2008年3月29日更新(2008年4月6日ページ移動。2012年9月20日一部写真削除)
■3月29日(土) 評価されるのはやっぱり、中身より「カタチ」?! ──不要な機材を、割と高く買い取ってもらいました──
写真は、ほぼ1年前に撮影したAV関係の小物類の再掲。不要になった機材を売却するために箱詰めしたところです。
何回かお伝えしているように、センセイは所有するAV資産のデジタル化(CD/DVD/BD)を進めています。
すでに主要な素材の変換を終えつつあります。映画なんかはただ変換するだけなので、処理は簡単なのです。
残っているのは主に、子供の成長記録だとか、自分がテレビ等に出演した記録など、割と扱いに困るもの。作業効率が向上した大きな要因は、去年の春から金沢のアパートにも導入したHDD DVD/BDレコーダーでしょう。
ビデオ(β/VHS/8mm/DV)についてはそれまで、HDDを持たないDVDレコーダーないしは、ADコンバーターとパソコンを用いてDVD化していたのですが、新機器の導入後は作業の進め方が一変し、ホントに楽になりました。逆に出番が激減したのが、ADコンバーター類。
正確にはMac用およびWindows用のコンバーターが各1台と、Mac専用の特殊なDV-Mpegコンバーター(メーカーのサイト)。
さらにその後、アパートのMac miniのディスクドライブを交換したので、外付けDVDドライブも不要になっています。これらの機器については去年の今頃、マニュアルや保証書、ソフトのディスク類を揃えてから売却しようと思ったのですが、それらの所在確認に手間取った上に、その後地震に襲われたのでこれらの機材は結局、金沢で越年してしまいました。
今回、久しぶりに車で金沢へ来たので、この機会にこれら不要となった機材を積んで柏崎へ移動し、勢いをつけたままハード・オフに突入して買い取ってもらいました。
「勢い」が必要だったのには訳があります。
個人的にはともかく、一般にはあまり使い勝手が良くない機材だからです。
まず何といっても、4台中3台までがMac専用。
USB接続ならまだ何とかなるのですが、Mac用はいずれも“FireWire”(IEEE1394=“iLink”)接続だけだし、ソフトの問題もあるのでMacでしか使えません。(だからMac用のADコンバーターは知り合いのMacユーザーに引き取っていただきました。)
それにそもそも、この種のマシンは一般に、世代交代が速い。かといって丁寧に使ってきた現役の機械を捨てるのも悲しい。というわけで将来、誰か適当な人に使ってもらえればと思ってハード・オフで、「買い取ってもらえますかぁ?」
ところが店員は一目見るなり、ニコニコと「あ、いいですよ」。
しかもしばらくして示された買い取り価格は予想外に高い。
Windows用のADコンバーターはそれなりの需要があるから、まぁわかるのですが、意外にもMac用のものまで割と高く評価していただきました。帰り道、車を運転しながら考えていたのですが、高評価の決め手はマニュアルやケーブル類などの付属品をすべて備えていたからではないかと思います。
これらのマシンは購入時に、将来の売却を考えて必要なものをすべて残しておいた/代用品を揃えておいたのです。でもご説明したように、この商品を適切に評価して購入し、そして使うことができる人は相当限られていると思います。要するに、たぶん売れ残る。
もちろん店員は独断で査定しているのではなく、基本的な情報と「付属品が全品揃っている」等の付加情報をデータベース照会して買い取り価格を決めています。
つまり店員だけでなく、ハード・オフのシステムも、本当の「中身」よりむしろ、一種の「外見」で判断していると強く推測されます。
逆にいえば店員に選択眼がなくたって、あるいは極端な話、何も知らないアルバイト学生だって何とかなってしまうかもしれない。この場(だけ)のセンセイとしては嬉しいけれど、「これでいいのかなぁー」とか「ハード・オフはちゃんとやっていけるのかなぁー」などと考えてしまったのでした。
いずれにせよ、お別れしたマシン諸君、良い買い取り手を見つけて、第二の有意義な人生(?)を送ってね。
■3月28日(金) Macではダメだけど...。 ──Windowsノートで地デジのDVDが再生可能に!!
──
昨年、地上/BSデジタル放送対応のHDD・DVD/BDレコーダーを本格的に使うようになってから、ちょっと困ったことが出てきました。
ご存じのようにセンセイは新潟と金沢を行ったり来たりしており、必要に応じて録画済のDVD/BDディスクを持ち歩くことがあります。
あらかじめ放送予定を知っていて、両方で予約録画するのではなく、新聞や予告で放送を知って、新潟/金沢のどちらかでだけ録画した時などです。自宅/アパートにはほぼ同等の録画・再生機器があるので、こちらはあまり問題はありません。
でも電車で移動する時に「この時間を使って、録画を観たいなぁー」と思っても、センセイが使っているWindows/Macノート機は、地上/BSデジタル放送を録画したDVDに対応していないのです。以前ご紹介したことがありますが、デジタル放送は違法コピーを防止するために、DVDなどのディスクへのコピーにCPRM(Content Protection for Recordable Media)という仕組み──興味があったら調べてみてください──を採用しています。
最近販売されている据え置き型の機器ならまったく問題ありません。パソコンも、市販DVDや、アナログ素材をDVD化したものはまったく問題ないのですが、この地上/BSデジタル放送を録画したDVDについてはハードとソフトの両方がCPRMに対応していないとディスクを再生できないのです。
このところセンセイは外出時に、写真のソニー製Windowsノート機“VAIO”だけを持ち運ぶことが多くなっています。(Macファンの皆様、ゴメンナサイ。)
このマシン、ハードはCPRMに対応済なのですが、再生ソフトは非対応。地上/BSデジタル放送を録画したDVDを入れると延々とサーチを繰り返します。
移動時に教材用のDVDの内容を確認したり、授業中にNHKの「クローズアップ現代」の一部を紹介したい時などがあるのですが、肝心のDVDを再生できずに、ホント、不便。でも、よぉーく調べてみると、現在では再生ソフトもCPRMに対応するようになっており、必要なパッチをダウンロードしてインストール──これでCPRM対応機器であることが認証される──すればよいとのこと。
ところが西村センセイ、VAIOを買った時に「いらない」と思って、インストール済のDVD再生ソフト(写真)を削除してしまったのです!!
ネット上で調べてみると市販しているようですが、そこまでするほどのことじゃないし......というわけで、そのままになっていました。先日、ふとVAIO内を検索してみると何と、消したはずの再生ソフトが検索に引っかかりました。
どういうわけかは知りませんが、実際には削除していなかったのですね。そこで、パッチをインストールすると、無事に地デジを録画したDVDを再生できるようになりました!!
さて、Macはどうかというと、残念ながらこちらはCPRM対応の見込みはありません。実はCPRMという仕組みは日本だけのローカルなもので、世界基準のアップルの眼中には入っていないのです。
現在の西村センセイのパソコン環境では、グラフィック処理その他はMacの圧勝ですが、WebソフトはWindows/Macほぼ互換(Adobe Go Live 5/6/CS)だし、ブラウザもWindowsでSafari 3.1が使えるようになったので、移動時に重いMacノート機(PowerBook)を持ち出す理由が少なくなっています。
今回のCPRMディスクへの対応は、センセイの肩をさらに「ポン」と押したようなもの。だいじょうぶかなぁー、Mac。
キャンパス内を歩いていたら、大型のカメラを抱えている人を見かけました。何を撮るつもりなんだろうとレンズの先を追うと、見事なピンク色の梅が咲き始めています。
デジカメを持っていなかったので、お昼に出直して撮影したのが右の写真。
小型カメラだとやっぱいボケ具合がうまく出ませんね。(ちなみに写真中央奥にセンセイの研究室がある。)上野公園の桜は満開だそうですが、都心だけが異常に早咲きなので、センセイがいた三鷹や小金井は、これから咲き始めるはず。
来週いっぱい、特に来週末が見頃なのではないかと思います。東京にいるとかなり早くから梅の花を味わうことができます。
次いで桜、ツツジ、紫陽花と、2ヶ月くらいかかって季節の花が交代した後に、どんよりとした梅雨に入ります。でも新潟や金沢は雪が融けてると、慌ただしく、梅、桜......という感じ。北海道はもっとすごくって、春と初夏がいっしょにやって来るそうですが。
金沢の桜は、蕾が膨らんできたものの、開花までにはもうちょっと時間がかかりそう。
来週木曜日の入学式を終え、新入生が最初の怒濤の一週間を乗り切るころに、「大変だったね」と独り立ちを慰労するかのように咲くんじゃないかな。
■3月26日(水) こちらは地震とは無関係の事故ですが...。
すみません。今日も柏崎市内での被災の話題です。ただし、こちらは新潟県中越沖地震とは無関係です。
家族で外出していたら、後部座席から「ほっかほっか亭のお店が...」という会話が聞こえてきました。ベニヤ板がどうしたとか、張り紙が、などと言っています。
何のことだか良くわからなかったので尋ねてみると、自宅近くの、娘の通学路沿いにあるほっかほっか亭が営業を休止しているというのです。市内にはほっかほっか亭が3軒もあるので、営業不振で閉店したのかなと思ったら、どうもそうではないらしい。しかし娘も掲示をちゃんと確かめたわけではないので、はっきりしたことがわかりません。
たまたま斜向かいのお店に用があったので、そのついでに寄ってみると、あれ、まぁ、大変なことになっています。
「車両事故が発生し、営業が出来ない」という掲示を見ていると、老女がこちらに寄ってきて、いろいろ説明してくださいました。
お弁当を買いに来た、と思ったようです。お店は市内へ入る幹線道路の、しかも交差点に面した立地の良い場所にあるのですが、21日(金)の昼間、車がものすごい勢いで交差点からお店に突っ込んできたとのこと。
内部はメチャクチャになったようで、正面の待合室の部分だけでなく、側面もシートに覆われています。
待合室奥のカウンター、あるいはさらにその奥まで車が入り込んだんようです。幸いにも怪我人はなかったようですから、お昼時ではなかったのでしょう。地元紙にも掲載されていないので詳細はわかりませんが。
衣類の入れ替えのために、今週は車で金沢へ来ているのですが、特に朝晩の通勤時間帯などは運転を怖いと思うことがあります(乱暴な車が無理に突っ込んでくる)。
金沢に来るまでに、富山県内で大型トラックと乗用車の衝突事故と、別な事故のための処理車の出動場面に出くわしました。お互い、冗談抜きで運転に気をつけましょう。
それにしてもこういう場合、建物の損害だけでなく、お店の営業損失も発生するわけですが、一般的に、その分は保険でカバーできるのでしょうか。
その昔、タクシーにぶつけると、損失を全部負担しなければならないと聞いたことがあるのですが......。(もちろん最終的には契約内容によりますけどね。)
■3月25日(火) 被災したJR青海川駅の新駅舎が完成しました ──能登半島地震から今日で1年──
西村センセイは私用があって、今日までが春休み。
家族や親戚の仕事があるので、実際は「休み」ではないのですが、とにかく新潟県柏崎市の自宅にいます。
その柏崎市で最近目立つのが写真のような住宅の新築工事。もちろん昨年夏の新潟県中越沖地震で被災した家の再建工事です。
市内の住宅地では櫛の歯が欠けたように更地が目立ちます。知っている人にすれば、あそこには○○の家が、ここには......といった具合。
以前お伝えしましたが、後継者がいる自営業者など、早い方は、昨年の冬に自宅やお店を再建されました。
そして雪が消えて、3月の声を聞いた途端、ホントにあちこちで住宅の再建工事が始まるようになりました。さらに今日、地震で近くの崖が大規模に崩落し、大量の土砂が線路を塞いだJR信越線青海川(おうみがわ)駅の駅舎が完成し、使用が開始されました。
建物の左奥が崩落した崖、駅舎のすぐ右(=北側)は日本海です。(地元紙の報道〔新潟日報〕、〔柏崎日報〕もご一読ください。)大きな被害を受けた信越線ですが、関係者の努力によって地震から約2ヶ月後に運転を再開しました。
センセイも全線運行再開直後に青海川駅を訪ねています。青海川駅──乗降客も極めて少ないため、旧駅舎は簡単なコンクリート製だった──は、海と崖とに挟まれた狭い場所にあるため、線路を塞いだ土砂の撤去と崖の修繕のために駅舎は地震直後に撤去されていました。
新駅舎は田舎には似合わないほどモダンなもの。
JR東日本が震災からの復興の象徴と位置づけて、2,000万円かけて建設したものだそうな。(それ自体は、たいへんありがたいことです。)出入り口上部のステンドグラスが印象的ですが、直接差し込む朝日、昼、そして日本海に沈む夕日と、それぞれの太陽光を受けて輝くことを考えて設計されたようです。
センセイが午後に訪れた時は、地元の方──でも電車ではなく写真の車で来ていた──が見学していらっしゃいました。(写真右手の二人はアベックではなく、高校生くらいの男子「鉄ちゃん」とラジオで取材の女性です。)
今日は、石川県で発生した能登半島地震からちょうど1年という節目の日。自分自身も被災したせいか、あっという間でしたね。
センセイとしては、まぁ、こうやって復興できる人から生活を立て直し、そして順々に、そうでない方にある種の支援の輪を広げていくしかないのかなぁ、と思っています。
(個人的には親戚なども含めて)どこまでフォローできるかが、最大の問題なのですが。
■3月24日(月) 「あなたの年金に結び付く可能性のある年金加入記録がみつかりました。」
来ました!! センセイにも「ねんきん特別便」が!!(以下、「 」内引用部の漢字および仮名遣いは原文のまま)
もちろんセンセイはまだ年金受給開始年齢じゃないし、大学を三つ──ICU、敬和、金沢工大──変わったものの、どこかの会社に勤務するといった、身分の大きな変更があったわけではありません。
だから封筒に「年金加入記録にもれがある可能性があります」と書いてあっても、あまり関係ないと思って、金沢のアパートの郵便受に入っていた封筒をそのまま新潟に持ってきました。
高齢の受給者から順に、全受給予定者に発送すると聞いていたし。少し落ち着いてから開封すると、いくつもの書類が入っていて、その一つには、何と、「あなたの年金に結び付く可能性のある年金加入記録がみつかりました」。
......え"?!
一般論じゃなくって、たぶんセンセイのものに間違いないけど、台帳に記録されていないものが見つかった、ということ?!
案内には「まず『ねんきん特別便専用ダイヤル』にお電話ください」と、その電話番号とともに朱書されています。
どうしようかと思ったのですが、小さく「社会保険事務所でも受け付けています」とも書かれていたので、今日、年金手帳を持って柏崎市内の事務所を尋ねてみました。
初めて来る場所なので普段どんな具合なのかは分かりませんが、職員はかなり多く、相談窓口は全部ふさがっていています。
窓口以外の職員は、「だから市内○○にあった会社に勤めていた時の社長さんの名前が...」などと電話の向こうの主と話しています。センセイも少し待ったのですが、すぐに仮設と思(おぼ)しき相談窓口に案内されました。事務所に入った時も、相談の応対も特に不満を持つような状態ではありません(ちょっと田舎っぽい対応だったけど)。
40歳くらいの、でもあまり冴えた感じのしない男子職員は、センセイがもらった書類と年金手帳を照らし合わせて、他に勤務したことがないことを確かめるとすぐに、「あぁ、私共済〔私立学校教職員の共済組合〕加入前の1年間、国民保険に入っていた記録が抜けていますね」とのこと。
センセイは大学+大学院を終えてから、業界関係者の感覚では非常勤の教員──でも世の中の常識からすると「無職」──をしており、その1年間、国民年金に入っていたのです。
確かに、最初の勤務先である国際基督教大学の、その前が記録されていません。その場で「被保険者記録照会回答票」(写真左)に正しい記録──真ん中の欄の項目が一つ増えている──を打ち出してもらい、またセンセイが記録を確かめたという証拠にサインして、一件落着。
正直なところ、20年前の出来事なのに、詳しいことは全然覚えていません。
もらった記録によると、12ヶ月のうち5ヶ月は全額免除してもらい、残りの7ヶ月は納付済なのだそうですが......記憶はまったく欠落しています。もちろん納付の証拠となる領収書を用意しろ、と言われたら絶対に無理です。わずか20年前、そして年金としてはとても簡単なセンセイですらこうなのですから、いろいろ苦労して職場を変わったり、勤務先の事情で記録が正確に残っていなかったりしたら、もう確認は絶望的に困難なんじゃないかと思います。
ただし念のために申しますが、だからといってこの事務所の人たちが遊び呆けていたとは思いません。一部例外はある──どこにだってある──でしょうが、多くの方たちはそれなりに真面目に働いていた(/いる)に違いありません。
問題はあっても、とにかくシステムが動いているのがその証拠です。大臣──厚生大臣の署名入り文章が入っているのですが、知性を感じることのできない、とても悲しい文章です──も、そしてマスコミも、政党も、年金の件では鬼の首でも取ったかのように発言しますが、西村センセイ、どうもそういう人(たち)はあまり信用できないと感じてしまうのです。
センセイのヘソが曲がっているからでしょうけど。
■3月23日(日) 一つの区切り ──西村センセイ、広い空き地を見ながら考える──
写真は今日の午後、上越新幹線が乗換駅の長岡に到着する直前に撮影したものですが、要するに線路の北側に空き地が広がっているだけ。
ここはもともと国鉄の貨物操車場の跡地。奥のビルと比較すると分かるのですが、見かけ以上にとても広い場所です。2004年10月に新潟県中越地震が発生して多くの家屋が被害を受けたため、この地にはたくさんの仮設住宅が建設されました。
しかし中越地震からもう3年半。
仮設に居住できる期間は原則2年、延長しても3年が限度なので、人々はこの地を去り、土地はもとの空き地に戻りました。被災者の多くは自宅を新築するなど、全国からの暖かい援助に助けられながらも、基本的には自分の力で立ち直って生活を再建しています。
けれど高齢者など社会的弱者の中には、自治体が建設した被災者向け集合住宅などで暮らさざるをえないなど、心身ともにかなり厳しい条件で生活を続けているんじゃないかと思います。
正直なところ、実際の姿はあまりよく見えないのですが。西村センセイ、新幹線の窓から空き地を見ながら、「けれども、やっぱりどこかで区切りをつけることが必要なんだろうなぁー」と考えていました。
センセイは私用で、昨日の午後から上京し、今日のお昼までかかって、ある大切な片付けものをしていました。
頭も使いましたが、基本的には肉体労働。
一人での作業だったこともあって順調に荷造りを進め、大きく重いダンボール箱を32箱(!!)搬出して、お昼過ぎに作業完了。(関係者の皆様、27日午前に大学に搬入されます。)自筆の資料を片付けながら、疲れたので帰りの新幹線の中でウトウトしながら、そして仮設住宅後をボォーっと見ながら、これも一つの区切り、まぁ、為すべきことをやったのかなぁ、センセイ以外には誰もできないんだし......などと考えていたのでした。