2009年6月27日更新(2009年7月5日ページ移動。2013年9月17日写真削除)
■6月27日(土) 柏崎市内で「わいわいがやがやフェスティバル2009」が開かれています
西村センセイは、新潟の自宅に戻っても仕事。「宿題」が溜まりまくっていて、かなりヤバイ状況なのです。
朝食を済ませて、2階の書斎でいざ仕事を始めようとすると......何だか外が騒々しい。
何だろうと思って家人に尋ねると、自宅前の柏崎市総合福祉センターで今日と明日の二日間、「わいわいがやがやフェスティバル2009」が開かれるのだそうです。市の社会福祉協議会が主催し、約200人の職員とボランティアが中心になって開く一種のお祭りだそうな。
社会福祉活動に関する啓蒙活動の推進と、相互親睦を兼ねた行事のようです。毎年開かれているらしいのですが、センセイはこの時期、学会で不在になることが多いので、見せていただくのはたぶん10年ぶりくらいになると思います。
「祭」なら主役はもちろん、ご覧のように子供たち。
センセイの自宅前道路は車両進入禁止となり、食べ物のお店や「おもちゃ病院」などが開かれています。
福祉センター前の駐車場は、臨時のフリーマーケット会場に変身しているのですが、出店している方をよく見ると、意外に年齢も幅広い。
このイベントが地域の方々に根付いているんだなぁーという印象を持ちました。さてこの総合福祉センター、このような使い方──今日はお祭りの日ですから特別──が本来のあり方なのです。
何のことかさっぱりわからない方も多いと思います。
センセイが暮らす新潟県柏崎市地方は、2007年7月に大きな地震に襲われて大きな被害を受けました。
その際、この総合福祉センターは被災した周辺各地域へ赴くボランティアの活動拠点になりました。
2年経った今でも昨日のようにはっきりと覚えています。被災した家屋からの家財搬出など、ボランティア活動は比較的短時間でその役割を終えました。
参加されたボランティアの皆さんには心から感謝しています。被災後間もなく2年となる現在、自宅を再建できない方のための市営住宅の建設工事が最終段階を迎え、地震で崩壊したお寺の再建も進んでいます。
福祉センターに小さい子供たちからお年寄りまでが集まって、美味しいものを食べたり、踊りなど日頃の練習成果を発表できるというこの「フツー」な日々がどれだけありがたいことか。テレビやネット上で刺激的な話題を求め、そしてそれに対応して浅薄な情報を発信しているだけの人には、こういう「現実」って、なかなか理解してもらえないんだろうなぁー。
■6月26日(金) 金沢駅以西でも、北陸新幹線の工事が着実に進んでいます
西村センセイ、今週は電車(+金沢市内は自転車)でのご出勤。
ですから金曜日の講義を終えると自宅へ戻るために荷物をまとめ、くつろいだ表情の工大生にまぎれながら北陸鉄道石川線野々市工大前駅へ急ぎます。
お目当ての電車に前に合えばその後はとても接続が良く、夜の8時半には自宅のお風呂でゆっくりすることができるのです。2両編成の石川線は電車とは思えないようなきついカーブを何回か曲がって、新西金沢駅へ。お客の大半は下車。隣接するJR西金沢駅で北陸本線に乗り換えるためです。
程なくホームに金沢行きの各駅停車が進入してきます。その直前、僅かな時間にJR側から撮影したのが写真。写真奥から左側にかけて、今まで乗車してきた北陸鉄道石川線の急カーブが見えます。
二つの鉄道に挟まれた場所に赤白の「北陸新幹線」と記された標識──石川線の車内から裏側が見える──が立っています。
標識の右側(西側)には、いつの間にか土盛りが。少なくとも西金沢−金沢駅間は、北陸新幹線と在来の北陸本線はほぼ同じ場所を共有します。
金沢駅の西に位置する犀川では橋梁工事がかなり進んでいますし、その前後でも北陸本線の東側(南側)の家屋が順次撤去されて更地が目立つようになっています。北陸新幹線の建設は、工事に時間がかかるトンネル工事から始まって、長野、新潟(一部)、富山(こちらやこちら)、金沢以東の石川県という感じで工事が進んできました。
それがいよいよ金沢駅以西へという感じ。つまり松任(現白山市)の北陸新幹線車両基地への工事が本格化してきたというわけです。
北陸地方の方々には待望の新幹線ですが、正直なところ、その開業に伴って収益が急激に悪化する富山、小松両空港の問題や、開業によってJRから切り離されるはずの在来線(北陸本線および七尾線他)の経営問題など、山積する問題は手つかずのまま。
でも申し訳ないのですが、個人的には、新幹線開業の頃まで金沢工大にいられるんだろうか、などと考えてしまうセンセイなのです。
■6月25日(木) あのぅ、先生それちょっと、違うんですけど...
金沢は、ここ数日安定した天気が続いています。今日は32℃近くまで気温が上昇しました。
スーパーから惣菜がなくなる時間に退出したのですが、ご覧のようにまだ空はずいぶん青く、明るい。21日の夏至を過ぎたばかりなので、まだ昼間がずいぶん長いんですね。
夏至で思い出したのですが、先週末(20日)の体育祭の開会式で、ある先生がご挨拶されました。
その中で先生は、生徒を励まそうとして「明日は夏至ですねぇ。地球に太陽が一番近づく日ですねぇ。暑くなりますから・・・。」......え"っ?!
もうお分かりだと思いますが、先生の発言は正しくありません。地球に四季があるのは地軸が傾いているからです。
そうでなかったら、北半球も南半球も一緒に暑くなったり寒くなったりしますよ。もうちょと正確に言うと、地球の軌道は正円ではなく、ごく僅かながら潰れています。
そしてその楕円軌道の上を、地球はケプラーの法則に従い、太陽から遠いところではちょっとゆっくりと、近いところでは少し速く運動しています。太陽から一番遠いところを「遠日点(perihelion:ギリシア語の「太陽」heliosに由来)」と言います。
意外に感じられるかもしれませんが、地球は、北半球が夏の時──南半球は冬──にこの遠地点を通過するのです。国立天文台が公表しているデータによると2009年の場合、地球は来週末の7月4日に遠日点を通過します(近日点通過は1月5日)。
夏至の頃、地球と太陽は一番離れているんですね。上級学校に進学する生徒が多い学校なのですが、う〜ん、果たしてどれだけの生徒や保護者が間違いに気づいたんだろう。少なくともセンセイが見た限りでは、「あれっ?」というような顔をする人はいなかったようです。
別にそれでどうってことはないのですが、やっぱり教えてあげた方がいいのかなぁー。
■6月24日(水) 北海道は、ちょっと遠かった ──「十勝風 豚丼 温玉のせ」を食べてみました──
今日は見た通りのお話。
お昼過ぎからの講義に備えて、今日は早めに学食へ。
11時を過ぎたばかりなので、高専はまだお昼休みになっていないし、学生諸君の姿もまばらです。西村センセイ、このところずっと学食(セレス)には来ていません。
カフェテリアで便利なのですが、日替わり定食がなくなったし、やはり若い人向けの揚げ物類が多いし。でも今日は時間がないのでセレスで何か食べるか、適当なものがなければお弁当を買うつもり。
入口に到着してメニューを見ていると、おぉ何と、愛情がこもった手書き文字で「豚丼」!!
それも十勝風とのこと。ふだんなら自分からは肉類を食べないセンセイですが、帯広駅構内のお店で初めて食べて以来の豚丼のチャンス!!(牛丼チェーンのものは除く)
これはもう迷ってなんかいられません。少し待ってから出てきたのが写真のもの。大きな豚肉が数枚、ご飯の上に載っています(なぜか温泉卵も)。
帯広の時とずいぶん違うなぁーと思ったのが豚肉のタレ。何だかずいぶん濃い色をしているのです。
合掌して「いただきます」と念じてから、まず豚肉とご飯を一口。タレの、とても甘くからんだ味を強く感じます。
その影響で、豚肉の方はちょっと存在感が薄い......。帯広の豚丼はとにかく「元気な豚肉が主役!!」という感じだったんです。
タレの量が多いこともあって、ご飯が汁っぽくなっているのと、もともと学食のご飯は軟らかく炊いてあるので、ご飯の方も印象が弱め。
そのうちに温泉卵がこわれてしまい、ねこまんま状態になってしまいました。しばらく行っていない北海道に誘われての豚丼ですが、やっぱり北海道はちょっと遠かったようです。
■6月23日(火) 新厚生棟の新築工事、地階部分の掘削がほぼ完了した模様です
火曜日は午後に8号館で講義があります。
8号館というのは、隣の旧本部棟他を取り壊して新厚生棟が建設されることになったのですが、解体工事が始まると、騒音と振動があまりに酷いので、一時期逃げ出していた建物です。
解体工事は順調に進行したようで、かなり静かになったので、実は再び本来のこの8号館に戻っています。でも、そうなると今度は新築工事、特に基礎工事の様子が気になります。
先日からパイルを打ち込むための背の高い重機が入っていますし、実際、少し離れたセンセイの研究室から見ると何かを打ち込んでいるような音がするのです。ただし、意外にもそれほど大きな音を立てているわけではないので、授業で8号館に入ったついでに、現場がどうなっているのか、この目で確かめてみました。
4階から工事現場を見下ろすと重機が目の前にあります。それはもうデカくって、ものすごい圧迫感があります。
肝心の工事現場は、というと、意外にもブルーシートで「コ」の字状に囲まれた部分が掘り下げられています。
たぶんここが地下1階になるのでしょう。写真手前、つまり8号館側は判然としません。重機を安全に移動させるためなのでしょうが、鉄板が敷き詰められています。
ところでこのパイルを打ち込む重機、センセイの部屋から見た時はもっと奥にいてパイルを打ち込んでいたように思えます。
そこはすでに掘り下げられていて、重機は現在、そうでない場所に移動しています。何を言いたいかというと、地下部分を持つビルを建設する場合、必要な部分を掘削(写真奥)してから基礎となるパイルを打ち込むのではなく、写真手前のように、掘り下げることを計算してパイルを深く打ち込み、その後、階下部分を掘るんじゃないでしょうか。
センセイはもともと、「掘ってから打ち込む」と考えていたのですが、地下部分は機械室や目立たない設備もあって形状がかなり複雑なはず。下手をすると重機をうまく使えないかもしれない。
だったら「打ち込んでから掘る」方が合理的じゃないかな、と思えてきたのです。もちろんパイルを沈める深さを正確にコントロールする必要があるでしょうが、それくらい、今の土木、建築技術からするとたいしたことないんじゃないでしょうか。
いずれにせよ、“civil engineering”(土木工学)がこの社会を根幹で支えているんだ、ということを改めて思い知らされます。
■6月22日(月) 今日の写真はお休みです。なぜかというと...
痛い。熱い。瞼が開かない......。
本人もけっこう大変なのですが、センセイの関係者はある意味、もっと大変。センセイと出くわすと、一瞬、例外なしにギョッとした表情を見せるのです。
オトナは口元まで出た疑問や印象をそこで抑えますが、学生諸君は正直なもの。「センセイ、パンダみたい」とか「センセイ、ものすごい日焼けしましたねぇ」(以上、原発言のまま)とか。西村センセイ、この週末に開かれた体育祭に、半袖半ズボンという出で立ちで、オマケに帽子もかぶらず参加したため、本当に真っ黒──というより真っ赤?──になるまで日に焼けたのです。
予想外に炎症がかなり激しく、今回初めて、炎症で腫れた瞼が開かないという体験をしました。家族を含めて「日焼け止めクリーム、知らないんですかぁー?」と言われるのですが、もちろんそんなことありません。実は自分から日焼けすることにしたのです。
西村センセイ、例えばあばら骨が1本足りないなどというように、いくつかの病気とつき合っています。
いずれも致命的なものではないのですが、その一つに20歳台半ばから罹患している、皮膚が局所的に角質化する皮膚病があります。日本人には少ないのですが、欧米人にはかなり見られる病気です。この病気、映画「もののけ姫」の主人公が取り憑かれた怨念みたいなところがあって、治療しても場所を変えながら体のあちこちに出没するので、なかなか根治することができません。
一応治療薬があるのですが、センセイには合わないようで、現在は別な、ちょっと副作用のある強い薬を使っています。この病気の改善策の一つが、日光浴。
実際、日光を十分浴びると患部が特によく焼かれて(?)、数日すると患部の皮膚が剥けて──お食事中の方、ゴメンなさい──かなり症状が改善されます。
もっとも、半年くらいすると元に戻ってしまうのですが。というわけで、ちょっと度が過ぎたけど病気の治療にために「パンダ」になったセンセイなのです。もうちょっとするとかなりみっともない状況になると思いますが、あまり責めないでください。
それにしても、中学生の頃は「日に当たってはいけない」病気に罹っていたんだけどなぁー。
■6月21日(日) 閻魔堂隣の時計店が閉店してしまっていた ――これがふだんの「えんま通り商店街」――
所用があったのでお昼に外出したのですが、えんま市以降のことがちょっと気になったので帰りに、市が開かれた旧市街地中心部を通ってみました。ご覧のように、一週間前のあの興奮が嘘のように人通りはまばら。
無人だとかえって信用してもらえないかと思ったので、自転車が通るのを待って閻魔堂(写真右奥)を撮影したものです。ふと気づくと、堂の入口左側の時計店(写真中央)に張り紙があります。都合により閉店しましたとのこと。
えんま市の時は気づかなかったけれど。その左隣のお店──何のお店だったかな──も営業はしていないようですし、もうちょっと左には地震の時に話題になった写真屋さんもあるのですが、こちらも営業しているのかどうかわからない......。
考えてみるとここ10年くらい、センセイはこの地域で買い物をしたことがありません。
唯一の例外は、郵便局があるのでそこを利用するだけ。柏崎地域全体の商業活動は、車での利用が便利な郊外に移っていて、昨日も今日もスーパーは不景気を感じさせないほど混んでいました。
阪神淡路大地震で大きな被害を受け、ひとまず復興した長田中央市場も現在、後継者不在による店舗撤退など、かなり厳しい状況に置かれていると聞きます。
このえんま通り商店街は近隣大学の先生と連携して再開発を計画しているのですが、やはり現状はかなり厳しい、という感じがします。