2014年11月1更新(2014年11月9日ページ移動。2017年7月15日写真削除)
■11月1日(土) 観客はセンセイ一人 ──柏崎市民会館「アルフォーレ」屋外で菊花展が開かれています──
今日は見たままのお話を手短に。週末なので夜の特急で新潟の自宅へ戻りました。そもそも乗客は多くなく、柏崎駅の外へ出ても行き交う人はまばら。
同じルートを往路とは逆に、ひとまず市民会館「アルフォーレ」へ。離れた場所から見た時に館内に照明が点いていたので、何かイベントをやっているんだろうと思ったのです。しかし建物がよく見えるようになっても、どうも人の姿が見えません。
いつもならイベントがなくても、1階のロビーで電車待ちの高校生が勉強していたりするのです。でも今日は全然その姿が......あれっ?!
暗闇の中に気配を感じます。何かが存在を主張しています。それもたくさん。しかし人間ではなく、何か動かない生き物......。
正直なところ、かなりドキッとしました。さらに前に進み目を凝らしてよく見ると、おぉ、菊花展に出品された菊の花々ではありませんか。
ここでやっと地元紙の報道を思い出しました。写真はストロボを焚いて撮影しているので、「こんなものがどうした」と思われるかもしれません。
でも実際は真っ暗闇の中。闇夜に一人で歩いていて、直立したマネキンの群れに出くわしたり、夜中に理科準備室を探検していて、人体模型に突然正対したような状況。
もちろんセンセイだって、そんな場面に遭遇したことはありません。しかし、センセイとしては暗闇の中で何か生命力を感じたように思うのです。マネキンの場合とどう違うんだと追及されたら答えに窮することは明らかなのですが。
■10月31日(金) 台湾からの学生諸君を歓迎するパーティーが開かれました
ふだんはいい加減な格好をしているセンセイも、昨日は一張羅を着てご出勤。
一昨年に引き続き、台湾の國立成功大學(NCKU:National Cheng Kung University)の学生(学生会、天文部、編み物部など)29名と、引率の先生が来学されたのです。
一昨日来日し、学園祭を挟んで1週間金沢に滞在します。午後、まずふだんは入ることのない部屋で学長表敬訪問。立場上、センセイも学長の隣に座ります。やはり「元気だなぁー」というのが最初の印象。選ばれて来日するのですから、当然かもしれませんが。
続いて気づいたのが、彼ら彼女らのファッション。もちろんきちんとした身なりなのですが、日本人のリクルートスーツとは違って、とても個性的です。意欲というか向上心を感じます。
続いてウェルカムパーティーに入ったのですが、上役の学生部長が所用で出席できなくなったため急遽、センセイが代わりにご挨拶と乾杯の音頭を取ることになりました。
聞いてないよぉ......西村センセイ、中国語での乾杯という言葉を知らない。隣にいた本学学生の通訳に尋ねると「かんぺい」とのこと。「乾杯」の音読みに相当するんでしょうね。
ウェルカムパーティー、始まってしまえば主導権は完全に学生のもの。最初こそ食べ物のテーブルに集まっていた学生諸君ですが、お腹がいっぱいになると、写真のようにあちこちで学生同士の交流が始まります。
正直なところ、色分けされた名札(とファッション)を見なければ、どちらの国の人かまったくわかりません。
特に4、5名の学生は日本語がとても堪能。ホント、びっくりしました。尋ねると、「塾で勉強した」とか「ドラえもんなどの日本製アニメをきっかけに覚えた」そうな。
前回は外国語学部で第二外国語として日本語を学んだ方が多かったのですが、今回は事情がかなり違いました。彼ら彼女らは若いので、その気になりさえすれば、たいていのことができるんですね。もちろん日本人学生も、ですよ。
「俺たちの出番じゃないよなぁー」と、引率の先生や本学関係者と妙に納得し合っていた昨晩のセンセイなのです。
■10月30日(木) 砂漠はどこかに井戸を隠している。金沢工大の駐車場はどこかに...
赴任後13年目のセンセイが初めて気づいたことシリーズ(?)第2弾。
朝出勤するとすぐに、研究室の外が騒がしくなりました。今週末から始まる工大祭の準備が始まったのです。とても大きなクレーン車が、ガーガー音を立てながら作業をしています。
ご存じのように、センセイ研究室の前にはメインステージとなる仮設テントが設置されます。準備を終えたら地面にテントを広げ、クレーンで支柱を起こしてテントを張ります。最後はテントを固定するため、周囲に強力なワイヤーを張って設置完了。最初の頃はセンセイも面白がって観察していたのです。
でも13回目ともなると、「うるさいから早く終わらないかなぁー」というのがホンネ。「写真もちゃんと撮影していなぁー」と思いながら、所用でその脇を通って外へ出ることにしました。
近道だからなのですが......あれっ?!駐車場の一部で、アスファルトが掘り返されています。よく観察すると、当てずっぽうに掘ったのではありません。
もともとそのような構造になっているのです。脇には蓋の役割を果たしていたアスファルトの塊。そして掘られた部分には何と、太い鉄の棒が4本埋め込まれています。
周囲を見渡すと4カ所、同じ構造を確認できます。お察しの通り、この部分にテントの支柱を立てます。その基礎の部分が駐車場の下に存在していたんですね。
駐車場の周囲はコンクリート板敷きの歩道になっています。一部コンクリート板の下に、テントを支えるワイヤーを止めるフックが収められていることは見ていました。でもこの支柱基部の存在は、まったく知りませんでした。
なお、「砂漠はどこかに井戸を隠している」というのは『星の王子さま』の一節。キツネが王子さまに教える「秘密」の一つです。老婆心ながら、念のため。
■10月29日(水) 赴任後13年目の夕方、西村センセイが初めて気づいたこと
何度もお伝えしているように、センセイの水曜日はとても忙しい。しかも今日は特別。事情があって午後の2クラスの講義を合同でセンセイが行うのです。
その数、約160人。いつもの教室ではとても収容できないので、大きな教室を確保。欠席率──特別クラスなので、欠席者が多い──を見込んで、今日だけのための座席表を作成します。
早朝に出勤して、それを人数分印刷。いろいろな要素を考えながら提示資料を作成していると、おぉ、講義の時刻が迫ってきます。事務室から台車を借りて、重い教材を運びます。教室にはすでに学生の姿が。
それでもいろいろ頑張った甲斐あって、予想以上に講義はスムースに進みました。途中からは学生の自主活動なので、センセイの出番はありません。教壇の上から学生諸君の様子を見ていると、せっせと課題に取り組んでいます。やればできるじゃん。
講義も終わりに近づきました。今日は流れ解散なので、少しずつ学生が退室していきます。センセイも片づけモードに入ります。
ブラインドを上げると、おぉ、窓の外は見事な夕焼け。空が茜色というわけではないのです。日没直前の夕陽が地面をみかん色に照らし、木々や中央を歩く4人の学生の長い影を刻んでいます。
それはそれでとても美しいと思う。初めて見たし。でももう一つ気づいたことが。
写真中央やや左側、階段があることは知っていたのですが、その上が四角いステージ上になっていることは見落としていました。
石でできた座席のようなものも見えます。知らなかった......。右側には建築系の学生の手によるオブジェ──作業途中らしい──が見えます。先日出くわしたものではありません。
もちろん今週末の工大祭に出展(?)するためのもの。キャンパスの季節の節目をまた一つ、越えようとしています。朝晩、寒いわけだ。
■10月28日(火) 弥彦神社からの道路を走っていたら、沿道にたくさんの小さな「鳥居」が...
今日は見たままのお話を手短に。
先週土曜日、ホテルで駐車場とチェックインの時間を確認してから、自宅に向かって弥彦神社を後にしました。
ルートはいくつもあるのですが、しばらく走っていない鄙びた道を行きます。田舎の山道なので、対向車もほとんど来ません。ハンドリングを楽しみながら318iを走らせていると......え"。
久しぶりに見ました。それも一つではありません。沿道に次々と現れるのです。写真の「鳥居」のようなものが。高さは30cmくらい。
昨日の本物と比べてみると、確かに似ていますよね。もちろんこれは鳥居ではありません。人通りの少ない道路脇にゴミを不法に捨てる人がいるので、それを防止するためのもの。
「ゴミを捨てるな」などの掲示は役に立たないんだそうです。新潟の山間部で時々見ますが、確かにちょっとは効くかも。
■10月27日(月) 卒業してから33年。まだ覚えていてくれるだろうか...
本当は昨日お伝えするつもりだった話題。弥彦山と弥彦神社に関するお話の続きです。
弥彦神社の近辺は道が細く、正直なところ自動車ではなかなか通りにくい場所。脇を通ることはあるのですが、現在は迂回する形で道路が整備されているので、主にそちらを利用します。
神社やその前まで行くことは滅多にありません。秋には日本一の規模を誇る「菊まつり」が開かれ、たくさんの人で賑わうのですが、残念ながらセンセイはそのような趣味を持ちあわせていません。考えてみたら、幼稚園児の娘を連れてきた時以来じゃないかしら。
園内にはなぜか鹿や鶏がいて、小さな動物園のようになっているのです。写真は弥彦神社の鳥居と門前町。神社の前は温泉街になっています。実は来月、そのホテルの一つで大学の同級会が開かれるのです。
卒業してから33年ぶり。センセイは新潟大学を2回卒業しているのですが、最初は教育学部に入学しました。
事情を説明し始めると長くなる──戦前の師範学校制度にまで遡る──ので省略しますが、「新潟本校」に入学した時の同級生はわずか45人。(もっと少なかったかも)
それが2年間続きました。その後、長岡および高田分校からの学生が合流し、全体ではたぶん、1学年250人位になったんじゃないかと思います。
だから最初の2年間は非常に濃密な人間関係を経験しました。水泳は必修だったので、全員で2泊3日の水泳合宿に出かけたのですが、浜茶屋が確保できず、センセイらは普通の民家を借りて宿泊しました。ところが暑いし、疲れすぎているので全然眠れない。
まぁそのおかげで、いくらでも泳げるようにはなりましたが。大学卒業後、ほとんどは全国各地の公立小学校に先生として赴任しました。彼ら彼女ら──実は同級生の3/4が女性──には退職がもう目の前に迫っています。
そこで、「生きているうちに同級会を...」ということになったらしい。ご存じのようにセンセイはその後、別な道を歩むことになりました。だから結婚式に呼ばれた時などを除くと卒業以来、ほとんどの方とお目にかかっていません。
33年、つまり1/3世紀が経過しても、センセイのことを覚えていてくれるだろうか...。
■10月26日(日) 三重写し ──北陸地方は日中、季節外れの陽気となりました──
午後、いつもの電車で金沢へ移動しました。
お伝えしたように新潟はとても良い天気だったのですが、それに加えて今日は日中、気温がどんどん上昇しました。新潟市の今日の最高気温は25.3℃。
自宅のある柏崎市でもお昼頃、24.3℃を記録しました。駅までは荷物を抱えて歩くのですが、途中、新市民会館「アルフォーレ」隣の駅前公園を通ります。寒い日が続いていたので、駅前公園にはこのところほとんど誰もいなかったのです。
ところが今日はご覧のように、小さな子供たちと保護者が集まっています。太陽の位置も関係して、「ミスト噴水」の辺りは光と影が織りなすコントラストが凄いことになっています。
子供たちにつき合っているのは主にお父さん。その脇を通り過ぎようとして、どきっとしました。今から20年くらい前のセンセイによく似たお父さんがいたのです。
あなたは私。大学生なのでまだ独立こそしていないものの、娘も成人して、すっかり手がかからなくなりました。
でも20年くらい前のセンセイは彼女とともに、ミストの向こう側にいたのです。
駅のホーム、ベンチに座って快速列車を待っていると、85歳くらいのおじいさんがゆっくりゆっくりとこちらに寄ってきました。
彼の歩みの邪魔にならぬよう、組んでいた足を解きます。おじいさんは少し離れた場所に座り、コンビニ袋から炭酸水の入ったペットボトルを取り出し、栓を回そうとします。力が入らず、なかなか回らないので手伝おうかと思った瞬間、ガスの抜ける音。
程なく列車が到着したのですが、乗る様子はありません。だからいつも通りに乗車。着席後、発車時刻を過ぎているのに......と思って窓の外に注意すると、最後尾からセンセイと同い年くらいの車掌さんがドアの方へ走っていきます。あのおじいちゃんが乗車できずにいるのです。
一部途中駅のホームの高さが違うため、この列車はホームと列車の間にかなりの段差──ステップが埋められている──があるのです。しばらくすると車掌さんは、やれやれという表情を浮かべて乗務員席へ走って戻りました。
車掌さん、発車後もちゃんと客室内に入って着席したかどうか確認にいらっしゃいました。おじいちゃんは次の柿崎駅で下車したのですが、その際も手助け。
たぶん、乗車する際に下車駅を確認しておいたんでしょうね。職務上当たり前の行為ではあるのですが、それでもやはり偉い。そして件(くだん)のおじいちゃんはというと、もうお察しの通り、明日のセンセイの姿。
あのお歳まで存在できるかどうかはわかりませんが。ドラえもんのタイムマシンに1日に2回も乗ったような、そんな今日午後のセンセイだったのです。