2009年9月17日更新(2009年9月27日ページ移動。2013年9月17日写真削除)
■9月17日(木) こちらも、夜は初めてのお店 ──ツアー再開前のドツボな1日──
センセイは明日から関西方面へご出張。その準備もあって、やたらと忙しいのです。
しかも出張から戻ると連休に入り、続いてセンセイらが主催するイベントを挟んで講義再開となるので、何とか今日中に仕事を一区切りをつけなければなりません。
今朝も職員より2時間位早くご出勤。なかなか片づかないし、良くも悪くもマイペースで仕事を進める人が多いので、お昼頃には西村センセイ、完全に消耗状態。それでも夜までに当面の仕事を終えてアパートに戻ります。
でも今日は、ここから先もちょっと特別なのです。
センセイはいつもスーパーで惣菜を買って、自宅で夕食を済ませるのですが、今日だけは食べ物がない。炊いてから小分けして冷凍したご飯は昨日でお終い。ビールもありません。
連休明けは新潟から車で来る予定なので、その時にお米──新米!! ──を運び、ビールも買おうと調節したのです。でも晩ご飯を食べないわけにはいきませんから、どこか候補を考えると......ファミリーレストランしかない。センセイのアパートは住宅地にあって、周囲に飲み屋さんの類(たぐい)は皆無。
それにそもそも、一人で飲み屋に行くことはないし。ただし1軒だけすぐ近くに安いファミリーレストランがあって、そこは年に1、2度、出張先からお昼に金沢に戻った時など、利用することがあります。
でも夜は、初めて。いつも車がたくさん止まっているなぁーと思って見ていたのですが、やはり結構お客さんが入っています。
主体は大学生くらいですが、高校生や、逆にオトナも一組ずつ。いずれにせよセンセイにはご縁がない方々なので、とにかくビールを頼んでメニューを探します。
でもお客さんに合わせたかのように、油っぽい食べ物ばかり。それでもマグロの刺身──もちろん解凍もの──のついた和定食を見つけたので、ジョッキのモルトビールを持ってきたウェイトレスにお願いして、ビールを飲んだのですが......美味しくない。
あまり時間を置かずに定食も届いたのですが......う〜ん、こちらも価格相応か、それ以下。
不思議だったのがマグロの刺身。
普通だったら、ある部位を切り分けるので、刺身は連続しているのですが、これがみんなバラバラ。水っぽい断片を寄せ集めた、そんな感じなのです。
どうしたらこういうことができるんだろう。お察しのように、味もそれにふさわしい内容。ホントはここでもっとビールを飲んで帰るつもりだったのですが、早々に引き揚げることにします。
斜向かいのコンビニに缶入りサッポロビールがあった──ふだんコンビニでビールを買うことはない──のでアパートに戻って仕切直すことにして、とにかくシャワーを浴びていると、あ"っ...。......大学を離れる前の仕事を、たぶんミスしてしまった。
仕方がないので、着替えてから夜の大学に戻ります。もちろんもう誰もいません。
確かに先週は東北、北海道で思いっきり遊んだけど、努力を怠ったとか、何か悪いことをしたわけじゃないんだけどなぁー。でも、まぁ、こういう日もあるでしょう。
明日からの出張は、気持ちを切り替えて臨むことにしましょう。
■9月16日(水) 初めてのお店。それなりに美味しかったけど、でも、被害甚大
忙しい。ホントに忙しい。再び気絶してしまいそうなほど──実際にはしてないけど──とにかく忙しい。
それでも午後の気を使う会議のことを考えると食べないわけにはいかないので、お昼は何も考えずに外へ。
行き先のあてもなく、右へ行こうか左へ行こうか迷った──実際、今日は一度Uターンした──末に、とにかくキャンパス脇の橋を越えます。コンビニへ行けば何とかなるかも、と思ったのです。ふと、道路の反対側に目立たない看板があることに気づきました。
昔、「いただきます」(だったかな)という学生向けの食堂──入ったことはないので、正確にはわからない──跡です。改装していることは知っていて、何のお店になるんだろうと思っていたのです。
結果は、おぉ、ラーメン屋。看板の、黄色と黒の組み合わせは蜂の尻尾(しっぽ)や道路工事の標識などに似た「警戒色」。
本来ならば自らの存在を知らしめる色の組み合わせなのですが......う〜ん、何故か目立たない。
実際、センセイは店の前を通り過ぎてから、交差点を出入りする車の動きを追って、やっとこのお店の存在に気づいたのです。入口が2カ所あることも初めて知ったのですが、暖簾(のれん)の類(たぐい)はかかっていません。
お店の存在に気づいてからも、営業しているのかどうか確信が持てず、最終的には小さな、小さな「営業中」という札をそれぞれの入口に確認したほど。......これはもう、入ってみて、自分の目で確かめるしかない。
左側の入口はわかりませんが、センセイが入った右側の入口は、意外にも自動ドア。
カウンターに男子学生が二人座っていて、奥に店員が3人いたのですが、出迎えの言葉はなし。
この時点でも、本当に営業してるのかなぁーと訝(いぶか)ったくらいです。入口近くの椅子に座ったのですが、店内はとにかく殺風景で、どこを見てもメニューがありません。男性店員がやっと近づいてきて、何やら説明してるのですが......よく聴き取れない(センセイはこの頃、耳が遠い)。
どうやらこのお店、現在はまだ仮営業中のようで、センセイの背後にある食券販売機を指差しながらメニューは現金払いの「しょうゆ(小)」と「しょうゆ肉(小)」──要するにたぶん、チャーシュー麺──しかないとのこと。
食券販売機は白い紙が張られていて今日は使えないのですが、本来の品揃えはもっと豊富なようです。このごろ肉をあまり食べない西村センセイが前者を注文したところで、電気工事──たぶん金沢工大の工事──風の、作業服を着た若い二人連れが別な入口から入ってきました。
センセイの時と同じようにやりとりしています。「(小)」という表現──センセイもよくわからない──が気になったようで、一人が「大盛りはないの?」と尋ねると店員、「もともと大盛りですから...」。
へぇ、そうなんだぁー。(それすら確かめずに注文したセンセイって、いったい......。)厨房にいる店員の動きはそれほど悪くなかったのですが、かなり待ってから「しょうゆ(小)」が届けられました。麺が太いので、茹で上がるまでに時間がかかったようです。
何だか味噌ラーメンのようですが、これでも正真正銘、醤油味。上に乗っているのは「鬚」を取っていないもやしとキャベツ(手前)。
左側にはブロック状の軟らかいチャーシューがあるのですが、よく見えませんねぇー。
ちなみにメンマは存在しません。がんばって、もやしとキャベツに挑戦します。まぁ、普通の味。
チャーシューは相当時間をかけて煮込んだようで、口に入れる前、箸で持ち上げたその瞬間に溶けてしまうような、そんな柔らかさ、そして甘さ。やっと麺にたどり着いたのですが、実は、ここからが大変。
太い平麺なのですが、スープは少な目なのに麺の量がとにかく多くてうまく箸で掴めないのです。
目の前に、麺の「団子」があるようなものですね。麺そのものは、粗挽きではあるものの、しっかりしていると思います。蕎麦に似た感触です。
あえて例えるなら東京の三鷹駅前、この業界では有名なM先生が、息子さんとともに通った「江ぐち」の麺を粗挽きにしたような感じ。スープは、上部に油の層ができていて、それで味噌ラーメンのスープのように見えてしまうのです。
少ないスープにからんだ太麺。箸でほぐそうとしてもうまくいかず、「こうなったら力ずくで...」の結果は、上澄みの油があちこちに飛び散ることになります。
研究室に戻ってみると、あちこちに油の跡があって、濡れティッシュを何枚も使ってふき取ったのですが、被害甚大......上下とも、明日クリーニングに出すしかないなぁー。このお店、決して美味しくなくはなかったのです。でも正直なところ、どこを目指しているのか、よくわかりません。
カウンターには「セルフサービスの店なので、自分で片づけて...」とあります。たくさんのお客さんが入ることを想定しているようですが、残念ながらそんな感じではありません。
最悪の場合、何だかこのまま、お店の存在すら十分に周知されずに......と余計な心配をしてしまいます。ちなみにセンセイ個人としては、このお店に来るのは今日が最初で最後かなぁー。
新厚生棟の建設とともに、何だか定点観測化しつつある校門付近の低木にくっついた謎の物体。
出張その他で2週間近く大学を離れてしまったので、今日、その後の様子を確かめに行きました。前回、「もう数日で状況が大きく変わるのでは」と印象を受けたからです。
ところがどっこい、正直なところ、2週間の違いが良くわからない......。
枝をひっくり返してみたのが右の写真。
枝の下側を見ていることになります。枝は表は深い緑なのに、裏の方は色が少し薄いようです。肝心の物体ですが、下になっていた部分は中央下および右上のように随分としまった緑色。
白っぽい感じがするのは、上になっていた部分(左上)だけのようです。触ってみるとずいぶん引き締まっていて実が詰まった感じ。前回の予想通り、やはり萼(がく)なんでしょうね。
ただしこちらは予想に反して、しばらく大きな変化はなさそう。じゃぁいったい、いつ花が咲くのでしょう?
それにしても、この謎の物体。蟷螂(かまきり)の顔に似ていて、こちらをじっと睨んでいるような......。
■9月14日(月) 大きな区切りが、いくつか ──中越沖地震の仮設住宅からの退去が完了しました──
先週木曜日のこと。
お伝えしたように勤務を終えて特急に乗り、新潟の自宅へ戻ったのですが、柏崎駅(写真奥)から外へ出て、あることに気づきました。
駅前に、2年前の中越沖地震で被災した方のためのプレハブ仮設住宅(写真中央から右)があります。
いつもお伝えしている場所とは別の場所です。でもこの夜は、ご覧のように建物こそ照明に照らし出されているものの、人の気配がしません。
実際、室内の照明はすべて消えています。以前ご紹介したように、市営住宅が完成して引っ越しが進み、もう誰も住まなくなっているんですね。
報道(『新潟日報』紙および共同通信)によると柏崎市は今日、仮設住宅からの退去が完了したと発表したそうです。
仮設住宅が建てられていた公園やグラウンドやテニスコートは、順次、元の姿に戻ることになります(一部ではすでに工事が始まっているそうです)。翌金曜日は、昼食を兼ねて所用を片づけるために市内へ出ました。
気になっていた古い本屋さんはまさに11日(金)、営業を再開していました。もともとこの場所で営業していたので、古巣に帰ったことになります。
でも右隣の4階建ての大きな呉服屋は、閉店したまま。
別な仮店舗で営業しているのですが、被災したビルの解体費用を捻出できないようです。このように、被災への対応についてはまだまだ違いがあるのですが、それでも地震から2年が経って、この柏崎地域は大きな区切りを迎えています。
最後に残念なお知らせを。
虫の知らせだったのでしょう、たまたまこの日は閻魔堂裏の「うれっ子」で名物の焼きそばを食べました。
平日だったし、まだ早い時間だったので割と空いています。でも、麺を茹でるはずのご主人がおらず、代わりに長髪の青年が何の違和感もなく鍋に向かっていました。
あれ?茹で上がった麺を、隣で待っていた奥さんが炒めて焼きそばの出来上がり。これが本当に美味しい(ボリュームもすごい)......のですが、でも奥さんの表情に、どこかぎこちなさがあります。
気になって帰宅してから調べてみたところ、つい最近、ご主人が急逝されたらしい。
はっきりとは覚えていませんが、ご主人、初夏の「えんま市」の頃まではふだんと変わらない様子で麺を茹でていらっしゃったように思います。40年近く前、柏崎地域に夫婦──当時は若かった──でラーメンの新風をもたらしただけでなく、たくさんの若者を育て、さらに被災後の去年秋、地震のダメージを吹き飛ばすがごとく店舗を拡張したのに......。
確かに長髪の青年はセンスがあって、麺の茹で加減は極めて適切。実は晩年のご主人、麺の茹で方がけっこういい加減になっていたのです(茹ですぎの傾向があった)。
こちらも大きな一区切り。主人公が交代、という感じです。改めてご主人のこれまでの努力に敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします。
■9月13日(日) 他人の話を聴くことの難しさ ──新潟、上越の保護者会に参加しました──
先週後半からのセンセイは、いつもとちょっと違った行動パターン。
昨日、今日と、それぞれ新潟市、上越市で開かれた保護者会に参加──もちろん出張──していたのですが、同時に、新潟の自宅にも戻っていました。
ちょっとややこしくて、木曜日に勤務を終えると新潟の自宅へ戻り、金曜日はお休み(日曜出勤となる今日の代休)。昨日(土曜日)は、別な用のある家人を乗せて新潟市へ移動し、保護者会に参加。
それを終えると再び家人を迎えて自宅へ戻り、今日は上越会場での保護者会に合流というパターン。要するに、公用と私用を同時に両立させていたのです。普通の出張の時は許されないのですが、この保護者会の時だけは認められています。
写真は昨日の保護者会(新潟会場)で撮影したもの。
ご覧のようにたくさんの保護者の方がお越しになっています。
金沢工大では、たくさんの新潟県出身の学生を迎えているので、新潟会場は特に大きいのです。全体の会合を終えると、センセイらは分担して保護者と個別面談に入ります。センセイらは1年生、つまり入学したばかりの学生さんの担当。
初めて息子や娘を遠くに送り出した親御さんは、生活や勉強の様子をとても心配していらっしゃいます。あらかじめ用意しておいた資料に基づいて、1年生の前半が終わった段階での状況を15分くらいかけて説明します。
多くの方はここで安心、納得されて面接を終えます。でも、中には「もっと話したい」という表情をされる方もいらっしゃいます。
今回は割と時間に余裕があったので、何組──最近は両親が揃って参加されることが多い──かの方と、時間をかけてお話しさせていただくことができました。そんな一人のお母さん、かなり唐突に、息子の中学、高校時代の話を始めました。
最初は「あれ?」と思ったのですが、話をきちんと聴いて、こちらからも意見を述べると、しだいにお互い、「あぁ、そうか。きっと、そういうことなんだよね(/なんでしょうね)」と、妙に一致。実は西村センセイ、その学生さんには面識がなく、事前に準備された情報しか承知していないのですが、この瞬間、情報の行間が一気に「見えて」──本当に──しまいます。
歴史を研究していて似たような体験をすることがあるのですが、う〜ん、この感覚、ちょっと説明が難しいかもしれない。そのお母さん、帰り際に「西村先生でよかった」と仰ってくださりました。
それだけで、疲れは一気に吹っ飛びます。