2023年12月2日更新(2023年12月10日ページ移動)
■12月2日(土) いったい、何のためなんだろう... ──ビルの外壁一面に取り付けられたドア──
当地は今日も冷たい雨。
というわけで今日の写真は先日撮影したもの。人通りの少ない旧市街地中心部を歩いていたら、あることに気づきました。写真の建物は「市営モーリエ駐車場」。以前ご紹介した旧市街地再開発事業の一部として建設されました。
古い街並みをすべて撤去し、写真右奥に市の商工会議所や信用金庫などが入る業務棟と写真の駐車場を建設。当初、道路を挟んだ向かい側にホテルを誘致する計画だったのですが、駅前に複数のホテルが建設されたため需要が見込めなくなり断念。その後、生涯学習などを担当する「市民プラザ」が建設されました。
再開発事業を終えたものの、当地区はどんどん衰退。歩行者は少なくても、行き交う自動車が...となればまだしも、車も少ない。つまりこの駐車場を利用する人もまばら。ビルそのものは鉄骨コンクリート構造なのですが、外壁はアルミらしい。
この日初めて気づいたことが。外壁一面にドアが取り付けられているのです。銀色に輝く大きな板の部分です。すべてのドアにはドアノブも付いています。いったい、何のためなのでしょう。
もちろん、大きな機器の搬入、搬出などのために上層階にドアが設置されていることがあります。でもこの駐車場の場合、ドアの大きさは普通のお宅のものと同じサイズ。外壁の保守点検用だとしても、ご覧のように、ドアの向こうには何もない。
しかも、どう考えても、これだけの数を確保する必要があるとは思えない。誰かにこのデザインにした趣旨を教えてもらいたいのですが、柏崎市にとって、この再開発事業はいわば黒歴史。皆が黙して、何も語らないんだだろうなぁ...。
さて、トラブルがなければ明日から数日、ふだんとは違うお話をお伝えできると思います。電波が届くかどうかが気がかりですが...。
■12月1日(金) 「今朝は、今年一番の寒さだったのぉ」 ── 一部の平野部に初雪が降りました──
タイトル通り、そして見たままのお話。
今日から12月。暖かくして眠ったので起床直後は気づかなかったのですが、あちこちに置いてある温度計がとても低い数値を示しています。もしやと思って外を除くと、曇り空。雪は積もっていません。
だから寒さだけかな、と思ったのです。今日はお昼過ぎに実家へ行き、両親の食料を調達する日。でもその前に、別な用事を済ますために自動車で外出しました...あれっ?!
写真は幹線国道に合流した直後に撮影したもの。(停止時に撮影)前を行くのは当地ナンバーのレンタカー(営業車)。ご覧のように、雪が付着しています。出発時には屋根にも雪が積もっていたはずなのです。
屋根の雪は落としたけど、実害が少ない車体後部はそのままにされたようです。雪の付着状況、特に後部ガラスの雪の残り方からして、出発地はそんなに遠くない。つまり、当地に雪は積もっていないものの、割と近くの場所では数cmの積雪があるはず。
行き交う車を注意してみていると、20台に1台くらいの割合で雪を積んでいました。出直してから実家へ行くと、母親は開口一番、「今朝は、今年一番の寒さだったのぉ」。一部の建物の屋根には、うっすらと雪が積もっていたそうです。
買い物を終えて実家へ戻ると、向かいの家に住む従姉妹とばったり。彼女曰く、「そっち(=市街地)は、降った?」
帰り道に周囲の様子を確認すると、柏崎市の市街地を三方から囲むように東部から南部、西部にかけて広がる概ね標高500mクラスの山々は、斜面を含めてかなり白くなっています。昨日はここまでではなかったのです。
帰宅後に確認すると、当地の今朝の最低気温は0.8℃。新潟地方気象台は初雪を観測したと発表しました。本格的な雪のシーズンの始まりです。
さて、今年はどうなることやら。
■11月30日(木) 西村センセイ、胃の内視鏡検査を受ける ──特定検診の結果で驚いたこと──
一昨日、昨日ほどではありませんが、まだまだ強い雨と風が続く当地。
でもセンセイは9時前に徒歩で外出。高校の同級生の医院で、胃の内視鏡(「胃カメラ」)検査を受けることになっているのです。年1回の恒例行事ですが倖い、胃および食道には大きな問題はありませんでした。
医院を訪れたついでに、年内の大腸の検査も予約。検査で思い出したのが今月、市内の総合病院で受けた定期検診(「特定検診」)の結果。つまり今日の検査と以下の検診結果は、まったく別のお話。今日のタイトルとサブ・タイトルは、その点が不明瞭。
悪い見本ですね。その点はお許し頂くとして「特定検診」はほぼ、皆さんが学生時代に受けた身長、体重から始まって...というもの。教職員(退職者およびその家族を含む)の場合、検査項目に血液検査が含まれているので受診しました。
総合病院なので、血液検査結果も受診時間内に出ます。最後の問診を含めて、すべてがあっさりと終了。先日、その結果が封書で届きました。写真はその一部。ぼかしの入っている数値は基準値の範囲内に留まっている項目。範囲を逸脱した項目には「*」が付されています。
以下、個人的にびっくりしたことや予想外だったことをランキング形式で。【番外】腹囲が、僅かに基準値越え。
高校生の頃は女子生徒に「針金が夏痩せしている」と評されたセンセイですが、今ではお腹の出た、ただの老人。でも、まぁ、これは生物が大切な内臓を守るためなので、仕方ない。
ちなみに、肥満度を示す指標BMI(ボディマス指数)はまったく問題がない──むしろ、やややせ気味──です。【第3位】「収縮期血圧」が、僅かに基準値越え。
いわゆる「最高血圧」。たぶんこれは主に、測定時の問題および「白衣血圧」によるものと考えられます。測定方法の指導はなく、しかも指図したの看護師ではなく事務の女性。
不慣れな「腕を突っこむ」タイプの血圧計だったため、やや不本意な計測結果になったようです。ちなみに、その日の朝に自宅で測定した収縮期血圧の「平均」(収縮期血圧3回の移動平均の最低)は118mmHg。「白衣血圧」とは病院など慣れない場所で一時的に血圧が上昇すること。
実は今日の検査でも、最初は142mmHg。身体はストレスを感じていたのでしょう。以前の内視鏡検査でも、測定器具を装着した直後に160mmHgを記録。慌てる看護師の表情を良く覚えています。「すぐに下がりますよ」と伝え、程なく120mmHg以下に。今日も、数分で108mmHg程度に低下。
言い換えると、自宅での血圧測定結果はそれなりに合理的だということを示しています。その後は引き続き同じくらいの値だったので、まったく問題視されませんでした。
【第2位】γ-GT(γ-GPT)が基準値の範囲内!!
これはまったく想定外。「γ-GPT」は肝臓の壊され具合を示す指標。アルコールを飲用すると特に高くなります。ビール派のセンセイは20年くらい前からずっと、レッドカード状態が続いていたのです。
でも数年前から、概ねイエローカードへ移行。退職後、過度な飲酒はしていないので、レッドカードではないだろうと思って──「期待して」の方が実態に近い──いましたが...。なお、検診のために特別に禁酒、「休肝」するなどといったズルはしていません。
ホントに。【第1位】身長が約3cm縮んだ!!
栄えある第1位に輝いたのは何と、身長の変化。
実は以前から、そうなんじゃないのかなぁーと感じていたのです。20歳前後の身長は127.8cm。もちろん集団検診での測定ですから、そんなに精度は高くないのでしょうが。その後20年くらい、つまり40歳前後まではあまり変化はなかったのです。
でもその後、何だか身長が少しずつ減少しているような...。姿勢や測り方その他によりますから、今回の測定も精度には異論があろうかと思います。ただし、身長が縮む傾向にあることは認めざるをえない。実際、金沢の整形外科で「背骨の間隔が少し減少している」と指摘されたのです。
腰痛の原因は、こんなところにもあったのね。調べてみると、身長の減少は誰にでも起こる現象らしい。「40歳から約3cm」という減少幅も、実は平均的な値とのこと。知りませんでした。この歳になるとやはり、無理な力仕事などはできるだけ避けた方が良いようです。
でも、まぁ今日は、胃に大きな問題が発見されなかったことを言祝(ことほ)ぐことにしましょう。やれやれ。
■11月29日(水) 今日は終日、列車の警笛が聞こえてくる... ──強い風雨の中での保守点検作業──
結果的に、2日続けて鉄道の話題。
明け方、窓ガラスに打ちつける強い雨と風の音で目覚めました。2階にいると時々、家が揺れているのがわかるほど。外が少し明るくなってから聞こえてきたのは列車の警笛(けいてき)。手元に時計はないけれど、たぶん、大阪発札幌行きの貨物列車。
その時は、それ以上のことは感じなかったのです。朝食の最中、今度は電車の警笛音が。書斎に入ってからも同様。行き交う列車が皆、警笛を鳴らしています。他方、運行そのものは概ね順調。JR東日本のホームページで運行状況を確認すると、信越本線は「強風で遅れる可能性」とのこと。
確かに、少し遅れ気味の列車もあったのです。(特に下り列車)でも、警笛を鳴らす主たる理由は強風のためではないと思う。
というのは、確かにそれぞれの列車が同じ場所で警笛を鳴らしているものの、警報の種類が非常用のものではないからです。警笛の代表は、蒸気機関車の「ヴォーッ!!」という重い「汽笛(きてき)」。
蒸気で吹鳴(すいめい)させます。もちろん現在の列車にも非常用の空気笛が運転士の足元(当地を走行する列車の場合は右足元)にペダルが装備されています。でもそのペダルは、より軽微な電子音による警報音のスイッチも兼ねています。
駅に列車が到着する際、危険な状況にある利用客に対して発する「ファワーンッ!!」といったような音です。(音は会社によって異なる)朝から聞こえているのは、電子音ばかり。
そもそも列車の警笛というと、おそらく自動車のクラクションをイメージされるのではないかと思います。危険な状況に陥る前に、相手に警告して知らせてあげるクラクション。
確かに、広い意味では列車も同じです。でも注意しているとわかりますが列車の場合、たとえば踏切に進入しかけた自動車に対する場合など、危険な状況を回避すべく発する重い警報音はごく稀。
センセイは数回しか経験していません。大半は、あらかじめ注意を促す軽い警報。具体的には鉄道関係者に列車接近を知らせる行為なのです。最も多いのは、沿線で作業中の保線関係者への注意喚起。
線路交換など重い保線作業は夜間に実施するので、今日の場合、線路の点検などが考えられます。「でも、今日はその現場を見ることはないんだろうなぁ..」と思っていたのです。例によってお昼前に外出。風雨がまだまだ強かったため、外出先を最低限に絞ります。
踏切に迫ったところで、あ"っ...。踏切の警報が鳴り、遮断棒が降りてきました(それに合わせて外出したわけではない)。右側からE129系下り快速列車が接近してきたかと思うと、電子音の警笛。この近くで何かが起きているに違いありません。
...しかし、それらしき現場が見当たらず、どこの誰に向けてのものなのかは不明のまま。2両編成の列車は、目の前を20km/h程度の非常にゆっくりとした速度で通り過ぎます。見慣れない徐行運転の様子に、多くの人が注目していたのです。でも、遮断機が上がってしまえば、いつもの光景に...あ"っ。
踏切を通過した列車は徐々に加速したのですが、その陰から見えてきたのは踏切制御装置の蓋を閉める保守要員。通常は数名で点検するのですが、今回はお一人でした。
帰宅後もお昼過ぎまで警報音。それもあって、この踏切だけが点検などの対象だったのかはわかりません。また定期的な点検だったのか、何かイレギュラーな事態が発生して緊急に対応していたのかも不明。
しかしいずれにしても、低温かつ強い風雨──最低気温5.8℃。最大瞬間風速20.4m/s──の中での作業。風があまりに強かったため傘が壊れそうになり、畳んで強風を凌いだ時間帯もあったのです。おかげでズボンと靴はビシャビシャ。完全装備とはいえ、そのような条件下での保守点検作業です。
本当に頭が下がります。
■11月28日(火) 撤退戦は難しい... ──JR信越本線米山駅で、跨線橋の撤去工事が始まりました──
今日の北陸地方は大荒れ。
午後は天気がさらに悪化するとの予報だったため、いくつかの用を片付けるべく、午前中に外へ出た──もちろん徒歩──のですが、あまりの強風でなかなか前に進めない場面も。傘を差すと、骨が折れそう。
雨が強くなる前に主な用件を済ませ、自宅に逃げ帰りました。というわけで写真は、今日ではなく先日旧北陸本線青海駅と糸魚川(こちらやこちら)を訪れた帰りに、信越本線を走る下り列車(海側)の最後部、運転助手側の席から撮影したもの。写真左端に、上り線が見えます。
ここは信越本線「米山(よねやま)駅」。前身の北越鉄道が1897年(明治30年)、「春日新田駅」──現在の直江津駅当方、関川側右岸の春日神社付近──とここ旧「鉢崎(はっさき)駅」との間で鉄道を開業。ここは新潟県の中央部(「中越」)と西部(「上越」)との境界。(実際には、上越地区の最東端)
そのため、たとえば江戸時代には「鉢崎関所」が設けられるなど、もともと交通の要衝だったのです。松尾芭蕉も、米山駅近くにあった旅籠「たわら屋」に宿泊しています。ただしその後、交通や物流手段が鉄道や道路へ移行。鉢崎駅を含めて、この地域の役割は徐々に低下していきます。
センセイがこの「米山駅」(1961年(昭和36年)に改称)に降り立ったのは高校生の時(たぶん1年生)。全員参加の行事として地域のシンボル「米山」への登山です。
1,000名近い全校生徒がここで下車して、米山頂上を目指したのです。今から考えると、とんでもない学校だ。1986年(昭和61年)に新築された駅舎(写真左端)はとても立派。そこから跨線橋を渡り、2面3線のホームに出ます...が、お察しの通り、現在では過剰な設備。
人口流出が続いているのため、今では、柏崎市で買い物をした高齢女性を年に1、2回見かける程度。駅施設、特に跨線橋の老朽化が目立ちます。当然、JRも認識しており、2年くらい前から動きが。まず、使われているのを見たことがない中(なか)線──除草剤で茶色く変色した部分──を撤去。
どうするんだろうと思っていたら、何と、中線跡に土砂を盛り、上り線側のホームを拡大。写真中央やや右、灰色の部分です。さらに、今年に入ってから、写真中央部分で本格的な建設工事を開始。駅舎から通路を建設して、スロープでホームへ出るように変更。
最後に写真左側、駅舎と上り線の間に構内踏切を設置しました。お察しの通り、維持が大変な跨線橋を廃止し、踏切に切り替えようというのです。これで写真右端の下りホームは廃止あるいは使用停止され、島式1面2線のホームとなるはず。一見すると構内踏切は危険な印象を受けるかもしれません。
でも利用客の少ない小規模駅では合理的な形態。最寄りでは旧北陸本線市振(いちぶり)駅、あるいは北陸鉄道新西金沢駅などが、この構造。
この日は初めて、大型の重機(写真左奥)が持ち込まれ、跨線橋の撤去が始まっていました。その後は現場を訪れていませんが、次回目にする時は様子がずいぶん変わっているんだろうなぁ...。
高齢化と人口減少が続く現在、鉄道事業は、いわば「撤退戦」。ダメージを抑えて自軍の勢力をできるだけ温存しつつ、いかに本隊を撤退させるか。最も重要なのは殿(しんがり)。ここはその一つの好例でしょう。他方、これだけの工事となると、相当な額の費用がかかっているはず。
世界各地で起きている戦争や紛争の停戦あるいは休戦を含めて、撤退戦こそが難しい。このような時こそ軍人ではなく、本来の意味での政治家の出番なのです...が、今の、この国では無理かぁ。
■11月27日(月) その気にさえなれば... ──電車ではなく、路線バスで車を引き取りに行きました──
今日は点検に出した車を受け取る日。
約束の時間は11時以降。移動手段や交通状況によって多少変動するかも、と伝えてあります。あまり遅れずにディーラーに到着しさえすれば、最低限の目的を達成できるのです。でもセンセイが、隣の長岡市へ行くことは少ない。
そこでこの機会に、市内にある免許センターで運転免許を更新するつもり。更新受付の時間は指定されてますし、一定時間の更新講習を受ける必要があります。帰路、途中にある実家にも立ち寄りたい...と、用件が連続しています。しかも夕暮れが早い。つまり後半は余裕がありません。
その分、長岡へは割と余裕のある状態で移動したいところ。当初は10時前の快速列車に乗るつもりだったのです。10時半前には長岡駅に到着し、その後は先日と逆の経路で移動。倖い、細い雨が降っている──しかも間もなく止んだ──ものの風は弱い。
駅から全区間歩いたとしても、問題はありません。でも、列車より10分くらい早い時刻に、ディーラーの近くまで行く──といっても、1.8kmほど歩く必要がある──路線バス(写真)の存在に気づきました。所要時間は電車の倍以上、料金はちょっと高い。
お察しの通り、今日はバスを選択。その気になりさえすれば、「旅」というチャンスは案外どこにでも存在するのです。
駅前のバス停(写真奥は柏崎市役所庁舎)から乗車したのはセンセイを含めて3人。大丈夫かなぁ...と思いながら両替を済ませ、運転士背後の2番目に良い席に座ります。
車体の構造上、左側最前列の見晴らしの良い席は座り心地がとても悪かったためです。路線バスですから、市内のバス停に丁寧に停車。予想外だったのですが、それなりにお客さんが乗車してきます。ピーク時(後述の長岡赤十字病院からを除く)は10名。
メインは高齢女性ですが、若い男性(近距離客)も二人。中には、運転士の肩を軽くたたきながら、料金を多めに払う高齢女性も(実話)。この感覚、どこかで、しかししばしば経験したような...と思ったら、ローカル列車にそっくり。
センセイには、こちらの方が似合っているんだろうなぁ...。柏崎市内は幹線国道から離れていくつもの町内を巡っていたのですが、郊外に出ると雰囲気は一変。どんどんスピードを上げ、快速バスのような雰囲気に。
バス停はそれなりにあるのですが、乗降する乗客がほぼ皆無だったことも関係しています。曾地(そち)峠を越えて、長岡市へ。それでも最初のうちはビュンビュン走っていたのです。市街地が見えてきたので、関原地区──「火焔土器」(こちらやこちら)で有名──に入るんだろうと思ったら、見事にパス。
路線バスにしては遠距離なので、利便性と速達性のバランスを考慮しているようです。関越道長岡インター前からは先は、約6.5km(!!)の区間をノンストップ。目的地のディーラー前を通りすぎて、その先まで行きます。最後に右折して信濃川左岸の市街地へ。地域の拠点病院長岡日赤病院で多数が乗車。
そしてバス会社の本社前やセンセイが降りるバス停へ。とても時刻表通りには運行されないだろうなぁ、と覚悟していたのですが、ほぼ予定通り(少し早め)に到着。運転席を見ていて気づいたのですが、列車はもちろんのこと、金沢の北陸鉄道の路線バスなどと比べても「乗務行路表」は大雑把。
ま、いいんですけど。午後の予定が詰まっているので、お昼を簡単に済ませて、ディーラーに11時15分頃到着。車を受け取り、市内南部の免許センターへ向かいます。受付開始時刻30分前に一番乗り。早過ぎたからでしょうか、副所長以下数名に声を掛けられました。
これまでの経験だと、早めに受付を済ませればグループにまとめて、次々と手続きや講習を終えることができたのです。ただしセンセイがこれまで免許を更新していたは、金沢市など参加者が多いセンター。でも今回初めて知ったのですが、少なくともこのセンターの場合、すべての受付を済ませてから15分後に講習開始。たぶん利用客が少ないからでしょう。
教室へ移動しても、開始を待っていたのは8名でした。見込みよりは遅くなりましたが免許を更新。実家に立ち寄り、最低限の用事を済ませて、野菜をもらいます。おかげで、夕方の帰宅ラッシュが始まる前に無事、帰宅しました。
1日の歩数そのものはほぼいつも通りだったのですが、今日は特に午後、いろいろな意味でストレスが溜まり気味。だから「高いだろうなぁ...。でも、まぁ、今日は仕方ないか」と覚悟しながら血圧を測定。
確かに、最初は高かったのです。それでも血圧は程なく低下し、いつもより15〜20mmHgくらい高いものの、かろうじて正常値の範囲内に。
やはりストレス耐性が向上しているということなんだろうか。
■11月26日(日) シャボン玉を吹き出す自動車!? ──アメリカのスクールバスに出くわしました──
予定を変更して、見たままのお話。
今日は午後、恒例のお昼の外出とは別に、所用で外へ...あれっ?!
近くの市の施設に見慣れない大きな車が。それも本来の駐車場ではない場所に。小さな子供や保護者など、20人弱が車の後部を取り囲んでいます。近寄ってみると、おぉ、アメリカのスクールバス!!(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960、245kB))
アメリカのスクールバスとしては最も小型と思われます。車体側面には“CHEVY VAN”。“CHEVY”はシボレー“Chevolet”のアメリカ式愛称。アメリカ人にはフランス語の発音が苦手な人が多いために付けられたものと言われ、誰もが親しみを込めて「シェビィ」と呼んでいます。
ちなみに写真が赤味を帯びているのは、用件を終えて夕方戻った夕方に撮影したため。それはともかく車の後部に回ります。ナンバーは所沢。塗装は変更されています。どうやら、これから何かが始まるところのようです。最初は誰が進行役なのかわからない、やや混沌(こんとん)とした状況。
センセイの到着とほぼ同時に、丸みを帯びた眼鏡の男性が説明を始めました。「これから○○[聴き取れなかった]が出ますが、お約束があります。(車体の後部から30cmくらいのところを指して)この黄色い線は越えないでください」。
センセイには黄色い線は判別できなかったし、程なく子供たちに完全に無視されることになるのですが。すると車体後部(後部バンパーの中央付近)から多数のシャボン玉が出てきました。弱い風が吹いていたので、写真右側の方へ流されます。
子供たちは、もう、興奮状態。(写真は一部加工)このために外へ出たわけではないので数枚を撮影後、センセイは目的地へ向かいました。それにしても一体、何だったんだろう。
帰宅後、いろいろ調べてみました。このバスはどうやら、埼玉県にある「Muku-studio」の代表取締役が運転する“BUBBLE BUS”のようです。副題は、「シャボン玉バスで日本一周の旅」。
同社のYouyTubeチャンネルの「【スクールバスで日本一周の旅】season 0 スクールバスとの出逢い」で紹介されています。「ときめき工房・ねま〜る」のfacebook(本年9月21日)によると、9月中旬には秋田県能代市に滞在して、その後南下。10月には山形県滞在予定とのことなので、今月、新潟県に存在してもそれほど不合理ではありません。
ビデオの中に「・・・ワークショップや講習会・・・」とあるように、今日は市の施設でイベントを開かれたのでしょう。3年間かけて日本を一周されるとのこと。代表は本来の仕事に加えて大学での職務──実際は非常勤のはず──をお持ちとのこと。時間がなかったこともあり、車内の様子はわからなかったのですが、キャンピングカーとも違うような。
つまり、人間の方はしばしば埼玉県の根拠地にお戻りになるのでしょう。(その方が合理的)それはいいのですが、主が不在──むしろこちらが長いはず──の間、スクールバス“BUBBLE BUS”はどうなっているんだろう。