2009年5月23日更新(2009年5月31日ページ移動。2013年9月15日写真削除)

──2009年5月第4週のニュース──

バックナンバーはこちら


5月23日(土) 柏崎は、砂の街 ──盛来軒の新築工事が間もなく始まるようです──

 土曜日なので、センセイは新潟の自宅にいます。

 お昼に外出して、交差点に面した一角が更地になっていることに気づきました。柏崎駅前の、先日ご紹介した中越沖地震の被災者向け市営住宅(建設中)のすぐそばです。

 柏崎にラーメンを初めて伝えた中華料理店「盛来軒」──柏崎市民で知らない人はいない──があったところです。

 盛来軒も地震で大きな被害を受けました。
 建物の被害はそれほどでもなかったようなのですが、建物全体が傾いてしまったのです。

 そこで先日から解体工事に入り、現在はセンセの自宅近くの仮店舗で営業しています。
 この前ここを通った時は、工事用のフェンスに囲まれていて、中の様子を見ることはできませんでした。

 邪魔にならないところに車を止め、近寄ってみました。建物があった時とは違って、ずいぶん狭い敷地、という印象を受けます。

 再認識させられるのが、砂、砂、砂。土っぽい感じは全然なくて、極端に言えば公園の砂場のように、とにかく一面が砂だらけなのです。

 柏崎市中心部は鵜川、鯖石川という二つの川の出口にあり、もともと砂地です。海岸近くは隆起によってちょっと高くなっていますが、そこもやはり砂ばかり。
 今回の地震では、そういう砂地の場所(+砂地と河川の合流地点)に被害が集中しました。

 もちろんこの場所も、隣のビルのようにきちんと基礎工事をすれば全然問題ないはず。たぶん半年位すれば新しいお店ができるのでしょう。

 センセイだけじゃなく、ホントにこの地域の人──特に老人──がその日を待っています。



5月22日(金) Excelのファイルを開けない!! ──アップデートのトラブル再び!? ──

 二日続けてパソコンの話題になってしまいました。悪しからず。

 このところずっと、講義の合間に続けている仕事があります。データ入力とその解析です。あと2週間で何とか発表できるところまでこぎ着けなければならないのです。

 ソフトはExcel(Windows版2000)を使っています。本当はAccessやFileMakerなどのデータベースソフトを使うべきなのですが、慣れているのでどうしてもExcelを使ってしまいます。
 すでにかなりのデータを入力してあって、生データだけなのにファイルサイズは150kBくらい。(センセイには珍しく)先日もかなりがんばってデータを入力しました。

 今日、作業の続きを、と思ってファイルをダブルクリックすると、写真のようにExcelは起動するものの、肝心のシートがなかなか出てこない。

 この前、Windowsのアップデータが配信されていたのでそれを各マシン(実機および仮想マシンを含めて8台)にインストールしたのですが、各機とも、それ以降Excelの起動がやたら遅くなってしまいました。
 だから、もうちょっと待てば......と思ったのですが、さすがに変。

 ヤバイと思って、いろんなマシンで起動したのですが、まったく開くことができません。
 Macに至っては全機フリーズ!!

 泣く泣く数時間かけて、作業前のファイル──センセイは日付をつけてバックアップを残している──にデータを入力し直し、きちんと保存したことを確かめてからExcelを終了させ......あ"

 保存したファイルを開こうとすると、見事にドッカーン!! Windowsからは何も見えず、Macは再びフリーズ。

 それでも、と思ってExcel 2007(Windows版)から開いてみると、おぉ、「壊れていますが、修復しますか?」。ふだんはまったく使わない2007ですが、今日だけは後光が差しています。(Mac版の2004および2008でも開けなかったのです。)

 というわけで何とかデータを救出できたのですが、救出後のファイルは同じ形式(97-2003形式)を選択しても120kB。以前よりも減っています。
 どうなっているのでしょう?

 実は以前にも、マイクロソフトが配布したパッチをインストールしたところ、特定のバージョンのExcelファイルが開けなくなってしまったことがあります。
 そのため今回も、先日のアップデートのせいかなと思ったのですが、どうもそのようなアナウンスは見当たりません。

 どうやら今回は、センセイだけのトラブルだったようです。



5月21日(木) MacとWindows、いつまで待ってもその差は変わらない......。

 ......といっても性能の差ではありません。両者が基準とする時刻の差、つまり時差の問題です。

 西村センセイ、平日に金沢にいる時は夕方に講義の記録を整理し、サイトの骨格だけ更新して7時30分頃に大学を離れます。理由は簡単で、それより遅くなると途中のスーパーから惣菜がなくなってしまうからです。

 帰宅してから授業の記録にコメントを打ち──大学で片づけることもある──この「ニュース」を書きます。授業関係は、まぁ半分は公務とも言えますが、「ニュース」の部分は明らかに私事。西村センセイとしては、公私混同はしたくないのです。

 さて、右の写真はこの前の日曜日の夜に、アパートからこのサイトを更新する時の画面。

 二つのウィンドウはこのサイトの最上位階層のファイルやフォルダを示しています。
 左側はアパートに置いてあるPowerBook G4(Titan)で、ここに大学で作業しファイルが変更されたMacBook(右側)を接続して、最終的に調整します。
 この日は平日ではありませんでしたが、車で早めに移動し、到着できたため、夜まで大学の研究室に留まっていたのです。

 アパート到着後、いつものようにデータをアップロードしようとして、でも、いつもと違う点があることに気づきました。

 二つのウィンドウ内はいずれも、更新した時間順にファイルおよびフォルダが並んでいます。
 ところが上から3番目のフォルダにファイルを出し入れしたはずなのに、更新時刻は昼の12時のまま。外はもう、真っ暗なのに......。
 何回やっても同じ。

 最初は故障したのかなと真剣に悩んだのですが、やがて、MacとWindowsの「時差」のせいであることに気づきました。

 Macは内部の時計の基準を国際標準時としていますが、Windowsは日本標準時に合わせており、9時間のいわば「時差」があります。基準をどこに取るかという問題だけで、「今は何時何分か」が変わるわけではありません。
 ですから普通は意識する必要はまったくないのですが、最近になって状況が変わってしまいました。“BootCamp”を利用することで、MacもWindowsを起動できるようになったからです。

 センセイもその一人ですけど、OSを切り替えて起動すると時計がとんでもない時刻を示していて、びっくりした人もいらっしゃるんじゃないでしょうか。 
 インターネットに繋がっていればどちらのOSでも起動後、自動的に内部時刻を修正するので、問題はないのですが。

 西村センセイ、いつもなら95%位の頻度でMacBookをWindowsマシンとして使っています。
 それならそれでまったく問題ないのですが、この日はたまたま、大学での作業の最後にMacとして使用し、自宅でWindowsマシンとして起動したのです。
 でも、内部の時計がMacの時のままだった......。

 今回初めて分かったのですが、少なくとも“DAVE”というネットワークソフトを使った場合、Mac(左ウィンドウ)は接続相手(Windows)の時刻を尊重しているんですね。
 つまりネットワーク上で時間情報を送受信している、ということになるわけです。

 ただし、9時間の時差を保ったまま、ですが。



5月20日(水) 見え過ぎちゃって、困ってしまう... ──センセイが新潟から持ってきたもの──

 今週、車で金沢へ移動する機会を捉えてセンセイが新潟から運んできたのは、新潟の美味しいお米でもなければ夏用の衣類でもありません。蛍光灯です。その数、合計12本。
 ちなみに、センセイが現在金沢で運んでいるのは、パソコンとケース入りの大瓶ビールです。はい。

 もちろん金沢で買った方が早いのです。

 でも金沢での西村センセイ、普段はアパートと大学を往復するだけだし、しかも自転車通勤なので蛍光灯のようなものは買いにくいし、運びにくい......。

 センセイのアパートは狭いながらも2DK。
 このアパートに住むようになってから少なくとも一度は蛍光灯を交換したことがあるように思うのですが、とにかく最近、ずいぶん暗くなったなぁーと感じていました。

 若い人には想像もできないと思いますが、加齢とともに同じ明るさを暗く感じるようになります。
 若い人が家を設計する時は床材などに濃い色を使います──センセイもそうだった──が、歳を取ると明るいものを好むようになる理由です。

 そのため、暗く感じるのは歳のせいか、蛍光灯のせいかと訝(いぶか)りながら室内の全灯を交換すると、これがもう、本当に明るい!!
 加齢以上に蛍光灯の経年変化が進んでいたようで、ここ数日、帰宅するたびに部屋の明るさに驚かされています。

 でも一つだけ困ったことがあって、「あ、ここを拭き掃除していなかった」などと、とにかく何でもよく見えてしまう......。

 でもこちらについては「見なかったこと」にしてしまいます。受講生の学生さんからは「倫理的でない!!」と怒られるかもしれませんけど。 



5月19日(火) 金沢市内でも、マスクが売り切れになりつつあるようです

 今日はもう、見た通りのお話。所用でお昼に薬局へ行ったら、入口のドアにご覧の張り紙が。

 金沢の正確な状況は知りませんが柏崎は先週末、店頭にマスクがまだたくさん並んでいました。
 たぶん、関西地区でのインフルエンザ患者増加が報じられたここ数日間に、たくさん売れたんじゃないでしょうか。

 患者の広がり具合からすると、連休前半には、あるいはそれ以前に、ウィルスはすでに国内に入っていたはず。
 罹患
(りかん)しても自覚症状がなかったか、あったとしても季節性のインフルエンザないしは風邪と誤認されてきたのでしょう。

 だからやはり、冷静に判断して行動するしかないと思います。

 言うまでもなく、患者が発生した地域の人々は心身ともに大変なんだろうと思います。
 でも、責任者がニコニコしながら「冷静に判断...」と「宣言」し、マスコミが揃って同じ言葉で伝え、それにあおられたのか、病気の被害者がまるで加害者のようにネット上で扱われているのを見ると、「冷静に判断して行動する」という言葉が、とても空虚に感じられてしまいます。

 先日の人工衛星(?)騒ぎとまったく同じで、大人の国の人々には、子供の国の人々がとても興味深く映っているんだろうなぁー。

 だって、これほど御しやすい人々は、そう滅多にいないのですから。



5月18日(月) 昔と比べて、鳥が人間を恐れなくなっているような気がする...(続)

 今朝は割とゆっくり起床したので、小学生とすれ違いながらのご出勤。

 自転車を快調に走らせていると突然、左脇の田圃の中、畦(あぜ)付近を真っ白な猫がこちらに向かって歩いてきました。「......田圃の中を猫が?」と訝(いぶか)かりながら通り過ぎた瞬間、あ"......。
 細く、長い足が2本、胴体の下に見えますした。

 猫ではありません!!

 振り返りながら確かめると、割と大きな鳥です。白鷺(しらさぎ)でしょう。

 自転車をUターンさせ、ちょっと離れたところから撮影したのが右の写真。
 こちらが意識せずにすれ違ったためかもしれませんが、この白鷺、センセイを怖れている気配はまったくありません。

 西村センセイ、鳥には詳しくありませんが、たぶんまだ幼鳥なのでしょう。幼さを感じさせる体躯(たいく)
 しかし同時に、触ったら壊れそうなほど華奢な存在です。

 以前、同じタイトルで最近の鳥が人間を怖れなくなってきたのではないかとお伝えしたことがあります。

 この白鷺の場合、幼鳥で人間の恐さをあまり知らないという事情があるのかもしれません。
 でも西村センセイ、それでもやっぱり人間と鳥との関係、あるいはもっと広く、人間と野生生物の関係がちょっと変わってきているんじゃないかなぁという印象を持っています。

 高齢化に伴い、郡部で人口がどんどん減っていることが関係しているのかもしれません。



5月17日(日) 高速道路の料金が上限1,000円に引き下げられてから変わったこと

 金沢へ運ぶものがあったのと、金沢で運ばなければならないものがあるのと、そして何より今朝から雨だったので──軟弱な理由だ──今日の午後、車で金沢へ移動しました。
 連休前半以来の、車での移動ということになります。

 高速の料金がETC利用で上限1,000円になってから変わった点があります。連休中にも気づいていたのですが、今日、ゆっくりと走ってみてその変化が良くわかりました。
 老人のドライバーが増えているのです。

 連休中も「紅葉マークの車が多いなぁー」と思ったのですが、今日は特にそれを実感しました。
 小さめの車に3人くらい乗車して、ゆっくり走って渋滞の原因になったり、ウィンカーなしに車線変更したりするので、正直なところ、ちょっと怖い......。

 写真は富山県西部の小矢部川S.A.の様子。
 京都や姫路、三重ナンバーなど、北陸道に関係していて、でもちょっと遠い場所の車、そして老人が目立ちます。

 サービスエリア内では、他の人がいても、お構いなしにマイペースで行動しています。
 たぶん車の中でも同じ調子なんでしょう。

 センセイ個人としてはこの割引、正直なところ「どうかな」と思っています。 でもこの現実を見ると確かに、今まで外へ出ようとしなかった老人層(の一部)を活気づけたという面はあると思います。
 実家の父が80歳近い高齢となったため、周囲の人間が運転を控える、あるいは免許を返納するように動いたことがあるのですが、うまく行きませんでした。

 その時は「歳なんだから、万一、よそ様にご迷惑を...」と、センセイもネガティブにだけ考えたのですが、でもこのごろは、事故などのリスクは認めつつも、むしろバランスの方が重要なんじゃないかなぁーと考えるようになってきています。

 一律に制限するのではなく個々のケースに応じて、リスクを踏まえつつ行動することで、その人が持つ「良さ」を、より長く生かしてもらえるのではないかと思うのです。
 どうやらセンセイもいつの間にか、建前だけを重視した自己中心的な発想に陥っていたようです。

 でもね、おじいちゃんたち。事故にだけは気をつけましょうね。(不思議なことに、おばあちゃんのドライバーはほとんど見かけないのです。)

「最近のニュース」(最新版)へ
バックナンバーのトップページへ
トップページへ戻る