2018年9月8日更新(2018年9月16日ページ移動)
■9月8日(土) 致命的な失敗は、小型AM/FMラジオを入れ忘れたこと?! ──西村センセイ、被災時の行動を反省する──
昨日の続き。ただし今回は、センセイ自身の判断と行動に関する振り返り。全体としては良く対応した方だと思うのですが、反省点も多い。
まずは読者の期待(?)を裏切って、地震予知から。といっても、初期微動直前のものですが。6月の大阪府北部地震を含めて、これまで何回か経験しています。空間がねじれたような、居心地の悪い「いやーな」感じがするのです。信じてもらえないでしょうけど。
たぶん、大阪府北部地震の際に防犯カメラが捉えた、地震発生直前の猫の集団異常行動と同じようなものなのだろうと思います。すぐに補足しなければならないことがあります。この地震「予知」は、センセイが起きているか、目が覚めそうな時に限られるということ。熟睡している時には予知もへったくれもない。だから、絶対に「百発百中」。
大きな地震を百回なんて経験していませんが。発生直後の、震源までの距離と地震の規模、物理的な影響については、まるで地震がセンセイを追いかけているかのような人生での判断なので、ほぼ適切だったと評価できます。震源地近くの被災地の様子には胸が痛みます。
あれはたぶん緑色凝灰岩(「グリーンタフ」)になり損ねた火山灰の堆積がもたらしたもの。道内では良く見られます。ただしその後の社会的な影響については判断が甘かった。原因の一つはポータブル型の小型ラジオを持ち込まなかったこと。実は西村センセイ、出張先の上京に合わせて常に最低限の防災グッズを持ち込んでいるのです。
最も重要なのは、水。夏場は重くても、氷を詰めた大きな水筒を持ち運んでいます。今回も、BMWを購入した時にもらった小型のボトルに氷と水を詰めていました。場所と暑さを考えての判断。いつも持ち運ぶ鞄の中に入れています。
だからすぐに困るようなことはならない。ただしこれは、停電や水の補給が数時間で回復するということを前提としています。学会会場へのタクシーでの移動なども「数時間」を頭に入れての判断。でも結果的には地震が発生してから32時間後にセンセイが札幌を離れるまで、状況は改善しませんでした。
食料および飲み物の確保についても同様。地震発生当日、学会会場から札幌駅に戻ってきた時はまだ、駅構内の売店の一部と弁当店は営業していたのです。だから「まだ、もう少し何とかなる」と考えて、休息を優先させました。この認識が、甘かった。しかし、あっという間に売店やコンビニは営業を終了。
混乱を避けるためでしょうが、これまでの被災経験からすると、これは予想外。それでも午後、食料を確保すべくホテルの外に出た時、それでも写真のコンビニ──この時はまだ停電中──とセブンイレブンは営業していたのです。店内での混乱を防ぐため、一度に入店できるのは5名。
しかも、購入できるのは買い物籠は2個まででしたが。偉そうなことを言っていても、夜、電力が回復したこのコンビニの列に並んでいました。2時間並ぶだけ(!!)で、当面生き抜くだけの食料と飲料を必要な量だけ買い求めることができたのは僥倖(ぎょうこう)。
センセイは原則としてお茶等は飲まないのですが、水は売り切れていた──ポカリスエット等はまだ残っていた──ので、ウーロン茶等を購入。ちなみに、ソフトドリンクが品薄なのに対して、アルコール類はずいぶん残っていました。アルコールは体内での分解時に水分を必要とします。客観的には、この状況で摂取すべきではない。
ただし、センセイのことですから、サッポロビールをいつもの量だけ買い求めましたけど。戻った部屋は真っ暗。しかも少し暑かったのですが、いつものビールのおかげで心身ともに、この条件下で可能な限りリセットすることができました。
繰り返しになりますが、飲酒を勧めているわけではありませんので、念のため。翌日、つまり昨日は、これまでの基本的な経験に、前日に経験した修正情報を加えて、ほぼ問題なく行動することができました。西村センセイ、学習機能は一応働いている、と考えたいところ。でもやっぱり、疲れました。
で、ラジオはどうなった?実は西村センセイ、遠くへ出張する時は水筒などに加えて、ごく小型のAM/FMラジオを持ち運んでいます。スピーカーはなく、イヤホンかヘッドホンを接続しなければならないというもの。行き先や移動手段に合わせて、イヤホンか、少々嵩張るBOSEヘッドホンのどちらかを使います。
ところが今回は、軽量なイヤホンを選択したのに、ラジオを鞄に入れ損なってしまった。若い方は良くわからないと思いますが、ネット上の情報は意外に限られています。今回の被災で、その罠に陥ってしまっている方をこれでもか、というほど目にしました。「その場」あるいは「その地域」に根ざした旬な情報を得るためには他のツールも必要なのです。
そしてその前提として、ご自分の目と耳、触覚、味覚、臭覚。そして、第六感。
反省すべき点も多いけど全体としては、まぁ評価できるかな...って、う〜ん、最初に戻ってしまっています。
■9月7日(金) ご心配をおかけしましたが、新潟の自宅へ無事に、しかも予想より早く戻ることができました
今日はタイトル通りの話題。
ご心配をおかけしましたが西村センセイ、今夕無事に新潟の自宅へ戻ることができました。白状すると、覚悟していたよりも早いご帰宅。やはり疲れているので、以下、主に昨晩からの事実関係をご報告します。
お伝えしたようにセンセイは昨日、夕方の新潟便の予約と支払を完了。疲れたのでホテルで少し休み、夕方になってから食料と水を確保するために外出しました。しかしセンセイにしては珍しく、この判断が甘かった。後日ご紹介することになると思いますが、コンビニや食料品店はほとんど閉店しています。
停電しているので、自動販売機も使えない。それでも2時間ほど並んで食料と飲料水類──「類」がくせもの──を確保し、真っ暗な中でこのページを更新。やがて電力も回復し、それに伴って水も使えるようになるだろうと思っていたのですが、徐々にそれは諦念(ていねん)に変わります。
それにしても真っ暗、そして断水というのは本当に辛い。今回はまだしも、盛夏や冬──特に北海道の場合──だったら、それだけで生物学・社会的弱者を中心に犠牲者が出てしまう状況です。体力を温存するために、今朝はゆっくりと起床し、最低限の情報を集めます。
チェックアウトぎりぎりの時刻にホテルを発ちます。まず自分の眼で交通や店舗の状況を確かめたのですが、駅付近やバス停には昨晩からそこで一夜を過ごしたと思われる方が多数。特に、外国人観光客は情報を得ることができないようで、本当に可哀想でした。
センセイも時々通訳をしました。状況を把握できたので、1時間ほど並んでタクシーに乗車。その時点ではまだ空港行きのJR線もバスも運行を再開していなかったのです(前者は午後に運行開始)。札幌市内は、通電している地区と停電している場所の割合が1:3くらい。
ただし建物や道路に異常は認められません。営業している食料品店やガソリンスタンドの前には非常に長い列。特に後者は、場所によって1km以上の車列ができていました。並ぶだけでもガソリンを相当消費するだろうに...。
震源地に近い千歳市内に入ると、道路の陥没のために迂回指示。突然、タクシーがガクッと揺れます。運転手さんによると以前はなかった段差とのこと。ここは地背斜(ちはいしゃ)の最上部。低いものの、山の頂上です。
それが地震によって隆起したたものの、その形を維持できずに、頂上部付近に小さな縦割れ──つまり断層──を形成したのです。異常なまでに車が混雑する中を、何とか新千歳空港到着。
やれやれと思ったのですが、ここでセンセイは認識の甘さを思い知らされます。センセイはANAのチケットを購入したのですが、空港ビル内には十重二十重(とえはたえ)で収まらず、延々と続く人々の列。苛立ちを抑えていることがひしひしと伝わってきます。
行列の最後に並んだのですすが、「まだ後ろに、ずっと続いているよ」と指摘されました。搭乗時刻まで約2時間。
余裕を見て行動したはずだったのですが、センセイの認識が甘かった......。それでも気を取り直し、係員に状況を説明すると、自動発券機へ行くように指示されました。この、長さ数百mの大行列は、見通しなしに空港に到着したり、残念ながら運行できなかった午前中の便など振替を待つ方々だったのです。
利用客が最も多いと考えられる羽田便は、今日、明日は満席で、明後日にならないと出発できないとのこと。多くの利用客がこの地で夜を過ごすことになるはず。気を取り直した西村センセイ、教えられた券売機へ向かう途中、ふと、手書きのボードに書かれていた内容に釘付けになりました。な、何と、新潟便はキャンセル。
茫然自失(ぼうぜんじしつ)......。慌てて別な係員に尋ねると、ネット上から再度手配するか、先ほどの行列に並ぶしかないとのこと。でも、先ほどの失敗に懲りたので、状況をできるだけ冷静に再確認します。
よくよく確かめると、欠航になったのはセンセイが予約したのとは別。空港がまだ再開されなかった午前中の便です。そこで手荷物検査を終えて、出発ロビーへ入ります。ここでやっと気がついて撮影したのが写真。混雑していますが、こちらはまったくの別世界。緊張感は皆無。
隔てているのは、壁一枚だけなのに、市内や空港内の売店はほぼ完全に閉店していたのですが、こちらは1店だけですが営業中。お土産を求める人々で、長い行列ができています。この間、座席に残してきた荷物は放ったらかし。
荷物の主の心情を良く表しています。幸いにも、センセイが予約した新潟便は何とか飛びそうです。大幅な遅延もあるかと思って、新潟市内にホテルを予約していたのですが、どうやらそれは鉄道の発想。
航空機の場合、大幅な遅延は機体の運用変更を意味するので、多少の遅れはあっても、基本的には予定通りに飛ぶんですね。というわけで、センセイは定刻に新潟空港到着。上空は厚い雲に覆われていたのですが、最後は良く知っている場所を確かめることができました。駅ビルを出るとちょうど、路線バスが出発するところ。
優しい運転手さんだったので、乗せていただくことができました。ちなみに彼女は、きわめて安全運転。というわけで、結果的には順調に行動することができました。とにかく予約していたホテルに向かい、お詫びの上でキャンセルしたい旨を伝えると、係員は奥へ。ずいぶん長く待たされてから再び現れた彼女が口にしたのは、キャンセル料を頂戴したいとのこと。
彼女はたぶん、マネージャーとずいぶんやり取りしたんでしょうねぇ。宿泊代金そのもの(!!)を支払うと、センセイは急いで上越新幹線に乗車。長岡駅で各駅停車に乗り換えたのですが、いつもよりスピードが緩い。もっと速く...と感じてしまうのですが、それはここ数日の経験の投影。
とにもかくにも、無事に新潟の自宅へ戻りました。関係者の皆様、そして読者の皆様、ご心配をおかけしました。おかげ様でセンセイは、無事に生き延びています。
■9月6日(木) 隣のビルには灯りが煌々とともっているのに... ――西村センセイ、今度は地震に遭遇する――
3時過ぎに目が覚めました。全身で嫌な気配を感じます。3ヶ月前のあの時と同じ。「...来る」。
直後に初期微動。短くもなく、長くもない。ただし続く横揺れが大きなものであることを覚悟させられます。続いて大きな揺れ。大阪の時とは違って、高周波成分は少ない。初期微動と合わせて考えると、先日のような直下型ではない。
...北海道南東の海底が震源?すぐにテレビをつけたのですが震源地は苫小牧の近く、かなり深い場所。そのまま情報を確かめていると、3時25分頃、急に停電してしまいました。現在もまだ復旧していない大停電の始まりです。
その時には数時間で回復するだろうと考えたのですが。外が明るくなっても電力は回復しません。スマートフォンの電力に気をつけながら、情報を収集します。西村センセイ、今回は公務出張(若干鉄分補給も兼ねていますが、あまり問題としないように)。
基本的には今日の学会で与えられた仕事をしなければならない。結果的には、今日の学会はすべてキャンセルされたのですが、朝の段階では情報を把握していなかったので、ひとまず札幌駅へ。JRが動いていないのは承知の上です。
地下鉄も、路線バスも全面運休。後でバス会社の人と話す機会があったのですが、停電で信号機が使えないため安全を確保できないんだそうです。交差点では人と車がお互いに牽制しつつ通行しています。
写真は駅前のタクシー乗り場。センセイも結局、業務を優先して最後尾に並びました。30分ほど並んでタクシーに乗り、酪農学園大学までたどり着いたところで学会の全面中止を知りました。
幹線道路に出てタクシーに乗り、ホテルへ。途中、スーパーやドラッグストア、コンビニの前で長い長い行列を目撃しました。センセイも気づいていたのですが、水が一切使えないのです。
これは致命的。ホテルに戻り、頭を冷やしてから今後の行動案を練ります。電力の本格復旧までにはかなりの時間を要します。鉄道の信号機が使えないので、JRの復旧にも相当時間がかかるはず。つまりすでに確保していた特急券類は使えなくなる。
そこでいろいろ調べて、明日の夕方、新千歳から新潟へ向かう航空機に僅かに空席があったので、予約しました。羽田や小松行は満席なのです。ちなみに今日の新千歳空港は終日完全閉鎖。明日は飛べるのか、そして新千歳まで辿り着くことができるのか...。
午後3時過ぎ、つまり地震発生から12時間後、エレベーターが使えないので、ホテルの10階から地上まで非常階段を使って降りた時、雰囲気が変なことに気づきました。ホテルの従業員も外へ出て、周囲の様子をうかがっています。
何と、隣のビルや、向かいの大きなビルには電気が供給されています。札幌駅も電力は復旧しています。でも、両者に挟まれたホテルなどは真っ暗。「モザイク」というほどではないのですが、ブロックごとに電力が供給されているわけでもない。重要施設と考えられる郵便局も電気は通っていません。
というわけで今日のこのページは、真っ暗な部屋の中で、パソコンに残された僅かな電力で更新しています。水や食料の確保など、講義の最初でお伝えしていることを身をもって実践しています。
■9月5日(水) 北海道の被害も甚大です ――西村センセイ、颱風に振り回されながら、働く――
今日は、本当に大変な1日――ブライアン・イーノの作品に、文字通り“Big Day”という曲がある――でした。
写真は今晩、学会の懇親会を終え、やっと運転を再開したJR北海道千歳線で札幌駅に到着した時に撮影したもの。21時前ですが、その段階で運転されているのは札幌近郊だけ。
後述する旭川方面函館本線は不通のまま。もちろん昨晩から今朝にかけて北海道の西側を通過した颱風の影響です。あちこちで倒木や停電が発生しており、今朝の時点では道内のJR線は、予告の上ですべて運休していたのです。
札幌近郊の、比較的条件が良い区間ですら運転再開は12時が目途とのこと。だから今朝は駅の様子を撮影しませんでした。江別市の酪農学園大学で今日から始まる学会も、きょうから開催予定の学会大会も、開催そのものが危ぶまれる事態に。昨晩の理事会で協議し、今朝の段階で最終判断して会員へ告知することになりました。
今朝7時には事務局長名で、「開始時刻を遅らせるが、概ね予定通り」と一斉配信。それを受けてセンセイも行動を開始したのですが、昨晩予告されたように、そして前述したように、最寄り函館本線大麻(「たいま」ではなく「おおあさ」)駅までのJR線が不通。
地下鉄と路線バスで大学へ向かいます。JRの列車が運行されていないので、幹線道路は目的地へ向かう路線バスや自家用車で大混雑。
それでも何とか、大学最寄りのバス停に到着。大学の建物群は目の前。でもここは北海道。バス停から目的地までの距離が著しく長い。歩けど歩けど...という感じ。
一休みすると、周囲はすべて農地と牧舎。メインの建物に近づくと、何だか様子が変。職員の方が総出で折れた木の枝を帚(ほうき)代わりにするなどして、道路上に散乱したごみを片付けています。
もちろんこちらも颱風によるもの。良く見ると、あちこちの木の枝が折れているだけでなく、かなり太い木そのものが、途中で折れ曲がっていたりします。受付がある中央の建物に入ろうとして、再び違和感。
正面の自動ドアに手書きで「手で開けてください」。理由はすぐにわかりました。実はこの地域一帯が、つい先ほどまで停電していたのです。準備作業ができず、トイレすら使えないため急遽、午前中のプログラムはすべてキャンセルとのこと。
その後調べてみると、その旨を告知するメールが届いていました。かような悪条件にもかかわらず、関係者の努力によって午後から学会を開催。開会式では学長の、格調高く、理路整然とした、それでいて簡潔な挨拶に感銘を受けました。(へそ曲がりのセンセイには珍しい)。
励まされたような格好で、センセイも立場上の仕事をこなすことができました。というわけで学会初日を終えたのですが、関西圏と当地の交通機関が乱れているので、発表などを申し込んでいるのに、残念ながらたどり着けない方もいらっしゃいました。決して他人事ではありません。
現時点でも当地の交通機関はJR線を中心として大きく混乱しています。西村センセイ、明日の予定を終えてから自宅にちゃんと戻れるかどうか、実は極めて怪しい状態なのです。ホントに。
■9月4日(火) もし、今日が公務出張じゃなかったなら... ――学会関連行事が始まりました――
今回の北海道ツアー、お伝えしたようにセンセイは、まったく個人的な理由かつ私費で前日入りしました。
ところが結果的にはこれが、本務を遂行する上で良い結果に。というのは、センセイは朝の特急「スーパー北斗」で札幌に到着したものの、颱風の接近に伴い、午後の列車が運休になってしまったのです。
でも無事に着いたのは良いものの、午後の幹部会(「理事会」)までに時間が。重い荷物を持ち歩きたくないので、まずはとにかくホテルにチェックイン。その前に、大学で留守を預かってくださる事務職員と、両親や伯母のためのお土産を購入します。後日お伝えすることになる――現時点では不確定要素が多い――ことになると思いますが、出発に際して時間的な余裕がないはずなので。
で、今日の札幌は時折強い風が吹き、日差しと驟雨(しゅうう)が入り乱れる不安定な天気。でも、せっかくの北海道なので当初予定を決行することにします。それは札幌駅隣、苗穂駅近くにある「サッポロビール博物館」を訪れること。
博物館あるいはサッポロビール園の存在そのものは昔から承知していたのです。でも札幌駅から微妙な距離にあることもあり、ここを尋ねるのは初めて。
苗穂駅から歩いてみても良いのですが、今日はわざと札幌駅から歩きました。西村センセイ、初めて訪れる場所は可能な限り、自分の足で確かめることにしています。その方がより良い情報を得ることができるのです...が、やはりバスか電車にすべきだったかなぁ、と反省するころに博物館到着。
今日のお客さんは日本人と外国人がほぼ同数。示および体験(!!)内容は豊富。後者については、おつまみ付きで製造したばかりのサッポロビールの試飲や、さらには本格的な飲食を楽しめるコーナーなどが。
個人的には体験だけでなく、“Sembello”したい。ただし今日のセンセイは、その後に仕事を控えた公務出張中。大学から提供された資金で行動しています(ただし余計な行動は私費負担)。そしてその大学は、文部科学省からの資金援助を受けています。
要するに、センセイの出張は税金に支えられているのです。というわけで、「体験」については自粛(ホントに)。で、ですが、センセイが苗穂を訪れたのには、もう一つ理由があり...。
ちなみに、その後は本務に戻り、3時間の白熱した議論に参加しましたので、念のため。
■9月3日(月) 西村センセイ、不安材料を抱えながら、鉄路にて北海道入りする
というわけでセンセイは現在、函館市内に滞在中。つまり、北海道入り。
遊びでも何でもなくて、明後日からセンセイが役員(理事)を務める学会の大会が道内で開かれるのです。大会前日、つまり明日の夕方には理事会が開かれます。大学には、それに合わせて出張を申請。
でも鉄っちゃん、かつ、センセイの大好きな北海道。このチャンスを最大限に活用しようと考え、何カ月も前に完璧な案を作成しました。ちなみに、余分な宿泊費等は私費での負担ですので、誤解なきよう。
今回は出張前日つまり今日、入学試験の代休を頂戴して、早めに移動します。実際の行動は新潟の自宅が起点ですから、通常だったら上越新幹線と東北・北海道新幹線を乗り継ぐところ。
でも在来線ファンのセンセイとしては、通称「日本海縦貫線」に乗りたい。具体的には、北海道新幹線(旧津軽海峡線)および列車の都合による上越新幹線(長岡―新潟間)を除き、在来線のみを使用します。
写真は今朝、高架化工事が進む新潟駅構内で撮影したもの。以前は新幹線ホームと在来線が完全に分離していた新潟駅ですが、駅舎が老朽化したこと、羽越新幹線の実現可能性が低くなったことから、新幹線と在来線を一体で改築することになりました。
それを象徴するのが、写真の場面。写真右側に到着したのは、東京始発の上越新幹線。左側、庄内方面へ向かう特急「いなほ」――この列車は秋田行き――への乗り換え客の利便を図るため、写真中央の乗換専用改札口を設置したのです。
それはそれで、わからなくはない。でもこの専用ホームを利用できる列車は限られています。実際、センセイは一つ早い列車に乗り、長い階段を上り下りしながらこの写真を撮影。しかも、「いなほ」の乗客は僅か。
しかも変な構造のために階段付近が狭くなっており、大混雑。専門の警備員を配置しているのですが...それって、自らの判断ミスを認めるようなもの。
「いなほ1号」は定刻に新潟駅を出発。高架から在来線に乗るのは初めて。懐かしく、痛みを感じる場所を確かめながら、列車は順調に走行。羽越線はやはり、「笹川流れ」など、見所が多い。
予定通り、秋田で特急「つがる」に乗り換えます。在来線ならではの風景が続くのですが、どこか一抹の陰を自覚します。もちろん迫り来る颱風21号。当地では明日の夕方から明後日にかけてかなり影響が出そう。
秋田から青森に抜けると、もう少し正確に言うと、津軽に入った時点で人々の緊張感が一変しました。瞬時だったため撮影し損ねたのですが、一部のりんご園では老人が総出で収穫に取り組んでいました。ただし生育状況は品種によるようで、大半の実はまだ青いまま。
写真は比較的赤くなった実を、老人が急いで収穫している様子です。撮影が下手なので、何が何だかわからないと思いますが。颱風は急速に本州、北海道、そして残してきた金沢に接近中。
冗談抜きで、これからどうなるか、さっぱりわからないセンセイなのです。
■9月2日(日) ドライブレコーダーに装着していたSDメモリーカードの容量が、いつの間にか半分以下になっていた...
昨日は仕事が予定より長引いたので、予定時刻より1時間ほど遅れて金沢を発ちました。
いつものように一般道だけを利用すると、自宅到着は8時ころになってしまいます。つまり新潟県内に入ったら真っ暗。加齢で目が悪くなっているセンセイとしては一般道の夜間長距離走行は避けたい。
それに、早寝の家人は就寝する時刻。もともと、土曜の夕方で交通量が多いと予測される富山市および上越市付近は高速道路で迂回するつもりだったのです。予定を少し変更して、富山から新潟県境まで北陸自動車道を使うことにします。
ご存じのように、センセイは高速道路と相性が悪いらしい。ドイツのアウトバーンのように、緊張感をみなぎらせて150km/h位で走る──ミュンヘン市内から空港までのタクシーで経験したことがある──のなら別かもしれませんが、現在のセンセイがそんなことをするはずはありません。というわけでご高齢のセンセイは、今日も80.0km/h厳守。
右隣を、軽自動車がスイスイと追い抜きます。小型車が100km/hを少し越えるくらいで追い抜いたのですが、次の瞬間、不意に右側サイドミラーの中に赤色灯。クラウンの覆面パトカー ──こちらと同一 ──が、猛烈なスピードで駆け抜けます。リアウィンドウにはLED表示で「交通違反取締中」(だったかな)。
あれ位の速度超過でも検挙するのかと驚いたのですが、どうもそんな様子はない。少し遅れて、レクサスとアウディが競うように、猛烈なスピードで右側を駆け抜けていったのですが......意外にも、こちらについても何も起こらない。
う〜ん、もしかしたらクラウンは、BMWを真似て“Frede am Fahren”(ドイツ語で「駆け抜ける喜び」)を楽しみたかっただけなのかしら。そこで帰宅してからドライブレコーダーの映像を確かめようとしたのですが......ない。
その時の映像が存在しません。わずか帰宅前3時間位前の出来事なのに。これまで散々お世話になったドライブレコーダー。記録用に32GBのSDカードメモリーを挿入してあり、本来ならば5時間以上の記録が可能。ただし記録領域が不足すると、自動的に古いデータから消去します。
写真はその情報。記録可能な容量が激減しています。
記録済のデータをすべて削除したのですが、約18GBが「使用[済]領域」とされており使うことができません。ひとまず初期化すると、ほぼ全領域が使用可能に戻りました。
ただしこれは一時凌ぎ。BMW 320i M Sportの走行距離は購入後約2年半で62,000kmに達しています。長距離走行が主ですが、家族サービスで下駄代わりにも使います。仮に平均速度を45.0km/hとすると走行時間は約1,400時間。
32GBの記録可能時間は約5時間ですから、全領域を約300回書き換えていることになります。このタイプのメモリーは、書き換えには限度があります。ハードウェアがそれを検出すると、「使えない」と判断して切り捨ててしまいます。表示されているのはその状態。しかも使用不能領域は急激に増加しています。
要するに寿命。手持ちのメモリに半分の容量のものはあるのですが、32GBはありません。近日中に買い求めて交換することにします。それでも62,000km、約約1,400時間のお勤めと考えれば、安いもの。ご苦労様でした。
ちなみに、今回の高速道路上の燃費は25.3km/L。以前、1回だけ記録した26.0km/Lにはかないませんが、それでも素晴らしい記録です。