2018年6月23日更新(2018年7月1日ページ移動)

──2018年6月第4週のニュース──

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6月23日(土) 娘に会うよりこちらが優先?! ──新幹線を使わずに、千葉から新潟の自宅へ戻りました(1)──

 今日は移動日。いくつか所用があるので、新潟の自宅へ戻りました。

 今回の出張は1泊2日で申請、許可されたので、細部はともかく、基本的にはその通りに行動する必要があります。この種の会合は懇親会(参加費用は自己負担)も開かれることが多いので、普通なら用務先の近くに宿泊するところ。
 加えて、大学を卒業した娘が都内東部の総武本線沿いで働き、暮らしています。

 ちょっと事情があって最近引っ越したので、「新居」の様子を確かめたいという気持ちもある。でもセンセイは、お伝えしたように総武本線快速に乗車。

 この状況で北陸地方(今回は新潟)へ向かう時は通常、東京駅の地下ホームから地上に出て北陸あるいは上越新幹線に乗り換えます。要するに外国から戻り、成田空港に降り立った時のパターン。
 でも昨日のセンセイは、錦糸町で各駅停車に、さらに秋葉原で京浜東北線に乗り換えて北上しますした。

 次の次の上野駅で新幹線に乗ることもできるのです。経路的にはこちらの方が短いので、僅かですが特急料金が安くなります(乗車運賃は変わらない)。でもセンセイが向かったのは地上階の在来線ホーム。
 新幹線はあまり好きではないので、在来線だけを使って自宅へ辿り着くという無謀(?)な計画を立てたのです。

 ただし現在は帰宅ラッシュ。加えて、夜行列車が事実上全廃された現在、夕方に都内を発っても新潟へたどり着くことはできません。どこかで宿泊する必要があります。この二つをクリアするためにセンセイが考えたのは、用務地近辺ではなく、都内と新潟の途中で一泊すること。
 具体的には、列車と翌朝の行動を考えて高崎駅前に宿泊することにしました。問題は列車。

 先日のようにグリーン車を利用してもいいのですが、良い席に確実に座れるという保障はないので、特急「スワローあかぎ」に乗ることにします。
 もちろんセンセイのことですから、こちらも1ヶ月前に一番良い席の指定券を確保済。

 「スワローあかぎ」には高崎まで行く列車と本庄止まりのものがあるのですが、センセイが乗るのは後者。もう30分待てば高崎まで乗り換えなしで行くことができるのですが、明るいうちに乗りたかったので、敢えてこの便を選択しました。
 列車は既に上野駅に入線していました。常磐線で「スーパーひたち」他として使用されていた交直両用681系です。

 写真は本庄駅到着後に撮影したもの。「スワロー」って、歴史ある優等列車のシンボルの一つ「つばめ」を意味するだけでなく、通勤列車として「座ろう」という意味もあるんですね。
 乗車してから気づきました。

 列車は定刻に上野駅を出発。帰宅時間帯ですが、前者座席指定の特急列車ということもあり、乗車率は50%程度。太陽はすでに低い位置にあり、窓の外は少しずつ赤く、そして暗くなっていきます。
 久しぶりに乗車する下りの東北本線、そして高崎線。

 中学生の時に初めて独力で上京し、高校生の時には急行列車の自由席に乗車できる「周遊券」を使って、電子部品を買い求めに時々秋葉原へ来ていました。当時は現在のようなネット通販なんて存在しなかったのです。
 しかしセンセイが大学生、そして社会人になる頃には上越新幹線が開業。移動は新幹線が主になっていました。

 それでも時々日中の在来線に乗っていたし、北へ向かう夜行列車は、(当たり前ですが)在来線。今回は、「その後」を確かめてみたかったのです。

 川口の「キューポラ」──若い人が知らないのは当然のこと──はなくなり、町並みも変わっていました。木立は住宅地に。しかしそれでも見覚えのある建物も残っています。通りや、堤防は昔のまま。当たり前ですが。
 籠原
(かごはら)駅手前のJR貨物熊谷ターミナル駅と、隣接するJA北海道士幌(しほろ)町の冷蔵庫群、そしてJR東日本籠原駅の車両基地。

 当たり前だと思っていながらずいぶんご無沙汰していたものを、久しぶりにこの目で確認させていただきました。ただし日が暮れてしまい、深谷(ふかや)特産のネギを確認できなかったのは、ちょっと心残り。乗客は減り、終点の本庄駅到着。
 駅に隣接する建物は、学会参加のため宿泊したことがあるホテル。

 来し方行く末(こしかた/きしかたゆくすえ)に思いが及びます。



6月22日(金) 鉄分補給はひとまず封印... ――西村センセイ、千葉市の敬愛大学を訪れる――

 というわけでセンセイは公務出張中。

 出張に合わせて、昨日のうちに新潟の自宅へ戻りました。で、今日は、採択された科学研究費補助金による研究の関係で、千葉県千葉市の敬愛大学で開かれた研究会に参加したのです。同大学を訪れるのは初めて。
 だから自宅のある柏崎市から千葉市へ向かったのですが、在来線の接続は極めて悪い。

 というわけで鉄分補給の欲望はひとまず封印し、上越新幹線で東京へ。総武本線快速に乗り換えて、最寄りの稲毛駅へ向かいます。ホームに降りると......暑い。

 気温が極端に高いわけではないのですが、湿度が高めなので暑く感じます。特に直射日光が当たると辛い。黒っぽい背広を着てネクタイをしている方が悪いのですが。
 10分ほどで敬愛大学正面玄関に到着。割とコンパクトなキャンパスのようです。

 まったく予想外だったのはが、道路の反対側(写真右側)にある「千葉大学」の看板。その奥は野球場にになっています。後で調べてみたら、千葉大学は西千葉駅と稲毛駅の間に位置します。
 千葉大学へ行く時にセンセイは西千葉駅から歩いていたのですが、施設によっては稲毛駅の方が近いんですね。

 そう言えば、稲毛駅を降りて歩いていると、前を歩く人の後ろ姿に見覚えがあるような......千葉大学の先生です。他人の空似だろうと思ったのですが、ご本人だったんですね。
 飲食店に入られたので、声を掛け損ねてしまいました。

 予定通りに研究会開始。こじんまりとした会合です。22名参加予定とのことだったのですが、実際に出席したのはセンセイを含めて16名。主催者が、敬愛大学の学生の特徴に言及します。
 それは地元志向。

 良くも悪くも地元、つまり千葉出身の学生が多く、就職希望先も千葉県内。電車で40分弱でしかない「東京が怖い」とか、果ては「電車に乗ったことがない」。ふだんは自転車で移動しているのだそうです。
 ホントかなぁ。

 肝心の研究会はというと、期待以上の部分と、「う〜ん、ちょっとどうかなぁ」という部分が混在。予約しておいた列車の時刻が迫っていたので、閉会と同時に退出させていただきました。予定より1本早い総武本線快速に乗車。
 その後は、当初予定通りに行動します。

 って、ことは、やっぱり......?!(たぶん、続く)



6月21日(木) やっぱり、行ってみたいなぁ... ──「2018年7月14日 久大本線ぜんぶつながる」──

 今日も災害に関する話題。ただし、ひとまず明るいニュースです。

 写真は今回の九州大学出張の際に乗車した鹿児島本線の列車内で撮影したもの。中吊り広告に気づいて、自分のメモ用に記録したものです。そこには、「2018年7月14日 久大本線ぜんぶつながる」。
 写真左側に見える緑色の列車は、博多と由布院を結ぶ特急「ゆふいんの森」です。
(写真は横連続2枚分の中央部分のみ)

 本州に住んでいる人にはちょっとピンと来ないかもしれません。実はこれ、被災して不通になっていた久大本線が全線復旧するという意味なのです。直接の原因は昨年(2017年)7月5日の豪雨。
 九州北部の鉄道網が大きな被害を受けました。

 久留米と大分を結ぶ久大本線については、鉄橋が流出。その区間だけがバス代行を続けていたものの、ついに全線復旧に漕ぎ着けたのです。
 でも白状すると西村センセイ、復旧についてはこの中吊りを見るまで知りませんでした。

 決して偉そうなことは言えないので、帰ってから調べてみると、JR九州と地元自治体他は協力して「久大本線全線復旧つながるプロジェクト」をキャンペーン中。
 個人的には、「(再び)行ってみたい」という気持ちは強い。

 センセイは15年前、日豊本線、豊肥本線、吉都線、肥薩線とともに久大本線に乗車しています。7年前に一部区間を乗車してますが、基本的にはずいぶんご無沙汰。
 でも残念ながら、久大本線の全線復旧は手放しでは喜べない。

 JR九州の「災害に伴う運行状況のご案内について」によると、九州のJR在来線を完全乗車した際に乗った日田彦山線は昨年の水害で、また豊肥本線は2016年の熊本地震で復旧の目処が立っていません。客観的に考えると、状況は非常に厳しい。
 でも、まぁ──だからこそ、かも──久大本線の全面復旧は、喜ぶべきこと。特に、地域の方にとって。

 やっぱり、行ってみたいなぁ。



6月20日(水) 想像力、あるいは想像しようという意志の有無 ──今日、この空の下で起きたこと──

 天気ほ予報通り、今朝は雨が降っていたので、センセイは車でご出勤。

 雨といってもそれほど激しい降りではなかったのです。大きな傘を差していても濡れましたが、研究室でハンガーに掛けて吊しておけば何とかなます。でも世の中には、そうはいかない人たちも。
 写真は、気象庁「高解像度降水ナウキャスト」のデータ。センセイが出勤した頃の様子です。
((c)JMA)

 降雨情報と地図が重なっていてちょっとわかりづらいと思いますが、一昨日の地震があった大阪府北部を中心にして、近畿地方の中央部を見ています。
 ご覧のように被災地は真っ赤。激しい雨です。

 昨日の朝、特急「サンダーバード」で被災地を抜けた時は、外の様子を注視していました。ただし、センセイが目にした範囲では、明確に被害とわかるほどのものはありませんでした。
 たとえば屋根が損傷して、シートが掛けられているとか。

 でも、報道を見ていると住宅の被害、特に屋根の一番上にある(むね/ぐし)の損壊(2枚目の写真)が目立ちます。この雨なら雨漏りが発生しているはず。応急修理が間に合えばいいのですが......。
 しかも被災地では、電力こそ供給されているものの、水道とガスが届かない地域も。

 地震直後はともかく、ライフラインの途絶は被災者の体力をボディブローのように奪います。衛生面についても、気温と湿度が高いこともあって、状況は非常に厳しいはず。
 仕事に関係したメールのやりとりの中は、地震への言及も。

 京都の出版社からは、「(京都の)被害はたいしたことありませんでした」。東京の公益団体からは、「大阪と金沢は近いので、そちらが心配...」。
 気持ちは有難いのですが、大阪と金沢は相当離れており、金沢の揺れは震度3。

 午前中の大学幹部の会議へ向かいます。

 隣の席は、つい最近お父様を亡くされた先生。弔意を示して雑談していると、自然と地震の話に。初めて知ったのですが、先生は阪神淡路大震災の時に大阪大学の助手(現在の「助教」)だったとのこと。
 「高速道路が倒れるなんて想像もできなかった」。

 しかも先生は、東日本大震災の翌年、仕事で被災地を訪れており、その時の様子も話してくださりました。ただしここで会議が始まったので、会話は中断。先生の僅かな言葉の端々に、被災時の厳しい状況を感じ取ることができます。
 先生も、被災地のことを本当に心配していらっしゃるのです。

 誤解なきように申しますと、紹介した京都と東京の方も被災地のことを気に掛けていらっしゃるのです。ただし本当に申し訳ないのですが、お若いということもあって、まだ経験が足りない。

 昨日の講義では早めに教室に入ったのですが、中には地震があったことを認識していない学生も。地震をニュースで知っていても、大半の学生は災害を経験していないので、被災地の様子を想像することができません。
 でも、まぁ、これは当たり前。

 これからどう伸びるかが彼ら彼女らの課題。言い換えるとどう伸ばせるかが、センセイらの宿題です。



6月19日(火) 西村センセイ、今日は写真を1枚も撮らずに金沢へ移動する

 5時少し前に目覚めたのですが、その瞬間はここがどこか、わかりませんでした。

 もちろんすぐに自分が置かれている状況を理解したので、必要な行動を取ります。まず窓の外を確かめると、幸いにも予報通り、雨は降っていません。つまり徒歩での移動に支障はない。結局、用意した折り畳み傘を使用することは一度もありませんでした。
 窓の外で聞き慣れた音が。電車の走行音です。

 センセイが泊まった部屋はたまたま、東海道線(快速・緩行)に面していました。

 カーテンを開けると、電車が各駅停車用の線路上を、大阪方向へ走行しています。表示は「試運転」。数分後には回送列車も走りました。テレビの電源を入れ、MacBook Proを起動します。NHKはサッカー・ワールドカップの特集か何かを伝えていたのですが、ちょうど5時。
 ニュースが始まります。

 あまり役に立ちそうになかったので、「JRは始発より平常運転を予定」ということだけを確かめて、テレビのスイッチを切ります。JR西日本のサイトによると、奈良線以外は平常運転とのこと。関係者の皆様が、夜通しで復旧に努めてくださったおかげです。
 有難や、有難や。

 こちらはただの酔っぱいと化して、余震にも気づかず寝ているというのに。

 身支度を整え、まず新大阪駅へ。6時半前だというのに、駅舎内にはそれなりにお客さんがいます。やはり早めに行動しようということなのでしょう。センセイは大阪方面のホームへ。金沢行の特急「サンダーバード」は大阪始発。
 大阪駅から自由席に乗ろうというのです。

 残念ながら各駅停車はちょうど出発したところ。8分待てば次の列車がやって来ます。少なくとも現在は時刻表通りに運行されています。構内のあちこちには、作業服(制服)姿の作業員が立っています。
 そこに半袖シャツ──こちらも制服──姿の小柄な老人と、対照的に大きな社員がやって来ました。

 作業服の社員にあれこれ尋ねていますが、内容そのものは、ごく普通。だからその時は気にもとめなかったのですが、二人が去ってから、作業服姿の人が集まると、急に口調と態度が変わります。どうやら二人はかなり上の職位の人(+補佐)だったらしい。
 ......ここは大阪だ。

 「サンダーバード」用のホームは近距離列車から離れた場所にあります。だから結果的に通勤通学客全体を遠くから眺めるような格好になります。まだ6時前だというのに、乗客は予想外に多い。余震による遅れを警戒して、でしょうか。
 でもこの頃になると、列車の遅れが発生するようになりました。ホームはどんどん混雑してきます。

 センセイが乗車する「サンダーバード1号」も8分遅れで到着。乗客が乗り込むと、すぐに出発。

 意外にも大阪出発時点での乗車率は70%程度。新大阪でもう少し乗ってきて、京都駅でほぼ満席となりました。ただし立っている方はいらっしゃいません。
 少し遅れながらも、無事、金沢到着。

 すぐに路線バスに乗り、アパートで着替えてからご出勤。11時からの会議には間に合いました。午後は講義、そして申請した出張の変更......と、気がつけば夜。
 そう言えば、今日は写真を1枚も撮影していない。

 昨日はそれなりに撮影しましたが、それでも、改札口の前で見通しを掴めずに地べたに座り込んでいる方々を撮る気にはなれません。というわけで、今日は代役。
 先日の桜美林大学出張から自宅へ戻る際、品川駅付近で撮影した夜行寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」です。新駅新築関係の工事が進んでいるので、以前とは違う場所で「お昼寝」していました。

 今日は珍しく左側(西側)の席に座ったので、小松駅を過ぎた直後に見える、ボンネット型の特急電車を撮影すべきだったな。

 この目では、しっかり上から確認したのですが。 



6月18日(月) 「すみません、昨日泊まっていた者なのですが...」 ――西村センセイ、地震に直撃される――

 今日は予定を変更して、見たままのお話。

 昨日は予定通り、博多を5時過ぎに出発する九州新幹線に乗車しました。この件については後日ご報告する機会があると思いますが、先行する新幹線が車両点検を行った関係で、5分ほど遅れて終点の新大阪駅到着。
 そのまま特急サンダーバードに乗って金沢へ戻るという方法もあったのです。

 でも60歳になってから体力の衰えを強く感じるようになったので、今日は予定通り、新大阪駅前のホテルに宿泊します。

 今日は月曜日なので、午後遅くに講義があります。金沢までの特急サンダーバードにも速達型とそうでないのがあり、前者は7時前と9時前に大阪を発ちます。そこで8時40分の列車を予約しておきました。
 いつも通りの時刻に起床。

 雨との予報だったのですが、窓から見ると、道路は多少濡れた形跡はあるものの、降っているわけではありません。駅まで濡れずにたどり着けそうです。いろいろ片づけものをしてから、身支度を整えます。

 バスルームの鏡の前に立った時、不意に嫌な気配があってから小さな揺れ。地震の初期微動です。すぐに高い周波数成分の多い大きな揺れ。直下型地震に違いありません。ただし「立っていられない」というほどではありません。
 それにバスルーム内だったので、掴まる場所はいくらでもありました。テーブルの上に残したiPhoneが「地震です。地震です」と叫んでいます。

 揺れは数十秒――20秒弱?――で収まりました。今日の予定が滅茶苦茶になったことを悟ります。初期微動が短く、低い周波数成分の揺れが少なかったのですから、今回発生したのは内陸型の直下地震。
 当地の揺れは震度5程度で、震源地は非常に近い。

 したがって鉄道は全面ストップ。見通しが効く日中であることを考慮すると、これまでの経験からして、私鉄や一部JRの運転復旧までに4〜6時間程度。全線復旧は夕方のラッシュ前を目指すはず。
 従って午後の講義には間に合わない。

 テレビは初期情報を伝えています。震源地は大阪府北部。予想外だったのは揺れの大きさ。震源地近くでは震度6弱とのこと。新潟県中越沖地震でセンセイが経験した震度を上回ります。
 でも当地は、「そこまでではない」というのが実感。

 お客は多くないのか廊下は、そして建物の外も静かです。通信記録によると、地震10分後に大学の担当者宛に休講を覚悟してほしい旨のメールを送信しています。
 身支度を整え直します。

 ここでやっとホテルのアナウンス。地震でエレベーターが停止している――どうやら閉じ込められた人はいないらしい――ので、これから非常階段を解錠するとのこと。
 地震から約20分後にホテルを出ます。

 出勤時間帯なので、職場へ向かう多数のサラリーマンとすれ違います。電話で話したり、スマートフォンを見たりしています。そこだけを切り取ったら、日常の光景。
 もちろんいつもとは違う緊張感があります。

 ホテルからは東海道本線脇を歩くのですが、大阪方面へ向かう普通電車が線路上で緊急停車していました。通勤時間帯なので、車内は満員。
 写真には入っていませんが、換気のために、一部の開閉可能な窓は大きく開けられています。

 写真は車両の末尾を撮影しているのですが、良く見ると、運転室に女性が入り――もちろん車掌が許可した――窓にもたれかかっています。かわいそうに、気分が悪いのでしょう。
 この時点で地震発生後約30分経過。気温が高めなので、車内は相当厳しい状況と思われます。

 このような光景が近畿地方全体で起きているはず。

 新大阪駅1階に到着すると、やや意外な光景が。新幹線に乗って修学旅行に出発するために集合していたと思われる生徒の一群です。妙に明るい。
 そう言えば、昨日はこの新大阪駅の新幹線改札口で、修学旅行に出掛ける小学生の一群と出くわしたっけ。

 3階の改札口へ出ると予想通り、沢山の乗客が運行再開を待っています。やや意外だったのはJR西日本の対応。運行再開には相当の時間がかかると告げて、乗客を駅から退出させているのです。
 改札口は入場を制限しています。

 一方、東海道新幹線を管理するJR東海はというと、同じように運転再開までには時間がかかると告知しながらも、入場は認めています。
 センセイは両社を自由に利用できる切符を持っているので、こちらから入場。

 場内もたくさんの人が残り、運転再開を待っています。特にこの時点では、割と短時間で列車に乗車できると考えていた――「願っていた」が近いかも――方が多かったようです。
 しかし世の中、そんなに甘くはない。

 ところどころに赤いコーンが立てらり、立ち入らないように指示されています。写真はその一つ。照明器具のカバーが外れています。まぁ、これで大きな怪我をすることはないでしょうが。
 その他にも、天井からの吊り物類が多数外れていたりします。

 さてセンセイはというと、やはり当初見込み通りの運航再開を前提に行動することにします。これから数時間、ここで過ごさなければならない。ただし改札口の外は座る場所すらない。
 というわけで、ホームへ出ます。

 長距離用のホームを中心に、待合室や椅子が用意されています。ただしこの時点で空きはない。そこでホームの状況を確かめてみることにしました。
 だって数か所で、天井から水が流れ落ちているので。

 写真はその一つ。天井の隙間から「滝のように...」とは言いませんが、かなりの水が流れ続けており、水たまりを形成しています。これが、東海道新幹線の建物と重なる部分を中心に、数か所。
 これ以外にも、在来線の天井部分の配管が壊れたり、接続部分が外れたりして、水が流れ落ちています。

 センセイが駅に入場した直後は、JR西日本の駅員が拡声器を手に、とにかく案内するという光景が目立ったのですが、この頃になると、慣れないJRの腕章を着けた事務職員が目立つようになりました。
 彼ら彼女らなりに、お客さんを案内しています。

 ところで、写真奥には大阪方面へ向かう快速列車が停車してます。無人だと思っていたのですが、良く見ると、乗客の姿が。つまり座る場所がある、ということです。でも、荷物を抱えて列車へ移動すると、何だか変。
 「乗客」が降りています。

 回送列車扱いにして、ドアを閉鎖するとのこと。「乗車していても、中から外には出られなくなります」と無情のアナウンス。そしてドアは閉じられてしまいました。
 元のホームへ戻りながら、再分析します。状況はどうやら、予想以上に厳しいらしい。

 計画を全面的に練り直します。上空をジェットあるいはターボジェット機が頻繁に飛行します。ここ新大阪駅は伊丹空港の進入コースの直下。地震発生後、センセイが到着する頃まで飛行機は飛んでいなかったのです。
 飛行を再開したということは、空港に大きな被害がなかったということ。

 ただち地上に降り立った乗客には厳しい状況。公共交通機関は麻痺しているはずです。ここで、地上で人々の大きな動きが。運転再開までに時間がかかるため、停車している車両から乗客が降ろされたのです。
 やがて車両は、運転に最低限必要な尾灯など、全ての照明を落としました。

 要するに、運行するつもりはない。

 たぶん今晩中に近距離などの路線は可能な限り、運転を再開するはず。ただし快速列車の類、まして特急は...。ネットが通じなかったので、駅を出て昨日泊まったホテルへ「戻り」ます。
 「すみません、昨日泊まっていた者なのですが...」 。

 センセイのような年齢になると、生き延びるために最優先しなければならないのが基本的な生存環境。この場合は宿泊です。東日本大震災の時もそうでした。(再び)ホテルの窓の外は、東海道線。
 見込時刻を大幅に過ぎながらも、午後10時前に運行を再開しました。関係者の努力は大変なものだったんだろうな、と考えています。

 明日は会議と講義があるので、始発のサンダーバードに乗車して金沢を目指します。



6月17日(日) もっと早く、だったなぁ ――西村センセイ、九州大学箱崎キャンパスを初めて訪れる――

 残念ながら移動時刻ではなく、昨晩のセンセイの就寝時刻。

 タイトルにある通り、センセイは今日、九州大学で開かれた研究会に参加しました。九大は何度かお邪魔しています。でも今日の会場は箱崎キャンパス。地図で調べると、博多から二つ目の駅の近くにあるらしい。
 だから移動は楽だろうと考えて、早朝に出発することにしました。

 センセイが選択したのは、アパートから公共交通機関を利用して最初に乗ることができる列車。北陸本線の「サンダーバード」と、新大阪からの「のぞみ」を乗り継げば、12時前には博多到着。会は13:30からなので、楽勝。
 余裕が出ると、いろいろ妄想が湧いてきます。

 せっかくの九州。そして博多。博多といえば、(食べ物に関する限り)明太子などいろいろあるけど、センセイにとってはやはり「博多ラーメン」。博多ラーメンといえば2年半前、たまたま訪れた風び」の、信じられないおいしさ。
 野田元首相も在任時に訪れたという博多ラーメンのお店です。

 正確には「博多ラーメン」ではなく、「長浜ラーメン」とのことなのですが。改めて位置関係を確認すると、お店は博多駅から約1km。前回は慣れない地下鉄を乗り継いだため、とても遠く感じたのです。でも案外、近いのね。
 これなら天気さえ良ければ、歩くしかない。

 徒歩で往復しても...と考えたら、今日は日曜日。あの味だから、滅茶苦茶込むんだろうなぁ...。急に長浜ラーメン熱が醒めてきました。そもそも今回は公務出張。
 目的地に定刻通りに到着することが最優先......。

 というわけで、博多到着後、まず箱崎キャンパスを目指すことにします。う〜ん、画に描いたような、サラリーマンだ。

 今朝の金沢は、相当寒かったのです。半袖ではきついくらい。でも博多に到着し、新幹線から降りると、ムッとする暑さ。やはりここは、九州。
 予定通り、鹿児島本線の各駅停車で戻ります。

 華やかな博多とは対照的に、ちょっとだけ離れたはずの箱崎は静かな町。困ったことに、飲食店がない。昼食は後回しにして、本務である九大へ。
 目指すは正門。(最初の写真)

 もちろん、暑さを除けば問題なく到着したのですが......変。東大以上に立派ではあるのもの、その奥に控えるべき建物が存在しないのです。これは予想外でした。
 左脇には立て看板。

 センセイは知らなかったのですが、何と、箱崎キャンパスは移転、廃止するらしい。場所によってはすでに、更地も広がっています。さらに進むと、九大の歴史を集約したような施設が見えてきました。
 その一つが写真の建物。

 九州大学総合研究博物館です。一部の部屋には灯りがともっていました。脇を通り過ぎて、本来の目的地へ。

 時間的にはまだ余裕があったので、状況を確認してからひとまずキャンパスの北側へ抜けます。近くにはショッピングモール。その一角に博多ラーメンと中国四川(しせん)料理ののお店が。
 入ったのは前者。

 買い求めた食券を差し出す時に尋ねられるのは、麺の硬さ。「硬め」が標準らしいのですが、センセイは敢えて「普通」。それでも届いた博多ラーメンは硬めでした。それはともかく、従業員の動きを見ていると、このお店はチェーン店。
 大きな、大きなポリ袋からスープを入れ物に流し込んでいる場面を見て、センセイは自らの判断ミスを悟りました。

 そもそも、当初の予定は十分練られていなかったかも。

 たとえば1日早く金沢を発ち、途中大阪かどこかで1泊するという方法もあったのです。この移動と宿泊に関しては公務出張外なので完全自己負担となりますが。それならば、博多には余裕で到着して、「風び」も訪れることができたはず......。

 その意味でも、もっと早く移動を開始すべきだったなぁ。

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