2011年3月19日更新(2011年3月27日ページ移動。2014年9月23日写真削除)

──2011年3月第3週のニュース──

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3月19日(土) 学生がどんどん若々しくなる!? ──学部の卒業式が行われました──

 今朝は昨日よりずっと早くから学生や保護者が集まってきます。もちろん卒業式へ出席するためなです。

 親子で揃って出てくるその様子を見ていて気づいたことがあります。彼ら彼女らはもう大学近くのアパートを、引き払ってしまっていて、昨晩親の車で揃って実家から出てくるなどしているのかもしれません。

 例年よりずいぶん長い卒業式を終えると、学生諸君は学部学科ごとに卒業証書を受け取るため、式の会場から割り当てられた教室への移動します。
 写真はその途中で撮影したもの。

 クラブ、あるいはサークルでしょうか、キャンパスから巣立つ卒業生を後輩が写真に収めています。本当なら底抜け──ちょっと怖いほど──にはしゃぐところ。
 でも今年はどこか、抑制があります。

 もう一つ気づいたことがあります。卒業生がどんどん若くなっているのです!!

 もちろん実際には同じ年齢で卒業していくのですが、以前の卒業生に比べると若返っているような感じを受けます。
 客観的にはセンセイの加齢が加速度的に進行しているから、相対的にそう感じられる、ということなのでしょう。

 新潟の自宅へ戻るために北陸自動車道を走っていると、対向車線──京都・大阪方面──へ向かう車列とすれ違いました。
 車体側面には赤十字のマーク。

 東日本大震災の救援第一陣として被災地で活躍後、第二陣と交替して戻るところと思われます。ご苦労様でした。
 高速はいつもより混んでいます。

 90km/hくらいで走っている大きなトラックを追い越そうとすると、側面にガムテープで「救援車両」のシールが貼られていました。
 その前のタンクローリー車にも、そしてその前、つまり先頭を走る赤色の広報車にも。

 追い抜きがてらシールをよく読むと、北名古屋市──知らなかった──からの救援物資のようです。宮城やいわきナンバーの一般車両も目立ちます。
 救援に向かうのか、西方に避難した家族を残して仕事場へ向かうのかはわかりませんが。

 日頃はあまり注目されない日本海側の鉄道や高速道路ですが、地震の被災地を迂回できることその他の理由で、燃料や救援物資の輸送などで活躍しています。
 救援に向かう人々はもちろん、それをこうやって支えているハード・ソフト両面での社会システムの健全さにこそ、日本の強さがあると思うのですが......。

 どうでしょう。



3月18日(金) S君、きちんとご挨拶できず、ごめんね ──大学院学位授与式が行われました──

 早朝だというのに、キャンパス内はいつもとはかなり違う雰囲気。特に直接の担当者の顔や動きからは、ピリピリとした緊張感が伝わってきます。
 今日は大学院の学位授与式が、明日は学部の卒業式が行われるのです。

 写真は朝、所用でキャンパスの外へ出た時に撮影したもの。

 このような状況ですから、世俗をきっぱり忘れて、学舎(まなびや)での2年間(+学部4年間)に区切りをつけるというのは、なかなか難しい。
 東日本の学校の中には卒業式を中止したり、規模を縮小して開催するところも出ているようです。

 でも、選抜高校野球の開催は国民の多くが歓迎する──電力を使うドームでのプロ野球はまったく別──のと似て、ここは若人の門出をきちんと祝おうということになったようです。
 式典は10時から。

 もちろん参加するつもりだったのですが、地震にともなう雑事に振り回されてしまい、結局、出席することはできませんでした。
 学部に入学した直後から、センセイがいろいろお世話になったS君の学位を授与されたのに。

 午後、打合せ中にそのS君が袴姿で来室してくれました。4月からは名古屋の大手M社に勤務するんだそうです。

 今回はバタバタしていてきちんとご挨拶できなかったけれど、機会を作って、ぜひキャンパスへ遊びに来てください。その時はゆっくりお話ししましょう。

 大学院修了、おめでとう!!



3月17日(木) 金沢工大構内に、新しい渡り廊下(陸橋)が建設されるらしい

 昨日同様、金沢は今朝も冷え込みました。

 しかも夜の間にかなり雪が降って、駐車して置いた車の上には数センチの雪。同じような写真なので今日は載せませんが、雪を下ろさないと運転できません。
 それでも被災地に比べればどうってことはないのですが。

 春休みに入ってから金沢工大構内では高い木を伐採──理由は不明──したり、旧厚生棟の解体工事が始まったりと、何だかとても慌ただしい。
 いつもどこかで工事をしている、そんな感じ。

 今週は車で来ていて、どういうわけか裏手の駐車場に止めているのですが、構内に入ろうとすると、ここでも工事。

 何だろうと思ったのですが、よく見ると、写真中央を横に走る道路(公道)の向こうでも同じような工事をしています。
 頓馬な西村センセイ、やっとここで気づきました。

 校舎と校舎を空中で繋ぐ渡り廊下(陸橋)を建設するんですね。きっと。

 冬の日本海側はずっと寒く雪がちの日が続きます(雪が降らない太平洋側の人はピンと来なかったら、雨の日をイメージしてみてください)。

 金沢工大はいくつもの建物から構成されており、移動の便を図るために、主要な建物が写真右奥のような渡り廊下や地下道で結ばれているのです。
 冬場はこれが本当に便利。

 その結節点になっていたのが旧厚生棟。それが使えなくなってからは本当に不便だったのです。
 ある日など、急に激しい雨が降ってきて、中央奥の建物(24号館)に30分くらい閉じこめられたことすらあります。

 年末に古い渡り廊下が暫定的に使えるようになったのですが、ホントにありがたかったです。でも厚生棟が解体に伴い、渡り廊下は再度閉鎖。当然ですね。
 どうするんだろうと思っていたのですが、経路は変わるものの、やはり同じように渡り廊下を掛けるようです。

 もちろん完成までには時間がかかるでしょうが、これでキャンパス内の移動がずいぶん便利になると期待されます。



3月16日(水) 金沢は季節外れの雪が降り、とても冷え込んでいます

 今日の天気予報は暴風雪とのことだったのですが、朝、目を覚まして外を見ると雪は全然ありません。しかも曇り空ながら落ち着いた天気です。やれやれ。

 センセイの研究室は南側。日光で本や書類が変色するので、普段はブラインドを降ろしています。出勤後しばらく経って、ブラインドの隙間から外を覗くと、一面が真っ白。
 雪です。それほどたいした降りではないのですが。

 もう3月も半ばなので、車はそのまま放っておいたのですが、帰宅する時になってもご覧のように雪は消えていません。それどころか、凍結してしまって、ワイパーではフロントガラスの雪を取り除くことができません。
 強力な寒気が入り込んでいるんですね。

 除雪用の器具を積んであるので、雪を落として視野を確保し、帰宅します。でもセンセイへの影響はせいぜいその程度。
 今週は車で来ているし。

 この雪は東北地方の被災地にも降っています。積雪は10cmくらいでしょうか。それだけでも大変なのに、現地は寒さを凌ぐ方法が限られているはず。
 被災体験を持つ者としては非常に辛いものがあります。

 もう一つ。

 お伝えしたように、センセイは都内で開かれた研究会の最中に地震に遭いました。
 初期微動から横揺れに移り、本格的に揺れ始めた段階でセンセイは、得られつつある情報からいろんなことを考えました。

 震源地は相当遠いこと、地震の規模は非常に大きく、かなりの犠牲は避けられないこと、しかしそのまま住み続けることができるかどうかはともかく、新しい建築基準の家はそのほとんどが壊滅的な被害を免れているだろう──実際、その通りだった──ということ、明らかに巨大な地震ですから、恐れられていた東海+東南海+南海地震(のいくつか)の可能性が高いこと、そしてセンセイがいる場所は間違いなく安全であること。
 一つ一つを見れば、外れた部分もあります。

 三陸沖+東北+関東と、まったく逆方向だった──しかも三つ一緒とは!! ──し、津波についても頭をよぎったものの、15mなんて考えられなかったし、数十〜数百名と予想した犠牲者数は、残念ながら2万名を越えそうだし。
 でも大きく見ると、地震発生直後にセンセイが感じ取っていたことと、それにもとづく予想は、そんなに的はずれではなかったんじゃないかと思うのです。

 大きな被害が発生していることは確実だったので、センセイはそのことで頭が一杯だったのですが、揺れが収まると会合そのものはひとまず再開されました(すぐに中止および建物から退出の指示が来たけど)。

 今になってみると、「あの時」、自分の感覚と判断にもとづいてもっと為すべきことがあったんじゃないかと思うようになってきたのです。目先の避難とか、誰かに連絡を取るとか、ホテルを確保する、などという意味ではありません。

 東日本大震災の物理的な揺れは収まりました。でも地震とそれに関連するいろいろな事柄は現在も進行中です。

 目先の出来事や報道に一喜一憂するのではなく、そこから、「何が起きているのか」を見抜き、「何をどうしなければならないか」を考え、必要に応じて実際に行動に移す必要があるように思えるのです。
 自慢話をしているのではありません。

 今回の地震直後のセンセイは、それができなかったのですから。



3月15日(火) 鳴り物入りで開店した金沢餃子、「社員研修の為、しばらくの間休業」だそうです

 お昼に外へ出たついでに近くの書店へ。

 各種領収書を整理するルーズリーフが必要になったので大学の売店へ行ってみたのですが、並んでいなかったのです。店内をかなり探検してファイルコーナーの隅でやっと発見しました。
 玄関を出ると、あれ?

 昨秋、向かいにオープンした金沢餃子の灯が消えています。

 最初はだたの定休日なんだろうと思ったのですが、何だか営業している雰囲気がない。
 しかも入口に張り紙があるようです。

 気になって近づいてみると「社員研修の為、しばらくの間休業致します 店主」とのこと。足元には東日本大震災の頃からの新聞が大きなビニールに包まれて置かれています。
 少なくとも数日は営業していないようです。

 ホームページには特に変わった告知もないので、単純に数日休業しているだけなのかもしれませんが、どうも怪しい気配がする......。
 オープンする時は新聞に紹介されるなど、鳴り物入りで登場したし、以前はそれなりに車が止まっていたのですが。

 ずっと以前にご紹介したことがありますが、金沢の人にとって餃子と言えば「第7餃子店」(「ホワイト餃子店」の技術連鎖店)なんだそうです。
 センセイは1回しか入ったことはありませんが、広い駐車場はいつも満車。

 何となくであっても、みんな、大切なものをわかるんじゃないでしょうか。

 金沢餃子のホームページを読んでいると、正直なところ、ちょっと違和感を覚えます。センセイですらそうなのですから、地元の反応はもっと厳しいんじゃないかなぁーと思います。
 この金沢餃子、センセイは一度も入ったことがないので断定的なことは言えないのですが。



3月14日(月) JR中央線、中野駅付近の菜の花。今年は開花が少し遅れそうです

 お伝えしたように、センセイが先週末に都内へ出張し、東日本大震災に遭遇しました。でもその最初の目的地は都内西部の多摩地区です。もちろん移動はJR中央線。
 東京駅で新幹線を降りて、中央線快速が発着する在来線1、2番線ホームへ向かうと、ちょうど快速が待機中。

 この列車は三鷹で中央特快に抜かれるのですが、センセイは三鷹で下車するのでこれが一番便利。ラッキー。

 昼間だったので車内はそれほど混雑していません。しかもその多くはターミナル駅新宿で下車。乗客の大半が入れ替わったところで西村センセイ、ふと気づいて、鞄からデジカメを取り出しました。

 中野駅付近で、かなり期待しながら北側の土手を撮影したのが写真。まだ緑ばかりで何が何だかわかりませんね。
 実はこの土手、この地域の方が菜の花を育ててくださっている場所なのです。

 ほぼ四半世紀前のこの時期、成り行きで大学院へ進学することになり、宿所その他を確保すべくセンセイはこの場所を行ったり来たりしました。
 まだ冬が終わっていないという感じで、場所も人々もセンセイを暖かく迎えてくれるという状況からはほど遠い。

 そんな時、土手に咲いている菜の花の若々しい黄色のに、どれだけ励まされたことか。
 「でも、だいじょうぶ」って感じ。

 というわけで、センセイは中野駅付近を通過するたびに、電車区のある南側ではなく、北側に目が行ってしまうのです。
 今年は寒さが厳しかったからでしょうか、菜の花の開花にはもうちょっと時間が必要なようですね。

 報道されているように、津北地方の太平洋側は本当に大変です。しかも少なくとも残念ながら、現時点で、我々にできることは限られているのが実情です。
 実は去年、女川を訪れる機会に恵まれたので、海岸まで出てみました。

 市街地の寂れた様子を確かめながらたどり着いた港には、付近の島──壊滅状態らしい──への連絡船発着場と、観光兼物産販売施設「マリンパル女川」がありました。
 とても立派な建物です。

 せっかくの機会なのでお店の人と話しながら、あちこちに配るべく、この地ならではの海産物──ただし自宅に帰って確かめたら、岩手産のものもあった──を買い求めました。
 時間も、お金も、そして体力も必要だけど、「来てみてよかったな」と実感した場所でした。

 しかし、震災後の報道から察するに、その「マリンパル女川」──写真手前、左右に広がる洒落た施設──をはるかに越える高さの津波が一瞬で押し寄せたようです。
 残念ながら、途中のあの洋品店も、薬局も、理髪店も、寂れた書店も、そしてマリンパル女川で「食べるラー油」を売っていた元気な母子の多くが、あの想定外の津波に押し流されてしまったと覚悟せざるを得ないでしょう。

 中野駅付近の菜の花。

 少なくともセンセイ個人にとっては癒されると同時に、花から「本当に大切なものは何なんだろう」と問いかけられているように感じられてきます。



3月13日(日) 訪れた場所。出逢った人々 ──地震の被災地は3度目の夜へ──

 今日もまた行動し、感じたことを手短に。センセイは午後、車で金沢へ移動を開始しました。これは本来の予定通りです。高速道路に乗ってまず気づいたのが、彼我の差。
 センセイが金沢方面へ向かう道路と反対車線で交通量がずいぶん違うのです。

 変だな、と思ってよく見ると、対向車線──東北方面への下り車線──には、気合を感じるトラックが目立ちます。搭載しているのは、仮設トイレや、発電機、そして投光器。
 東日本大震災の救援に向かう車両なんですね。

 続いてオリーブドラブの軍用車の列。人員を載せたトラックの側面には「災害救援」や「高田」の文字。後者は陸上自衛隊高田駐屯地(新潟県上越市)からの派遣部隊でしょう。
 これ以外にも、多くの救援車両を見かけました。

 起きていることは本当に大変な事態なのですが、それに立ち向かおうとしている人々の努力も正当に評価すべきでしょう。本当に頭が下がります。

 センセイはというと、少なくともウォークマン──センセイの場合はiPod──で音楽を聴くような余裕はありません。
 運転中ずっと、NHKのニュースを聴いていました。

 今回、大きな被害を受けた地域。センセイと無縁ではありません。

 事実上廃炉が決定した東京電力福島第一発電所1号原子炉については高校時代、その制御室まで入っています。
 現在では、は保安上の理由であり得ないのですが。

 今回津波の被害を受けた地域については、一昨年(こちらからこちら)および昨年(こちらからこちら)の二度、訪問しました。
 海の幸で生計を立てる人々、女川原発とつき合いながら生きる人たち。女川港脇の、観光施設と併設された海産物の売店。

 津波の高さを考えると、センセイが訪れたそのほとんどすべてが津波に飲み込まれてしまったと考えざるをえません。

 写真は昨日の帰途、北陸本線魚津ー黒部間で撮影した日没。小さいながらも太陽が見えます。

 金沢工大を含めて、相当充実した防災体制を持った組織でも、ここまでの事態の準備はできていません。被災者の数や広がりを考えると、これからこそが正念場なんだと思います。

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