2008年3月8日更新(2008年3月16日ページ移動。2012年9月20日一部写真削除)

──2008年3月第2週のニュース──

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3月8日(土) 春のツアーは、何だか出だしから...。 ――西村センセイ、京都に出現!! ――

 西村センセイの一連の「春のツアー」は今日から最も長い行程に入っており、センセイは現在、京都市内に滞在しています。

 でも今日は、ここにたどり着くまでが結構大変だったのです。

 アパートの近くにはバス停があって何系統かのバスが走っているのですが、目の前を金沢駅行きのバスが......。少し離れた所にあるバス停の別系統に乗ろうとしたら、そのわずかな移動の間にバスが到着、出発してしまいセンセイは置いてきぼり。
 何だか朝からイマイチです。

 もちろん時間に余裕はあったので、少し待ってバスに乗り無事に金沢駅に到着したのですが......様子がおかしい。

 センセイが駅に到着する直前に北陸本線の踏切で特急列車と車の衝突事故が発生し、京都・大阪・名古屋方面の列車は完全に停止しているとのこと。

 富山方面からの列車はすべて金沢で運転を打ち切ってしまい、乗客がどんどん降りてくるのですが、状況がわからないので、みんな改札口に押し寄せてきてきます。

 そのうちに「負傷者の救出作業が...」とか「車がまだ線路内に...」などと状況を伝え始めました。
 復旧までにかなり時間がかかりそうなので注意していると、センセイが予約していた列車を含めて、数本の特急電車が運休になってしまいました!!
 運転再開はお昼頃になるだろうとのこと。

 センセイはすぐに運行予定の列車に乗車券を変更をしてもらったのですが、事情に詳しくない人はただ右往左往するだけ。

 結局、約3時間後に運転が再開されたのですが、再開直後の特急列車は、自由席はもちろん指定席も立ったままの乗客であふれており、相当殺気立っています。
 オマケに線路に乗客が物を落としてしまったり、あまりの混雑に体調を崩す人が出て搬出されるなど、いや、もう、やっとで京都に到着しました。

 さて、今日の目的地は立命館大学。有名な「コンソーシアム京都」主催の会合が開かれたのです。
 知り合いも発表するし、そもそも興味のあるテーマだったので早めに到着できるようにしていたのですが、3時間の遅れは大きい。

 店じまいし始めた受付で急いで登録し、通された教室が右の写真。あれ、発表者がいないぞ?!

 だんだんわかってきたのですが、参加者が1,100名くらい(!!)になって、もう本来のホールには収まりきらなくなり、遅く到着した参加者は大教室でモニタを見ることになっていたのです。
 もちろんセンセイは一番の遅刻組。

 それでも発表の後半は面白かったし、別な知り合いにも会えた――やっぱり勉強家だなぁ――ので、それはそれで有意義でした。

 立命館を訪問するのは約10年ぶりの2回目。
 前回はとても良い印象を持ったのですが、学生さんの様子を見ていたり、会の運営を見ていたりすると、正直、「あれっ?」と感じる場面もありました。

 10年間の間に、センセイ自身のことを含めて、いろいろ変わったのかなぁーなどと感じたりもします。



3月7日(金) もう結婚式に呼ばれることはないだろうなぁ...。 ──卒業を控えたコンパに参加して──

 6年前に金沢工大に移った時、「きっとこうなるんだろうなぁー」と思ったことが二つあります。自宅や実家から200km以上離れてしまうので、親の死に目に会えないだろうなぁーというのが一つ。
 もう一つは「もう学生の結婚式には呼ばれないんだろうなぁー」。

 後者はちょっと解説が必要でしょうね。

 前任校では1年生から4年生まで教えていましたし、3、4年生のゼミも持っていました。だから卒業パーティーには当然出席するし、卒業生が結婚するとなると呼び出されることになります(当時はそれが普通だった)。

 でも金沢工大ではちょっと違います。

 講義では大学院を含めていろいろな学年向けのクラスを教えるのですが、高校までの学級担任のように、センセイらがある特定のクラスの雑事を引き受けるのは1年生だけ。
 2年生に進級すると専門の先生が担当されるので、センセイらの手を離れてしまうのです。

 以前お伝えしましたが、4年前に金沢工大の学部学科が大きく再編成され、センセイはたまたま新設の「航空システム工学科」の担任になりました。
 個性豊かで前向きに取り組む人たちばかりだったので、とても印象に残っています。

 そして、どうもセンセイが影響を受けただけでなく、学生諸君も少しはセンセイに刺激されたようで、その後も時々遊びに来たりしてくれていました。

 卒業研究の発表無事に乗り切った終えた彼ら/彼女らが昨晩、卒業を控えたコンパ「大おやじ会」を開き、センセイも誘ってくださったのです。

 みんなに揃って会うのはホントに久しぶりだったのですが、最初の印象は「何だ、あんまり変わってないじゃん」(失礼)。でもよく見ると、ふとした表情や態度に「大人になったなぁー」と感じます。

 このクラスの前も、後も、1年生を担当したクラスは基本的にセンセイの手を離れてしまっている──程度の差こそあれ、これは教師の宿命──ので、こういう会に参加させてもらうのは、これが最初で最後になるんじゃないかと思います。

 初代航空システム工学科の皆さん、貴重な時間を楽しませていただきました(ペコリ)。今後の成長をご祈念しています。



3月6日(木) ブルーレイディスクを買い占めたのはいいけれど...

 昨日、上野駅で新幹線を降りてちょっとだけ秋葉原に立ち寄りました。買い置きが心細くなってしまったので、ちょっと多めにブルーレイ・ディスク(BD)を手に入れようと考えたのです。
 自宅のある柏崎だと、BDは大手家電量販店でも1,300円くらいするので、まだ気軽には使えません。通信販売だとか外国製なんかは安いらしいですけど。
 金沢の相場は知りませんが、忙しくて買い物に出る時間はないし。

 仕事の途中に立ち寄るだけで時間がないので、今回は秋葉原駅前のヨドバシカメラに直行。10枚組の国産品を1枚当たり800円弱で販売しており、即決で30枚ほど購入しました。

 仕事を終え、ホテルに戻ってからふと気づいたのですが、この30枚のBDディスク、いったいいつになったら使い切ることができるのでしょうか......。

 ベータやVHS、8mmビデオ、あるいはLDなどの手持ち映像素材はかなりの部分、BD/DVD化を終えています。

 もちろんこれからハイビジョン放送をBDに残すこともあるだろうけれど、これまでの使用実績からするとそれほど頻度は高くない。
 何よりも割高なBDで残すだけの価値のある番組が少ないのです。

 個人的には、アナログテープで録画した教材(放送大学やドキュメンタリー番組など)のデジタル化がまだ完了していないし、数十本の娘の成長記録もまだ手付かずのまま。
 ただしいずれもSD規格なので、データ要領の大きいBDに移せば合計でも20枚くらいにしかならないはず。

 多くのユーザーはBDをテレビ番組の録画に使われるのではないでしょうか。

 でもこういう使い方だと、留守録などでとにかくHDDに記録して、見終えたら消すという使い方が多いように思われます。この段階でディスクへのコピーの可能性は相当低下すると思います。
 もちろん、1枚約50円のDVD-Rなら話は別ですけど。

 西村センセイの場合、ディスクが高かろうがどうだろうが必要であって将来に向けた投資にかなうと判断すれば、少しくらい高い機器でも消耗品でも購入します。
 でもハイビジョンの録画保存に関しては、まだそこまで合意形成ができていないのではないかと思います。テレビの視聴は原則無料なわけだし。

 意外とBDレコーダーの需要はそれほど高くならず、どこにでもころがっているアナログTVやVHSデッキはもちろん、DVDレコーダーほどにすら、普及率は及ばないんじゃないかと思ってしまいます。

 BD/HD DVD戦争には、誰も勝者はいないのかもしれませんねぇ。



3月5日(水) 西村センセイ、春のツアー開始!! ──ただ今、都内からお送りしています──

 西村センセイは現在、都内に滞在中。夕方に開かれた研究会に参加していたのです。

 今晩はもう金沢/新潟に戻ることができないので、明日の朝早起きをして、自宅脇をかすめながら金沢へ移動します。

 今日はこれから約2週間にわたるツアーの初日。
 といっても、ずっと旅に出ているわけではなく、途中に金沢に立ち寄ったり自宅に戻ったりするのですが。

 右の写真は今回のツアーに必要なJR乗車券類。最後には家族と合流するのですが、その分は含んでいません。

 センセイは出張が短期でも長期でも、そもそも新潟─金沢間でもほぼ決まった小物類を鞄に入れて持ち運んでいます。

 デジカメ(写真なし)から始まって、データ通信用PHSモジュール、新しい携帯電話──薄型軽量なのにワンセグTVも見られるのでとても便利──、FM/AM/TVラジオ、ボーズのヘッドホンと口径/航空機用変換アダプター、ラジオ/HP用予備電池、第三世代iPod、MS-DOSおよびMacフォーマットのUSBメモリやケーブル類といった具合。
 実際にはこれらのケースもありますし、重く嵩
(かさ)張るパソコンのACアダプターも必要です。

 でも決まり切った新潟─金沢間の移動や、ごく短時間の外出ならともかく、一泊でも連泊でも使うものはほとんど同じなので、決まったものを鞄の決まった場所に収めて持ち運んだ方が楽なのです。
 忘れ物のチェックも簡単だし。

 以前はアナログモデムのケーブルを持ち運んでいたのですが、PHSに切り替えてから全く使うことがなくなりました。
 技術の進歩で機器の使い方が変わったのですね。

 新しく加わったワンセグTV(付携帯電話)も、ニュースや天気予報を見る時などはとても便利ですが、日本海側の電波の悪い場所を動く時はまだちょっと使いにくい。
 一方、ラジオはずいぶん疲れてしまっていますが、小型だし電池の持ちも良いし、三波対応で、どこにいてもたいていどれか一波は何とかなる──AM波はトンネルの中でも受信できることがある──ので、当分、現役のままでとどまりそうです。

 そして最後に割り箸を一膳積み込みます。めったに使うことはないのですが、ふとしたはずみで電車の床に落としたりすると、ホントに困ったことになってしまいますからね。

 というわけで、見かけ以上に重い鞄を抱えて、行ってきまーす!!



3月4日(火) 表情の厳しさが、良い。 ──おぉ、これがフォーミュラカーかぁ!! ──

 所用とお昼を兼ねてキャンパスの外へ出ようとしたら、かなり大きなエンジン音が聞こえてきました。「大きい」といっても暴走族なんかと違って節度のある音です。

 何だろう思いながら角を曲がると見えたのが、写真の車。レーシングカーのような小さな車です。
 きっとこれがフォーミュラカー。(たぶん。センセイはあまり車に詳しくないのです。)

 エンジンの回転数がずいぶん高いので、すぐに走り出すのかと思いきや、あちこちチェックしていてなかなか動きません。

 周囲を見渡すと、写真左手にはゲストのカードを下げた方が数名、様子をご覧になっています。
 学生の自主活動の拠点である夢考房は大きな道路に面しているのですが、歩道のあちこちで人が立ち止まって走り出すのを待っています。

 やっとスタート地点(?)に車が移動し、旗が降りていざスタート......と思いきや、走路の要所要所に立っている人のOKが揃わないと発進できないようです。

 準備が整ったようで、やっと発進。

 でも走路は狭い──だって、昔の電気店の駐車場だから──ので、スピードを出せずに、すぐにカーブを切ります。

 自分で運転するつもりで見ていると、何だか自分のハンドルさばきとかなり違う......。まぁ、これがレーシングのしかたなのでしょうか。

 あまり時間がなかったのでその場を後にしたのですが、ドライバーの表情はフルフェイスの向こうで分からなかったものの、周囲のスタッフはほんとうに真剣な表情でした。
 安全に関しては特に注意を払っている感じがしました。

 研究室に戻って夢考房のホームページを探してみると、やはりフォーミュラカーのチームでした。

 今回はいらっしゃらなかったけれど、去年までセンセイを手伝ってくれた修士1年のN君がこのチームの一員なので、西村センセイ、以前からちょっと気になっていたのです。
 テストが終わったせいもあるかもしれませんが、とにかく学生諸君の表情がいいんですよね。



3月3日(月) 「元祖」と「本家」、米山はどっちが美しい?!

 ある意味では、昨日の続き。

 JR信越本線に乗って柏崎から西へ向かう時は、車窓からの見所がたくさんあります。

 柏崎−柿崎間は海岸線のすぐ脇を走るので、奇岩や高い崖に囲まれた入り江、海岸沿いの風情のある小さな駅など──例えば青海川駅──を楽しむことができます。
 残念ながら柿崎以西は砂丘の内側にはいるので、直江津を過ぎるまでしばらく海を見ることができなくなります。

 そこで座席を南側(山側)へ移動。

 晴れていれば、ご覧のように地域のシンボル「米山」(993m)を見ることができます。(手前は北陸自動車道。地震による損傷跡が見える)

 新潟県は西から北東に向かって、つまり京都に近い方から、上越/中越/下越と分かれています。
 越前(/加賀)/越中/越後と同じ理屈です。
(上越新幹線などの「上越」は「上州」〔=群馬〕と「越後」から作られた造語)

 米山は上越市(旧高田・直江津市)などの上越と柏崎市などの中越とを分けているのですが、この地域では古くから「上越/中越のどちらから見た米山が美しいか」という議論があります。

 もちろんセンセイは中越(柏崎市)の人間ですから、慣れ親しんだ柏崎市(東側)から見た米山(下の写真。オリジナルはこちら。ちなみに、雨の日はこんな感じ)を美しいと感じます。

 でも金沢と頻繁に行き来するようになってからは、山らしい山の姿をしているのは上越(西側)から見た方(上の写真)でなないかなぁ、と思うようになりました。

 下の写真でお気づきになると思いますが、柏崎から見ると手前に低い山の向こうに、米山が頭だけを出しているような格好になるのです。
 まぁ、それはそれで美しいと思うのですが。

 でも、実は米山は南に向かってずっと山が連なっています。
 山がちですから住んでいる人も少なく、従ってあまり話題になることはないのですが、「南から見た米山」も確かに存在します。

 手持ちの写真で真南から撮ったものはないのですが、南西から見るとこんな感じ。(上の写真左端)
 南にさらに回るともう、何が何だかわからなくなって、印象はとても薄くなります。

 つまり「どちらが美しいか」という議論をする時、センセイを含めて人々は、「自分たち以外の可能性」をあまり考えていないのでしょうね。



3月2日(日) 柏崎市番神地区で災害復旧工事が進められています

 電車に乗って柏崎駅に近づくか、あるいは出発した直後にとても気が重くなる場所があります。JR柏崎駅と西隣の鯨波駅のほぼ中間、柏崎市番神(ばんじん)地区です。

 番神は佐渡に流刑されていた親鸞許され、寺泊を目指したものの、潮に流されて──潮の流れは逆向きなのだけど──この地に流れ着いたという場所。
 今日の午後、電車の車窓から番神地区を撮影したのが下の写真です。概ね、南から北に向かって写しています。


 高台に民家が密集していますが、崖が崩れたりシートがかけられたりしています。もちろん昨年の新潟県中越地震で被災したためです。
 この地区の家屋はほとんどが全半壊してしまったのですが、全壊した家はすでに撤去されているので、写真に写っているのは比較的被害の軽かった方なのです。

 う〜ん、でもこれでは何だか良くわからないので、隣の高台から撮影したのが下の写真。

 今度は東から西向きに撮影しています。写真には写っていませんが、左側を信越本線が走っており、上の写真は左から写真中央の高台を撮っていることになります。


 二つの写真を比べてみると、上の写真で右側に写っている重機が下では中央に、右のシートが下では左端に、という具合にそれぞれ対応しており、東西に走る船のような形をした高台を、南から(上の写真)と、東から(下)撮っていることがお分かりいただけるでしょうか。

 番神地区は北も南も崖になっています。

 特に北側(下の写真での右側=海側)はほぼ絶壁になっていて、上から見ると落ちるような感じがします。その先は柏崎港になっています。
 ちなみに右奥のビルは岬館というホテルで、その東隣に番神堂があります。こちらの写真はそこから撮影したものです。

 この辺は砂地でもともと地盤が強固でなかった上に、この高台の真下にトンネルを掘ったためもあってか、今回は大変な被害を受けてしまいました。
 地元紙の報道によると新潟県の災害復旧工事として2ヶ月後の完成を目指して、崖の上下で工事を進めているそうです。

 同紙では報道されていませんが、親鸞上陸の話でもわかるように、この地区はとても深い歴史を持っています。その分、宅地が細かく分かれているため、単純に敷地や家屋を復旧させるのではなく、区画整理をする必要があるのだそうです。

 もちろん土木工事も大変でしょうが、そこに住み慣れた人々、特に老人の心労を察すると、またしても気が重くなるのです。

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