2013年3月9日更新(2013年3月24日ページ移動。2016年5月30日写真削除)
■3月16日(土) 今日という日はもう二度と来ないので... ──初めて卒業記念パーティーに参加しました──
忙しい。とにかく忙しい。複数の相手のある仕事が本来の予定や期限を過ぎており、こちらから遠回しに催促したり、先方からの催促にお詫びを入れたり。
非常にまずい状況です。本来ならばこの時期は業務の端境期で、大学教員ならばその気になりさえすればずいぶん集中して仕事をすることができるんだけど、それができていません。
風邪をきっかけとしてなかなか調子が戻っていないためです。そのため、やむを得ず昨日の大学院修了パーティーを欠席してしまったのですが、今日は学部の卒業式。
できれば同じ轍(てつ)は踏みたくない。というわけでかなり強引に時間をやりくりして、4年前に担当していたクラスの卒業記念パーティーに出席しました。
実は西村センセイ、パーティーへの出席は初めて。これまでは、我々教養部(「基礎教育部」)の教員には出席の要請がなかったのです。
個人的には航空システム工学科のパーティーに参加したことはありますが。進級判定が厳しいので、5年かけて、あるいは6年を要しての卒業生も多い金沢工業大学。
久しぶりに会うかつてのアドバイジーはというと、変わったような、(かなりふくよかになったけど)意外と変わっていないような。受け持ちではなかったものの、科目を履修していたという学生からも声をかけていただきました。「あの科目(の課題)で初めて徹夜した」とのこと。
大きなレポートのことですね。総じて、「やっぱりセンセイの小さな掌(たなごころ)を自分の力ではるかに乗り越えているんだなぁー」という印象。センセイは次の出番に備えて、楽屋に戻る頃合いのようです。
今回は工学部全体のパーティーに参加したのですが、講義の記録を手伝ってくれた二人の学部生のうち、機械工学科のT君に会うことができませんでした。
どうやら卒業式終了後、パーティーには出席せずに赴任先に赴いたようです。お礼の気持ちを伝えることができませんでした。なんだ、やっぱり今回も取り残されてしまった。T君、頑張ってね。
■3月15日(金) 後ろ姿を見送る日 ──大学院の学位授与式が執り行われました──
先日の午後、研究室のドアをノックする音が。その大きさから、比較的大柄な男性であることがわかります。
仕事をお願いしている業者の方だと思ったら、おぉ、大学院生のH君ではありませんか。学部学生時代に2年間、講義の準備などを手伝ってもらったのです。
大学院修士課程の2年生ですから、今春、大学院を修了。指導教授でもないセンセイのところへ挨拶に来てくれたのです。優秀で人柄も良かったので、単なる仕事の関係だけでなく、学部時代の就職活動を含めていろいろお付き合いしました。
残念ながら学部生の時の就職活動は、気持ちばかりが先走りすぎ。自分の良さも、不足しているものも上手く表現できていません、というかそれ以前に、自分自身をきちんと認識できていないのです。
企業が彼の「伸びしろ」を買ってくれるか、あるいはその逆か......。どうなるかなぁーと思っていたのですが、残念ながら希望していた企業には就職できませんでした。正直なところ、当時はかなり凹んだそうです。
でもそこからが彼の偉いところ。自分に不足しているものを、自分の力できちんと認識したのです。「学び」のスイッチが入った瞬間です。彼は大学院への進学を決意。
授業のページには載せていませんが、センセイは大学院の必修科目も持っているので、その後の、スクスクと育つ彼の様子を見ていました。
研究はもちろん、二度目となる就職活動もトントン拍子に進んで、めでたく一部上場のメーカーに技術者として採用。久しぶりに訪れたセンセイの研究室で、研究のこと、イタリアでの学会発表の様子、そしてやや不安な部分も吐露しながらこれからの抱負を語ってくれました。
もちろん彼なら大丈夫です。あっと言う間に3時間が経過し、彼は引っ越し作業が進んで寝具しか残っていないアパートへ。
ドアを出る時の後ろ姿は、以前よりひとまわり大きくなっていました。もちろんもう20歳代半ばなので、ちょっとふくよかになってきた、ということもあるのでしょうが。
そんな彼を含めて今日、大学院の学位授与式が執り行われました。本当は金沢駅前のホテルで開かれた祝賀パーティーに参加したかったのですが、仕事が遅れに遅れており、あちこちに迷惑をかけているので、それはかないませんでした。
他の修了生とも会いたかったので、それだけが心残りです。
■3月14日(木) 西村センセイのお昼が、いよいよ追いつめられてしまった
今日の北陸地方は、このところ続いていた陽気が一変して冷え込みました。最高気温は昨日より15℃ほど低下して4.8℃。日中は雪も舞ったほどです。
センセイはというと、2月上旬に風邪を患って以来、どうも体調がイマイチ。回復が遅れているのは、加齢で基礎的な体力が徐々に低下しているからなのでしょう。
講義はないにもかかわらず、仕事は溜まる一方。午前中に最低限の仕事を済ませて、何かを食べることにします。体力が基本中の基本ですから。
でも困ったことがあります。春休みで学生がいないので、大学食堂は最低限のメニューしかないのです。学期中なら週替わりのメニューなどで何とかなるのですが。
センセイの工大近辺での外食先はどんどん減ってしまっています。ラーメンはここ数ヶ月、まったく食べていないと思います。そこでもっぱらほっかほっか亭ということになるのですが、昨日も利用したので、さすがに今日は避けたい。
いろいろ考えた末、松屋(写真は今夕撮影したもの)で普通のカレーライスを食べることにしました。センセイは牛丼の類をほとんど食べませんが、松屋のごはんはそれなりに美味しいし、カレーは万人向けのプレーンな味だし。
お昼時なのに、入ってみるとお客さんはセンセイだけ。気の利く店員さんに気分良く対応してもらって、程なくカレーが届いたのですが、あれ?!
どこか変わったような......。懸念を振り払うかのように食べ始めると、辛い!!
正確には、辛いというよりスパイスの味が強くなったように感じられます。香辛料の刺激成分が鼻に抜けていきます。
本当のことを言うと、カレーの味が変わった──松屋の場合、店舗内での製造ではないと思う──のか、センセイの胃袋が加齢によって弱くなったのか(/あるいはその両方)はよくわかりません。
はっきりしているのは、松屋のカレーとご縁が切れてしまった、ということです。西村センセイの昼食は、いよいよ追いつめられてしまっています。
■3月13日(水) 「これが200系の見納めになるんだろうなぁー」 ──センセイは、いつでもどこでも鉄分補給──
今日は、先日上京した際にたまたま目にした鉄道の話題。
往復ともに上越新幹線を利用したのですが、新幹線ホームに到着し、階段を降りようとすると、あれ?!
床の、ある場所が他と違っています。6角形を組み合わせたモニュメントの中央にはご覧のように“0Km POINT”。
東北新幹線の0キロポスト(路線の起点を表す「起点標」)です。初めて意識して見ました。東京駅にいくつかの0キロポスト(写真削除)があることは知っていました。
でも東北新幹線は建前上、新線ではなく在来線の増線として扱われているので、0キロポストは存在しないと思い込んでいたのです。
う〜ん、ちょっと反省。すべての仕事を終え、再び東京駅のホームで新幹線を待っていると、「Maxとき」が入線してきました。
折り返し列車なので清掃の必要があり、また待たされるんだろうなぁーと思っていると、意外にも整備済の車両。
すぐに乗り込むことができました。折り返し列車だと車内整備の必要があるので、その完了後、すぐに乗客を乗せ、慌ただしく発車するのですが、今回は15分ほど待つことになりました。
折り返し運転の「あさま」の出発を見送り、ぼんやりとしていると、おぉ、写真の200系新幹線が到着!!「回送」などの表示も、アナウンスもありませんでした。
まるで田端の東京新幹線車両センターが一杯になって居場所がなくなったので、一時的に追い出されたかのよう。
この丸鼻の200系は現在、上越新幹線だけで運行されていますが、それも今週末のダイヤ改正で定期運行から外れることになっています。
4月以降も引退記念として臨時列車の運行はあるようですが。だからセンセイが目にすることができるのは、おそらくこれが最後。
初めてちゃんと利用した新幹線だからということもあるのでしょうが、個人的には新幹線の中では他の形式よりも愛着を感じています。
「3列席はかつて、固定式で回転できなかったよなぁー」などと昔を思い出しました。でもホントのことを言うと、新潟県中越地震で脱線した車両が、新潟新幹線車両センターで保存されているのです。建物の外に置いてあるので、実態は放置に近く、傷みが目立つのですが。
近くを通るJR白新線の列車に乗っていると、その姿を見ることができます。脱線原因の調査は完了しており、その結果もすでに耐震対策として実施されている──東日本大震災の時にも効果を発揮した──いるので、これらの車両がいつまで置かれているのかはわかりませんが。
■3月12日(火) あの日と同じように、人々は整然と電車を待っています
昨日の朝、会合に出席するため山手線外まわりに乗っていると、東京駅のホームを離れた場所で電車がストップしてしまいました。明らかに異常。
平行する京浜東北線は、センセイらを線路の上に残したま、素知らぬ顔で去ってしました。前の電車との感覚が狭かったので、その調整かなと思っていると「上野駅で人身事故が発生したため全線で運転を見合わせます」とのこと。上野駅は後方。
でも山手線は循環線なので、先が詰まった状態になり、運行できないのです。運転再開は約1時間後の見込みとのこと。困った......。
もちろん会合の開始時刻に間に合わないし、しかもこんな線路上に停車した電車の中で、重い荷物を抱えて立ったまま1時間待たなければならない。
山手線はそれなりに混雑していたのです。幸いにも電車(左後方の車両)は数分後、最寄りの有楽町駅まで運行し、そこで運転再開を待つことになりました。
京浜東北線は遅れながらも運行しているので、可能な方はそちらに乗り換えて欲しいとのこと。センセイは隣の新橋までなので、乗り換えます。最悪の場合はここで降りて歩けばいいんです。
乗客の8割以上がセンセイ同様、京浜東北線に乗り換えることに。センセイはドアの前にいたので列の先頭になったのですが、他の方もそれに続くような格好で移動し、文句を言わずにきちんと列を作って電車の到着を待っています。
まるであの日のよう。異なる点があるとすれば、あの時並んでいたのは帰宅難民で、今、ここで並んでいる人々は遅めの出勤途中ということだけ。
かなり待たされて、京浜東北線に乗り換えました。東日本大震災の後、国際会議に参加した人や、あるいは直接、外国人から日本人の地震への対応について話を聴く機会がありました。もちろん「すばらしかった」。
ただしこれは、普通の国民に対する評価です。彼ら彼女らはそれに続けて、「しかし総理大臣と官房長官の発言や行動は理性的ではなかった」。まさしくその通り。
でもセンセイの見るところ、混乱をもたらさず、整然と行列を作っていた人々の中にも、あるいはその背後に、我々の弱点が如実に示されていたように思えてならないのです。
それは電力会社や報道機関、行政組織、そして御用学者という形を取っていましたが。もちろんセンセイもその例外ではありませんので、念のため。
■3月11日(月) サイレン等は一切なく、ただ教会の音が遠くから聴こえてくるだけ...
西村センセイは現在、都内へ公務出張中。日中の研究会と夜の懇親会を終えてホテルに戻ったところです。すでにかなり酔っ払っているので、今晩は手短に。
やはり、酔わずにはいられないものがあるので。誤解なきようにお願いしたいのですが、決して「あれ」を忘れてしまいたいとか、「なかったことにしたい」――あ、同じことですね――わけではありません。
ご存知のように、あの東日本大震災からちょうど2年になるのです。しかもセンセイらが会合を開いたのは、2年前に地震に遭遇した、まさにその場所。ただしあの時は1階の大きな教室で、今回は11階の演習室でしたが。
日程の関係でいつもより参加者は少なめだったもののその分(?)、今日の研究会では白熱した議論が交わされました。そのため、午後2番目のセンセイの発表は予定より大幅に遅れて、質疑応答の最中に午後2時46分を迎えました。
地震発生時刻です。全員で黙祷したのですが、やや意外なことに、館内放送はもちろん、サイレンの音などを聴くことはできませんでした。
黙祷の最中、耳を済ませていると、遠くから鐘の音が聴こえるだけ。後から確認すると、愛宕山付近の教会の鐘の音だったようです。
あの日、大揺れが収まった後に、携帯電話のワンセグテレビの画面が映し出したのは、大津波と、それに流される大型漁船の姿。
映像の中に人影を確認することはできませんでしたが、現場で起きていることは容易に想像できます。あれから2年。その当時も、そしてそれからもセンセイとしてはそれなりに対処してきたつもりですが、悔いは残り、飲まずにはいられないものがあります。
今晩だけは酒飲みの自己弁護ではないのかもしれないと(ちょっとでも)斟酌していただけるなら、幸甚に存じます。
■3月10日(日) ロープウェイのような設備があって、おいしいうどんを食べられるこの場所は、いったい...
昨日から今日にかけて、北陸地方も妙な天気。
不安定というより、あまりりにも変化が大きすぎたと表現する方がが適切でしょう。例えば今朝の柏崎はアメダスにあるように早朝に最高気温22.6℃。5月の気温とのこと。
日本海を通過した強い低気圧に向かって、南から暖かい風が入り込んだためです。ところが低気圧に伴う寒冷前線通過後は、極めて短時間で気温が約20℃も低下。強風も吹き荒れました。センセイがお昼に外出した時の車外気温計は3℃を指し、時々霙も混じったほど。
実は、昨日も変な天気だったのです。気温はそれほど高くはなかったのですが、快晴だったので、帰宅するために富山県内を走行している車内は暑いくらい。センセイはカーディガンを脱いで運転していました。
でも車外へ出ると、人々は厚手の冬用コート姿。何だか、見ているだけで調子を崩しそうになります。どこかで遅いお昼を食べる必要があります。
センセイは高速道路が苦手なので、一般道を好んで運転するのですが、昨日の帰宅時のように富山県内を走行する際は主に、「スーパー農道」──要するに農林水産省管轄の国道──を利用します。
運転そのものは快適なのですが、基本的に「農道」なので、周囲にコンビニはあってもちゃんとした飲食店は少ない。どうしようかと思っていた時に、魚津市観音堂のおいしいうどん屋さんの存在を思い出したので、そこへ入りました。写真中央の施設の中に、簡素な造りのお店があるのです。
でもよく考えてみるとここは、何だかとても不思議な場所。人通りは少ないのですが、施設──ただしやや荒れ気味──はかなり大きく、ご覧のように広い駐車場を備えています。
一番わからなかったのが、手前と右奥の鉄柱群。特に、右奥のものは上下二段のモノレールのような構造になっていて、それが写真右上の高台にまで続いています。
いったい何なのか、ずっと不思議に思っていたのです。もしかすると、知らなかったのはセンセイだけかもしれません。ゴルフをされる方は、少なくとも奥の鉄柱が何なのか、もうお分かりなのではないでしょうか。
右上には観音ゴルフクラブというゴルフ場があって、鉄柱は「モノレールカート」という自走式のカートを走らせるためものものらしいのです。
ただしセンセイはそれが動いている場面を一度も観たことはありませんが。敷地の一部には、そのモノレールカートと思しきマシンが何台も放置に近い状態で置かれています。もしかすると廃棄を待っている状態なのかも。
このゴルフ場が民間営利企業の施設だとしても、センセイにはまだ謎がたくさん残っています。どうもうどん屋さんや、その右隣にある「松倉もちより市 もちよりひろば」は、採算性をひとまず措きながら、地域の方が主体になって運営しているようにしか思えないのです。
ゴルフ場を運営する企業と、地域との関係はどうなっているのでしょう。いろいろ考えながら待っていると、お願いしたかけうどん(500円)が届きました。天玉のサービス付です。ただし個人的には天玉、苦手なのですが。
ここは好意をありがたく頂きます。以前はうどんのコシが強く、割と東日本の醤油味──魚津は東日本の食文化の影響が強い──だったのですが、ここを訪問するたびに味が変化しています。
今回は見るからに、そして味もまさしく関西風。塩分は少な目でしたが。そういえば、以前は券売機じゃなかったし、ラーメンはメニューになかった。
お客さんはというと、皆、地元の人ばかり。下水掃除か何か、地域の行事を終えたと思しき作業服姿の4人組と、従業員には顔見知りらしいお客が二人。
そしてセンセイ。ゴルフをしないこともあって、ゴルフ場がどのような状況なのかはセンセイには良くわかりませんが、少なくとも、この地域の有志が、ここを拠点にして、この地域を支えていこうとしていることだけは不明なセンセイにも伝わってきます。
だから西村センセイはきっと、うどんのためにここへ立ち寄ることになると思うのです。あ"、でも次に食べるのは、地元の方が作ってくださるラーメンかもしれませんね。