2007年10月6日更新(2007年10月14日ページ移動。2012年9月19日一部写真削除)
新潟の自宅へ戻りました。先週末は千葉へ出張してからそのまま金沢へ移動したので、ずいぶん久しぶりに感じます。
前任校でも行政の仕事で出張ばかりしていたから、外へ出るのは苦じゃないんだけど、どうもこのごろは、肉体的にかなり辛い。
まぁ、よく考えればふだんだって、週6日間金沢に出張している──出稼ぎと言うべきか──ようなものなのだけど。自宅のまわりがガガガとうるさいので出てみると、地面を掘り返してアスファルトを敷き詰める準備をしています。
よく見ると、自宅周囲のほとんどの場所で道路が半分掘り返されています。地震直後はそんなに目立たなかったのですが、その後、日を追う毎に上下水道の配管部分と、その上の道路が沈み込んでしまったので、改めて全面的に整地し直しているようです。
3年前の新潟県中越地震の時もこの付近をすべて掘り返しています。やっと落ち着いたと思ったのに......。
前回の様子を見ていると、新潟県中越沖地震による道路や下水道の「完全」復旧には、やはり2〜3年くらいかかるんだろうなぁー。
■10月5日(金) 一つの時代の終わり ──電子メールソフト“Eudora”(日本語版)が販売終了に──
数日前、「メールマガジン@ROXIO」が配信されてきました。ちょっと見ただけそのまま放っておいたのですが、ふと気になって改めて読み直すと、え"!?
他のニュースに混じって、「電子メールソフト“Eudora”の販売を終了した」と伝えています。
そ、そんなぁ!!
慌ててソニック・ソリューションズ社のホームページを見ると、やはり販売終了の告知(写真)が。((c))Sonic Solutions
Eudoraはインターネットの黎明期から続く老舗の電子メールソフトで、もともとはイリノイ大学で研究用に開発されたものがその後、一般に販売されるようになったものです。
最初から市販版があったわけではなく、初期は無料版などいくつもの配布形態がありました。センセイは無料版のVer. 1.8xころからのユーザーで、市販日本語版のVer. 2.xから3.x(古いMacで現役)、4.x、5.x(OS 9で現役)、6.x(OS Xで現役)と、延々と14年間使い続けています。
現在はWindows版(Ver.6.2)も使っています。右の写真は残っている歴代のマニュアルなのですが、一番古いVer. 2.3のもの(左)なんて、ざら紙のような用紙に印刷されています。
確かに基本設計は古いけど、とにかく動作が軽くて、使いやすいのです。
特に出先でチェックする時など、重いファイルのダウンロードを簡単にスキップすることができるので、とても重宝していました。他方、この間にEudoraの販売会社は、ホリエモンのライブドアを含めていくつか替わり、昨年からはソニック・ソリューションズが「ロキシオ」ブランドで販売していました。
昨年10月、同社はまだ開発を続けると発表していました。
今回の販売終了を不思議に思ってメールマガジンを読み直し、また販売元のサイトを見てみると、開発元のQUALCOMM社――現在は携帯電話で有名――との契約が切れたために販売を終了するのだそうです。
もちろん、現在所有するEudoraはそのまま使えるので当面は何の不便もありませんが、ずっと慣れ親しんできたソフトが消えるだけに、個人的にはとても残念です。
報道によると、QUALCOMM社はEudoraの次期バージョンをオープンソース化し、無料で提供するそうですが......これでご縁が切れてしまうんだろうなぁー。
■10月4日(木) 構内に大きなテントが張られました ──いよいよ工大祭!!
──
いよいよ工大祭(10月7日〔日〕・8日〔月:祝日〕)が近づいてきました。
学内の「工大祭まであと□□日」というポスターが数日前から1桁になっています。
今日から研究室前の駐車場が立入禁止になって、午前中には重機が入ってテントの設営準備。
最初はガーガーうるさかったのですが、10時頃から写真の、テントを広げる作業に入りました。設営を地上で見るのは初めて──いつもは研究室の窓から見下ろしている──ですが、中央や手前で作業する人に比べてテントの大きいこと。
午後最後の授業──今日は午後に三つの講義があった──行く途中で撮影したのが右下の写真。
人が乗ったまま、柱とともにテントを引き起こしている様子をお分かりになるでしょうか。
テントの上の人は作業の後、安全ベルトもせずにクレーンの鍵の部分につかまって──しかも片手だけで!! ──地上に降りていらっしゃいました。
講義を終えたら真っ暗だったので様子はその後の確認していません。でも毎年のことなので、たぶん何も問題なかったのでしょう。
学生さんも授業のコメントに、「明日を乗り切れば...」なんて書いています。
ふだんは、とにかく忙しい金沢工大。
学生さんには、せめて工大祭で羽を伸ばして、しっかりとリフレッシュしてもらいたいものですね。
■10月3日(水) 新潟県中越沖地震で、実家付近は最大15cmも隆起していた!!
国土地理院は2日、地球観測衛星「だいち」が新潟県中越沖地震によって起こされたと見られる地殻変動(帯状の隆起)を発見したと発表しました。
これは新聞各紙(新潟日報/毎日新聞/産経新聞)が報道しているものです。右の写真がそれを示した図で、震源地の南東に、北東から南西に向けて海岸線と沿うように帯状に隆起地帯が広がっています。(一部加工。出典はこちら)((c)) METI, JAXA
隆起量は最大15cmとのこと。
「何と僅かな」と思われるかもしれません。
はるか遠く離れた宇宙から、これだけの地形の変化をとらえてしまうのですから、本当に大したものです。
隆起の様子をこのように短期間でとらえたのは国内では初めてだそうな。とても興味深い発見なので、ぜひご自身で国土地理院のページをご覧ください。
さて、右の写真。
これはGoogleマップでほぼ同じ範囲を見たものです。((c))Google, TerraMetrics
写真中央の黄色で囲んだ部分は小高い丘というか、片側が崖のようになっています。
今回の隆起はその西側斜面──崖になっている側──で起きています。国土地理院によるとこの地域は「小木ノ城背斜(はいしゃ)」という、両側から力がかかって隆起(「褶曲(しゅうきょく)」)している場所なのだそうです。
今回の国土地理院の観測結果は、もしかすると柏崎刈羽原子力発電所の運転再開などに関して大きな影響が出るかもしれません。
と言うのは、同発電所が今回の地震で大きな被害を受けたことはよく知られています。
地震とそれに伴う原発の被害を正確に関係づけ、さらに今後の対策を適切に取るためにはこの地域の断層の様子を正確に知る必要があるのですが、実はこれがとても難しい。今回の地震では、本震と余震の震源の分布はかなり複雑です。
そのため、地震を起こした断層が陸に向かって沈んでいる──原発は断層から遠くなる──のか、逆に、断層は陸地(原発)に向かって浅くなる──この場合、原発の直下に活断層が存在することになる──のか、現在のところ、各研究機関の間でも見解が分かれているのです。もし今回の観測結果とその解釈が正しければ近い後者の説が有力になる──前述の新潟日報を参照──ものと考えられ、東京電力は運転再開に向けてより厳しい立場に置かれることになると思われます。
そして個人的には、もう、今回の発表はホントにビックリ。だってこの隆起の中心にセンセイの実家がある(!!)のですから。
......そういえば、この丘の西側斜面に地震の被害が集中している。
以前この地形の不思議についてご紹介したことがありますが、センセイが考えていたことって、きっと、それほど外れていなかったんですねぇ。
■10月2日(火) JR信越本線の運転規制が、明日で解除に!!
夜になってうれしいニュースが飛びこんできました。
報道によると、新潟県中越沖地震で大きな被害を受け、被災後約2ヶ月後に前線での運転再開した後も運転規制(速度規制)を続けていたJR信越本線が、やっと完全に復旧することになったのです。((c))新潟日報社
復旧直後は相当な徐行運転で15分くらい遅れていたのですが、その後は徐々に速度を上げ、最近は数分程度の遅れに留まっていました。
遅れ幅を順調に短くできたのは、今回の新潟県中越沖地震の余震が少なかったという事情もあると思います。センセイ自身は新潟県中越地震や、中越沖地震での他区間の例から、もう半月くらい徐行運転を続けるのかな、と思っていたのですが報道によると徐行運転は明日までで、4日の始発から通常の運転に戻すとのこと。
JR東日本新潟支社のサイトでもほぼ同内容が告知されています。徐行運転期間中は、金沢方面からの最終特急列車が(徐行運転で遅れるので)乗換駅の長岡で最終の東京行上越新幹線に接続できないなどの不便が続いていたのですが、ようやくそれも解消されます。
さらに同じ『新潟日報』紙によると、柏崎市椎谷(しいや)地区(観音岬)については、岬の下を通り抜けるトンネルを掘削することになったそうです。
もちろんこちらは、開通までにずっと時間を要しますが。ここは震源地にごく近かったため激しい揺れに襲われ、先日ご紹介した聖(ひじり)が鼻岬と同様に、斜面が大規模に崩落して海沿いの国道がまったく不通になっている場所なのです。
岬の上には古く、有名な椎谷観音堂があり、何度も行ったことがあります。被災地も着実に復旧の道を歩んでいます。
でも、ね。
復旧そのものは本当にありがたいのですが、中越地震や能登半島沖地震、さらには阪神淡路大震災などを含めて、復興から取り残されそうになってしまう人たちがいるってことだけは忘れたくないな、と思います。
■10月1日(月) 美味しい魚屋さんが突然、閉店してしまった
朝早くから働いたご褒美は、美味しいお刺身での晩ご飯!! Macに向かいながら一人侘びしく、ですが。
このところお刺身を買うのはスーパー長崎屋。それもたどり着くのはたいてい夜の8時前です。8時に店内の魚屋さんが閉店してしまうのです。
今日もいつもの時刻に到着すると、あれ、今日は閉店です。8時頃になるとスーパー本体の鮮魚コーナーも値引きに入るので「ま、いっかー」と思って魚屋さんの前を去ろうとして、え"!?
「都合により、当面の間営業を休ませていただきます」。
......そ、そんな。歳を取ってからだんだんわかるようになったのですが、一見すると同じようなお刺身でも、美味しいお店とそうでないお店ははっきりと違うのです。
特にここにあった「海礁」というお店を利用するようになって、それを強く実感するようになりました。基本的にスーパーのお刺身はあまりおいしくありません。
それでもセンセイが暮らす柏崎など、地場ものが入荷するお店ならかなり美味しいものも手に入るのですが、一般的にはとても無理です。ここのお店は、石川県西部の橋立港で水揚げされた鮮魚が中心で、お刺身が本当に美味しい。
でもホントのことを言うと、このお店の美味しさの秘密は良くわからなくて、離れた場所から届いたお魚でも美味しいのです。(センセイだけではなく、このお店を利用する複数の人の意見です。)
このお店は一家での経営。
よく考えてみると、お店の手伝いに来ていた息子さんをここ数ヶ月見ていないし、実直なご夫婦が、最近は何となく寂しそうな表情を見せる時があったし......。
今になってみると、なんですけどね。センセイを含めてそれなりに固定客がいたのですが、こういう堅実なお店まで閉店せざるを得ないほど、実は庶民の生活は楽になっていないんでしょうね。
それにしても個人的には、明日からどこでお刺身を買えばいいんだ!!
■9月30日(日) JR西日本の「北陸おでかけ」パスで、氷見(ひみ)線、城端(じょうはな)線に乗りました
昨日は夜遅くまで新宿の超高層ビル最上階で楽しく飲んでいました。(皆様、特にセッティングしてくださったM先生、深謝、深謝。)
で、今朝はいつまでも寝ているかというと、早朝、しっかりと目覚めます。列車に乗る日は、きちんと目が覚めるのです。まぁ、単に年寄りの早起きなのかもしれませんが。
西村センセイ、ある時から意識して、日本中のJR線を乗るようにしています。あと何年生きられるかわからないけど、まだ行ったことのない場所へ行って、まだ会ったことのない人と遭ってみたいのです。
距離ならばこれまでにたぶん全国のJR線の80%くらいに乗っていると思います。
でもどうしても時間の関係上、幹線が主になってしまうので、支線、特に通称「盲腸線」と呼ばれる、田舎の行き止まり路線を乗る機会はあまりありません。センセイは毎週、自宅のある新潟と勤務先の金沢を往復していますが、実はこの区間にも乗ったことのない路線があるのです。
富山県西部の高岡を起点として海へ向かう氷見(ひみ)線と山側の岐阜方面へ向かう城端(じょうはな)線です。
高岡駅で両線の列車も乗客もよく見るし、車で金沢を往復する時は城端線の踏切を越えます。「乗ってみたい」とは思っていたのですが、いずれも盲腸線なので、なかなか乗る機会がない......。
そこで今日は、東京出張の帰りを利用して両線に乗ってみることにしました。
料金が割高なローカル線を乗る時に便利なのが、JR各社の企画乗車券。代表は皆さんよくご存じの「青春18きっぷ」でしょう。
実はこの夏休み、センセイも青春18きっぷを使って、まだ行ったことがない三陸地方を縦断する予定だった──夜行個室寝台特急も、ホテルも予約済だった──のですが、新潟県中越沖地震で吹っ飛んでしまったのです。今回はJR西日本金沢支社が企画した「北陸おでかけパス」を使いました。
料金は2,000円(発売当初は記念価格1,500円だった)で、北陸地方のJR線各駅停車が乗り放題なのです。個人的には価格云々(うんぬん)ではなく、こういう切符があるならホントに隅から隅まで乗ってみたい。
あらかじめ北陸おでかけパスを用意しておき、JR東日本管内は通常の乗車券で乗り、西日本管内に入ってからはこの乗車券で高岡へ着きました。
列車ダイヤの関係で、まず氷見線の7番ホームへ。ちょうど回送列車が入線してきます。
日曜日ですが意外にお客は少なく、10%くらいの乗車率で高岡を発車。でも隣の越中中川駅で賢そうな中学生男女が15人くらい乗り込んできます。
今日は日曜日ですが、希望者向けの模擬試験でもあったのでしょうか。廃止された富山港線に似て、しばらく工場、特に化学工場と住宅地が混在します。とても不思議な感じです。
越中国分(こくぶ)駅を過ぎると突然、氷見線は富山湾に飛び出すような格好になり、急カーブを切りながら海沿いの狭い崖際をそろそろと通り抜けます。
北海道の内浦湾に面した函館本線だとか信越本線の青海川駅だとか海に近いJR線はありますが、氷見線の絶壁感(?)は群を抜いています。
面白いことにワンマンカーの氷見線、テープによる観光案内があります。大伴家持(おおとものやかもち)と『万葉集』の話だとか。
「雨晴(あまはらし)」という名前の駅があるのですが、アナウンスによると実兄源頼朝に追われた義経と弁慶らがこの地にたどり着いた時、雨が晴れるまで岩陰で休んだとのこと。
そこでその岩を「義経岩」と呼ぶそうな。車窓から、それっぽい岩と祠(ほこら)が見えたのですが、これがそうかどうかはわかりません。
ただし、いずれにせよ歴史を背負った場所であることだけは確か。終着駅の氷見駅は予想外に小さな駅で、駅前に立つ限りどこが町の中心なのか良くわかりません。
以前、金沢工大に赴任した直後に両親らを連れてこの近くを車で通ったことがあるのですが、やはりあまり大きな町ではないようです。
とにかく静かでのどか。ホントは散策したかったのですが、もう夕方で時間がなかったので、乗ってきたディーゼルカーで折り返します。
城端線も相当シブイ路線で、富山県西部、庄川沿いの農村部をゆっくりと進みます。
この地域は「散居の里」と呼ばれるほど家々がパラパラと散在しており、それに対応するように市街地もあまり纏まることなく存在しているので、どうしても印象が拡散しがち。
散居の里は、庄川の豊かな水の恵みのおかげで、纏まらなくても水には不自由しないことの結果だそうなので、実はとても豊かな地域なんだそうです。
1時間ほどで終点の城端駅に到着しました。
すでに真っ暗になっていたし、かなり雨が降っていた──写真の白い玉はフラッシュの光を雨粒が反射したもの──ので、ほとんど何もできずに折り返しの列車に乗り込みました。
まぁ、これで氷見線と城端線は乗り終えたことになるのですが、氷見線はともかく、城端線は晴れた日の昼間に乗るとずいぶん印象が違うんだろうな、と思います。
今日は暗くて良くわからなかったのですが、平野部を遡っている路線なので、石川県側および岐阜県側の山がどんどん近づいている(らしい)のです。いずれも、チャンスがあったらまた乗り直してみたい路線です。
今回の氷見、城端両線は富山県の中でも比較的郡部を走るためか、ホントに地域の人の生活に密着しています。
乗客は皆、とてもゆったりと生きていらっしゃいます。センセイは富山県が秘めた実力──石川県にも新潟県にも不足しがちな、庶民の「したたかさ」のようなもの──を感じました。