2021年6月5日更新(2021年6月13日ページ移動)
■6月5日(土) ...やっとで129。反省 ──西村センセイ、久しぶりに学会で発表する──
「129」は、今晩測定した収縮期血圧(いわゆる「最高血圧」)。つまり129mmHg(加重平均の最低値)。
ちなみに1回ごとなら最低は120mmHg。いずれもやっとで達成しました。その理由は簡単で、学会発表で激しく疲労したためです。今朝は意識してゆっくり起床。それでも朝の最高値は110mmHg(同)。
このところ、ずっと100台だったのに。誰もいない大学へ徒歩でご出勤。いつもはどこかの大学を会場にして開かれる学会ですが、今回は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、遠隔で開催されるのです。午前中のプログラムはすべて諦め、学会発表準備に集中します。
10時半頃にひとまず作業終了。やはり精神的にかなり疲れたし、学会発表は気力と体力を使うので、最寄りのスーパーで食べ物を買ってきて早めに昼食とします。食後は本物コーヒーを入れます。胃に負担が掛かるためこの頃あまり飲まなくなったのですが...。
13:30からセンセイが参加するセッションが始まりました。3人目の発表だったのですが、テレビ会議システム“Zoom”を使い慣れているはずのセンセイにしては珍しく、音声を切ったまま発表を開始してしまいました。司会の方に教えていただき、最初からやり直します。
やはり準備不足が祟っています。確かに、始まってしまえばいつもの調子で...という面もあったのですが、やはり、お伝えするつもりだった内容のいくつかを失念してしまいました。特に、質疑応答や最後の総合討論で顕著。一言で表せば、冴えがイマイチ。
客観的には、もうちょっと悪かったかな。グラフはこのサイトへの日々のアクセス状況。実は、今日の発表と深く関係しています。センセイの報告は、このサイトの講義の記録に関するものなのです。
下の青い線がアクセスしたユーザー数。同じ人が繰り返しアクセスしても、1回とカウントします。上の緑色の線は閲覧した総ページ数。
そのいずれもがなぜか、今週水曜日から跳ね上がっているのです。通常はサイトを訪れると、ニュースか自分のクラスの授業の記録を読むだけ。稀に、たまたま1日だけ上昇することはあります。でもこの変化は明らかに、意図的なアクセスの増加を示しています。
考えられる理由はただ一つ。学会の『発表要旨集』(発表予定内容をまとめたもの)が、今週月曜日に公開されたこと。センセイの発表要旨の中に、このサイトのURLが記載されているのです。
実際のセッション(「分科会」)参加者は60名ちょっと。司会の方や他の発表者、そしてフロアの先生方に助けていただきながら、何とか発表終了。もちろん非常に有益でした──深謝、深謝──が、前述したように反省材すべき点も多い。
しかも何だか急に、疲れがどっと出てしまいました。参加するつもりだった午後のプログラムすらすべてキャンセルして、帰宅。アパートに着くなり「バタン、キュー」という感じ。実際には疲れ過ぎていたために寝ていませんが。
センセイは還暦──知らない人は調べてね──をとっくに過ぎています。気持ちは若いつもりですが、気力と体力の低下は認めざるを得ません。それを正面から認めてもっと早くから準備していれば発表にも余裕ができたはず、貴重な他のセッションにも参加できたのに...。
加えて、血圧も。(昨日に引き続き)トホホ。
■6月4日(金) 門前なので、この通りだけはかなり広くなっています ──野々市は、奥が深い...(番外編)──
センセイは締切が目の前に迫らないと仕事をしない...。
西村センセイは明日、ある学会で発表をすることにしています。されどなかなかその準備に着手できない。追い詰められてやっと作業開始。この癖は。基本的には小学生の時から変わっていません。
そうなってしまう理由は心理学的に解明されているのですが、わかっても変わらない。トホホ。というわけで今日は遅くまで大学でお仕事。そのおかげで、夜のいわゆる「最高血圧」は133mmHg。最近の平均と比べて10〜15mmHg程度高い。古い基準ならパスできるものの、現在の厳しい基準だと問題になる値です。
再びトホホ。
今日の金沢はほぼ1日中雨。というわけで、ちょっと前に撮影した写真。道路脇に雪が残っていますが、1月下旬の野々市市本町の様子です。
逆光なので良くわかりませんが、置くに大きなお寺が見えます。真宗大谷派の昭台寺です。「ののいち歴史探訪」によると、昭台寺は1225年創立とのこと。手前を左右に走るのは北国街道。つまり古い野々市宿の中心部に位置します。
お伝えしたように野々市はこの街道を挟む格好で帯状に市街地が形成されました。北国街道と裏道を沢山の小路が繋いでいます。ただし市街地が形成されたのは(当たり前ですが)自動車がまだ存在していない時代。多少広いものもあったようですが、大半はずっと細い道。
でもここだけは例外。理由は簡単で、門前だから。この地域の古いお祭りあるいはそれに類する行事は知りませんが、寺のお講のような時は、多くの人が行き交ったはず。
この規模なら、屋台も出たんじゃないかと思います。
というわけで今日は、野々市の魅力の番外編。本編はもう少し続きます。
センセイの発表は明日の午後。学会は午前中から開かれるのですが、かなりの部分をキャンセルして準備しないと間に合わない状況になってきました。白状すると実は、これが毎年のパターン。
...(3回目の)トホホ。
■6月3日(木) 「チャオ」と「バオ」 ──西村センセイ、簡単な野菜炒めを失敗する──
昨晩起きた事件。
センセイは単身赴任ですが、飲み会以外を除いて、夜に外食することはありません。毎晩ちゃんと料理してます。といっても日によってレベルはいろいろ。ご飯と野菜は作って、おかずはスーパーの惣菜で済ませることも。
で、ここ1年ほど、横方向にのみ順調に成長しています。一つの理由はたぶん、動物性タンパク質を意識して摂取していること。それに毎日10,000歩程度歩いているので、以前よりも食欲があります。食べ物が何でも美味しく感じられるので、ついつい摂取量は多めに。
これではいけない、と、タンパク質はやや控え目にして、野菜をたっぷり頂く──もともと野菜をたくさん食べている──ことにしました。で、昨日は簡単な野菜炒め。肉はパックの半分だけ使って、キャベツ、玉葱、人参とピーマンを適当な大きさに切ります。深く大きなフライパンをコンロにかけて着火し、しばらくそのまま放置します。
これには理由が。長い読者の方はご存じだと思いますが、センセイは学部後半の3年ほど、中華料理店でコックをして生活費を稼いでいました。だから料理に抵抗はありません。問題は調理器具。包丁──通称「ヤッパ」──やまな板など、業務用の調理器具を使えないのです。
特に痛いのが中華鍋あるいはフライパンと、ガスコンロ。前者は小さく薄く、後者は火力がまったく足りません。
皆が皆というわけではないのですが、漢字4文字の中華料理は、前の2文字が材料で、後ろが調理方法。例えば何かの炒め物を作るとします。
飯(ファン)を炒める(チャオ)ので「チャオファン」、つまり「チャーハン(炒飯)」。で、この「チャオ」は普通の火力──それでもかなり強い──を使います。最大火力での炒め方が「爆」(バオ)。そこまででなくてもいいので、強い火力が欲しいところ。
残念ながら普通のガスコンロでは無理なので、やっと見つけた特別なフライパンを使っています。実はこのフライパン、写真でわかるように、底の裏にさらに、7mm厚の鉄板(右上側)が溶接してあるのです。つまり火力は弱くても、いったん加熱すれば冷めにくい。
フライパンの10cmくらい上に掌(なたごころ)をかざして、温度を確かめます。...が、何だか変。熱い部分とそうでない場所が混在しているのです。今さら中止するわけにはいかないので、少しだけ油を注ぎます。...でも、やっぱり変。油の馴染み方が違います。
野菜と肉を入れて炒め始めたのですが、突然、「バチンッ!!」と大きな音。身の危険を感じる音。何が起きたのか、すぐに理解しました。音で怪我をすることはないのですが、何しろフライパンの温度は数百℃。絶対に下手なことはできません。出来上がった野菜炒めは珍しく失敗作。
簡単な料理なのに。
焦げている部分と、火が十分通っていないものが混在しています。量的には後者が多い。写真はフライパンをざっと洗ったところ。
中央部分だけ異常な焦げ方をしています。鉄製なので焦げるのは当然なのですが、こんな激しい焦げ方はしません。フライパンを側面から接写したのが1枚目の写真。左下が本体で、右上が溶接された鉄板。
おわかりのように両者が分離して、隙間ができています。実は2年くらい前、使ったフライパンをシンクに置いた──業務では当然の行為──ところ、やはり突然「バチンッ!!」という大きな音がしました。
溶接部分の一部(左手前のみ)が壊れてしまったのです。この頃にはあまり炒め物をしなくなり、魚焼き専用となっていたので、そのままにしていました。
いつの間にか溶接部分の破壊が進み、水気を含む野菜を入れたために発生した急激な温度変化に耐えきれず、ほとんどの部分が壊れてしまったようです。おそらく残っているのは中央の、焦げた部分のみ。
もちろん、廃棄するしかありません。センセイが金沢で単身生活を送る日も先が見えてきましたが、それでもやはり、フライパンがないと困ります。
二重底の深いフライパン、まだ手に入るのかなぁ...。
■6月2日(水) 明日は我が身 ──金沢市内の薬局に、大型高級乗用車が突っ込んでいた──
今日も予定を変更して、タイトル通りのセンセイが出くわしたお話。なお、オマケがあります。
今日は午後イチに大学院の授業。今学期のクラスは優秀な人が多い──つまりこちらも評価されている──し、山場に入っているので気合を入れて講義する必要があります。気力と体力を保つため、早めに近くのスーパーへ。
そのついでに、近くの薬局へ立ち寄ります。...あれっ!?
お店の角を曲がって最初に目に飛び込んできたのは赤い回転灯を灯したミニパトカー。その脇には制服姿の警察官の姿も。ただしここは公道ではなく、薬局の敷地内。接触事故か何かがあったらしい。
実際、すれ違うような格好で2台の黒い大型乗用車が停車しています。
でも左側の車にぶつかった、あるいは擦ったような痕跡は見当たりません。で、右のレクサスに目を転ずると...何だか変。おかしいことはわかるのです。
でも最初は、事態の全貌を理解することができませんでした。改めて良く見ると、おぉ、ご覧のようにレクサスが薬局にぶつかっています。店内の窓から目の前の状況を確認すると、建物そのものにはぶつかっていません。
ただしその手前のフェンスのようなところで停止しており、こちらは大きく破損。車も左前方がかなり凹んでいました。最初はワイシャツ姿の男性が当事者かと思ったのです。でも実際に運転していたのは車の後ろにいる──良く見えません──70歳くらいの男性。
聞き耳を立てていたわけではないのですが、店内にいると自然に、当事者と警官のやりとりが聞こえてきます。「だから年を取ると、どうしても感覚が鈍ってくるから...」。どうやら単独事故。ワイシャツの男性はたぶん保険屋さんです。用を済ませてお店の外へ出た時に撮影したのが写真。
不思議だったのが、レクサスの前輪の向き。やりとりから基本的には奥から進入してきたようですが、前輪は右側(写真ではこちら側)を向いています。前進状態を継続していたのなら、この角度で衝突することはあり得ません。対向車か何かが来て、慌ててバックした際に接触したのでしょうか...。
いずれにせよ事故発生直後ではなく、30分程度が経過しているはずです。衝突時には間違いなく相当大きな音が発生し、それなりに衝撃もあったはず。もちろん運転手もびっくりしたでしょうが、薬局店内にいたお客や店員など、まったく瑕疵(かし)のない人々は仰天させられたはず。
残念ながら運転手には、そのような想像力はないようで、決して平謝りという感じではありませんでした。実は大学に戻ってからごく短時間外出したのですが、高橋川に架かる荒川橋を渡ったところで、再び交通事故に出くわしました。1日2回ですよ。大きな事故ではなかったのですが、当事者はいずれも高齢者。
茶化しているのではありません。センセイも立派な高齢者。MTしか運転しない──というか、できない──ので急発進、急加速はほぼあり得ません。でも今日の事故を見ると冗談抜きで、「明日は我が身」という思いを強くするのです。
■6月1日(火) 「金色の麦をみると...」 ──麦秋の日に見た夢──
予定を変更して、今日「見た」ものを。
写真は富山県黒部市浦山地区で一時停車時に撮影したもの。薔薇でしょうか──ただし棘が見当たらない──道路脇の花が地域の方によって育てられています。そしてその奥に広がるのは、一面の麦畑。
「麦秋」です。報道によると、ここで収穫された大麦の一部は、市の第三セクター「宇奈月麦酒館」が地ビールの原材料として用いるとのこと。自動車でなければ一度味わってみたいもの。でもセンセイは麦秋から、別なことを思い出します。
サン-テグジュペリの『星の王子さま』の中に、収穫前の麦が登場するのです。
誰でも読める簡単な本なのでぜひご自身の目(と心)で読んでいただきたいのですが、地上に降り立った王子はキツネと仲良くなります。
そしてキツネは2日目に、人生の秘密を王子に教えます。その直後、キツネは「金色の麦をみると、あんた[=王子]を思い出すだろうな。それに、麦を吹く風の音も、おれにゃうれしいだろうな・・・・・・」と語るのです。(内藤濯(あろう)訳)
最近、しっかり睡眠を取るよう心掛けているためか、夢を良く見ます。今日の明け方、センセイは夢の中で新潟市内を歩いていました。そこで出くわしたのは2005年に亡くなられた師匠。多少ラフでしたが、背広姿でした。
亡くなられていることは理解しているので、センセイは「あぁ、これはその前の出来事なんだな」と解釈します。不思議なことに師匠の顔が、青い。「青白い」などというものではなく、いわゆる青鬼のような、はっきりとした青色。でも師匠は師匠なので、それをおかしいとは思いません。
久しぶりだし立ち話というわけにもいかないので飲食店に入り、差し向かいで近況を報告します。内容は学問的なことではなく、なぜか最近の入試事情。あまりお詳しくないようなので、「そもそも最近の入試は...」。すると師匠は急に斜め上を向いて、テーブルに近づいてきた男性店員(とその奥さん)と話し始めました。
注文を伝えているのではありません。二人はなぜか知り合いなのです。しかも店員はセンセイの中学校の時の同級生。一方で帰宅の時間が迫っています。電車の時刻をちゃんと調べていません。お店を後にすることになって、師匠は先にトイレへ。
ここで同級生の店員が「師匠はすでに亡くなっている」と教えてくれました。実際、師匠がトイレから戻ることはなく、一種の霊と話していたことを悟ったところで目覚めました。師匠の顔色を含めて「怖い」という感覚はなく、むしろ懐かしい感じ。夢の中で説諭されるようなことはありませんでした。
学問には厳しい方でしたが。う〜ん、何だったんだろう。
■5月31日(月) 野々市は、奥が深い...。(5) ──小路を活用したゾーン構造の強さ──
すっかり間が空いてしまいましたが、野々市の魅力の秘密を探る旅は続きます。
写真は本町通の、大学からはかなり離れた場所にあるお宅。これまでほどではありませんが、やはりかなり歴史のある家だということがわかります。この日はたまたま工事中。敷地角にあ木の、非常に太い枝を、二人がかりで切り落としていました。
木も、伐採してしまうんだろうと思います。
お宅もちょっと心配。以前からこの家には注意していたのですが、鍵が掛かっており、無人の状態が継続しているようです。しかも写真を撮影した時は、家の周囲が片づけられていました。
解体、撤去されるのかも...。写真撮影後訪れていないので、変化があったらまたお伝えしたいと思います。で、今日の本題は写真のお宅ではなく、左奥へ通じる小路。
おそらく、これこそが野々市の「強さ」の秘密なのです。手前の道路が旧北国街道。現在の国道8号線や北陸自動車道に相当する幹線です。当たり前ですが、宿場では街道に沿って家々が建ち並びます。
ただし意外に、幹線道路と裏道の接続は弱いのが普通。自宅近くの出雲崎──良寛生誕の地──や尾道の海岸部などが典型ですが、街道沿いに妻入りの家々がびっしりと並んでおり、家の裏へ出るためには何と、家の中を通るしかありません。
両者ともに、崖下と海に挟まれた狭い場所に沢山の家があるため、しかたないのですが...。野々市の場合はそのような制約がないため、幹線道路の両脇に裏道(たとえばこちら)が走り、その間を梯子状の小路が繋いでいます。太さはさまざま。写真の道路は自動車が通れますが、もっと細いものも多い。
当時は自動車なんて存在しませんからね。裏道の外は農地。地域住民に食料を調達する役目を果たしています。現在は、そのかなりの部分が宅地化され、歴史を感じさせないお宅が建てられていますが、それでもかなりの農地が残されています。
その結果として形成されるのが、幹線道路を中心としたゾーン構造。構人や物の動き──繰り返しになりますが、当時は人力ないしは牛車──がスムースに行われる柔構造。見事です。少なくとも個人的には初めて見ました。点や線ではなく、あまり広くはないものの、「面」で対応しているのがポイントです。
ただしモータリゼーションが進む現代社会において、この構造とそこに存在する歴史的建築物等を維持できるかどうかは別。この問題をもうちょっと、野々市から考えてみたいと思います。
■5月30日(日) ニッサン・リーフに加えて、おぉ、テスラも!! ──エコ&エコのお宅──
写真は今日、外出した際に自宅のすぐ近くで撮影したもの。
この辺りにはもともと工場があったのですが、放漫経営で倒産し15年くらい前に住宅地として分譲されました。つまり概ね同じような世代の方々が家を構えていらっしゃいます。子供たちも年齢が近いのですぐに仲良くなり、地域内で一緒に遊んでいます。
その入口にあるのが、左のお宅。
田舎ですから事実上、自動車は必需品。一家に1台以上、中には数台使用していらっしゃる方も。このお宅は、新築時からトヨタ・プリウス。
初代の、あまりヒットしなかったモデルです。どうやらこのお宅の方は環境問題(エコロジー)にかなり関心をお持ちのようで、かなり長くそのプリウスに乗っていらっしゃいました。それが最近、左側のニッサン・リーフに。
ご存じと思いますが、完全な電動車両です。でも、まぁ、ここまでは理解できる。今回、そこに加わったのが写真のテスラ。ホントにびっくりしました。都市部ならともかく田舎で、ですよ。西村センセイ、間近で見た2台目のテスラです。
凄いなぁー...というのが最初の偽らざる感想。まず、センセイの場合は長距離運転なので、現時点で電動は無理。
もちろん環境問題にはとても配慮しているつもりですが、その観点からすると残念ながら、電動にすれば一気に問題解決──ないしは軽減──というわけには行きそうにないのです。
電動自動車は確かに、走行中はCO2を排出しません。でもそのエネルギー源、つまり電力を生み出す際には大量のCO2を発生させてしまいます。その手法が原子力発電であっても同様。原発は発電中はCO2をあまり発生させませんが、その建設から運転、廃炉までの間と燃料製造過程では膨大なCO2を発生。
電動自動車そのものも、原材料から廃棄までの環境負荷(LCA:Life Cycle Assesment)を考えたら、ガソリン車などと同じくらい。新しい技術を普及させる際には補助金を使うことが多い。その意義は認めるものの、補助金の原資は要するに税金。他者の犠牲の上に、自分のエコノミーを実現しているのかも。
もちろん、何も考えないよりはずっと良いことなのでしょうが。