2023年11月4日更新(2023年11月12日ページ移動)

──2023年10月第週〜11月第1週のニュース──

バックナンバーはこちら


11月4日(土) 「トッピング」なしの企画乗車券を使い、県境の妙高高原駅と県内某駅を訪れました

 タイトル通りのお話ですが、今日はクイズ仕立て。「某駅」はどこでしょうか、というのが問題。

 家人が昨日使った企画乗車券(2日間有効)を譲り受けたので、先週に引き続いで有効活用することにしました。当初は「トッピング」を購入して他県を訪問するつもりだったのです。でも、世の中は3連休。
 今日は相当な人出が予想されます。

 そこで発想を転換して、ご無沙汰してる駅あるいは下車していない駅を訪れることに。その一つ(二番目の目的地)が写真の旧信越本線妙高高原駅。県境の駅です。目の前を流れる関川の対岸は長野県。
 高校時代は学年あるいはクラス、部活動で、しばしばこの駅に降り立ちました。

 駅前からバスに乗り、妙高高原でキャンプやスキー教室などへ向かうためです。今から考えると、のどかな時代、そして大らかな高校だったんだなぁ...。

 高校2年の時だったと思うのですが、学年(315名)の行事で当駅を訪れたことがあります。盛り上がったのは良いのですが、帰りの乗車時にトラブル発生。他クラスの男子生徒が駅の立ち食い蕎麦を食べ始めたところに電車が到着。
 ドアの締め切りに間に合わず、発車しかけた列車に窓から乗り込もうとして緊急停止。実話です。

 ここは関東と北陸を結ぶ重要な拠点。

 上越および北陸(長野)新幹線開通前は、特急を含めた多数の列車が行き来し、駅前には観光客を妙高高原へ送る多数のバスが待機していました。
 駅前の売店や飲食店も繁盛。

 新幹線の開通、JRの発足後そして第三セクターへの移管と、大きな転機を経ていますが、それでも新潟と長野県北部地域を結ぶ役目を果たしています。
 その後も時々──実は今夏も──ここを走る旧信越本線には乗車。

 でも、妙高高原駅では駅舎の外には出ていません。(乗り換えのため、駅のホームには降りた)

 そこで今日は、いつも通りに起床して、前期(「前学期」)金沢への移動に利用していた9時前の各駅停車に乗車。いつもはガラガラなのですが、何と、ふだんの数倍の乗車率。
 夫婦あるいは家族連れの行楽客が目立ちます。

 終点の直江津駅で、いつもの旧北陸本線各駅停車に乗り換えた──大ヒント──のですが、こちらも通常の倍くらいのお客さん。最初の目的地を無事に訪れてから直江津駅に戻ります。
 食料を調達し、旧信越本線の列車に乗車。こちらもお客さんが多い。

 旧直江津市や旧高田市などは近郊区間という感じ。でも新井駅(妙高市)を発車した途端、山岳路線に変身。ややマイルドで、トンネル区間はありませんが、勾配は急。蒸気機関車の時代は大変だっただろうと思います。
 途中駅での時間調整を除けば、約50分で終点の妙高高原駅に到着。

 最後まで乗車した乗客は約40名。その大半は長野行の電車に乗り換えます。

 約半世紀ぶりの駅と駅前はというと...やはり大きく変化。まぁ、当然なのですが。駅舎やホームは基本的に以前と同じはず。ただし例の立ち食い蕎麦店なぞ存在するはずもなし。駅を出ると、向かいにずらっと並んでいたお店は、土産店1軒のみ。
 両親用に、長野産野沢菜の漬け物を購入します。

 他に存在するのは、過度に瀟洒(しょうしゃ)な観光案内所と飲食店1軒のみ。

 お昼を済ませているので駅に戻り、折り返しの電車に乗車します。高校生の時だったからかもしれませんが、当時の記憶はかなり正確でした。電車は山岳路線から近郊線に変身し、直江津駅で乗り換え。
 雨の柏崎へ戻りました。

 ...もうバレバレですよね、「某駅」。

 不連続になるかもしれませんが、近日中に必ずご紹介させていただきたいと思います。それだけの価値がある駅です。



11月3日(金:祝日) 不用意に開けたら、怖いだろうなぁ... ──近所で出くわした2階建てのお宅──

 今日は文化の日。

 「晴れの特異日」として知られています。ご覧のように、当地も今年は雲一つない青空が広がりました。気温も上昇し、11月だというのに最高気温は26.4℃。外へ出る時はまだ寒かったのです。
 でも歩いていると暑くなってきたため、カーディガンを脱ぎました。

 火曜日に引き続き、お昼に実家へ赴いて両親の安否確認と食料調達。母親が、つい先日までお元気だった近所の方が今朝亡くなられたと、やや興奮気味に話します。
 彼女が設計した庭の砂利洗浄の件を伝えようかと思っていたのですが、今日は控えます。

 初物の白菜──とても美味しかった──など、母親が育てた野菜をもらって帰宅。所用で近所の、ただしふだん通らない場所で出くわしたのが写真のお宅。
 一見すると普通の建物。

 お気づきだと思いますが、以前ご紹介した建物同様、2階のドアの外側に階段その他の構造物がありません。つまり不用意にドアを開けて、一歩を踏み出したら...。
 工場などでは、このような構造が良く見られます。

 外から新しい機材をその階に収める場合などを想定してです。でもこのお宅の場合、ちょっと考えにくい。写真右側は別な所有者のもののようです。
 改めて良く見ると、衛星放送の受信アンテナはあるものの、住宅っぽくありません。

 そこで表側(写真中央奥)へ回ってみると、色褪せた畳店の看板と表札をかろうじて読み取ることができました。どうやら、空き家らしい。店舗として用いられていたようですが、工場としては狭いと思う。
 相当前──目安としては新潟県中越沖地震くらい──からこの状態のままのようです。

 現時点でこれ以上、お伝えできる情報はありません。詳細がわからず、また今後どうなるかも不明ですが、ここにご家族や従業員、顧客を含めた取引先等の繋がり、つまり人々の営みがあったことは確実。
 どこかのタイミングで、時間が容赦なくその痕跡を押し流して、すべてを曖昧にしていきます。

 見事なまでに澄み切り、そして心の逃げ場を許さないかのような今日の空とは対照的に。



11月2日(木) 地震と植物にはかなわない... ──庭の砂利洗浄作業が最終段階に入っています──

 写真は先日撮影したもの。

 先月中旬から開始した砂利洗浄作業の、その後の様子です。雨や所用、外出などがあって作業はたびたび中断。それにそもそも、かなりの重労働。頑張って午前と午後に働いても、1日4時間位が限度。
 洗浄は写真左上(の外側)、つまり「川下」側から開始。

 最初期、洗った砂利をほぼ元の位置にそのまま戻していたのですが、すぐに改めました。

 コンクリート張りの「川底」の様子を確認する必要があることに気づいたのです。写真左上奥──二つ存在する──と手前(こちらは未洗浄)のように砂利を積み上げて、できるだけ底面を露出させます。
 最初に気づいたのが底面の割れ目。

 幾筋もの大きな割れ目が走っています。(特に、右下の未洗浄部で多発していた)

 底面を「コンクリート張り」とお伝えしましたが、正確には砂利を含まず、セメントと砂、そして水を練り合わせたモルタル。加工性の良さが特徴です。
 その代わり強度が劣り、特に割れやすい。

 この特徴、実はコンクリートにも通じています。とても硬く感じられるコンクリートですが、確かに圧縮力には強いものの、引張力には弱い。
 逆の特性を持つ鉄筋などと組みあわせて使うのはそのためです。

 もちろん、この場所に強度など求められてはいないのですが。

 ただし、親戚の宮大工が統括したので手抜き工事だったという覚えもありません。考えられる大きな原因は、2007年7月に発生した新潟県中越沖地震
 拙宅は耐震設計ですが、それでも基礎他が損傷しました。

 その時はまったく気づかなかったのですが、あの揺れなら、強度のないモルタルが割れるのは至極当然。この点は排水不良の問題にも通じるのかも。(排水管はその後、洗浄)
 不等沈下が発生したため、部分的に水が溜まりやすくなった...のかも。

 もう一つ驚かされたのが、植物の力。右の写真は1枚目の右上部分なのですが、周囲から流れ落ちる土砂とともに、草木がどんどん根を伸ばしています。
 植物としては、水分を求めての当然の行為。

 今回特に周辺部の雑草の根を除去したのですが、伸びた根が成長することで写真のように、モルタルが部分的に破壊されていました。
 このような力の掛かり方だと、一部に必ず引張力が働くためです。

 汗を流しながら働いていて、つくづく思い知らされたのは地震や植物、つまり自然の偉大さ“De rerum natura”。

 想定よりやや長引いている拙宅庭の再整備も、ようやく先が見えてきました。作業の遅れは、書斎の蔵書整理にも影響を与えています。

 寒くならないうちに、いずれも片をつけなくては。



11月1日(水) ずっと以前からだったのかも... ──JR東日本新潟支社の運転士用時刻表が電子化──

 鉄分補給ツアーのオマケ。

 写真は先週末、前任校の学園祭から帰宅する際に撮影したもの。2両編成の先頭車両、運転士席の後ろから前方を見ています。鉄道ファンにとって特等席。ただし最初からここに陣取ったわけではないのです。
 自宅を基準にすると前任校までの物理的な距離は、金沢工大の半分以下。

 ただし列車の運行系統の関係で接続があまり良くなく、乗り換え回数は同じくらい。北陸本線と違い駅数が多いので、時間もかなりかかります。時間距離で言うと、自宅から富山駅近くまでの時間を要します。
 要するに、効率が悪い。

 長岡駅での最後の乗り換えの際に席が空いていたのはロングシート席。乗り慣れた路線なのでそのまま座っていても良かったのです。乗車時間も45分くらいだし。
 でも、思い直して車両最前部へ移動。

 塚山駅付近の連続S字カーブを確認するのが目的だったのですが、運転席を覗くと、おぉ、運転士用の紙の時刻表が電子化されています。
 使用されているタブレットは“iPad mini”。必要な電力は有線で供給。

 なお「時刻表」というのは不正確な表現で、正式名称は「乗務行路表」で、通称「スタフ」。発車および通過、到着時刻が15秒単位で記されています。
 また到着番線も。

 その他、保守作業や工事のための減速──とても多い──など、特記事項も記載されます。今年度前半、トキ鉄の無人駅で、20人くらいの小学生の集団が先生に引率されて乗車してきたことがありました。
 全員、次の糸魚川駅で下車。

 終着の泊駅で下車する際にスタフを見ると、その旨が朱書されていました。要するに、安全かつできるだけ正確な運行のために不可欠の書類。今までは細長い紙の行路表を同じ場所に収めていたのです。
 一駅ごとに、運転士は該当箇所を指差し、声に出して確認。

 ただし紙の乗務行路表には、最長2時間程度乗務する全駅の情報が掲載されています。タブレット版はというと、当面の運行に必要な数駅のみの分が掲載。駅を発車するたびに、画面が少しずつスクロールされていきます。
 良く見ると、最下部に特記事項のための欄も。(今回は空白)

 調べてみたところJR東日本の場合、10年くらい前から電子化に取り組んでいるようです(こちらこちら《報道》)。今回初めて知ったのですが、雪害などによる大規模な遅延の際は、運行計画を全面更新。
 それをFAXで最寄り駅に送り、各列車の乗務員に手交
(しゅこう)して運行を再開していたのだそうです。

 アナログにも良い面はありますが、このような場合はデジタル化のメリットが際立ちます。

 電子化に気づいたのは今回が初めてですが、長らく車両先頭には乗車していなかったため、本当はずっと以前から電子化されていたのかもしれません。

 トホホ。



10月31日(火) いつか車内からではなく、近くから見上げてみたい場所 ──上越線毛渡沢橋梁──

 昨日の写真左上端付近で、左上(=南)から来た上越線は上下線が分岐し、下りはトンネルへ。

 お伝えしたように湯桧曽(ゆびそ)駅(上り)駅は地上駅ですが、トンネル内。ただし両駅は土合(どあい)駅ほど離れていません。若い軽装のカップルが乗車してきました。列車はすぐに新清水トンネル(新線)へ。
 新線にループはなく、緩いカーブで勾配を稼ぎます。

 数分して土合駅到着。ホームは非常に長く、2両編成の短い列車は待っていた20人くらいの乗客──多くは登山客──から離れた場所に停車します。同駅発車後は10分くらい暗闇の中を走行し、新潟県側の土樽駅へ。
 すぐ隣は関越自動車道。

 土樽駅の先、約500mの場所にあるのが、今回のメイン「毛渡沢(けどさわ)橋梁」。

 新潟県側の上越線(旧「上越北線」)は、越後川口駅付近で信濃川と合流するまで、ほぼ魚野川に沿って敷設されていますが、その支流の毛渡沢を土樽駅の北側で渡るのです。
 橋はかなりの高さ。

 1982年に上越新幹線が大宮まで開業するまで、首都圏との往復は上越線がメイン。だからこの毛渡沢橋梁も必ず渡っていたのです。
 乗車していても、その高さに驚かされます。

 高いことはわかるのですが、普通の車窓から見える範囲は狭いため、眼下に発電所(東京発電株式会社土樽発電所)が見える程度で、自身が載っている橋の印象は薄い。
 でもこの毛渡沢橋梁、特に1930年(昭和6年)に完成した上り線(写真右側)はとても美しい橋。

 検索していただければ、いくらでも写真がヒットします。また、新潟県中越地方在住の方による「新潟鉄道記II」で「上越線」を選択していただければ、四季の毛渡沢橋梁(たとえばこちら)を観ることができます。
 また清水トンネル同様、こちらも土木遺産に選定。

 往路(右側の上り線)は今までとお馴染み方しかできなかったので、帰路は車両先頭部へ移動。助士席後部から撮影したのが写真。拙い写真で申し訳ありません。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960、198KB))
 いつかは下の沢から、あるいは橋の袂(たもと)から見てみたい。

 橋を渡りきると上下線は再び分岐し、下り線は大きなカーブを描きます(ループはない)。右(=南東方向)から現れた上り線と合流し、越後中里駅到着。まだスキーシーズンではありませんが、数名の乗客が下車しました。
 列車は急勾配を緩和すべく、大きなカーブで岩原
(いわっぱら)スキー場前駅へ。3名下車。

 次は越後湯沢駅で乗客の大半が入れ替わります。ここから先は、いかにも新潟の魚沼地方という風景が連続。

 今回は乗車しませんでしたが、水上─渋川間は新潟側とは違った、厳しくも美しい風景が続きます。乗ってみたいのですが、難点が。同区間はロングシートの列車しかないのです。(臨時特急を除く)
 う〜ん、でもそれならば今回のように、車両先頭に立ちっぱなしという方法も。

 やはり、センセイは「乗り鉄」なんでしょうねぇ...。



10月30日(月) 「トッピング」で、企画乗車券はさらに美味しく... ──上越線湯桧曽ループ線──

 昨日訪れたのは群馬県の水上駅。もちろん鉄分補給が目的。

 今回も「えちごツーデーパス」(会員専用)を使用したのですが、この企画乗車券は県内限定。東京と新潟(正確には高崎と宮内)を結ぶ上越線にについては、越後中里駅が南限。正確には一つ先の土樽駅までが新潟県なのですが。
 少し手前の越後湯沢駅までなら、上越線を利用する機会もそれなりにあるのです。

 特に北陸新幹線開業前は、北陸地方からの特急「はくたか」が同駅まで走っていたし。でもそこから先の県境区間はなかなか乗車する機会がありません。ここで思いついたのが、アイスクリームやラーメンなどの「トッピング」の発想。
 越後湯沢駅から水上駅までの乗車券(片道510円)を追加で購入したのです。

 長岡始発の2両編成の列車は、越後湯沢駅で乗客の大半が入れ替わり、雰囲気も一変します。下車したのは地元客や上越新幹線に乗り換えて首都圏を目指す人々。
 乗り込んできたのは、水上の温泉街を目指す団体客など。

 スキー場──センセイも高校時代何度か訪れた──に面した越後中里駅を発車した上り電車(旧線)は程なく、下り線(新線)と分かれます。
 旧線は高度を稼ぐべく、目の前の山中にある松川ループ線で一周。

 ただし、この先にある湯桧曽(ゆびそ)ループや北陸本線の鳩原(はつはら)ループ線と異なり完全にトンネル内なので、ループ線であることを意識することはありません。
 土樽駅を過ぎると土木遺産「清水トンネル」へ。

 『雪国』に「国境の長いトンネル」として登場する長い清水トンネルを抜けると土合(どあい)駅。センセイが乗車する上りは地上駅ですが、下り線はかなり離れて高低差も大きい、地下の「モグラ駅」。
 登山客など30人くらいが乗車してきました。今までで、一番多い。

 さて、ここから先が旅の目的地の一つ。旧湯桧曽駅(現「北湯桧曽信号場」、ホーム他が残存)を過ぎたところで撮影したのが写真。列車の右側窓から、南南西方向を見ています。拡大写真(別ウィンドウ、1280×960、285KB))
 写真左上から中央まで線路が見えます。

 拡大写真だと、線路が真下(写真最下部)まで延びていることがわかります。これは、これから走る上越線の上り線。山の中で再度ループを描いて下るのです。左上端の白い部分は現行の湯桧曽駅(上り)。
 同駅は土合駅同様、下り線は地下駅。

 この湯桧曽ループ、肉眼では何度も見ていましたが、このように割と綺麗に写真にすることができたのは初めて。雪解け後の季節なら広葉樹がすべて落葉しているので、もっと明瞭に撮影することができると思います。
 ご覧のように、県境付近では紅葉が進み始めています。

 列車は2分遅れで水上駅到着。センセイ以外の全員が下車。(当たり前か...)

 30分ちょっと停車した後、折り返し運転。湯桧曽駅手前で、前方右上方に写真の撮影地点が見えます。

 さて、次なる目的地は...。(続く)



10月29日(日) 「最後の晩餐」は、地元産真鯛の刺身 ──贔屓にしていたスーパーが本日閉店──

 時折激しく降りつける雨の中、センセイは昨日に続き鉄分補給の旅へ。

 それについては後日お伝えすることに。柏崎駅に戻ったのは16:30ころ。倖い、先ほどまでの雨もほぼ止みました。「秋の夜は釣瓶(つるべ)落とし」。周囲はかなり暗くなっていますが予定通り、旧市街地中心部へ行くことにします。
 以前お伝えしたように、贔屓にしていたスーパーが今日で閉店するのです。

 やはりここは義理を尽くしたい。もちろん店仕舞いの時刻までお付き合いするなんてことはありませんが。不安定な天気だったので、最短距離で移動。
 建物内に人は少なく、活気がない。

 通常、夕方にお店を訪れることはないので正確な比較はできません。また、半月くらい前から商品はもとより、一部の什器備品まで順次搬出。
 その影響もあるのでしょうが、活気を感じられないことは疑いようのない事実。

 他方、従業員だけでなくお客さんにも悲壮感は感じられません。閉店という事実が周知徹底されたからでしょう。先日まではレジで、「え"っ、閉店するのぉっ?!」などといやり取りもあったのです。
 センセイの当面の関心事は、晩酌のおつまみの確保。

 品切れの可能性は想定済。その場合は別なスーパーへ行くことにしています。鮮魚コーナーが視野に入ったのですが何と、お刺身がない...。
 Uターンしようかと思ったのですが念のため接近すると、売れ残りが冷蔵商品ケース内の手前にまとめられていました。

 最後なので少しくらい奮発しても...と思ったのですが、適当なものがありません。最終的に手にしたのは2割引きのシールが貼られた地元産の真鯛。よぉーく見ると、表面が少し乾いています。
 午前中に調理したのでしょう。

 でも、ま、これも人生。美味しくいただきました。

 ところで、スーパー閉店後の旧市街地における買い物難民対策ですが、予想通り、市が音頭を取り、明日から平日中心に移動販売を開始することになっています。どうなることやら...。

 長い間、ホントにお世話になりました。

「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る