2006年5月20日更新(2006年5月29日ページ移動。2011年5月3日一部写真削除)

──2006年5月第3週のニュース──

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5月20日(土) まだ残る謎。 ──今日から、快速「くびき野」が6両編成に増車されました──

 明日の特急券を買いに、JR柏崎駅へ出かけると、カウンターの下の大きな掲示が目に入りました。

 新潟市と、柏崎市、上越地方を結んでいる快速「くびき野」号が、今までは4両での運転だったのが、今日から6両に増車されたというのです。(JR東日本新潟支社のサイトにもほぼ同じ内容が紹介されています。)

 数年前まで、新潟市と上越地方を結ぶJRの利用客は、便利で安い高速バスに押されてどんどん減る一方でした。
 お客が減るから運転本数が減り、不便になったお客がどんどんバスに乗り換えるという悪循環が続いていたのです。

 ある時、センセイの投書が奏功したしたのか、特急料金のいらない快速「くびき野」が走り始め、かなりのお客を集めることに成功しました。
 愛称は上越地方の古名「頸城(くびき)」に由来します。

 う〜ん、その意味ではセンセイも世の中に少しは役立ったのかもしれません。

 で、掲示には「ご好評により...」とありますが、事情はそんなに簡単ではないはず。

 首都圏など、お客の大幅な増加が見込まれる場合は車両を新規に製造することがあります。
 でも地方を走っている車両はほとんど大都市で使っていたもののお下がりなのです。(一部ディーゼルなどを除く。)

 新潟県を走っている特急も、もう30年以上も走っている車両ばかりで、たとえいくら好評だからといって新造するなんてことはありえません。
 どうやって車両を増やしたんだろう。

 いろいろ考えたのですが、今回、グリーン席を新設するというのがヒントのようです。

 実は去年の3月まで、金沢−越後湯沢間の特急「はくたか」として、このシリーズの車両が1往復していました。この区間をJR西日本、北越急行、JR東日本が共同運行しているためです。
 昨年のダイヤ改正で、JR東日本の485系9両編成1本が走らなくなり、北越急行の新造683系車両と交替しました。(北越急行のサイトの「ほくほく博士」に、この間の事情が紹介されています。)

 JR東日本にすると、グリーン車1両を含む9両が余ることになるのですが、この編成は古い車体を大幅に改造した「リニューアル車両」なので、廃車にするなんてことはありません。

 でもJR東日本新潟支社の特急・快速の編成は6両(いなほ、北越)および4両(くびき野)が基本。(ただし、臨時列車用の9両編成もある。)
 そこで、「はくたか」だった車両はグリーン車を含めて、他の特急と同じ編成に再編されました。実際、西村センセイ、今週初めに乗った特急「北越」(6両)は、この旧「はくたか」車両でした(まだマークが残っていた)。

 そうすると、9両(旧はくたか)-6両(いなほ、北越)で、3両余る。その中の1両はかつてのグリーン車。
 使っていたグリーン用の座席(1両分)のうち、一部はセンセイが乗った「北越」の一部(1号車の一部)に転用したものの、まだかなり残っている......。

 グリーン車を除く2両を、2編成ある「くびき野」に1両ずつ分け、その一部にグリーン用の座席を使ったはず......なのですが、これだと「くびき野」は、1本あたりでは4両から5両になるはず。
 各編成あたり1両ずつ、計2両足りない......。

 昨年12月25日の「いなほ14号」脱線事故は山形県での事故でしたが、羽越本線は新潟支社の管轄。
 脱線、大破した車両は廃車になったものの、後部の車両は無事だったので、それを利用したのかなぁーなどと思ったのですが、事故車両6両はすべて廃車にしたようです。

 今回は単純に車両の数だけを考えましたが、実際にはモーターを積んでいるかどうかなど、もっといろんな問題が残っています。

 要するに、まだ謎は残ったままなのです。

 でも、列車を運行する側に立って考えてみると、たぶんこれが最大のメリットだったんだろうなぁー、ということに気づきます。

 どうやって実現したのかはともかく、JR東日本新潟支社にとっては、これで特急用6両編成と4両編成の混在が解消されます。しかもグリーン車を含めて、すべて同じ編成です。
 列車は故障や事故、そして定期点検──これが一番多い──で代役を立てる時があるので、同一編成だとやりくりがとても楽になります。

 利用者の視点に立った「ご好評により...」よりも、ホントは運行する側の都合なのだ、とセンセイは睨んでいます。でも、仮にそうだったとしても、利用者にとってもメリット──混雑緩和など──が多いのですから、全然問題ないと思いますよ。

 それにしても、どうやって車両を捻り出したんだろう。



5月19日(金) パソコン切替機をどうしよう...。 ──程なく、自宅にMac miniがデビュー予定!! ──

 西村センセイ、新潟の自宅でもパソコンの主役はMac。

 センセイが使うMacも世代交代が進んでいて、機会があったらぜひ最近のMacシステムをご紹介させていただこうと思っているのですが、とりあえず自宅書斎でのメインは、相変わらずPowerMac G4 Cube(MacOS 9.2.2)です。

 自宅では、さらに古い規格のプリンタやスキャナを動かすために、PowerMacintosh 8500(G3; MacOS 7.6.1)もちゃんと現役。
 残念ながらインターフェイスが新旧の規格ではまったく異なるので、それぞれにキーボード類を繋げて、このサイトトップにあるCRTカラーモニタのみ共有としています。
 入力が二つあるので、G4 Cubeと8500を切り替えながら使っているのです。

 でもこのごろ、インターネット関係の事情が特に変わってきていて、古いMacOS 9をサポートしないケースが増えてきてしまいました。
 何てったって、アップルのサイトを見ようとするとInternet Explorerがフリーズしてしまいます!!(複数のOS 9マシンで同じ現象が起きてしまっています。)

 こういう時は、G4 CubeにインストールしてあるMacOS X(10.2.8)を起動させて何とかするのですが、やはり450MHzのG4 Cubeにはちょっと荷が重い......。
 で、今年の頭に2台目のMac miniを自宅用に発注したのです。(納品後もずっと封印されてたけど。)

 モニタをどうするか決めないままMac miniを買ったのですが、体調も少しずつ回復してきているので、箱を開封して、ソフトをインストールし始めています。
 モニタの問題をいつまでも放っておくわけにいかなくなりました。

 自宅書斎の机は割と大きく、周囲には机にあわせた造りつけの棚が広がっている(!!)ので、全体としてはかなり面積があります(狭く使ってるけど)。
 でももう1台モニタを置くと、書き物などをする時に、かなり手狭となります。

 Macが同時に何台か起動していても、主に使うのはどれか1台だけで、他のマシンは待機しているか、エンコードやDVD作成などの単純作業をしているだけ。
 だからモニタは、できれば現在のものだけを使い続けたいのです。

 でもMacは3台なのですから、何とかしてMacの画面やキーボード類を切り替えなければなりなくなります。

 最初は、どこでも売っている、モニタだけを機械的に切り替える安いパソコン切替機──その場合、机上に3個のキーボードが並ぶことになる!! ──を買おうと思っていたのです。

 でも先月、先輩Macユーザーから、「キーボード類を2台のマシンで共有できる上位機種の方が便利ですよぉ」と教えていただいたのを思い出して、良いものがないか、ちょっと探してみることにしました。

 まずはご本家、アップル・ストアへ。

 以前はもっといろいろラインアップされていたように記憶しているのですが、現在は右の写真のものだけ。(写真は製造元のプリンストンテクノロジー株式会社のサイトより)

 この機種はモニタ、キーボードなどのUSB機器、さらにはオーディオまでも切り替えることができるという優れもの。

 思わずアップル・ストアの「カートに保存する」をクリックしそうになった時、そのボタンのすぐそばに、「レビュー1件」とあるのに気づきました。

 全然問題ないだろうと思ったものの、でもちょっと気になって、念のためにレビューをクリックしました。(右の写真)

 ......え" ?!

 「US[ASCII]キーボードは使えない JISキーボードしか対応していないので残念」とあります。

 実は西村センセイ、仕事で英文タイプライターを使っていたし、かな入力にはご縁がなかった──未だにどこにどの文字があるかわからない──ので、基本的にはUSキーボード派。

 もちろんJISキーボードも使えますが、幸か不幸か、自宅のキーボードはASCII配列。
 ゴム製のヘナヘナしたタッチではなく、反応がきっちりと戻るお気に入りのメカニカル・キーボードなのです。速く打てるし、何よりも長時間使っても疲れない。

 同じメーカーの同一機種でもかなりバラツキがあります。たぶんパーツの製造工場が違ったりするのでしょう。アパートと自宅で使っているもの(いずれも私物)はとても良いタッチのに、大学で使っているもの(公物)はイマイチ。

 センセイは筆を選ぶのです。

 Apple純正のUSキーボードは余っているけど、とてもそれを使う気分にはなれず、結局、このパソコン切替機の話は振り出しに戻ってしまいました。(長くなってゴメンナサイ。)

 今度秋葉原へ行く機会があったら、ちょっと調べてみようと思っています。

P.S. H大のK先生、ありがとうございました。最近はこんな感じです。



5月18日(木) 嬉しいニュースが届きました!! ──教師にできること、できないこと──

 仕事が溜まってしまっているので、今朝は6時にご出勤。う〜ん、とても病気持ちの勤務とは思えない。

 身辺整理と打合せと急な書類整理と会議と授業とお弁当と授業と打合せと会議二つを終えると、アッという間に窓の外は真っ暗。

 「教職員が日本一忙しい大学」金沢工大でのセンセイの1日は、こんな感じです。

 ずいぶん働いたような、でもよぉーく考えてみるとあまり生産的な仕事はしていない、そんな勤務を終えようとしてメールをチェックすると......え"?

 学生さんから嬉しいニュースが届いていました。就職が内定した(!!)とのこと。それも第一希望。(おぉ!!)

 疲れが吹っ飛びます。ホントに嬉しい!!

 でも頭を冷やして、よぉーく考えてみると、メールを送ってきたその学生さんとは、ある時、ある講義を担当しただけのご縁なのです。

 3年前のこと。

 その人と、ある科目で出会いました。

 詳細はご紹介できませんが、本人にはどうすることもできない問題があって、その人はずいぶん振り回されていました。
 たまたまご縁があって西村センセイ、ある科目の担当者としてその方と出会い、それ以降、しばらくの間、センセイの研究室でずいぶんいろんなことを話し合いました。

 今だからこそ明かせますが状況はとても厳しく、西村センセイ、正直なところもう学生を続けられない──つまり退学ないしは留学──のではないかと考えていました。
 念のため、大学のサーバーに残されている当時の面談記録を読んだのですが、センセイ自身の入力で、「退学については本人および家族も了解済」と確かに記録されていました。(ゴメンナサイ)
 それくらい厳しい状況だったのです。(本学のカリキュラムは厳しいので、他大学より多くの学生が退学/休学します。)

 でも、彼は退学しませんでした。

 それどころか努力に努力を重ね、彼は、困難な状況を自らの力で良い方向へ切り開いて行きました。

 届いたメールに、「これも・・・(中略)・・・先生のおかげです」とあります。

 ホントに申し訳ないけど、でも、それは違う。

 教師にできるのは、せいぜい話を聴くことだけ。百歩譲っても、話を聴いた上で「こんな場合はどうだろう...」と言う程度。

 考えてごらん。

 「俺の考えは○○だから、君も......」と言ったって、誰が従いますか? たとえ仮に、それこそが正解だったとしても。

 そうじゃないですよね。

 その人がもともと自分の中に持っていて、(センセイの助言もあるかもしれないけれど)それを自分自身の問題だと自覚して、自ら行動して初めて、事態が本当に動くのです。

 今は切り倒されてしまって跡形もないのですが、実家の庭に柿の木がありました。

 他の木の柿は美味しいのだけれど、その木の柿は渋柿で、普段は絶対に食べられない。

 でも秋がいよいよ終わりになる頃、その柿の木の実が赤くプルプルと熟して、ある日、ボトッ、と落ちる。(93歳で亡くなった祖母が、落ちる寸前の、半ば腐りかけて熟し切ったトマトのようになった甘い柿を食べるのが大好きだった。)

 で、教師にできることといったら、正直なところ、いろいろなことに悩みながら成長していく渋柿の木を我慢しながら見守るか、せいぜい、落ちる寸前を見計らって「ふっ」と息をかけるくらいが関の山だと思うのです。
 手を伸ばして柿の木を無理矢理ゆすり、柿の実を地面に落としたところで、何も始まらない。(子供の頃は二人の弟とともにさんざんやったけど。)

 ソクラテスが言うように、教師にできることは産婆さん(助産婦さん)の仕事──それはとても重要な仕事──のようなもの。産婆さんは絶対に妊婦産にはなれません。

 学生さんの存在を肯定的に認めて、その話をちゃんと聴いてあげる、それだけでも、熟(う)れた実である学生は、センセイを追い越してオトナになっていきます。
 そうなったらもう、センセイは絶対に追いつけません。

 でも、それでいいのです。と言うか、それこそたぶん最も望ましい形だと思うのです。

 さて、どうでしょう?



5月17日(水) う〜ん。買う、かもしれない。 ──MacBook、衝撃的にデビュー!! ──

 ご存じのように昨夜、かねてからその情報が伝えられていたインテルCPU版iBook“MacBook”が発表されました。(写真は(c)アップル・コンピュータのサイトから)

 「予想されていた通りだなぁー。残ったPowerBookはどうなるのかなぁー」などと、最初は人ごとのように感じていたのですが、そのうち、話がどうも予想外の展開になってきました。(※昨夜までアップルのサイトには12' PowerBookが載っていましたが、今朝は削除されています。)

 アップルによると、従来のノート型2機種、すなわち高性能・高価格のPowerBookと、安価でもそれなりの性能で持ち運びに便利なiBookという二つのラインがこれで、MacBook (Pro)に統一されます。

 MacBookの登場でノート型のラインナップはひとまず完結するそうで、日本人が期待していた超小型ノート機は、少なくとも当分の間、販売される見込みがなくなりました。(ちょっと残念)

 さてこのMacBook、框体など基本的な部分はコストダウンのために全モデル共通とし、上位機種はSuperDrive装備、外部ディスプレイ接続ケーブルなどをオプションで購入してもらうことによって差別化を図ります。
 下位機種単体ならiBookのように、そして上位機種を買っていろいろつけるとPowerBookのように使えるわけです。

 外形は12"のPowerBookを横方向に延ばして、数mmほど薄くした、そんな感じです。
 チタンのPowerBookの薄さ(25.4mm=1インチ)にはかないませんが、それでも相当薄いはず。

 その広がった横幅のおかげで、画面は1,280×800ピクセル。

 正直なところ、Wordなんかを使って仕事をしていると、横幅1,024ピクセルでは狭くてかなり苦労します。最近のOSやソフトは大きくて広いディスプレイを前提として設計(デザイン)されているのです。
 西村センセイ、Mac環境では大学、アパートそして自宅ともに1,280×1,024ピクセルで仕事をしているので、少なくとも横幅に関しては、これでとても使いやすくなると思います。

 しかもアルミ製框体のMacBook Proと違って、MacBookは樹脂製筐体。

 使ってみるとわかりますが、アルミ筐体は傷つきやすいので、ホント気を使います。
 自分では買ったり使ったりする機会がなかったけど、iBookのポリカーボネイトの筐体はとても丈夫で扱いやすそう。ずっと「羨ましいなぁー」と思っていました。

 今回、上位機種には写真の白色に加えて、予想外(!!)の黒色框体も発表されました。

 最初は白色がいいかなぁーと思ったのですが、明るくて傷が目立ちそうです。実物を見てみないとわかりませんが、今回は黒色の方が使いやすいかもしれません......などと、もう、すっかり購入を決めたような気分。

 それくらい、センセイの物欲をそそる、そんな新MacBookなのです。

 MacBookに刺激された西村センセイ、体調不調でこのままずっと封印され続けるのでは? とまで言われた2台目のMac miniを今日、納入後ほぼ2ヶ月ぶりに開封しました。(夜の研究室でMacの起動音が何度も聞こえたのはそのせいです。関係者の皆様、ゴメンナサイ。)

 まぁこれは、西村センセイが一時期の絶不調──関係者の皆様、ゴメンナサイ(再)──から何とか脱出しつつあることの証左で、やっとMacで遊んだり、物欲を感じるくらいには回復してきている、というなのででしょう。
 物欲の対象が相変わらずMacだというのは嬉しいような、情けないような気がしますが。

 で、MacBook。買う、かもしれない。

 え"っ? もし買ったら、どう使うのかって?

 何回もお伝えした(こちらこちら)ように、純正のWindows XPをインストールして、アップルのロゴのついたWindowsマシンとして使うのです。

 そして時々、ビデオやDVD、オーディオの編集にOS XのMacとして使うけど、きちんとした仕事をするのは、相も変わらず、古いMacのMacOS 9かMac mini上の“Classic環境”。

 ......こういう使い方で、いいんだろうか。



5月16日(火) 新しい靴を履く時

 就職活動で、これから面接試験に行くという学生とちょっと立ち話。

 教師稼業を長年やっていると、各種の試験委員や試験監督をやらされる羽目になります。

 受験する側がどう思っていらっしゃるか、ちょっとわからない面があるのですが、面接試験は、被験者が入室して目と目が合った瞬間、だいたい9割方、勝負がついています。
 「人は見た目が9割」と言われますが、あれ、ホントです。(ただし1割の誤差を含む。)

 面接する側は、質問する前に五感(+第六感?)を集中して、受験生や就職活動中の学生を見極めているのです。もちろんそんなこと意識してないけど。

 で、「普通に着てれば衣装なんかほとんど関係ないよ」と言った後で、「あ、靴だけはきちんとしたものをね。」

 見てくれで差が出るのは、靴くらいでしょうか。

 ところがそう言った西村センセイ自身、このごろ靴がくたびれています。で、新しい靴を買ってきたのですが......何だかちょっと膝が内側に入って、X脚気味。

 つまり、いつもの西村センセイ、ガニ股気味に歩いていて、靴は外側ばっかり減ってしまう。で、新しい靴は底が平らなので、外側を高く感じてしまう、というわけです。

 新しい靴を履く時はいつもそうなのだけれど、やはりちょっと情けない。



5月15日(月) 絵本館「サバト」、レトロな建物で明日、再オープン!!

 先日お伝えした、柏崎市の絵本館「サバト」。数百メートル離れた場所に引っ越して、明日、再オープンすることになりました。

 この、一見すると古い小学校のように見える建物は、1934年、つまり70年以上も前に建てられた産婦人科医院(現在は休院中)です。

 この建物を所有する宮川家は明治期から代々医者を輩出してきた名家で、その中には何と、内村鑑三──知ってますよね──と交流のあった人もいらっしゃいます。
 先代のお医者さんは数年前に亡くなり、現在は奥の母屋で奥様が暮らしていらっしゃいます。

 絵本館として貸し出すのは、道路に面した、かつて治療室や診察室、待合室として使われていた場所です。

 もしかすると跡継ぎのお医者さんがここに戻られるかもしれないので、それまでの間、お借りすることになっています。
 この週末も新サバトには、県外ナンバーの車を含めて関係者が集まり、開店の準備を進めて言いました。

 柏崎市も急速に少子化が進んでいますが、かつて赤ちゃんを取り上げた場所が、今度は子供たちの成長を見守る場所になるわけで、宮川家の奥様も貸し出しを快諾されたそうです。

 新しいサバト。これからが楽しみです。



5月14日(日) 母校の「ニュートンのりんごの木」を見てきました

 「曇り時々雨」という予報が良い方向へ外れて、今日の新潟(中越地方)は良い天気となりました。

 抱えている仕事が捗らなく──元原稿に問題が多すぎる──て、うだうだしていたのですが、所用もあったし、陽気に誘われて、外へ出てみました。

 用事のついでに寄った先は、母校柏崎高校
 前の新潟県知事も、北朝鮮に拉致された蓮池薫氏もここの卒業生です。(ちなみに蓮池氏はセンセイの同級。)

 西村センセイ、実はここで特別講義を行った(新聞記事はこちら)ことがあって、そのご縁で3年半前の冬、「りんごが木から落ちるのを見てニュートンが万有引力の法則を発見した」(史実)という「ニュートンのりんごの木」の子孫を、母校に植樹したのです。(こちらもご参照)

 時々りんごの木の様子を見に行っていたのですが、このごろとにかく忙しく、しばらく見ていない......。

 久しぶりのりんごの木は、それなりに順調に育っていました。

 接ぎ木をする関係で、何カ所か同時期に植樹したのですが、まぁ、平均的な育ち方です。

 りんごの木が育つ頃、センセイの娘がこの高校に入るんだろうなぁーと思っていたら、彼女は自分の意志で、近くに最近開設された中高一貫校へ入学してしまいました。

 ま、いっかー。子供は、親の思う通りには育たない。

 今年の春、かつてセンセイも習った先生が、校長先生として柏崎高校へ赴任されました。校長先生、あの頃は30歳くらいだったはず。

 機会があったら今度、ご挨拶に伺おうかと思っています。

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