2011年8月12日更新(2011年8月21日ページ移動。2015年2月11日一部写真削除)
■8月12日(金) 北海道へは、駅員さんの頑張りのおかげで、個室寝台特急で往復できることに!!
最後にテストを行い、敬和学園大学での講義を終えて自宅に戻りました。先週末の新潟、富山出張を含めて1週間ずっと出張だった──途中、自宅に「立ち寄った」けど──ので、さすがに疲れました。
でもこの間、センセイが本来の仕事以外で熱心に取り組んでいたことがあります。来月の北海道出張のための夜行寝台特急の寝台券確保です。
「プラチナチケット」と呼ばれる個室寝台券ですが、実は田舎のメリットを活用すると案外簡単に取ることができます。小さな駅、ただし「マルス」と呼ばれるJR座席指定券類予約・発券システムのある駅にお願いするのです。休日だったら、朝の9時半頃にその駅へ向かい、事情を説明します。
予約は毎朝10時から受付を開始するのですが、小さな駅の場合、直前に申し込むと駅員──たいていの場合は、事情をよく知らないJR関連会社の社員──がパニックに陥るからです。個室寝台の予約はかなり複雑なので、あらかじめ関係者に予約の手順を確認してもらい、10時の時報とともに、クリック!!(実際にはキーボードを叩きます)
これでかなりの確率で目的の寝台券を確保できるのですが、興味深いのは駅員の反応。窓口を閉鎖して(!!)関係者一同張り切り、「ホントに取れた」とか「初めて見ました」。あるいは「お客さん、コピー取ってもいいですかぁ?」。(実話)
往路で失敗した今回、再挑戦すべくお願いしたのは写真のJR東日本、出雲崎駅。良寛和尚が生まれた場所です。
ただし駅はちょっと離れた内陸側にありますが。今回の新潟(新発田)出張で、移動経路上にあって仕事外の時間に立ち寄ることができ、マルスが使える小さな駅はここだけだったのです。
その結果は2枚目の写真。トワイライトエクスプレスの個室は満席だったのですが希望日は、B寝台ながら北斗星の個室を確保することができました。
北斗星のA寝台個室は三度、B寝台個室は一度利用したことがあります。B寝台はもちろん、大きなA個室にはかなわないものの、割と広めの部屋。しかも今回は揺れの少ない1階です。
不満なんて全然ありません。そして新発田駅にお願いしていた復路ですが、個人的には予想通り、トワイライトエクスプレスのA寝台個室を確保できました!!
A寝台個室は「これが最後か」と思った、去年12月以来の乗車となります。連絡をもらって受け取りに行くと、やはり駅員は興奮しています。「お客さん、取れましたよぉー」という感じ。
「その瞬間」は見ていませんが、たぶん、10時直前にはマルスの前に何人もの駅員さんが集結して、キーを押す瞬間を今か今かと待っていたんでしょうねぇ。
皆様のご厚意は、必ず有意義なものにいたします。ありがとうございました。あ、そうそう。この北海道出張の経費は、規定の分(B寝台)しか支給されず、個室寝台の費用は個人負担です。
念のため。若い人と違ってセンセイくらいの年齢になると、個室で休まないと身体が持たないのです。
■8月11日(木) 午後の食堂では、おぉ、茶道部が活動中!!
前任校、敬和学園大学での集中講義も明日が最後。朝から夕方まで連続した講義なので、真剣勝負が続く分、話す方も聞く方も大変です。
午後の休憩時間に食堂の自動販売機コーナーへ。インスタントーコーヒーを飲むためです。冷たい紙コップを手にして一息ついていると、あれ?
二つある食堂の一つ「アネックス」の様子がいつもと違います。学生諸君がリノリュウムの床に座っているのです。
ナシテ?!窓越しでは良くわからなかったので、ドアを開けるとおぉ、床の上に畳を敷いて、そこに座っているのです。
茶道部(裏千家)が夏休み期間中も活動しているのです。センセイが在籍していたころ既に茶道部は存在していたのですが、どこか目立たないところで活動していたようで、その様子を直接目にすることは一度もありませんでした。
写真でしか情報を得る機会がなかったのです。もちろんご本人たちの了解を得て撮影したのですが、声をかけても、カメラを構えても同ずる様子はまったくありません。
見習い中の人もいたようで、動きは少々ぎこちなかったのですが、やはり茶道という「道」を極めたいという気持ちが表情にあふれています。知っているようで全然知らなかったことがあることに驚かされました。
■8月10日(水) 西村センセイ、何年ぶりかで新発田駅前に降り立つ
西村センセイ、約1ヵ月後に北海道大学で開かれる学会に参加することになっています。となると問題は往復の交通手段。飛行機よりもやっぱり夜行寝台で行きたい。
というわけで最寄り駅に(取れるかどうかは別にして)寝台特急の予約を申し込んだのですが、事前受付はしていない、とのつれないお返事。
JR西日本なら張り切って受け付けてくれるのですが。どうしても10時の予約開始に間に合わせたければ当日、朝の5時に窓口に並んでほしいというのですが、それは無理。
センセイは出張中で柏崎を離れています。駅舎内にある旅行センターの利用を勧められ、実際に手続きをしたのですが、お返事は「取れませんでした」。
というわけで、新発田に滞在している間に、こちらでも寝台券の手配を試みることにしました。授業を終えてから新発田駅へ。
ここに降り立つのは何年ぶりかのこと。敬和学園大学で働いていた頃は忙しくて、自宅へ帰ることができずにほぼ毎日、駅前のホテルに宿泊していました。(実話)
駅そのものは変わっていない――改築計画はある――のですが、周囲の道路が整備され、駅前の様子は一変しています。窓口で事情を説明すると、あっさりと「あ、いいですよ」。同じJR東日本でもどうしてこんなに違うのでしょう。
最悪の場合は飛行機を利用すればいいのですが、やはり北海道へ行くんだったら、夜行寝台特急だよなぁ。
■8月9日(火) 北陸新幹線建設のため、富山駅は仮駅舎で営業中
日曜日の朝、師匠に起こされたセンセイは関係者とともに大型バスで富山へ移動。途中、自宅脇を通過し、柏崎市内のSAで休憩したのですが、何だか妙に落ちつかない気分。
仕事を済ませて関係者と別れて徒歩で富山駅へ向かったのですが、駅前に出ると、おぉ。
本来の駅舎は使用されておらず、金沢寄りに建設された写真の仮駅で営業していました。
もちろん北陸新幹線建設のためです。しばらく前から在来線の線路とホームを北側に仮に移設し、空いた空間を使って、新駅舎を建設しているのです。
富山駅はほぼ毎週通過するし、電車を乗り換えることもあるので工事の様子は良く知っていたのですが、外から見るのは初めてです。
不思議だったのが駅の売店。駅でお土産を買おうと思っていたのですが、仮駅舎には売店も食堂もないのです!!
表示に従って歩いていくと何と、旧駅舎2、3階でそのまま営業中。1階は閉鎖されているのに、ですよ。どうしてそうなるのか、ちょっとわかりません。2階のお土産コーナーからホームへ出る近道も利用可能でした(仮設で位置は変わっていた)。
それにしても、富山駅の1番ホームには美味しい立山そばのお店があったんだけど、もう跡形もなくなっているんだろうなぁー。
■8月8日(月) 飲み過ぎた西村センセイ、飯豊(いいで)連峰から昇る朝日に起こされる
富山市内で開かれていた昨日の保護者会終了後、40名近い関係者はを大型バスに乗って金沢へ戻りました。センセイはバスを見送り、富山駅から逆方向の特急に乗って帰宅。
そして今日はすでに、新潟県北部の新発田(しばた)市に滞在しています。新潟市近辺を行ったりきたりしているわけですね。お伝えしたように、一昨日の夜は新潟市内で関係者の慰労会を開きました。
二次会に突入後、最後の方は記憶がないのですが、ちゃんとホテルの自室で目が覚めましたから、きっと何とかなったんでしょう。
センセイの部屋はたまたま東側。背の高いホテルで周囲から覗かれる心配はなかったので、遮光用の厚いカーテンは引かずに眠りました。
気がつくと朝日が昇るところ。眼下に広がる街は、まだ眠ったままです。考えてみると、新潟で何年も生活していたにもかかわらず、このような形で日の出を見るのは初めてです。
写真右奥は飯豊(いいで)連峰。新潟、福島、山形の県境地域で、山の向こうは米沢市付近になります。
数年前に亡くなられた会津出身の師匠がこの飯豊山について話していたことがありました。会津の人間にとって飯豊山は信仰の対象であり、特に、男子にとっては成人――といっても13〜15歳前後――するために、飯豊山に登るんだそうです。
何だか、飲み過ぎてだらしない格好をしているところを、師匠に一喝された、そんな気がしました。
■8月7日(日) 西村センセイ、高校生の時に毎日通学していた路線に乗って、新潟市へ
昨日はこのページを更新できず、申し訳ありませんでした。新潟市で開かれる保護者会に代表──ただし名ばかり──として出席後、関係者の慰労会に参加していたのです。
普通ならそのままホテルに引き揚げてページを更新するのですが、昨晩の会場は新潟。つまりセンセイのホームグラウンドということで、二次会へ引率(?)させられることになってしまいました。
想定外の展開だったのでひどく酔っぱらってしまい、実は最後の方の記憶が......。それでも今朝はちゃんと起床し、富山での会を無事に乗り切ることができました。
その昨日は早起きして、新潟へ向かうべく柏崎駅から越後線の電車に乗車しました。実はこの越後線、高校時代に毎日利用していた路線なのです。
ただし方向は逆だし、現在のように電化されてはいませんでしたが。西中通駅を過ぎると電車は、海岸沿いの砂丘を登り始めます。これから大河津分水の辺りまで、おおむね砂丘の内側の低地を走ります。
高校生のセンセイがディーゼルカーに乗っていたのは35年以上も前のことですが、基本的な地形は変わっていない──当たり前ですね──ので、あの頃がまるで昨日のように思い出されます。
ただし砂丘一面に広がっていたタバコ畑は荒れ地に変わり果てていたし、駅前にあったお店はすべてなくなっていたし、それに何より、砂丘の向こうでは東京電力(株)の柏崎刈羽原子力発電所の排気筒がピカピカ光を発しているし......。線路沿いの同級生の家を確かめているうちに到着したのは、センセイが利用していた西山駅。
この付近で石油が採掘されていたこともあって、センセイが利用していた頃は貨物の引き込み線も備えたそれなりの駅でした。
でも現在はご覧のように、小さな無人駅舎があるだけ。駅前の時計店も食料品店もピアノ教室も鉄塔とその最上部にあった半鐘(はんしょう)も、すべてなくなっています。
当時を偲ばせるのは古びた跨線橋のみ。働き過ぎなのに早起きしたので、電車に乗ればすぐに居眠りしてしまうだろうという予測に反して、このままの調子で新潟駅まで移動しました。
変わらないものもあれば、跡形もなくなってしまったものもあるし、でも、よぉーく見ると、変わったものの向こうに過去が見え隠れします。いろいろ昔を思い出して、ちょっとおセンチな気持ちで新潟駅に到着したのですが、仕事は仕事。
すっぱりと切り替えます。でも昨晩は、その切り替えのスピードが速すぎたので、「過去」が自己の存在をアピールすべく(?)、反動が懇親会に出たのかなぁーなどと、ちょっと反省しているのです。