2023年9月16日更新(2023年9月24日ページ移動)
■9月16日(土) 【悲報】ソニー製業務用有機ELモニタが突然、大きな音を立てて昇天してしまった
今日はタイトル通りの、悲しいお話。
お伝えしたように金沢工大の仕事も終わったので、今週から書斎全体の再配置に取り組んでいます。2日がかりで機器類の配置を変更し、一昨日は金沢から持ち帰った分を含めて、CDやBDなどのソフトをざっと整理。
もっと時間がかかると思っていたのですが、半日で終了。もちろんアーチスト別に内容をチェックしつつ再分類する必要があるのですが、どう考えても数ヶ月かかるので今は無理。ソフトは収納ケースや場所と深く関係しています。実は金沢の分をほぼすべて不織布のケースに置き換えたので、容量を相当削減することができました。
(まだ整理途中ですが)ソフトの配置が決まれば、いよいよ書籍類の整理に着手できます。やれやれ...と思いながら、数日ぶりに正確な映像で動画を観ようと、写真中央のソニー製業務用有機ELモニタ“PVM-2541”の電源を投入。しかしその瞬間、モニタ左下から「バキンッ!!」という大きく、耳慣れない音が。
最初は、たまたま本か何かが倒れたのかな、と感じたのです。でもそうではありません。明らかに深刻な事態。“PVM-2541”の電源ボタンはメカニカル(機械式)。テレビのように常時通電しているタイプではありません。念のためボタンを確認するとスイッチは通電状態であるにもかかわらず、電力は供給されていません。
発煙や異臭等はなし。致命的な故障です。一般論として最も疑わしいのは電源系の電解コンデンサですが、異音の状況からして、今回は電源レギュレータICが焼損したんだと思う。
残念ながら、もはや救いようはありません。(キッパリ)“PVM-2541”は2012年、つまり11年半前に購入した国産品。蒸着型の業務用モデルなので、今現在も液晶はもちろん、その後登場した韓国製印刷型有機ELモニタの画質を完全に凌駕(りょうが)します。
何しろ、一度目にしたら絶対に戻れない。ただしその分、非常に高価で、同じ24型の液晶画面モニタのウン十倍(実話)。しかも、その後後継機はほとんど生産されなかったという、唯一無二のモデル。
おわかりいただけたでしょうか、「困った」理由を。正確に言うと、センセイは圧倒的な高画質ゆえにマイナーチェンジモデル(こちらは中国工場製)も購入したのですが、自宅での使い方に合わなかった──書斎では画面からの距離が大きい──ため、専門店に売却。
トホホ。急いで調べてみると、このシリーズは2021年度末に修理受付期限を迎えており、修理不能。まるで「ソニータイマー」──知らない人は調べてね──ですが、僅か11年前の、しかも業務用の最先鋭モデルですよぉ。
さて、どうしよう...と思いながら撮影したのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960、164KB))...「遺影」だ。
残念ながら“PVM-2541”は処分するしかない(涙)ので、今日のお昼、収納していた箱を実家から持ち帰りました。頓死(とんし)とは、こういうものなのでしょう。ショックのあまりセンセイは、夕方の血圧が昨日より16mmHg上昇。
ただし、正常値の範囲内ですが。良く考えてみれば、“PVM-2541”の超高画質を活用できた金沢での生活はすでに終焉しており、センセイは自宅での、これまでとは別な生活が始まっています。後日お伝えすることになるはずですが、書籍とCDなどのソフト類の立場も大きく変化。
それを再認識させてくれた、ということでしょうか。いずれにせよ11年間、比類なき超高画質を堪能させていただきました。
合掌。
■9月15日(金) 高齢の買い物難民はどうすれば... ──旧市街地中心部のスーパーが来月閉店に──
今朝の『新潟日報』紙を開いてびっくり。
当地旧市街地中心部にある「ピアレマート フォンジェ店」が来月29日で閉店するというのです。地下1階にお店がある写真の商業施設「フォンジェ」の運営会社が昨14日、市の委員協議会で報告したとのこと。
もちろん採算性の問題でしょう。西村センセイ実は、今日を含めて毎日のように晩酌のツマミをこのお店で買っていますが、まったく予想外でした。困った。そしてどうなるんだろう...。
この問題、センセイよりずっと困る人たちがたくさん存在するのです。そもそもこれは、「ピアレマート」が入る写真の複合商業施設「フォンジェ」の問題。ここはかつて、地域全体の中心地でとても繁盛していました。
各地の駅前商店街のイメージです。しかしどこもそうであるように、モータリゼーションを含めた生活様式の変化で、1980年代商店街は急速に衰退。人通りも激減しました。
今日の当地は真夏日にはならなかった(最高気温29.0℃)ですが、ご覧のように歩行者は皆無。これに抗(あらが)うように市と商店街が計画、実行したのが「東本町まちづくり事業」。国の特定商業集積整備法の適用も受けて「フォンジェ」は1998年に完成。
されどお察しの通り、お客は入らず、僅か3年で経営破綻し民事再生手続に。...そして見事なまでに、誰も責任を取らない。
旧日本陸軍を含めて、この国で何回も見た光景です。
白状すると、センセイ個人はさほど影響は受けないのです。自宅から同じくらいの距離、つまり問題なく徒歩で利用できる範囲内にもう一回り大きい「ピアレマート 柏崎店」があるし。いずれのお店も、お刺身が美味しい。
ただしちょっとだけですが、両店には違いが。これは「フォンジェ店」の存在理由にも関係するのですが、「ピアレマート」の中で唯一、「フォンジェ店」の総菜は、お刺身を含めて小盛りが多い。
おわかりでしょうか、旧市街地に居住する高齢者向けなのです。腰の曲がった高齢女性が、籠にたくさんの商品を入れて毎回数千円支払っています。毎日背広にネクタイ姿の男性も。彼ら彼女らにとっては命の綱。
徒歩あるいは自転車の方が多いのですが、タクシーで乗り付ける方も。他方「柏崎店」はファミリー向け。もちろんほとんどの方が自動車を利用します。車を使えない旧市街地の高齢者はどうすればいいのでしょう。
もう1店存在した「イトーヨーカドー丸大」も1998年に閉店(現在は更地およびドラッグストアに)しているし。報道によると後継店について検討中とのことですが、もともと「ピアレマート フォンジェ店」だって、それまで入っていたお店の撤退に伴い、以上のような理由で乞われて開店したもの。
後釜が、そう簡単に見つかるとは思えない。う〜ん、もしかすると後継は決まらないまま。そして旧市街地の高齢者は金沢で見かけた、そして当地でも他のスーパーによって運営されている移動スーパー「とくし丸」(写真はこの春に撮影)に頼ることになるのかも。
仮にそうだとしても、あの高齢者には厳しいだろうなぁ。そしてこの問題、明日は我が身...なのです。
■9月14日(木) 心残りなきように ──何十年ぶりに、弥彦線(吉田─東三条間)に乗車しました──
昨日に引き続き、列車のお話。ただし今度はちゃんと乗車しています。
事の起こりは朝。食事を済ませて席を立った時、背後の棚になぜかJRの乗車券が。何だろうと思って良く見たら、7月の長野行でも利用した「えちごツーデーパス」企画乗車券。開いていいる穴は、自動改札機を通したことを示しています。
状況を理解できずにいると、家人が「使ってもいいよ」とのこと。家人は前日、所用で隣の市まで往復したのですが、その際、通常の乗車券ではなく「えちごツーデーパス」を使って寄り道したそうな。パスの有効期限は2日間。鉄道ファンのセンセイのために捨てずにいたようです。
さて、どうしよう。状況をもっと早く理解してれば計画も立てられたのですが、午前中は予定していた仕事があるし、我が家では門限も決まっています。
選択の余地は、なし。限られた条件下、お昼に外出した際に柏崎駅へ。当駅始発の越後線に乗って北上します。この区間は通常、自動車で移動するので、乗車は数年ぶりだと思う。
いろいろ思い出しながら1時間ちょっと乗って鉄道の要衝、吉田駅で下車。乗ってきた列車はこのまま新潟まで行くのですが、門限に間に合いません。そこで、入線してきた折り返しの弥彦線東三条行の列車(右側)に乗り換えます。4両B編成。
左側は弥彦行の2両A編成。長さが異なるため、列車の先頭位置が少しずれています。センセイを乗せ、東三条行は間もなく発車。実はここから先は自宅から割と近くにありながら、なかなか乗車する機会がない区間。もちろん数回乗ったことはあるのです。
でも、最後に乗ったのかいつか思い出せないほど。燕駅付近の新潟交通電車線の跡地など、ところどころ見覚えのある場面を確かめつつも、全体としては見慣れない風景が連続します。新幹線との接続駅燕三条駅──お洒落なカップルが下車した──を過ぎて信濃川を越えると、弥彦線はほどなく高架に。
かつては旧三条市街地の混雑する地上を走行していました。すぐに信越本線の下り列車に乗車し、長岡駅で再度乗り換え。ここから先は乗り慣れた区間。割と混雑していたこともあり、「仕方ないなぁ」という表情で列車先頭に立ち、進行方向を見ながら柏崎駅帰着。
乗り換え時間を含めた乗車時間は、3時間ちょうど。ご存じかと思いますが、センセイは廃線を含めて全国のJR線の大半に乗車しています(JR西九州新幹線と、JR東日本の一部区間を除く)。残り区間に乗車できるかどうかはわかりませんが、乗り方が変化していることは確か。
「乗り潰す」──鉄道ファンの用語──ではなくなっています。敢えて言葉にするなら、今回のように「心残りなきよう」、でしょうか。
■9月13日(水) まだ猛暑日だというのに一瞬、ヒヤッ! ──厳冬に向けた準備が始まっていました──
予定を変更して、センセイが今日見たものを。
午前中は調べもの、午後はAV機器再配置の続きと、今日はずっと書斎に。でも、お昼だけは外へ。ちなみに不足していた資材が届いたため、AV機器の再配置作業を完了しました。現在のところMacを含めたシステムに問題は発見されていません。
当地は、今日も真夏日。駅裏を歩いていると、遠くから不連続音が。最初は気のせいかと思ったのですが、金属製の大きなものにスパナか何かを叩きつけているような音。
明らかに人為的な音です。近づいてみると、おぉ、音源は「幸町公園」脇に停車したままの“ENR-1000投排雪保守用車”付近から。車両は本来もっと濃い青色なのですが、経年劣化で白っぽくなっています。
最初は音だけで、人の姿は見えなかったのです。でもしばらくすると写真右側の除雪用ウィング内から、続いて左側の運転席から作業員の方が。音は右側からで、可動部分のメンテナンス中のようでした。
“ENR-1000”の除雪用ウィングは実に複雑な構造で、目的に応じて多様に変化します。保守車両専門サイト“Maintenance Car Data Base”の同車種のページに、詳細な説明とともにモード変換の動画が複数掲載されているので、ぜひご覧下さい。
この多機能さと引き替えに、メンテナンスは大変なはず。決して“ENR-1000”に何か問題があるという意味ではないのですが、降雪期に備えて除雪機械の点検整備を開始したようです。二人で声を掛け合って作業していたのですが途中、左の方が1,000馬力のエンジンを操作する場面が。
無事、一発で起動。他の仕事を含めてなのですが、かように渋い仕事によって、この社会がまるで何事もなかったのように、きちんと動いているんですねぇ。除雪車両を目撃したからといって、決して涼しくなったわけではありません。
それでも就寝時、窓の外では秋の虫の大合唱。そして今日、その先に控えた季節の存在を強く想起させられたのでした。
■9月12日(火) ふと感じる、血の繋がり(2) ──祖父の「繪ばなし 兵隊さんのラッパ」──
2週間前の続きですが、ある意味、昨日のお話とも関係しています。
その中で言及した実家洋間にある、センセイのオーディオラックに一時待避させた機器、そして父親のオーディオセットの上に置いてあった箱を開けたのが写真。
蓄音機(SPレコード)です。物心ついた時から2階の物置に放置されていたので、その存在は認識しており、時々遊んでいました。左下が正面で、まず左側(=写真奥)のボタンを外して蓋を開けます。
左奥(写真奥)のラッチで蓋を固定。先端に針と振動板が付いたアームは、途中で180°回転できるようになっており、使わない時はアーム全体を奥(写真右奥)のくぼみに収納。
アームの収納部分に金属製の“L”字型のものが見えますが、これはクランク。本体右側(写真手前、針の下)の穴に差し込んで、ゼンマイを撒きます。ターンテーブルにレコードを置くのですが、センセイは子供のころからこの1枚しか見たことがなかった。
というか常に、2枚目の写真の「繪ばなし 兵隊さんのラッパ」がターンテーブルの上に置かれたまま。本体左手前(写真左)にあるのがブレーキ。これを解除するとターンテーブルが回転し始めます。右側(写真手前)にある時計の振り子のようなものは、速度調整。
その下(角の部分)の一部は回転式の収納庫になっており、交換用の針が。子供のころから蓄音機の遊びを勧められていたわけではないし、禁じられていたわけでもありません。レコードの表裏をひっくり返しながら、「繪ばなし 兵隊さんのラッパ」を聴いていました。
内容は簡単明快。軍隊の(士官ではなく)一兵卒の視点で、起床ラッパから始まり「トーコートッテ(床を取って)、ションベンシテネロー(寝ろ)。ハーヤクネーロ、ショウトウ(消灯)ラッパダゾー」で終わる兵舎の1日を描いています。
子供の時は、もちろんその直接の内容はわかるものの、その意味合いまでは考えることはできませんでした。成長するにつれ、この蓄音機がどうやら、1946年(昭和21年)に肺炎で逝去した祖父と深く関係しているらしいことを認識し始めます。
庄屋の末裔ではあるものの、実際には貧しい農家だったはず。(農家だけでなく、全国のたいていの家庭がそうだった)それなのになぜ、当時としてはハイカラかつ、ある程度高価だった──以上、いずれも推測──蓄音機を所有していたのだろう...。普通ならばたぶん、この件は疑問のままで終わったんだろうと思います。
ところがこの夏、センセイがまったく知らなかったもの存在が発覚。
これって...。(続く)
■9月11日(月) 半日で体重が1kg減ってしまった... ──書斎のAV機器を全面的に再配置しました──
というわけで昨日の続きを。いやぁ、大変でした。
お伝えしたように一昨日の午前中は、電源系の再配置。休憩なしで午後の前半はMacおよびプリンタ、そして一部AV機器の通信系の整備。で、ここから先が本番。書斎のAVシステム内機器類の再配置です。
金沢撤収後は、ラック内の隙間に機器を詰め込んだ状態だったのです。(引っ越し直前の様子)一部のBDレコーダには排熱の問題が生じたほど。超薄型なので、環境によっては熱的に余裕がなくなるのです。
もしかすると「再配置」という文字から、単なる入替をイメージされるかもしれません。そう言われればお終いなのですが、実際には重い機器を取り出して本体と棚を清掃し、機器に応じて棚の高さを変える必要が。
一番大変なのが、接続する配線の変更。電源などに加えて、BD/DVDレコーダ類には、信号の減衰を配慮しなければならないアンテナ配線も。同様に、長すぎると動作が不安定になるHDMIやUSBも存在しています。
それでも現在はデジタル機器にかなり置換されたので、配線は概ね2/3くらいに減っているのですが。実は、体力とともに知力を酷使する作業。
エアコン設定を通常の29℃から23℃までギンギンに下げて、午後1時ころから作業開始。湿度が低いので汗をたくさんかくような場面はありませんでしたが、感覚的には「暑い」。
1日での作業は無謀だったかなぁ、と、一時はかなり厳しい状況に陥ったのですが、それでも3時間ほどかけて作業に一区切りつけることが。金沢から持ち帰ったため機器が増えており、一部の資材が不足してしまいました。また点検の結果、古い機器の一部には故障が判明し、廃棄処分。
昨夕の時点での機器類配置状況が右の写真。今回は拡大写真(別ウィンドウ、1280×960)付です。知っている人が見れば仰け反るであろう機器も含まれていますが、若い方にはたぶん、何が何だかわからないと思います。ま、いいんですけど。
ちなみに、業務用の機器が4台含まれています。これらの機器によって可能になるのは、まずピュア・オーディオのLP/EPレコードの高品位再生と録音(SPを除く)、FM放送の高品位受信と録音──ただしちゃんとした音楽番組はごく少ない──とAM放送の受信、録音。
38.1cm/sおよび19.05cm/sの2Trおよび4Trオープンリールテープの再生とカセットテープの再生。(録音はもう難しいかも)あ"、忘れてました。βカセットテープを利用したPCM録音(16/14bit)の再生とサンプリング周波数変換(デジタル音声共通)が可能です。
すみません、もう一つ忘れていました。CDも当然、再生可能です。AV系は多すぎるので、概ねフォーマットの古い順に。まずβおよび(S-)VHSカセットテープの再生とデジタル化。8mmデッキは実家に待避させたので写真に入っていません。
でも実は、ラックの下部に小型のデッキが収納されているので録画再生とデジタル化が可能。次いでDVおよびDVCAM(ラージサイズ・カセット対応)の再生および、iLINKおよびHDMIによるデジタル信号のままでの出力と録画。DVDおよびBDの再生録画と、HDMIでのダビング。
多数のHDMI出力をコントロールしているのが、2枚目の写真のセレクタ。(上の棚にあるのはSTAXのイヤースピーカー)セレクタはいずれも韓国製の4IN-2OUT。下は書斎で、そして上は金沢で使っていた物で、2台をカスケード接続することで、7台までの機器をコントロールできます。
OUTの1系統はHDMIレコーダの入力に繋がっているので、間違えるとループを形成してしまいます。この他に、先日実家に持ち帰った予備機器が存在するので、しばらくは古いテープの再生、デジタル化が可能だろうと思います。
ふぅ、疲れた。
お昼に帰宅した時と夕方に体重を測定したのですが、何と、1kgもの差が。もちろん体内の水分が汗として発散されたのでしょう。「これだけ働いたのだから...」と内心期待しながら夕方血圧を測定すると、「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は120mmHg。
一昨日の135mmHgほどではないものの、やはり身体は戦闘モードから抜けていなかったらしい。心身ともに疲れていた分、昨晩は比較的良い眠り。で、今朝の「平均」は110mmHg。所用でちょっと変則的に外出したもの、暑い中を1時間半ほど歩いて帰宅した時の「平均」血圧は101mmHg。
個別最低記録は97mmHgが2回。
■9月10日(日) まず取り組むべきは、基礎工事 ──自宅書斎の電源系を27年ぶりに整理しました──
お気づきかと思いますが、昨日から自宅書斎の再整備に取りかかりました。
センセイが当地に住まいを構えたのは27年前。その際、柱や窓の位置はもちろん電源コンセントの位置まで、間取りは「一軒落着」というMacのソフトで作業。それ以降の設計と工事は、宮大工の親戚の工務店にお願いしました。
というか、親戚なので選択の余地なし。工務店での調整では、電話回線をお借りしてMacに接続し、Faxモデムを使って変更後の図面をお店のFaxに出力。高齢の奥様が目を丸くしていらっしゃいました。特に、このサイトの表紙に一部が写っている2階書斎はかなり凝った造り。
窓のある南側以外の3面には、造りつけの書棚。東側(写真)の書棚の一部は机と高さを揃えて、作業机兼スキャナなどの置き場に。また2枚目の写真にあるように、棚の一部に大きな穴を開けていただき、目立たずに配線できるようにしています。
1枚目の写真左側にはAV機器を収めたラックが。その出力は床下の配管(!!)を通って西側の有機ELモニタおよびスピーカーに繋がっています。ただしさすがに、それから四半世紀以上が経過。
センセイは機器や機械を丁寧に使う方だと思いますが、それでも順次更新せざるを得ません。また入居時は128KBと超高速だったISDN回線もその後、光回線に。機器間のネットワークもApple独自の“AppleTalk”から“EtherNet”(Windowsネットワーク)へ。
目立つMacやAV機器はともかく、それを下支えする電源系や通信系が屋上屋を重ねた構造になっていました。もちろん自覚していたのですが、途中から金沢工大に移籍して自宅「滞在」する時間が限られていたため、どうしてもその場しのぎの対応になっていたのです。
退職に伴って機器の一部を持ち帰ったこともあり、さすがに抜本的に対応せざるを得なくなりました。まず取り組むべきは、基礎工事。
ただしその前提として、物事には見通しあるいはそのさらに先に存在するはずの「あるべき姿」をきちんと描くことが必要。先日の「彼」には見事に、それが欠落していました。
そして、まず間違いなく、「彼」がそれを認識する日は来ない...。ま、いいんですけど。
やっとあるべきイメージが見えてきたし、なぜか昨日は活力もあったので、昨日の朝から作業開始。まず机を、10本くらいの配線が這う左上を支点にとして90°回転させます。その下に収められた通信機器類や電力・通信系の配線を取り出したのが1枚目の写真。
これでもかなり整理した後です。正直なところ、一部配線については自分でも理解できないものがあったほど。後から調べたところ、外し忘れた“AppleTalk”の一部でした。
トホホ。2時間ちょうど格闘した──ホントに疲れた──ところでお昼に。昨日お伝えしたように、ここで一時外出。帰宅後は休憩しようかと思ったのですが、身体の方はアドレナリン全開モード。
程なく電源系および通信系の作業をほぼ完了。詳細は明日お伝えするつもりですが、この勢い──気力(知的集中力)と体力が重要──で、かなり手間取りながらも、AVラック内の機器と配線を一気に整理。機器の一部は2枚目の写真の電源系と繋がっています。
やれやれ、これで一区切り。各機器を配置を元に戻す前に撮影したのが2枚目の写真。
左側にだらしなく垂れているのは、下部の“Power Macintosh 8500(G3)”の上に設置される3台の“Mac mini”(1枚目の写真)とAV機器を接続する3本のケーブルを撮影のため一時的に外しているもの。
ご注目いただきたいのは中央部分。左端の電源タップの前面に、システム全体のON/OFFをコントロールするスイッチがあり、右隣のタップとともに、ここから必要な機器に電力が供給されています。その右隣は電話や照明など非連動系。
ゴチャゴチャして見える配線から発熱などの危険性をイメージされるかもしれませんが、安全性には十分配慮しています。今まではこの棚の下にも配線や機器が存在したのですが、それらはすべて排除。必要ならば今後、収納スペースとして利用することも可能です。
部分的には時々拭き掃除をしていたのですが、この区画全体を整理したのは初めて。確かに27年分の埃がうっすらと溜まっていましたが、油分があるわけでもないので、一拭きすれば、ほぼ新築当時の状況に。
ちょっとびっくりしました。これで連動/非連動電源系およびネットワークのハブにもまだ余裕が生まれました。これで当分の間、機器の入替等にも問題なく対応できるはず。
でも、果たして「次」の大規模更新をできる日は来るんだろうか...。