキャラクター像が次々と盗まれたと記憶しています。
やはり心ない人──考えてみると凄い表現だ──がいるんですね。そういえば去年、祖師ヶ谷大蔵の「ウルトラマン商店街」をご紹介しました。ウルトラシリーズを制作した円谷プロが商店街の南にあったのです。
こちらは昨年の段階ですでにプロダクションは移転し、倉庫だけが残っていたのですが、最近の報道によるとその跡地も売却してしまったようです。