2011年1月26日更新(2011年2月6日ページ移動。2014年9月23日一部写真削除)
■1月29日(土) 明日中に金沢へ移動できるかなぁー。 ──新潟県内はかなりの積雪になっています──
週末ですのでセンセイは新潟県柏崎市の自宅に滞在しています。先週末は松江出張だったし、その前日には自宅に存在していたものの、僅かな時間。
だから実質1日半とはいえ、ちょっとゆっくりした気分です。昨晩は最終電車で金沢を離れたのですが、この地域で例外的に雪が少ないのは金沢市付近だけ。石川−富山県境から富山市付近、そして新潟県上越地方はものすごい雪です。
上越市ほどではないものの、雪で遅れて着いた柏崎もかなりの積雪。60cmくらいでしょうか。夜の駅前には、タクシーを待つ長い行列。いつもなら逆に、タクシーの方が客待ちしているのに。土産の入った紙袋を含めて荷物を三つ持っていたのですが、諦めて徒歩で帰宅します。往来する人間はごく僅か。
そもそも行き交う車が少ない。いつもの冬なら湿った重い雪の中を歩くのですが、今年は割と乾いた雪。例年になく気温が低いのです。多少滑りながらも、転ばずに何とか帰宅することができました。
目覚めると、外がとにかく冷え切っていいます。アメダスのデータによると今朝の最低気温は-3.8℃とのこと。雪の量もさらに10cmくらい増しています。重機で除雪した雪の山は、海岸沿い──だから積雪は少ない──の市街地でも軽く3mを越えています。地元紙の報道によると、市内の平均積雪は161.1cm。成人の身長と同じくらいです。
山間部では3mを越えた(!!)ため、柏崎市は豪雪対策本部を設置したとのこと。松江の土産を届けるという口実で、実家の年老いた両親と伯母、昨年亡くなった伯母宅へ。
車を走らせていると雪がズンドコ降ってきて、前がよく見えない。よく除雪されていますが、それでも幹線国道を外れると、はね除けられた雪の山で道路がずいぶん狭くなっており、行き違いにかなり気を使います。
白状すると、見通しがきかない緩いカーブで、雪のためにブレーキが効かなかったこともあって、対向車とかなり厳しい状況になる場面もありました。
たどり着いた実家はご覧のように、雪の中。積雪は1mくらいでしょうか。こうなるともう、どこが道だか用水路だか区別がつきません。
家の輪郭すら、良くわかりません。予報によると明日は新たな寒気が入り、しかも低気圧が通過するそうです。平野部でも大雪となる「里雪型」。
センセイ個人にとっては、最悪のパターンです。月曜日にはは朝イチから講義があるので、何としてでも明日中──最悪の場合は月曜の早朝まで──に金沢へ移動する必要があるのですが......。
■1月28日(金) 西村センセイ、山陰で貴重な電車たちと出逢う
今日は見たままのお話。
お伝えしたように今回の山陰ツアー、出雲大社からは一畑電車で松江に戻りました。
出雲大社駅のホームに出ると、これから乗車する左奥の電車――南海電鉄から購入したものだそうです――と並んで、オレンジ色の木造電車!!
本来は留置線なのでしょうが、電車の脇まで仮設ホームが用意されています。ホテルに戻ってから確認するとこの車両、1914(大正3)年の出雲大社への大社線開通に備えて製造(!!)された「日本最古級の電車」(左の看板の解説)。
しかも一畑電車のオリジナル車両とのこと。松江しんじ湖温泉駅に大きな看板が掲げられていましたが、実はこれ、一畑電車を舞台とした映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」(松竹、2010年)の宣伝なのです。
その中で、この「デハニ50形」が活躍するらしい。さすがに2009(平成21)年に営業運転を終了したそうですが、この出雲大社駅と会社の本社や車両基地がある雲州平田駅で、その姿を確認することができました。
出雲大社駅を出発すると、川跡(かわと)駅で、帰宅する女子高校生の一群とともに、大社線から、電鉄出雲市駅と松江しんじ湖温泉駅を結ぶ北松江線に乗り換えます。
こちらは京王電鉄から譲り受けた比較的新しい車両。「(JR)山陰本線からは宍道湖がよく見えるけど一畑電車からは良く見えない」と教えて頂きました。
なるほど確かに西半分はその通りで、2両編成の電車は田んぼの中をゆっくりと進みます。高い堤防兼道路が宍道湖を見えなくしています。でも東側は宍道湖とちょっとした山の間の僅かな隙間を結構登り下りしながら、宍道湖に寄り添うような格好で走ります。
闇夜の中、目を凝らすと、宍道湖と繋がる川の河口を利用して、小型の漁船が何隻か係留されていたりします。
宍道湖特産のしじみを獲るためのものでしょう。途中、一畑駅で電車の進行方向が変わります。駅の奥に一畑薬師があって、そこまで電車の走っていたからだそうです。
出張の最終日、JR松江駅のホームで特急「やくも」を待っていると......あれ? 黄色い2両編成の電車が入ってきたのですが、その後ろ姿は、しょくぱんまん!!
やはり前面が真っ平らです。(通常ではあり得ない)後で調べてみると、伯備線電化にあわせて各駅停車を確保するため、運転席を持たないモーター付中間車両に、運転席を設置し、解体した運転席付車両の機器をつけたんだそうです。
この辺の事情は419系(418型)と同じですね。いずれにせよ大都市では絶対に見ることができない車両たちです。初めて山陰地方のJR線に乗った時から感じていたのですが、山陰地方、特に西部のJR文化(?)には独特なものがあります。
表現はとても難しいのですが少なくとも、旧国鉄の雰囲気を色濃く残していることは確か。そしてこれは国鉄とは直結しませんが、走っている車両は電車、ディーゼルカーともに多くは、もともとどこか別な地域を走っていたものです。
それらがここで静かに余生を送る、という感じ。静かで暮らしやすい、ということはその反面、経済活動など基本的で負担の大きいインフラをどうやって支えていくのか、ということでもあるんですね。
■1月27日(木) 個人的には朗報。ソニーの新型BDレコーダーが「ムーブバック」対応に!!
今日は予定していた内容を変更してお伝えします。
ソニーは本日、新型BDレコーダーにムーブバック機能を追加すると発表しました。そのリストには、センセイが昨年購入したBDZ-AX2000も含まれています。((c)SONY)
「ムーブバック」というのは、ソニー製のBDレコーダで録画したBD-R/REのデジタル放送番組を内蔵HDDに「書き戻す」こと。これまでは、自分で撮影したものなどを除いて、録画内容をHDDに戻すことはできなかったのです。この機能、センセイ個人としてはかなりありがたい。
「ダビング10」への対応に続き、二度も救われた、という感じ。ご存じのようにセンセイは新潟の自宅書斎と金沢のアパートで計4台のBDレコーダーを使っています。
例えば地上デジタル放送での映画やコンサートを録画すると、サイズは15G程度。一つの番組ならそのまま1枚のBDにコピーすればいいのですが、同じアーティストの二つの番組を収めようとすると、容量オーバー。
これは特に、最初に購入したBDレコーダーBDZ-V9で問題になるのです。また自宅と金沢の間で録画内容を移動するケースも多いのですが、この場合も記録した番組をHDDへ戻すことができませんでした。
センセイの場合、これらの問題がほとんど解消されるのでは、と期待されます。すでにパナソニック製品はこの機能を実現していたのですが、期待していなかったソニーも対応したので、センセイとしては嬉しい限り。
ただしセンセイのような利用方法は少数派。この機能はあくまでも「ムーブ」であって「コピー」ではありません。
BDクローズ──DVDのファイナライズに相当──されたBD-Rではこの機能を使えませんし、BDから書き戻した場合、記録済の部分は使えなくなります。
書き換え可能なBD-REでその長所を発揮します。だから普通のユーザーにはあんまり関係ないのかなぁーとも思えるのです。
お伝えしたように一昨日、出雲大社を訪問したのですが、計らずもこれが名駅舎めぐりの旅になってしまいました。
JR出雲駅から路線バスに乗り、大社まであともう少しというところで「旧大社駅前」とのアナウンス。あっ、と思っていると、カーブを曲がった右側に突然、神殿風の旧大社駅駅舎が見えてきました。
でも出雲大社との位置関係がわからないのでここで下車することは躊躇されます。結局、お伝えしたように本殿脇のバス停で降りて、参道、その前の道路を戻りました。
寒い風が吹き付ける中を凍えながら歩いて、大社駅に到着。参道入口から1Kmくらいでしょうか。大きく、立派な駅舎です。説明によると明治末に参拝客のために建設されたとのこと。
この駅舎は1924年(大正13年)に竣工した2代目駅舎で、国の重要文化財に指定されているそうです。広く、そして天井の高い駅舎は、内部の観光案内所や事務所、時刻表、運賃表に至るまで、1990年(平成2年)大社線廃止当時のままに残されています。
内部には何体もの顔のない人形が当時の制服を着用したまま立っているのですが、照明はないし、駅舎内はもちろん広い駅構内に誰もいないので、正直、不気味な感じ。
写真の右奥には団体客用の大きな臨時改札口もあります。たくさんの参拝客が訪れていたんですね。ここを通ってホームに出られるのですが、奥にはD51型蒸気機関車が残されていて運転席に入ることができます。
初めて入ってみたのですが、ずいぶん狭いスペースでした。本当はもっとゆっくり探検したかったのですが、帰りの電車の出発時刻が迫っていたので、出雲大社の方へ急ぎます。
参道入口までのほぼ中間地点にこれから乗車する一畑電車の大社線出雲大社前駅があるのです。こちらは大社駅ほど大きくはありませんが西洋建築と和風の瓦葺きが共存するような不思議な建物。
国の登録有形文化財建造物であると同時に、大社駅と同じく近代化産業遺産に認定されています。外から見ると上部の四方にステンドグラス(?)が印象的なのですが、後で建築学の専門家に教えてもらったところ、色つきガラスなんだそうです。
確かに色が鮮やかすぎます。大社駅同様、駅舎の脇(写真右側)には臨時改札口が設けられています。
入口の重い引き戸を開けると、予想外に、中にはたくさんの高校生。制服姿なのですが、誰もコート類を着用していません。
そういえば近くの小学校から戻る児童も防寒具を着ていなかった。こんなに寒いのにどうなっているんだろう。駅舎内部は教会のような造りになっていて中央部はかなりの高さです。でも大社駅と違ってかなり狭い。
すぐに改札時刻になったので乗車券を購入して乗車。程なく出発したのですが、さっきの高校生達はほとんど乗車しません。彼女たちは、駅で何をしていたんだろう。
途中の駅で電車を乗り換えて、終点の松江しんじ湖温泉駅へ。駅の名称通り、温泉街を通ります。
せっかくなので記念に乗車券をもらいたいと申し出ると駅員さん、金額が記載された券面も確かめずに「いいですよ」。
JRのように無粋な無効印を押したりはしません。駅舎はご覧の通り、近代的な建築。ちょうど10年前に完成したのだそうです。赤地に白抜きの巨大な看板が掲げられていますが、これについては、また明日。
横殴りの雪の中、市営バスに乗ってJR松江駅近くの宿所へ。ところが乗車したバスは、なかなか駅へ向かわずに、あちこちをグルグルと回ります。
ずいぶん乗って「市役所前」に着いたら、目の前には何と、先ほど下車したばかりの松江しんじ湖温泉駅が!!(実話)県庁周辺を2周(!!)したりするので、バスを間違えたかなぁーと思ったほどです。でもそこから先は、寄り道せずに駅まで走ったので、ご安心ください。
■1月25日(火) 「水の都 松江」から戻りました ――松江は開府400年――
というわけで、移動を含めると4日間に及ぶ出張を終えて、金沢へ戻りました。
仕事は無事に終了して、松江発午後2時の特急に乗ったのですが、新幹線と特急を3本乗り継いで大学へたどり着き、仕事の報告を済ませて自宅に戻ると、もう10時。トホホ。
やはり松江は遠かった。山陰地方は通常、滅多に行く機会がありません。そもそも、鳥取と島根、どっちがどっちか、ちょっと自信ない人もいるはず。センセイは山陰本線を完乗するなど、割とこの地域を通っています。
でも下車して実際にその地を歩くかどうかは別。自分の足で歩き、この目で見ないとわからないことが多いのです。今回つくづく実感したのは、水に恵まれた街、松江。「水の都 松江」なんだそうです。
市街地は中海と宍道(しんじ)湖を繋ぐ大橋川沿いに広がっています。しかも城の周りの「堀川」など、市内あちこちに水路が張りめぐらされています。
荒れる外海ではなく、静かな川――汽水だけど――と接しているのがポイント。松江の人々が、水と親しんだ生活を送っていることがよくわかります。
かつては新潟市中心部にもいくつかの細い堀が存在していたのですが、モータリゼーションの進展にあわせて全て埋められました。
現在は西堀、東堀などの地名が残るだけ。かつての新潟は、きっとこんな感じだったんだろうなぁー。
お城や県庁、市役所など旧市街地はその北側、松江駅やお寺などは水路の南側にあります。
南側の「寺町」を運転していたタクシーの運転手さんによると、「観光客はこの辺りが金沢に似ていると言っていた」とのこと。松江市の人口は20万人ほどだそうで、決して大きな街ではありません。運転手さんは「ど田舎で...」とおっしゃっていました。
でもセンセイには、静かで暮らしやすそうな場所だと思えました。写真は「仕事場」となった県民会館から見た今朝の松江城。雪が少し降ったのです。形の整った美しいお城です。
今年は開府400年とのことで、市内のあちこちには「松江城を国宝に!」というポスターが貼られていました。今回は鉄道乗車を優先したため見学することはできませんでしたが、ぜひもう一度訪れてみたい松江です。
■1月24日(月) この地域、お寺はどこにあるんだろう...。 ――出雲大社を初めて訪問しました――
朝、ホテルの窓の外がやっと明るくなってきたのでカーテンを開けると、予想に反して一面真っ白。たいした量ではありませんが、雪が積もっています。冬靴を持ってきていないんだけど、大丈夫だろうか。
年末から年始にかけてこの地域は、記録的な豪雪に襲われたのです。大学の仕事は今日から本番。移動はタクシーなので、足元に注意すれば革靴でも何とかなります(ちょっと滑ったけど)。でも午前中、仕事――「待つ」のが主たる任務――をしながら窓の外を見ると、ズンドコズンドコ......。大粒の雪が降ってきました。
さすがにこうなるとまずい。車の窓や屋根がどんどん白くなっていきます。それでも雪はずっと降り続くわけではありません。雲の切れ間に青空が見えることすらあるのです。
そうこうしているうちに、お昼過ぎに仕事は無事に終了。やれやれ。関係者全員でタクシーに乗り、宿所まで戻ったのですが、センセイは途中の松江駅で降ろしてもらいます。
ぜひ乗りたい、と思っていた各駅停車にかろうじて間にあいそうなのです。大急ぎで出雲駅までの乗車券を自動券売機で購入し、ホームを駆け上ると、ちょうど2両編成の各駅停車が到着するところ。ラッキー!! めったに島根県に来ることができないこの機会を利用して、センセイは初めての出雲大社へ行ってみようと思っているのです。
目的地へ至るためにはいくつかのルートがあります。プランの中の一つである、この各駅停車に乗ると14:00に出雲市駅に到着。隣接する一畑電車「電鉄出雲市」駅から電車に乗れば、「出雲大社前」まで乗り換えなしで行けるはずなのです。
時刻表によると、こんな便利な電車はこの一本だけ。これはもう、乗るしかない。ただし世の中はそんなに甘くなく、対向列車――この付近の山陰本線は途中から単線――が遅れて、センセイが乗るディーゼルカーも数分遅れは出雲市駅に到着。
JRの路線だったら何とかなるのですが、見えてきた駅舎とホームを見て、センセイは乗換を断念しました。両駅は確かに隣接しているものの、乗換えなんて、これっぽっちも考慮されていないのです。
結構離れているし。1時間待って一畑電車に乗っても良かったのですが、ここは同じ会社が運営している路線バスを利用することに。
こちらは30分に1本の割合で運行されているのです。JR駅舎内のお店で出雲そば――せっかく来たんだから――を食べ、品数もお客も少ない土産店を一瞥してバスに乗車。
マイクロバスに近い、小型の車両です。利用しているのはほとんど地元の方で、観光客はセンセイと若い男性だけ。30分近く細い道を揺られて、出雲大社に到着しました。
本来ならば参道からきちんと順序を踏んでお参りしなければならないのでしょうが、バスの自動アナウンスが「本殿脇まで参ります」というので、つい、その言葉に甘えてしまいました。
確かに、本殿のすぐ脇にバス停があります。入り組んだ経路をちょっとだけあるいて、写真の本殿前へ。ただし出雲大社、実は平成の大遷宮、つまり建て替え中。目の前にあるのは「御仮殿」で、その奥の近代的な建築物の中で新しい出雲大社が建築中とのこと。
お詫びの印に(?)、帰りはきちんと参道を戻りました。ところで、出雲大社へ来るまでのバスの車中、そして松江に戻るまでの間、不思議に感じたのですが、お寺が......見えない。少なくともセンセイは気づかなかった。
米子にはお寺があったのですが、どうもこの地域にはお寺がないのか、少なくとも確認することができませんでした。後から考えると、墓地はあったけど墓石はちょっと形が違っていたようだし。仏教――センセイの実家の場合は禅宗(曹洞宗)――と神道が共存している地域の人間には、ちょっとよくわからないところがあります。
ホント、どうなっているんだろう。
■1月23日(日) 「水木しげるロード」へ行ってみました ――境線、完乗――
今日の仕事は夕方から。それまではまったくの自由時間です。通常の出張では考えられないことですが。
出張前が慌ただしかったため、いつもと違って今回は全然計画を立てていません。時刻表も持参していません。
しかも昨晩は関係者とかなり飲んでしまいました。せっかくの機会なのであちこち見てみたいのですが、この状況では優先順位をつけなければなりません。
いろいろ考えた末、この地域の鉄道の未乗区間、つまり鳥取県内の境線に乗ることにしました。まず宿泊している松江から各駅停車で乗り換え駅の米子駅へ向かいます。
途中の安来駅ホームには、「『ゲゲゲの女房』のふるさと ようこそ安来市へ」という大きななポスターが吊り出されていました。
朝の連続ドラマになった「ゲゲゲの女房」こと武良布枝さんの出身地なんですね。無事米子駅到着。境線の短いホームへ向かいます。接続は良く、境港行きの2両編成が入線してくるところ。
ひとまず座席を確保して、ホームへ戻ります。人気を博したテレビドラマの影響力は大きいようで、安来市から水木しげる氏の出身地境港市までの地域は、「ゲゲゲ」ブーム。
そこを走る境線はその際たるもので、各駅には妖怪の名前がつけられています。米子駅は「ねずみ男駅」とのことで、ホームにはご覧のようなオブジェ。
右奥には鬼太郎の像があり、たくさんの観光客が携帯電話で記念写真を撮影しています。奥に止まっているラッピング車両「鬼太郎列車」を先頭に、たくさんの観光客を乗せて定刻に出発。
短い間隔で駅に止まりながら、終点の境港駅を目指します。途中、枝が折れた木々が目立つことに気づきました。場所によっては直径10cmくらいの杉の木が折れていたりします。
年末の大雪でやられてしまったんですね。アンテナが倒れた家も目立ちます。植生や家の構造を見ていると、滅多に大雪ならない地域のようです。
もう一つ驚かされたことがあります。西村センセイ、列車内の観光客は皆、このまま終点境港駅まで行くと信じていたのです。
だって水木しげる記念館や、評判の水木しげるロードはそこにあるのですから。でも良く見ると、すでにたくさんのお土産を抱えた人も多い。どこかで観光してから、さらに境港まで行くのかなぁー、などと考えていると急に、下車の準備を始めました。
不思議に思っていると、列車は大きくカーブして米子空港駅に到着。ぞろぞろと下車していきます。観光を終えて、ここから飛行機で帰るところなんですね。確かに例えば東京方面からなら鉄道を乗り継ぐより飛行機を使った方が便利。
米子駅から40分ほどで境港駅に到着。
車内の乗客は減ったのですが、その代わりにたくさんの観光客が敷地の外で歓声を上げながら鬼太郎列車を撮影しています。
駅前には大型の観光バスも横付け。どうやら鉄道の利用客以上に、バスで来るお客さんの方が多いようです。
境港駅の駅舎は灯台の形をしています(すみません。写真では上部にある肝心の灯台の部分が欠けています)。
駅舎正面には水木しげる氏と鬼太郎、ねずみ男のモニュメントがあって、観光客が次々と記念撮影。写真右側の通路天井には「ぬりかべ」の姿。凝ってます。
お客の中心は中年のアベック――テレビドラマの影響でしょうか――で、次いで家族連れ。
でも写真のように、若い女性だけというグループも多いのです。なぜだろう。駅前から約1Kmが水木しげるロードになっていて、各店舗の前には鬼太郎やねずみ男などのオブジェが置かれています。
またこの二人や猫娘の着ぐるみが歩いており、記念撮影に収まっていました。鬼太郎で売り出そうという意思は徹底していて、例えば街灯の丸い電球は鬼太郎の父親「目玉おやじ」といった具合。
その他にもよくまぁ、ここまでという展示物やお店があります。一番奥に水木しげる記念館があるのですが、時間の都合で今日は入りませんでした。駅に戻り、隣接する「みなとさかい交流館」へ。
もちろん観光施設なのですが、この建物は本来、隠岐航路のターミナルなんですね。海側に出ると、乗船するための施設が見えます。岸壁では釣り人が2人、釣り糸を垂れていました。その奥には大型の巡視船も停泊しています。行ってみなかったのですが、そのさらに奥に境港があるようです。
鬼太郎目当ての観光客の皆さんはほとんど気づかなかったようですが、その歴史的背景を含めて、こういう部分も考える必要があるんじゃないかと思います。