2009年8月15日更新(2009年8月23日ページ移動。2013年9月17日一部写真削除)
■8月15日(土) 3年前の花火は使える?! ──大騒ぎのお盆行事が終わりました──
昨日はこのページを更新できず、申し訳ありませんでした。一昨日、昨日と実家で次期ご当主様の仕事をしていたためです。
一昨日も実家にかなり集まったのですが、昨日は兄弟や甥、姪など合計13人が揃いました。
みんな昔は小さかったのが、一番下の姪が小学6年生。その上に中学、高校とぞろぞろ並び、一番上は大学生が3人。みんな図体が大きくなっており、彼ら彼女らの食事を用意したりして、あっという間に2日間が終了。
夜はもちろん花火大会。
あらかじめ大きな詰め合わせ花火を買っておいたのですが、人数が多いので、どんどん減っていきます。
花火の音と煙、そして匂いに向かいの家の人も気づいて、途中から花火に参加。
手にしていたのが「3年前のものなんだけど、使えるかしら。湿気てないといいんだけど」という花火のセット。今年はたまたま小さい子供がいなかったのですが、3年前──中越沖地震の前の夏だ──に子供が集まった時に買った花火が、そのまま残されていたのだそうです。
火を付けてみるとそこはやはり火薬。ほとんど何の問題もなく使うことができました。実はこの家、親戚。花火をしながら、家を継いでいる従姉妹と近況を報告しあったり、近くに住む年老いた伯母たちの話をしました。
花火に夢中になっている子供たちも大人も、それぞれに「やっと夏という雰囲気だよね」という時間を過ごしたのでした。
■8月13日(木) 名古屋大学構内で出くわした、良くわからないもの
今日は見たままのお話。先日、学会で名古屋大学を訪れた際、会場となっている建物の外で、奇妙なものに出くわしました。
右の写真はデジカメで撮影した画像に、センセイがMac上で赤線を引いたのではなく、校舎が本当に赤色を塗られています。
最初は学生のいたずらかな、と思ったのですが、極めて丁寧にペイントされていますから、落書きの類(たぐい)ではありません。写真右側手前などをよく見るとわかりますが、赤線が途切れています。
どうやらセンセイが撮影した場所よりも少し後ろ、そしてちょっと右側のあるポイントに立つと、すべての線が連続して見える仕組みになっているようです(確かめていませんが)。それにしてもこれ、何なんでしょう。
実験や、大学祭での座興など一時的なものならともかく、正直なところセンセイには、学舎(まなびや)にふさわしいものとは感じられないのですが。
仮に遠近法を説明するためのものだったとしても、もっと別な方法があるように思えます。さて世の中は完全に夏休み。センセイもこれから実家へ移動して墓参します。
それではまた明日。(たぶん)
■8月12日(水) 自宅近くで楽器店を新築中!! ──被災後2年を過ぎてからの、地震への対応──
センセイの自宅のすぐ近くに、新しい楽器店(兼音楽教室)を建設していると聞いたので、外出した際に前を通ってみました。確かにモダンな建物が工事中で、今月中には完成するようです。
このお店、どこか県外の大きなお店が柏崎に来襲したのではなく、れっきとした地元資本の、歴史ある株式会社わたじんというお店なのです。
大正10(1921)年に渡甚書店として柏崎市の中心部、その後の中越沖地震で壊滅的な被害を受けることになる東本町の、閻魔堂斜向かいに創業。
すぐに音楽、楽器関係も扱うようになります。3人兄弟が協力して店舗を拡大し、現在では新潟県内数カ所に拠点を構えています。
昭和の時代、柏崎市中心部には大きな書店が数店ありました。
一般市民や生徒は公共交通機関(+自転車、バイク)に頼っていたのでバスの待ち時間に立ち寄るなど、そのいずれもずいぶん繁盛していました。
個人的にも、書店、楽器店の両方にずいぶんお世話になりました。はい。しかし人々が車を利用するようになり、また少子高齢化が進むにつれ、旧市街からどんどん人影が消えていきました。
わたじんも中心部にあったお店をたたみ、ちょっと離れた場所に、書籍、楽器を兼ねた右の写真のお店に移転。
しかしその後も、大手資本の巨大な本屋がいくつか進出してきて、地元資本の書店はどんどん衰退。とどめを刺す形になったのが新潟県中越沖地震です。
すでに店舗はなかったものの、本社所在地としては残っていた場所は瓦礫となってしまいました。(現在は更地)どうするんだろうと思っていたのですが、どうやら営業の軸足を音楽、楽器に絞って、新しい店舗を開くことにしたようです。
未確認情報ですが、書籍販売については中心部(市内東本町)の本社所在地に戻り、規模を縮小して再開するようです。
宅配販売──病院の待合室などに置いてあるもの──の需要はそれなりにあるはずですから。
現在のお店は借地で、本社は自己所有だということも関係しているのでしょう。地震から2年経ち、1ヶ月以内には仮設住宅を離れて市営住宅(こちらおよびこちら)への入居が始まります。
これまでは従来の生活や仕事を「再建」するという感じが強かったのですが、この「わたじん」は地震だけでなく、その後を見通して対応しようとしているように思われます。
やはり2年が一区切りなんだなぁーと、工事中のお店を見ながら感じていたセンセイだったのです。
■8月11日(火) 倒産した研精舎から、備品が次々と搬出されているようです
経営不振を粉飾決算で隠蔽し、この5月に倒産した、自宅隣の研精舎(ホームページはまだ存続)。
倒産直後はパタッとすべてが止まったのですが、権利関係の整理がついたようで、しばらくすると一部製品の製造(?)、出荷が再開されました。
しかしそれはごく一部だったようで、7月に入ってからは納品用の大型トラックが駐車していた場所──そういえば最近、2台のトラックを見なくなった──に、関東ナンバーの白い大きな車が多数止められるようになり、雰囲気が一変しました。しかも今日は朝から、これまでと違って何か重いものを上げ降ろしするような音がします。
工場を覗いてみると、ご覧のように大型トラックに工場にあった機器類を積んでいます。
それも乱暴に。たぶん資産価値のある高い機器類はもう搬出されていて、今日は鉄くず扱いの機械を運び出しているんでしょう。
センセイの自宅の隣は出荷前の一時保管倉庫になっていて、何と、今日はそこにゴミ回収車が入っていました。
実際、この前までは納品前の製品が置かれていた倉庫が、ただの巨大なゴミ箱になっています。
センセイが見た時は、作業員が段ボールを分別しながら処理車に突っ込んでいました。正式には民事再生法の適用だったのですが、営業再開を断念し、資産の整理に入ったようです。
潰れる時は、本当にあっけないものです。
■8月10日(月) 柏崎港に、帆船「日本丸」がやってきました ──世の中はすっかり夏休み──
2日続けて乗り物ネタになってしまいましたが、悪しからず。
柿崎駅で夜行寝台特急「トワイライトエクスプレス」に見送り、各駅停車が柏崎駅に進入しようとした時、港に見慣れない船が入っていることに気づきました。
一瞬ですが、信越線から柏崎港を望むことができるのです。調べてみると8日、独立行政法人航海訓練所に所属する練習船「日本丸(2代目)」が柏崎港に入港し、8日は総帆展帆(そうはんてんぱん:セイルドリル)が公開され、昨9日は船内が公開されたとのこと。
中越沖地震からの復興を祈念し、また柏崎港の活性化も兼ねて関係機関や自治体が誘致したのだそうです。12日まで停泊しているとのことなので、お昼に娘と外出したついでに、柏崎港へ行ってみました。
近づいてみると予想以上に大きいし、背が高い。帆を張る時はマストの上部は海面から約50mにもなるんだそうです。
柏崎港での総帆展帆の様子については報道(『新潟日報』および『柏崎日報』)をご覧いただきたいのですが、センセイとしてはこの角度からの姿もいいなぁ、と思います。その理由を考えていたのですが、たぶん「未来少年コナン」の、帆船バラクーダ号が新天地(かつての「のこされ島」)に向かう場面(たぶんエンディングシーン)が、似たような絵だった体と思います。
セルの重ねによるマストと帆の動き──宮崎駿監督は雲の動きでもよく使う──が印象的でした。
もっとも、バラクーダ号は優美な日本丸と違って、下ぶくれのちょっと奇妙な船体ですが。ところで柏崎市内はかなり混雑しています。人々の動きも、いつもと違います。
センセイ自身は今週中に片付けなければならない仕事をいくつも抱えており、いつも通りの調子だったので気づかなかったのですが、要するに世の中は夏休み。
そしてお盆なんですね。
■8月9日(日) 「鉄分」補給完了?! ──夏のツアー前半戦が終了しました──
正午過ぎに関係するセッションがすべて終わったので、急いで地下鉄に乗り、名古屋大学を離れます。乗り継ぎの関係で、ぜひ名古屋駅13:00発の特急「しなの」号に乗りたいのです。
名古屋大学のキャンパスは何度か来たことがあるのですが、広くていいなぁーと思う反面、名古屋駅からだと、交通がちょっと不便。
それでも事前に地下鉄の時刻を調べ、帰りの乗車券も買っておいたりしたので無事、予定通りの特急に乗ることができました。列車は定時に出発して、中津川付近から木曽川沿い※に進みます。振り子式電車なので、右へ左へ「これでもか」というくらい傾くのですが、外の景色を見てさえいなければ、それほど違和感はありません。
たいしたものです。センセイは指定券を持っているのですが、今日は自由席車両の左側席へ。
名古屋を出発して約1時間20分後、列車が「倉本」というホントに小さな駅を過ぎて短いトンネルを抜けると、木曽川のご覧の光景を見ることができるのです。浦島太郎伝説で知られる「寝覚の床(上松町観光協会のホームページ)より」です。何度見ても、凄いなぁーと思います。
けれども、左側に座ると右側がよく見えない、ということになります。
残念ながら、姨捨駅からの善光寺平(長野盆地)の絶景(こちらやこちら)は右の席の方の肩越しでした。
中央線(通称「中央西線」)に乗る時は、このどちらかを選択しないといけないんですよね。長野駅、直江津駅での各駅停車への接続も良くて──だからこ、そこの「しなの13号」にした──無事に最後となる信越本線の各駅停車に乗車。
センセイが通り抜けた後は、あちこち大雨で大変だったそうですが、センセイはとにかく予定通りに移動することができました。ところで西村センセイ、この各駅停車に乗車するのは初めて。年に何十回も電車で新潟−金沢間を往復しているセンセイですが、接続の関係でこの電車(1347M)には乗ったことがなかったのです。
電車は柿崎駅で2番線、つまり待避線に入ります(写真右側の電車)。後続の特急に追い越されるためです。
もう、「後続の特急電車」と書かなかったことにお気づきでしょう。電車ではなく電気機関車に牽引された客車、それも大阪発札幌行の寝台特急「トワイライトエクスプレス」号に抜かれるのです!!
遠くに前照灯が見えたと思ったら、相当なスピードで本線を通過。センセイはこの「トワイライトエクスプレス」号に、SA1個室(ロイヤル)を含めて何度か乗ったことがありますが、この最後尾車両(1号車)には、まだ乗ったことがありません。
そんなことを考えていたら何だか、とにかく寝台列車に乗って北海道へ行きたくなってしまいました。
寝台特急「日本海」の青森−函館区間が廃止されたため、今や、日本海側を走る寝台特急で北海道入りできるのは「トワイライトエクスプレス」号だけ。
個室で美味しい毛ガニをツマミに、函館山を愛でながら北海道限定のビールを飲むなんて、どうしてあんなことができたんだろう。う〜ん、でも東北地方はまだ行ったことのない地域がたくさん残っている。それにもしかしたら、北海道の南部なら上陸できるかもしれない。
今回の出張は後半、とても「鉄分」の多いものになったのですが、これが鉄分補給になったのか、鉄分不足を認識させることになったのか、現状ではちょっと、判断が難しいところです。
※お詫びと訂正
一昨日の太多線の記事で、「大きな水系を越える」と書きました。気になって調べてみたのですが、実は飛騨川と木曽川は、太多線より少し上流部で合流しています。下流から見た場合、中央線は木曽川ではなく庄内川に沿って遡り、途中から木曽川に沿います。本日、車窓から以上を確認しました。
お詫びして訂正します。