2011年9月10日更新(2011年9月18日ページ移動。2015年2月11日一部写真削除)
■9月10日(土) 西村センセイ、夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」で札幌を離れる
というわけで、朝イチから正午前、最後のセッションまで参加。
ちょっと、ある仕事に巻き込まれてしまったこともあってか、一番刺激的だったのは金沢工大の先生の発表。大きな組織なので、知っているつもりでも実は理解していなかったことが、けっこうあるのです。
反省。さて北海道大学での仕事をすべて終えたので、構内のお店で北海道大学関連のお土産――クッキーも売っている――を買い、札幌駅へ向かいます。
約2時間後に出発する夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」で金沢へ移動するのです。いつものように札幌駅ビルの食品コーナーで夜の食事を買い、ホテルに立ち寄って預けていた荷物を受け取り、北海道限定の札幌ビール「サッポロクラシック」を買い求めます。
長旅なので冷却用の氷も。
今回初めて知ったのですが、「今だけの限定缶」としてサッポロビール園限定の生ビール「サッポロファイブスター」を販売していました。
センセイも買ってみたのですが、ちょっとアルコール度が高く、鋭く、癖のある味です。
センセイの場合やっぱり、普通のサッポロ黒生かクラシックがいいなぁー。ホームに上るともう間もなく、トワイライトエクスプレスの到着するところ。
センセイは隣のホームで待ってみたのですが、到着番線はこれから乗り込む乗客や「撮り鉄」――最近は女性や高齢の人も多い――がカメラを構えています。
独特の高揚感があります。去年の冬、「もう乗る機会はないかなぁー」と思って室内を撮影しておいたので、今回、写真は省略。
ただし、去年はJR北海道の車両だったのですが、今回は西日本所属のものだったので、細部が異なっていました。列車は定刻に札幌駅を出発。再びこの地を訪れるのはいつになるのだろうか。
ちょっとしみじみしていると、食堂車の係員が食事とウェルカムドリンクの確認に訪れました。
せっかくなので北海道産葡萄100%の白ワイン「おたる 2009 ナイヤガラ」をお願いします。
というわけでセンセイはすでにほろ酔い状態。トワイライトエクスプレスは方向を転換し、ディーゼル機関車を電気機関車にの付け替えるために函館駅の手前、五稜郭駅で10分近く停車します。
函館には入りません。当たり前ですが停車中は全然揺れないので、この時間を利用して個室内に備えられたシャワーを使おうと思っています。
でもこの酔い加減だとその前に眠ってしまうんじゃないだろうか......。もう1日長く滞在できたら、いろんな人にお目にかかったり、まだ行ったことのない根室訪問にも挑戦できたんだろうけど......。
残念。列車は自宅のすぐ脇を6時ころに通過し、9時前に金沢に到着します。
■9月9日(金) 北海道大学の学生を育てているのは、もしかすると...
西村センセイ、本当はもう一日早く北海道入りしたかったのです。
学会は昨日、つまり木曜日からから明日(土曜日)までの3日間。でもセンセイが関係するセッションは毎日開かれるのではなく、木曜の午前中と今日だけの開催。
だから水曜日のうちに――夜行寝台を使うならその前の日から――移動し、木曜朝の発表を聴きたかったのです。ところが何と、水曜午前中に重要な会議が入ってしまったのです。ぞれもずいぶん前に。会議終了後に移動すると、札幌到着は木曜のお昼。
関係するその日のセッションは終了しています。ところが金沢工大の教員は、その多くがこの学会に参加します。だから何でこの日に開催するんだろうと訝(いぶか)っていると、数日前になって、会議開催中止の連絡が......。
そりゃそうでしょう。気を取り直してセンセイは今朝から、北海道大学で開催されている、公益社団法人日本工学教育協会の大会に参加しています。
北大へお邪魔するのは、もう10回近くになるのではないかと思います。
そのたびに感じることなのですが、北大は緑が多い。緑の中に建物が隠れている、という感じです。
写真は今日撮影したものですが、木々の葉が僅かに変色しています。正規のカリキュラムではなく、寮生活やクラブ、サークル、あるいは大学周囲の環境など、非正規の教育環境を教育学では“hidden curriculum”(「隠れた教育課程」)と言います。
要するに、正規/非正規を含めた環境全体がその人間を成長させる、ということなんですね。センセイの周囲を含めて、北大で教育を受けた人、あるいは北大で教壇に立っている人は独特の雰囲気を持っているように思えます。
だからセンセイには、「もしかすると、この木々が北大の学生諸君を育てているのかも」と思えてしまうのです。西村センセイ、明日はお昼まで学会に参加し、午後に出発する夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」で金沢へ移動します。
■9月8日(木) 西村センセイ、何故か薩摩揚げを食べながら、夜行寝台特急「北斗星」で北海道入りする
というわけで西村センセイは現在、札幌市内に滞在しています。今回はここに至るまでの見た通りのお話。
なおHDDを交換され、Windows XPを新規インストールされたMacBook(White)は現在、Windowsマシンとしてのみ動作しています。
しかも旧Mac OSのエミュレータのインストールに失敗したため、Windows上のPhotoShopのみで画像を処理しています。
そのため、Macの安いソフトよりも画質が劣ります――本当はセンセイの能力の問題なのでしょうが――ので、悪しからずご了承ください。先週の九州出張と同様、Macが使える環境に戻ったら、写真を差し替えます。
さて、夜行寝台特急「北斗星」入線の1時間前に上野駅に到着したセンセイ、駅構内のスーパーで早速お買い物......のはずが、身内から急ぎの連絡。
吉報ですので、ご安心を。あちこちに連絡してからそのスーパーで急いで買い物をしてホームに向かうと、おぉ、もう北斗星は到着済です。
写真の、最後尾の客車――正確には客車ではなく、ディーゼルエンジンを積んだ電源車――の前ではたくさんの人が記念撮影をしています。
自分の部屋を探して進んでいると、食堂車では各種の食材を搬入しているところでした。
運んできた業者も、受け入れる白衣姿の男性も、そして食堂車内を整備している女性スタッフも、いずれも表情や動きが良い。
何だか惚れてしまいそう。ちなみにセンセイは夜行寝台特急・急行を何十回も乗りましたが、食堂車を利用したことはありません。
気を使う食事は苦手だし、どうせ最後はただの酔っ払いになってしまうんだし......。
残念ながらセンセイには、南アフリカの本物のブルートレインに乗車する日は来ないようです。さて、センセイに割り当てられたのは、6号車のB寝台個室。初めて知ったのですが、6号車は半分がラウンジになっていました。
センセイは奇数の部屋だったので、1階。2階建て寝台車の場合、1階の方が揺れが少なくて良いのです。
ちなみに、次の写真は2階。別に不法侵入して撮影したのではなく、今朝、乗っていた方が下車した際、扉を開いたままにしていったので、通路から撮影しました。
ちょっとわかりにくいかと思いますが、2階はとても天井が低く、立ち上がることができません。
正確に言うと、写真手前が階段になっていて、その途中に立つと背を伸ばすことができるのですが......。それに比べると1階は狭い――写真の印象より、ずっと狭い――ながらもちゃんと立つことができます。
廃止された特急「北陸」のB個室は、背を伸ばすことができなかったように記憶しているのですが、設計が違うのでしょうか。
その個室ドアを開けた最初の印象は......臭い。煙草臭いのです。センセイはこの臭いがとても苦手。
でも換気扇を最大に回し、エアコンで外気を取り入れると程なく何とかなりました。やれやれ。B寝台は洗面もトイレもないし、洗面用具もないのですが、そこさえ割り切ってしまえば、9,000円ちょっと(運賃を除く)で北海道まで個室で行くことができます。
よそ様に迷惑なことをしなければ、何をしてもいいのです。ま、センセイの場合はビールを飲みながら、腑抜けた顔で真っ暗な部屋から外をぼんやりと見ているだけなのですが。
さて、センセイが上野駅から夜行寝台特急に乗る時、改札口前のスーパーで買うのは、ビールとスモークサーモン。
ちょっと油が強いけど、とても美味しいのです(値も張ります)。で、今回、スーパーに入ろうとして、入り口には見慣れない男性の売り子さんたちが。鹿児島の、本場の薩摩揚げを売っているのです。
店内を一巡りしてセンセイが買ったのはやはり、その薩摩揚げ。
先週、九州――といっても北半分ですが――を放浪していたからでしょうか。本場の薩摩揚げ、やはり普段食べているものとは違います。
違いはまず、食感。ペタッとしておらず、噛み切った口の中で素材が存在を主張しています。次は甘さ。
ご飯の、あの「甘さ」に似て、素材からの甘さが生きています。ふだん食べている「さつま揚げ」って、何なんだろう。
購入したパックには「1〜2人用」とあったのですが、気づいた時にはもう何も残っていませんでした。さて、いつもより1缶多くビールを用意したのですが、気づいた時にはその最後を飲み終えて狭いベッドで寝ていました。(情けない)
気づいたのは青森の手前。そこから夜景が面白くて、窓の外を見たり、また眠り込んでしまったり......。
外がどうであろうとカーテンを閉め切って寝てしまうなら問題ないのでしょうが、夜行寝台特急、センセイは変なところでとてもワクワクさせられてしますます。
車内の電灯をすべて消して初めて見ることができる夜景や、明け方の妙な緊張感。結果的にはいつも、睡眠不足になってしまいます。効率的なのか非効率なのか、実はよくわからない。
でも、ま、先週あれだけ働いたんだから、そんなダメなセンセイだけどちょっとだけど大目に見ることにしましょう。
■9月7日(水) 「うみ」駅は、海側ではなく山側の終点です(3) ──香椎線──
今日から秋のツアー後半戦開始。センセイは現在、東京経由で北海道へ向かっているところです。でも今日はまだ九州のお話。九州北部での最後の未乗区間、香椎(かしい)線が残っています。
香椎線は博多から比較的近く、砂州のように日本海に突き出た志賀島(しかのしま)の付け根の部分と、山側の部分を結んでいます。途中、香椎駅で鹿児島本線と、長者原駅で篠栗線と接続します。だから博多を出発点にすると割と楽に乗ることができます。
博多駅のロッカーに荷物を預け、各駅停車でまず香椎駅へ移動。鹿児島本線の側から見ると、香椎駅で両線が平面交差するようなのですが、状況がよくわかりません。
アナウンスに注意していると、「さいとざき行きは○○番線」。これです、これ。ところがそれに続いて「うみ行きは△△番線」。え"っ、「海行き」?!
間もなく2本の列車がほぼ同時に出発するのですが、どちらに乗ればいいのでしょう。とにかくホームへ降り、それと思しき2両編成のディーゼルカーへ。
車体の脇にはLEDで「西戸崎(さいとざき)行」と表示されています。これが乗るべき列車なのです。では謎の「海行き」はというと、隣のホームに2両編成の「宇美(うみ)行」。
よく調べていなかった――というか、老眼鏡をかけないと字が読めない――センセイが悪いのですが、山側の終点が宇美駅なんですね。
西戸崎行は行楽客っぽい人々を乗せて出発。なぜだろう。運転本数の多い鹿児島本線とどう平面交差するのかと思っていると、しばらく小倉方向に平行して走行し、大きな弧を描いて鹿児島本線を跨ぎます。
1駅近く、ずいぶん離れた場所での立体交差だったので気がつかなかったのですね。香椎線は最初は住宅密集地を進み、やがて砂丘のような場所に出ます。西側の海(湾)だけが見えているのですが、反対側も、砂山の向こうはすぐ海の気配。
どこへ出るんだろうとちょっと心配になっていると、やがて前方に背の高いマンション群が見えてきました。博多からちょっと離れていますが、新しく開けたベッドタウンのようになっているようです。
西戸崎の一つ手前で例の行楽客たちが全員下車しました。外は台風の影響で風雨ともに強いのに。
どうしてなんだろうと思ってよく見ると、すぐ隣が大きな遊園地になってるようです。間もなく西戸崎駅到着。この列車は過ぎに折り返し、宇美行きとなります。要するにこのまま乗車。
土曜日の午前中だったので、香椎駅までは博多への買い物客が乗り込んできます。来る時は良くわからなかったのですが、九州産業大学や付属高校の脇を通って、再び香椎駅へ。
雨も風も、どんどんひどくなってきて、ちょっと車外には出られなくなってきました。僅かな乗客を乗せて列車は香椎駅を出発。立派な鹿児島本線を右に見ながら急カーブを描いて山登りを始めます。
最初は住宅密集地を走行していたのですが、やがて空き地や畑が広がるようになってきました。再びマンションが増えたかな、と思っていると長者原駅到着。篠栗線とは立体交差。乗客の大半が下車します。やはり博多方面へ向かうのでしょう。
列車は右手に池や住宅地、左手に丘を見ながら終点の宇美駅へ到着。
外はもう大荒れで、写真の撮影をあきらめようかと思ったのですが、駅前のタバコ屋さんの庇を借りて1枚だけ撮影。
ワンマンカーなので運転手さんが車両の反対側へ移動しています。駅の近くにコンビニがあるらしく、彼の手には濡れた傘と、昼食と思われるおにぎりが3個。高校生を乗せて宇美駅を定刻に出発します。
他の乗客とともに長者原駅で下車し、博多行の篠栗線に乗り換えます。颱風の影響で、列車は数分遅れて到着しましたが、もちろんセンセイには何の影響もありません。
さてこれで九州の北半分のJR在来線を乗り終えたことになります。でも博多以南の新幹線にはまだ乗っていないし、南半分は三角(みすみ)線および日南線全線や肥薩線の一部、指宿枕崎線の一部(指宿より先)など未乗区間が残ります。
第三セクター化された旧国鉄線にも乗ってみたい。生きているうちにこれらに乗る機会があるかなぁー。
今回もつくづく思い知らされたのですが、九州はやはり、ホントに広いのです。
■9月6日(火) 石炭採掘全盛期が偲ばれる九州北部の鉄道路線です(2) ──筑豊本線、篠栗線、後藤寺線──
九州入りした日、小倉から日田彦山線に乗っていると、田川駅の広い構内、かなり離れた隣のホームに1両編成のディーゼルカーが入線していました。
平成筑豊鉄道です。調べていませんが、旧国鉄線が第三セクター化されたもののはず。本当はこちらにも乗ってみたいのですが、やはり九州は広い。まだまだ未乗JR線区間があるので、今回は見送ります。
今回、一番難しかったのは筑豊本線と、そこから枝分かれし、日田彦山線田川駅の隣、田川後藤寺駅とを結ぶ後藤寺線に乗ること。公務出張である以上、きちんと仕事をする必要があります。
許された条件の中では、一度で乗車することはできませんでした。そこでまず久留米大学での学会を終えると、5分ほど歩いて久大本線久留米大学駅へ。程なく到着した特急「ゆふ4号」に乗り込みます。センセイは周遊きっぷを持っているので、この地域内の特急自由席は乗り放題(センセイは「○○放題」という言葉に弱い)。
このまま乗っていれば次の宿泊地博多まで楽にたどり着けるのですが、久留米駅で下車して快速に乗り換え、鳥栖(とす)駅脇のサッカー場を見ながら、近くの原田(はるだ)駅へ。原田駅に限らず、九州には「原」を「はる」と読む駅がたくさんあります。
乗り換えの時間がかなりあったので、駅の近辺を歩いてみたかったのですが、颱風の雨が強くなってきたので、断念。
駅前には何もなかったで、ホームでぼんやりと白い特急「かもめ」や「みどり」、そしてたくさんの快速を見送ります。無人だったホームにお客さんが少し現れると、木々の中から1両編成のディーゼルカーが。
写真右端、鹿児島本線の長いホームの脇の、ごく短いホームに、折り返しの筑豊本線、桂川(けいせん)行が到着。15名ほどの乗客の半分は、実は制服姿の小学生。
時刻表をご覧いただくとわかりますが、この区間の列車はごく僅か。それを利用して通学しているんですね。
付属校など、進学校があるのでしょうか。ワンマン運転のディーゼルカーは鹿児島本線を左に見ながら丘を下ります。
すぐに西鉄を跨ぐのですが、ちょうどやってきた電車は長く、しかもかなりの乗車率。きっと西鉄の方が便利なんでしょうね。でもディーゼルカーはそんなことは気にかけません。
何も気づかなかったように、のんびりと川を渡り、そして山登り。すぐに人家がなくなり、山間を走り抜けます。トンネルも多いし盛り土の場所も多い。乗客だけのことを考えるととても採算が合わないような路線です。
この区間でもかつては石炭を運搬していたのでしょうか。平野部に出ると、左側から電化された篠栗(ささぐり)線が現れて、桂川(けいせん)到着。このまま筑豊本線を北上してもいいのですが、今日はここで篠栗線に乗り換えて博多へ移動します。
真っ暗な中を走行しても「乗った」ことにはなるけれど、普通の人々の生活は見えませんから。翌朝は、ちょっとだけ早起きをして博多駅へ。
まだ7時前だというのに、たくさんの通勤通学客がいらっしゃいます。しかも博多に到着する方だけでなく、ここから出かけようとする人も多いのです。
センセイが乗った博多発直方(のおがた)行の電車も出発時にはほぼ満席。途中からはかなり混雑しました。前の日、逆方向に乗っていて気づいたのですが、篠栗線は現在、ベッドタウン化した周辺都市と博多とを結ぶ役目を果たしています。電車の外側、ドア脇には「福北ゆたか線」というシールが貼られ、直方までの筑豊本線と一体で運行されているほど。
路線図では博多駅の北隣「吉塚」駅まで鹿児島本線を借用することになっていますが実際には、単線ながら専用の軌道を持っています。
利用客が多いんでしょうね。その篠栗線、市街地を高架で抜け、長者原駅で香椎(かしい)線の下をくぐり抜けると、山間部に入ります。九州北部は、それほど険しくはないものの、山がちの地形だということを、改めて思い知らされます。
かなりの急勾配を登り、そして下ると、昨日乗り換えたばかりの桂川駅。高校生や通勤客がたくさん乗り込んできて、3両編成の車内はかなりの混雑。この地域の拠点と思われる飯塚駅に到着したのですが、降りる客はほとんどいません。
隣の新飯塚駅が市街地中心部に近いようで、ここで大半が下車。センセイも降ります。後藤寺線に乗り換えるためです。
跨線橋を渡った隣のホームには2両編成のディーゼルカー。九州入りした日に通過した田川後藤寺駅行のキハ31型ワンマンカーです。
通勤通学客で混んでいるのかなぁという予想は良い方に外れて、車内はガラガラ。
飯塚は盆地になっており、駅を離れた列車はほどなく丘を登り始めます。途中、大きな溜め池(?)もあったのですが、この地域は大きな川がないので農業用に使っているのでしょうか。
峠を越えると風景は一変し、石灰石の採掘現場に出ます。現在ではトラック輸送のようですが、引き込み線跡らしい場所も確認できました。
再びちょっと丘を登って、田川後藤寺到着。こちらも構内は広く、石炭採掘全盛期は活気に溢れていたんだろうなぁーという感じ。
時間がないので折り返しの列車で新飯塚駅へ戻ります。この頃になるともう朝の出勤ラッシュは終わったようで、到着した黒崎行の乗車率は30%程度。電車特有の軽い音を立てながら平野部をしばらく走って直方到着。
ここまでの道中、「ここにはきっと炭鉱への引き込み線があったんだろうなぁー」と思える場所が何カ所かありました。このまま次の乗換駅へ......と思っていると、直方駅で4両編成の、後部2両を切り離すとのこと。ナシテ?
たまたまセンセイが乗車していた黒崎行だったので、そのまま乗車し、切り離し作業の完了を待ちます。直方駅は筑豊本線の運用上、拠点となっている駅で構内も広く、列車の整備工場なども見えます。
短い編成となった2両は平野部を軽快に走り抜け、鹿児島本線との接続駅、折尾到着......のはずが、あれ?
駅舎を外れて変なところで、曲がりくねって停車。どうなっているんだろうと思ったのですが、まず、筑豊本線と鹿児島本線は基本的に、折尾駅で立体交差しています。
これは知っていました。ところが両者を結ぶ連絡線が存在し、しかも写真の折尾駅舎とは別に、ちょっと離れた場所に連絡線用の「折尾駅」があるのです。
かなりきついカーブ上にあるため、ホームは僅か2両分。直方駅での2両切り離しは、このためだったんですね。
二つの「折尾駅」は北陸本線の「越前花堂(はなんどう)」駅に似て、「ハ」の字のような位置関係になっています。
折尾駅の場合、両者はかなり離れており、途中には一般の道路も存在し、自動車が普通に行き交っています!!センセイが使っているのは乗り降り自由の周遊きっぷですから関係ないのですが、普通の乗車券を使用する場合、それを係員に見せて、そのまま隣の(?)折尾駅へ向かいます。
慣れないと相当不思議な感じです。その折尾駅。歴史を感じさせる本当に立派な、そして魅力的な駅舎です。改札を抜け、今回の目的地「若松」行のディーゼルカーに乗り込みます。
昨日、今日と二日に分けて乗った筑豊本線。
良く考えてみると、かつて炭鉱からの産出された「黒いダイヤ」を運び、これから向かう若松で荷を降ろしていた頃と現在とでは、ほぼまったく、別な存在なんでしょうね。
電化、非電化区間が混在し、事実上、三つないしは四つの区間として別々に運用されています。しかしそれでも、現在でもなお役目を果たし、存在しているということだけでも価値があるんだと思います。
例えば信越本線の場合、すでに物理的な存在がなくなっている区間もあるのですから。いろいろ考えているうちにディーゼルカーはゴトゴトと出発。鹿児島本線の下をくぐるのですが、ずっと複線のまま。
かつては貨物輸送を中心に栄えた路線だったんでしょうねぇ。左手に住宅地、右手に海や競艇場(?)を見ながら、終点の若松到着。
駅舎は特にどうということのないものに建て替えられていますが、この地に栄光の時代が存在したことを感じさせられます。
数分の折り返しで折尾に戻り、鹿児島本線の快速で博多へ移動。ちょっとでも、見えないものの向こうにある歴史を識ることができれば、物事の見方はずいぶん変わるんだろうなぁー。
■9月5日(月) 九州北部のJR在来線を完乗しました(1) ──日田彦山線──
今回の九州出張はたまたま、参加すべき行事の多くが午後に開催されました。
九州には結局5日半滞在したのですが、朝から夜中まで拘束されたのは2日。残り3日は仕事が午後から始まり、残りの「半分」は九州からの移動日。
というわけで、この貴重な3日間の午前中を有効に使って、九州北部のJR在来線未乗区間の完全乗車に挑戦することにしました。西村センセイ、これまでに九州の幹線はすべて乗っていますし、長崎方面も子連れで訪問した後に、一人で新旧両線を乗車するなど、もう未乗区間はありません。
でも九州、やっぱり広い。北東部はかつて石炭の炭鉱が多数存在したこともあり、鉄道が網の目状に張りめぐらされていました。もっとも、その多くはすでに廃止されていますが。
複雑な路線なので、残された鉄道を乗るのもかなり難しいのです。使える時間は限られているので、あらかじめ計画を綿密に錬ります。他の仕事もこうだったら、センセイの人生、ずいぶん別なものになっていただろうに。
まず九州入りしたその日に、日田彦山(ひたひこさん)線に乗車します。ポイントは始発の「みずほ」に乗車すること。初めて九州新幹線に乗ってみました。
自由席がどうかは知りませんが、指定席は「ひかりレールスター」に似て、ゆったりとした4列座席。しかも室内や備品、座席の隅々に至るまで、配慮が行き届いています。
これはJR九州の列車全般──旧国鉄時代からのものを除く──について言えることで、個人的には自意識過剰というか、ちょっと拘りすぎという印象を持っています。
乗り心地は良かったですよ。念のため。小倉で下車し、2両編成のディーゼルカーに乗り込みます。平日だったので高校生や通勤客で混雑するのかな、と思ったら、まだ8月だったせいか乗客はまばら。
列車は定刻に出発し、ビルの合間を抜けるとやがて住宅地へ。急にローカル線っぽくなります。
大きなプールがあるらしく、志井公園駅で浮き輪を持った女性客が下車。そこから先は険しい山間部に入ります。
盆地のようなところに出ると、田川、田川後藤寺といった、かつては重要だったであろう駅を通り過ぎます。ディーゼルカーは再び川沿いに山登りを始めます。
勉強不足だったのですが、大分県との県境近くに「彦山(ひこさん)」という信仰対象の地があるようです。
日田彦山線の名称は、後述する日田と、この彦山から来ているのですね。峠をトンネルで抜け、日田彦山線の終点、夜明駅に到着。
NHKが2004年に放送した「列島縦断 鉄道12000km 最長片道切符の旅」の終盤で重要な場面に登場する駅です。
でもセンセイ、ここでは下車しません。この日の目的地である久大本線久留米駅に行くためにはどこかで乗り換える必要があるのですが、ここで降りても、しばらく列車は来ないのです。
それにここは無人駅。もうすぐお昼なので、午後からの仕事に備えて何か食べておく必要があります。というわけで、センセイはそのまま乗車を続け、列車の終点日田駅へ。
夜明を過ぎると急に地形がなだらかになって、この地域の拠点都市、日田に至ります。
歴史を感じさせる雰囲気の良い駅だったのですが、残念ながら駅前にはコンビニも飲食店も見当たりません。
駅舎に戻るとキヨスクがあって、僅かですがお弁当を売っています。地元食材を使ったお弁当──年寄り向けのかなり濃い味付けでした。美味しかったけど──を買って、再び久大本線のディーゼルカーに。
2両だけなので、ちょっと混むのかなぁー......と思っていたらセンセイが乗った車両は意外にも、年頃のお嬢さんが二人だけ。
その二人、少し喋った後に、居眠りしてしまいました。センセイはこの久大本線に、別府から久留米まで乗ったことがあります。
途中、湯布院などの名所を通るのですが、日田彦山線と接続する夜明駅については平野部だったように記憶していました。
でも実際はかなり険しい山沿い、急峻な川の上にある駅。人間の記憶なんて、いい加減なものなんですね。あるいは、駅を過ぎて久留米方面に進むと、すぐに平坦な場所に至るので、記憶が混乱してしまったのでしょうか。
平野部に出ると乗客が乗り込んできて、この日の目的地、久留米大学前に到着。すると何と、日田駅からの女性二人も下車。久留米大学の学生さんだったんですね。
というわけでセンセイの鉄分補給の旅はもうちょっと続きます。だって九州、とても広いんです。
■9月4日(日) 西村センセイ、颱風にまた負ける ──博多から自宅へ10時間かけて戻りました──
というわけでセンセイは、10時間近くかけて博多から新潟の自宅へ戻りました。これがけっこう大変だったのです。
キャンセルが出たおかげで、何とか泊めてもらうことができたホテルを、8時過ぎにチェックアウト。
ホテル前の停留所から博多駅行きのバスに乗ったのですが、信号の変わり方が早く、バスはほぼ1ブロックごとに信号待ちで停車しているような感じ。
もうちょっと早く、余裕を持って出発すべきだった。駅到着後はキヨスクで最低限のお土産を買い、学会や会議の資料が詰まった重い荷物を抱えて階上のホームへ。ところがセンセイにしては珍しくホームを間違えてしまい、もう一度やり直し。
お昼に食べるお弁当を買おうかと思ったのですが、適当なのがなかったし、1時過ぎには東京駅に到着する──はずだった──新幹線なので、ホームでの購入を諦めます。「のぞみ」は定刻に出発。九州入りした日、そして一昨日、昨日と列車に乗った場所を確認していると、すぐに小倉到着。ここまばらだったお客の、その半分くらいが入れ替わります。
通勤している、ということなのでしょうか。乗車変更をした昨日、北側のE席が取れずに南側、つまり日の当たるA席に座っていたのですが、本州にはいると日が差し込むようになりました。ブラインドを少し下げたりしているうちに、ついウトウト。
やはりかなり疲れていたのでしょう。気がつくと座席は8割方埋まっていて、大阪、京都、名古屋と拠点駅に到着するたびにたくさんの乗客が動きます。
名古屋の次は新横浜......のはずだったのですが、ここで女性車掌のアナウンスが入りました。掛川−静岡間で激しい雨が降っており、どこかの駅で運転を見合わせるというのです。
マズい。センセイは東京駅で東海道新幹線から上越新幹線に乗り換える必要があるのです。割と待ち時間のある乗り換えで、センセイとしては当初、不便だなぁーと思っていた接続。
そこでこの時間を利用して、八重洲口かどこかでお昼を食べようと思っていたのです。窓の外、流れる雨の様子がひどくなってきました。
実は今回の颱風、九州ではあまり雨が降らなかったのです。あまり戸外へ出なかったということもあり、センセイは持参した折り畳み傘を一度も使用しなかったほど。
でもここでの降り方は、颱風の進路にあたった地方や紀伊半島ではこのひどい降り方が、さらに......と思わせるもの。やがて「のぞみ」は豊橋駅で停車してしまいました。入線する時に確かめたのですが、すでに先行2編成が停車しています。
写真では良く分かりませんが、ホーム反対側の「こだま」の向こうに「のぞみ」が前を向いて停車しています。
車内は「台風なんだからしかたないよね」という雰囲気ですが、それでも携帯でメールをやり取りしたり、デッキで携帯電話を相手に怒鳴ったり。
センセイはというと、豊橋駅に停車している時間を測っています。遅延が40分以上になると苦労して指定券を入手した乗り換え列車に乗り遅れてしまうのです。
もう全然ダメかな、と思っていると、35分くらいしてから運転再開のアナウンスが。「これなら何とか間に合うかな」と思ったのですが、これが甘かった。先ほどの雨がひどかった区間では徐行運転をするというのです。
もちろん遅れ幅は広がります。最終的には45分遅れて、東京駅到着。センセイ側には瑕疵(かし)のない乗り遅れ──業界用語で「事故不接」──なので払い戻しをしてもらい、改めて指定を取り直そうとすると、次の列車は満席。
それでも払い戻しをと思っていたらJR東海の駅員さんの指示は意外なもの。「このまま自由席に乗って終点まで行ってから精算してください」というのです。この方法だと何と、特急券の半額が払い戻されるというのです。
初めて知りました(時刻表には書いてないと思う)。改札のたびに事情を説明し、6時をかなり過ぎてから柏崎駅到着。事情を説明すると、確かにその通りとのこと。そもそもの乗車券が複雑だったので、15分以上かけて4枚の特急券類を精算しました。
ところで乗換駅の長岡に到着し、在来線ホームに出てみると写真のように、待避線には東海道線、高崎線用のE233系車両が。2階建グリーン車もついたフル編成だし、何よりすべてがピカピカ。
車輪も綺麗なグレーに塗装されていました。新津にあるJR東日本の新津車両製作所で製造したばかりの新車──おそらくこちらの編成──に違いありません。
所属は田町車両センターになっていました。なぜ長岡駅に停車しているんだろうと思ったのですが、たぶん、本当は昨日か今日輸送するはずだったのです。
それが上越国境(群馬−新潟県境)の豪雨で上越線が不通になっているため、ここに留め置かれているんでしょうね。写真左側に留まっている電車に乗り、この新造列車を追い抜く時、電気機関車に牽引されていることを確認しました。
いわゆる「甲種回送」です。不思議だったのが、電車の電源が入っていたこと。エアコンの音(?)もよく聞こえたのです。
もちろんお客さんなんていないんですよ(末尾の運転席の照明は点灯していた)。いろいろ考えたのですが、スイッチの切り忘れの類ではなく、列車のコントロール、特に回送される電車側のブレーキを使用するためにシステムの電源を入れていた、ということなんじゃないのかなぁーと思っています。
さて、お気づきだと思いますが今回の九州ツアー、仕事とともに「鉄分補給」が隠された──全然隠されていないか──テーマです。
明日以降、その様子をちょっとご紹介できると思います。