2005年12月10日更新(2005年12月19日ページ移動。2011年5月4日一部写真削除)
東京の出張から新潟の自宅へ戻ってくると、5年ぶりに更新された出身高校の同窓会名簿が届いていました。
この間、同級の蓮池薫君が、拉致されていた北朝鮮から家族で帰国するという大きな変化がありました(その後の展開もご参照)。
個人的には勤め先を変えることになりました。また、センセイだけが所在を知っていて、名簿には載っていなかった友人を、本人の了解を得た上で名簿に載せてあげることができました。
でも、個人情報保護法の影響か、前回のものと比べると住所氏名しか掲載しない人が増えています。この不景気、しかも一番最初にリストラの候補に挙げられる年代ですから、載せたくても載せられない人もいると思います。
柏崎高校は105年の歴史を持っているのですが、諸先輩のページは、名前だけを纏めて掲載された物故者の欄がページの大半を占めています。
そして残念ながら、同級生にも物故者が増えていました。
■12月9日(金) あらゆるものを破壊してしまう、大地震の威力 ──被災地のJR上越線に乗りました──
西村センセイは現在、所用で都内に出張中です。
6限の講義は若手の先生が代わって講義をしてくださいました。学生さんと年齢が近いせいか、いつもと反応が違うようですね。H先生、ありがとうございました。
さて、時間がちょっと戻ってしまいますが、西村センセイは昨日、勤務を終えると新潟へ移動しました。自宅へ帰ったのです。
現在の交通体系では、金沢―東京間の移動はとても不便で、移動時間を重視するなら鉄道ではなく航空機を利用するのが普通です。ほくほく線の開通で、かなり所要時間は短縮されましたが、それでもJRでの移動は不便なのです。
でもセンセイのように新潟県内に根拠地があると、ひとまず根拠地――センセイの場合は自宅――へ戻り、都内へ移動すると時間が相当節約できます。
で、今日は急ぎの用を済ませてから電車に乗りました。もちろん最終的には新幹線に乗るのですが、今日はちょっと考えて、越後湯沢駅から新幹線に乗ることにしました。適当な特急列車がないこともあり、在来線の各駅停車を利用することにします。
長岡から湯沢までの車窓は、それはもう惨憺たるものでした。もちろん昨秋の新潟県中越地震のせいです。
先日もこの付近を自家用車で通ったのですが、これほどまでの酷さとは思いませんでした。長岡から在来線で東京方面へ向かい、最初の、そしてかなり長いトンネルを抜ける所こそ、親子3人が生き埋めになった場所です。
もともとは幹線国道(国道17号線)でした。とても交通量の多かった場所です。現在は信濃川を挟んだ対岸をバイパスが通っていますが、このバイパスがなければ、もっとたくさんの人があの山体崩壊に巻き込まれていたことと思います。
トンネルを突然抜けると事故現場です。ホントに唐突です。山全体が、いくつかのブロックになって崩れています。
線路の反対側でも同じような光景が広がっています。あの場所だけではなかったんですね。
現在は上越線(在来)の上下線とも復旧しているのですが、地震からしばらくの間は被害の大きかった信濃川のトンネル(下り線)は使えませんでした。
上越線はしばらく、信濃川の右岸沿いに進むのですが、明らかに地盤も線路も造り直されています。
要するに地盤も線路もすべて押し流されて、何もかもが、新しく造られたのです。
よぉーく見てると、どういう場所に被害が集中しているかわかります。別なトンネルを抜けると、信濃川を超えます。震源地の間近です。
すぐそばを上越新幹線(写真上方の橋)が走っていて、その橋脚(写真右側)が大きな被害を受けてしまいました。現在では大規模な補修工事が完了し、ちょっと見ただけでは、その面影はありません。
再びトンネルに入ります。
明るくなった場所の崖は、ご覧のように――わかるかな?――崖という崖が、みな崩れています。
写真中央部の盛り上がったところはすべて、今回の地震で崩れ落ちたものなのですが、震源地近くでは、延々とこのような光景が続きます。
ところがこれらは、JR東日本の駅でいうと長岡から越後川口までで、そこから先、ちょっと離れると目に見えるような被害はわかりません。
越後湯沢あたりはまったく無被害です。総じて、道路や鉄道といったインフラはほぼ問題がないまでに復旧しています。
では、肝心の被災者はというと、日々の生活は苦しいながらも、まぁ何とか将来設計を立てられるという方がざっと70%くらい。
実際、新築の家も目立ちます。でも、その背後に、ざっと10〜20%くらいでしょうか、社会的弱者を中心にして、将来設計を描けずに方々がいらっしゃいます。
この重い現実を、どう受けとめるべきなのでしょう......。
■12月8日(木) こちらも、西村センセイの最高傑作!!(ソフト編)
金物ばっかり紹介しても、ソフトを紹介しなければ、話は完結しません。
センセイがこれまで関係した、オリジナル録音の最高は、写真右側のβテープに収められた2時間ちょっとに渡るコンサートの記録です。
センセイは学生時代、大学の講義と個人とでピアノを習っていたのですが、大学の先生の本業はクラシックの声楽家。
しかも年輩のその先生、実は新潟声楽協会の会長さんだったのです。で、その先生が古希(こき:70歳)のお祝い兼、定期演奏会を開くことになって、いつものように録音のバイトに出かけました。
前の年まではオープンリールで録音していたのですが、この年から買ったばかりのPCMプロセッサを使うことにしました。ホールでの録音の場合、「三点吊り」という方法で、ステージの上にマイクを2本吊します。
その位置(高さと傾き)とマイクの開き具合がとても微妙で、熟練した技術が求められます。三点吊りで使うマイクロホンは限られています。
私たちが電気店で買うようなものではなく、外部から±の直流(ファントム電源)をかけて使う完全なコンデンサー型です。(普通に市販しているのはその簡略型。)
普段は除湿剤とともに、アルミのケースに収められています。しかも、いつもは有名なソニーのC-38──1本20万円ぐらいだったと思う──を使うのですが、この日はノイマンのU-87というとても有名な最高級品を使用しました。
昨晩、データをハードディスクに記録しながら、改めて録音を聴いていたのですが、やはり本当に凄い。文字通り、ステージの上(指揮者の上くらい)からステージを見渡しているようです。
もともとコンデンサーマイクは普及型でも微妙な音を拾います。拾いすぎるくらいです。
客席の女性が持っている花束のセロファンがすれる音だとか、ステージ上を歩く靴の音──一人一人見分けがつく──だとか、右客席後方でぐずっている子供の声だとか。でもノイマンの凄いところは、そういうノイズっぽい音に過度に反応せず、本当に良い音をきちんと音楽的に拾うことです。
ピアノの音の重さ(特に左手)、音楽家が体を楽器にしている様子、気合いがちょっと空回りしているとこだとか、ドイツ語が専門なので、イタリア語になるとちょっと変だとか......まぁ、これは音楽と関係ないか。
歌手も伴奏手も、違いがホントに良くわかります。コンサートは参加者のソロに始まって、数人でのオペレッタ(簡略化された小さなオペラ)、全員での合唱と進むのですが、最初は緊張して本調子じゃなかった人も、オペレッタになるとすっかり役に入り込んでしまっています。
聴いているこちらももはや、録音を聴いているのではなくて、本当にその場にいて、見ているような感じ。オープンリールの時はその音や雰囲気を数分の一しか記録できなかったのに、PCMになってかなり残せるようになりました。
出始めのPCMで、レベル調整がわからない──限界を超えると途端に激しく歪むと言われていた──とか、DC(直流)のオフセットがドリフトするとかいろいろ問題はあるのですが、そんな理屈を越えた音楽性と音の良さがあります。
敢えて欠点を見つけるとしたら、雰囲気のようなものを残すのが現在の録音機より苦手だということくらいでしょう。録音時の資料は実家にあって手元にないのですが、たぶん1983年の録音です。22年前、つまり現在の大学4年生が生まれた時の録音ですが、まったく古さを感じさせません。
程なくセンセイは新潟を離れてしまったので、こういう録音もこれが最後になってしまいました。
ちなみに、使用しているビデオテープはPCM録音用の選別品で、ご覧のようなケースに入っています。
実はこのカセットとケースは、写真左側の、放送局が使用する「ベータカム」(通称「ベーカム」)システムそのもので、民生用にプラスチックの色を変えているだけです。(ベータカムSP以降は酸化していないメタルテープを使用。)
で、秋葉原へ行くと駅前のビルの4階の専門店で、このベーカムのテープを割と安く売っていて、センセイは上京するたびに秋葉原のこのお店へ通うのでした。このテープの内容は、現在ハードディスクに落としてあるので、2枚に分けてCDを作ろうと思っています。
新潟声楽協会との約束で、センセイがこのテープを所有することと個人的な複写は認められていますが、差し上げることはできません。悪しからず。さて、センセイはその後、他人の真似をしたりするのではなく、特に30歳代で独自の活動をすることになります。
今から振り返っても、前回(こちらも凄いと思っているけど)と今回ご紹介したのとは比較にならないほどの仕事をすることになります。これこそ、ホントの「ソフト」なのですが、こちらについてはご紹介する機会があるかどうか......。
■12月7日(水) 「次回はここにしよう」と思ったホテルが...
一昨年の秋のこと。
学会に参加するために、東京経由で愛知県大府(おおぶ)市の中京女子大学へ行きました(こちらおよびこちら)。
一泊する必要があったのですが、大府市は名古屋市から微妙に離れています。懇親会に出席してビールを飲むので、名古屋駅前までたどり着く気力がありません。
そこで苦労して、大府市内のホテルを探して予約しました。ところが、いざ大府駅に降りると、駅の目の前に背の高いビジネスホテルがあります。地図に載っていないので、まだ建ったばかりに違いありません。
外からのぞくと、すでに営業していて、広く小綺麗なロビーでお客がくつろいでいます。一方センセイがやっと探し当てたホテルはというと、ずいぶん昔に建てたもののようで、設備も十分ではありません。朝食は、日持ちするパンが各部屋に2個配られているだけ。
激しい雨も降っていたせいか、思いっきり悲しい。もし大府に来る機会があったら、今度はあのホテルに.....と思っていたら、最近のニュースで「大府市のホテルを含む...」。
え"っ?!
お察しの通り、姉歯建築士が構造設計設計を担当したホテル「アズイン大府」だったのでした。もちろん現在は営業を中止しているようです。
今から考えると、確かにがっしりとした造りではなかったけれど、でも素人が見てもわかるようなものではありませんでした。
あの事件、全くの他人事だと思っていたのですが......。
■12月6日(火) これぞ、西村センセイの最高傑作!! ──ハード編──
何回かお伝えしたように、センセイは物心ついたころから録音機をいじくっていました。
小学生の時の、実家にあったモノラルのオープンリール──見たことない人が多いだろうなぁー──から始まって、中学生はモノラルのラジカセ、高校生の時はステレオカセットデッキ(「デンスケ」!!)といった具合。
お金がなかったので、学校のものとかを借り出していたのですが。父親は機械に弱いので、明らかに工業高校の教師をしていた叔父(故人)の影響だと思われます。
普通の人なら大人になる時に冷めるんだろうけど、大人になれなかった(?)西村センセイは、大学生になってもまだ録音機をいじくっていました。
初めて自分で買ったカセットデッキから、やがて大型のオープンリールへ、あるいは、こちらもオープンリールのマルチトラックレコーダーも使っていました。
ミキサーと組み合わせて、ギターやベース、ピアノや各種キーボード類、出たばかりのシンセサイザー(SYSTEM-700〔大学のもの〕および100他)およびコンピュータ(MC-4!!)、TR-808などで音楽活動を続けていたのです。(ちなみにこれらは知る人ぞ知る名器。詳しくはこちらをご覧ください。)
そういえば、新潟市のホールを借り切って、ピアノとホール備え付けの大型ハモンドオルガン(センセイが弾いた)の録音したこともありましたねぇー......(遠くを見つめる眼)。でも、遅まきながら自分には音楽的な才能がないことをやっと知り、ある時からもっぱら聴く側に回りました。
で、どうなったかというと、個人用の録音に加えて、例えばコンサートホールでの録音などを手がけるようになったのです。リハーサルから本番までつきあって、一晩で1〜2万円くらい貰っていたと思います。
ホールで録音する場合、機材は基本的にホール備え付けの、2トラック38.1cm/sオープンリール、いわゆる「ツートラサンパチ」を使うのですが、そのうちに自分のデジタル録音機を使って録音するようになりました。
ホールは市や県が管理しているので、最新の機材が入るまでにちょっと時間がかかるのです。それが、すでに何度かご紹介したPCM※プロセッサ(右の写真最上段)。ビデオデッキと組み合わせて使います。※Pulse Code Moduration
写真下部の業務用カラーモニタに写っているのがPCM信号です。
センセイが買ったのは最上位機種ではありませんが、それでも10万円しました。
ビデオデッキが25万円でしたから、計35万円。現在では考えられないほど高価でしたが、それでも価格だけのことはありました。その後DATを購入したので、録音機としては引退したのですが、それまでに録ったテープの再生機として現在まで働いてきました。
でも、より手軽に扱えて、しかも高性能のDATが手に入ると、それまでPCMテープで録りためてきた内容を他のメディア(当時はDAT)にデジタルのままコピーできないかということになります。
実際、センセイがPCMプロセッサを買った直後に、標準的なデジタル出力を持つ兄弟機種(PCM-553ESD)が出たのですが、貧乏学生のセンセイには買えませんでした。
またその機種もすぐに廃番になってしまい、現在では入手困難です。で、西村センセイ、いろいろなことに興味を持っていたので、このマシンを改造することを思いつきました。
で、蓋を外したのが右の写真。
入力されたアナログ信号を右端のA/D(アナログ−デジタル)変換回路でデジタル化──高次のLPFとADC1個が見える──して、それをビデオ信号に変換してデッキへ送ります。
再生時はこの逆で、D/A回路を使います。こちらもやはり、高次のLPFが見えます。これだけでは手のつけようがないのですが、ADC(アナログ・デジタル・コンバータ)やDAC(デジタル・アナログ・コンバータ)はすべてソニー製。
メーカーから製品開発用のマニュアルを取り寄せ(市販している。今は知らないけど)て、いろいろ研究しました。どうやらDACの付近には、一部(クロック)を除いて必要な信号が来ているようです。
最大の難関は、デジタル出力用の専用IC(こちらもソニー製)を手に入れることと、すべての基準になる「クロック」という基準信号を作り出すことです。
結論から言うと、専用ICは研究開発用のものを業者から手に入れ(かなり高かった)、クロックは当時実用化されたばかりの富士通の「バリメガ・モジュール」という複合素子を手に入れて、PLL(フェイズ・ロックト・ループ)回路を造り、問題を解決しました。
バリメガ・モジュールは非常に優秀な素子で、クロックの純度の高さと、適応範囲の広さを併せ持っています。
実はPCMプロセッサの場合、テレビの画面を借りているために、録音時と再生時のクロックが微妙に違う──録音時は44.1kHz、再生時は44.056...kHz──のですが、そのいずれにも対応します。(データをDATやCDで再生すれば問題ない。)
唯一の欠点は、高価なことだけ。本家ソニーもPLL回路でクロックを造っているはず何だけど、この素子は使っていないはずなので、クロックの純度が低く、かなり音は濁っているはずです。(こちらもDATやCDに移して再生すれば、そのマシンのクロック純度に依存するので、問題ない。)
回路を設計し終えたら、いよいよ製作開始!!
最後の二つの写真が、新たに製作して増設した部分です。
1台しか造らないので、汎用の穴あき基板で造りましたが、材質は紙エポキシで、このマシンの他の茶色い基盤(ベークライト)よりははるかに高級品です。
青く、丸いコンデンサが多数見えますが、これは中毒事件で有名になったタンタルを利用したコンデンサで、最高級品です。写真でちょっと見ただけだと、素子がパラパラ並んでいるだけなので、簡単に見えますが、実際の回路は非常に複雑です。よく見るとジャパーも見えます。(デジタルとアナログが混在してるので、設計と実装は難しい。)
で、1箇所だけ小さな手直しはあったのですが、見事にテープからデジタル信号を取り出すことに成功しました。
改造してからもう13年くらいになるはずなのですが、現在もまったく問題なく動作しています。たいしたものです。
今から考えると、よくまぁ、これだけのものを造ったなぁーと我ながら感心します。
このころはまだ現在のようにLSI化が進んでいなかったことにも助けられていますが、そもそもの情報収集と入手困難な部品の確保、設計、製作、そして実装と、いくつもの壁を乗り越えており、何だか他人が造ったような気すらします。
ものすごいパワーです。そして、美しい。
性能には関係ないと言われればそれまでなのですが、確かに美しい。そして美しいものはたいてい、良くて、しかも長持ちするのです。
このところずっと忙しくて、自宅の雑事が溜まってしまったので、今日は日中、休暇をもらって自宅にいました。
廃車、郵便局、銀行、JR......と片付けて、最後に、行きつけの写真屋さんに行きました。ここ数年、年賀状は同じテーマで写真にしているのです。
平日の午前中なので客もまばら。
で、余裕があったらしく、店長さんにその旨を説明すると、デジカメの写真を申し込むカウンターに連れて行かれました。
デジカメのプリントとほぼ同じ要領で、年賀ハガキを作れるというのです。今までは写真を焼いてもらい、トリミングを指定して、文字は写植印刷で入れてもらっていました。
でも考えてみれば、確かに、デジカメと同じ要領で制作することも可能です。すでにテンプレートができているので、体裁を一覧から選択し、デジカメ写真のコマを指定し、住所などの文字を入れていくだけです。
キーボードが使えず、銀行の自動送金機の要領で文字を指定するので、そこだけ手間取りました。
文字の選択幅が狭いのと、レイアウトに自由がきかないのも難点ですが、十分実用レベルです。写真屋さんにとっても、文字校正などが不要──その場で本人が入力・確認するから──となるなど、人件費を減らすのに役立ちます。
個人的には面白かったのですが、どれくらい使われているのか訊ねると、センセイで2人目、とのことでした。
まぁ、そんなもんだろうなぁー。
その昔、電化製品を買うとオマケがついてきた時代があります。
センセイが最初にカセットテープレコーダーを買ってもらったのは中学生の時ですが、デモテープがついていました。
しっかりとメーカーの関連音楽会社のダイジェスト版で、サイモンとガーファンクルの「卒業」とかが入っていました(メーカーがわかりますね)。テープの裏面は何も録音してありません。自分で録音してみてください、というわけでしょう。
何回かお伝えしているDATの先祖、PCMプロセッサの時も営業担当から3本のデモテープをもらいました。
βのテープは、VHSよりも一回り小さいのですが、それでもかなりの大きさです。でもその中の2本は捨ててしまいました。音が悪い上に、何よりも内容が音楽的ではなかったのです。
残っているのは1本だけなのですが、内容はイマイチ。音も良くありません。
このころは録音システムがアナログからデジタルに切り替わる時期で、まだ新しい技術を使いこなしていないんですね。
機械に振り回されている、そんな感じです。
じゃぁDATはどうかというと、開発当初はこちらも実験機のようなものでした。
でもセンセイが据え置き型DATを買ったころには、まだトラブルは残っていたものの、ずいぶんこなれた技術になっていました。
この時は坂本龍一のCD用音源をDAT用にリミックスしたものがついてきたのですが、技術に振り回されることもなくなっています。
ちなみに、坂本教授はミキサーとしても優秀です。(写真ではDATが大きく見えますが、実際にはカセットの半分くらいです。)音質的にも、CDの上限を越える特性を生かした音造りになっていて、CDよりもずっと良い音がします。
でも、普通、CDプレーヤーにデモディスクはついてきません。
多くの場合、あるアーチストのCDを聴きたくてプレーヤーを買うわけですから。つまり、デモテープがついてくるような製品は、そもそもなかなか売れない運命の下に生まれているのかもしれません。