2018年2月3日更新(2018年2月11日ページ移動。2019年12月29日写真削除)
■2月3日(土) やはり、どこかで自分なりに区切りをつけることが大切だと思う
今日は節分。というより、センセイらにとっては入学試験3日目。
関係者の疲労はピークに達しているので、センセイを含めて業務終了後は早めに帰宅し、最終日に備えてしっかり休息することにします。そもそも、今日は土曜日だし。食料ないしは惣菜を買い求めてスーパーへ。
さすがに今日は、値引きが始まる時間まで付き合うことはできません。今日は早朝に車で出勤したので、どこかに駐車する必要があります。夕方の買い物時間帯なので、空きスペースは少ないのですが、写真右側の駐車場に車を止めます。
お店に入るためには写真左側の道路を渡る必要が。道路脇、茶色の部分に車が3台。ここは歩道、つまり歩行者のための空間なのですが、そんなことは想像もできないらしい。
実は、金沢で良く目にする光景。金沢では資源ゴミの回収日などに、地域の方が順番で見張りに発ちます。アパート暮らしのセンセイは免除されていますが。
最初に目にした時は、びっくりしました。見張りを立てているということは、客観的にその必要性があるか、実際はその必要がなくても「立てなければならない」と多くの人が考えているかのどちらか。
いずれにせよ、あまり健全ではない。もちろん自宅のある柏崎市などでも、ゴミを不適切に捨てる人は存在します。でもそれは僅か。京都に似て、金沢は外からの一見客(いちげんきゃく)には優しい。
要するに、ただの通りすがりの人間なので。でも金沢で暮らし始めるとやはり京都に似て、表裏(おもてうら/ひょうり)があることに気づかされる瞬間があります。
今日は節分。文字通り、季節の区切り。外部から求められようがそうでなかろうが、人間やはり、どこかで自分なりに区切りをつける必要があると思います。
......おっとこれは、センセイらが金沢工大で講じている応用倫理(applied ethics)の「線引き問題」“demarcation problem”そのものじゃないか。
■2月2日(金) 自転車通行帯を夜に、しかも無灯火で逆走する(!!)のはやめてほしい
お伝えしたように、昨日からメインの入学試験が始まっています。
失敗が許されない種類の仕事なので、神経を使います。まだこれが数日続くので、ヘトヘトですが、翌日からの業務に備えて夜の駐車場へ。BMW 320i M Sp(MT)は上機嫌。
スーパーに適当な惣菜がなかったので、値引きされたハタハタを買い求めます。母親が作った白菜と葱で鍋を作るつもり。場所によってはまだ雪が残っていますが、幹線道路は無雪で乾いています。その手前にある自転車通行帯(自転車レーン)で一時停止て左右を確認。西村センセイ、一時停止は厳守しています。(他は少し自信ないけど)
幸いにも、右からは自動車も自転車も来ません。左折するためにゆっくりと車を発進させると、左から来た自転車が目の前を猛スピードで通過しました。
写真はドライブレコーダーの記録を切り出したもの。まるで衝突寸前のように感じられるかもしれませんが、実際には車体最前部から1.5〜2m程度の距離があります。
でも、びっくりして急ブレーキを踏み込んだのは事実。進行方向右側に気を取られて、左側の注意がやや不十分だったことは認めざるを得ません。
ただし道路交通法上、自転車は軽車両。道路の左側を走行しなければなりません。しかも無灯火!!
20歳前後の男性であることしかわかりませんでした。こちらが一時停止後発進しかけていることを明確に認識していたはず。敢えて、意識して走行し始めた車の前を突っ切ったわけです。
スリルを求めるその気持ち、わからないではない。でも、万一接触したら、最低でも車道側に転倒するなどの事態に陥ったはず。もしそこに、たまたま自動車がやって来たとしたら......。
やめてほしい。(キッパリ)
■2月1日(木) 「問いの立て方」そのものを問う力 ──金沢市は今日から家庭ゴミ回収を有料化しました──
今日は2月1日。
金沢工大では今日から4日間連続で、学部のメインとなる入学試験が実施されます。もちろん入試部長のセンセイは、業務に従事する教員よりもずっと早くご出勤。なお、この業務に関するコメントはありません。
でも今日は、アパートを発つ前にしなければならないことが。今日は木曜日。回収のために可燃ゴミを指定の場所に出す必要があるのです。でも今日は特別な日。金沢市では今日から家庭ごみ有料化制度が開始されるのです。
市が指定するゴミ袋を購入し、使用する必要があります。まだ暗い中、身支度を整えていると、夜勤から戻ったアパートの若い住人がゴミを出しに行きました。足音でわかるのです。
その後を追うような格好で指定の場所へ。奥が彼の、手前がセンセイが出した可燃ゴミ。彼が最初で、センセイが2番目らしい。金沢市から試供品として各家庭に配付されたものを使用していると思われます。
白色透明で、良質の素材を使っています。ちなみに金沢はまだ写真のように雪がかなり残っています。また黒っぽい物体は、カラスのいたずらを防止するためのネット。
もちろん撮影後にかけておきました。以下は個人的な感想ですが、金沢でのこのゴミ回収有料化に関して市民の間で十分な合意形成が行われたという印象はありません。
もちろん議会できちんと審議したことは承知しています。でも金沢の平均的な人の思考様式は「お上が決めたことだから...」。今日の報道の様子を見ていても、町内会長の「違反者にはどう対応するんですか」という発言は報道しても、根本的な疑問には触れない。
「問題の立て方」そのものを問う力が本当にあるんだろうか......。金沢で生活していると時々、しかし確かに思い知らされる時があります。
■1月31日(水) 故障したCANONのデジカメは修理のために大分へ。代わりに取り出したのは、デジタル一眼!?
......で、実際、その通りなのです。
4年ちょっと前に購入したCANONのデジカメ、まず何より画質が良い。その前に使っていたリコーの“GR DIGITAL II”──大学の備品を借用しているもの──も画は綺麗だったけど、どちらかというとそちらは力ずく。
一方、CANONの“PowerShot S110”はとても素直な画質。素性の良さを感じます。しかも小型軽量。特に薄いので鞄の中にポンと入れておき、いつでもどこでも使用することができます。そこでここ数年は事実上、CANONだけを使ってきました。
さて、どうしよう。当然、まず考えるのは修理。調べてみると一律13,000円ちょっとで修理してもらえるらしい。故障内容の確認や見積もりの作成、依頼者とのやりとりその他を総合的に考慮して至った金額のようです。
要するに、「いいよね、これくらいで」。でも他の選択肢も。例えば単純に買い替える。あるいは買い替えた上で、一部故障したカメラをハードオフなどで適価で引き取ってもらう。ちょっと調べてみたところ、同じようなランクの製品を3万円程度で購入できるようです。
修理代金(+送料他)や修理後の寿命を考えると、実に微妙。でもセンセイとしてはやはり、良いものは長く使いたい。
しかもよく調べてみると、故障した“S110”とその後継機種は当時としては大型の撮像板(1/1.7")を使用していたのに対して、候補に挙がった機種の撮像板は小型。画質ではなく、望遠などの機能重視。
画質の良い撮像板(1")を使っているものは、コンパクト型でも6万円前後するようです。正直なところ、そちらの購入も考え、実際に「ク、クリック」しそうになったのですが、今回は見送りました。やはり一定の需要があるようなので、代替わりしても高画質機種がラインナップから消えるとは思えないからです。
というわけで、故障したCANONの“S110”は修理のために本日、修理拠点のある大分に向けて旅立ちました。修理には1週間から10日程度かかるとのこと。その間、どうやって日々を記録しようかと思ったのですが、自宅にいてふと思いついたことが。
先日、キーボードのゴム脚に関係して押入を整理している時、デジタル一眼カメラを見つけたのです。それが写真のOLYMPUS製“PEN Mini E-PM2”というモデル。短焦点および望遠のズームレンズ付のセットです。もちろん買ったのはセンセイ。
でも、使っていたのは娘。過去形です。数年前、突然「早めに誕生日プレゼントが欲しい」と言われ、彼女が住んでいた場所の近くのヨドバシカメラで購入したものです。
スマートフォンの性能が向上する直前で、当時は「カメラ女子」が持てはやされ始めた頃。年頃なのでたぶん、その当時は記録したいものがあったのでしょう。でもしばらくすると使わなくなり、就職に伴う転居でカメラは実家の押入へ。
高性能のスマートフォンで撮影するようになったというのがさし当たりの理由。でも本当は、「記録したいもの」が「記録する必要がなくなるほど身近になった(/なりそう)」ということなんじゃないかしら。本人はたぶん気づいていないけど。
彼女が巣立つ日は近い。お父さんとしては嬉しいような、悲しいような......。
■1月30日(火) まるで主(あるじ)の帰宅を待っていたかのように、いろいろなものが次々と昇天してしまった...
先週土曜日、帰宅したセンセイを待っていたのは電話機。
2階書斎、机脇の棚に置いてある電話機──トップページ写真の中央上部にあるもの──の呼び出し音です。たまたま鳴ったのではなく、数日前に故障してから、ずっと鳴動し続けていたのです。
電源を落とすしかない。しかし自宅のシステムは非常に複雑なため、家人では無理。元のコードを抜くと、システム全体がダウンしてしまいます。電源コードを確かめて供給ラインから抜きます。やれやれ。
センセイは21年半前、この地に自宅を新築しました。当時は新潟県内の、しかし110kmほど離れた大学に勤務。現在同様、本来の仕事に加えて入試業務を担当していました。この種の仕事は、打合せと段取りが命。
というわけで在宅勤務を念頭に置いて通信回線を選択しました。外部とのやりとり(メタル・ライン)は当時最先端、最高速だったISDN(64kbp/s)を使用し、しかもそれを2回線束ねた128kbp/sという豪華なもの。家庭内はというと、当時NTTが推進していた家庭用ビジネスホン。
メタル・ラインは1本。でも建物内には専用バスライン──たぶん、10baseTと同一──を敷設し、端末上にある4箇所の子機で私用電話を受けられるようにしました。これとは別に、仕事用のFAX兼用番号を確保。完璧だ。
しかし世の中、思うようにはいかない。技術革新に伴い、ISDNはASDL、さらには光回線に替わり、家庭内の電話は無線が普通に。データのやりとりはモデムではなくインターネット網へ。
それにそもそも、センセイの勤務先が変わったし。10年くらい前から要となる親機(写真)の調子が悪くなってきていたのです。それを承知で、騙しだまし使っていたのは、問題がシステムそのものだから。
実はNTT自身も家庭用ビジネスホンからほとんど手を引いています。子機が使える家庭用電話機は2万円程度で購入できるのでいつでもそれを導入することはできたのです。
ただし自宅の場合、玄関のインターホンとシステムが繋がっています。昨日、病院での治療を終えてから、お世話になっている地元の電気店に立ち寄りました。応対してくださったのは留守番をしていた高齢の女性。
家人によると、その日のうちに若い人が我が家を訪れてくださりました。ただし書斎のシステムを見て、パニック状態に陥ったとのこと。予想通りの展開ではありますが。
というわけで来月、センセイの帰宅に合わせて相談させていただくことになりました。で、外した親機とケーブル類を一時的に書棚の空いたスペースに片づけます。これまでの21年間に感謝すべく、記念撮影。
.......あれ?!暗い環境だったのでフラッシュを焚くつもりだったのです。でも、光らない。電力が不足しているのかと思ってフル充電して再度挑戦しますが......光らない。ナシテ?!
どうやら4年半使ってきたCANONのデジカメが故障したらしい。幸いにもフラッシュ以外は問題ないのですが。修理あるいは新規購入などの対策を考えながら、自宅で週末に管理したデータを整理します。自宅、大学の研究室、金沢のアパート、そして移動時に仕事をしているので、最新データの管理が基盤なのです。
もちろんバックアップも重要。というわけで外付けの1T(!!)のSSDにデータをコピーしようとして......認識しない。昨日まではちゃんと読み書きできたのに。トラブルは残念ですが、以前発生した物理的な問題と推測されます。
そこでSSDをそのまま金沢へ運んで詳細に確認したのですが、どうやらSSD本体の問題らしい。データのバックアップ役がその機能を果たしていないことになります。最悪の場合はすべてを初期化するしかない状況に陥ったのですが、すんでの所で初期化を回避。専用ソフトで何とか回復することができました。Macは修羅場でその底力を発揮します。
ただしここに至るまでに、どれだけの時間と労力、そして知力を使ったことか。......う〜ん、でも良く考えてみると一番危ないのは、お医者様のおかげで命を長らえているセンセイの存在そのものじゃないかしら。
■1月29日(月) 道路脇の雪の壁の向こうにある「棒」は何だろう... ──少し違うルートで金沢へ移動しました──
今日は予定を変更してお伝えします。
西村センセイ、いつもなら日曜日の午前中に自宅を発って金沢へ移動します。事故が怖いので、暗くなる前に、できれば夕方の道路が混雑する前に金沢へ到着したいからです。
でも今日は入学試験の代休を頂戴して、自宅に留まっていました。一つの理由は、かかりつけ医で受診する必要が出たため。1時間半ほどで治療を終えてから、別な用を済ませて自宅へ戻ります。身支度を整えて、改めて金沢へ向けて出発。
今朝、病院へ行く時に思い知らされたのですが自宅付近、道路の路面状況は良くありません。昨日、今日と少し気温が上昇しているので冷たく固まっていた雪が融け、ザラメ状になっています。前輪の向きと進行方向が少し違い、駆動輪である後輪は空走と格闘中。注意して踏切や狭い交差点を抜けます。
それでも新潟県内はたいしたことはなかったのです。問題は富山県および石川県。今回の雪の降り方と路面の状況が悪い。いつもなら富山県内は、山側の「スーパー農道」を主に走行するのですが、先週末はガタボコで、立ち往生も続出。
でもやはり、今日は高速道路に乗る気分ではない。というわけで今日は、富山市を過ぎるところまで国道8号線を走行することにしました。ちゃんと走るのは数年ぶりじゃないかしら。もちろん完全に除雪されているのです。
でも走行する車──大型トラックが目立つ──が多いので、気疲れします。富山西I.C.付近からはいつもの経路へ。やはりこちらの方が落ち着きます。途中、氷柱の家の前を通過したのですが、氷柱はすべて融けて落下してしまい、まったく存在していませんでした。
やはりちゃんと写真を撮っておくべきだったなぁ。それにしても富山県西部、砺波市や小矢部市は雪が深い。道路の一部はちゃんと除雪されておらず、すれ違うために何度か道を譲りました。
本来ならば相当な幅の道路なのに......あれっ?!国道359号線の道路脇、除雪された雪の壁の向こうに「棒」が立っていました。雪の棒。しかし細い筒状で、完全な直線なので、明らかに人工物。
何だろう。もちろんそれが何であるのか、すぐに理解しました。道路の端を示すポール。それに融雪設備で融けた水と雪が付着しているのです。それが延々と続きます。
やはり当地は相当冷え、しかもそれが現在も継続しているらしい。県境の中山峠を越えて金沢市に入れば......と思ったのが甘かった。山側環状、信号で停止した時に撮影したのが写真。
一瞬、これが何か理解できませんでした。氷のオブジェかと考えたほど。おわかりだと思いますが、これはガードレール。繰り返し水を被り、何度も冷やされた結果こうなったのです。不規則にでこぼこしている部分は、植物が凍結したものじゃないだろうか。
写真撮影には失敗しましたが、その奥の歩道を金沢大学の学生が足元を確かめながら歩いていました。ところで今月はたぶん、高速道路を一度も走行していないはず。センセイの高速嫌いは相当なものらしい。
■1月28日(日) 「90年以上生きてきて、この寒さは...」 ──新潟は、経験を覆す記録的な寒さの中──
昨日帰宅すると家人が口にしたのは、「やっとシャワーが出るようになって...」。つまり、凍結していたのです。
積雪は例年より多いのですが、「サンパチ豪雪」(昭和38年)など、何度か完全に孤立した経験を持つ人間にしてみれば、決して特別というほどではありません。
ただし新潟の平野部では考えられない冷たさと雪質。今日は午前中に車で実家へ向かいました。食糧備蓄が切れたというのです。いつもなら週に1回、母親が路線バスで買い物に出るのですが、それどころではなかったとのこと。
実家までの区間の大半は綺麗に除雪されていましたが、時々路幅が狭かったり、圧雪の場所も。実家前は融雪装置がうまく働いていないようで、車のすれ違いができません。母親を乗せて近くの大型スーパーへ。駐車場の端はご覧のように、取り除かれた雪の山。
頂上の高さは3mくらいあるでしょうか。店内にはかなりのお客さん。子供連れの若い夫婦は当然として、どうやってここまで辿り着いたんだろうという老夫婦。
そしてセンセイらのような、独居老人とその子供。日曜日ということもあり、今まで外に出られなかった人々が繰り出して来たようです。
実家へ戻るすぐに道路の除雪。やはり雪の温度が低いので、散水式の融雪装置ではうまく融かせないのです。
道路の一部を除雪して、車の行き違いができるようにして車を駐車。実家に入りお茶を飲み始めると、実はまだ台所の水道は出ないとのこと。お風呂やトイレなど、最低限は給水されたようですが。
どうやら新潟県全体が、この異常低温状況下にあるらしい。母親から伝え聞いたところによると、90歳を越える伯母(母親の姉)も「生きてきて、こんなに寒いのは初めて」とのこと。
雪の下に蓄えておき、甘さが増したはずの「雪下白菜」など野菜をもらって帰宅します。車を運転しながら、改めて周囲を良く確認すると、道路脇の雪の山は相当な高さ。今日は時々陽射しもあったので、いつもならどんどん融けるのです。でも今回はそのまま。
それもそのはず、車外気温計はずっと氷点下を示していました。「平野部は雪は積もるけど低温にはならない」という新潟の経験則。どうやら今シーズンだけはうまく当てはまらないようです。