2013年8月31日更新(2013年9月8日ページ移動。2016年10月10日写真削除)

──2013年8月第5週のニュース──

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8月31日(土) しばらく来ることはないだろうなぁ... ──新潟大学での学会を終えました──

 母校、新潟大学での学会も最終日。同じテーマが続いているので、見たままを手短に。

 今日はセンセイらが直接関係するセッションが開かれました。もちろんどなたも大歓迎なのですが、集まったのはほぼ関係者のみ(後述の例外あり)。
 その分、濃密なやり取りが続きました。

 ただしお一人だけでしたが、工業高等専門学校で教鞭を取られている先生が新たに発表されました。

 学問的な背景は教育学なのですが、(センセイとは違って)きちんと訓練されており、新しい視点から驚異深い発表をしていらっしゃいました。
 参加者の大半も同じ感想を持たれたのではないかと思います。

 ご都合があり途中で退席されたのですが、これからは彼のような若い人材がこの分野を牽引していくことになるんでしょうね。

 久しぶりの母校は、訪れるたびに遠い存在になっていき、正直なところ、他の大学とあまり区別がつかなくなっています。
 でもそれは当然のこと。

 今日の会場を手伝ってくれている学生の表情や動きを見ていて、この大学は彼ら彼女らや、そのステイクホルダーのためにあるのだなぁということを再確認していたセンセイなのでした。
 もちろん当たり前のことなのですが。

 そしてセンセイは、金沢へ移動します。



8月30日(金) こんな渡り廊下、なかったよなぁ... ──グランドデザイン──

 昨日の続き。写真も同じような場所から撮影しています。今日の当地は雨がちで、どこにも出られなかったので。

 そこで引き続き勝手知ったる他人の大学を探訪させていただきました。入口右の旧書籍コーナー──その後、別棟として独立──は、壁が取り払われて大きな事務室に替わっていました。
 故坂井先生から英語を、2回目の大学生の時にフランス語を習った場所は、外国人留学生のための事務室に。

 外に出ると、第一食堂(写真左側)はそのまま。内部は何度か改装されています。中央にはかつて、理容院が存在していました。一番良くわからなかったのが、中央の渡り廊下。
 右側の旧教養部の建物(総合教育研究棟)2階と第一食堂を繋いでいます。数年前から使用されています。

 旧教養部入口改修の際に設置されたものなのでしょうが、用途がよくわからない。

 主に人の流れを分散させるためのもので、2階から地上に降りて再び階段を登る手間を省く意味もあるのでしょう。
 でも北国の冬には必須の屋根がない(下を歩くこともできない構造になっています)。

 ここだけではありません。旧理学部にもあります(ただし屋根付)。センセイにはグランドデザインがわからないのです。
 というか、たぶんそれは存在しないんじゃないでしょうか。

 新制新潟大学は、戦前から県内に存在するいくつかの高等教育機関を統合したものです。
 昭和50年代中頃まで、それぞれの学校が新潟県内各地に分散して存在していた(!!)ほど。

 教養部の母体となった旧新潟高校その他の学校には、それぞれの設立理念や学風があったのでしょう。
 しかしそれらを「五十嵐砂漠」に寄せ集めてみても、理念は生まれない......。

 建学の理念を大切にする私立大学や、国立でも北大などを識ると、愕然とさせられます。

 キャンパス内を行き交う学生──夏休みのはずなのに、けっこう多い──や、学会を手伝ってくれる学生(大学院生?)の動きや表情にもそれを強く感じます。
 学力はそこそこなんだろうけれど。

 彼ら彼女らの表情を見ていて、ふと気づいたことがあります。それはかつてのセンセイや関係者のそれであり、センセイはあるタイミングで、ここを、そして彼ら彼女らを「卒業」したということを。

 ......なんだ、昨日と同じだ。



8月29日(木) 西村センセイ、四半世紀ぶりに新潟大学旧教養部に入る

 というわけでセンセイは今日から新潟大学で開催されている割と大きな学会に参加してます。会場内のあちこちには金沢工大関係者。ま、いいんですけど。

 センセイは新潟大学に8年間在籍しました。学部学生としてですから、自慢にならないですね。そのうちの5年間を過ごしたのが、ここ五十嵐(いからし)キャンパス。
 父親がちょっと在籍していたこともあって、そのずっと前から知っているのですが、その頃はまさに「五十嵐砂漠」。

 中心部から遠く離れた砂丘の上に、理学部と教養部の建物しかなかったのです。しかも学生が移転に反対したため、建物は利用されておらず、冗談抜きでそれらの建物は砂に埋もれていました。
 「砂漠」の中で目立ったのは、背の低い松の木ばかり。

 後で知ったのですが、土地の境界標を地面に打っても、すぐに砂に埋もれてしまうので、その代わりに松を植樹したのだそうです。もちろん実話です。
 センセイが大学生として通い始めた頃、やっと喫茶店や飲み屋などの門前町が形成されつつありました。

 しかし現在では(砂は多いものの)キャンパスは生長した樹木に覆われ、周囲は住宅地になっています。正直なところ、あの頃を正確に思い出すのが難しい。
 この地を離れてからもセンセイは、年に1回くらいの割合でキャンパスを訪れていました。

 目的地は家人が働いていた生協だったり、卒業した人文学部だったり。最近は学会の関係で工学部も訪れることがあります。
 でも学会会場の旧教養部は本当に久しぶり。

 たぶん昨年亡くなられてた恩師に結婚を報告するため訪れたのが最後だと思います。
 ざっと、四半世紀ぶり。

 昔と違って国立大学の財政は厳しいので、建物を改修しながら、そしてとにかく見栄えを良くしながら使用しています。
 でも基本部分は「あの時」のまま。

 このまま教室階から研究室へ繋がる階段を登ると、ニコニコ顔の恩師に逢えるような気がしてきます。
 でももちろん、そんなことはしません。

 いつかどこかで、センセイは「卒業」してしまったのです。

 そして今は、困っている学生や保護者の話を聴く立場に回っているので。ちょっと申し訳ないことに、必ずしもニコニコしてはいないかもしれないけれど。



8月28日(水) 手を伸ばせば、能登半島に届きそうだった日 ──センセイは新潟に「出張」中──

 お伝えしているように、主催する重要なイベントが目前に迫っているにもかかわらず......仕事は進まない。

 後述する理由で、金沢を今日中に発たなければならないセンセイ、さすがに今朝は未明からのご出勤。ぎりぎりまで追い込まれないと取りかからないこの悪習。
 情けないことに、子供の時から変わらない。

 他の方にも助けていただきながら──N先生、深謝、深謝──午後遅くには何とか一区切り。こちらも無理を強いている業者の方にデータと見本をお渡しします。
 今ならまだ、何とかなるかもしれない。新潟行きの特急「北越」の発車時刻が迫っているのです。

 明日から新潟大学で工学系の大きな学会が開かれることになっているのが、他の交通手段も利用可能ではあるものの、正直なところ不便。大急ぎでアパートに戻り、路線バスに乗車。
 ホームに駆け上り、ぎりぎりのタイミングで特急列車に間に合いました。やれやれ。

 ところが普段なら絶対に感じない視線を感じ......いえ、違います。

 誰かがセンセイを見ているのではなく、センセイが微かに誰か──しかも複数!! ──を認識しているのです。
 ナシテ?!

 特急「北越」が金沢駅を出発してから、盛り上がる車内の会話でその概要を理解することができました。
 「八束穂キャンパス」だとか「サービスセンターのMさん」だとか。

 要するに金沢工大関係者が多数乗車しているのです。理由は簡単。明日から新潟大学で始まる学会に参加するためです。
 センセイは窓の外を眺めます。

 煤塵の量や湿度などにもよるのでしょうが、今日は視界が効きます。頂上に雲がかかってさえいなければ、北アルプスの全貌も見せたはず。

 写真は黒部川鉄橋上から北西を見たものですが、手を伸ばせばそのまま届くかのように、能登半島。
 滅多にないこと──センセイも数回しか見たことがない──でが、赤ら顔になった関係者にはもはや無縁。

 続きは、また明日。(たぶん)



8月27日(火) 休み明けの学生諸君はびっくりするのか、それとも... ──大学近辺のお店が閉店に──

 今日は見たままのお話。

 溜まった仕事がなかなか進まず、かなり厳しい状況に陥っています。センセイの原稿(のようなもの)を預かった業者はその後の段取りを組んでいます。
 つまり、何の罪のない人にすでに迷惑をかけてしまっているのです。

 かといって、できていないものは仕方ありません。遅れながらも作業を進める必要があります。かなり疲れてきたので、とにかくお昼を食べることに。
 約1ヶ月ぶりにほっかほっか亭でお弁当を買うことに決め、キャンパスの外へ出ます。

 途中、文房具店に立ち寄ると......あれ?!

 お昼時だというのに、向かいの「金澤ストロング丼」には照明が灯っておらず、窓に1枚の張り紙が。
 「都合により<しばらくの間休業させていただきます。」(原文のまま)

 ......はやり、と言うべきか。

 この場所、前の金澤餃子のお店も長続きしませんでした。確かにこういう場所って、あると思います。

 そういえば講習会の際、大学食堂があまりに混んでいたので、交差点のファミリーマートでお弁当を買おうとしたら、何と「8月30日(金)で閉店」との告知が。
 確かにここ数ヶ月は弁当類の品揃えが悪かった。

 でもそのコンビニ、考えてみると二度目の閉店。

 駐車場が狭くて使い勝手が悪かったお店が営業停止。数ヶ月の閉店の後に敷地を拡大して新規開店したのが、現在のお店。そのお店が、このように追い込まれてしまった。
 関係者は大変だろうな。

 夏休みが明けて大学に戻った学生は、これらのお店が閉店したことと、その意味を識るのでしょうか。

 残念ながら正直なところ、ちょっと厳しいんじゃないかと思います。



8月26日(月) もしかすると、この運転免許センターを訪れたのは40年ぶりかもしれない...

 ......と言っても、センセイ本人が運転免許センターに用があったわけではなく、受験者を送迎するために訪れただけなのですが。

 新潟県内には上中下越および佐渡の4カ所に運転免許センターがあります。でも、そのいずれもが交通の便が悪い場所にあります。もちろん自動車やバイクを利用できるのなら問題ないのですが。
 特に自宅最寄りの上越支所は、駅から公共交通機関を利用できません。

 センセイが初めてここを訪れたのはちょうど40年前。原動機付自転車(「原付」)免許の学科試験を受験するため、高校の授業をサボってやってきました。
 その時は、JR(当時は国鉄)最寄り駅から数十分かけて歩きました。

 本当に久しぶりに訪れた平屋建てのセンターは、まったくあの時のまま。多少増築された部分もありましたが、基本的な部分は40年前とまったく同じです。
 トイレに至っては、今ではまったく見かけなくなった懐かしい様式。

 学校をサボったあの日、高校の同級生に出くわした──つまり、彼もサボった──ことを、ありありと思い出します。

 大学生になり新潟市内に住んでいた時に、今度は普通自動車の免許を取得すべく自動車学校に通ったのですが、そこを卒業してから、県内のどこで受験したのか、記憶が定かではありません。
 でもここで試験を受けた可能性が高いのですが......。

 そうだとすると、約30年ぶりということになります。その後の免許更新は府中(東京都)や新潟のセンター。
 ここを訪れる機会はありませんでした。

 この新潟県運転免許センター上越支所、敷地に接した裏側(北側)をJR信越本線が走り、正面は幹線国道(国道8号線)に面しています。

 つまりセンセイは、金沢への移動に電車を利用するにせよ、自動車を使うにせよ、毎週ここを通っているのに、何十年か、その中に入ったことがない。
 だからとても不思議な気分。

 一昨日は前の道路を走っていたのですが、今日も試験を終えてからひとまず自宅に戻り、電車に乗って裏側からこのセンターを再確認しました。

 ......でもやっぱり落ち着かない。



8月25日(日) ずっと気になっていた「金澤味噌らぁめん秀」に初めて入りました!!

 先週もそうでしたが、センセイは毎月1回くらいの割合で金沢へ車で来ます。季節の変化に合わせて衣類を入れ替え鳴ければならないし、重い荷物を運ぶ必要もあるし。
 片道240kmの経路は何通りもあるのですが、ここ数年は安定しています。

 センセイは高速道路が好きではないし、居眠り運転を起こしそうになるので、経路の約90%は国道8号線や富山県内の「スーパー農道」を利用。
 交通量の多い富山市付近と、同じ理由で場合によっては新潟県上越市付近のみ、北陸自動車道を利用します。

 所要時間は約5時間。意外に思われるかもしれませんが、318iは運転していると楽しくなる車──以前の国産車では経験できなかった──なので、ちっとも苦ではありません。
 むしろ目的に到着した時に、「もっと乗っていたい」と感じるほど。

 安全運転に努めているので2002年の金沢工大移籍以降、この移動で小さなものを含めても、交通事故を起こしたことは一切ありません。だだし休憩と、食事が問題になります。
 土曜日の午前中に仕事を済ませて、新潟の自宅に戻る時などは、金沢市内で食事を済ませる必要があるのですが、お伝えした経路の飲食店は限られています。

 以前、市街地を抜ける場所にあるラーメン店に入ってみたことがあるのですが、店内は煙っぽい──センセイは煙草の臭いと煙が苦手──し、出てきたラーメンも最悪。
 いつの間にかお店もなくなっていました。

 次に通った時にはまったく別のラーメン店になっていたのですが、今度はお店が替わっただけでなく、いつお店の前を通っても混雑しています。ミーハーな西村センセイ、今度こそ、と思ったのですが今度は、再度お店が替わってしまったような......。
 リニューアル後は以前に増しての大混雑。

 実は先月通りかかった際に入ってみようと思ったのですが、お店の前の行列を見て、諦めてしまいました。そんな昨日、講習会は12時半に終了し、後片づけをしてからアパートに戻り、背広を脱いで荷物をまとめ終えたのが14時。
 どうだろうと思ってお店の前で減速すると、ちょうど1台分の駐車スペースを発見しました。。

 天啓に導かれてはいったこの「金澤味噌らぁめん秀」──「ひで」と読む──というお店。建物はとても狭く細長。もしかすると建物は以前のお店のままなのかもしれない。
 店内は活気に溢れています。たまたま空いたカウンターに誘導されました。

 入店してから知ったのですがこのお店、味噌ラーメンが主なのですね。イチ押しの「金澤みそらぁめん」にしようかと思ったのですが、センセイはお肉を食べなくなっているので、大きなチャーシューはバスしたい。
 「元祖味噌らぁめん」(630円)にしました。

 改めて店内やメニューを確認すると、このお店、どうやら金沢ではとても有名な「金澤濃厚中華そば 神仙」──センセイは入ったことがない──の兄弟店らしい。
 お店のブログによると、1年前に新規出店し、2ヶ月ほど前に現在のお店になったようです。センセイの記憶とも一致します。

 ちょうどラーメンが届けられました。デジカメを持っていなかったので、iPhone 5で記念撮影してからまずスープを頂きます。
 この頃は魚介系のくどいスープのお店が多いのですが、このラーメンは、濃厚ではあるものの、くどさは少ない。

 何に由来するのかわからないのですが、確かな「甘さ」があります。野菜に由来するような甘さです。説明文にあるように、「3種の加賀味噌」によるものなのだろうか。
 挽肉とモヤシ、メンマ、キクラゲのトッピングは「枯れて」いて、自己主張はとても少ない。

 黄色みがかかった白い塊が見えたので何だろうと思ったら、おろした生姜でした。センセイの視力はそれほど低下しているのです。
 それはともかく、この生姜も他の味に馴染んでいます。

 メインの麺は中太麺。流行の極太ではありません。少し縮れており、その量は普通。こういう麺は茹で加減が難しいと思うのですが、本当に微妙なところまでコントロールしています。
 たいしたものだ。

 しかもスープとこの麺の相性がとても良いのです。かなり油成分が多いのだろうと思うのですが、それも良く注意しないとわからないレベルに抑えられています。

 食べ物の評価は個人差が大きく、とても難しいとは思うのですが、このお店の人気は偶然によるものではないな、というのがセンセイの印象です。 

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