2023年11月18日更新(2023年11月26日ページ移動)

──2023年11月第3週のニュース──

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11月18日(土) う〜ん、ちょっと厳しいかも ──糸魚川ジオステーション ジオパルを訪れました──

 少し間が空いてしまいましたが、日曜日の青海(おうみ)・糸魚川(いといがわ)ツアーのお話を。

 2016年の大火に遭った地域は駅の北側、つまり日本海に面した側。復興の様子をこの目で確かめて駅に戻ったのですが、お伝えしたように、もう少しだけ時間があります。そこで反対側、つまり南側へ回ります。
 こちら側を降りるのは初めて。

 北陸新幹線の開業に伴い、JR西日本駅舎の下に開設された「糸魚川ジオステーション ジオパル」を訪れてみることにしました。鉄道関係の資料が展示されているはずなのです。階段で1階に下りると、おぉ、目の前には見慣れぬ蒸気機関車。
 これはまったく想定外。

 ずいぶん小さい──国鉄の蒸気機関車は、間近で見ると巨大──ので、最初は模型かと思ったほど。でも、それにしてはとてもリアル。設置された説明を読みます。
 それによると、この蒸気機関車は糸魚川駅と近くにあった活性白土(粘土のようなもの)工場とを結んでいた引き込み線で稼働していた機関車とのこと。

 車体が小さいのは、狭軌の国鉄よりさらに狭い軌間だったため。つまり国鉄線への直接の乗り入れはできず、積み荷の載せ替えが必要になります。
 活性白土工場への引き込み線の存在そのものは知っていたのです。

 ただし説明板に描かれた旧工場は、糸魚川駅のすぐ近く(北西方向)。現在も、姫川を挟んだ西側に工場があるため、センセイはそこへの引き込み線だと思い込んでいました。
 説明によると、1982年(昭和57年)まで用いられた、産業用としては国内最後の機関車とのこと。

 僅か約40年前まで、蒸気機関車が現役で活躍していたんですねぇ。

 機関車の右側から館内に入ります。エントランスはフォッサマグナなど糸魚川の地質の特徴を生かした子供用のコーナー。若い夫婦と幼児が遊んでいました。左へ曲がると展示、休憩コーナー。
 写真は南から北方向を見ています。

 左側から、JR西日本時代に大糸線を走っていたキハ52-156気動車。個人的には何回か乗車したことがある実物で、靴のまま車内を見学することができます。
 静態保存なので自分で走行することはできません。

 ただし線路そのものは左手前の延長上、建物の外まで延びています。ちなみにその部分の外壁に用いられてる煉瓦は、かつてここに存在した煉瓦造りの車庫のものを再利用。(車庫は2010年に解体(こちらこちら))
 イベントの際には「アント」という機械を使用して、建物の外まで引き出されます。

 写真奥のガラスの向こうは、旧北陸本線。ホームからガラス越しに、このキハ52を見ることができます。(新幹線からは不可)

 右隣には、おぉ、札幌と大阪を結んでいた夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」...なわけありませんよね。お気づきと思いますが、これはレプリカ。
 靴を脱いで、最上級のSA2個室と食堂車──センセイの記録と細部に相違がある──の様子を見学することができます。

 センセイは計8回「トワイライトエクスプレス」に乗車(5回はSA1個室)しているし、何より時間がありません。さらに左隣には鉄道のジオラマがあるのですが、いずれもパスして駅に戻ります。
 ホームにはすでに、列車の到着を待つ乗客が。

 蒸気機関車には驚かされたけど正直なところ、鉄道資料としてはどうなんだろう。「トワイライトエクスプレス」は糸魚川を通過──よく覚えている──していたし。展示室の利用客も、センセイが入室した時点で4名。
 ただし1名は入れ替わるように退室し、残る3名も、ここを居心地のいい待合室として利用しているだけ。

 う〜ん、鉄道資料保存の観点からするとと、ちょっと厳しいかも。 



11月17日(金) 銀行で、何と、口座の新規開設を断られてしまった ──センセイのヘビーな1日──

 今朝は早起き。

 昨日に続いて実家へ赴き、まず母親を始業前の病院へ送り届けます。以前は路線バスを利用していたのですが、もともと過疎化と高齢化の進行で乗客が減少していたところにコロナ禍。まるで空気だけを運んでいるような状態に陥り、昨春、バスは廃止。
 本来ならば、タクシーを...というところ。

 ところが、当地には世界最大の原子力発電所「東京電力柏崎刈羽(かりわ)原子力発電所」があり、観光バスもタクシー──たぶん幹部職員用──も総出。よほどの幸運がない限り、予約を断られます。(実話)
 というわけでセンセイの出番...となるのですが、まぁ、そのために退職したようなもの。

 だから不満はないのですが、道路は往復ともに大混雑。かなり気を使うので、センセイはかなり消耗気味。帰宅して1時間ほどしたところで母親から電話が。診察を終えたのです。スーパーで1週間分の食材を購入してから、実家に送り届けます。
 朝より車は少ないので、気分は楽。

 ただし今度は、父親からの依頼に応える必要が。

 2ヶ月くらい前から、良くわからない頼み事が寄せられていたのです(たぶん当時は、父親自身が理解できていなかった)。最初は、居間のテレビを使って遠くの誰かと囲碁をしたい...というような内容だったのです。
 背景を調べると「(この地域の)同級生は(みんな亡くなってしまい)俺だけになった」とのこと。

 まぁ、そうかも。ただし彼はここで、女性陣をカウントしていないと思う。

 その結果、「話し相手もいなくなったので...」。確かに、高齢者からしばしば聴く話。この状況で、近くの老人は遠隔で楽しそうに囲碁を...。要するに、年下の彼が羨ましかったのね。

 1ヶ月くらいしてから、その方の息子さん(地元大学の職員)がセッティングして、インターネットを使ったゲームを楽しんでいるらしいということが判明。ただし現在、実家には高速インターネット回線がありません。
 大学生だった甥が寄宿していた時は光回線を使っていたのですが、現在、機器は撤去済。

 次善策としてゲーム機(“Switch”)も検討したのです。具体的な費用まで考えて概算を伝えると今度は、「ちょっと買うのは待ってほしい」。...オイオイ。

 囲碁への興味がなくなった──そもそも興味関心があるなんて知らなかった──のかと思ったらそうではなく、「いろいろ考えたら、観るだけでいい」とのこと。
 う〜ん、ま、いっかー。

 改めて調べたところ「スカパー!」の「囲碁・将棋チャンネル」を契約するのが適切らしいとわかってきました。そこで、今日の2回目はMacBook Proを持参。
 iPhone SE(2nd)のテザリングを使って、実家から契約手続き開始。

 途中までは順調だったのですが、最後の経費引き落としで問題発生。田舎なので両親は資金をすべて農協(JA)に集約させています。今後を考えてでしょう。
 それ自体は賢明な判断だと思います。

 ところが金融機関のリストに農協が載っていない(実話)。つまり、ここでゲームセット。息子としては、これを口実に契約を断念してほしかったのです。
 でも、センセイがパソコンをカタカタ操作し、作業を進める様子を見たからでしょう、父親は興奮気味。

 どうしても「スカパー!」を見たい!!

 まるで子供の反応ですが、ここは父親の意向を尊重します。相談の結果、銀行か郵便局(ゆうびん貯金)で新規に口座を開設することに。向かったのは地元の地方銀行。窓口で事情を説明すると、明らかに訝(いぶか)しんでいます。
 最初に確認されたのは父親の年齢。

 センセイが本当に息子なのかどうかの確認を含めて、「高齢者には口座を開設させたくない」という意志が読み取れます。実は、金融機関としては当然の行為。各種振り込め詐欺やマネーロンダリングなどに使用されることを懸念しているのでしょう。
 対応は実にソフトかつ丁寧なのですが。

 事情をさらに詳しく説明すると、本店に連絡してくださりました。30分くらい待ってから呼び出されました。本店から「スカパー!」に確認したところ、結果は農協でも対応できるとのこと。(深謝、深謝)
 ただし今回のようにWebからでは手続きできず、電話での手続きが必要。

 口座開設の必要はなくなりました。

 丁寧にお礼を言って、杖を使ってボトボト歩く父を車に乗せ、実家へ。準備して「スカパー!」に電話を掛けたのですが、ここでも繰り返し身元確認を求められました。特に、完全に同居していないことが問題だったようです。
 それでも30分ほどで手続き完了。

 しばらく待てば放送電波の隙間を通じて情報が実家のテレビに伝送され、待望の「囲碁・将棋チャンネル」を視聴できるようになるはず。ただしこちらはすでにヘロヘロ状態なので、放送受信を確認せずに帰宅します。
 どうせ近日中に、また来るし。

 というわけで、センセイの1日は事実上、お昼過ぎに終了。今日は緊張とストレスを長時間強いられました。運転ばかりだったので運動もしていません。だから血圧は高いだろうなーと覚悟しながら血圧を測定します。
 実際、最初はかなり高かった。
(最高148mmHg)

 ただしその後、血圧は低下し、日中の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)は125mmHg(最低は120mmHg)。この血圧を高い──特に個別記録──と見るか、センセイはストレス耐性があると解釈するかは、微妙。
 ご参考までに、全体のグラフはこちらから。
(別ウィンドウ、1224×876。今回から横軸の目盛りは3ヶ月おき)

 というわけで、今日は約1ヶ月ぶりに、ストレスフルな日の血圧のお話だったのでした。  

 ...疲れすぎて、眠れない。



11月16日(木) 「これで、いつでも冬が迎えられる」だそうです ──実家の冬囲いをしました──

 もう1日だけ、季節の話題を。

 昨日、ふだんとは違う時間帯に母親から電話が。何だろうと思ったら、今日と明日(つまり昨日と今日)は天気が良さそうなので、冬囲い(雪囲い)をしてほしいとのこと。たしかに、「近日中に...」と頼まれていたのです。
 白状すると、頭からすっぽり抜け落ちていたけれど。

 雪が降り始めるまでに終わらせなければならない仕事。予定を調整した結果、今日の午前中に行うことに。天気予報によると朝晩は寒い(最低気温4.4℃)ものの、日中の気温は高くなることが見込まれています。(最高気温18.3℃)
 そこで自転車で移動することに。自転車は今年最後かもしれないし。

 気温が上昇する帰路のことを考え、コート類を着ずに出発。当然、往路は寒い。特に風を受ける腹部は寒さを強く覚えます。他方、それ以外の部位はだんだん暖かくなってきて、汗ばむほど。
 信号を遵守して43分で到着しました。平均速度は17.9km/h。

 センセイの金沢工大移籍以降、冬囲いは主に、すぐ下の弟が担当。お伝えしたように一昨年、約20年ぶりに二人(+両親)で作業したのですが、その時は忘れていることばかり。
 今日も最初は、何が何やら。

 でも昔はさんざんやった仕事だったので徐々に勝手を思い出しました。母親も畑から帰り、軽い板などを運んでくれました。で、93歳の父親はというと、彼は総指揮官。
 庭石の上に座って、あれこれと指図
(さしず)

 家の南側を中心に風が当たる西側、そして雪が積もりやすい北側に、柱を立てて──ホントに、重かった──囲いの板を渡します。
 弟が言った通り、2時間弱で作業終了。
(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))

 母親は嬉しそうに「これで、いつでも冬が迎えられるのぉ」。

 お気づきかと思いますが写真左奥など、囲い板が一部しか渡されていない場所があります。これは室内の日照の関係。しばらくこの状態にしておき、積雪量に応じて順次、囲いの板を足します。
 積雪が多い時は、こんな感じに。

 あれこれを片付け、手を洗ってから居間へ。今後の日程を調整し、母親が育てた野菜をもらって帰ります。どうやら彼女は、センセイが自動車で来ると思っていたらしく、大量の野菜が準備されていました。
 ま、いいんですけど。

 正午過ぎに無事、帰宅。自転車での往復を含めて重労働だったので、お昼を頂いたらバタンキューだろうと思ったのです。

 でも、ちっとも眠くなりません。どうやら疲れすぎているらしい。運動した日は低くなる日中血圧の「平均」(「収縮期血圧」の3回移動平均の最低)も、今日はやや高めの120mmHg。もちろん正常値の範囲内。
 問題はありません。

 でも昨日の日中の「平均」は101mmHg、今朝も個別最低値が99mmHgと、このところ非常に低い値が続いていたのです。

 運動量(あるいは労働)と血圧の関係は、良くわからないことが多い...。



11月15日(水) 紅葉は遅めなのに... ──このところの寒さで、地元のシンボル米山が初冠雪──

 予定を変更して、タイトル通りの季節の話題を。

 朝、いつものように地元地域紙『柏崎日報』を読み始めたところ、ごく短い記事に目が止まりました。地元のシンボル「(よね)(993m)に初雪が降ったというのです。
 記事は昨日付。

 昨日は天気が悪かった。少なくともセンセイが見た限りで、山頂はずっと雲の中だったのです。慌てて書斎の窓を開け、望遠レンズで撮影したのが写真。(拡大写真(別ウィンドウ、1280×960))
 ...確かに。

 この夏の異常な暑さで、生物はいまだに乱調気味。

 植物に詳しい母親によると、野菜の生長もおかしいそうな。紅葉が有名な当地の「松雲(しょううん)山荘」も、色づきは明らかに去年より遅い。
 他方、北の国から早めの初雪の便りが。

 米山の初冠雪も、いつもより早いと思う。まぁセンセイは去年まで当地にあまりいなかったので、確実なことは言えませんが...。ずっと晴れていたので、日中の気温はかなり上昇。
 当地の最高気温は15.3℃。

 センセイは例年通り、来週末つまり11月末に冬用タイヤへの交換を依頼していますが、う〜ん、降雪に間に合うんだろうか。ちょっと心配になってきました。

 まるで、夏と冬しかない土地になってしまったかのようなので。



11月14日(火) 辛うじて耐え凌んだビルが、真っ白に... ──糸魚川市駅北大火現場、その後──

 一昨日の続き。

 週末に青海(おうみ)を訪れたのには、もう一つ理由が。自宅を基準とした場合、青海の一つ手前になる糸魚川(いといがわ)で降りてみたいと思ったからです。糸魚川は新潟県の西端。(合併前は旧青海町が西端)
 糸魚川には知り合いおよび縁者が少数いらっしゃるだけ。

 個人的にはそれほどご縁があるわけではありませんが、この春までは電車か車でほぼ毎週、必ず通過。大雪の際、列車が糸魚川駅で運転打ち切りとなり、ここから金沢に戻ったことも。ただし駅を降りて市街地へ出ることは少ない。
 たぶん10回程度しかしかないはず。

 でもセンセイには、どうしてもこの目で確かめたかったことが。2016年の年末に発生した大火糸魚川市駅北大火)のその後の様子です。

 駅近くのラーメン店──現在は更地。北陸新幹線からも視認できる──から出火し、炎は折からの強風により北側の地域に急速に拡大。犠牲者が出なかったのが信じられないほど。
 多くの家屋や造り酒屋、有名な料亭などが焼失しました。

 もちろん新幹線の車窓から、あるいは現場のすぐ脇を通る国道8号線──火災発生時は通行止めになった──から復興の様子は見ていたのです。
 でもやはり自分の足で歩き、確かめてみたい。

 というわけで糸魚川駅を下車。ほんの2、3分で火災現場跡に到着します。1枚目の写真は被害が最も深刻だった地域。間違いなく、センセイは大火前にここを歩いています。
 「雁木
(がんぎ)」と呼ばれる一種のアーケードの奥に、商店が軒を連ねていました。

 左端には印象的な白いビルが。火災に遭ったものの内部は何とか耐えて、数日後に営業を再開した旧北越銀行糸魚川支店です。
 被災直後は、復興に向けたシンボルのような存在に。

 でも現在は空きビル。何と、銀行はその後、斜向かい(撮影地点後方)にあるライバル行に吸収合併されたのです。

 ビル駐車場への通路を挟んだ右隣は、比較的早くに復興した日本酒販売店。そして写真中央から右は、大火からの復興を象徴する糸魚川市駅北広場「キターレ」。
 この日は、フォッサマグナで知られる市内根知
(ねち)地区のイベントが開催されているようでした。

 入ってみようかと思ったのですが人混みは得意ではないので、駅へ向かいます。旧北越銀行糸魚川支店の右端(写真だと左端)近くで出くわしたのが写真。
 標柱
(ひょうちゅう)です。

 ここに立てられていたもの(グーグルマップでもその存在を確認できます)。本体は木製ですが焼けて真っ黒に。打ちつけられた金属製のプレートは変色しているものの、文字は読み取り可能。
 火災の恐ろしさを実感させられます。

 駅と繋がった「ヒスイ王国館」1階にある「糸魚川観光物産センター」で、実家用のお土産を購入。列車の到着まで、もうちょっとだけ時間があります。

 さて、どうしよう。



11月13日(月) 身体も心も準備できないまま、不意に迎えた冬 ──当地にも霰が降りました──

 先週の8日(水)に立冬を迎えていますから、暦の上では既に冬。だから、こちらの方が悪いのですが...。

 今日は予定を変更して、タイトル通りのお話を。ここ2、3日、当地は朝晩はもちろんのこと、日中もとても冷え込むようになりました。つい先日まではとても暑く、今月も夏日があったほどなのに。
 心身ともに、気温の急激な変化についていけません。

 お伝えしたように昨日は上越地方へ。それなりの服装をしていたのですが、身体を予想外に冷やしてしまい、帰宅時にお腹を壊してしまったほど。
 今シーズン初めて、夜はガス暖房機を使いました。

 今日はいつものように午前と、新型コロナワクチン接種(7回目)のために夕方に徒歩で外出。待合室では気づかなかったのですが、名前を呼ばれて初めて2人前の初冬の男性が小中学校の同級生であることに気づきました。
 何と、彼はかかりつけ医とゴルフ仲間。というわけでしばらく、ミニ同窓会状態に。

 それはともかく、ワクチン接種と経過観察を終えて二人でクリニックを出ると、外は大荒れの天気。当地の冬の空です。しかも降っているのは大粒の霰(あられ)
 あっと言う間に、地面は真っ白に。

 しばらくすると雨と霙は止み、やがて西の空には部分的に青空も。接種していただいた(高校の)同級生─のクリニックは自宅の近く。
 だからそのまま帰宅すれば風雨の影響はほとんど受けないのです。

 でも今日は敢えて遠回り。時間は午前中の外出に遡ります。家を離れる前に、雨雲レーダー(ナウキャスト)で雨雲の様子をチェック。
 何とか持ちそうだったので大きな傘ではなく、折り畳み傘を選択。

 ところが程なくして天気は急変。強い風とともに雨が。もちろん傘を開いたのですが、その際、どうやら傘のスリーブカバー(ケース)を落としてしまったらしい。
 傘は家人のものを借用(しているという建前)。実際は、センセイ専用なのですが。

 というわけでワクチン接種に向かう際、午前とは逆のコースでスリーブカバーを探しました。クリニックは経路のほぼ途中。というわけで、接種後は探索再開。
 お察しの通り、発見できませんでしたが。

 雨雲レーダーの情報は何だったんだ、と、帰宅後に改めて確認すると、おぉ、当地区を主に担当する新潟レーダーは現在、更新のために運用停止中。
 一部範囲の休止は知っていたのですが...。

 精度が低下するわけだ。

 2枚目の写真は午前の外出時に撮影したもの。強い雨が止んだ後、北側の空に見えた虹です。良く見ると右側に、うっすらとですが副虹も出現しています。注目していただきたいのは虹の形状あるいは高度。
 と比較すると、虹は非常に低い位置に。

 冬なので太陽高度が低いためです。各地から冬の便りが。

 当地も、いよいよ冬本番です。



11月12日(日) 秋の県内限定週末電車ツアー最終回。今回は渋く、旧北陸本線青海駅を訪れました

 9月から始まった県内週末ツアーも最終回。

 今回も家人から企画乗車券を譲り受けたのです。今後しばらく利用する機会がなさそうなので、目的地を慎重に選択する必要があります。第一候補は糸魚川から大糸線に入り、長野県の南小谷(みなみおたり)を目指す、という案。
 平野部と対照的に大糸線沿線、県境付近の標高が高い地域は絶景が連続。

 冬に訪れると、風景が厳し過ぎて、地獄や煉獄(れんごく)はこのようなものかと思うほどです。でも今ごろは紅葉の見頃のはず。それに前回は、やや不本意な乗り方だったし。大糸線はJR西日本の路線ですから「トッピング」が必要になります。
 追加費用の多寡
(たか)は問題ではないのです。

 このところ毎週末のように電車に乗っていますが車内は、ふだんと違った雰囲気。乗客の人数が多いし客層も違うので、なかなか落ち着いて乗車することができない...。

 そこで、今回は目的地を決め打ちするのではなく、ひとまず西に向けて移動し、状況を見て対応することにしました。まず、金沢への移動に使っていた電車に乗車。先週ほどではありませんが、やはりお客さんは多い。
 直江津駅で旧北陸本線に乗り換えてから、最終的に判断することにします。

 乗り換えそのものは問題なかったのですが、旧北陸本線の乗客はふだんの1.5倍くらい。それ以上に、雰囲気がちょっと違います。服装、荷物、そして検札時の乗車券の種類などなど...。この時点で南小谷駅は断念。
 目的地を、以前から再訪したいと考えていた駅に変更します。

 それは大糸線への乗換駅、糸魚川(いといがわ)駅の一つ先、青海(おうみ)駅。金沢工大へ移籍してからほぼ毎週、列車の中から駅舎を見上げ、あるいは自動車を運転しながら横目でチラリと見た青海駅。
 その回数は2,000回──往復なので──に迫るはず。

 西村センセイ、実は50年近く前に青海駅を訪れています。大学1年生(1回目)のちょうど今ごろ、受講していた科目の先生にお誘いを受け、理学部地質鉱物学科の「巡検」に参加させていただいたのです。
 目的は、この地域に広がる石灰岩の地層と、その中に含まれる化石を観察すること。

 当時のセンセイは、あまりにも安易に考えて参加させていただいたのですが、これが実に強行軍。今日のように冷え込む初冬に、駅から6km近く歩き、民家を借りて宿泊。そのお宅の方は皆、親戚宅へ。
 今から考えると、とんでもない話だ。

 小学生用の勉強机が3台並ぶ部屋で、慣れない日本酒を飲まされて就寝したことを覚えています。2日目はさらにハード。道なき道を彷徨(さまよ)い、ヒスイ狭へ。
 再び長い距離を歩き、ヘロヘロ──実は、限界をはるかに超えていた──になって辿り着いたのが、青海駅。

 最深部で訪れた小さな集落は、集落全体が見事なまでに手入れされていました。実家の様子を知っているので、信じられなかったほど。
 ただし後から調べたところ、残念ながら廃村になったらしい。

 金沢と行き来している間には、訪れるチャンスもあったのです。でも電車も自動車も、なかなか途中下車というわけにはいきません。
 県境付近が行程の半ばになるためです。

 というわけで、ヒスイ峡と橋立地区は無理でも、せめて青海駅は...と思った次第。前振りが長くなりましたが、乗客が1/5くらいに減少した列車で無事、青海駅(無人駅)到着。
 長い階段を上ると1枚目の写真の改札口へ出ます。

 お気づきでしょうか、田舎の無人駅とは不釣り合いな改札口であることを(奥は待合室)。それもそのはず、この駅はかつて、信じられないほど多数の通勤通学客が利用。
 駅南部に「デンカ」(デンカ株式会社)の工場があるためです。

 今はバイオその他で名を馳(はせ)せているデンカですが、実は当地の石灰岩を利用した化学製品の製造はほぼ祖業(そぎょう)。ただし現在は関連するセメント事業から撤退(こちらこちら)しています。
 毎日、この改札口では足りないくらいの従業員がここを出入りしていたんですね。

 白状しますが、この改札口の記憶はありません(キッパリ。ただし駅の大きさは覚えていた)。予報通り、雨が降り始めました。駅舎を出たところで撮影したのが、2枚目の写真。
 田舎には場違いな規模をご理解いただけると思います。

 周囲を散策した後、駅舎に戻り自由通路の上から西方(金沢方面)を撮影したのが、3枚目の写真。

 右側の2本の線路は旧北陸本線。中央はJR貨物──当駅はトキ鉄とJR貨物の駅──の線路群ですが、良く見ると、旧北陸本線とは繋がっていません。
 JR貨物の青海駅は現在は、線路と繋がらない「オフレールステーション」なのです。

 写真左奥にカーブが見えますが、これがデンカ青海工場へ繋がっていた専用線。現在は使用されておらず、ご覧のようにレールは撤去されています。(ただし奥の、社内専用線は現役らしい)
 写真は省略しますが、反対側の東側(直江津方面)には、JR貨物の操車場が広がっています。

 駅東側には、デンカの別な工場および別セメント会社の専用線が旧北陸本線沿いに存在しましたが、陸新幹線の開業に伴い、一部遺構を残してレール等は撤去されています。
 センセイもよく覚えています。

 帰りの列車が迫ってきました。乗車したのは、東隣の糸魚川で買い物をするためでしょう、高齢者を含めた4名(センセイを含む)。明らかに、駅の規模と不釣り合い。
 でも、これが現実。

 当地を通過するたびに、「巡検」の現地を訪れてみたいという気持ちが沸々(ふつふつ)としてくるのです。ただし正直なところ、実現するかどうかは不明。

 その気持ちと同じくらい、(決してネガティブな意味ではないのですが)「あれは、若いからこそ経験できた」という思いもあるので。

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