2013年7月20日更新(2013年7月28日ページ移動。2016年8月12日一部写真削除)
■7月20日(土) 回転寿司店舗での営業はやはり、無理だったらしい ──やまや柏崎店は新店舗へ──
センセイは久しぶりに普通の週末を過ごしています。
考えてみたら、ちゃんと自宅に滞在するのは約1ヶ月ぶり。もちろんこの間、週に1回くらいは自宅に戻っているのですが、夜遅くに到着して数時間滞在。そして翌朝には出発する、というような感じ。
ま、自分で選択した結果なので、文句があるわけではないのですが。年老いた両親が暮らす実家へ行く用があったので、そのついでに幹線国道沿いのお店に寄ってみました。事前に得ていた情報を確かめたかったのです。
それが写真の「やまや」。塩釜市で起業し、現在は仙台市内に拠点を構えています。その「やまや」柏崎店は約15年前、旧市街中心部のスーパー跡で営業を始めました。センセイはそれ以来のお付き合い。良心的な運営がポイントでした。
ところがそのやまやが今春、新店舗へ急な移転。たぶん借地の問題があったんだと思います。お伝えしたように、新店舗は元回転寿司店の店舗で、とにかく使いづらい。
2ヶ月くらい前にビールを買いに行った際、たまたま店長さんと話す機会があったので尋ねると、この店舗は仮のもので、更地になった旧店舗跡に新店舗を建設するかもしれないし、市内で別な場所を借りるかもしれないとのこと。
ふ〜ん。こちらも忙しかったのでその後はご無沙汰していましたた。ところが最近、静岡に拠点を置き、7年前に当地に進出した若者向けの雑貨店「ブルドッグ」が閉店──知らなかった──し、その跡に入るという情報を得ました。
確かに雑貨店、あまり繁盛している感じではありませんでした。センセイにはご縁のないお店なので、店内に入って確かめたわけではないのですが。
現場に行ってみると、ご覧のように改装工事はほぼ完了し、現在は店内で商品の配置に入っているようです。寿司店舗は手狭だった──工夫して商品その他を配置していました──のですが、これだけの大きさがあればバックヤードもかなり広いはず。
これでお店の運営も安定するんじゃないかと思います。一般論としてもそうですが、何しろ、個人的にもそうあって欲しいので、ついつい客観的な予想と希望(願望?)が混在してしまいがち。
情けないのですが。新店舗は来週末には営業を開始するとのこと。
センセイは仕事で不在ですが、この地域の夏祭りの真っ最中。たぶん凄い人出になるんだろうなぁ。
■7月19日(金) こりゃ絶対、解体工事だよな ──金沢工業大学12号館の運命は?! ──
今日は所用で、道路の反対側のキャンパス(南校地)脇を通りました。センセイの単純な行動パターンには登場せず、滅多に行かない場所です。
ここではしばらく前から変化が起きています。12号館という建物があるのですが、その工事のために周囲が立ち入り禁止になっているのです。あちこちに仮設道路、入口に関する看板が立っています。
それは知っていたのです。でも要するにあまりご縁のない場所。だからそこで何が行われているのかよく知らなかったのです。工事用フェンスの上からの覗いてみるとご覧の状況。
......こりゃどう見ても、解体工事だ。金沢工大は50年弱の歴史がありますから、中にはかなり古い建物もあります。センセイの研究室がある1号館などはその最たるもの。
この12号館も初期の建設と思われます。ところが金沢工大の近くには富樫断層があるため、早急な地震対策が求められています。
そこで学内の古い建物は耐震補強工事が進められて──大部分は完了──おり、工事に耐えられないものは解体されています。
だから西村センセイ、解体工事だと思い込んだのです。この建物の5階には小ホールがありました。去年の夏、初めて知ったのですが、あれが最初で最後だったのかなぁー。
ところが念のために調べてみると......え"っ!?解体ではなく、耐震改修補強工事だったのです。工事を請け負った建築設計事務所のホームページには、改修工事後の建物全体とホールのイメージも掲載されています。
関係者の皆様、センセイの早とちりでした。すみません。センセイだってもちろん、改修することで長く使用でき、しかも使いやすくなるのなら大賛成です。はい。
■7月18日(木) 関屋駅を出発した列車は、何故か土手を登り始め... ──白山駅新駅舎が供用開始へ──
新潟県の中央部──ただし海側──をJR東日本の越後線が走っています。
センセイ個人としては柏崎までのその南端部分を高校生の時に毎日通学のために乗車し、学生、社会人になってからは北端を含めた部分をしばしば利用し、なじみ深いた路線です。
その越後線に乗って新潟へ向かう列車が新潟市内の「関屋(せきや)」という駅を発車すると、不意に土手を登り始め、カーブしながら道路をその下を走る割と広い道路を跨(また)ぎ、白山駅に到着します。明らかに不自然。
それもそのはず、この部分は後から付け加えられた部分なのです。以前ご紹介したことがありますが、本来の越後線はそのまま地上を直進し、終点の(旧)白山駅──現在の新潟市立鏡淵小学校付近──へ向かっていました。
土手を登ったのは、その下の道路中央部を走っていた新潟交通電車線(現在は廃止)を越えるため。新たに建設された鉄道は原則として、他の路線を越える時には迷惑をかけないように「その上」を越えます(平面交差を除く)。一種の仁義です。
だから現在の白山駅は「その先」の、とても中途半端な場所に、しかもかなり不自然な形で存在するのです。でもそれは、利用客には関係ないこと。
近くに県庁(現在は移転)やいくつかの大きな高校、NHKや民放などがあることもあって、白山駅は沢山の人に利用されています。
センセイも数年間、すぐ近くに住んでいたのでよく利用しました。JR東日本新潟支社は16日、新潟駅の高架化に関係してずっと工事中だった白山駅の新駅舎を9月1日から供用開始すると発表しました。((c)JR東日本)
南側に位置し、義理の伯父が最後を迎えた新潟県立がんセンター方面へ直接抜けられる南口も設置されます。
新駅舎のイラストに登場するのは新潟色の115系電車。でもこれも数年のうちに、新造されるE129電車に置き換わる予定であることが公表されています。
いろんな思い出が詰まった旧白山駅ですが、それは旧世代のまったく個人的な感想。次の時代を担う人たちが新駅舎を颯爽と闊歩する姿は、本当に望ましいものなのですから。
■7月17日(水) JR金沢駅の6、7番線ホームがますます殺風景になってしまった
今日は見たままのお話。
ご存じのようにセンセイは毎週末、出張や旅行に出かけていますが、たまたまこのところの動きは金沢が起点。新潟の自宅は「途中に立ち寄る」という感じです。
もちろん単なる経路の関係で、普段は自宅が起点に行動するのですが。先日、電車で自宅へ一時的に戻ろうとして金沢駅の下りホーム(6、7番線)に出ると......ちょっと、変。
何かが足りません。正直なところ、最初は何が起きたのかわからなかったのです。
でも目の前に広がるきれいなアスファルト舗装──臭いはしなかった──で事態を悟りました。
ここに存在したキヨスクと「白山そば」の建物が解体、撤去されたのです。しかも先日片づけられたばかりの自動販売機が再移動させられています。
要するに、センセイを含めた利用客が、ホーム売店よりも駅構内のコンビニを利用するなど、行動パターンが変化しているためでしょう。
金沢駅6、7番線には、この新潟方だけでなく大阪方にキヨスクとおばちゃんのお店(こちらやこちら)があります。
そっちのキヨスクはそれなりに利用客があるので、たぶん大丈夫。でもおばちゃんのお店は、滅多に利用しないセンセイを覚えているくらいなのだから、ちょっと厳しい状況かもしれない。
■7月16日(火) 西武多摩川線とJR線の連絡線が復活していました ──センセイはいつでもどこでも鉄分補給──
お伝えしたように、昨日は国際シンポジウムに参加する前に、小金井市の師匠宅を訪問しました。
師匠は8年前に亡くなっていますが、奥様が高齢ながらご健在なので、毎年何回か訪問させていただいているのです。ただし去年、娘が割と近くに大学に進学してからは、状況が一変。
どうしてもそちらへ行く必要があって、師匠宅はすっかりご無沙汰してしまっています。国分寺駅前のホテルを出て、上りの中央線に乗車。電車は数年前に高架化された区間を走り、すぐに武蔵境駅に到着。ここで西武多摩川線──地元の方はしばしば終点駅の名前から「是政線」と呼ぶ──に乗り換えます。
センセイは高架化完成後、何度も乗車しています。でもいつもは乗り換えに追われてバタバタ。だからちゃんと見るのは、高架化後は初めてかもしれない。
多摩川線ホームの西端で撮影したのが写真。中央を左奥から“λ”状に走っているのが西武多摩川線。写真では良くわかりませんが、左奥で地上に降ります。
右側を走る複線がJR中央線。奥には西隣の東小金井駅駅舎が見えています。この多摩川線とJR線を結んでいるのが、滅多に使われることのない連絡線です。中間に衝突防止用のポイントが設置されています。
実は多摩川線には本格的な車両基地がありません。簡単な点検はともかく、本格的な整備する時は、この連絡線とその先のJR線を使って、離れた西武の基地まで運んでいたのです。
高架化される前の地上駅の時代からそうでした。そもそも多摩川線は多摩川河川敷の砂利を国鉄線(当時)で運ぶために開設されたもの。
また第二次大戦中は隣の新小金井駅(西武)から分かれて、現在の国際基督教大学(ICU)の裏門付近まで線路が延びていました。ICUのある場所はかつて、中島飛行機(現富士重工)の研究所だったためです。
現在、その大部分が道路として使用されています。だからその頃は、地上にあった先代の連絡線が活躍していたはずなのです。
歳を取ってからやっとこういう何げない風景の中に歴史の積み重ねを実感できるようになたように思います。ゆっくりとですが、少しは前に向かっているということなのでしょうか。
センセイは、ほどなく到着した「是政線」に乗って師匠宅へ向かいます。
■7月15日(月:祝日) 東京は暑い。初めて入る学士会館はことさら、熱い
鉄分を補給して、センセイはすっかり元気。
でもよぉーく考えてみると元気の理由は、土曜、日曜とセンセイが行く先々は、晴れていることが多いものの、不意に雨が降ったりして、覚悟していたよりも気温が低いからかもしれない。
昨晩も東京は雨だったのです。もしかしてセンセイは雨男?それはともかく、今日は完全な公務。午前中に、亡くなった師匠宅を訪問して奥様にご挨拶し、電車と地下鉄を乗り継いで出張先へ。
今日の目的地は学士会館。初めて訪れます。詳細についてはホームページをご覧いただきたいのですが、センセイなんかの感覚だと、絶対ご縁がないだろうな、と思っていた場所。
この特徴のある会議室で、旧帝大のOBが整然と並んで講話を聞いていたのですから(写真はよく見た)。今日の国際シンポジウムは、いわば一昨日の京都の会議の延長戦。主要なメンバーは同一です。
ただし外国からのお客様の半分くらいは帰国してしまったようです。お忙しいのでしょうね。でもお客さんは、というと、一部引き続き参加していらっしゃる方もいますが、金沢工大の副学長や学会関係者など、かなり入れ替わっています。
写真は最後の総合討論の場面。会の中身については省略させていただきますが、一昨日もお伝えしたように、今回の一連の会議は国内に大きな影響を与えることになると思います。
そして、固有名称を挙げることはしませんが、この動きを我が国の新進気鋭の先生方が進めていることに感銘を覚えます。彼ら彼女ら若い世代は、確実に成長しています。
■7月14日(日) 世界文化遺産を愛でながら、JR東海の全路線を完全乗車しました
今日は移動日。本当は昨日、金沢へ戻ってもよかったのです。
でも明日は東京での会合があるため、このように出張したままの方が経費節約になるのです。もちろんセンセイのことですから、めったにないこの機会を活用して、鉄分補給。
国際シンポジウムへの出席をを終えたセンセイは、まず、すぐ隣のJR山陰本線二条駅から京都駅へ移動しました。でも実は、これが結構大変だったのです。幸いにもセンセイはほとんど濡れずに移動できたのですが、到着した二条駅の様子が変。山陰本線の駅に落雷があって信号機器が故障し、大半の区間が運転見合わせになっているのです。
しかもまた激しい雨になってきました。それでも京都駅付近だけは運行していたので、遅れた列車に乗り京都駅へ。ぎりぎりで予約していた新幹線に乗車することができました。名古屋で下車し、快速列車に乗り込みます。
3両編成のディーゼルカーは、大府(おおぶ)駅から東海道線を高架橋で跨いで右折し、武豊線に入ります。
この地域で残された唯一の未乗線です。実際の建設の順序は逆です。東京から伸びてきた中央本線、東海道本線をこの地に建設するために、何よりも先にこの武豊線が建設されました。
武豊港から資材を運ぶ必要があるのです。そのためか、現在は旅客列車が主なのですが、他の幹線とは雰囲気がずいぶん違います。
貨物の引込み線も2箇所確認できました。終点は武豊駅。乗り換えがうまくいったので、まだ明かりがあるうちに到着することができました。
本当は相当暗いのです。大府まで戻って一泊し、今朝は早起きして各駅停車に乗り込みました。3本――そのうちの2本は特急用の車両でした――を乗り継いで静岡到着。
乗り継ぎも良く、スムースに移動できました。日中、この区間の在来線にちゃんと乗車したのは20年ぶりくらいじゃないかと思います。夜行列車ならしばしば乗車しているのですが、外の様子は分かりませんからね。
静岡からの乗り換えも良く、特急「ふじかわ」に乗って後ろ向きに出発。富士駅の手前で富士山が視界の大半を占めます。
ものすごい迫力です。富士駅から進行方向が変わり、身延線に入ります。センセイにとってJR東海の最後の未乗線です。
富士市までは平地を複線で走行するのですが、そこから先は急に山岳路線のような雰囲気になります。
写真はその途中で撮影した富士山です。特急電車は急勾配、急カーブ険しい路線を登ります。意外にも大半の駅は無人駅。車掌が途中で下車する乗客から乗車券類を回収します。
四国で見たことがありますが、こんなところでも行っているとは......。山々を登りきったところで、甲府盆地に出ます。急になだらかになった身延線を、今までとは全然違うスピードで走って甲府到着。
いつも中央線の車中から指をくわえていた場所を、今日は逆方向から見ています。とうわけで予定通り都内に到着しました。これからいくつかの用を片付けて、明日の国際会議に臨みます。