2010年5月8日更新(2010年5月16日ページ移動。2014年5月25日一部写真削除)
■5月8日(土) 自宅に戻ると......ちょっと妙な気分。 ──設計ミスを、14年ぶりに直してもらいました──
自宅に戻ると──正確には、自宅に入る前から──家の様子がちょっと違います。
夜中に新潟の自宅へ戻ったのですが、暗がりの中、目を凝らして確かめると、衛星放送のアンテナは丸くなっていたし、屋根には5素子のアンテナがちょっと光って見えるようだし。
でも、これじゃぁ、何のことかわかりませんね。センセイは14年前の1996年の今ごろ、実家近くの柏崎市内に自宅を新築しました。
遠い親戚に腕の良い工務店──宮大工も務める ──があって、選択の余地なくそこに仕事をお願いしたのですが、棟梁とその次男(常務)の腕前には驚かされるものの、長男(専務)がどうにもこうにも頼りない。
提案された設計図も、ひと目見ただけで使い物にならない。(実際、その後、倒産してしまうことになります。)しょうがないのでマックな西村センセイ、(株)インフィニシスが販売していた当時の「一軒落着」(Mac用最新版)を使って、自分で設計することにしました。
この「一軒落着」はとても便利なソフトで、当時は2D(平面)だけだったものの、基本的な構造設計からある程度の設備(電気配線、水回りなど)まで設計することができました。
ちゃんと、専用のスイッチなど部品が用意されているのです。こうなればもう、センセイのもの。敷地と建物の基本的な関係を踏まえて、可能な限り均等に配分した重量配置とパイル敷設──2007年の新潟県中越沖地震でその効果ははっきりと確認された──などの耐震対策、採光、建物内の動線、廊下および押入などの幅、自宅書斎およびダイニングの造りつけ書棚などなど。
思いっきり趣味に走って(?)、自宅を設計しました。よく「自宅は3回新築しないと満足できない」などと言われますが、事前に専用ソフトを用いて十分検討したおかげで、かなり満足できる家を建設できたと思います。
でも当然、設計ミスは残ります。施工ミスはセンセイの責任ではないとしても、縁側奥の物置の戸とカーテンレールが干渉するとか、娘の部屋──当時は3歳だったので、西村センセイ、かなりいい加減に設計した──のクローゼットのドアとカーテンレールが同様に干渉するなど。
正直なところこの辺は、実際に経験してみないと絶対にわからないと思います。
一番の失敗は、階段の照明。これはもう、完全にセンセイの設計ミスです。
写真はセンセイの2階書斎(中央)を見ているところですが、右下から左上に向かって直線上の階段で登ってきます。
廊下全体を満遍なく照らすべきだと考えた西村センセイ、廊下の中央(黄色矢印)に照明器具を配置したのです。実際、とても便利だったのですが......よく考えるとこの位置、電球の交換が極めて難しい。
実際、しばらく前から切れた電球が交換できなくなったまま...。(トホホ)そこで、先日の外壁修理にあわせて、懸案だったBSアンテナおよび風害で壊れてしまったFMアンテナの更新とあわせて、照明器具の移設をお願いし、連休明けの昨日、工事が完了したというわけです。
階段の照明が消えたことに妙に慣れてしまい、本来こうあるべき新しい照明とその陰影に戸惑う今日の西村センセイ。
でも、これでやっと宿題を14年ぶりに解決できたかな。
■5月7日(金) 焼け木杭に火は付くか?! ──西村センセイ、山のようなメールの中で考える──
まだ連休ボケが大学キャンパス内のここかしこに残っているというのに、仕事は容赦なく襲いかかってきます。センセイの場合、現在は主に学会の仕事。
「学会」といってもセンセイが関わっているのは、「財前君!!」──知らない人は調べてね──などという派手な仕事ではありません。もっと渋い、でも相手にとっては重要な事柄。
やり取りはほとんど電子メールです。今日のメールの中に、ある大きな会社とのやり取りがありました。名前を知っているかどうかはともかく、受験生ならお世話になっている会社です。
金沢工大へ移籍する前、センセイは、この会社およびライバル会社の両社とたくさんの仕事をしていました。二つの会社の本社にはよく通い、相当深入りしていたのですが、いつの間にかある種の違和感、あるいはこれから変化する予感のようなものを感じていました。
やがて西村センセイはその仕事を離れます。このWebサイトを立ち上げる少し前のことです。何より勤務先が変わったこともあって、その後は考え方がずいぶん変わったように思います。
その当時は何が何だかわからなかったものの、今から振り返るとその時、予兆を感じていた通りに、という印象を受けます。約10年ぶりにその会社とやり取りをして、その過程で......え"?!
今日のメールで初めて知ったのですが、その会社も認識が変わっていたのです。それもセンセイととてもよく似たように。
そしてもう一つ。ライバル会社──銀座の、大学生なら就職活動で必ずお世話になる会社──で一緒に仕事をし、銀座で飲みながら情報交換をしていた人たちがその後独立し、やはりこの学会に関係しているのです。
先日、必要があって直接電話したのですが、約10年ぶりのはずが、まるで昨日会ったばかりのようなやり取り。考えてみると程度の差、そして彼我(ひが)の差こそあれ、センセイがあの日感じた予感のようなものを、当事者はそれぞれに感じ取っていたように思われるのです。
その結果、10年後にまったく別だったはずの場所で、関係者が再び巡り逢う......。男女関係だったら「焼け木杭(ぼっくい)に火が付く」というところなのでしょうか。
好意的に考えればみんなが「時代を読んでいた」ということになるでしょう。ネガティブに考えれば主人公でいるつもりで、実際には時代精神(“der Zeitgeist”)に操られているということになるのかもしれません。
操り人形なら、それはそれで仕方ない。確かにいろいろやり残したことはあるけれど、少なくともそれぞれの節目では皆が精一杯働いた、それがこの結果。
大きな方向としては間違っていなかったんだろうなということを再確認し、そして「為すべきことを為さねばならない」──その実体は、全然わからないんだけど──ということを再認識させられた今日の西村センセイなのでした。
■5月6日(木) 最高気温31.6℃の暑さの中、若鷲(?)たちが能登半島での研修に出発しました
昨晩ちょっと飲み過ぎてしまった西村センセイ、今日はちょっと遅めのご出勤。
駐輪場へ到着し、二重にロックをかけていると、追いかけるように入ってきた格好の学生に、「おはようございます」と挨拶されます。集合時刻の40分も前なのに、もう学生諸君が登校し始めている......。
「集合時刻」というのは金沢工大の1〜3年生が春、夏そして冬に能登半島にある大学の施設で行う研修に出発する時刻。今日はセンセイが担当するクラスと隣のクラスが合同で、2泊3日の1年次研修に出かけることになっているのです。研修には、ご覧のようにバスで往復するのですが、集合時刻の8時半にちょっとでも遅刻すると参加が認められません。
集合から現地での活動、そして大学に戻っての解散までが、研修なのです。前回のクラスの講義で「遅刻するな。パジャマでも、這ってでもいいから...」と発破を掛けたのですが、さて、どうだったのでしょう。
連休に実家へ帰り、かつての同級生と遊んで、戻って......の連休明け。条件は最悪です。もちろん先ほどの受講生のように、ほとんどの学生は問題ないのですが、ちょっと心配になって集合時間に現場へ行ってみました。
幸いにも目の前で遅刻を宣言される学生はおらず、バスはとにかく研修所へ向けて出発したのですが......完全に遅刻してしまった学生は、この時点では把握できていないのです。お気づきかと思いますが、今日の写真は陰影がとても強い。特別に加工しているわけではありません。
要するに夏の陽射しだったのです。今日は高気圧に覆われて今日は全国的に気温が上昇しましたが、ここ金沢も朝から強く暖かい──というより「暑い」──南西の風が入って、最高気温はついに31.6℃を記録しました。
1週間前は霙が降ったんですよ。建物がこのところの寒さでまだ冷えたままなので、校舎内は涼しいのですが、一歩外へ出るとムウヮッとした異様な空気が押し寄せます。
若鷲──というより、まだヒヨコ?──諸君が向かった研修施設は、暖房はあるものの冷房施設はありません。本来ならばこの時期はちょうど良い気温なのですが、さすがにこの暑さだと......今ごろ、どうなっているんだろう。
でも今までの経験からすると、暑かろうが寒かろうが、雨が降ろうが何が起ころうか、研修施設から戻った学生諸君は、新しい友達を得て、クラスの団結も増して、一皮剥けた「大学生」になっています。何度も書きましたが、子供たちは自分の力で成長するんですね。今回はその姿をまだ目にしてはいませんが。
■5月5日(水:祝日) 主役は誰? ──廃止されたトンネルを訪問してみました──
昨日、約束の時刻の1時間前に娘を迎えに出発したのですが、幹線道路はかなり渋滞していました。時間的にはかなり余裕があるはず──結局、寄り道のおかげで遅刻した──なので、別な道を利用することにします。
めったに通らない山間部の道路です。柏崎と長岡の間には峠があり、多くの道路はトンネルでそこを越えます。しかし今回は信越本線沿いのトンネルのない山道。数年間、下手をすると10年近く走っていないと思います。
久しぶりなので、「こんなに急カーブが多かったかな」と驚かされます。窓を開けると鶯をはじめとした、たくさんの鳥たちの鳴き声がしています。もちろん倖せな気分になるのですが、音量だけだったらうるさいと感じてもおかしくない程。
峠を越えて、再び急カーブをいくつか曲がると突然、道路がなだらかになります。現在は長岡市に属しますが、かつての旧三島郡越路町に出たのです。
バドミントンラケットの製造から始まり、現在ではゴルフの石川遼選手のスポンサーで知られる「ヨネックス」発祥の地。かつての本社工場はこのすぐ近くです。
峠を背にして、道路左側から信越本線が近づいてきて、すぐ脇を平行して走るようになります。車を止めて峠側を撮影したのが写真。さて、この写真の主役は何でしょう。
どう撮影しようか少し歩いていると、正面の塚山トンネルの中から前照灯が見え、115系のローカル列車が顔を出しました。
もうちょっと待って撮影すれば良い「絵」になったのでしょうが。今回、センセイが本当に撮影したかったのは、この電車ではありません。
正面の新塚山トンネルと、矢印の先に頂上部だけがすこし見えている旧トンネルです。ずっと以前に反対側、柏崎側の旧トンネル群をご紹介したことがあります。いわば、その続編なのです。
長岡(越路)側はとても行きにくく、見にくい場所にトンネルの開口部があります。
雪が融けてまだ草木が生えていない時、上り列車の左側の車窓から一瞬だけ見ることができるのですが、その後はすぐに雑草に覆われて、まったく見えなくなってしまうのです。この写真でもわかるように、新トンネルの左側は流入してきた土砂でどんどん埋もれてしまっています。
新トンネルの利用開始から40年ちょっと。そんなに遠い昔のことではないのですが、もう人々の記憶に残ることはなくなっています。
■5月4日(火:祝日) お父さんは嬉しいような、悲しいような...。 ── 紅白咲き分けの花桃に出くわしました──
連休を利用して遠くから来る友人と娘とが、少し離れた長岡市で会うことになり、今日のセンセイはその送り迎え。
現地までの公共交通機関が(ほとんど)ないため、止むを得ないのです。往復すると2時間弱、そしてそれが2往復。
何だかこの連休は家族サービスばかりだなぁ。車を走らせていると、娘が風景の美しさを指摘します。少し前まではあまりに子供過ぎて、そんなことは口にしなかったのに。
確かにこの時期の山々は、何種類もの色を細かく使い分けた新緑と、今が盛りの山桜と幹などの茶褐色とで、繊細な編み物のような感じ。
人里でも、遅咲きの桜が満開だったり、このお宅のように花桃──たぶん──がちょうど見頃だったりします。
それに写真の中の左の木、ご覧のように一つの木に紅白の花が同時に咲いています。
よく見るとピンクの花も見えます※。「咲き分け」というらしいのですが、実物を目の当たりにするとやはり、とても不思議な感じがします。
娘も「きれいだね」と言ったので、お父さんは他の邪魔にならないように道路脇に車を止めて、歩道から数枚撮影します。
ところが車に戻ると、娘は携帯電話でメールの真っ最中。花の美しさは彼女にとって一瞬だけの関心事だったらしい。
まして短命な花の美しさの背後にある生命力なんて、彼女は考えたこともないに違いありません。しかし以前お伝えしたように、これは若さの裏返しでもあるのです。
だからお父さんとしては、情けないような、悲しいような、そして嬉しいような、複雑な気分になるのです。
※いくつか違った再生環境で確かめましたが、条件によっては違いがわからないようです。悪しからず。
■5月3日(月:祝日) 夏日となった今日、柏崎ではあちこちで田植えが行われていました
今日は何回か車で駅その他へ出かけたのですが、朝からどんどん気温が上昇していくのがわかります。318iの外気温計では22℃でしたが、アメダスの記録によると25.0℃まで上昇したそうな。
地元の人が「今日は暑いねぇー」──なぜか標準語だった──と言っています。先週の金曜に金沢でみぞれが降ったのが信じられない感じ。お昼に、ちょっと離れた場所から帰る途中、幹線国道の渋滞を避けて農道へ入ると、ご覧のように家族総出で田植えをしている場面に出くわしました。
これまでの低温で苗の生育状況に問題が残っていなければ、という条件付きですが、これだけ気温が上昇すれば田植えも大丈夫。背景の米山(よねやま)も昨日、今日の高温で雪解けが進み、わずか1週間でずいぶん表情が違っています。
そうそう、気になって米山のこの残雪の形について調べてみると、仙台在住の「茶々」さんのブログ「茶々亭はなれ」に、「米山のスジマキ爺さん※」として紹介されていることがわかりました。
地元民よりずっと詳しい解説──どうやって調べられたのだろう──です。
でも逆に言うと、一般の柏崎市民は現在、たとえ現役の農民であってもここまで意識はしていないんじゃないかなぁーという感想を持ちました。センセイが雪の形について聞いたのは小学生の時。それも1回限りなのです。
※「スジマキ」とは専用の苗床に種籾を捲くこと。発芽して生育したものが「苗」。
■5月2日(日) どうせなら、もっと早く知らせてくれればいいのに...。 ──嫌な予感はしていたのです──
連休二日目。でも、センセイが「行楽地への車で高速道路は激しい渋滞...」というニュースを見ている場所は、自宅書斎。
世の中の動きとはあまり関係なく、自宅でいろいろたまった仕事のお片づけ中なのです。(実際には連休中もたくさんの人が働いているんですよ。)
それでも、昨日だけは家族で新潟市内へ出かけました。家人と娘が映画を観たいとのことで、要するに家族サービスです。映画館の駐車場に車を止め、予約しておいたチケットを家人に渡すと、センセイは別行動。
約束の時間まで少し余裕があるので、久しぶりに市内のおいしいラーメン屋へ。小さなお店です。数台しか入らない駐車場に、珍しく車が見えません。かつて「TVチャンピオン」に出場するなど、新潟ではよく知られたお店なのでラッキー!!
店内に入ると、書き入れ時のはずなのに、お客がいません。ふと一抹の不安を感じたのですが、「たまたまみんな、黄濁に出かけているんだろう」と思い直すことにします。程なく届いたラーメンの味の繊細さに、「他では真似できないなぁー」と、改めて驚嘆させられていると、店員の「いらっしゃいませー」の声に招かれて、常連客と思しき老人客。
続いて中年のサラリーマンと、少し置いて再度、老人客。「何だ、やっぱり流行っているじゃん」と思ってお店を出たのですが、店内でも、お店の外でも何だか、嫌な感じ。本来の所用を済ませて、早めに映画館へ車を移動させます。
ここでも妙に、嫌な感じ。表現は難しいのですが。さすがに気になって車を確認すると、え"!! ご覧のように、小さいながらもかなり深い傷がついています。
たまたま、映画館のすぐそばに新潟BMWの本社があるので、そこで確かめてもらうと、板金加工が必要とのこと。
お察しの通り、ラーメン店の駐車場で、後から入ってきた車にやられたんですね。お店を出る時に、かなり迫った位置に濃い青色のワンボックスカーがあって、運転席のドアが開いたであろう、まさにその位置。
「虫の知らせ」というやつでしょうか。でも、もはや現場で確認できない以上、相手に修理費用を請求するのは無理でしょう。
そもそも、これだけの傷を残すなら、それなりの衝撃もあったはず。幸せそうにラーメンを食べている表情からすると、3人の中の誰かが当事者であったとしても、「ぶつけた」という認識がないのは明らかです。
これでは水掛け論になるのは必定。新潟BMWの人に尋ねると、「目安としては板金と塗装で数万円。ただしこの場合、保険は使わない方が...」とのこと。
「嫌な気配」にせよ「虫の知らせ」にせよ、必要な時に役割を果たせないんだったら、ないと同じじゃん!!
......もちろん、ないよりはあった方がいいんだけど。