2012年8月4日更新(2012年8月12日ページ移動。2015年11月3日一部写真削除)
■8月4日(土) これが、JR信越本線を走行する列車内から見た、JR東日本総合車両製作所です
西村センセイ、現在は新潟市での保護者会を何とか切り抜け――関係者の皆様、ありがとうございました――て、慰労会を終えたところ。やはり疲れました。
というわけで、見たままのお話を手短に。センセイは昨日のうちに、金沢から新潟の自宅に戻りました。朝早くに目覚めていたのですが、せっかくの自宅の朝なのでゆっくりと起床。
金沢始発の特急「北越1号」は定時に柏崎駅到着。
よく考えてみると西村センセイ、JR信越本線を、朝の時間帯の下り特急に乗車するのは数年ぶりのはず。
そう思って車窓の外に目をやると、風景がずいぶん変化していることに驚かされます。新津駅が近づいてきました。一昨日ご紹介したJR東日本総合車両製作所のある場所です。
頑張って撮影したのですが......これじゃぁ、何が何だかわかりませんねぁ。でも正真正銘、この木々の向こうに、首都圏JR東日本の通勤車両を製造する工場があるのです。
よぉーく見ると、試験走行のための線路(写真中央)があることに気づきますでもやっぱり、この力強さに欠ける迫力(?!)、信越本線に乗車して、ご自分で体験していただくしかないのではないかと思います。
■8月3日(金) 線路脇に打ち捨てられた、細長くて大きい石の正体は...
この6月末から隔週で関西へ出張(+鉄分補給の旅)していた西村センセイ。これから9月半ばにかけて、国外を含めてさらにあちこち動くことになります。
手始めは明日からの新潟市・富山市出張。両市で大規模な保護者会が開かれるのです。でも今週は車で金沢へ来ているのでひとまず自宅へ立ち寄り、車を戻しておく必要があります。総勢40名以上もの教職員は、先遣隊を除いて貸し切りの大型バスで移動。
センセイは現地集合後、スタッフと一緒に行動します。というわけで今日は仕事に一区切りをつけて......というか仕事を先延ばしして、荷物をまとめて金沢を離れました。当初の予定より少し遅くなったので、一部高速道路を利用して遅れを取り戻します。
何とか日没前に、上越市(直江津)到着。今日の写真が赤っぽいのはそのためです。本当は夕方の帰宅時の上越市は北陸自動車道を利用し、一般道(国道8号線)を迂回したい。でも今日だけはどんなに混雑していても下道を走ります。
自分の眼で確認したいことがあるのです。それは新駅舎の供用が開始されたJR信越本線黒井駅(写真奥)脇。(敷地の外から撮影)
新築工事が続いていた時は工事用のプレハブの建物があったのでわからなかったのですが、それが撤去されるとその跡地に、何か大きく、細長い石が残されたのです。
キノコのような、ちょっとへんな形。個人的には思い当たるものがあったのですが、やはり電車の中からだと良くわかりません。
そこで国道8号線から少し離れて現場へ行ってみると、やっぱり......。かつてここに存在していた頸城鉄道「新黒井駅」の記念碑の残骸です。
正確に言うとメインの記念碑そのものは存在しませんでした。さすがに破壊は躊躇(ためら)われて、どこかに残されているのでしょう。
電車内から見えた細長いキノコ状の物体は、その基礎部分だったようです。(キノコの「傘」が地表部分)でも脇に設置されていた駅の由来を示す石碑(手前)は、ご覧のように打ち捨てられています。
大きな石の死角に入っていたので、電車の車窓からこの石碑を認識することはできませんでした。事情が変わって、古く、使わなくなったものを捨てなければならない時があります。
実家のお墓を移転する時には、大地と同化した先祖の遺骨とともに、古い墓石をその場に埋めてしまったそうです。けれどもその際は必ず、ある種の「弔い」が求められます。
宗教、宗派にはほぼ関係ありません。これによって不完全ながらも、過去と、現在の自分達と、まだ存在せぬ将来のメンバーに、ある種の宣言をするのです。
要するに、けじめです。しかし残念ながらこの記念碑の場合、頸城鉄道に関係していた人たち──大半は故人──はもちろん、何も考えずに乗っていた乗客や、場合によっては荷物まで含めて、その想いは救われないまま。
だからセンセイは、誰の代わりというわけでもないのに、成仏を祈念したのです。合掌。
Web上でニュースを読んでいたら、JR貨物の機関車がJR東日本のE233系通勤用グリーン車を運んだという記事に出くわしました。
西村センセイ、何だかちょっと嬉しい。((c)交友社)だって、知っていることや見てきたことが繋がってくるからです。
まずこの4両の新造車両は、センセイが先週末に乗車した和田岬線で目撃した車両そのもの。(2枚目の写真)
川崎重工兵庫工場の門の近くに留置された数両のグリーン車はご覧のように、傷がつかないように通路ドアのところに保護シートが張られています。
まさに納品寸前の完成品だったのです。さらによく見ると青いシートの左下に、赤いものがみえます。これはこの車両を貨物として運ぶ時の赤い仮設反射板です。
つまりこの車両はまだ乗り物ではなく、貨物扱い。だからJR貨物が運ぶのです。業界用語では「甲種輸送」と呼ぶそうです。
そして目的地もまた興味深い。出発は兵庫県なのですが、列車は山陽本線、東海道本線、高崎線、上越線、そして信越本線を経由して、新潟県へ。
東海道本線や高崎線で使用するはずの車両が、ですよ。もちろんこれには理由があります。今回製造、運搬されているのは数が少ないグリーン車。
普通車はというと、新潟市(旧新津市)にあるJR東日本の「新津車両製作所」で製造されているのです。
その普通車と連結して完全な編成を首都圏に送り出すんですね。去年の秋、颱風に振り回された九州ツアーの最後に、長岡駅で出くわした電車は、記念すべきその最初の編成でした。
このグリーン車も同じようにして、近いうちに首都圏で活躍し始めることになるのでしょう。新津はかつて鉄道の町として栄えました。当時は新潟駅長から新津駅長への異動が「栄転」だったんだそうです。
でも自動車が果たす役割が大きくなり、しかも上越新幹線がここを無視する格好になった──新津は新潟市のすぐ近くなのです──ため、徐々に勢いを失っていきました。
ところがJRの時代になって新津車両製作所が開設されると、再び流れが変わってきました。信越本線(在来線)に新潟方向から乗っていると、新津駅を過ぎた直後に右手(西側)に施設が見えます。公開日など、チャンスがあったら一度入ってみたいと思っています。
それにしても、もともと知っていることが、経験したことや新たに入ってくる情報とどんどん繋がってくるって、やっぱり面白い。
■8月1日(水) テストを終えた学生が退出した教室。そのドアを閉めて、センセイが向かったのは...
学生諸君は昨日でテスト終了。表情がすっかり明るくなっています。センセイらはというと、全てのテストや課題の採点を終えて学生諸君に評価を伝える必要があるので、すっかりトホホ状態。
しかも会議やいろいろな仕事が不意打ちしてくるし。センセイの、今年度前半最後のテストは、昨日の午後。都合で他の先生のクラスと合同での実施となりました。要するに倍の人数なので、普通の部屋では机や椅子が足りません。
テストなので、一人おきに座ってもらう必要がありますからね。でも残念ながら大きな教室は全て使用中。
調べてもらうと向かいの建物の4階にある「ホール」なら借用可能であることが判明しました。
噂には聞いていたのです。古いホールがあるということを。でも金沢工大に赴任して10年、あまりご縁がない建物だったので実際に入ったことはありませんでした。
早く行ってみるつもりだったのですが、問題を抱えた学生の対応をしていたので、会場に到着したのは試験開始の約20分前。
入ってみると、確かにホールです。予想していたより小ぶりで、客席は約240席。基本的には「大きな教室」で、ホールとしても利用できる構造になので、壇上には教卓(右手前)が置かれています。
客席は固定式の机とはね上げ式の椅子。要するに、大きな階段教室なのです。
写真中央奥、ちょっと宙ぶらりんになっている部分には、スライドの映写装置と照明調整卓があるんだと思います。(今回は入っていない)
その右側はスポットライト(「ピン」)を設置する場所でしょう。舞台はというと、中央には何もないものの、下手(しもて:客席から見て左側)袖にはたくさんの楽器が。
ご覧のように裸で置いてあるものもありますが、多数はケースに収めて収納されています。張り紙を読んでわかったのですが、ここは夕方の授業がない時間帯は軽音楽部が借用しているようです。
楽器はフェンダー製のテレキャスターやプレシジョン・ベースなど。センセイが学生だった頃はとても手にすることができなかった本物です。今の学生さんはいいなぁー。
私物らしかったので、こちらには触りません。楽器の奥の階段を登ると、小さな部屋に出ました。
あちこちに電子機器が雑然と置かれて、事実上物置として使用されていますが、本来ここは、音響を調整する部屋です。
左手にあるのはデンオン(コロンビア)製の業務用オープンリールデッキ。基本的にはセンセイが使っている民生用(こちらやこちら)と同じ「ツートラ・サンパチ」です。
機器はおそらく、1960年代半ばのもの。当時としては最先端の、そこそこのレベルのものを集めています。今だったら例えば小さなテレビスタジオだとか、割安なスーパーコンピュータといった感じ。
当時の学生諸君は、この場所、そしてこの機材に胸を躍らせていたんでしょうね。センセイは新潟大学の学生だった時に、よく市営ホールのこういう場所で録音のアルバイトをしていました。
現在のテレビニュース取材時に同伴する、マイク持ちみたいな感じです。35年くらい前のことですが、一晩のコンサートにリハーサルからつき合って、1万円くらいお小遣いを貰っていましたから、結構いいバイトだったと思います。
それに何より、面白かったし。と、少々しみじみとした西村センセイ、試験を終えて学生諸君が退出すると、入口のドアを閉めました。これで安心。外に音はほとんど漏れません。
センセイが向かったのは、壇上のグランドピアノ。ギター類は私物でしょうが、このピアノはまず間違いなく大学のもの。聞いたことのないメーカーでしたが、しっかりとしたキーのタッチ。そして古さを感じさせない音がします。
坂本龍一の古い曲を弾いてみたのですが、残念ながら腕は──というより、指が──かなり鈍(なま)ってしまっていました。扉を閉め切ってしまったので、幸か不幸かその現場を目撃した人は存在しません。
■7月31日(火) ディープ・パープルのキーボード、ジョン・ロード氏が死去
Web上でニュース流し読みしていたら、「大学生の時にこのバンドのキーボードをコピーした」という内容が目に入ってきました。並んでいる単語に懐かしさを感じます。
誰が書いたんだろう、と思ったら、原 由子(ゆうこ)さん。サザンオールスターズのキーボード担当であり、桑田佳祐氏の奥さんです。彼女はセンセイとほぼ同世代(由子さんが一つ上、佳祐氏が二つ上)。
同じ時代を経験してます。この時まで内容を良く理解していなかったのですが、これは追悼文。誰のための文章なんだろうと読み直すと......え"!?
ディープ・パープルのキーボード担当だったジョン・ロード氏が16日、肺そく栓症で亡くなったというのです。((c)朝日新聞社)
原さんだけでなく、センセイを含めてあの頃バンドをやっていた人で、知らない人はいないのではないでしょうか。
教会のパイプオルガンを代用するために作られたハモンドオルガンの、その澄んだ音をマーシャルのアンプ(!!)に繋いで歪ませ、リッチー・ブラックモアのギターと互角に張り合う。
しかもクラシックの素養を生かしたメロディーライン。ギター少年達はみんな、安い国産のギターでリッチーかジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)をコピーしていたのですが、当時はキーボードを弾ける人間がいない!!(特に男性は皆無)
だからヤマハのエレクトーン(R)を弾ける女の子はモテモテで、あちこちのバンドを掛け持ちしていた時代でした。(遠くを見る目)そういえばICUの大学院の同級生に、大阪でディープ・パープルの生ステージを観たヤツがいて、みんなで羨ましがったっけ。
実はつい先日、BS-TBSで“SONG TO SOUL”One piece of the eternity - 永遠の一曲という番組でジョン・ロード氏を見たばかり。番組は再放送だし、収録はさらにずっと前。
それはわかるのですが、とても元気そうだったので、俄(にわか)には信じられないところがあります。そしてどこかで、次は自分達の番なんだな、と意識している自分に気づきます。
氏のご冥福をお祈りいたします。
■7月30日(月) 「その日」は意外と早かった ──丸源ラーメンに入ってみました──
「その日」は意外と早くやって来ました。先日ご紹介した丸源ラーメン金沢横川店に入ることができたのです。
昨日まで出張だったので西村センセイ、今日は学校行事の代休を頂戴していたのです。だから午後、ゆっくりと新潟の自宅を出るつもりだったのですが、急なお客さんで大学に顔を出す必要ができたのです。
今回は車で来たのですが、一般道を主体に、ちょっとだけ高速道路を利用してお昼に金沢到着。まるで「丸源ラーメンに入ってみろ」と、天の声がするかのよう。
今日の北陸地方はあちこちで35℃を越える猛暑日となったのですが、初めてのお店で冷やし中華の類を頼むわけにはいきません。そもそも店員さんが「お勧めは丸源肉そばです」と推してくれているし。
価格は税別650円。改めて店内を見渡すと、今風のお店。かといって過度に流行を追うわけでなく、割と落ち着いた感じです。
程なく届いた写真の肉そばは、意外にもスープがかなり澄んでいて、それほど油っぽい感じがしません。レンゲでまずスープだけを一口頂きます。美味しい醤油の味がきちんと伝わってきます。
能書きによると、小豆島と岡山(新見!!)、そして千葉の醤油をブレンドしているとのこと。表面はお肉だらけで麺が見えません。お肉と一緒に麺をお箸でつまむと、麺は意外にも相当細いストレート麺。
見た目は博多ラーメンに近い感じで、しっかりとしたコシがあります。お肉と麺、スープがしっかりと馴染んでいます。センセイは通常、自分から肉を食べることはなくなりました。ラーメンのチャーシューは通常、食べずに残してしまいます。
けれどもこの肉そばだと、ホントに美味しく食べられます。中央部のオレンジ色のものは柚子胡椒おろしです。途中からこれをほぐして麺を食べると、おろしのさっぱり感が加わって新しい味がします。
能書きにはこの後、「どろだれラー油」を入れて辛味を楽しむようにと書かれているのですが、センセイは油っぽいものが苦手なので、今回はパス。
基本的にはホントに美味しく頂きました。後で良く考えてみるとそれでもやはりセンセイには油が強すぎたかなぁーという感じがします。だから足繁く通う、というようなことはないでしょう。
でも流行りの、そしていつの間にか消えていくラーメン店と比べると、いろいろな要素がしっかりと管理されている印章を受けます。シンプルな醤油ラーメン(税別550円)もあるので、西村センセイ、お昼にアパート近辺にいることがあったら、また入ってみようと思っています。
■7月29日(日) 旅の最後は、なぜかJR難波駅 ──関西地区のJR線を、ほぼ完全乗車しました──
昨日はこのページを更新できず、申し訳ありませんでした。午後から関係する学会の仕事があって、その終了後、関係者で夜遅くまで飲んでいたためです。
ご存じのように、今回のツアーは関西方面に残されたJR線未乗区間乗車を兼ねています。
そのため一昨日は休暇を頂戴して午後から関西へ移動し、和田山線と羽衣線に乗車──この時点で、阪和線完全乗車──してから再び阪和線に戻りました。
この時点で19時30分を過ぎ、完全に日没を過ぎたため、日根野駅から関西国際空港へ向かうJR関西国際空港線の乗車を断念します。真っ暗な中を走行しても確かに乗車したことに違いはないのですが、センセイは日中の乗車を原則としているのです(ただしごく一部の例外あり)。
夜行列車に乗車した区間も、必ず日中に乗車しています。それに関西空港へは路線を共有する南海鉄道で入ったことがあります。だから正確な未乗区間は日根野−りんくうタウン駅間だけ。たぶんこの区間は関西国際空港を利用する際に乗車できるんじゃないかと思います。
快速列車で9時前に和歌山駅に到着。大阪を離れる時は通勤通学客で混雑していた電車に残っているのは、僅か数名でした。昨日の朝は早起きをして、まず始発列車で和歌山市駅へ。
2駅だけの未乗区間です。ツアー計画時に初めて知ったのですが、和歌山市駅は、JR東海の亀山駅を始発とする紀勢本線の終着駅。紀勢本線の主要部分は以前に乗車しており、これで完全乗車となります。
乗ってきた電車で再び高架の和歌山駅へ戻り、和歌山線(和歌山−王子間)に乗車します。まだ朝早いのですが、朝帰り(?)の乗客や通学客でそれなりの乗車率になりました。
4両編成──2両は途中切り離し──の電車は出発直後、センセイが乗ってきたばかりの紀勢本線を一時的にと線路を共有し、やがて右側(=東側)に分岐して、民家の軒先をかすめるように進みます。
電車は平坦な紀ノ川(吉野川)流域を、最初は左手に、そして途中から右手に遡ります。ロングシート車両でなかったら、いろいろなものが見えたのでしょう。
ちょっと残念です。吉野口駅手前で紀ノ川から離れ、低い山を越して奈良盆地へ入ります。再び平坦な地形になって、程なく高田駅到着。ここで電車を乗り換えます。
このまま乗っていてもいいのですが、王子駅で再び乗り換える必要があるし、ここで乗り換えた快速列車はJR難波駅へ直接乗り入れるのです。盆地ですから暑いのですが、比較的湿度が低く、風もあるので比較的過ごしやすい状況です。折り返しの快速電車を待っているのは、大阪でのショッピングに向かう若い女性が主。
昨日は土曜日でしたからね。沿線が徐々に市街地になって、再び大阪へ。新今宮駅で乗客の大半が下車します。
直接、あるいは電車、地下鉄に乗り換えて、目的地へ向かうのでしょう。センセイは残った僅かの乗客とともに、大阪環状線今宮駅を脇に見ながら、地下化されたJR難波駅へ。
ここは名古屋駅を始発とするJR関西本線の終着駅。関西本線──全てを乗った人は少ないと思います──の主要区間はすでに乗車していますので、これで完全乗車となります。
再び新今宮駅へ戻り、環状線、東海道本線を乗り継いで尼崎駅へ到着。ホームに降りたら同僚と一緒になりました。同じ電車に乗っていたのです。その後は学会の、気を使う仕事を済ませ、飲み会に突入。
二次会を含めて、みんな凄い飲みっぷり。センセイはついて行くのがやっとでした。疲れていたことがあるのかもしれません。あらかじめチェックインしていた府内のホテルにたどり着き、とにかく寝ます。
今朝は再び早起きをし、寝ぼけた頭のまま関西と北陸を結ぶ特急サンダーバードの始発列車に乗り込みます。
金沢駅で特急「北越」に乗り換え。関西と新潟を結ぶ直通列車が全廃──トワイライトエクスプレスを除く──され、JR線での移動がとても不便になったのですが、それでも今回の接続はまだましな方。
大阪駅から柏崎駅まで、乗り換えのための待ち時間を含めて5時間で移動できたのですから。柏崎駅の一つ手前、鯨波駅に面した海水浴場は、ご覧のような大にぎわい。ここに限らず、正式な海水浴場ではないところも、たくさんの人出でした。
写真の上部には大型の観光バスが見えます。群馬県北部を中心とした地域から、涼をを求めてやってきたんだと思います。
羨ましい気もしますが、もう小さな子供がいるわけでもないので、今回は自宅で休息し、明日は朝から車で金沢へ移動します。